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19時40分頃、ホテル・スラブチチに到着。 ホテルはエレベーターエスカレーターがない。 20時頃からレストランで夕食をとる。 スープ・ビーフをとる。Iさんのみチキン。ビールを2杯ずつ飲む。通訳の小川さんの子どもの話で盛り上がる。10月に結婚するそうである。 そして自分が結婚したときの話になった。 自分が子どもを産んだとき、姑さんが来て、オムツをギュッと締めた。 しかし83年位には緩やかにする方法がいいというのが、ヨーロッパから入ってきていて、姑とオムツの仕方で喧嘩をした話をした。元看護師のTさんも看護師の立場から、股関節を自由にさせたほうがいいと同調した。 また、結婚する息子さんの話になって、家がまだ購入できていないので当面同居することにするが、なかなか家事をやらない等々の話をした。 そして結婚式話だが、ベラルーシでは3日間くらい飲めや歌えの結婚式だそうで、小川さんのところは、縮小して2日間でやるそうである。縮小しても2日間というのにはビックリした。 またKGBに日本に来たとき嫌がらせをされた話をした。それは「ビザを出さない。ビザを出しても行きのみ、そして帰国したら部屋の中が荒らされていた」ということである。 そして団長から一つの趣向が出された。それは今回の旅行でサーシャ(運転手)さんの運転する車の走行距離が何キロか当てよう!というものである。一番近い人には団長から賞品が出されることで、一同盛り上がる。 ちなみに今日のキエフからスラブチチは180キロだったそうである。(しかし旅の終わりにはそのことも誰もが忘れてしまった・・・) 21時30分に食事を終了して部屋に入った。写真は、右が通訳の小川さん左が運転手のサーシャさん
2005年11月30日
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ウクライナの広大な地平線に沈む夕陽です。
2005年11月23日
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キエフ市外散策の後、いったん車に戻って水を飲んでいる間、通訳の小川さん含めて5人がミカエル僧院・ソフィア寺院に行ってしまい、私とTさんが車の番をしていた運転手のサーシャさんと車で待機していた。待機中、下の坂道の方からポリスが駐停車違反の取り締まりをしていて、それを見つけた運転手のサーシャさんは、取締りを避けるべく車を移動したが、途中道に迷ってしまい、彷徨い走っている16時40分頃、たまたま出た道で5人が歩いているのをTさんが発見。合流の後、チェルノブイリ原発の労働者の街、スラブチチへ向かう。修道院・寺院に行った5人によるととてもいい建物だったらしく、一緒に行けばよかったと少し後悔する。 途中ドニエプル川沿いに道を進め、地下鉄駅の横を通って橋を渡るときキエフを象徴するような像と教会がそびえたつ。いいよキエフの街よ「さらば」である。道路沿いは新しい住宅がたくさん立ち並んで大きな公園も整備されている。日本じゃちょっと考えられない豊な住環境だ。 途中警官に止められる。反則金12グリーナとられる。なんか排ガス規制でエコロジーとかいっていたようである。日本の首都圏のディーゼル車規制みたいなものであろうか。 途中の沿道は農家であろうか、リンゴが一杯生っている。また沿道ではいたる家でベンチが置いてあり、そのベンチに老人たちがいる。日向ぼっこでもしているのどあろうか。 途中ガソリンスタンドによる。トイレすまし、水・アイスクリームを購入する。ツリ銭が足りなくて結局少なくきた。途中、防雪林のような林がずっーと続く。Nさんは、このずっーと続く林を見て、「世界遺産ものだ」と感嘆する。また沿道ではずっーとスイカを売っていた。また民家の軒先に「吊るしているものはなんだ?」と議論百出。結局は「赤カブ」ということに落ち着く。走行中。Iさんの時計には温度計がついていて、Iさんの時計まだ日本時間だよと言うと、「気温も日本の温度か?」と言って笑わせる。 途中水平線に沈む夕陽が物凄くきれいで、Kさん、Sさん、私が写真・ビデオを撮る。Tさんも我慢しきれずに携帯電話で撮影を始める(続く)
2005年11月23日
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チェルブイリ博物館を出た後、参加者6人で、記念撮影をする。 そして、チェルノブイリ博物館を出た後、昼食のレストランを探す。ちょうど、博物館隣にボーチカという日本語では「樽」という意味のレストランに入り、食事をする。 昼食ということもあり、ビール一杯の限定注文。私はポークを頼んだが量が物凄い。厚さ2センチもあろうかというジャンポさ。大きなジャガイモの真ん中にキノコの具がたっぷり入っているサラダ。このジャンボなポークを前に、ほとんどの参加者が残したが、Nさんは完食した。 食事終了後、キエフ市内観光に行く。教会などを車内から見た後、車を坂道に停めて歩いて観光に行く。広場には2年前来た第5次の訪問団が泊まったウクライナホテルが見える。そこをバックに記念撮影をする。時計撮影が趣味のKさんがキエフ市庁舎の時計を見つけ写す。また2年前に第5次訪問団が入ったというレストラン前でも記念撮影。地下街に入るが暗い。節電のためだそうで、まだ電力事情が悪いようである。 路行く女の人たちを見ると本当に美人でスタイルがいい女性が多い。日本でいえばみんなモデルになれるかも。そういえば旅行に来る前に、Yさんから「ウクライナの女性は世界三大美人といわれているほどきれいだよ」と言われていたので納得した。ところで後の二つはどこなんでしょう?知っている人がいたら教えてくださいね。 広場でぬいぐるみをかぶって記念写真をとって金をとっている人がぬいぐるみを脱いで水を飲んでいた。また広場でミミズクを肩に乗せてお金をとっている人にSさんが引っかかりそうになり「ノーマネー」と言って逃げてくる。広場の舗道では、絵描きさんに似顔絵を書いてもらっている若い女性がいた。
2005年11月22日
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チゥルノブイリ原発周辺のジオラマがあった。アメリカの画家が描いた老人と子どもの絵が印象的。また日本の広島の方からのメッセージや千羽鶴も飾られていた。またヨーロッパ全体や地球全体がどのように汚染されていったのが示されている。 隣の部屋は、改築になったという部屋で「祈りの部屋」である。ホール真ん中の上に白い鳥と黒い鳥がイメージされたものが飾られている。白い鳥は正義の鳥、黒い鳥はこのチェルノブイリ原発事故を引き起こした邪悪なものとして展示されている。この邪悪にもののなかにブレジネフ、レーニン、ゴルバチョフの写真もあった。 その鳥の下に木の小舟があって、原発事故で立ち入り禁止区域になった家にあった子ども達の人形などが置いてある。その舟の下には教会にあったイコンの絵などがある。作業にあたった人たちの防護服姿の人形がおどろおどろしい。 そして壁には亡くなった子ども達の写真が、8角形の原発炉心になぞらえて展示されている。またチェルノブイリ原発4号炉ま黒鉛炉を上から見た蜂の巣状の模型に放射能の影響で、髪の毛が抜けて血管が浮かび上がり頬杖をついている小さな男の子の写真が貼られていた。もうすでに亡くなっているであろうその子の眼はジットこちらを見据えて「なんで、僕、こんなになっちゃさったの?」と訴えかけているようであった。また放射能のために障害を持って生まれてきた子ども達の写真が痛々しかった。本当に、人類最悪と言われるチェルノブイリ原発事故の展示を見て、今一度、反核燃・脱原発の決意を新たにした。ということで、チェルノブイリ博物館を出て、昼食に向かう。
2005年11月15日
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展示室でチェルノブイリ原発事故のビデオを見る。このなかでいかに当時のソ連がひどいことをしていたのかが明らかになった。無謀な出力試験もそうだが事故が起こった後も。事故の存在を隠し、原発周辺の住民に知らせず、普段通りの生活をさせていたこと。そしてメーデーとかのお祭りも通常に行い屋外に人を出させたことなど。事故を知らせず、住民を被爆に追いやったことである。 さらに事故後の対応でも。西側にあるポーランドでは、事故後すぐにヨード剤を飲ませるなどの対応をとったのに対し、チェルノブイリではそういうことをせず、後の大量の甲状腺ガンや白血病につなかがっていさったことである。 キエフ中の子ども達の白血病が事故前は年間2人だったのが、事故後1500人に増えたなどのデータが証明している。事故後、甲状腺ガンなどの放射能によると思われる病気はウクライナで350万人、そのうち140万人・4割は子どもであった。 その後ビデオでは事故の内容も知らさせれず、消防士や兵士たちがスコップで瓦礫の処理を4号炉の上で行なったことで多くの被爆者を出した。この作業した人たちは勲章をもらったが、みんな死亡している(この写真は、チェルノブイリ原発博物館ではなく、チェルノブイリ原発での説明館にあった写真です)。
2005年11月13日
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写真です。
2005年11月10日
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やっと、写真圧縮のフリーソフトダウンロードして写真の圧縮が終わりました。ということで、昨日と一昨日載せられなかった写真を掲載します。本日は、疲れましたのでこれで終わりにします。
2005年11月10日
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いま自分のブログ見て、わかりました。写真が載っていないことを。撮ってきた写真が容量が大きくてそのまま、使ったために、写真が載らなかったんですね。明日、加工して小さくしてから、再度載せます。ごめんなさい。
2005年11月09日
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チェルノブイリ博物館の2階の右側の展示室では時計が1時26分で止まっている。事故を起こした4号炉の事故後、決死の消火作業を行なった人たちの写真をみる。機械でさえ、正常に作動しなくなる高い放射能のもとで、放射能が致死量を超えて出ていることを知らされもせず、人海戦術で、作業を行なった人々の姿がそこにあった。爆発した4号炉の上に貼られている写真は、事故直後、消化活動にあたり急性放射能障害で死亡した消防士だという。 (明日へ続く)
2005年11月09日
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2004年9月12日(日)成田発10時15分のオーストリア航空で、一路ウィーンに向かう。12時頃に昼食ビール2杯飲む。機内で2本の映画を見る。現地時間に時間を合わせて、7時間時計を遅らせる。 ウィーンには現地オーストリア時間で16時15分着、ウイーン国際空港で、キエフ空港行きに乗り換える。キエフ国際空港着、現地ウクライナ時間23時15分着。入国審査そして税関といくが、税関でハプニング、同行者の一人が円とドルを間違えて申告したために、大騒ぎに、バッグの中身を出せといわれても、そんなにドルを所持していない・・・でっ結局通訳の人がきてもらって、申告間違いが発覚・・・やっとウクライナに入る。ホテルルーシに入ったのは、1時55分・・・寝たのは2時半・・・。 翌日13日(月)キエフルーシーホテル朝5時半に眼がさめる。すぐ近くの競技場を写す。3時間の睡眠。8時に朝食。迷ったあげく10時半にチェルノブイリ博物館に到着。 館長がじきじきに説明してくれる。1階のロビーの展示室では、アメリカの画家がチェルノブイリのために書いたという。絵が展示されている。2階に行く途中の怪談にチェルノブイリ原発事故で消滅した60くらいの村名名前が書かれていた。降りるとき、その村の名前に×がつけられていて、その村が消滅したことをあらわしていた。もし、六ヶ所村の核燃施設が事故を起こせば、青森県でもこのようになるかとぞっとした。2階最初の右側の展示室では、チェルノブイリ原発事故の概要説明。たくさんの消防士・兵士たちが写った写真が展示されている。時計は事故が起きた1時26分で止まっている(写真)参照ということで、この続きまた明日。
2005年11月08日
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今まで海外は4回旅行行った。そのうち、もっとも新しい去年9月に青森チェルノブイリ子ども支援ネットの一員として、第6次訪問団の一員としてウクライナ、ペラルーシ、ポーランド、オーストリアの4カ国を旅したが、この旅で、もっとも強烈に私の心に残った。チェルノブイリ原発とアウシュヴイッツを中心に記していきたい。ということで今日は疲れたからまた明日・・・写真もまたね・・・。
2005年11月07日
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