浅きを去って深きに就く

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

January 20, 2016
XML
カテゴリ: 抜き書き
コンプレックスの共有による集団構造という現象もある。たとえば、劣等感コンプレックスの強いものばかりが集まったとき、それを暗黙の共有物とし、次に多数の力をたのんで虚勢をはり、劣等感に対する反動形式によって自らを守ろうとする。いわゆる不良少年などである。

この場合も、集団の結束力は非常に強い。つまり、この集団外へ出ると、それは個人として自分自身のコンプレックスと対決しなければならないからである。それは余りにも恐ろしいことだ。このような集団内に安住しているかぎり、そこは形容し難い暖かさをもった場所となる。

われわれが、いわゆる不良少年の集団に属している少年を治療しようとするとき、この点が非常に大きい困難点となる。彼らも心の中では、このような集団とは別れ真面目に生きようと思っている。そして、われわれの助けをかりてそれを実現しようと努力するとき、その集団の「暖かさ」から離れていく淋しさに耐えられないものが多いのである。真面目に生きようとすると、確かに賞賛してくれたり、援助してくれたりする人は現れる。しかし、そこには彼らがもとめている、あの暖かさがない。このようなとき、彼ら自身が真面目になりたいと望みつつ、前のグループに戻ってゆくのである。

コンプレックスの共有現象は不良少年のみのものではない。われわれの夫婦関係、友人関係、いろいろなグループ内の人間関係に存在している。コンプレックスの共有がその集団の成員を結ぶ最大の絆であり、コンプレックスの強度が強い程、そのような連帯感は、成員の個性を殺すものとして作用し始める。これは強いコンプレックスが、個人の自我の存在をおびやかすのと同様である。ここで、集団内の成員がこのことを意識し始め、自らそのコンプレックスと対決して、それを統合していったとき、その人は、その人は、その集団から外へ出られなくなるだろう。そのとき集団の他の成員達は、攻撃したり非難したり、あるいは、かつての「暖かい」関係を思いおこさせようとするだろう。しかし、集団に安住せず、自らコンプレックスと対決して、自らの個性を生かそうとするときは、その暖い人間関係を切らねばならないことであろう。自己実現の道は孤独な道である。


【コンプレックス】河合隼雄著/岩波新書





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  January 20, 2016 08:22:39 AM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

聖書預言@ Re:池上兄弟とその妻たちへの日蓮の教え(10/14) 神の御子イエス・キリストを信じる者は永…
背番号のないエースG @ 関東大震災 「福田村事件」に、上記の内容について記…
とりと@ Re:問われる生殖医療への応用の可否(04/03) 面白い記事なんですが、誤字が気になる。
とりと@ Re:●日本政策研究センター=伊藤哲夫の主張(03/21) いつも興味深い文献をご紹介いただき、あ…
三土明笑@ Re:間違いだらけの靖国論議(11/26) 中野先生の書評をこうして広めていただけ…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: