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歴史は好きだが、太平洋戦争は虚実入り乱れた本があふれているので敬遠していた。この本は保坂正康他3人の対談集で、虚構を剥ぐというので読んでみた。父親から時々話を聞いたことがあったが、それも全部信じることはなかった。海軍善玉論というのが戦後の通奏低音にあり、その上にいろんな議論がなされていた。山本五十六の戦死について初めて発見した人間の怪しい行動が描かれている。阿川弘之の「山本五十六」は夫婦仲が悪かったこと、芸者の妾(愛人)がいたことなどが描かれてあり、遺族から文句が出て現在の版は修正版。こんな時に初版の価値が上がる。名将山本の腰巾着黒島亀人。戦後自分に都合の悪い事が描かれている他人の日記など持ち去り焼却した。変人参謀と呼ばれていた。こいつと源田実が特攻の筋書きを描いた。最初の特攻が成功して、源田実は部下に「うちも特攻を出すぞ」と言ったら、部下の志賀淑雄は「分かりました、一番機に乗ってください、私が操縦します」と答えたら、以後特攻の話はしなくなった。こいつはのちに参議院議員になった。私はそのことしか知らないが、私の父は名前を知っていた。辻正信も裁判に呼ばれることを恐れて日本中を逃げ回り、安全になって国会議員になった。その後ラオスで行方不明になった。瀬島龍三は著者の一人である保坂正康を買収しようとした。ソ連が崩壊して戦後の捕虜時代の行動が暴露されるのを恐れていた。後に伊藤忠商事の会長にまでなった。最後までソ連のスパイ説があった。石原莞爾は最終戦争論があり、満州事変を引き起こしたが、のちに戦線拡大に反対して左遷され、戦犯にはならなかった。この本は2026年7月10日初版、8月30日4版になっている。よく売れているようだ。ここだ明かされたことがこれからのスタンダードになればいいけど。
2026.10.06
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廃線と終着駅の旅。12。奇跡の一本松。大船渡線・盛。気仙沼から宮古までは未乗車区間だったが、JR東日本は線路を敷く気はなく仕方なくBRTで移動となった。途中に震災後、奇跡の一本松が有名になったが、その後にレプリカが造られ、バス停ができた。近くに大きな建物が建築中だった。おそらく道の駅のようなものだろう。乗客は三人だったが、一人のオッサンが下車した。盛駅までわずかな人数の乗り降りがあった。賑やかな街を通過した。大船渡駅だった。終点の盛駅は三陸鉄道と岩手開発鉄道(貨物)の始発駅だった。駅前には民家や会社、コンビニなどがあったが、橋を渡り坂を越えて下ってゆくと様相は一変した。鉄骨の骨組みは残しているが、壁がなくなっている建物がいくつか残っていた。空き地が大きな面積を占めていた。震災から8年目なのに。泊まったホテルの以前の建物は2階の天井まで津波が来たとか。今は新しい建物になっていた。しかしこの建物の外に近くには何もない。夕食に困った。翌日、盛駅に来てホームに入ると西側に、岩手開発鉄道のホームが見えた。空のセメント貨車が十輌ばかりディーゼル機関車が二輌。貨物鉄道なので乗ることはかなわず、三陸鉄道の車両が入ってくるのが見えた。支援を受けた多くの国の言葉でThankYouとおなじ意味の言葉が車両全体に書かれていた。三鉄に乗り釜石に着く。乗り換え時間に外に出ると、日本製鉄の工場が目の前に聳えていた。ラグビーワールドカップまで後〇〇日の看板が目に付いた。オリンピックは無視?。これも土地柄ですか。宮古駅から浄土浜へ行く。ずっと昔12月の末に来たことがあった。とても静かな印象があった。今回は浜に近づくにつれ大きな駐車場がいくつも現れて幻滅。駅に戻り三陸鉄道の久慈駅に向かう。久慈駅は三陸鉄道の終着駅だが線路はJR八戸線に繋がっている。
2023.10.08
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廃線と終着駅の旅。20。関東鉄道、竜ケ崎線、常総線。真岡鉄道。関東鉄道竜ケ崎線はJR常磐線の龍ケ崎市駅に隣接する佐貫駅から大地駅を経て終点が竜ケ崎駅と少々ややこしい。竜ケ崎駅は何本もの側線を抱え、様々な外装の列車が停まっていた。沿線に家は建っていたが、わずか三駅で何時まで持つだろうか。常総線はJR取手駅から出発する。たくさんの乗客が乗っていたが、つくばエクスプレスの乗換駅の守谷駅で大半が下車し、ローカル線の雰囲気になった。終点下館駅できっぷを探している間に手間取り、予定していた真岡鉄道が発車してしまい、1時間待たなくてはならなくなった。JRの駅員に喫茶店を訊ねたが「ない」との事。向かいにある新しい市役所の利用を教えてもらった。仕方なく真新しい建物の中の広いホールで時間を潰した。次の列車に乗り、蒸気機関車を模した建物の真岡駅を過ぎ、客は次々下車してゆき終点の茂木に着いた。どん詰まり感があった。ここからバスで宇都宮に向かった。JR駅前で餃天堂で、焼き餃子と水餃子を食べる。
2023.10.16
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廃線と終着駅の旅。22。信越線・横川駅。丸山変電所。熊ノ平初めて横川駅を通過したのは北陸新幹線が出来るずっと以前で、車内から釜飯を買って食べた。初めて下車したのは2021年8月のこと。駅に降りて西へ向かうと、「碓氷峠鉄道文化村」に着く。ここは昔の横川運転区を整備した施設でたくさんの機関車が展示されている。建物の中には、昔たくさん売った鉄道の本の何冊かが、綴じが、ばらけて哀れな姿になっていた。ここから昔の信越線の線路跡を観光列車が動いている。トロッコ列車に乗って、丸山変電所、さらに峠の湯まで行き、その先は線路跡が整備されているので、緩い坂道を歩き、熊ノ平まで歩く。景色は良く写真で見た景色と変わりがないが、いつも映っていた電気機関車の姿がない。帰り道はトロッコの線路の脇を歩いて横川駅に戻り、峠の釜飯を食べる。相変わらず旨い。
2023.10.18
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医は算術。バカ医者。人を信用するな。セカンドオピニオン。8週間に一度医者に行き糖尿病の薬を貰っている。もう5年以上になる。先週の木曜日に行って話をして、「薬が3日分くらい少なかったことを話した。以前にも院内処方で1回、イオンの中の薬局で2回、メトグルコが2倍処方された」ことを話した。すると50代の女医者が突然、「薬が少なかったのを人のせいにするな。人を信用するな」と声を荒げた。何故薬が足りなかったことでそこまで言われなければいけないのか。それでこっちも反論した。二人とも声が大きくなったので、カーテンの向こうにいた看護婦が3人とも顔を出してきた。挙句、5年以上処方されていた腰痛の貼り薬をもう出さない、整形外科へ行ってもらえとぬかした。「人を信用するな」とほざいたときに、「お前は人間と違うのか」と突っ込んでやろうかと思ったが思いとどまった。吹田市の健康診断をこの病院で受け始めた。初めは年配の穏やかな男性の医師で、私の血圧が、いつも130-150の間だったのが119になったことがあった、「病院で血圧が下がるのは珍しい」と言われそこから自然に会話も生まれた。その人が定年退職で、次に50代のちんちくりんの女医者に変わった。背が低いのに上から目線で数字を見るだけで、色々あって、こんな阿呆に身体を任すわけに行かないので、家の近くの医者に相談した。この人には他のことででも時々診察を受けていた。そこで適当に理由を造って、水曜から木曜に担当医を替えることにした。豚を避けたら猿だった。今回の薬の不足。誰でも時々薬を飲み忘れて余ることがほとんどだが、この猿になって、薬が余っていたのを調整したことがあった。その時に猿が単純な計算間違いを犯した可能性が高い。歯茎に血がたまって数ミリのできもののようになった。それで歯医者に行った。以前は近くの別の小さなビルで治療台2台でやっていた。それが5―6台の治療台になって、看護婦の数を増やして一人で飛び回っていた。検査をすると「5か所治療すべき歯がある。何処からしましょうか」とマスクの下で薄ら笑いしているような調子で言ってきた。私は「歯茎のおかしいのをやってくれ」と言ったら、顔色がさっと変わった。4回ぐらい通院して治ったが、普通次の予約をして帰るのだが、何も言わなかった。もし歯茎がこのままなら。これでおさらばできるのだが。私の父親は風邪と診断されて家にいて調子が悪くなり、南千里の病院に運ばれて肺炎と診断された。最後はそこで息を引き取った。歳を取り年々医者の世話になる機会が多くなるだろう。しかし周りにこんなのばかりが多くいると、いかにそれに当たらぬように注意しなければ、寿命を縮めることになる。
2023.10.24
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山田風太郎の人間臨終図鑑と関川夏央の人間晩年図鑑。人間臨終図鑑が発表された後に無くなった人を人間晩年図鑑は扱っている。1995年からその年毎に無くなった人が集められている。ハナ肇の項ではそのほかのクレイジーキャッツの面々の没年までわかり、犬塚弘だけが生きていると書かれていたが、彼もつい先日亡くなった。三船敏郎が黒澤明と不仲になり、馬にまたがって黒澤の家の周りを走り回った、と何かの本で読んだのだが、三船敏郎なら馬の二・三匹持ってるだろうと疑わなかったが、この本では酒を飲んで、MGに乗って「黒沢明のバカヤロー」と叫んでいた。となっている。スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」ではHAL9000はIBMのそれぞれ一つづつ上回る性能を示すためだ。と読んだことがあったが、ヒューリスティカリー(自己教育的)プログラムド・アルゴリズミック・コンピューターの略だそうだ。近頃大流行のアルゴリズムがこの1968年に使用されていたことに驚いた。映画は玄人筋に受けが悪く、日本でも筒井康隆は大愚作、星新一は退屈と評した。私は今まで三大傑作映画を持っていたが、見終わった時点で、この作品を加えて四大傑作映画にした。それまでSFは嫌いだったので、映画好きに連れられて再公開時に付き合いで見に行った。この本を読んでいて改めて関川夏央の知識の広さに驚く。人間臨終図鑑でもそうだが、晩年は皆悲しいものだとつくづく思う。自分の場合は最後はどうなるだろうと、少し考えさせられる。
2023.11.05
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全国鉄道完全乗車へ一歩前進。2。つくばEX。流鉄流山線。多摩モノレール。つくばエクスプレスに乗った。早くも通勤客の姿を見る。外は雨で景色も見えない。南流山駅で下車し、武蔵野線に乗り換え一駅目の新松戸駅へ。さらに一駅だけ常磐線に乗り換えて馬橋駅へ。そこで隣の流山線に乗る。切符は自販機で買い、あらゆるカードは使えない。次の駅は幸谷駅で、たくさん載ってきた。これは新松戸駅のすぐ隣にある駅でここから流山線は常磐線と別れる。結構家が立て込んでいる。やがて終点流山駅に着く。側線が有り何両かの電車が停まっていた。雨もほとんど上がりかけていた。駅舎の写真を撮ってすぐ電車に乗った。全線乗ったので幸谷駅で下車。ロッテリアで朝食を済ませ、新松戸から南流山でつくばEXに乗り換える。終点秋葉原駅に着いた。初めてこの駅に下車した時、長いエスカレーターに何度も乗り換えるのに驚いたが、今回の旅では、同じような体験を何度もした。JRで上野に行き、公園口へ行くと雨が激しくなっていた。国立博物館まで出かけて「やまと絵展」を見た。国宝クラスの絵は何度も見たことのある絵が多かったが、重文になると初見もたくさんあった。本館の日本美術の流れの展示ではコピーの仏像の行列で早々に退散。庭も見たかったが足元が悪くて次回にする。浅草で「アリゾナキッチン」へ入った。14時を少し回っていたので他に客はいなかった。ジャズが流れていた。今年の三社祭の日に女房を連れて知っているアリゾナへ行ったのだが店はなくなっていた。その話をすると、7年前に店を閉め、1年前に現在地に開店したとの事。ビーフシチューだけの店だが、お昼はサービスに国産コンビーフに生卵が付いた。久々で結構な味でした。新宿から京王に乗り、多摩センターに下車。今年の3月に来た時がキティが溢れてくらくらしたが大分目が慣れたのだろう。多摩モノレールに乗り換え二つ三つ行くと〇〇大学前との放送でたくさん乗ってきた。が大部分は立川南駅、北駅で下車、外は真っ暗になって、終点上北台は何もないので折り返す。立川北駅で降りてJRで八王子に着く。夕食はファミレスで摂ってホテルへ。
2023.11.23
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廃線と終着駅の旅。95。甘木鉄道・甘木駅。西鉄・甘木駅。JR春田駅から甘木鉄道に乗り、甘木駅に降りた。ホーム一面二線の駅でその先に車庫がある。建物は立派な正面、駅前広場が有りバスが発着している。時刻表で見ると西鉄甘木駅は離れているがどうなっているのか見学に出かけた。時刻表地図よりはるかに近くに西鉄駅があった。このあたり路線が入り乱れ、連絡が悪そうで西鉄に乗る訳にゆかない。甘木鉄道の駅に戻り、一度博多に戻り、地下鉄七隈線の延長区間に乗り地下鉄完乗。その日は福岡に泊まる。翌日西鉄に乗り大宰府駅に行く。二線三面のホームで駅舎は新しい。大宰府天満宮は北野天満宮に匹敵するような大きな境内で、参道の梅が枝餅は旨かった。二日市駅が太宰府線の分岐駅だが、駅近くに大宰府跡の石碑があった。ここは昔西鉄の車庫があった。それを移転させて、後を整備している。宮の陣駅から甘木線に乗り終点甘木駅へ。ここの駅舎は木造の粗末な建物。
2024.01.09
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廃線と終着駅の旅。6。江差線。函館駅。新函館北斗駅木古内駅から本州に向かう大勢の客を下ろすと残ったのはほとんど鉄道ファンばかり。江差線はユックリと山の中に入ってゆく。湯ノ岱駅では珍しいタブレットの交換があった。これは私が見た最後の交換かも。海岸から少し高台になった処に江差駅はあった。下車した乗客は次の列車に乗るのか皆駅の周りをぶらぶらするばかり。遠くに開陽丸の復元したのが見えたがとても往復できない。帰りの湯ノ岱駅では忘れずタブレット交換をカメラに収めた。お昼過ぎの上野発の臨時急行に乗り、真夜中に青森駅に着いた。皆が一斉に走り出すので私も負けずに走り連絡船に向かった。連絡船が函館に着き陸橋を渡り道路に出た。車道を渡ろうとした。雪が積もってそこをタイヤが深い轍を造っていた。歩道から車道へ3・4歩歩いたら見事に転んでしまった。早朝で車が少ないのが幸いだった。二度目の函館駅は現在の姿に変わっていた。陸橋もなくなり、広場が出来ていた。駅前の食堂で食べた「がごめいか刺丼」が旨かった。その次に来たのは今年の1月。「センチュリーマリーナ函館」の朝食が噂通りすごかった。いつものバイキングの朝食は、あれも摂ろう、これも摂ろうだが、ここはどれを摂らないでおくかが問題だった。五稜郭ではラッキーピエロのハンバーガーを食べた。その夜、新函館北斗駅から盛岡まで北海道新幹線で向かった。駅はピカピカで広く手列車がついて5分ほど人の動きがあるが、すぐに寂しさが覆ってくる。夜になり周りの景色は見えなくなった。
2023.10.02
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廃線と終着駅の旅。8。弘南鉄道。奥羽本線大館駅。弘前のホテルから弘南鉄道の駅に向かった。しかしどこかで左右を間違えて、人に訊きながら雪の歩道を歩いているとホテルの前に戻った。改めて中央弘前駅に向かった。繁華街からかなり離れた位置にあった。予定の始発電車は乗り遅れた。広い待合室の壁はごてごてと貼り紙が取り巻いていた。目を引いたのが学割の料金で1学期、2学期、3学期と別れて料金が示されていた。電車は大鰐駅まで、十三駅もかかって走る。帰りはJRで二駅。JR弘前駅に戻ると隅っこに弘前鉄道の駅があり、黒石駅に向かう。黒石は弘前よりさらに雪が深かった。小見世通りも雪が入り込んで歩きにくい。黒石焼きそばの店もまだ開いていない。弘前から大館に向かった。小雨が降っている。駅前の「花善」で名物「特上鶏めし定食」を食べる。古い建物で暖房は石油ストーブで。評判通り旨かった。この店は駅弁の「鶏めし」でとても有名な店。外に出ると旧小坂鉄道の線路が残っていた。少し先には線路は雪捨て場になって、堤防のようにずっと続いていた。二度目に大館駅に来たのは6年後の2019年。旧小坂鉄道の線路は駅近くは掘り返されて、踏切の警報の信号がまだ残っていた。雪がなくなったので線路はまだ残っていた。花善はきれいな建物に変わり、パリ支店の看板が出ていた。この日は時間がないので駅弁を買った。
2023.10.04
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廃線と終着駅の旅。16。鹿島鉄道・鉾田駅。鹿島臨海鉄道・鹿島サッカースタジアム駅。鹿島鉄道が廃止になったのは2007年4月1日で、その二週間ほど前に石岡駅から鉾田駅まで乗った。廃止前に乗っておこうとする人たちで混雑し、ずっと立ち続けた。鉾田駅に降りると地元の人たちが農産物を客に配っていた。外国人も混じっていた。大きなニンジンにびっくりした。しかし私は人に会うので野菜は断ってそのまま鹿島臨海鉄道の新鉾田駅まで歩き、水戸駅まで向かった。その後15で書いた、ひたちなか海浜鉄道に乗った。そして2020年8月に水戸駅から鹿島臨海鉄道に乗り全線乗車を目指した。新鉾田駅の先を少し行くと北浦が見えてきた。その先に鹿島サッカースタジアム駅が見えてきた。ここがJRとの境界駅で架線が始まっているのが見えた。しかしこの駅には停まらず次の鹿島神宮駅に停まり、運賃を精算し、証明書を貰いホーム向かいのJRの電車に乗る。
2023.10.12
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廃線と終着駅の旅。16。鹿島鉄道・鉾田駅。鹿島臨海鉄道・鹿島サッカースタジアム駅。鹿島鉄道が廃止になったのは2007年4月1日で、その二週間ほど前に石岡駅から鉾田駅まで乗った。廃止前に乗っておこうとする人たちで混雑し、ずっと立ち続けた。鉾田駅に降りると地元の人たちが農産物を客に配っていた。外国人も混じっていた。大きなニンジンにびっくりした。しかし私は人に会うので野菜は断ってそのまま鹿島臨海鉄道の新鉾田駅まで歩き、水戸駅まで向かった。その後15で書いた、ひたちなか海浜鉄道に乗った。そして2020年8月に水戸駅から鹿島臨海鉄道に乗り全線乗車を目指した。新鉾田駅の先を少し行くと北浦が見えてきた。その先に鹿島サッカースタジアム駅が見えてきた。ここがJRとの境界駅で架線が始まっているのが見えた。しかしこの駅には停まらず次の鹿島神宮駅に停まり、運賃を精算し、証明書を貰いホーム向かいのJRの電車に乗る。
2023.10.12
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廃線と終着駅の旅。18。いすみ鉄道。小湊鉄道。大原駅から海岸まで暑い中を歩いた。海岸に出るとそこは漁港で北の方に砂浜が有り、南に少し小高い所があった。ここがつげ義春の「海辺の叙景」の舞台になった。いすみ鉄道に乗り大喜多に下車。ここに本社や車庫などがある。大多喜は城下町で古いものが少し残っていると期待して下車したが農地が多く建物はポツンポツンとあるだけで失望。しかし一軒古い旅館が残っている。そこがつげ義春の「リアリズムの宿」のモデルになっているのを確認しに出向いた。もう20年くらい前のことでした。終点の上総中野は小湊鉄道の終点でもある。二つの小さなディーゼル車が夕暮れの中に並んで停まっているのを写真に摂る。五井に向かって下ってゆく。五井駅の手前でたくさんのディーゼル車が暗闇の中にポツンポツンと浮かんでいるのが見えた。2020年の8月に五井駅の写真を撮ろうと再び出かけた。古い蒸気機関車の姿など見ることが出来たが、全体としては夜の風景にかなわなかった。夜目遠目傘の内、という言葉を思い出した。
2023.10.14
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廃線と終着駅の旅。52。大仏鉄道。近鉄奈良地上駅・孔舎衛坂駅奈良駅が地上の時代は、近鉄で大阪から奈良へ行くには、西大寺駅で一部の車輛を切り離し、4輌編成になって奈良駅に向かった。油坂駅では国鉄の線路を超えるため高架になっていた。あちこち傷んだホームだった。そこから地上に向かって下って行く。登大路は登り坂で次第に線路を挟む形になり、最後に線路は少し南側にカーブして地上の奈良駅に着く。ホームの仕切り壁は木製だった。油坂駅の少し東の商店街を北に歩き佐保川を渡ったところに、大仏鉄道記念公園があり、記念碑の車輪が置かれている。近鉄奈良線は線路が変更され、生駒トンネルの大阪側の入口にあった孔舎衛坂駅が廃止になった。一度その駅を見に行ったことがあった。レールは撤去されたあとは舗装され、ホームもきれいに残り、全体がフェンスで囲まれていた。ある日、古書組合の業者の市で硬券が出た。孔舎衛坂駅の入場券が五枚くらい入っていたのを落札した。オークションで一枚が3500円から4000円ですべて売れた。硬券のブームが終わった今、いったいいくらで売買されるのだろうか。
2023.11.18
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西武秩父駅御花畑駅より三峰口方面御花畑駅三峰口駅全国鉄道完全乗車へ一歩前進。3。八高線。西武秩父線。秩父鉄道。 八王子から八高線に乗って北へ向かう。工場と民家とが混在していたが、やがて緑が多くなってきた。金子駅を過ぎて西を見たら、真っ白な富士山が見えた。真っ青な空に圧倒的な存在感だった。東飯能駅で西武線に乗り換える。西武の駅は一面一線の広いホームで、かつてもう一線あったような形だった。電車を待つ間に特急電車や、回送電車が何度も目の前を通過するのを見送りやっとやってきた。乗客の半分は登山者のようだ。電車は8両編成の2枚扉。山の間を進み、民家が少し見えると停車した。そのたびに登山者は少しづつ降りて行った。短いトンネルの連続で、少し広い所に出たら秩父盆地だった。横瀬駅にセメント工場が有り、見上げると山頂を大きく削られた武甲山が見えた。終点西武秩父駅は二面三線の駅だがホームとホームの間に大きな空間が空いている。陸橋を渡り改札を出ると大きな観光施設が駅と一体になっていてとても下品だ。案内表示は小さい。それに従って秩父鉄道御花畑駅に行く。御花畑駅は二面二線の駅だが一つは西武からの直通用。やってきた電車は外も内も天井まで秩父の伝説などを一面に描いている。ヤマトタケルの話が多い。三峰口で下車したのは十人程、みんな一日数本のバスに乗って出て行った。私は一人で駅の北に隣接するSL転車台公園を見に行った。現役で動いていてレールが光っている。コンビニもないのでたった一台の自販機お茶を買い次の電車に乗る。秩父駅ではたくさんの人が乗ってきた。大野原駅の傍には秩父セメント(現在は太平洋セメント)の大きな工場とたくさんの線路と、貨物車があった。上長瀞駅で多くの一が降り、徐々に客は減り寄居駅で下車した。今年の初め羽生から寄居まで乗っているので、秩父鉄道は全て乗ったことになる。
2023.11.24
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廃線と終着駅の旅。63。阪急、阪神・今津駅。阪急・西宮北口駅。現在阪急電鉄と阪神電鉄は同じ会社だが、今津駅はどちらも地上駅から高架になり、連絡が出来ない。昔は別会社だったが今津駅で阪急と阪神は繋がっていた。1949年には阪急電車が暴走し、阪神の線路を走って隣の久寿川駅に停まっていた阪神の電車にぶつかるという事故があった。私にとっての阪急電車は、宝塚ファミリーランドへの入口だった。くすんだ焦げ茶色、狭い電車の幅の阪神から、広くて艶のあるマルーン色、緑色の座席まで輝いていた阪急電車に乗り換えるだけで気分が高揚した。そこから二駅目が西宮北口駅で神戸線とのダイヤモンドクロッシングを渡るとき、何度も軽い振動と、ゴトン、ゴトンという音が響いていた。小さなころから何度も通っているので、全国的に珍しい交差だとはついぞ思はなかった。現在の今津線は南北に分けられ、南側は高架になりダイヤモンドクロッシングは消えてしまった。
2023.12.07
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豊国廟。平安京創生館。運動不足を解消するため、京都の行った事の無い所へ出かけた。阪急、地下鉄と乗り継ぎ二条駅に下車。歩いて平安京創生館に出かける。図書館に併設されている小さな施設なので、バスで何度も前を通っているのだが気が付かなかった。中は平安京の大きな模型が主で鳥羽離宮、六勝寺など時代を違えて造られた建物も作っている。貸衣装で平安貴族になることもできる。京都駅に戻り、羅城門の模型を見て、ラーメンを食べて東山へ。国立博物館の東の坂道を登り、新日吉神社を過ぎ豊国廟の下に着く。階段が続く。途中3回休めるが疲れた。やっと着いたと思ったら、門が有り、さらに急な階段が続いていた。後十数段で、今度はコムラ返りがおきかけた。何とか着いたら大きな、6-7メートルほどの五輪塔があるだけで他に人はいない。北面の一部の立木が切られて、清水寺の全景が見下ろせた。このような位置で見下ろせるはここだけだろう。舞台の上はかなりの人だ。こちらは他に3人に出会っただけだった。
2024.01.29
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交野市市議選。掲示板の加工画像これをやったのは維新の大阪市議の女50才。次々馬鹿が出てくる。維新は5人が立候補して2人が落選との事。
2023.09.12
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廃線と終着駅の旅。3。留萌本線、増毛。札沼線、新十津川。現在の留萌本線は石狩沼田から先が廃止され、さらに近いうちに全線がなくなってしまう。私が乗ったのは十年ほど前で、終点は増毛だった。しかし深川駅から列車に乗ったら留萌止まりだった。私の乗る列車はこの手の途中で止まるのがなぜか多い。仕方がないので駅の外に出た。羽幌線があったころの広い空き地、小さな川には使われなくなった錆びた鉄橋が架かっていた。街を歩くと街路樹の間にルピナスがいっぱい咲いていた。大阪では植物園でしか見られない花なのでびっくりした。次の列車で終点増毛に向かった。海岸沿いの美しい、穏やかな風景が続いた。終点増毛駅はホーム一面、線路も一本。ホームから駅を出るまで少し長い通路があった。それだけ縮小していったのか。外に出ると大きな木造3階建ての旅館の建物があった。もう営業はしていないようだ。その隣に「風待ち食堂」があった。海岸に出ると一般人のウニ漁禁止の札があった。神社へ行くと夏祭りで屋台が7-8台出ていたが、子供が数人、一つの屋台にだけ集まっていた。次々と移ってゆくのだろう。旅から帰りテレビで映画「駅」(高倉健主演)を見た。その時には線路は一本だったが側線があった。風待ち食堂で烏丸せつこが働いていた。高倉健が神社に現れたのは祭りの夜だった。もう少し増毛にいたら出会えたかもしれない。函館本線の滝川駅から札沼線の新十津川駅まで歩いた。夏の晴天下だったが、風が有り大阪の夏とは全然違った。新十津川駅近くに人家がまとまっていた。ホームにディーゼル車が泊まっていた。一人がジュースを飲んでいたので何処で買ったのかと聞くと向かいの病院の中の自販機だという。後3分しかないので走って買いに行った。乗客は11人で一人を除いて皆鉄道ファンだった。列車は動き出した。途中の駅は皆簡素な造りばかりで乗客の乗り降りは無かった。やがて終点の北海道医療大学に着いた。ここからは電化され、廃線の恐れはなさそうだ。私が乗った時は、朝、昼、夕方と一日3便だった。その後時刻表を見ていると昼の一便に減り、ついに廃線になった。運転手に「廃線にならないか」と尋ねたら「ここはなりませんよ」と自信満々だったが。
2023.09.29
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廃線と終着駅の旅。4。日高本線。石勝線夕張支線。日高線の静内駅で泊まり、翌日様似へ向かった。しかし朝から天気はぐずつき様似駅では雨が強くなった。このまま襟裳岬を往復してもしょうがないと諦めた。代わりに石勝線夕張支線へ行くことにした。夕張駅は新しいのだが、売店は閉まっていて、駅横のビルには古い007の看板がかかっていた。新夕張へ戻ったら、50年振りの大雨でダイヤが乱れていて、札幌行の特急が遅れていた。追分駅で列車を降りた。南千歳行の次の特急は大幅に遅れた。駅員に私が「様似から引き返した」というと、私の乗った次の列車から運休になったと話してくれた。6・7分の待ち合わせで次の特急に乗る予定だったが結局105分待つことになった。一度目の夕張行の数年前に夕張市の財政悪化はとてもひどいもので、乗り換えの間に新夕張駅の外に出たら公園の公衆トイレが建物をぐるりとロープで取り巻き、使用禁止の札がぶら下がっていた。
2023.09.30
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廃線と終着駅の旅。9。男鹿線。由利高原鉄道。山形鉄道。奥羽本線を南下する。西側には大きな防雪林が続き、その間から八郎潟を埋め立てた田が見える。追分駅から男鹿線に乗り換える。やってきたのは全ての車両に大きく「なまはげ」が描かれている。男鹿駅に降りたが線路は続いている。駅員に聞くと嘗て石油貯蔵設備があったが今はトラック輸送に切り替わった。駅を出ると線路が徐々に減ってゆき、車止めに突き当たった。その日強風の為羽越線は大幅に遅れた。運転席のすぐ後ろの席だったので、指令の電話が入り、運転手と車掌がきっちり復唱を繰り返していた。JR羽後本荘駅には16分遅れで到着。由利高原鉄道は8分遅れで出発した。終点矢島駅に着いたときはザアザア降りで駅から一歩も外に出られず。駅舎の片隅に「まつこの部屋」が有って、先ほど客にお茶を配ってくれた女性が売店と観光案内をやっていた。お菓子を買って話をしていたら、前年大阪の鉄道フェアに出展をしていたとか。次の名古屋のフェアでの再会を約束して別れた。おみやげにシフォンケーキを貰った。帰りの列車は「おひなっこ列車」で車内は雛飾りで一杯。おばこ姿のアテンダントが強風で羽越線が停まっているとの車内放送。その後で土産物を売りに来たら美人だったので買ってしまった。山形鉄道フラワー長井線は奥羽本線赤湯駅を出発し、一度今泉駅で米坂線に出会い改めて山の中に向かう。どの駅も長いホームがあり、さらに大きな防雪林がある。終点荒砥駅も同じ構造で、ホームの端の方には苔が生えていた。駅舎が新しいだけ短い列車がみすぼらしく見える。駅の周りには何もない。
2023.10.05
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最後の山旅、涸沢小屋。1。体力の衰えが加速度的に迫ってきて、最後の山旅と決めていて、夜行バスで上高地に向かった。小さなザックから少し大きなものに変える時、メモ帳と、地図を移し忘れていた、何度も歩いた道なので何とかなると出発した。10月13日上高地に着く。少し薄暗い中を歩きだす。明神館の隣のテーブルでパンを食べ、少し残してトイレに立ったら、別の人が大声でカラスがパンをくわえていったと、叫んだ。先年の鳶にアイスクリームをやられたほどの驚きはなかった。徳沢園までの遊歩道で20匹ばかりの猿の一群が餌を探して動き廻っていた。さらに進むと川の中は重機が何台も動き回り、流れを変えようとしていた。川岸に網を造りその中に重機で一定の大きさの意思を入れてゆく。それを人間が上手く形の中に入れてゆく。新村橋は掛替でなくなっていた。11時頃横尾山荘についた。昼食を食べようか迷ったが、腹は減ってないしこのまま歩くと決めた。これが地図を忘れてしまっての第一の失敗につながる。屏風岩までは高低差もなく順調。しかしそこから小屋まで延々と大きな石を敷き詰めた登山道が続いた。コンクリートの階段と変わらない苦痛の山道だった。ナナカマドは赤くなる前に黒い斑点に覆われ、ダケカンバはたくさん葉を落としていた。次々他の人に抜かれドンドン気分が落ちてゆく。しかし脚が動かない。涸沢ヒュッテの旗が見えたがまだそこから20分以上かかった。テント場は100以上ものテントがあった。石の上に敷くための凸凹シートを持った人が多くいたが、皆私を追い抜いて、テントを張り終わったようだ。涸沢小屋に着いて17時45分の食事の番になった。蒲団に寝ていると食事の放送があったが、眠ってしまった。気が付くと18時10分の食事に私を呼びに来てくれた。食事を済ませトイレに行く。係が使用済みのトイレットペーパーを入れた小さなビニール袋から大きなビニール袋に移していた。毎日大変な作業です。20時30分、LEDの電灯が消えた。誰かのスマホの光がぼんやり天井を照らした。
2023.10.16
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万博公園のコキア色づく
2023.10.20
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廃線と終着駅の旅。26。青梅線・奥多摩駅。鶴見線。奥多摩駅は二度訪れている。二度目は数年前、東京近郊区間の「休日おでかけパス」をつかって訪れた。ハイキング客で満員の青梅線だった。駅舎は時刻表の表紙にもなった山小屋風の大きな建物で、この号も10冊以上は売った記憶がある。どっと駅の外に吐き出された客は、私以外全員がバスに乗ってそれぞれの山に向かった。朝食を摂ろうと思ったが、がらんとした駅前は飲み屋ばかりで気の利いた店は全くなかった。鶴見駅は鶴見線の全線乗車を試みて朝のラッシュ時間に東海道線の電車を降り、向こうに見える電車に乗り換えようとしたが、構内の改札に阻まれて一台逃した。最初の目的駅は浜芝浦駅で京浜運河の上にプラットホームが覆いかかっていて、文字通り海に一番近い駅だ。今は違っているらしいが、そのころの改札は東芝の構内に直結しており、改札を出ることはかなわなかった。次の駅は大川駅であまり記憶にない。工場と民家が混在した風景だった。私が乗ったころは、電車が大きな新しい車両に変わっていて、武蔵白石駅に停まらなくなっていた。最後の扇町駅に向かうには、安善駅まで戻り次の電車に乗った。扇町駅から浜川崎駅に戻り、南武線の浜川崎駅に移動したが、乗り換えるには一度改札を出て、道路を渡って向かいの南武線の改札に入った。
2023.10.22
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廃線と終着駅の旅。42。豊橋鉄道・三河田原駅・市内線(路面電車)。名鉄国鉄連絡線。初めて豊橋鉄道渥美線に乗ったのは半世紀前で記憶に残っているのは伊良子崎の椰子の実の碑。二度目に訪れたのは乗り潰しの旅の一環としてだった。あちこちに大きな電照菊のビニールハウスを見た。学校で教えられたままの風景だと思った。終点三河田原駅からバスで再び半島の先端まで行った。並の静かなところでたくさんのサーファーがいた。「どうして日本のサーファーは並の静かな場所ばかりに集まるのか」といつも不思議に思う。市内線の路面電車は終点の運動公園前停留所の車止めが余りにも小さいのが印象に残っている。もう一つの終点の赤岩口は隣に車庫が有り、様々な形の電車が停まっていた。嘗て名鉄―国鉄―富山地方鉄道を一気に走る「北アルプス」があった。なくななってしまって、その後どうなっているのか見に行った。新鵜沼駅に留置線が有り、その仕切りの柵の間から線路は伸びていた。踏切があり、遮断機は上がりっぱなしになっていた。パソコンの地図を見るとカーブの付いた細い道路に変わっていた。
2023.11.08
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廃線と終着駅の旅。45。名鉄・築港線・東名古屋港駅。名鉄の全線完乗を目指して、大江駅に降りて築港線に乗り換えようとしたら、仕切りがあって乗れなかった。通勤専用に特化した線路で、昼間に電車は動いていない。山陽本線の兵庫駅から和田岬駅と同じ形態だった。後日改めて乗車した。途中たくさんの貨物ヤードの線路を見た。その中の一本が乗っている線路とダイヤモンドクロッシングをしていた。終点東名古屋港駅は一面一本の駅だったが、線路ははるか先まで続いていた。列車が走っているような、走っていないような様子だった。雨が激しく、道路を歩いて捜索する気持ちも萎えた。その日のブログに「この線路の先はどうなっているのか」と書いたら、親切な方が年に数回、貨物の運転が行われていると教えてもらった。
2023.11.11
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京都仙洞御所の紅葉。 数年前に仙洞御所へ行った時、楓の多いのに気づいて紅葉の季節に来なくてはと思って数年ついに再訪がかなった。10時半頃、入り口で14時30分の予約をして枡形商店街へ昼食を食べに満寿形屋へ行く。以前にもここへ並んだが、見学の予約時間に遅れる恐れがあり諦めた。今回も開店は12時だが店に入ったのは30分後。鯖寿司2切れと松茸うどんのセットが2300円。どちらも結構でした。店の主人が何度も外に出てきた。なぜだろうか。店内では四人掛けのテーブルが六台あり、一人でも一つのテーブルに座った。店主は相変わらず何度か外に出た。外は20人程が並んでいる。これは高齢の店主の仕事のペースに合わせた処置なのではと推測される。14時過ぎに入り口を入り40人程が集まったができたので、紅葉は予想通りのすばらしさ。そのピークに出会えたようだ。昔は仙洞御所だったが現在東京に新しい仙洞御所が出来たので現在は京都仙洞御所となったとか。帰りは四条河原町まで歩いた。いつもの甘栗は大きな方が品切れで、8人が出来上がりを待っているとかで、小さな方を買った。味は全く変わらない。
2023.11.30
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廃線と終着駅の旅。72。瀬野スカイレール。可部線・可部駅・あき亀山駅今年の12月で廃止の予定だったが、代替の電気バスが事情で遅れるので2024年の4月末まで運行することになった。何とか廃止までに乗ることが出来た。モノレールのようなロープウエイのような日本でただ一つの乗り物だが、なくなるのは残念でならない。JR瀬野駅に接続した新しい駅がもったいない感じがする。乗り心地は快適で静かで見晴らしもよかった。終点「みどり中央駅」は道路を隔ててすぐ住宅が拡がっていて、他に何もない。可部線はかつては三段峡まで伸びていたが、可部駅から先は廃線になった。ところが人が増えてきたので「あき亀山」まで二駅だけ再びレールが敷かれた。可部駅まで短くなった2009年に可部駅まで到達したが、線路が伸びたので2018年に「あき亀山」まで乗りに行った。終点だった時の可部駅は隣にバスターミナルが整備され車止めが有り、小さいながらも終着駅の様相だった。線路が伸びると可部駅では改札が二か所になり、両方のホームを結ぶ陸橋が出来た。その先は線路の具合が格段に良くなった。線路の東側には新しい家がドンドン建っていた。終点「あき亀山駅」は私を含めて3人が下車した。無人駅だが側線が数本あった。東側は家が建っていたが、西側は荒れ地で河原に続いていた。
2023.12.16
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廃線と終着駅の旅。86。肥薩線・大畑駅・真幸駅。私が乗った時は一日5本の列車があった。人吉駅から乗った「いさぶろう」の内装は木製で、指定席はボックス席で、自由席はロングシートという名の短いシートが車両の両端についている。指定席より自由席の客の方が多かった。アテンダントが乗っている。徐々に高度を上げて大畑駅に着いた。数分の停車時間に他の乗客は駅のあちこちの写真を撮ったりして列車に戻った。アテンダントが私を見て乗るのかどうか尋ねているようだったので、胸の前で腕をX印に造った。列車が出ると私は一人。そこへ工事の車がやってきて5人の作業員が降りてきて、工具を担いでループを歩いて上がっていった。ホームの端のその先まで歩いてゆくと崖になっていて人吉の街が見下ろせた。反対側の引き上げ線を歩いてゆくとレールは錆が目立ちやがて熱く積もった落ち葉の中にきえていった。使われなくなった給水塔は中に入ることが出来る。駅舎の中は壁一面に名詞が貼ってあった。外国のものがたくさんあった。小学生は胸の名札を張っていた。一陣の風が吹いて何枚かの名刺が床に散った。
2023.12.29
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橋本忍映画祭。幻の湖。PERFECT DAYS。永井荷風。「砂の器」や黒澤明との共同脚本(七人の侍・生きるなど)で大いに期待してシネヌーボーの「橋本忍映画祭2024」を見に行った。「幻の湖」は話がバラバラで、400年前のエピソードに北大路欣也関根恵子、星野知子、大滝秀治など有名な人を配置し、本編は地味な俳優ばかり。変なキャスティングでした。ウイキペディアの表示も淀君役の「かたせ梨乃」もオーディションの結果選ばれたような表示になっている。どうなんだろう。主役の南条玲子はランニング指導を受けて4500キロ走ったとか。一桁違うのではないか。ヘルシンキオリンピックで、5000m。10000m。マラソンで金を獲得したザトペックでもこんなに走っていない。しかもカラー映画だが赤以外ほとんど色が褪せてしまい、目が痛くなった。「七つの弾丸」もアメリカ映画でよく見るような4つの人物のエピソードを順に描写して行く。交番の巡査、銀行の出納係、タクシー運転手、もう殺されるのが予定されているのが丸わかり。でこの時点で興味がなくなった。エピローグで伊藤雄之助の妻役の「菅井きん」の顔はテレビ必殺仕事人の時と全く変わらず。「PERFECT DAYS」主人公平山の生活。ここに来るまでの背景は語られないが、その生活はうらやましく思った。居酒屋の女将の石川さゆりがテレビの歌番組で見るのと違い、とても歳に見えた。これが本当の姿だろう。津軽海峡から浅草へ、年月は流れる。平山の妹が現れて一時抱き合うが、日本人はこんなことはしない。中村光夫の「評論永井荷風」の中で晩年の荷風の家に何度も訪れた時の印象を語っている。荷風の姿が平山の姿と重なってしまった。
2024.01.17
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奈良の節分。元興寺極楽防。東大寺二月堂。朝の5時に目が覚めたので奈良公園の鹿寄せに間に合うように家を出た。飛火野に着いたのは9時30分頃、45分には鹿愛護会の人がやってきた。その周りには50頭くらいの鹿が集まっていた。「鹿も、今日は鹿寄せが有るのを知っているのか」と聞いてみた。人が集まるので鹿も集まるのではとの答え。鹿せんべいを売るおばちゃんも出現。10時丁度にホルンが鳴ったが、やってきたのはわずかだった。そこで籠に入った団栗を巻きながら歩き出した。以前見た時は野菜の細かなものを、芝生の上を一列に撒いていたが、手間がかかるのと鹿が味を覚えて畑を荒らすのを予防するためだとか。そういえば飛火野の端の方に、短い角の鹿が20頭ほど一つのゲージの中に纏められていたが、それが畑を荒らした鹿だとか。一斉に私の方を羨ましそうに見つめていた。鹿愛護会にカンパをしたら小さなシールをくれた。公園の中を行くと鷺池が干しあがっていた。池底の泥を浚えているとか。池が意外と浅いのにびっくりした。「馬の目」の前を通ったら商売っ気が全くない。いつ開店かスマホで調べると11時30分からで、これでは元興寺の行事に間に合わないので他の方法を考える。餅飯殿の入口のうどん屋には行列が戻っていた。コロナの最中に入ったがあの頃は空いていてよかった。向かいのファミマで節分の巻寿司を買い猿沢池のベンチでかぶりつく。元興寺はすごい人出。境内には火渡の準備で囲いがあちこちにできていた。12時少し前に本堂に入り僧侶の到着を待った。内陣に7人の僧侶が入り、読経が始まった。時に立ち上がったり、礼拝したり忙しい。住職はかなりの年齢で、立ったり床で礼拝するのがしんどそうだ。途中で散華(長さ15センチ)が行われた。床に落ちたのを一つ拾い、僧が退場してから柱に当たって内陣にあったのも頂きました。まだ読経が続いているのに12時45分ごろ境内で法螺貝の音が聞こえた。1時に読経が終わり境内に降りるとカメラマンが垣を造っていた。四方に弓を放ち、住職が大きな紙の文章を読んでいたが声が弱弱しい。やがて火がつけられ杉の枝が朦々と煙を上げた。煙が落ち着くと護摩が投げ入れられた。あらかた燃えたら、燃えカスをまとめて、その上に太い丸太(杉の葉の山の土台)の少し燃えたのを組み合わせ、その上を500円払った人が歩いて渡った。長さは2メートル足らず。次の行事まで時間が有り、餅飯殿商店街のピノキオに入ると客がいない。ゆっくり吉村昭の「敵討」を読む。その間数組の客があった。いつも客であふれているのにどうしてかと思った。店を出て猿沢池遊歩道から絵屋橋跡を南に下ると3軒もの新しい喫茶店が出来ていた。東大寺の南の交差点に来るとすごい人出。鹿もウロウロ、石の上に落ちた糞の匂いがきついが、南大門に近づくと、なくなっている。役所浩司が掃除に来たのだろうか。二月堂の「星まつり」を見ようと坂を登った。外国人がうじゃうじゃ。曇り空でなかなか暗くならない。18時に内陣に数人の僧侶が入ってきて、中央の一人がなにかやっている、仏具の触れる音が時々聞こえてくるが何が行われているのか全く分からず。最後に全員で般若心経を唱えて終わり。「まつり」の名前は不当表示だ。
2024.02.05
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半壊メザシ顔の農水大臣が、米価下支えに動き出した。59万とんをすいあげる。予想道理の動きだが、こいつの顔を見ると、困っている農家のことを考えても腹が立つ。去年の米価暴騰の時、市場に任せると無責任な発言をして、今回は下支え。こいつを任命した、死にかけのイワシ顔の、奈良のバカ女、なぜこんな阿呆の支持率が下がらないんだ。皇室典範改悪も何も考えないで、二人ともはったおすぞ。
2026.09.08
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廃線と終着駅の旅。2。標津線。宗谷本線稚内。何十年か以前、根室の帰りに標津線に乗った。厚床から根室標津へ向かい、次の日釧網本線に出た。現在のように鉄道完乗を目指すわけでなく、雪の中の景色を楽しんだ。根室標津駅も何も覚えていない。只、海から30センチほど離れた食堂で、ラーメンやうどんのメニューが並ぶ中ホタテ刺身があった。新鮮で安くてとても旨かった事だけが記憶に残っている。ユースホステルに泊まり、翌朝トドワラへ写真を撮りに行った。十数年前、北の果て宗谷本線稚内に着いた。駅はホームに線路は一本。駅舎も粗末だった。線路の先に道路工事などでよく見かける鉄のパイプを組み合わせた仕切りがあった。ところが先日テレビで見ると、商店なども入った新しい駅舎に変わっていた。線路はそのままだった。駅前は空き地が目立ったがANAのホテルがあった。その先に防波堤ドームがあった。今グーグルの地図を見ていると色んなものが出来ていた。私が泊まった駅前の旅館(あるいは民宿)は入り口にバーのようなものがあった。浴室は狭い、しかもその前の板の間の一部が腐っていた。夕食は「タコしゃぶ」だった。タコは好きではないのだが、こいつは初めての経験で旨かった。
2023.09.28
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廃線と終着駅の旅。5。札幌市電。函館本線。現在の札幌市電は環状運転になっているが昔はCの字運転の頃に初めて乗った。その時の終点は「西4丁目」と「すすきの」だった。通りを北に向かって歩いていたら西4丁目の交差点で市電の駅を発見した。「すすきの」から乗るつもりでいたので、大急ぎで南に向かった。どうして停留所を見逃したのだろうか。すすきの交差点へ戻ると横断歩道のすぐ横にあった。現在の運転になってから夜に乗って一周した。路面電車の復活が世界で進んでいる。日本でも宇都宮での路線が新しく出来た。又乗りに行くべき線が増えた。函館本線は北海道新幹線が出来ると小樽-長万部間は廃止になる公算が大きい。この区間は二度乗った。一度目は2012年9月。二度目は2023年1月。一度目は途中の駅の比羅夫駅の駅舎が民宿になっていてそこに泊まった。ホームの端から10メートルで玄関になっている。夕食はホームの端でバーベキュー。ビールを頼むと350ml。発泡酒は500mlが共に250円でした。白い大きな蛾が何匹も飛び回っていた。翌朝、白い蛾が何十匹とホームや、民宿の土間に死んでいた。始発を待つ間に近くを散歩したら軽四のトラックが有り運転席に手書きの「売り」のカードが置いてあった。どれだけの人がこの「売り」を目にするだろうかと他人事ながら気になった。小樽駅から坂を下ってゆくと線路が横たわっていた。これが旧手宮駅に通じる線路で、これを辿ってみようと今年の1月に坂道を下った。ところが表示を見つけたが雪捨て場になっていた。隣に細い踏み跡があった。ここを歩いた。途中雪掻きをしている人に道を聞きながら歩いた。旧手宮駅は博物館になっているのでそこへ向かった。
2023.10.01
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廃線と終着駅の旅。7。津軽線蟹田駅。三厩駅北海道新幹線が出来る前は、津軽海峡を超えるのに、特急券なしに木古内―蟹田間を乗れる特典があり、これを利用して海底トンネルを通過した。次の蟹田駅で下車した。駅前の「ウエル蟹」という建物で食事をした。水槽に一匹の背中に苔を生やした小さな蟹がいて、ママゴト用の家具が配置されていた。蟹田から津軽線で三厩に着き、バスで竜飛岬に向かう。小さなバスは好きな場所で泊まってくれる。国道339号をどん詰まりまで行き、Uターンして 岬の頂上まで向かう。青函トンネル記念館は閉鎖中で、残雪は少ないが荒涼とした景色が広がる。強い風が吹いてくると歩けないくらいだ。石川さゆりの津軽海峡冬景色の碑の前に立つと、突然風の音を破る大きな歌が聞こえてきた。有名な国道階段は積雪のために鎖で閉鎖されていた。
2023.10.03
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コキア万博公園のコキア 先日万博公園に出かけたら緑が鮮やかなコキアを見たので紅葉していないかと、撮影に出かけた。しかしまだ少し早かった。代わりにミューレンベルギアカピラリス(ピンクミューリー)がピンクの花を咲かせていた。コスモスも満開でそれなりに楽しかった。老人と、小さな子供を連れた夫婦、他には幼稚園と小学校の遠足の人出で大賑わい。服装は夏と秋が混じっていた。半袖で行くと時々涼しく感じたがまだ暑い。東の広場ではNEXTFoodFes2023をやっていた。宇宙食、昆虫食など珍しい屋台が出ていた。
2023.10.06
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廃線と終着駅の旅。21。烏山線。吾妻線。宇都宮駅から列車に乗り、宝積寺駅から烏山線に入る。烏山線に入ると架線が消えているのでディーゼル車だと思った。終点烏山駅に着くとホームに充電ゾーンと描かれている。運転手に訊くとこの車輛は充電式で、運転手が指さすところにホームの長さだけの架線が有り、車止めの先には充電設備があった。駅の外に出ると転轍器と腕木式信号が飾ってあった。帰りに車両内をよく見ると電気の表示があった。吾妻線は草津や万座などの有名温泉の乗換駅に着くと、次々下車して行き、かつての終着駅の万座鹿沢口を過ぎるとガラガラになった。ダイヤを見るとほとんどの列車が万座鹿沢口で止まっている。何のためにここまで延長したのか。一日4本のダイヤ。完全な政治駅。終点の大前駅に下車したのは十数人。一面一線の駅で、ホームの中央に汲み取り式のトイレが有るだけ。数人は出迎えの車に乗っていったが残りは何もすることがない。周りに何もない。若い男性がトイレに入ろうとしたがあまりに臭いので列車の中のトイレに入った。
2023.10.17
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廃線と終着駅の旅。24。上毛電気鉄道・西桐生・中央前橋。上信電鉄。JR桐生駅から北に少し離れたところに単独駅で1928年の開業で登録有形文化財に指定されている。駅舎の中は色々なパンフレットであふれていた。中でも町の観光大使の篠原涼子の半身写真で飾られたのは斬新でした。2両連結の一輌は自転車が持ち込める。ここには8台の自転車が入っていたが、私の乗った車輌の乗客は2名だけ。赤城駅では隣に東武鉄道の特急が停まっていた。もう一方の終着駅の前橋中央駅はガラス張りのモダンな建物で、両毛線の前橋駅へはバスで連絡している。東京へは赤城から連絡しているが、中途半端な路線というのは否めない。JR高崎駅から出ている上信電鉄は、大昔、妙義山に登った時に全線乗っているのだが、何も覚えていない。今年の11月に再訪の予定をしているが果たして。
2023.10.20
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廃線と終着駅の旅。27。上越新幹線・ガーラ湯沢。ブログのこのシリーズは無くなった路線や駅の思い出、無くなりそうな路線や駅を書いてゆくつもりだった。その点ガーラ湯沢駅はスキーブームが急に無くならない限り100%無くなりそうにない。しかし新幹線では季節営業の唯一の駅なので取り上げた。JTB時刻表でも夏は地図から駅名が消えてしまう。上越新幹線の越後湯沢駅を降りて、駅員にタクシー乗り場を聞いたらバスがあるとの事。しかし乗り場が分らない。探し回って見つけたが肝心の時刻が分らない。諦めてタクシーに乗った。タクシーは数分でガーラ湯沢駅に着いた。大きなスキー場の施設の片隅に新幹線の駅がくっついている。建物のほとんどは貸スキー屋とか売店で占められ、駅は小さくなっている。ホームは一面、線路は二本。隣の側線には除雪関連の車両が停まっていた。その日は東京行きが8本の列車があった。駅を出ると上越新幹線の下にもぐり、越後湯沢駅の直前で同じ平面に出てホームに入った。
2023.10.23
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廃線と終着駅の旅。31。立山砂防工事専用軌道。610ミリの軌道を少し登ると、立山砂防博物館と専用軌道の車輛基地の全貌が見えた。まるで鉄道模型のような風景だった。その後はひたすらスイッチバックを繰り返し、多い所では眼下に一度に5段の線路が見えた。野生の猿も何匹もすぐ近くを往来する。スイッチバックを繰り返し、高度は上がっているのだが川床も急角度でセリ上がってくるので、高度感が湧かない。終点には数本の側線が有り大きな建物があった。そこから砂防関連の施設の見学に出かけたが、新幹線が複線で上下二段も走れそうな巨大なトンネルの中の崩落防止のための留め金(?)。幅は狭いが高低差のあるダム。普通の人間には想像できない巨大な人工物。足湯に入れるとの事だったが、数日前の大雨の後、掃除をして湯を抜いていたそこで反対方向からバスで来た人たちと交代しバスで出発点に帰った。
2023.10.27
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廃線と終着駅の旅。40。大井川鉄道・奥大井湖上駅・接阻峡温泉駅。終点井川駅は3回乗り降りしている。いずれも南アルプスの赤石岳の行き帰りだった。山のことは鮮明に覚えているが井川駅はどんな様子だったか記憶はあいまいだ。四度目に大井川鉄道に乗ったのは嘗てのルートがダム湖に水没し新しいアプト式のルートになったので乗りに行った。JR金谷駅に入ってきたのは元南海電鉄の車輛で次の新金谷駅ですれ違ったのは近鉄特急(すずめばち)と豪華なすれ違い。家並みが途切れたら見事に茶畑ばかり。途中日本一短いと称するトンネルをくぐる。途中の千頭駅で列車を降り、横にある小さな車両に乗り換える。ゲージは同じだがトンネルなどの規格が違うので車両が小さい。しかも非電化。やがて新しい線路に入り、「アプトいちしろ駅」で大きな機関車を後ろに着けてアプト区間の日本一の急坂を登ってゆく。前方にはダムの全容が現れる。登りきったところが「長島ダム駅」で、機関車を切り離す。暫く行くと、「奥大井湖上駅」に着き、降りて湖上を渡り、坂を登り高い所から駅を見下ろし、歩いて次の接阻峡温泉駅に向かう。ここの温船に脚を踏み入れた途端そのヌルッとした感触に驚いた。まるで葛湯に浸かっているようだった。大きな鶏のから揚げ定食を食べ、山の陰の薄暗い駅に戻ると三人がバラバラで弁当を食っていた。ツアーがあったのでしょう。温泉駅から井川駅までは三度乗っているので、上りに乗り奥大井湖上駅に着いて、大井川鉄道の全線乗車も完成した。
2023.11.06
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廃線と終着駅の旅。51。紀州鉄道・西御坊駅。初めて紀州鉄道に乗った時、御坊駅で写真を撮っていると発車しそうになり、大慌てで飛び乗った。運転手は腰近くまでまっすぐな髪の毛を伸ばしていた若い男だった。乗客は5人で途中から乗る人もなく3人が終点の西御坊に降りた。西御坊駅の駅舎はとても古く、味のある建物で少し歪んでいた。壁には色んなポスターで埋まっていた。福井鉄道田原町駅と双璧の駅舎だった。しかし先日にも書いたように田原町駅は改築されてしまった。駅から線路伝いに、かつての終点日高川駅に向かって歩いた。途中レールとレールの間に土を盛り、花を植えている人がいた。日高川駅跡は少し広い空き地で、数本の線路の跡を思わせた。前方は日高川の高い堤防に突き当たっていた。二度目は23年の四月に乗った。西御坊駅は以前の姿で建っていたが、壁のポスターなどはかなり減って少しすっきりしていた。もう一度日高川まで歩こうとしたが、建物が増えて辿れなかった。横を走る道路は車が盛んに通っていて、電車の存在意義はない。この会社が存続しているのは、鉄道会社の不動産部門というイメージで営業しようという魂胆で不動産会社が買収したもので、社名も変更した。本社は東京にある。
2023.11.17
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寄居駅世界遺産富岡製糸場全国鉄道完全乗車へ一歩前進。4。上信電鉄。世界遺産富岡製糸場。 11時7分、秩父鉄道寄居駅で下車した。向かい側のホームからSLが発車した。写真を撮ろうとしたが汽車は出てゆき、石炭の匂いだけが長く残った。次に八高線の時刻を調べたら12時14分。「えー」と声が出てしまった。ちなみに一台前は10時4分。他の時間はほぼ一時間に一本はあるのに。東武のホームを見ると短編成の春に見た電車が停まっていた。寄居駅は秩父鉄道、JR、東武鉄道の三つの駅が有り、すべてをまたぐ陸橋が有り、その中ほどに何処の駅員か分からないが事務所が有り、その前から道が分かれ、その先が三方向に別れてそれぞれのホームに続いている。駅の南側の広場に「ヨッテコ」という市の観光施設が有り、そこで弁当の旗があったので聞いてみると「これしかありません」と言われたのが稲荷寿司。それを室内のテーブルで食べる。通常の2倍の大きさの甘い稲荷が3個と、巻寿司2切れ。上信電鉄には半世紀以上前に妙義山登山の折に乗っている。それで今回は富岡製糸場だけに焦点を絞った。ここはずっと以前から見てみたいと思っていた場所だったが、世界遺産に指定されてしまった。他にも長崎の軍艦島、さらに潜伏キリシタンの教会群もでかけようと思っていた矢先に世界遺産に指定された。おかげで交通は便利になったが観光客は激増。高崎から上信電鉄に乗り上州富岡駅へ。そこからタクシーに乗り門前へ。外観は少しくたびれたようだが、内部は梁などものすごくきれいに残されていた。1987年まで現役の工場として動いていたとかでその後の維持の努力は称賛に値する。無料のバスで駅に戻り高崎へ。JRで赤羽に戻り、赤羽岩渕まで歩き、埼玉高速鉄道で浦和御園駅へ。暗くなっていて何も見えない。見るものもない。そこから引き返し直通する地下鉄南北線で飯田橋駅に。地下から上がるとユースホステルの入るビルに入り18階へ。受付の太った男の声が小さいので、もっと大きな声でというと一瞬声が大きくなった。
2023.11.25
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全国鉄道完全乗車へ一歩前進。6。地下鉄一日乗車券2。荷風旧居。鴎外記念館を出ると道案内が有り、根津神社500Mとあったので静かな住宅街を歩いた。途中二人に道を尋ねてたどり着いた。根津神社は戦災を受けなかったので江戸時代の建物が残っている。稲荷社にはたくさんの鳥居が奉納されていた。幅が狭いので対向する人があるたびに列外に出た。神社を出て根津駅まで歩き、千代田線の新御茶ノ水から小川町に乗り換え新宿線で終点本八幡駅へ。すっかり暗くなった道路を京成の北側に出る。永井荷風旧居は前回訪れた時は大工が入っていたが、その跡は更地になっていた。すぐに電車に乗り、終点新宿へ。人の少ない階段を地上に出ると高層ビルが見えるのでそちらへ歩いてゆく。すると次第に寂しくなってくるので道を聞こうとすると若い男は無視していきやがった。少し年配の人に訊くと果たして反対に歩いていたのでUターンして高層ビルに向かうと、思わず都庁に出た。一部が装飾のネオンが付いていた。その前を外国人女性が一人、又二人と歩いていた。三井ビルの中のロイヤルホストで夕食を摂る。従業員が少ないのか色々な服装の人が接客に出ていた。さらに歩いて新宿西口にでて地下鉄の五反田に向かう。元気なころなら五反田から先の終点西馬込まで往復するのだが、疲れてホテルへ向かった。
2023.11.27
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全国鉄道完全乗車へ一歩前進。7。東急。一日の行程は、五反田―旗の台―大井町―二子玉川―中央林間―長津田―こどものくに―長津田-渋谷 田園都市線から東横線へ―横浜-日吉―新横浜-目黒―大岡山―多摩川―蒲田。ホテルを出てビルの4階に登り五反田駅で「東横線ワンデーパス」を買い出発。東急の路線は駅と駅の間がとても短く、走っているより停まっている時間の方が多いのではないか。周りは住宅が切れ目なく続き退屈。旗の台と大井町の間で線路の間に草が生えているところが二か所あった。大手私鉄では珍しい光景だった。中央林間は地下駅で、駅の外に出ると東急と小田急のビルに挟まれ窮屈な感じがした。長津田駅では橋上の駅舎に改札が有りそこを出て「こどものくに」線に乗り換える。7番ホームは出入りが自由にできる。やってきた電車は大きな動物が全面に描かれていた。乗客の大半は小さな子供だった。次の恩田駅には工場がある。渋谷に行き東横線に乗り換えて横浜駅へ。静かな階段を登って地上に出ると高速道路の下に出た。つまらないのですぐ引き返した。日吉に戻り、新横浜に向かう。新横浜駅はJRと離れていて、陸橋を歩いてJRのビルに入り、行列のスタバを横目に神戸屋で昼食。うまい具合に目黒に向かう電車が来たので乗り込み、目黒でUターンして今日三度目の多摩川駅へ、そこから多摩川線に乗る。この線の駅は何処も古く、ホームドアがない。蒲田駅に着きこれで世田谷線を除いて東急全線に乗ったことになる。鴎外記念館で買った「永井荷風と鴎外」という本、50ページ余りなのに14個の正誤表があった。東京の地下鉄の路線図で10月頃にプリントアウトした地図には「虎ノ門ヒルズ」駅があったが、旅行から帰ってきた11月22日にプリントアウトした地図には消えていた。今ウイキペディアで調べると駅はあるみたいだが、どうなってるのか。インターネットの中に数々の誤った情報が溢れている。グーグル地図では「ふじさわ」という男と電話でやりあったら、勝手に休業中にしやがって訂正に手間をかけやがった。そのことをこのブログで何度も指摘したが、なしのつぶて。同業の箕面市の古書店は、古い店舗と新しい店舗二か所が掲載されて、電話番号も同じものだった。カーナビでは豊橋市と千葉市へ買取に出かけたら、どちらも数十メートル離れたところで「目的地に到着しました」でガイドが終わり、特に千葉市では東名高速道路で事故の為4時間ほど到着が遅れて、お客さんの家を探すのに夜の9時すぎでさらに1時間近くウロウロした。旅行中夜に宿を探すとき地図が見にくい。アップルのスマホで札幌の狸小路で店を探していたら、現在位置の表示が、蝶々のように画面の中を動き回り遠くに行ってしまった。
2023.11.28
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廃線と終着駅の旅。58。阪堺電鉄、住吉公園駅。浜寺駅前停留所。嘗て阪堺電鉄の一日乗車券で全線乗車を目指したが、ダイヤの関係で住吉公園駅への短かい区間は乗り残したので、改めて天王寺駅前駅から住吉公園駅まで一日4便しかない電車に乗った。恵美須町からの上町線と住吉駅で合流し、私以外の全ての乗客が下車した。そこから100メートルほどの区間を走って住吉公園駅に着いた。ここは南海本線の住吉公園駅(現在は住吉大社駅)のすぐそばにある。ホームにはコンクリート製の水槽が有り、金魚が泳いでいた。目的は果たしたので折り返しに乗り住吉駅で降りて住吉大社に向かった。南海本線の浜寺公園駅は辰野金吾の設計で有名だ。一昨年だったか訪れた時、駅の高架化の為少し移動させられ、内部が喫茶店になっていた。そこから海岸に向かって暫く歩くと阪堺電鉄の浜寺駅前停留所になっていて、小さな木造駅舎がある。目の前は大きな公園で、その先には工場の大きな設備が見えて、少し興ざめ。
2023.12.03
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廃線と終着駅の旅。59。福知山線旧線跡ハイキング。10月に登山に終止符をうったが、血糖値を下げるため何か運動をと思い、長年歩きたかった福知山線旧線跡を歩くことにした。生瀬駅を降りたのは20人ばかりのハイカーで、拡幅工事中の道路を歩き、コースの案内の看板を見つけて坂を下り、「事故の責任を負いません」との看板を見てコースに入る。この看板は至る所で目に付いた。紅葉は終わり汚れた落ち葉の上を歩いた。その下にはたくさん枕木が残っていた。五つのトンネルと幾つかの橋を超えた。橋はどれも歩行者用に架け替えられていたが、第二武庫川橋梁だけは昔の姿をとどめていた。他にも保線の人たちが退避するための川側の出っ張りが幾つかあった。五つ目の長尾山第三トンネルを抜けると建物が見えた。食堂で「猪カレー」を食べた。飯の量が多かった。そこから川沿いの道を歩いて武田尾駅に着いた。駅のホームのほとんどがトンネルの中にあった。
2023.12.03
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廃線と終着駅の旅。61。阪急電鉄、旧天六駅・十三駅7号線ホーム天神橋筋六丁目駅、略して天六駅はかつては7階建てのレンガ色のビルの二階がホームだった。千里線北千里行きと京都線の高槻行の普通列車だけが発着していた。一度阪急淡路駅から、現在おおさか東線になっている淀川橋梁がまだ貨物だけの単線だったころ、横にある歩道を歩き新淀川の左岸を下り毛馬閘門より天六駅まで歩いた。その時はもう駅は地下にもぐり、大阪地下鉄の堺筋線と相互乗り入れをしていた。残ったホーム跡へは急な坂を登ってみると、スーパーの荷捌き場になっていた。十三駅は現在6号線までしかないが昔は7号線があった。そこは京都線の梅田行きホームが拡張されたので、とても広くなっている。一度だけ京都河原町行に乗ったことがあった。どうってことないのだが、家に帰るのにわざわざ二度乗り換えた。
2023.12.05
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廃線と終着駅の旅。62。旧阪急梅田駅。私の知っている旧阪急梅田駅は9面8線の駅で、現在の百貨店に囲まれたコンコース部分の2倍以上の広さだった。主に利用した1号線のホームの先の方は、一部は国鉄の橋脚に阻まれてとても狭く、幅は1メートルほどしかなかった。ここに京都河原町行特急と北千里行の各駅停車が交互に発着していた。昔のコンコースは百貨店の一階部分が当てられ、重厚な柱と柱の間に改札口が有り駅員が鋏で切符を切っていた。東の端には伊東忠太がデザインしたモザイク画が飾られていた。私も絵の存在は知っていたが、新店舗に変わるときの新聞記事で伊東忠太の作であることを初めて知った。建て替えられた新しい百貨店の13階の食堂の壁に復元された。まだ確認はしていないが。
2023.12.06
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廃線と終着駅の旅。83。久大本線・豊後森駅。国鉄高千穂線。豊後森駅に降りてホームから使われなくなった扇形車庫が見えた。外に出ると、小さな道しるべが続いていた。車庫の周りはレールが剥がされて公園になっていた。建物は残っているが、ガラス窓などはまともなものが無く、ほとんど割られている。「SL・29612」が展示されていて、転車台は柵で囲まれていた。もうちょっときれいに整備できないのだろうか。高千穂線に乗ったのは大昔、日本一高い高千穂橋梁も現在のように減速したり臨時停車したりすることもなく通過したが、元のスピードがそんなに出ていないので、川を覗き込んだ。現在は「高千穂あまてらす鉄道」が観光用のスーパーカートを運行しているが少し乗ってみたい気持ちが湧いてきた。
2023.12.26
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