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今朝眼が覚めたのは4時半、しかし眼が覚めた場所が居間の食卓にある椅子・・・。昨日はとある新年会に行って二次会はいつもの居酒屋ぽーに行って、最終バスで返ってきたのが夜の10時半。ストーブをつけて、テレビを見る。夜11時頃まではテレビを見ていた記憶があるのだが・・・気がつくと、朝の4時半・・・テレビではNHKが入っていた。 椅子(それも食卓用の椅子)に座って、5時間半も寝ていたのでした。でもたまにやるんだよねオラ酔っていると・・・。 そして昨日はバスに乗る時、バス停がツルツルに凍っていて、前にいた女子高生二人ががツルツルに「凍っているよ。滑らないように気をつけなきゃ」と言いながら乗ったので、凍っていたのはわかっていたんですが・・・やってしまったじゃ スッテンコロリンと・・・・。まあ酔っていたのもあるんだけどね・・・。 でっ、昨日は飲んで職場に車を置いてきたので、1時間かけて職場まで歩いて車をとりにいって、そのまま朝湯(温泉)に行きました。(職場からオラの家までは5.3キロくらい夏だと50分くらいで来るが、冬は道路が悪いので、1時間はかかる)。その朝湯での出来事。 たまに背中をこすってあげる人が身体をこすろうとしていたので、早速、背中こすりをしてあげようとタオルをとると・・・。(・-・)・・・ん?タオルじゃない・・・網みたいになっている。○オラ「これなんで出来ているんですか」○オジサン「綿だじゃ」○オラ「どこで売っているんですか?」○オジサン「こりゃ買ったんじゃないよ」○オラ「えっ」○「だってこれ網だもの」○オラ「網って、漁をするときの網」○おじさん「んだ、これ友達の猟師からもらったんだじゃ。とてもヨク垢落ちるじゃ」○オラ「(゜~゜)ふぅぅぅん」ということで、網を使って背中をこすってあげましたが、こすりにくい・・・網なので細いんですよ。でも、なんか普通のより垢が落ちやすいでした。 でっいつものように、髭剃りをしようとシェービングクリームをつけて、半分髭を剃ったとき、不覚にもカミソリを落としてしまいました。そしてカミソリの替え刃だけが、湯流しを伝わって流れていってしまっただ・・・(/||| ̄▽)/ゲッ!!!・・・まだ髭半分しか剃っていないのに。だけどオラ、風呂道具の予備を風呂屋のロッカーに置いていることを思い出して、取りにいきました。ありました最後の一個。(´▽`) ホッとして風呂に戻って刃を変えて髭剃り続行。(・-・)・・・ん?いくら剃ってもそれません。またカミソリを見たら、なんと替え刃を逆につけていました。これだと一生かかってもそれません。「はんかくさい」じゅんぺいでした。
2006年01月31日
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○アウシュヴイッツ 14時20分、アウシュヴイッツ収容所着。まずは「労働は自由をもたらす」という門が目に入る。 実際は、多くの囚人が収容されずに殺され、さらに収容されてもほとんど生きてこの門をくぐることはなかったのにである。アウシュヴイッツ強制収容所を見学する人たちアウシュヴイッツ強制労働の状況/font:/>強制収容所模型 まずは、楽団の写真、 映画「戦場のビアニスト」を思い出す。そしてアウシュヴイッツ収容所にヨーロッパ各国から収容されていたことを示す図があった。そして当時の宣伝としてユダヤ人がいるから社会が悪くなると巧みに宣伝をしていった。130万人が収容され100万人が死亡している。内訳はポーランド人16人万、ロシア人1万6千人、そしてロマといわれるジブシーの人たち、残りの75%から80%はユダヤ人であった。そしてその収容者の多くは収容されずにガス室へ、14歳以下と思われる子どもは全てガス室へ送られた。 中谷さんは一枚の写真を指差し、この写真は監視している人(こちらを向いている人)がいまからガス室に送られる人(向こう側を向いている人)がいるというのに一顧だにしないという写真である。どうして人間はこのようになれるのか。なぜこのようなことが出来るのか。それをここの博物館で見て考えてほしいと中谷さん。チクロンBという強制収容者を殺戮した毒ガスの容器を見る。毒ガスチクロンBを入れていた容器チクロンBまた髪の毛が展示されているケースを見る。見つかったときに8千キロ、いまでも1580キロが臍産されているという。人間の身体を資源の一部と考え、体の油から石鹸なども作っていた。またこの司令は数百キロ離れた役人が、髪の毛の値段とか決めて、国家的な事業で行われていったのである。そして収容者からは、貴金属などの貴重品、金歯、メガネ、鞄、コート、背広、ズボン、下着、パジャマ、ブラシの果てまで収奪した。その展示品が次から次へと目の前に広がる。収容者がはいていた靴収容者がかけていた眼がね収容者が持っていたカバン収容者が着せられていた服次回へ続く
2006年01月29日
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○ビルケナウ 13時25分、レストラン出発、13時50分ビルケナウ到着、「死の門」を入る。 このビルケナウ第二収容所で、第1収容所がアウシュヴイッツ、そして企業の労働力として使用した第三収容所があったという。このビルケナウは141ヘクタールとアウシュヴイッツの7倍の広さと規模をもっている強制収容所で、当時10万人が収容されていた。ナチスが証拠隠滅をしたために、アウシュヴィッツのようにホロコーストの証拠になるものが残っていないのである。2階の見学棟から見ると、その広さにびっくりする。電線には380ボルトの電流が流され、残っている煙突の周りには300の強制収容所があったという。左が鉄条網右側が鉄道引込み線またナチスは、証拠隠滅のために特別作業班を作り、ガス室を破壊した。そして多くの人は強制収容所に収容しきれず、ガス室で殺されたという。そして全ての収容所は囚人の手で作られたという。当時は水道は引かず、井戸水を使っていた。また横に一列に掘られていた穴が象徴するように、衛生状態は劣悪で、伝染病が蔓延していたという。またここはいま遺族のために草が植えられ整備されているが、当時は湿地帯で雨が降ると腰までつかるような状態だったという。また石油や鉄鋼など多くの民間企業はこうした囚人を使い、収容所は労賃を得ていたそうである。ベッドは3段ベッド、頭を上げればすぐぶつかる蚕棚のようである。 また中谷さん説明中、通訳の小川さんと感情的なものがあった。それは中谷さんは「ロシア人は自分達がスターリンの被害者という意識が強すぎてポーランドまで目が行っていない。またソ連は果たしてポーランドを解放にきたのか、侵略にきたのか」という言葉に、小川さんは自分の言いたい真意が伝わらなかったようで困惑したようである。説明をする日本人ガイドの中谷さん(右端)見学する外国人
2006年01月28日
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昨日26日の地元紙の東奥日報の夕刊にアメリカの民主党のマーキー下院議員ら6人が、日本原燃が六ヶ所再処理工場で、行なうアクティブ試験に対して、核拡散上の懸念があるとして、中止を求める書簡を日本政府に送った記事が共同通信の配信として掲載されていました。いよいよ国際世論も日本の六ヶ所再処理工場でプルト二ウムを生産することに危惧を持ち始めています。この世論をもっと世界に日本全国に広げて、なんとか再処理工場のアクティブ試験を阻止したいと思います。 同記事は、以下の通りです。 以下東奥日報より転載 【ワシントン26日共同】米野党民主党のマーキー下院議員ら6議員は26日、日本原燃が使用済み核燃料再処理工場(六ヶ所村)で計画する使用済み核燃料を使う試運転(テクティブ試験)をめぐり、核拡散上の「懸念」があるとして中止を求める書簡を日本政府に送った。同党議会筋が明らかにした。 同議員は民主党のエネルギー、不拡散政策の立案にかかわる党内有力者。書簡提出は、軍事転用の恐れがある使用済み核燃料再処理に批判的な民主党の政策を反映しており日本の関係自治体などに波紋を広げそうだ。 同筋は書簡送付の背景として、ブッシュ政権が1970年代からの政策を転換、米が 再処理事業を進める計画を検討していることも指摘。海外に再処理を委託した分など国内外で既に40トン以上のプルトニウムを保有する日本での再処理が実施不拡散強化の流れに逆行し「イランの核問題にも影響を与える」と語った。 加藤良三駐米大使あとの書簡は「核兵器にも使えるプ゛ルトニウムの抽出は、国際的な安全保障と不拡散にとつて重大かつ不必要な脅威」と主張。高速増殖炉開発やプルサーマル計画実現の不透明さが残る日本が再処理事業に踏み切ることの矛盾を指摘し、テロ組織への拡散阻止の観点からも、事業中止を求めている。以上です。25日の岩手の市民団体の方の青森県への申し入れを掲載した私のブログで、指摘した「イランの高濃縮ウラン問題」を核拡散問題で指摘するなら「六ヶ所再処理工場のプルトニウム生産」の方が問題である。ということが日本が同盟国としているアメリカの議員から出たことは、これからの六ヶ所のアクテイブ試験を止めるための国際・国内世論を盛り上げていくための好材料だと思います。今日28日六ヶ所再処理アクティブ試験阻止共同行動第2回全体協議開催!1月11日の第1回会議は19団体22名の出席で開催され、その翌日の12日、青森県核燃サイクル施設立地反対連絡会議、青森県反核実行委員会、核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会の3者による記者会見、そして24日に諏訪(立地反対連絡会議)、渡辺(反核実行委員会)、鹿内(搬入阻止実行委員会)3県議による知事との対話集会を求めての副知事とのへの県知事に申し入れできるよう申し入れを行なってきた。 本日は26団体・30人が出席して行なわれた。 協議は、司会は立地連絡会の代表委員の諏訪さんが行い、開会挨拶を反核実行委員会の渡辺実行委員長が行い「米国の民主党の6人の国会議員が日本に再処理をし、プルトニウムを取り出すのは核拡散の懸念があり、中止を求める書簡を送った。こういう動きをどんどん作り出していかなければならない」と挨拶。搬入阻止実行委員会の平野共同代表が三者を代表して「今回の共同行動をやることになったキッカケは昨年10月30日の反核燃秋の共同行動で参加者から、県内の反核燃の市民団体が結集し、共同行動が出来ないか?との提案を受け、その後さまざまな打ち合わせを経て、12月20日に第1回の三者での協議を経て、1月11日に県内70団体に呼びかけての全体協議を行い、共同アピールを出すことで一致し、今日そのアピール案の修正を出して討議いただくことなった」と挨拶。 その後、搬入阻止実行委員会の鹿内共同代表から共同アピールの申し入れ先の提案があり、提出先を確認した。 直接提出は、青森県知事と日本原燃社長、郵送等は、「経済産業大臣、原子力委員長、原子力安全委員長、県選出国会議員、県議会議員、市町村長、県原子力政策懇話会委員、農・漁業協同組合長、電気事業連合会会長、各電力事業。→会社長」の確認をした。 その後、協同アピールについて討議をした。その結果、文面と整理と統一、(施設と工場となっているのを工場に統一。再処理工場一般と六ヶ所再処理工場の違いを明らかにするよう統一・整理)。文面の整理と何を指しているのか明らかでない記述は明らかにする。→海外再処理工場プルトニウム、県民投票→再処理アクティブ試験等が出され、文面を事務局が再度手直しすることになった。 提出時期は、出来るだけ早くとしながら、2月10日頃までは県等の対応から見ると厳しいとの認識で一致。そのために、本日まで賛同いただいた団体以外にも、2月10日まで共同アピール賛同団体を募り、たくさんの団体で知事へ要請をすることした。 本日2月28日まで、共同アピールに賛同いだいたのは以下の団体(順不動)1.青森県平和推進労働組合会議、2.自治労青森県本部、3.大間原発に反対する地主の会、4.青森・チェルノブイリ子ども支援ネット、5.原水爆禁止青森県民会議、6.社会民主党青森県連合、7.アイ女性会議青森県本部、8.社青同青森地区本部、 9.青森県保険生活協同組合、10.津軽保険生活協同組合、11.八戸医療生活協同組合、 12.新日本婦人の会青森県本部、13.青森県母親連絡会、14.青森県保険医教会、15.青森県教職員組合、16.青森県高等学校・障害児学校教職員組合、17.青森県国家公務員共闘会議、18.青森県民主医療機関連合会、19.青森県労連、20.青森県年金者組合、21.核燃料サイクル施設立地反対連絡会議、22.下北原発と核燃を考える会、23.使用済み核燃料中間貯蔵NO!住民の会、24.核燃料サイクル施設立地反対連絡会議上十三地区連絡会、25.核燃いらない!横浜の会26.核燃から地域住民を守る会、27.日本共産党青森県委員会、28.青森文学会、29.若竹の会、30.核の「中間貯蔵施設」はいらない下北の会、31.核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会、 32.核の再処理はイラナイ・八戸の会、33.ネットワークみどり、34.放射能から子供を守る母親の会、35.むつ市を守る会、36.核燃いらない市民の会、37.核燃止めよう浪岡会、38.青森県反核実行委員会、39.核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団、40.再処理工場について勉強する農業者の会、41.核燃から海と大地を守る隣接農漁業者の会、42.核燃から郷土を守る上十三地方住民連絡会議、43.ピースランド、44.核燃はいらない青森市民の会、45.核燃いらぬ野辺地の会、46.『在』出版会・あおもり47.現代文化研究所、48.核燃を考える住民の会、49.弘前大学社会科学研究会。以上49団体です。
2006年01月28日
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昨日の昼は居酒屋ぽーでランチを食べました。今日のぽーのお昼のランチはなんと「雑穀和定食」ママはオラの体のこと考えれば絶対いいはずだと太鼓判でお勧め!!でっヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ !!!!魚はさばを食べましたが、よかったですよ。それにこの品数の多さ、600円とは思えないほどの品数、柳町地価駐車場の210円払っても、まだ安い、東京あたりに行けば1,000円で出しているランチよりいいと思う。健康にもよく美味しい。お勧めです。居酒屋ぽー青森市長島1-3-15(じょっばり横丁・そばの柿崎の真裏)電話017-723-4563ランチは月~金、夜の居酒屋は月~土、定休日は日曜・祝日
2006年01月26日
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昨日、25日(水)の午後1時半から、青森県の資源エネルギー課の桜庭課長を通じて、県知事に「アクティブ試験の安全協定締結」を行なわないことの要請と8720人の署名を提出しました。 提出したのは「三陸の海を放射能から守る岩手の会」の代表世話人・永田文夫さん、「豊かな三陸の海を守る会」の代表・田村剛一さん(山田町議会議員)等、15団体で、当日は永田さん田村さん他13人が県への申し入れ行動を行ないました。この申し入れは、鹿内博・渡辺英彦の両県議会議員を窓口として、私は、止めよう再処理!青森県実行委員会の事務局として、連絡・マスコミ対応等を行ないました。申し入れ書を読みあげる「三陸の海を放射能から守る岩手の会」世話人の永田文夫さん 署名簿8720人分を提出する永田さん(右)、受け取るのは県資源エネルギー課・櫻庭課長(左)、申し入れを行なう岩手の市民団体の方々放射性廃液についての安全性を問う「豊かな三陸の海を守る会」田村剛一代表(山田町議)イギリスやフランスの再処理工場によっていかに放射能汚染されているかを説明する岩手の参加者申し入れをした15団体は以下の通りです。○三陸の海を放射能から守る岩手の会 ○豊かな三陸の海を守る会○共生ユニオン ○市民の会21・北上 ○平和を作ろう・ネット岩手○市民の会 ○緑のネットワーク 岩手 ○放射性廃棄物監視市民の会盛岡○放射能汚染からふるさとの自然と子どもたちのいのちを守る会○豊かな食べ物を求める会 ○NPO法人いわてマリンフィールド○三陸の自然と環境を考える市民ネットワーク ○おみさかフォーラム○イーハートーブ雫石を守る会 ○岩手有機農業研究会申し入れ内容は以下の通りです。青森県知事 三村申吾 殿青森県六ヶ所村日本原燃(株)核燃料再処理工場から、放射能を三陸の海に流さない事を求める要望書〔要望事項〕 青森県は。岩手県民、特に三陸沿岸漁業にたずさわる県民の理解が得られるまで、使用済み核燃料による再処理工場のアクティブ試験操業を始めるための安全協定を結ばないこと。〔要望理由〕 1)いま試験運転中の六ヶ所核燃料再処理工場が、使用済み核燃料を用いるアクティブ試験を行い、操業を始め、日常的に放射性廃液を流し続けるならば、私達が試算したところ、年間4万7千人の経口急性致死量に相当する放射能を放出し、水口憲哉・東京海洋大学名誉教授が警鐘を鳴らす「今世紀最大の海洋汚染」になりかねません。放出された放射能は下北沖から津軽暖流と共に南下します。私達岩手県の豊かで美しい三陸の海を確実に汚染され、海産物、特に養殖漁業への甚大な被害が心配されます。こうした懸念を持つが故に岩手県議会は昨年10月、「三陸の海を放射能から守る事についての請願」を全会一致で採択しました。 その経過は貴県もご承知の事と存じます。 2)六ヶ所再処理工場はイギリス、フランスの技術を用いて稼働されます。ところがそのイギリス、フランスの再処理工場の汚染実態は想像を絶し、遙か北海にまで広がり、魚介類の汚染が問題になっています。また、これらの工場周辺では「がん」や特に子供たちに「白血病」が多く発症していると報告されています。このような状況を見て、北東大西洋に面する15カ国と欧州連合は海洋汚染を防止するため、OSPAR(オスロ・パリ条約)を締結し、2000年6月、その定例委員会で再処理停止と使用済み核燃料の乾式貯蔵を求める決議を採択しています。さらに昨年4月には、イギリスの再処理工場で配管が破断し、核燃料の溶解液が大量に漏えいする重大事故が発覚しましたが、強い放射線のため漏えい溶液の回収方法も困難をきわめ、運転再開の目途が立たないままです。 3)こうした海外の状況を踏まえ、私たちは昨年6月、事業主体の日本原燃(株)に対し三陸沿岸の環境や海産物等への影響調査についてなど、再処理工場にまつわる私たちの疑問を公開質問状として提出しました。しかし、8月に得た回答では「放射性物質は海水により薄められるから安全」また、「英仏の周辺海産物から工場に起因する放射性物質が検出されているが、白血病との因果関係は認められていない」など、汚染を軽視し、工場に起因する海産物汚染を認めつつ、被害は否定する姿勢であり、岩手県民として到底納得できるものではありませんでした。海外の汚染状況を見た時、六ヶ所だけが周辺に何の影響も出ないとはとても考えられません。ひとたび被害が出たときには岩手の水産業、観光などは、取り返しのつかない経済損失を被る事になります。請願採択の重み、岩手県民の気持ちを真剣に受け止めてください。 4)いま社会問題になっている耐震強度偽装事件でも明らかな通り、国の法整備が万全とは言えず、アスベスト公害や過去に引き起こされた水俣水銀公害、薬害エイズ公害などが、国の対応遅れで被害が拡大した悲惨な経験を教訓としなければなりません。また昨年、放射線被ばくは、低線量でも発ガンリスクがあり、これ以下なら安全と言える量は無いとの報告書を、米国科学アカデミーがまとめました。これは現行のしきい値を想定した基準では安全でない事を示しています。最新の知見を重視し、公害の事実から学び、手遅れにならないよう安全サイドで考え、三陸の海の放射能汚染を未然に防止するよう努めて頂きたいと切望します。 5)三村知事は、4日の年頭記者会見で安全協定について「県民の安全と安心を確保する立場から安全確保を第一義に対処」とし、北東北三県連携に関係して「他地域の施策において相互理解は大事」と語っています。安心安全について、青森県、岩手県と行政的に分けずに、両県一帯の三陸の「天恵の海けと言う視点から三陸沿岸の環境影響評価を事業者に求めるなど、私たち岩手県民が理解出きるような施策を進める事を強く要請します。 終わりに、私達には子々孫々まで平和に穏やかに暮らしていく権利があり、行政にはこれを守らなければならない義務がある筈です。放射能や様々な汚染から、未来永劫、国土や海を守っていく事こそが真の国是であり、今を生きる私達の努めだと思います。大気の汚染や海洋の汚染を考える時、県境や国境は何の意味も持ちません。天恵と言える三陸の海が放射能汚染から守られるよう、岩手県民の気持ちを尊重する三村知事の英断を求めます。じゅんぺいの感想 私も、側でヤリトリを聞いていて、県の無責任さに腹が立ちました。「安全審査など施設の安全性については、国が責任を持っているから、県は国の言うことを信頼して進めるだけ」といい放つ県の担当者には怒りを通り越して「あきれて」しまいました。 今まで国の原子力安全員会や原子力保安院は一体、どういうことをやってきたのでしょうか?日本原燃関係だけでも、高レベルガラス固化体貯蔵建屋の冷却構造設計のミスを見逃し、認可を与え、建設までさせたこと。使用済み核燃料貯蔵プールの不正施行を見逃し、完成検査でお墨付きを与え、不良貯蔵プールに使用済み核燃料を搬入させ、放射能を含んだ水を漏水させたこと。をはじめとして数え上げればきりがありません。また「もんじゅ事故」「東海再処理工場の爆発事故」「東京電力の事故隠し」「関電美浜原発の定期点検作業中の死亡事故」など、他の原子力施設でも、国が安全にお墨付きを与え、設計・施行・運転をさせている施設で、事故や不正が相次ぎ、「国がお墨つきを与えているから」だけでは、「県民の命は守られない」のは自明の理です。事実、福島県知事は、こうした国の姿勢などから、再処理工場プルトニウム利用は不必要。危険なプルサーマルは行なわせない」として、国の再処理推進政策を批判し、プルサーマルを行わせようとはしていません。これはやはり。福島県民の命を守る県知事としての当たり前の行動といえます。ひるがえって青森県知事は、この福島県知事とは全く正反対の立場で、県民の命や環境への影響より、国と事業者のほうしか見ておらず、まさに「使用済み核燃料税」などの核燃マネーのために、県民の命や環境を事業者である日本原燃や電事連、そして国に売ろうとしています。県民の方を向いて地方行政を行なわなければならない知事が国や事業者の方しか向いておらず、したがって、青森県民のことは全く考えていない知事であるということが改めて明らかになりました。現在でも、県の行政当局のアンケートでも80%以上の県民が核燃について不安であるというふうに答えています。しかし、知事はこういう県民の不安に一切答えず、ただ再処理工場の運転のみを目指しています。こういう県民のことを聞かない県知事ですから、他県の岩手県民の声など聞こうとちもせず、10月3日に岩手県議会で全会一致で採択された「日本原燃(株)に沿岸住民の説明を求めること、アクティブ試験操業を慎重に行なうよう要請すること、三陸沿岸の環境影響評価を行なうことを申し入れる」の請願を無視ししてきたことが明らかになりました(担当課長が岩手県議会の全会一致の請願を岩手県職員が持参してきた事に対して「存じていない」との発言した)。 今回の岩手県の市民団体の申し入れで、本当に事業者や国のほうしか見ていない県の姿勢が露わになりました。これからは隣県の岩手県の方や、全国多くの方と共に、この青森県の住民無視の姿勢を追及し、青森県の問題だけではなく、安全性や余剰プルトニウム問題など、日本、いや世界全体の問題であるということを広げてアクティブ試験を阻止しなければならないと思います。折りしも、IAEAがイランのウラン濃縮問題で、査察に入る姿勢を見せていますが、今一番必要なのは、約40トンものプルトニウムを持ち、さらに使い道のないプルトニウムを六ヶ所再処理工場で生産しようとしている日本であることは明白です。電力11社と電源開発が公表したプルトニウム利用計画には具体性が一つもなく絵に描いた餅であることは、明らかです。六ヶ所再処理工場でプルトニウムを生産して使い道がなく、プルトニウムが溜まり続けることは必至です。こうしたことを訴え、日本の世界の世論を動かさせば再処理工場の稼働は阻止できます。みなさん今からでも遅くありません。力をあわせてがんばりましょう。 今日は岩手県の市民団体の申し入れ文書と写真を掲載します。詳細のヤリトリについては後日掲載いたします。
2006年01月26日
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学習会を行なったのは、私も加入している「憲法を守る青森県民の会」で、約50人が参加しました。講師は憲法を守る青森県民の会の代表で、弁護士の金澤茂氏でした。学習会のテーマは、「自民党改憲案の問題点」でした。 本当に、マスコミ等は、この自民党憲法改正草案への評価(そんなに過激でなく是認できる範囲)としていますが、もしこの自民党憲法草案で、憲法が改悪されたら、自衛隊が米軍の友軍として、米軍がしかける世界への戦争に派兵し、米軍とともに戦場で戦闘行為をしなければならなくなるのは必至であり、戦後、現憲法のもとで、戦争によって一人の国民も殺されなく、一人の他国民も殺さなかった日本の「平和」が破られます。まさに憲法改悪は、こうしたことを創りだすものですし、国内的には治安維持活動も憲法に規定されてしまうと、戦前の「治安維持法」のように、戦争に反対しただけで、逮捕される事態になります。本当に憲法改正を阻止しなければ、そういう事態が私たちに突きつけられてくるのです。昨日の講演のレジメの前文と九条については本日転載します。人権規定については、明日掲載したいと思います。 以下、レジメです。第1自民党改憲案の問題点1.前文について (1)「歴史・伝統・文化」を外したことを評価する声が高い →前文案は、「未完成」のもの!改憲実現への「熱意」の表れ? (2)「新憲法制定」の意味 ○「新憲法の制定」と「憲法改正」との違い 改正手続きによって「新憲法の制定」は可能か ○なぜ、個別条項の改正ではなく、新憲法草案という形をとったのか 国民投票対策→一括投票方式 (3)「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義=3原則の継承」のまやか し (4)平和主義の根本的変更 →現憲法の「平和主義」を廃棄=非武装平和主義から武装平和主義 へ ○政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする ことを決意し(現憲法は、植民地支配・戦争責任という過去の歴史的 反省にたってつくられたもの。多大の犠牲を強いられた中国・朝鮮な どアジアの人々に対する謝罪)を削除したこと。 「平和のうちに生存する権利」(愛敬浩二・名古屋大学教授「平和の 問題を個人の人権の観点からとらえなおすことによって、従来の国家 中心安全保障を根本的に転換し、さらに、戦争の原因を貧困や人権侵 害に求める点において、いわゆる『人間の安全保障』という考え方を 先取りしたもの」)を削除した。 ○「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその 実現のため、協力しあう」との言葉を入れたこと。 そのあとに、「国際社会において・・・、圧制や人権侵害を根絶 させるため、不断の努力を行なう」と続くのであるから(平和的 生存権を削除した上で)、アメリカの軍事行動を(イラン、イラク、 北朝鮮、中国などに対する)に積極的に協力することを意味すること になる。→イラク戦争への加担を正当化する論理 (5)愛国心を前文に入れたこと ○「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支える責務」 「愛国心」の強制に憲法上の根拠を与えることになる。 高橋哲哉「愛国心をもつ『責務』を前文に入れることは、戦争の反省 や歴史認識の欠如、平和的生存権及び九条二項の削除と、完全につな がっている。自衛軍を海外に派兵し武力行使によって国益を図る国家 にとって必要なこと」 ○徴兵制度に憲法上の根拠を与えることになる。(九条の二項4 項‥「自衛軍の組織‥に関する事項は、法律でこれを定める」) (6)「天皇」を前文のトツプに入れたこと(現憲法前文には書いていな い)2.九条について (1)「戦争の放棄(非武装平和主義)」から「安全保障(武装平和主 義)」へ(タイトル変更の意味) ○現憲法 戦争を行なうことを前提としない各条項 →「戦力不保持の規定」「宣戦布告や講和についての規定がない」 「国家緊急権」(有事立法)の規定がない」「軍法会議の設置が禁 止」 ○草案 戦争を行なうことを前提とする各条項 →「自衛軍=軍事力保持」「自衛軍の出動」「軍事裁判所の新設」 (2)なぜ草案第一項として現憲法九条第一項をそのまま残したのか? ○「一項」は実質的意味をもたない条項→1928年パリ不戦条約(日 本も批准。日本の戦争抑止力にはまったくならなかった)、国連憲章 の規定と同趣旨のもの。平和原則についての国際基準=侵略戦争を禁 止。 ○「二項」の「非武装条項」とあいまって、武力行使の抑止力となって きた(→集団的自衛権行使の禁止)。 (3)九条の二(1)(自衛軍の創設)「自衛隊」を自衛軍に変えた理由 ○枡添要一起草委員会事務局長「うそをつくのはやめようということで ね、F15戦闘機やイージス艦を持つ自衛隊は軍隊ですよ」→単に現 状を追認し、それを明確にするための改定だと説明。 インチキ極まる説明!「九条二項の厳格な『禁止』の下で、政府は 『自衛隊』を『自衛のための必要最小限の実力組織』として正当化す るほかなかったからこそ、海外派兵の禁止、防衛費のGNP1%枠、 武器輸出三原則、非核三原則、集団的自衛権行使の禁止などの政策が 打ち出されて来た」 ○「集団的自衛権行使」はどうなるのか?→容認 枡添「自衛には、当然、個別も集団的含まれる」 (4)九条三項 「国際的に協調して行なわれる活動」 国連の集団的安全保障活動に限定されないことは当然。「集団的 自衛権行使」の容認とあいまって、アメリカの同盟関係に基づく海 外での軍事行動が可能となる。 (5)同上「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しく は自由を守るための活動」 国内的活動→治安のための活動「国会の承認」不要 (6)軍事裁判所の設置 七六条三項「軍事に関する裁判を行なうため、 ‥下級裁判所として、軍事裁判所を設置する。 「軍事法制」(今後整備される)が適用される。 内藤光博専修大学教授「『軍人』だけでなく、たとえば軍事秘密 を取材し公表したジャーナリストなどが軍事秘密漏洩罪に問われる ことが予想される」 (7)改憲的護憲論「自衛隊の活動に対する憲法的な歯止めのための改憲 が必要」 →自民党草案では、歯止めは全くない。 その立場からは自民党案に「反対」するしかない。 (8)そもそも、九条二項削除は「憲法改正」として許されるのか? 九条二項「戦力不保持・交戦権行使の禁止」-現憲法の平和主義の 「核心」。改正権の限界を超えるものであり許されない!
2006年01月24日
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まずは、今後の八戸と弘前の日程です。ぜとも皆さん訪れてください。八戸会場・・・・2006年1月27日(金)~30に(月) 八戸NHKハナミズキホール 八戸市堤町4-7 電話017-24-1800弘前会場・・・・弘前市立百石町展示館 弘前市百石町3番地2 電話0172-31-7600 Fax0172-31-7623 http://www.hi-it.net/~hyakkoku/※各会場とも、午前10時開館17時閉館(最終日のみ16時まで)今回の青森会場は、4日間で、130人くらいが、訪れたそうです。森住卓さんの、写真集はオラも持っていて、とくにイラクの劣化ウラン弾で被曝した親から無脳症の子どもが産まれて来た写真を見た時は、激しい怒りがこみ上げてきました。劣化ウラン弾は、核兵器です。鉛より比重が重く戦車などの貫通力が増すとして対戦車砲として劣化ウランが、使われている。しかし、爆発して飛び散るウランの強い毒性により、人体や動物に悪影響を与え、環境汚染を引きおこしている。 湾岸戦争で使われてから、ボスニア戦争、コソボ民族紛争、そして2003年のイラク戦争と、「通常兵器」として使われています。その結果、最も放射能の影響を受けやすい子どもたちが、白血病やガンなどで病に倒れ、死んでいっています。 日本は、アメリカのイラク侵略戦争を無条件で、支持し、アメリカに戦費を支出し、自衛隊を送り出しています。このイラクの子どもたちの現状は、日本にも責任があります。アメリカの侵略戦争り結果が、今のイラク現状です。私たちに出来ることは、このイラクで起きている真実をもっと多くの人に広め、そしてアメリカ・イギリスを始めとしてイラク侵略戦争に加担した全ての国(日本も含む)が、この罪のない子どもたちのために、医療支援をはじめとして行なうことです。 またイラクの劣化ウラン弾によるガンや白血病などに蝕まれている子どもたちが描いた絵も展示されていた。この絵を描いた子どものなかにもすでに亡くなっている子どももいた。この絵を観ていて、一つの共通点が浮かび上がった。それは、こうなって欲しいという願望を描いた絵である。白血病で髪の毛のない女の子は、髪の毛を描いた自画像を描いており、多くの子どもたちが、戦争のない平和な自分や社会を描いている。この絵を観ながら、あふれ出る涙を抑えることができなかった。とともに、こういう罪のない子どもたちをこういう風にした米英に激しい怒りを覚え、そしてそれに加担した日本を止めることができなかった日本人の一人として激しい呵責の念を覚えた。せめてもの償いとして、この子たちのために出来ることは精一杯やっていこうと思いました。まずは湾岸戦争・イラク戦争の劣化ウラン弾の影響の写真です。無脳症で産まれた赤ちゃん。2001年12月バクダッドバグダッド中心部社会計画省ビルに打ち込まれた劣化ウラン弾肝臓と腎臓が侵され腹水を抜かれ激痛で悲鳴をあげる子ども そのほか、今日展示された写真から、オラが印象に残ったものを何枚か、ピックアックします。 まずは、パンフレットの冒頭の巻頭言です。 ヒロシマ・ナガサキから60余年。 しかしそれは過去の悲劇ではありません。核の脅威は無くなるどころか世界各地に広がり、 新たなるヒバクシャを生み出しています。原料であるウラン採鉱の現場から、その精製を行なう核工場、 ”平和利用”の原子力発電所、核実験、 そして廃棄物から産まれた劣化ウラン弾。 それら全ては常に核汚染の危険をはらみ、 地球と私たちを蝕んでいくのです。 あなたは、 これらの勇気ある映像をときには 正視できないかもしれない。 でも、ふんばって見すえたほうがいい。 20世紀の狂気と悲劇の 在りかがわかるから。 21世紀、 やってはならないことが何か、わかるから。 -辺見庸 このほかの写真としては、1.インドのウラン鉱山のジャドゴダでのウラン採掘と放射性廃棄物投棄によるガン、白血病、先天性異常や不妊、流産の多発の写真生まれたときから立ち上がることも出来ない男の子(8歳)2.アメリカのハンフォード核工場での核兵器製造による放射能被害、ユタ州ネバダ核実験場風下の人々の放射能によるガンや白血病、イラク戦争帰還兵の写真ハンフォード原子力施設特別用地アイザック・ネルソンさんは妻と核実験を町の丘で見物した。その後遺症で髪が全部抜けてしまい、脳腫瘍でなくなった。95年4月ユタ州シーダー・シティイラク戦争帰還兵のマシューさん。帰還後、原因不明の数々の症状が出て、その後、生まれた子どの右手にはには、指が2本しかなかった。マシューさんの尿からは、通常の8倍~10倍のウランが検出されたという。もサマワに駐屯していた部隊からも同じように、劣化ウラン検査で陽性を示す兵士が出て、マシューさんと同じような症状で苦しんでいるという。3.アメリカの核実験場とされ、大量の死の灰を撒き散らされ、甲状腺ガンや白血病で亡くなっていたマーシャル諸島の写真水爆実験で出来たブラボークレーター 1994年7月ビキニ環礁キーコ・アビーゴの安ちゃんは骨髄髄膜ガンだ4.ロシア(旧ソ連)の核兵器開発工場のチェリャビンスクでの放射能被害の状況の写真脳性マヒで運動機能障害を起こしている、カザンスワ・クセニちゃん。98年5月テチェンスキー村5.オラも2004年に訪れたチェルノブイリ原発の事故による影響の写真。甲状腺ガンの少年と医師 96年6月6.イラクのツワイサ核施設で、米軍が占領後、この施設を放置したために、住民が天然ウランの入ったドラム缶などを持ち出し、この天然ウランを捨てたり、このドラム缶に水を溜めたりしたために、周辺住民に様々な放射能による被害(死亡も含む)が出ている写真イエローケーキを攪拌したと思われる機械が捨てられていた。2003年6月7.カザフスタン・セミパラチンスク核実験場での放射能被害の写真。水頭症の赤ちゃん。セミパラチンスク1999年2月8.旧ユーゴスラビアでの劣化ウラン弾による被害の写真NATO軍が使っていた劣化ウラン弾を拾って記念に持っていた兵士 2001年2月ボスニア・プラトナツ
2006年01月22日
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昨日一大イベントも終了し、今日、22日はくつろいでいます。午後から、森住卓さんの写真展に行って来ます。その模様は、今晩でもアップします。 ところで、またまたここ数日の降雪で、青森市の雪はまたまた増えました。また寒さもすごくて最高気温がマイナス4度とか、冷凍庫のような真冬日が続いています。オラの家は、屋根と地面の雪が、ふっついてまさに鎌倉状態になり、昼でも薄暗い状態です。また、トイレの手洗い場の窓のすきまから、雪が入ってきて、洗面器の中に雪がこんもり溜まっていました。 昨日、イベントが終わったあと、ちと市内撮影をしてきました。オラの家の状態とあわせてアップします。鎌倉状態のオラの家隙間から入ってきて洗面器に溜まった雪車で走行も大変です。排雪した雪を青森港に捨てるダンプカー青森港に捨てられた雪青森市で一番高く積み上げられる雪捨て場アパートの3階くらいの高さまで積み上げられた雪アパートのツララも、物凄く伸びていた
2006年01月22日
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2004年9月18日(土)6日目 6時15分、朝、ブレジデントホテル周辺を散歩する。ヴァヴェル城を一周する。川に船上レストランが浮かぶ。ここで、ゴメリの産科医院にあった緑色のクルミのようなものの正体発見。なんと栗であったのだ。日本の栗はイガイガがあり、栗はそういうものであると思っていたのだが、イガがなくてびつくりした。あとで聞く所によるとこの栗は食用にはならないらしい。途中カチンの森の虐殺(ソ連がポーランドの兵士を大量に殺して埋めた)の慰霊碑があった。十字架には1940年~1990年と書いてあり、1990年に明らかになるまで、歴史の闇に葬り去れてきたことを意味する。 このクラフクは、ナチスドイツが参謀本部として使っていたために、破壊をまぬがれたのである。日本で行けば京都や奈良みたいな古都である。ツイン教会(兄弟で高さを競ったそうである)散歩の途中、修道女にたくさん出会った。途中、広場で野外市場の準備をしているのに出会う。そこで、少し市場を見る。 7時40分からレストランで朝食。バイキング方式。ウインナーが大変美味しい。8時30分に、今日の案内をしてくれる日本人ガイドの中谷さんと落ち合い8時40分頃出発。 今朝周囲を散歩したヴァヴェル城見学。記念写真のあと、城の中に入るが、その前にまたまた猫発見。Sさん小躍りして喜ぶ。城の大聖堂に上る。そこで幸せの鐘をさわる。この鐘をさわると幸せになるそうであるから、「結婚出来ますように」と言い、みんなを笑わせる。バァヴェル城からのクラフク市内の風景城から降りて車に向かう途中、中谷さんが昨日ガイドしたというハワイの日本人の人と出会い、お土産を渡される。私達の乗っている車の隣の車に大きな黒い犬がいて、突然Nさんに吠え掛かりビックリ、なぜかNさんにしか吠えない。きくとNさんは、犬が嫌いだそうで、犬が嫌いな人は、犬もわかるのだろうか? その後、中央広場で買い物、マダームSさんTさんの2人は、琥珀の買い物に夢中。なんせ日本の半額程度だそうである。やはり女性は光物に弱い。その後チャルトレスキー美術館でダヴィンチの「白テンを抱く貴婦人」を見る。Mさんのお土産用にポスター購入。残念ながらラファエロの絵はないのか見つけられないのか見る事ができなかった。最後にクラフクの町の城門のところで記念撮影をする。 11時40分に、中谷さんの車にTさん・Nさんを乗せてオフシェンチフ市に向かう。12時35分に、農家を改造したというレストランで昼食。グリーンツーリズムみたいなものである。ジャガイモが美味しい。ポーランドの特産はジャガイモだという。レストランで猫発見、杉村さんまたまた大喜び。日本人と会う。
2006年01月19日
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2004年9月17日(金)5日目 7時30分 団長・Nさん・オラ3人ワルシャワの街ウォーク。Tさんは、時間を勘違いして、7時だと思っていて7時5分起きて、間に合わないと思い参加せず、残念がる。ワルシャワの街の朝、活気がある。8時20分ウォーク終了。ワルシャワ市内の広告塔、いたるところにこのような塔が立っている。ワルシャワ市内の路面電車2台連結バス舗道での野菜・果物売り建物の柱にスプレーで落書き・・・どこの国にもいるもんですね。困った奴等路上の花売り果物売りおじさん。マスカットが山積み。ブルーベリーやきのこも売っているワルシャワのリンゴ・・・なんか国光みたいな感じ・・すっぱそう。ワルシャワの犬 9時00分 朝食、バイキング。パン、オレンジジュース、紅茶、リンゴ煮、バナナ、スイカ、ハム、トマト、クリームチーズ。 10時15分 ホテル出発、記念写真後、ホテルに車を置き、市内散策。宿泊したワロシャワ・ホテルメトロポリ ワルシャワ一高い科学技術館に登る。8人で90ズローチ。現地通貨足りず、団が事務局長から100ズローチ借りる。1階はオリンピック博物館になっているらしく、数々のポーランドのオリンピック選手の写真等が飾ってある。エレベータで上る。結構早い。外に出る。大パノラマ。すぐそばに建設中の大きな建物あり。赤レンガ色した旧市街地が見える。その後地下街を通り、再びホテルへ戻る。こちらに来るとき地下街で演奏していた老楽団はまだ演奏を続けていた。 11時40分ホテル出発、会計係りのNさん両替。旧市街地に向かう。途中、神社の鳥居があって。オラと団長が「トリイダ」と言ったのを、Sさんは動物の「鳥」と勘違いして「どんな鳥?」と聞いてきた。これが本当の「トリチガイ」です。12時00分旧市街地到着、見学。Nさん・Sさん・Tさん、教会に入る。途中東洋系の娘さんたちと会う。旧市街地の広場で、馬車に乗る(団長、Sさん、Tさん、Nさん、日土)。こんな形で馬車に乗るのは始めて。25分くらいかけて旧市街地を1周する。途中、首切り役人の滑降した人に、首を切られる真似をされている観光客あり。馬糞が道の所々に落ちているが、散水車と粉塵を吸い上げる車が来て清掃をしているようである途中、対ナチスレジスタンス戦のワルシャワ市街戦の模様を撮った写真の垂れ幕がかかり、そこにはナチスによって破壊される前のワルシャワ市内も写っていた。市街地の90%が破壊されたという対独ソ戦の一旦を垣間見る。途中、団長が日時計を見つけて写真を撮る。今回の時計の最大の収穫という(団長は各地の時計を撮って歩くのが趣味)。サーシャが座っていた外に席があるレストランで、昼食。なんと中国レストランということが判明。クラブスープが最高に美味しい店の名前は福禄寿郎。旧市街地で日本人女性と外国人の夫婦に会う。 14時30分ワルシャワの旧市街地出発。赤いパンティ・パンツの看板がやたらある。途中警察取締り。15時40分 車線が工事中のために一車線減って大渋滞。16時05分 二車線に変わり、渋滞解消。しかし途中たくさんの道路工事があった。またオーバーヒートした車が結構の台数あった。16時55分 ガソリンスタンドでトイレ休憩。17時10分発。 途中ポーランドの夕陽を撮影20時15分 ドライブイン着 休憩。Nさん、運動不足解消のためにドライブイン周辺をジョキング20時40分 ドライブイン出発、20時50分 ガソリンスタンド給油。途中発電所あり。一回クラフクの街と違う方向に行ったようで、元来た道を引き返す。 22時30分 クラフク市街地到着。しかし、目指すホテルがみつからない。7人に道を聞く。結局、泊まるホテルの道路には車が入れないことがわかり、近くで車を止めて荷物を運ぶ。40分間サーシャがホテル探しに大変苦労する。23時10分 ホテル・レジデント着チェックイン、 23時20分 隣のレストランレジデントで遅い夕食。最後の夜ということで、小川さんとサーシャさんに参加者皆で御礼をする。ここの従業員の服装は、今日、ワルシャワで見た首切り役人の格好をしていた。この旅で始めてズブロッカを注文して飲む。結構甘くて美味しい。0時50分終了、就寝。 私の部屋はなんとトリプル、さらに浴槽も寝られるくらい広い。しかし問題発生、電気のコンセントの穴が深すぎて、入らず、充電できず。明日のアウシュヴィツツが心配。
2006年01月18日
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したがって、日記は書きますが、みなさんへのお返事や訪問は22日にまとめて、書きたいと思います。昨日のコメントやBBSのお返事22日までお待ちください。どうもすいません。m(_ _"m)ペコリ
2006年01月18日
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オラが出る映画「青いうた のど自慢青春編」の公開が決まりました。今年のゴールデンウィーク全国上映だそうです。下記にシネカノンりニュームービーの情報を掲載します。ぜひとも皆さん見に来てくださいね。ちなみに、オラは主人公の一人・良太(冨浦智嗣)君の就職先の中華飯店の大将役で出演します。映画の冒頭から出てくるので冒頭に注目してくださいね。以下、シネカノンのニュームービーの宣伝文です。 『青いうた のど自慢青春編』99年に公開され大きな話題を呼んだ傑作『のど自慢』から6年。今、新たな物語が紡ぎ出される。今回は青森県むつ市を舞台に、精一杯に生きる若者のエピソードを中心に描いた青春編。少年院帰りで一年留年した達也は、一才下の純真な心を持つ弟、良太と共に中学卒業を間近に控えている。達也は良太に無理矢理誘われて、美容師を目指す彼女の恵梨香と、東京に進学する俊介の四人でグループを結成し、卒業パーティーで歌うことになる。そして卒業してそれぞれの道を歩み始めた四人を、一年後にひとつの歌が再び結びつける。「ケセラセラ」、「見上げてごらん夜の星を」、「木綿のハンカチーフ」等の名曲でつづられる感動の青春群像劇。監督は新進気鋭の金田敬、出演は濱田岳、冨浦智嗣、寺島咲、落合扶樹のフレッシュな面々に、久しぶりの映画出演となる斉藤由貴や平田満、豊原功輔らが脇をかためる。2005年/日本/115分/カラー/ビスタ/ドルビーSR企画・製作:李鳳宇監督:金田敬 脚本:斉藤ひろし(『黄泉がえり』)出演:濱田岳、冨浦智嗣、落合扶樹、寺島咲、斉藤由貴2006年GW公開予定 シネカノン有楽町、渋谷シネ・アミューズほか全国ロードショー オラと冨浦君とのツーショツトです。
2006年01月17日
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その後土産物店が集まっているところで買い物。こっそりの話しだが、ドルも使えるとのこと。ここぞとばかりにみんな土産物購入。私はマショトリカ、マショトリカキーホルダー、おもちゃ等を購入。また職場用にでかい民芸人形を購入。Sさん、Nさんは絵を購入。さらにNさんは旧ソ連国旗がついたウォッカ入れを購入。それぞれが買い物を楽しむ。遠足なのか、子ども達の乗ったバスが何台か来ている。12時に、広場を出発し、ワルシャワに向かう。13時20分頃、昼食ためにミール(平和)という村に立ち寄り「ログネザ」というレストランで昼食。この村は観光目的で古い町並みを復元中とのことで、修復中。ほぽ完成状態の城があり、レストランのそばでは修復中の寺院があった。今回の訪問での公式行事を終わってビールで乾杯。あとワルシャワまで250キロ。 15時に店を出る。途中、水牛のモニュメントあり、野生の水牛が、ベラルーシからポーランドにかけているそうである。途中またまたキノコ売りが沿道に。今回の旅行で羊も初めて見る。その後、無料の高速道路?のようなところに入る。18時ころガソリンスタンドに入り、コンビニでコーヒーを飲む。 18時30分、ブレストに入る。ここは国境の町である。携帯電話をかけて運転中の女性発見。大きな町である。トロリーバスが走っている。ベラルーシ出国の前、沿道で女性たちが、パンを売って歩いている。もう少しで食事なのだから誰も買わない。しかし結局ポーランドに入国したのは夜10時と3時間半もかかった。彼女達は、「時間がかかるからお腹がすくよ」とパンを売っていたのではないかと思う。結構買っている人がいた。またポーランド入国時、列の横で、一生懸命、トランクを拭いていた車があった。トランクに入れておいたガソリンがこぼれたらしい。そのそばをタバコを吸った人が通る。引火爆発したらと思うとゾッとした。また車にエコロージをとられる。ウクライナ、そしてベラルーシ入国、そして出国の計3回エコロジーをとられたことになる。また猫を発見、今回の旅で初めて見かけた猫だけに、Sさんが小躍りした。 ポーランド入国のとき、免税店で買い物。そこでNさん、Sさんがウオッカを購入。しかしなんと良く見るとそれにはメイドインデンマークと書いてある。当たり前の話になのだが、ここは免税店なのである。世界各国のメーカ品各種が置いてある。ベラルーシ産はなかったのである。 22時頃、ポーランド入国。ワルシャワに向けて走る。22時半頃、小さなレストランに入り遅い夕食。結構美味しい。そばで若い男女がゲームに興じている。また隣の席では二組の若いカップル同士が笑いながら楽しそうに話しをしている。23時30分、レストラン出発。ワルシャワまであと100キロ。 1時ワルシャワ市街地入り1時30分メトロポリホテル到着。チェックイン、各自部屋に入る。
2006年01月16日
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オラFMラジオ聞きながら、仕事します。NHKとか民放とか切り替えても聴いています。いま、NHKFMで、チューリップの特集が入っています。オラチューリップが好きで、去年青森市にコンサートにも来た時にも行きました(しかも一番前の席)。ちょっと2階席が空いていて寂しかったですが・・・。でもみんな50超えているおじさんですが、元気よかったなー。 いま入っているのは「僕が作った愛の歌」です。今年のコンサート予定は、2月23日の一青窈、3月2日のケミストリー、3月29日の井上陽水、4月1日のゆずです。もうチケットはゲットしています。仕事とかが入らない限り、行くつもりです。 去年は、松任谷由実とチューリップに行きました。しかし8月16日の安比ミュージックキャンプ(オレンジレンジ、リップスライム、木村カエラ、他)はチケットゲットしたにもかかわらず、急な出張でいけませんでした。(_πдπ) シクシク アイーン・・・あと行きたかったサザンとポルノグラフティはチケット手に入れれませんでした。(=;ェ;=) シクシク今年は、去年の分を取り返すべくコンサートがんばるぞ!ふぁいとぉー!!┗(  ̄◇ ̄)乂( ̄皿 ̄ )bいっぷぁーつ!!
2006年01月16日
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9月16日(木)4日目 6時30分、団長・Tさん・Nさん・オラの4人でミンスク市内のウォーキング。ホテル周辺のネブラスチ川周辺を歩く。私たちの泊まったユビレイナホテル2つの教会を右手に見ながら、橋を渡る。旧市街地の川辺に出る。しかしなんか旧市街地という感じがしない。川辺でテントで朝までやっているカフェがちょうど店じまいしている最中で女性がテントを閉めている。川の中にある島は、アフガニスタン戦争で犠牲になった兵士たちの慰霊碑がある。そこで記念写真。 ネブラスチ川を覗く、岸辺近くは緑に変色している。川の汚染が進むなかで富栄養化が起きている状況なのであろうか。途中、川釣りをしている人がいた。手前で釣っていた人がちょうど魚を吊り上げた。ウグイか鮒か?プーシキンの銅像がある(ロシアから寄贈されたそうである)前で記念撮影。花壇に孔雀の形をした花がある。非常に珍しいし、綺麗だ。向こう岸に渡るとき高校生?の集団がジョギングをしていた。7時20分ホテル着。 8時から朝食、初めての目玉焼きが出る。結構美味しかった。 8時50分、ホテルを発つ。ホテル前で記念写真。9時ミンスク小児腎センター到着。院長室へ、ラリーサ院長と副院長が対応。ラリーサ院長 院長の話。「やはり正しい治療は正しい診断があって初めて出来る。人工透析を受けなければいけない重症な子どもは減っていない。いままでは人工透析は、体重20キロ以上の子どもでなければできなかったが、お腹を通してやる透析方法が出来たために体重20キロ以下の新生児などでも透析を出来るようになった。そういった子ども達の治療を行うための診断をするめたに、24時間の血圧計や心電図などを皆さんがたの支援金で購入し、子ども達のために役立ってきた。本当に皆様方の支援には感謝している。 やっと来年1月に新しい病院が完成する。そのときはみなさん方も招待するのでぜひきてほしい。新しい病院では重症な患者さんのお母さんが付き添うことができる施設も設置になる。ぜひとも新しい病院のオープニングには入らしてほしい」 「社会的な問題は、重症の家族をお父さんが捨てて出行くこと。こういうお母さんは子どもの面倒を見なければならないので働くことができない。いま病気の治療と生活の問題という2つの問題がある。そういうことから子どもを治療するだけでなく、お母さんや家族を相手にした心理学の先生にならなければならない。この病院の医師は常に自己の技術を向上させなければならないと、国内での大学の研修や、ロシアのサンクトペテルブルグやポーランドなどの外国にも研修に行き新しい技術を身につけようと努力している。昨年はベルギーの医者達が来られて会議を開いたが、その中でベラルーシの医療レベルは高いとほめられた。子ども達の病気については、腎臓だけでなく、心臓、胃腸関係、甲状腺などの病気が多い。」 一通り院長からの説明が終わったあと、質問に答えて院長。「ベッド数は80ベッド。職員は225人中、医者は50人、看護師は115人、あとは事務、給食、清掃等。また病気が減らないのは汚染地域に住むなかで、水道水の問題などで出産するお母さんの間にも問題がある人が多く、障害のある赤ちゃんが生まれる原因である。完全に正常に生まれる赤ちゃんは16%しかない。また腎臓の病気だけでなく他の病気をもっている子が多い。甲状腺は弱いために障害が出やすい。診断を良くしているにもかかわらず病気は減っていない。腎臓一つしかない子どもとかもいる。今年、重症の3人の子が、モスクワで腎臓移植の手術を受けた。ベラルーシではドナーがいないために移植手術ができない。また子どもを捨てていくお父さんの問題は、お母さんのたちの会を作って、スポンサーを探したりと活動をしている。またナターリャ医師はいまベルギーで心理的な指導の研修を受けている。それは病気の子ども達やそのお母さん達の心理的ケアが必要だからである。またその国際会議もあり、そこに出席している。」ということであった。 その後副院長の案内で病棟を見て回る。 1週間に3回、1回4時間から5時間かけて透析を受けるが、ミンスク市内の子は通うが、遠いところに住んでいる子どもは、ここで治療を受けながら住んでいる。なかには5年間住んでいる子もいる。透析室に入ると透析を受けている女の子や男の子がいる。その子ども達にSさんやTさんがお土産を渡して歩く。こんな子ども達が透析を受けなければならない姿は本当に痛々しい。たくさん子どもがいる遊戯室のようなところでは子ども達が色んなことをしている。また病室を回り、子ども達にお土産を置いて歩く。その後、私たちが贈った支援金で購入したという24時間血圧計や心電図を見せていただき、また感謝される。またバイオキシンという検査の機械の1回ずつ取り換えなければならないという針も支援金で購入しているとのこと。その後、院長室に戻り、お菓子、果物、お茶の接待を受け、歓談。最後に院長から一人一人の団員に民芸人形を戴き、院長室で記念写真を撮った。10時30分院長の見送りで出発。
2006年01月15日
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府川輝夫さんという神奈川の方が生産しています。 神奈川県足柄上郡山北町岸491 電話/FAX0465-75-1332 です。この蜜柑の箱の中に、生産者の府川さんの説明書きが入っていましたので転載します。 大津または青島をお届けします。 大津や青島は晩柑に類し、1月半ばからが食べごろです。今はまだ十分糖度が上がっていませんが、赤くなったみかんから召し上がってください。色が出てないみかんも、日にちが経つと色も味も出てきます。2つの味をお楽しみください。暖房のないところに保存してすいただければも2月まで食べられます。自然の循環の中での栽培を栽培を目指しています。 日本で農業を続けていくのは非常に困難が伴います。わが農園も兼業農家です。私たちきょうだいは続けるからには生産性は悪くとも、あるいは、一般の流通から外されても、農薬を使わず環境保全に役立つみかんを作りをしようと試みています。父母が築いた農業を守っていますが、きょうだい、家族だけでは十分な作業が出来ません。このみかん栽培は、府川農園を助けてくださる多くの力強いご支援と優しさにより、維持されています。今年も12月の土日曜日に大勢の方が労力を提供してくださいました。 さて、当園のみかんは農薬を使わずに、栽培をしています。1月に機械油乳剤を一度だけ撒きましたが、この農薬は木の表面を油で皮膜し。虫が呼吸できないようさせるためで、毒性はないと言われています。 あとは農薬を使っていません。虫が発生するとその部分の枝を落とし、燃やす。肥料も化学肥料は使わずに、春に一度油かす・魚粉を施して、てんとう虫などの益虫が害虫を食べてくれる環境をつくっています。 除草剤もまったく使っていませんので、土が生きています。市販のみかんは年に10~15回も農薬を散布するので表面がきれいですが、当園のみかんには傷があります。傷のかなりは、開花時に蜜を求めて飛びかう蜂の仕業です。ですから、傷は安全の証明だと考えてください。 市場に流通するみかんは、最近はワックスの使用は少なくなりましたが、農薬散布は上記の通りです。 農薬と聞くと、殺虫剤目的がまず想起されますが、それだけではなく、着色や糖度増加、防腐、はたまた摘果(=間引き)を目的にも行なわれます。夏場は雑草が伸び放題、除草剤の使用も頻繁に行なわれます。安全性よりも見た目が優先され、傷のあるみかん。色つきの悪いみかんは加工用に回され、価格は1キロ当たり1~2円というお話にならない価格になってしまいます。ですから農民は自分が一番農薬被害を受けることを知りながら、しかし、農薬を使わざるを得ない現状なのです。 ということで、府川農園の「みかん」は安全保証つきの「みかん」のようです。
2006年01月14日
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だけど、ここ数十年誰も祝ってくれる人もいない寂しい誕生日を過しています。今日はたまたま土曜日で、明日は日曜日ですが、前は必ず休みの前の日がオラの誕生日でした。だって前は15日が成人の日で、必ず休みだったのが、ハッピーマンデーとかで第2月曜日になってからは、そうではなくなりました。(=;ェ;=) シクシク まあ、この年になると誕生日も嬉しくないけどね。 今日は、青森は久々の暖気で、日中の気温も4度くらいまであがりました。朝から雨が降り、雪が溶けました。 この暖気で出来たことが一つありました。それは何かって?それは洗濯です。実は、不凍栓は締めているので水道部分は、凍っていないのですが、全自動洗濯機の途中のホースの水が凍ってしまい。今年になって洗濯できませんでした。だって、真冬日が何にも続いて、ホースの水が溶けなかったんだもん。今朝、洗濯機を回したところ水が出てきて、洗濯しました。今年になって初めてですので、2週間ぶりでした。(´▽`) ホッ 今日は洗濯をしながら、ツタヤディスカスの郵送DVDを見ました。「ダヴィンチコードの謎」というビデオでしたが・・・。これは映画「ダヴインチコード」ではなくて、本のダヴインチコードを元に、イエスとヨハネの関係とか、レオナルドダヴインチの絵画を通して色々な福音書からの引用や解説とかが延々と出てきていました。 失敗しました・・・この間も、「今会いに行きます」とそのメイキングビデオを間違えて注文したりとか(まあ、これは見られましたが・・・「今会いにいきます」一回見ているので・・・)。今回のは完全に失敗でした。今度注文するときは気をつけて注文しなければと思っています。(ノ_-;)ハア…まあ良いことありました。昨日は、ずっと狙っていた「僕の彼女を紹介します」をようやくゲットできました。いつも借りられなかったのでよかったです。でもこのごろ行ってないな映画館・・・。行きたいな・・・。 今日、みかんと比内鶏スープが私の友人から送られてきました。みかんは、東京の中学校で、「君が代」強制に反対して、処分を受けても、闘いを貫いているNさんです。比内鶏は秋田で県議会議員をしておられる大館の石田寛さんです。どちらも美味しそうです。みかんは、すぐ職場の人たちと食べますが、比内鶏スープはやっぱ、比内鶏を買ってきて、鶏の水炊きでもして食べたいなとと思っていますが、21日の大イベントが終わるまでは忙しいので作っている暇はないですね。作ったら、アップしますね。みかんです。比内鶏スープです。
2006年01月14日
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14時から、レーニン像がある広場の横にあるレストランで食事をする。今は珍しいレーニン像がある広場15時05分からゴメリ市のデパートで土産物を買う。このゴメリ市は時計の工場があり、TさんやNさんなどが時計を買う。私はワラ人形を11個購入。デパートの前で女性たちが、タバコのバラ売りをしていた。 16時にゴメリを出発し、一路ミンスクへ。何か白い山があるので聞いてみると、化学工場の化学品の残滓だそうである。風邪が吹くとこれは大変な公害になるのではと思った。環境に対して無頓着な旧社会主義国の名残か。化学品の残滓また青森県のようにワラを焼いている光景に出くわす。ワラ焼も万国共通か。ワラ焼き風景 途中ものすごいカーチェイス。日本では考えられない運転をする車がたくさん。それは対向車が来ているのに平然と追い越しをかけて、対向車も平然としたもので、道路脇の方に寄る。私たちの車の直前に割り込むという危険な運転のために「ぶつかる寸前」ということが何回か会った。しかし、運転手のサーシャはあまりスピードを出すでもなく、安全運転。通訳の小川さんは、「安全運転だからサーシャさんを頼んだ」と言っていたが、納得。ある村では、家の前の道路脇に人形を並べて売っている家がたくさんある。ここの村の特産は人形か?道路わきの人形 18時29分、カフェまで待てずに、道路脇に停車、全員林の中に消えていく。林の中にキノコが一杯生えており、なかには毒々しいものも、毒キノコか?林の中の毒キノコ? 出発後、しばらく行くと道路脇で、キノコを売っている人たちをたくさん見る。来る対向車がパッシング。しばらくすると警察官が取締まり。パッシングして取締りを教えるのは万国共通か。途中牛の横断あり。 19時07分、ミンスク市街地に入る前、火事あり、相当激しく燃えている様子。火事の様子ミンスクの手前から、雨が降り出す。事務局長は「明日は雨」と予言するが、もう振って来た。20時45分ミンスクのユビレイナ・ホテル到着。チェックイン。 ホテル内のレストランで夕食。レストランで今回初の魚のサーモンを団長が注文。白身魚もあるがなんの魚だかわからないということで、サーモンにする。 23時頃、食事終了就寝。
2006年01月14日
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昨日は、毎年1月に行なっている社民党青森県連合・社民党青森支部協議会と青森県平和推進労組会議、平和労組会議東青地方本部の4者で、2006新春合同旗開きを、行ないました。 その旗開きの余興として、毎年コントや寸劇を行なっていますが、ここ数年オラが、脚本を作っています。昨日はオラも四村珍吾青森県知事の役で出演しました。 このコントの題名は「六ヶ所再処理工場のお葬式」と言う題で、推進側の人たちが見たら激怒するような内容でした。ということでここでオラの脚本を掲載します。 「六ヶ所再処理工場のお葬式」 ■出演 1.葬儀司会 2.セラフィールド・ソープオ 3.東海再処理子 4.四村珍吾青森県知事 5.電事連蔵 ◇葬儀司会それでは、ただいまから、 戒名 核燃サイクルプルトニウム え居士(えこじ) 俗名 六ヶ所・再処理男(さいしょりお)様の葬儀を執りおこないます。◇葬儀司会それでは、それぞれの関係者から、弔詞をいただたきいと思います。それでは、まず友人を代表して、遠くイギリスから駆けつけていただいた、セラフィールド・ソープオさんから、お願いいたします。○セラフィールド・ソープオ 昨年、私が放射能硝酸溶液漏れの瀕死の大怪我を負った時、先に逝くのは、私のほうだと思っていましたが、突然の六ヶ所再処理男様の訃報に、やはり国際社会の眼は厳しかったと痛感しています。私もまもなく、あとに続きますので、待っていてください。◇葬儀司会 続きまして、お姉様で大先輩の東海・再処理子(とうかいさいしょりこ)様お願いいたします。◎東海・再処理子 後輩のあなたが、私より4倍の規模を持つ大きさに成長し、期待していましたが、私の体の不調そのものを、さらに大きく引き継いだ六ヶ所再処理男さんには、そもそも稼働することさえ不可能な身体であったのですね。 これからは残された人たちが、あなたの身体を解体していくことと思いますが、安らかにお眠りください。◇葬儀司会 続きまして、青森県知事の四村珍吾様お願いいたします。●四村珍吾県知事 突然の訃報に驚き、嘆き悲しんでおります。この訃報に、青森県民の80%は失礼ですが、六ヶ所再処理男さんの訃報に歓喜しておりますが、県財政を預かる私といたしましては、あなたからのマネーが入らなくなり、どうしようかと途方にくれているところです。しかし、多くの県民は「ようやくこれで核燃マネー麻薬の生活から抜け出し、安心して住める」とホッとしているのが実情です。これからは、あなたに頼ってきた青森県から、食・緑・水を活かした県に変えていきたいと考えています。◇葬儀司会 それでは喪主のお父様の電事連蔵(でんじれんぞう)からの皆様への御礼のご挨拶でございます。◆電事連蔵 本日は、ご多忙のなか、息子・六ヶ所再処理男のご葬儀に参列していただき、まことにありがとうございました。息子は「憎まれっ子世にはばかる」とでも申しましょうか、生まれたときから、多くの方々からのご批判を受けてまいりました。成長するに連れて、その養育費用が莫大になり、さらにバックエンドを含めると11兆円以上の金喰い虫となり、皆様からの電気料金に上乗せして再処理費用を頂くことを計画していました。さらにあちこち身体の不調をきたし、まともには操業できる状況ではございませんでした。さらに息子が生産したプルトニウムを使うべき、もんじゅ様も瀕死の重傷を負い、私たちの他の子ども達がその息子の生み出したプルトニウムを使う予定でしたが、多くの方の反対により、これもままならず、国際社会から息子がプルトニウムを生産することに大きな批判が高まり、IAEA様から、六ヶ所再処理工場の稼働を中止するようにとの措置がとられました。今後、残された私たち家族は、再生可能なクリーンエネルギーの開発に全力を尽くし、原子力から撤退することをお誓いしまして、遺族を代表しての挨拶といたします。 本日は息子・六ヶ所再処理男のご葬儀に参列いただき誠にありがとうございました。◇葬儀司会 これを持ちまして、戒名 核燃サイクルプルトニウム え居士(えこじ) 俗名 六ヶ所・再処理男(さいしょりお)様の葬儀の一切を終了します。
2006年01月13日
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協議は、本日、1月11日に青森市文化会館で行なわれた。 これは、日本原燃が2月にも行なうとしている「アクティブ試験(実際の使用済み核燃料を使いプルトニウムを取り出すもので、試験と言っても稼働と同じである)」阻止に向けて、県内の様々な反核燃団体が、大同団結し、なんとかして「アクティブ(再処理)試験」を阻止しするために集まったもてのです。 呼びかけ団体は、核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会、青森県反核実行委員会、青森県核燃料サイクル施設立地反対連絡会議の三団体で、県内67団体に呼びかけ、当日は20団体が結集し、大量の放射能を撒き散らし、核兵器の材料にもなる危険で使い道のないプルトニウムをつくり、11兆円もの負担を国民に押し付ける再処理工場の稼働を阻止すめための案を色々出し合いました。 討論の中では、共同行動のアピールを作成し、県知事に申し入れる。多くの人に再処理工場の危険性や非経済性をわかってもらうためのHPつくり。与党を引っ張り出し公開討論会を実施し、それをHPで流す。外国から「再処理工場止めろ」の声を政府・県・電事連・日本原燃どんどん届けてもらう。情報を共有化し、今後の活動をインターネットを主軸にすべき。アクティブ試験という名称は県民にわかりにくいも再処理試験とすべき。この青森県の活動を全国に広めるべき。等等色々な意見が出された。 色々出されたが、会議で確認されたこと。1. 1月12日(木)16時から県政記者クラブで記者会見を行なう。2. 1月25日まで、核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会共同代表のの平野良 一さんまで、アピール案に対する意見をFAX、文書、メールで送ら れたい。3. 次回の協議は、県内各地・各団体が集まれるように、土日や祝日を検討 する。の3点であった。 いよいよアクティブ(再処理)試験突入を前にして、県内各反核燃団体が大同団結をはじめました。この結集がおおきなうねりとなって、県民世論を喚起し、再処理工場稼働阻止に向けた一歩となることを私も心から願っていますし、一生懸命がんばりたいと決意しています。写真は第1回の協議の模様です。
2006年01月11日
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今日やりました今冬初の屋根の雪下ろし。 だって、もう車庫の屋根や家の屋根に1メートル20センチくらいの雪が積もっているんだもん。いつ家がつぶれるかわからない状況でしたから。 ということで、朝湯から帰ってきた朝7時40分からはじめました。 まずは車庫です。車庫が一番危ない状況でしたから。 車庫です。ということで、オラの車をまず隣の家の前の道路に移動。なぜかって?オラの家の車庫は柱しかないので、雪を下ろすと車庫に雪が落ちてきて車がつぶれるからです。ということでエッチラオッチラ、スコップや雪ペラを使って下に雪を下ろしました。必然的に、車庫の前や中に雪が落ちてきて、今度はその雪をかきあげ、積み上げる。 車庫の屋根は大体10時頃終了、足がかじかんだのと疲れたので10時半頃まで休憩。10時半頃から、今度は1階屋根の雪下ろしを行なう。 自宅の屋根雪です。11時頃、1階屋根の雪を下ろしていると、大々先輩からパソコンの印刷のことで問い合わせが、しかたがないので、部屋に戻ってパソコンを立ち上げて説明。これで約20分のロス。 11時ともなると近所の人たちも屋根の雪下ろしや雪かきに精を出している。そして格好なことに太陽が出てきて、日差しが照りつけた。 チャンス!屋根の雪が溶けて落ちる。 太陽が出ているうちにやると屋根を雪の塊が滑っておちるのだ。ということで12時半ころまで3分の2近く終わった。腹が減ったので朝のうちに仕入れたカップヌードルと筋子オニギリで昼食をとる。飯を食っているとき、ドッドッドッと雪の落ちる音が・・・どこかの屋根雪が落ちたらしい。 午後1時、雪下ろし再開。幸いな事にまだ太陽が出ている。 でっ北側の屋根に上ってみると、半分以上雪が落ちていた。そうか、去年3月に1階屋根に2階屋根から氷の塊が落ちて、穴が空いて、屋根を張り替えて新しいトタンになっていたのだ。 1階の穴あき屋根 では、まず新しい北側の雪の半分くらい落ちたところからやるとか思い。とりあえず、トタンはすべるので、雪のあるとこめがけて行ったが、その雪もとも、下に落ちてしまった。まあ下は柔らかい雪だからケガはしんがったが、身体が胸から下が雪に埋まってしまった。なんとか、雪をかきわけて、正面の南側に出るまで雪を踏み固め踏み固め歩き、10分くらいかかったろうか。やっとまた元に戻って今度は2回目の挑戦、しかしまた落ちた。そして悪い事に、どんどん溶けて落ちてきている屋根雪と地面に積もった雪との間に挟まれてしまい身動きがでくきなくなった。そこで手で雪を掻き分け書き分け下に下ろしていくが、下ろすたびに次から次へと落ちてくるものだから、大変。まあ7分くらい、雪をのけると、やっと屋根雪が全部落ちて、なくなった。もう雪は軒下くらいまで、なっているので、今度は、そのまま雪の塊にあがって脱出。しかし、新しいトタン屋根はすべるので、四つんばいになって手袋を脱いで、屋根を上っていく。ε=( ̄。 ̄;A フゥ…やっと北側が終わり、最後に残った南側を下ろす。雪を滑らして落とすのだが、そのうち軒下まで一杯になり、つかえる。その雪を今度は、遠くにやり、雪の落ちる場所を作ってやって、また落とす。 ということで、終わったのは午後2時過ぎだった。 ( ̄u ̄;)ハァハァゼェゼェ… ホントニ疲れた一日でした。 でもこれで当面屋根がつぶれる心配なくなって一安心。あとは2階の屋根雪をこまめに1階屋根に下ろして下まだ下ろす作業はあるが。去年はこれで失敗したから・・・・今年は失敗しないようにp(・∩・)qガンバレル。ただ、屋根の軒下まで雪が来たので、家の中真っ暗・・・春まで太陽の入り込まないクラガリで暮らさなければなりません。フカイタメイキ(;д;)=3=3=3=3ということで、雪下ろしのあとの自宅です。
2006年01月09日
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昨日・今日と、講師を乗せて、300キロ近く走ったが、今日は五所川原市から車力そして、五所川原市に戻り、青森市を経由して、三沢市まで行きました。 今日、朝8時に五所川原市を出発して、稲垣を経由して車力まで行ったんですが、コースが失敗しました。岩木川の西を走る道路を通ったのが敗因。ものすごい地吹雪で、真っ白。まさにホワイトアウト。この道路は防雪柵がなかったのだ。真っ白ななかをポールを頼りに走行。いつもなら30分くらいで行くところが、なんと1時間かかった。 車力の帰りに、ロータリーと会いましたので写しました。帰りは、その道を通らないで行きました。この道路は、防雪柵があったのでなんとか大丈夫だった。でも防雪柵のない金木地区の田んぼでは地吹雪が・・・その後、津軽自動車道を走行したが、ものすごい地吹雪で30キロ~40キロ走行。こんな地吹雪では、東北自動車道は、ストップしているかなと思ったら、案の定、吹雪のため通行止め、やむなく、一般道を行く。結局、五所川原から車力、五所川原、青森、三沢と4時間半もかかってしまいました。(ノ_-;)ハア…地吹雪のなかの運転は疲れます・・・・。明日は、自宅の屋根の雪下ろしです。雪を下ろす前と後の写真をアップします。
2006年01月08日
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昨日もアップした。五所川原市と三沢市での「Xバンド」学習会です。昨日は11時半青森空港着が欠航になり、14時35分、青森空港着で講師の下道さん(太田昌秀参議院議員政策秘書)が到着し、会場の五所川原市中央公民館に着いたのは15時30分。 もうすでに旗開きの懇親会が始まっており、参加者はすでに酔っ払い状態。それでも下道さんの講演を行ないました。主催者の「なるべく短く」というご要望にお応えする形で40分ぐらいで終わったでしょうか。その後、旗開きの参加者と懇親。そして旗開き終了後、西北五地区の方と泊まっているホテルで交流をしたようです。オラは、五所川原在住の姉貴の家に泊まりました。 そして今日は、現地車力の「航空自衛隊車力分屯基地を見たい」という下道さんの要望に応え、行って来ました車力まで、しかしものすごい「地吹雪ツアー」(これについては、別の日記に記入します)。下道さんは、喜んでいましたが・・・オラは疲れました・・・。 そして今日、午後1時からの三沢市での講演。こちらは熱が入って質問も含めて1時間50分近くやりました。以下その要旨を掲載します。 1.在日米軍基地再編の「中間報告」をどう読むか。 ・米軍再編「中間報告」=日米同盟発展のための合意 日米軍の一体化、自衛隊の海外派兵体制整備(すでに訓練に変化= 都市型戦闘訓練) ・これからの東アジアの軍事プレゼンスは米軍に代わって自衛隊 自衛隊の増強と海外派兵の体制整備。年内に海外での武力行使を可能 にする法改正をもくろむ。 ・米軍は日本全土の自由使用を拡大。 基地だけでなく空港・港湾・道路も公共施設も自由に使用。 有事法制のひとつ「特定公共施設利用法」の適用。 ※米軍の基地移転費は日本国民の税金で負担。カネ喰い虫のMD計画。基地交付金はアメ。 ※『思いやり予算』の継続(思いやり予算約2500億円、その他に日米 地位協定に基づく、在日米軍駐留経費6500億円を負担) ※『米軍再編等特措法』。『頭越し決定』・自治否定を許さない名護 市長選への支援を。2.米軍三沢基地の近未来を在日米軍基地の再編案(「中間報告」)に見る ・米軍三沢基地・・・F16※戦闘機部隊と情報・通信(宇宙作戦)部隊 ※F16部隊・・サザーウォッチ作戦、イラク戦争へ出動が今は用 うなし。 ・「中間報告」・・・米空軍機部隊と情報・通信・管制機能の充実 三沢基地は『使い勝手が良い』/三沢対地訓練及び北部本州食う選 空域、三沢射爆撃場。 ・国家安全保障局(NSA)や海軍通信傍受・通信・衛星制御部隊の施設 ※C3I(Communucation Command Control intelligence 指 揮・統制・通信・情報) ※「エシュロン」・・・軍事・外交・経済などの情報収集 ・米海軍第7艦隊(太平洋)及び第5艦隊(※中東担当)哨戒偵察部隊司令部の三沢移転 ・空自車力分屯基地へのXバンドレーダー配備との関係→三沢からレーダー・兵員輸送? 3.米軍のXバンドレーダーと自衛隊のPPS-XX ・バンド=無線通信で言う電波(電磁波)の周波数帯 ※Xバンド=8,000MHz~12,000MHz ※Lバンド=1,000MHz~ 2,000MHz・・・FPS-XXレーダー ・Xバンドレーダーの特徴・・・物体に当て反射させると物体の細微がわかる。 ・欠点=遠くに飛ばすに大出力が必要。電波は最大4千キロ届く。会場配備と地上配備。 ・米本土を狙う(射程6,000~10,00キロ)弾道ミサイルの探知、追尾。 ・空自が配備するFPS-XX・・・Lバンドを使用 ※今年度から下甑島(しもこしきじま)、佐渡、大湊、与座岳に配備 ・日本のMD体制計画 ・自動警戒管制組織(バッジシステム)のもとに陸・海・空の監視レ ーダー網。 ・海、空の迎撃ミサイル態勢(当面、米国ミサイル使用、次世代ミサ イルは開発へ) ・但し早期警戒衛星はない(米軍に頼るほかない)。 ※「中間報告」にある「横田に『共同統合運用設置』4.駐留米軍は厄病神-百害あって一利なし-基地交付金では穴埋め不可 ・住民の安全を守るどころか、真っ先に軍事攻撃の標的になる。 ・日常生活(生活に欠かせない電波)への影響、電波障害。 5.アジアの平和とわが国の安全(わが身)を守るためには ・憲法の前文と第九条は、どのように主張しているのか ・米軍基地はいらない・・・駐留米軍は疫病神、「アメリカ病」の治癒と「アメリカ問題」からの脱却を。日米の不適切な関係の是正。日米安保条約の廃棄=平和条約に。日米地位協定の見直し等。 ・自衛隊は大半は迷彩服を脱がして災害復旧隊と国際援助隊に衣替え。あとは専守防衛隊。講演中の下道直紀氏(三沢会場)除雪中の航空自衛隊車力分屯基地航空自衛隊車力分屯基地正門こんなに近くに一般住宅が・・基地のすぐ側50メートルくらいに住宅が車力基地のレーダーサイト
2006年01月08日
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ああ、今日も降りました。ということで、市内各地で、雪下ろしや雪かきしています。道路に積まれた雪も高くなり、大変危険になってきています。こうした暮らしがあと2ヶ月近く続くのを考えるとタメイキがでてきます。高く積もれた道路の雪。交差点では車が見えず、本当に危険。雪下ろしする近所の人お年よりも、セッセと雪かき軒下より高い雪
2006年01月07日
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なんと、羽田空港から講師の下道直紀氏(参議院議員太田昌秀・政策担当秘書)が乗る予定だった飛行機が欠航・・・・。14時からの講演の予定で11時30分青森空港着の飛行機が、14時35分着に変更。青森空港から、五所川原市内まで約40分・・・早くても15時20分着・・・。(/||| ̄▽)/ゲッ!!!・・・。実を言うと、その講演のあとに、15時から旗開きが準備されていて、15時15分頃から懇親会が始まります。 どのように、進行するかは現地にまかせますが、どのようになるやら・・・。 その講師と私が今日・明日(明日は三沢市での学習会)と一緒に運転・付き添いでいるのですが・・・。やっぱ冬は青森は飛行機はダメですね。欠航する可能性がありますからね。 ところでXバンドレーダーとはなんぞや?と思っている人がいるでしょうから、ここで少し解説をします。 米国が地球規模で推し進めているMD(ミサイル防衛)。その「目」となる最新型の移動式早期警戒レーダーである。青森県のつがる市・車力が突如、配備計画が浮上。昨年12月7日から16日まで、米軍は候補地の「航空自衛隊・車力分屯基地」を調査した。 このXバンドレーダーは、米本土防衛のために、車力に配備されるもので、まさに集団的自衛権行使そのもので、憲法違反といわざるをえない。 またこの配備により、真っ先に軍事攻撃の対象となり、アメリカ本土を守るために日本を犠牲にするものである。 ということで、私たちはこの「Xバンドレーダー」配備に対して反対しており、この学習会は、その一貫なんですが・・・。今日の学習会・・・まあなるようにしかならないか・・・フカイタメイキ(;д;)=3=3=3=3
2006年01月07日
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今日の夕方、オラが外回りから帰ってくると、この真冬にストーブがつすいていない。(・-・)・・・ん?と思っていると、上司が、「『灯油が切れた』今灯油屋を拝み倒して、なんとか今日中に配送してもらっている」とのこと。そのうち、事務の女性が責任を感じたのか、自宅の反射式のストーブを持ってきた。「1ヶ月に1回で給油いいって言ってしまったから」と。 何も彼女の責任ではない。今年の冬は寒いのだ。あと大きなイベントが今月あり、そのために残業・早出と続いていたのだ。職場のタンクは先月15日に給油したから約三週間で油がなくなったことになる。400リッターのタンクであるから、一日20リッターは使っていたことになる。 19時頃、油屋さんが来て、一件落着。幸い、オイルリフターに空気が入っていなくて、そのまま使えたからOKだった。念のためにオイルリフターに空気が入ったときの対処方法も聞いておいた。ということで、今度からは1ヶ月に2回の給油をしてもらうことになった。メデタシメデタシ。パチパチパチ o(^ー^)o☆o(^ー^)oパチパ チ
2006年01月06日
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10分もかからないと思ったのに、20分もかかってしまった。また少し汗をかいてしまった。まあ少しだからいいとするか・・・。
2006年01月06日
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ここのとこ睡眠4時間が続いていたので、早く寝ようと思い、昨日は、20時30分に寝た。しかし、あまりにも早く寝すぎたのと。ここのところ睡眠4時間が続いていたので、なんと0時半に目が覚めてしまった。 しょうがないので、起きてPCを立ち上げ、他の人のブログを見て、オラのブログにしばらくチェルノブイリの旅のカキコをしていなかったのでした。ふと時計を見ると、朝の4時半、風呂に行くにはまだ早い、外はモサモサと雪が降っている。ということで少し早いが職場に行き雪かきをすることに。いつもは、風呂(温泉)に行ってから職場の雪かきをするのだが、雪かきをすると、せっかく風呂で流した汗が、またドッと出てくるということで、今日は先に職場の雪かきをすることにした。 でっ、朝5時20分くらいから約45分行い、それから、Tさんの所に迎えに行く(Tさんは朝湯の仲間だが、雪がないときは自転車で風呂に行くが、冬は雪があり自転車は無理。足が悪いので徒歩であるくことは無理。ということで、毎朝オラが自宅に迎えに行っている)。Tさんの所に行くあたりは雪も止んで、「これならもう大丈夫かな?」とホッとしていたが、風呂に入っている間に、またモサモサと降って来た。職場に着くと、先ほどやった駐車場や玄関前が、また3センチくらいの雪が・・・・。(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・やろうかな・・・ほっとおこうかな・・・、と外を見ると、今雪が止んでいる、少し青空も出てきた。よしやろう!ということで、また雪かきにイッテキマース"8-( *゜ー゜)カタカタカタ--.. 。いので冬は
2006年01月06日
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「困難の中の子どもたち」のパホモア代表の話。 「ベラルーシのルカシェンコ大統領に25の質問状を送った。しかし、ここの州からの支援は何もない。状況は2002年から全く変わらない。いまは大統領令で外国の援助は受けてはならないことになっている。なぜなら『チェルノブイリ原発問題は、解決済みで何も問題はない』ということだからである。自分の娘は20歳だが、国からもらったのは、年額たった40ドル。甲状腺ガンの治療27ドル、カルシウム40ドルもかかる。またホルモン済も必要、しかし40ドルでは全く足りない。企業も援助をしてくれない。なぜなら大統領が禁止しているからだ。私の息子は19歳。病気をもっていることで仕事がみつからない。一つだけ国から援助があるのは18歳になれば国から一部屋アパートをもらえるということである。家族と同居している場合は、その家族に一部屋多いアパートが与えられる。みなさんも覚えていると思うが、この国は独裁国である。私たちの小さな意見は全く聞き入られない。必要のない文化会館とかホッケー場とかはどんどん作るのに。本当に必要な私たちの援助とかはない。150もある大企業に新年パーティに招待するが協力かするのは2企業しかない。協力したくても協力できない体制が作られているのである。色んな国や色んな組織の人たちが支援に参加しようとするが、支援の医薬品とか支援金とかに膨大な税金がかけられて、しかたなく国境で戻らざるをえなくなる。そういうなかで支援する国や団体が減っていく。本当に偉い子どもの人たちが病気にかからなければわからない。今、そこにある車イスは、まだ関税が終わっていないために使えない。そこの医薬品は8ヶ月かかってようやく許可が出た。今でも医薬品等がヨーロッパから送られてきても大統領令でストップされている。」そして演説はさらに続く。 「こういうことがあるから、他の国は援助をやめていく。人道援助の物資・支援金をものすごい税金をかけられて困っている人もいる。又、子どもたちが外国の保養所に行くのにも許可を出さない。これはすべて大統領がやっていることである。子どもたち援助を健康保健省に要求してもダメ。こういう状況であるから、いまは会としてではなく、家族個々に直接具体的に援助してもらう方向に変わってきている。10月17日に国会議員選挙がある。また大統領は現在2期目で憲法で3選は出来ず、引退しなければならないのだが、その憲法を変えて2期を超えて出来るようにしようと国会議員選挙に合わせて国民投票を行なうとしている。大統領は『国民は私を支持するだろう』と言っている。以前、有力な大統領候補が4人~5人が行方不明になっている。こういう状況だから誰も対抗馬がない」 延々と大統領批判が続いた。大統領批判を聞きに訪問したのではないかと思うくらいであった。13時30分頃、ビスケットとコーヒーを頂く。 団長は、訪問したあと「菅谷先生(現・松本市長で、チェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちを単身自費で現地に行き、治療を続けられてきた医師)に『ベラルーシの人たちを自立させるのが本当の支援、そのために本当はお金を持って行くのは良くない』と言われているが、我々の力では医療用機械等は買うことが出来ない。したがってお金の支援をするしかない」と言っておられた。 長野のように、幅広く大きくやっているところは、現地から日本に子どもたちを保養に連れてきたり、何百何千万という医療用機械の援助も出来るのだろうが、私たち青森・チェルノブイリ子ども支援ネットの規模では、そこまで出来ない。やはり、会を大きくし、幅広い援助を集めていかなければならないと思った。 ※なお、2004年に三選禁止規定が国民投票で、削除され、三選できるようになった。なお今度の大統領選挙は2006年今年の9月に大統領選挙が行なわれる。写真は、「困難の中の子どもたち」パルモア代表(右から二人目)と訪問団。
2006年01月05日
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米軍のイラクの劣化ウラン弾により、罪のない多くの子どもたちが、白血病やガンにかかり、そして死んで行っています。アメリカの劣化ウラン弾は戦争犯罪である。この現実・事実からイラク戦争を見ることが私たちには必要ではないのか。そして六ヶ所で今行なわれていることにも・・・。 ぜひともご来場の上、ご覧ください。青森会場・・・・2006年1月19日(木)~22日(日) 青森市民美術展示館 青森市新町2-7-1 電話017-773-1770 FAX017-773-1547 http://www.city.aomori.aomori.jp/八戸会場・・・・2006年1月27日(金)~30に(月) 八戸NHKハナミズキホール 八戸市堤町4-7 電話017-24-1800弘前会場・・・・弘前市立百石町展示館 弘前市百石町3番地2 電話0172-31-7600 Fax0172-31-7623 http://www.hi-it.net/~hyakkoku/※各会場とも、午前10時開館17時閉館(最終日のみ16時まで)-展示内容-◆「NUCLEAR BLUE / 核に蝕まれる地球」 50点◆「イラクの子どもたちの絵」JIM-netより 25点◆ 核の問題と六ヶ所再処理工場を関連づけるパネル◆ 入場料:(テキスト代):\500◆ 主催 :PEACE LAND / 山内雅一 〒031-0044 八戸市廿六日町 41 2階 Tel & Fax:0178-22-3269 e-mail:yam@hi-net.ne.jp http://www.hi-net.ne.jp/~yam/ ◆ 協 賛:グリーンピース・ジャパン
2006年01月04日
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今日は、初仕事で、明日まで完成させなければならない、印刷物を印刷しました。順調に印刷していたと思ったら、ピッピッピツ・・・・と音がした。インク切れの表示が出ている。インク切れかと思いインクパックを交換しようと取り出す。(・-・)・・・ん?カラの割には重い・・・新品と重さを比べてみる。新品は1キロだ。半分くらいありそうだ。重さを測ってみる。600グラムある。容器の分を差し引いても、500グラムはある。 アレ_(・・?..)?アレェと思い、再度、セットしてみるが駄目である。もしかしてインクが固まったかと思い。インクパックのキャプをして、思い切りシェイクしてみる。カクテルのシェイクは美味しいが、インクのシェイクは美味しくない・・・・。 そしてまたセットしてみる。w( ▼o▼ )w オオォォ!!。今度は輪転機が回りだした。(´▽`) ホッとして別な作業をする。するとまたピッピッピッ・・・・また、インク切れの表示、そしてタンマリ入っているインキパック。今度は振っても駄目だ・もしやインクが固まっているのかと思い、ストーブの上に持って行って暖める。だが駄目。 暖め方が悪いのかと思い、インクパンクをパラして、インクが入っているビニールの袋を出す。そして暖める。インクを揉む。 そして再び、セロハンテープでパックを組み立て、再度挑戦・・・・しかし駄目。この間20分・・・。 あきらめて、新しいインクパックと取り替える。印刷機は周り始める。 しかし、しばらくすると新しいインクパックもピッピッピッ・・・。(/||| ̄▽)/ゲッ!!!・・・・仕事にならない・・・ここの印刷機のインクもしかして全部駄目???駄目元でもう一回セットする。今度は、周りはじめる。「まてよ」ここで閃いた。よし古いインクと交互で使ってやれと・・・。その後、新しいパックと古いパックを450枚ごとに、交換していく。オオーw(*゜o゜*)w古いインクパックのほうも量がどんどん減っていく。そしてようやく全部すり終えた。ということで、今日は印刷機と格闘したじゅんぺいでした。
2006年01月04日
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途中、平内町の清水川から、ものすごい風で、まさに地吹雪!防雪柵があるところは、いいんですが、ないところは、強風が吹くとまさに「ホワイトアウト」真っ白になり何も見えなくなります。 青森では、地吹雪が吹くと、田んぼに落ちたり、いつのまにか、道でないところを走っていたりということがあります。 オラの先輩も地吹雪のとき走っていたら、気がついたら線路の上を走っていたとさいうことがあるそうです。 そのときは、もう最終の列車が行ったあとだったので、ことなきをえたそうですが・・・・。 ということでいつもなら2時間で帰ってくるところが、2時間半かかりました。疲れました。 今度、地吹雪の写真をアップします。真っ白で何も見えないかもね。
2006年01月03日
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正月には、五所川原に住んでいる姉貴夫婦もオラの実家にやってきます。その姉貴のの子どは、とっても楽しい子どもです。スイミングスクールに通っていますが、布団の上で、飛び込み練習をします。(≡^∇^≡)ニャハハあとカルタとりやトランプをやって遊んでいました。スタートのビストルも準備してよーいどん。飛び込む甥っ子飛び込む姪っ子クロールする甥っ子トランプをする甥っ子カルタとりをする姪っ子・甥っ子
2006年01月03日
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正月は、毎年1月2日に、高校のときのクラスメイトがM君の家に集まって、飲み会をするんですんが、今年はある事情があり、集まる家がT君の家になりました。家族と旅行に行っているB君を除き、6人が集まりました。 今日はT君の奥さんが、奥さんの実家に子どもを連れて行っているので、自分達で料理することになり、とあるところからとある美味しい肉が手に入ったので、肉鍋をすることになりました。味付けはキムチ味でキムチ鍋にしました。結構美味かったです。肉鍋です。その後、M君が遅れてやってきて、M君はそいのアラ汁を持参。これがまた美味い。ソイのアラ汁です。途中、獅子舞が来ました。T君から預かったご祝儀を持って待ってたのですが、反対方向に行ってしまったので、追いかけて呼んで来てT君の家の前で、舞ってもらいました、「悪魔をはろうてー」と悪魔退散の舞を舞ってもらいました。獅子舞です。その後、記念写真です。左端がオラです。その後、同級生の「ひとみ」がやっているスナック「さくら」で、二次会を行いました。ママのひとみです。美人でしょ。カラオケを歌うオラです。カラオケを歌うM君3ショットでっ家に帰ったのは翌日3日の0時半で、結局、午後2時半ころから、10時間も飲んだダヨ。飲みすぎたじゅんぺいでした。
2006年01月03日
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「ふらんす屋」むつ市旭町5-23 電話0175-29-3336フランス屋ショートケーキ作成中ふらんす屋店舗内ケーキ・菓子コーナーふらんす屋店舗内パンコーナーふらんすパン230円ハムロール115円、チーズオニオン115円ハムロール115円、チーズロール115円ピザパン130円クロワッサン130円チーズいりフランス115円大納言パン115円ジャムパン115円、チョコレートパン115円さくらあんパン115円、あんぱんまんパン115円メロンパン115円イギリスパン690円上食パン630円
2006年01月02日
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「ふらんす屋」むつ市旭町5-23 電話0175-29-3336ふらんす屋概観フルーツロール310円エスプレッソショコラ270円カスタードシュー180円クラッシックショコラ300円ショートケーキ290円モンブラン310円フォレワール270円栗のミルフィーユ300円フレッシュブルーベリータルト300円プリンアラモード320円いちごのムース280円レアチーズケーキ280円ショコラーデン220円バリジェンヌ210円ナポレオン330円<バースデーケーキ2100円
2006年01月01日
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今日はお正月・元旦です。 叔父さん・叔母さんの家に、年始参りに行った帰りに、元旦の私の故郷むつ市の風景を点描しました。 下北一の高い山・釜臥山/標高897メートル芦崎(砂嘴)下北克雪ドーム・総事業費24億円 むつ市の雪捨て場
2006年01月01日
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州立病院産科を11時50分に出発。「困難の中の子ども達」へ向かう。12時に到着。事務所がある建物の目の前に回収中の寺院がある。また前回と事務所が変わっているようである。事務所に入ってビックリ!ものすごい横にビックな女性が3人!写真の女性はバホモア代表である。 団長が訪問の挨拶をするが、バホモア代表が途中から状況説明。とにかくビックリするくらい良く喋る。機関銃のように止め処もなく喋り続ける。 部屋のデスクにはパソコン等が置いている。のた子ども達が今まで静養に訪問した国の写真が貼られていた。日本もあった。長野県か?横浜の写真もあった。また以前我々の前の団が持ってきているのか、金魚ネブタもあった。写真は、各国静養訪問のバネル。
2006年01月01日
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今年、起きて一番初めに食した食べ物それは雑煮です。鶏出汁がよく効いて美味しかったです。
2006年01月01日
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