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http://www.kunaicho.go.jp/皇室報道、宮内庁がHPに反論コーナー 宮内庁は27日、最近の週刊誌の皇室記事に誤報が多いとして、ホームページに「皇室関連報道に対する宮内庁の見解」と題したページを新設した。 見解は、誤報が事実として社会に受け止められる恐れがあり、「あまりにも事実と異なる報道がなされた場合は、必要に応じて事実関係を指摘する」としている。 具体例として、今週発売された女性週刊誌の記事を取り上げ、発行元の出版社に抗議したことを明らかにした。 皇室報道を巡っては、天皇陛下が今月23日の誕生日を前にした記者会見で、一部報道に対し「意図したところと全く違っています」と不信感を示されている。 (読売新聞) 12月27日20時25分配信 ☆大衆は「対立」や「反目」のようなデマを好み、すぐに信用してしまう。 思いやりの心をもっている日本人は少ないので、時代に対応したのだ。 こんなものはつくるべきではなかったが、つくった以上は単に報道機関に間違いを知らせる従来の方法ではなく、全国民に知らせる方法をとるべきで、それでこうなったのだ。 皇室の安泰を祈るのみである。
2007.12.27
□タイのマザーテレサ、京田辺の小学校を訪問 「タイのマザー・テレサ」といわれる社会福祉活動家のプラティープ・ウンソンタム・秦さん(55)が、京都府京田辺市大住上西野の市立松井ケ丘小学校を訪れ、タイのスラム街の現状を紹介しながら、教育とボランティア精神の大切さを訴えた。 プラティープさんは路上で食べ物を売り歩く貧しさのなかで子供時代を過ごした経験から、家庭に問題を抱える子供を預かる「スラムチャイルドケアー財団」などを創設。 傑出した若者に贈られる「ロックフェラー賞」を受賞し、タイの上院議員も務めた。 同校の松尾幸子教諭がプラティープさんと親交があり、同校が講師として依頼し、訪問が実現した。 プラティープさんは「こんにちは」と6年生約130人に日本語で話しかけ、夫で社会福祉活動家の秦辰也さんの通訳を通して、タイの教育の現状を伝えた。 給食費や通学費が払えず20%が小学校を卒業できず、家庭内の虐待で家出して路上生活を余儀なくされる子供もおり、現状を打破するためには、豊かな心を教育ではぐくむ必要があるとした。 続いて児童の質問に答えて「愚かさは自分を苦しめる。しっかりした知識と豊かな心、そして助け合いが大切」と強調。 「ボランティアはよりよい社会をつくる原動力になる。決して難しいことではない。心を開き、目を開き、周りをよく見てみましょう。そうすることで新たな展開が生まれる」と語った。 (産経新聞) 12月22日7時51分配信 ☆最近、クリスマスの前後にマザー・テレサに関係するイベントが多数あって、すべては参加できなかったが、強い誘いがあった二つだけ行くことにした。 そこで生前のマザーの姿と発言の映像で、いろいろな記憶がよみがえった。 マザーという女性はすごい人だけれど、全知全能ではなく、よく細かいことを間違えて笑ったりする普通のおばあさんだった。 でも人生を一つのことに捧げるということの高潔さと、偉大さを、われわれに教えていたと実感する。 われわれは偉人でもなく、何が正しいかも日々に迷う愚かさに生きている。 しかし、われわれは今、マザー・テレサという「生き方」を知ることができる。 生き方に迷うとき、そこにマザー・テレサがいるということ。 「これこそが最大の遺産だったのだな」と感じたクリスマスの一日だった。
2007.12.25
■4歳女児を自宅で殺害、母親を逮捕 23日午後7時ごろ、京都市下京区西七条南中野町、医療検査技師西村智さん(39)が帰宅したところ、長女未咲ちゃん(4)が息をしていないことに気付き119番した。 七条署員が駆け付けると、未咲ちゃんは既に死亡していた。 同署は、未咲ちゃんと自宅にいた母親の無職尚美容疑者(43)を殺人容疑で逮捕した。「長女がぐずったので、午後2時ごろ、口かのどを手で押さえた」などと供述しており、詳しい動機や死因を調べている。 調べでは、未咲ちゃんは寝室の布団の中でパジャマ姿で横たわっていた。 尚美容疑者は3、4年前からうつ病と診断され、京都市内の病院に通院していたという。 西村さんは尚美容疑者、未咲ちゃんとマンションで3人暮らし。 (共同通信)[2007年12月23日23時18分]__________________★痛ましい。 事件は白昼に起きた。暗い深夜ではない。 死の苦しみにもがく娘を、母親は目にしたはず。 それでも殺した。 母のうつ病の原因が母子関係ばかりとはいえないが、担当の精神科医は児童相談所など関係機関に、この患者の存在と容態を、初診段階で事前に通告しておくべきであった。 この母親は娘が乳幼児期にうつ傾向になったということなので、養育もきちんとせず、娘も母親との母性愛のある関係を結ぶことができず、母子ともに神経と心を病んでいった。 児童相談所から精神科医に患者の存在が通告されている場合は、母子関係が訪問調査などでチェックされ、養護施設などに児童を避難させる対策もある。 母親は通院していたから、娘を殺しても措置入院を命じられるだけで殺人罪にはならない。 だからこそ、父親だけではなく、精神の専門家たちが患者の存在を把握し、相互に情報交換して、母子関係を見守り、危機を回避する体制をつくり、「罪を犯させない」という配慮が必要なのである。 少女は虎の穴で殺されたのだ。 精神科医は最善の努力をしていたのか、実に疑わしい。 それがこうした無残な結果になったと思うと。。。。。。
2007.12.24

いいねえ☆
2007.12.23

見ているだけで楽しくなるね(笑。
2007.12.22

はい。ごちそうさま。
2007.12.21

曹操閣下から皆さんにお贈りするクリスマス・プレゼント 【ミュシカの伝説】 ぜひお楽しみください。 ■曹操閣下の音楽倉庫■ここからダウンロードできます。
2007.12.18
江戸時代後期の文豪・蜀山人こと大田南畝(1749-1823)は、下級の幕臣でもあったので、幕府の組織内に「歌学方」という役職があって、「将軍家に和歌の道を教授する」という文化的な役向きに関心を持った。 そこで彼の上司で、歴史家(故実識)でもあった旗本の瀬名貞雄に訊ねた。すると瀬名は「最初は第三代・家光公の時期に、烏丸光廣卿が二年に一度、江戸城にやってきて和歌の講義をしていた。第五代・綱吉公の時代に北村季吟(1624-1705)を正式に歌学方に抜擢し、それから役職が定められたのだ」と説明(『瀬田問答』)した。 蜀山人の北村季吟に対する関心は強まり、墓(上野池之端・正慶寺)を探して、その碑銘の和歌を懸命に解釈したり、晩年の季吟の日記(『疏儀荘記』)を古本屋で発見して、その旧跡あたりを舞台に得意の狂歌(『東豊山十五景』)を吟じた。 江戸文化に造詣が深かった近代の作家・永井荷風は目白台関口のあたりを歩きながら、その蜀山人の狂歌を引用(『日和下駄』)し、この絶好の富士見の崖が季吟の旧宅だったことを再び紹介した。 北村季吟は「松尾芭蕉の俳諧の師」として知られている。 もう一つの見方は、南畝が思慕し、荷風が回想したように、季吟が京都から江戸幕府にリクルートされ、後の江戸文化の巨大な礎石となった文化史的な事実であった。 その季吟が『源氏物語』校訂と注釈を体系化して公刊したものが『湖月抄』六十冊(1675)である。 これは『源氏物語』印刷刊行本としては画期的なもので、中国の儒教典の解説書のように、それまでバラバラだった多数の解釈本の相違点を併記列挙して、控えめに取捨選択を試みる学究的な労作であった。 国学の祖・本居宣長の源氏論の随筆『玉勝間』(1793)は、この『湖月抄』の異論点を批判的に書き直そうとしたもので、現在はそれらを含めて『増註・湖月抄』となり、『源氏物語』を現代語訳(1938-39)した与謝野晶子もその再刊本を精読したという。 北村季吟はもともと医者であり、父親は京都の粟田口で町医者として開業し、彼も青年時代は洛南の長岡藩で医家として生活していた。 代々の趣味として始めた俳諧の道で、松永貞徳の晩年の門下(1645)となり、さらに長岡に移住(1649)後、ゆかりの深い『伊勢物語』の在原業平の研究をすすめていくことで、和歌の道にも才能をあらわした。このことで師の貞徳は季吟に「古今伝授」印可を授けた。これは和歌の『古今和歌集』などの解釈論の体系をすべて伝授したという儀式的証明書で、連歌の大成者・宗祇から細川幽斎・貞徳まで継承され、その学燈の系図を記したものである。 季吟は、この本質をよく理解し、和歌の精神を俳諧にも生かせるとして『俳諧埋木』(1655)という教科書を草案、これを後には公刊(1673)し、青年時代の松尾芭蕉らに授けた。 このように文筆の世界では博覧強記の活躍をしていた季吟だが、第四代家綱に前年に完成したばかりの『湖月抄』を献上(1674)したが反応も音沙汰もなく、実生活では医業に飽き、60才で藤原定家の父・藤原俊成の旧宅と伝説のあった場所(京都市下京区松原通烏丸西入ル玉津島町)に、和歌の女神・衣通姫尊を祭る新玉津島神社が再建された折り、その社司(1683)となった。 そして京都にやってくる大名や、その有力な側近たちに、公卿たちとの交流を斡旋する手がかりとして古典教養を伝授するという親しみやすいコーチング役で次第に名を広めた。 第五代将軍・綱吉に『万葉拾穂抄』を献上(1689)するや、京都町奉行に呼び出され、幕府歌学方として江戸城に招聘されることになった。時に季吟66才。 現在の千代田区神田神保町2丁目21番地の三百坪余りに南向きで大きな池をしつらえた邸宅を構え、「近水亭」・「向南亭」と称して新玉津島社も庭内に勧請祭祀した。 その背景には、綱吉とともに京都文化を江戸に扶植しようとしていた将軍側用人(1688-)・柳沢吉保の庇護があり、季吟も吉保の出世とともに栄誉を受け、晩年はその歌論を具体化する吉保の別邸「六義園」(文京区本駒込)の理想的な造園(1702)に参画。 82才で隠居して歌学方を孫に引継ぎ、同(1705)年、目白台・関口の隠居所で亡くなった。 季吟の後、その膨大な数の弟子たちが江戸文化のスポンサーとなり、さらには一般の愛好者として庶民すみずみにまで普及する文芸開放の流れとなっていったのである。
2007.12.09

曹操閣下は新装開店した銀座のブルガリ・タワーの9階・ブルガリオテル(BVLGARI Hotel)でイタリア料理を楽しんできたのである。まずは失点から。どこの料理店でも、何か失敗はあるものだ。BVLGARIも例外ではなくて、オリーブのタネがパンの中にそのまま入っていた。しかし、これは好意的に受け止めた。というのは、ひらまつ版ポール・ボキューズのパンがあまりに粗末だったので、シェフ肝煎りの手造りパンは歓迎したいところだからだ。これも手造りパンならではの創作の魅力。おそらく銀座キムラヤの酒種あんぱんにインスピレーションを受けたのだろう。ローズマリーのフォカッチャということで、これはすばらしく美味だった。前菜の一皿は鴨肉のコンフィ。ソースは甘めなのだが、いまいちパンチにかける。シェフは日本人の食味文化をかなり懇切丁寧に気にしている人であるという感じがした。そのままズバッとイタリア流でやってもいいと思うのだが、勉強熱心なシェフは模索を忘れないもの。この人は大物になりそうである。その名はデラクィアさん。英語で「イーグル」、日本語で「大鷲」という意味である。
2007.12.08

曹操閣下は新装開店した銀座のブルガリ・タワーの9階・ブルガリオテル(BVLGARI Hotel)でイタリア料理を楽しんできたのである。パルマ・ハムに、ドーンとモッツェレラがのっている豪快な一皿。もちろん、これだけで満足なのだが。これこそがイタリア式ではあるのだが。曹操閣下としては、何か下敷きにハーブ系のソースが隠れていたらいいのに、なんて余計な期待をしてしまうのである。特にオレガノとかジェノベーゼ風の濃いソースと生ハムはすごく相性がいいのだ。今後のリクエストということで、期待をしている。ホロホロ鳥のソテーが栗やハーブを射込んだプディングの上に載っている。ソースは甘いポルト・ワイン系。これはキチンとした料理で、熱い焼き鳥と常温のプディングの取り合わせになっている。日本では、こういう場合は、やたらとバルサミコ・ソースを使うところだが、甘いワイン・ソースはなかなか楽しめた。と同時に、焼き鳥というと、どうしてもプロヴァンス風のハーブ系の味を求めてしまうので、閣下的にはやはりミントかチーズか、シェフが「こうだっ」と信じる個性的なパンチがほしいなと思ったのである。
2007.12.07

曹操閣下は新装開店した銀座のブルガリ・タワーの9階・ブルガリオテル(BVLGARI Hotel)でイタリア料理を楽しんできたのである。
2007.12.06

曹操閣下は新装開店した銀座のブルガリ・タワーの9階・ブルガリオテル(BVLGARI Hotel)でイタリア料理を楽しんできたのである。
2007.12.05

曹操閣下は新装開店した銀座のブルガリ・タワーの9階・ブルガリオテル(BVLGARI Hotel)でイタリア料理を楽しんできたのである。
2007.12.04

曹操閣下は新装開店した銀座のブルガリ・タワーの9階・ブルガリオテル(BVLGARI Hotel)でイタリア料理を楽しんできたのである。
2007.12.03

曹操閣下は新装開店した銀座のブルガリ・タワーの9階・ブルガリオテル(BVLGARI Hotel)でイタリア料理を楽しんできたのである。
2007.12.02
関西地域で最も出店数の多いという、お好み焼き屋「風月」に行ってみた。曹操閣下としては渋谷の広島焼き「じゃけん」がなじみだ。検索して見ると、広島出身のモデル、相沢紗世も「東京一、おいしい広島焼きが食べられる」と断言している。結論からいうと、「風月」と「じゃけん」の比較は、まったく無意味だ。「風月」はバイトがお好み焼きを焼く考えだが、これでは味にばらつきが出てしまう。「風月」のウリは玉子麺の焼きソバの太麺だが、これは広島焼きのウドンには負ける。もう一つ、「風月」は関西焼きなど、お好み焼きをカップで持ってくる。経営的には、具が量的に制限されるのでいい判断だが、結局はお好み焼きのスケールが小さくなってしまうのだ。もうかった企業が、さらなるサービス向上ということではなく、経営規模の拡大を志向すると、だいたい味が落ちるということは明白な事実。下手な広島焼きの店に行くよりは、関西焼きの上にオムそばを乗っけて食べたほうがいいだろう。しかし、渋谷の「じゃけん」はすばらしい。もう「風月」なんか行く必要はない。
2007.12.01
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