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お寺さんの行事も無事終はり、地下鉄谷町線で阿倍野から梅田へ戻って食事を。さう云へば阪急参番街で暫く食事もしてゐない為、喫茶店でも良いから無理矢理其処で食事をすることにした。川の流れる街のほとりの喫茶に入ったのも、思へば大阪在住時代を終へて以降四十年ぶりであります。珈琲を啜った瞬間、湯舟に浸かって「んー」と体が火照るやうな気分になるのが大阪のストロング珈琲。是を飲まねば「大大阪」の雰囲気に浸れない!御堂筋線の梅田駅で乗ったのが、北大阪急行の箕面萱野行。車内は1970大阪万博のレガシーを伝える写真が展示されてをり、北大阪急行が「万博大輸送」を担ってゐたことをアピール。開催期間中二千万人を事故なく運んだのは驚異的と云へる。昨日、夕方からの僅かな時間ながら、我々も大阪関西万博にお邪魔した。拙者として最も印象深かったのがウクライナのパビリオン。ウクライナ国民が戦ってまで守りたい平和と尊厳~我々平和ボケ日本人は、いよゝゝ無力感に苛まれる訳で、それでも自分達に何が出来るか自問自答せねばならない。ロシア・北朝鮮・中共~此の「3バカトリオ」に付ける薬は、連中が一番恐れる「言論の自由」であることは間違いなく、先づ我々が自ら戦って守らねばならない。借別~千里阪急ホテルそして我々は千里中央駅で降りて、宿泊先の千里阪急ホテルへ。1970大阪万博では要人の宿泊先としても重宝され、ミスインターナショナルの各国代表が宿泊したエピソードも。当ホテルは既に閉館が決まってゐる。万博と同時に生まれ、そして姿を消すと云ふ数奇な生涯なのであります。どうせ最初で最後なのだからエグゼクティブツインに宿泊。宝塚スカイステージをぼんやり眺めながら、阪急マルーンの枕に頭を埋めて幸せ感を満喫するか。嫁さん用の化粧台まで完備。洗面台は化粧台の横、独立トイレ内、バスルームにも装備。蛇口のデザインは前時代的で、もはや更新することもなく最終営業日まで使い切るつもりなのだろう。翌朝、ホテルの隣にある池田泉州銀行で用事を済ませて、再び梅田へ戻って来た。御堂筋線梅田駅は、開業当時の開放的なドーム屋根が一部残ってゐる。戦前の大阪モダニズムの名残で、東京がなんぼのもんや的意識を掻き立てる光景。梅田阪急~此処で横濱の御家人衆への御土産を買うのだ。買う物は決めてゐて、ヒロコーヒー(お笑いの彼女ではなく)であります。大阪の喫茶店を知らない関東の人達が「素直に感激して呉れる」んです(笑)。総ての行程を終へて帰りの汽車へ乗り込む。アイスクリームだが、行きは「ヴァニレ」だったから帰りは「ベルギエンショコラーデ」で決まり!お寺さんで配られたのは檀家さん手作りのクッキー。適度な塩味がアイスに合います。配れるに値するクッキーを自作出来る人が羨ましい。拙者もまた創作意欲を燃やし続けることを誓って有難く頂きました。合掌。
2025.09.28
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「取引」で平和を実現出来るなどと云うトランプは、やっぱり外交はド素人だった。不動産屋のオッサンに出来るのは不動産の取引だけなのだ。ウクライナのパビリオンは、一見店舗のような構えながら「NOT FOR SALE(非売品)」の看板が。我々は売り物ではない!狸(トランプ)と狐(プーチン)の化かし合いで安易に売り買いされてたまるか!ウクライナ国民の決意と覚悟を平和ボケ日本人に訴える場となった。小さなパビリオンだが、数十分待った。見学者は一人ずつ「コンビニのレジに出て来るバーコードリーダーみたいなもの」を渡される。見学者は各自、陳列棚に置かれている「商品」のバーコードにリーダーを読み込ませる訳だが、そうするとリーダーの液晶画面からは、戦時生活を送るウクライナ国民の日常を通して、平和や尊厳といった価値観を訴える様々な映像作品が流れて来る仕掛けだ。例えばタイヤの値札をピッとかざすと、市民がタイヤでバリケードを築く様子が映し出される。祖国防衛に自発的に協力する姿勢こそ、金銭に替えられない価値がある。現在の我が国では、こうした価値観をやたらとタブー視してきた。挙句の果て、辺野古の工事現場でトラックの走行を妨害しようとした活動家を静止しようして警備員が亡くなる痛ましい事件が起きたが、更に痛ましいのは、ウクライナ市民の勇気とはまるで正反対の理屈で妨害者を英雄視する人たち。日本のパビリオンでこの事件を取り上げてはどうだろう。もちろんトラックのタイヤに値札を付けて。ヴァイオリンからは、SUGIZO氏の活動を讃えるメッセージが。友情とは、確かに金銭に替えられない価値がある。最近、北京にて「抗日戦勝パレード」なる茶番劇が「華々しく」挙行されたそうだが、愉快なことに集まった各国首脳は例年よりガクンと減った。単に利害で離合集散しているだけで、友情など片鱗も持ち合わせていない実態を暴露したまで。ライオンのような置物からは、美術品がロシア軍によって略奪されたエピソード等が発せられる。アメリカとロシアの違いは明確で、確かにアメリカさんも戦争となったら相手を徹底的に破壊する野蛮さを持ち合わせてはいるが、戦後の復興に援助を惜しまない側面がある。ロシアは破壊し尽くし略奪したまま返しもしない。第二次大戦後、新幹線まで建設できた日本に対し、旧東ドイツはナチ時代の鉄道網を回復することすらできなかった。ロシアによって鉄道レールが大量に接収されてしまったからだ。バラに端末をかざすと、何故か「恋愛リアリティーショー番組のウクライナ版」が流れた。ネット上で戸惑いの声が散見されたが、拙者は戦時下と云う非常時だからこそ恋愛もより真剣になれるのではと思った。今日明日の運命も分からない状況下こそ、自分の思いを率直に伝えない訳にいかないだろう。結局、平和ボケ社会は恋愛に真剣になることも出来ない。真剣に恋愛しないから人生も真剣になれないし、そら投票率も下がるし出生率も下がる。ウクライナ国民が、いくら武勇を尊ぶコサックの末裔と云えども、命懸けで抵抗を続ける姿には頭が下がる。ロシア・北朝鮮・中共と云う「悪の枢軸」の為に、此処まで一方的に犠牲になっていいのだろうかと。そして平均的日本人は手をこまねいたまま千羽鶴を折ることしか出来ない。千羽鶴は平和の象徴と云うが、旧ソ連では「貞子の折り鶴」のエピソードが反米教育のネタにされ、ソ連軍核兵器開発の口実となった。平和の象徴云々も、敵対勢力にとっては敵対行動の燃料にしかならないのだ。ウクライナ国民は其のことをよーく分かっている。だから命懸けで抵抗しているのだ。改めて思い出す「あの妄言」拙著(核戦争三部作)では、日本が南北に分断され、北海道が北朝鮮のようになり、しまいにウクライナ同様ロシアに侵略される「もう一つの戦後世界」を描いた。平和憲法があるから、平和教育を受けているから、だから侵略されるはずが無いと思い込んでいる我々が、いざとなって烏合の衆にしかならない惨めな姿をこれでもかと云うほど書き殴った訳だ。きっかけはロシアによるウクライナ侵略の影響が多分にあるが、ある経済評論家(と云うかタレント)のこんな御言葉に絶望したことも影響している。「とんでもない奴が攻めてきたら、黙って殺されちゃえばいいんだと思うんです。世界の歴史の中で、昔は日本という国があって、戦争をしなくて制度を守るんだって言い続けて、ああそんな良い民族が居たんだなぁと思えばいいんじゃないですか」これが平均的日本人の思考なら、もう絶望するしかない。今直ぐにでも万博のチケットを買ってウクライナのパビリオンに行った方がいい。そして、トイレに行きたくなったら2億円のトイレで用を足せばいい。こんなにフル回転しているトイレが無駄なら、一日の利用者が数えるくらいの公園の公衆トイレは全部無駄ということになる。では公園の公衆トイレは無駄なのかと云うと、いざと云う時に其の有難さが身に染みて分かるのだ。常に有事を想定した思考(=知識武装)を巡らせる癖をつけようではないか。・小説投稿サイト「FC2小説」で読めるようにしました。
2025.09.21
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堺にあるお寺さんの行事に参加するため、我々は横濱から汽車に乗りこんだ。あまりの暑さにアイスクリームを頼んだ処、中々良い塩梅に凍り付いてゐる。成る程、是を食はずして何が人生であらう。汽車が大阪に着き、北大阪急行電車に乗り換へて梅田へ移動。車内は万博ギャラリーと化してゐて、北急電車が1970大阪万博と共に誕生したことをアピールしてをる。実は我々も、夕方から2025大阪関西万博に行くのであります。北急車両に運良く乗れてテンションはMAX!腕時計の宣伝のやうな万博の宣伝。巷では、不毛な反万博キャンペーンのやうな動きはやっと沈静化したやうだ。確かに、万博成功の手柄を掠め取ろうと云ふ勢力が一部に居る事は事実であらうが、連中の企みは成功してゐるとは云へない。世の中其れほど単純では無いのだ。とにかく、大人の事情だけで子供さんの好奇心を潰すやうな真似だけはしないで欲しい。我々のやうな将来に限りがある人間はともかく、是からの時代を背負う世代には積極的に見せるべきであらう。例へば1970万博のエピソードを語る際、月の石を見る為だけに何時間も並んだ昭和の人達をバカにする連中がゐるが、人間の好奇心を軽視することの愚かさを顧みるべきだ。たゞの石ころ、たゞの棒切れ、だから見逃していゝのか?種子島の住民が、南蛮人が担ぐ「棒みたいなもの」に関心を持たなかったら日本はどうなってゐたのか?さて、梅田に着いて北急電車の万博ラッピング車を撮影。興奮し過ぎてブレまくりであります。高校野球は見ないけど甲子園へそして我々は阪神梅田へ移動。何と!赤胴車に塗りなおした阪神電車であります!ジャイアンツカラーを一掃せねば沿線価値の向上はあり得ない訳で、株主として大いに評価したい。列車は鳴尾浜から移設されたファーム球場の横を通過、完成した設備を車窓からじっくり見物させていたゞきました。甲子園着~何故甲子園に来たかと申しますと、大阪市内の旅館は予約が一杯で、尼崎も予約一杯、甲子園まで辿って漸く宿泊場所を確保出来たのであります。荷物を預けて、先づは甲子園歴史館を株主優待で見学。施設も大幅に拡充されてゐました。今から約百年前には、甲子園の地で大博覧会なるものを開催~阪神電鉄もまた「新しい時代の風景を創った」会社なのであります。今年も米価の歴史的高騰が続いてゐるが、1918年の「米騒動」は、高校野球すら中止に追い込まれる程の全国的な騒乱に。日本人にとってコメとは、ほとんど精神的な存在と云はざるを得ない。グラウンド内に入るなとか、いちゝゝかうした注意書きを掲示してゐたのが甲子園。ファンが乱入して巨人の選手が殴られたりしましたからね。実は高校野球決勝の日で、全くの偶然だったのだが、梅田に戻る際は試合終了直後で電車が混んでゐた。処で阪神梅田駅も工事が終はったらしく、見違える程キレイになった。沿線価値向上に余念がない。後はジャイアンツカラーの電車を赤胴車に塗りなおせば完成なり。そして阪神梅田駅改札前に新名所が。一見、ただのドトールコーヒーに見えるのだが、壁面には引退したジェットカーの部品がアート作品のやうに並べられてゐる。と云はれても嫁さんはポカンだし、他のお客さんも意味分かる人ほとんど居てないでせう。例へ地味でも分かる人には分かることこそ、沿線価値向上に繋がるのだ。ジェットカーの写真こちらにあります!
2025.09.13
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いや、そーいうの求めてるんぢゃないの。野球を見に行ってるんですけど(笑)。ほんと凄い高さですよ、ファウルポールの先端よりも高い?外野応援席なんか下の下の下。是でも我々が座った席は前段の方なんだけど、ほとんど展望台って感じ。階段を何段上ったか分からないくらい上ったが、長崎市民の皆さんは毎日かうして上り下りしてらっしゃるんだなぁと現地を旅したときを思ひ出す。岡田監督がボヤいてたけど、横浜球団は出し物の時間がいちゝゝ長い。何やら超ハイレベルらしいチアリーダーの皆さんも、小動物がぴょんゝゝゝ跳ねてるやうにしか見えぬ。ちなみにウイング席はライト側でも阪神ファンがそこゝゝゐます。隣のお兄さんは、ヒッティングマーチを全曲暗唱出来て、久々出た糸原君のマーチも「えーっとなんだっけ?」とはならずに即口ずさめるんだから脱帽するのみ。小腹が空いたのでカレーライスでも買いました。横浜球団の何やら荘とかで作られてゐるカレーだとか。嫁さんは崎陽軒の弁当を食べてゐて、炒飯を一口もらった。絶景を眺めながら食べると崎陽軒でも美味しく感じられる。驚いたのは、こんな階段絶壁でも売り子さんがちゃんと来て呉れてゐます。よくこんな急階段をビア樽担いで上り下り出来るなと感心。対横浜18回戦は1-2で勝利そして肝心の試合だが、新人早川太貴君の初勝利と云ふ非常に意義深い試合となった。早川君は小樽商大を卒業後、市役所に勤めながら社会人クラブで野球を学び続けたと云ふ異色の経歴の持ち主。高校も公立高校だし、もちろん甲子園出場経験などある訳ない。小樽の隣の余市町出身の嫁さんは、小樽商科大学と云ふ響きに直ぐピンと来るものがあった。よく考えたら小林多喜二も学んだ国立大学やがな。インテリさんなのだから頭使う野球をきちっと広めて欲しいところ(笑)。試合が終はり、ヒーローインタビューはもちろん早川君。Nゲージの人形より小さく見えるから、スコアボードの画面を食い入るように見るしかない。スコアボードすら見下ろしてゐるのだから、ウイング席の高さが分かるだろう。処で場内はヒーローインタビューそっちのけで何やら出し物の準備。何か出し物やらないと気が済まないらしい。我々が横浜市に移動してまだ二年弱だが、横浜人の考えてゐることは未だに理解不能なことが多い。さーっと場内の明かりが消えると、横浜ファンの皆さんが持参してゐるペンライトが鮮やかに輝きます。藍色の光は演出しやすいですね。花火が上がり、火炎放射器みたいな炎が上がる。ステージで歌ってゐるオッサンはどっかで見た顔なんだけど名前忘れました(笑)。我が阪神タイガースが勝利したので、試合後の余興は微妙な雰囲気。オッサンの歌が意外に長いので(笑)引き揚げることにした。長い余興のお陰で退場するお客さんが分散されて関内駅の混雑が分散される効果があるかも知れない。もっとも我々は「関内に住んでゐる」から、何も懸念する必要もないのだが。球場内探索も愉しみの一つ便所へ行くついでに球場内を探索です。平成10年~横浜38年ぶりのリーグ優勝~拙者が漸く社会人になった時分でありますが、確かにあんなことあったなー。多くのファンが優勝を見ることなく鬼籍に入られたので「仏壇の前にラジオを置いて」等と云ふエピソードには泣けました。横浜球場の建設は「震災復興事業」だった訳です。関東大震災の横浜における被害が如何に大きかったかは、谷崎潤一郎「一と房の髪」に生々しく表現されてゐる。横浜球場には「野球の神様」も降臨~惜しいことに日米の友好は長く続きませんでした。もっとも、震災復興事業に米国から多額の援助(現在価値で約600億円!)をいただいてゐるとか、かうした細かい話なんか当時の日本人は知らなかったのでしょう。そして此の球場も我らが甲子園球場と同様、長く激動の時代を生き抜く訳であります。
2025.09.06
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