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January 21, 2016
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カテゴリ: 抜き書き
『論語』は「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」と説きながら、同時に、殿様は殿様、家来は家来、農民は農民といった秩序の維持を説く。

朱子学の影響が強かった徳川時代には、将軍も大名も農民も、もっと貧しい人もいることが目に見えているのに「等しからざるを憂う」といっていた。ここで名君といわれた将軍や大名が求めたのは、「ヨコの平等」ではなくて「タテの平等」である。

平等には「機会の平等」と「結果の平等」とがある。誰でも入学試験は受けられる。議員に立候補できる、自由に商売ができる、これは「機会の平等」である。

しかし、「機会の平等」を保つと合格する人と落第する人が、当選者と落選者、繁盛する会社と倒産する会社が出る。つまり結果は不平等にならざるを得ない。アメリカ独立宣言やフランス革命のスローガンとなった「自由・平等・博愛」の「平等」とは、このことである。

これに対して『論語』は「結果の平等」を説いている。そしてその「結果の平等」にも「タテの平等」と「ヨコの平等」とがある。

徳川時代は「ヨコの平等」はなかった。殿様と農民、男と女は平等ではなかったし、それを変えようという革命思想もほとんどなかった。にもかかわらず、なぜ「等しからざるを憂う」といったのか。ここでいう「等しい」とは「タテの平等」を実現することだったのだ。

ある時点での日本国民の所得や資産に大きな差がなければ、経済的な「ヨコの平等」が実現したことになる。これに対して、三十年前に足軽だった人が今も同じ足軽であり、二十年前に大学を卒業して入った同期の社員が今はみな課長になっているとすれば、その集団の中での「タテの平等」が保たれていることになる。

三十年前に殿様だった人の中から今は足軽になっている者もいる。逆に三十年前に足軽だった人で今は殿様になっている人もいる。それぞれにそうなるべき理由はあっても、これは「タテの不平等」なのだ。

『論語』の中に深く入っているのは、「タテの平等」主義だ。現在の日本も「タテの平等」主義が非常に多い。



年功序列は企業や官庁の職場社会における「タテの平等」を保つための仕組みである。同期に入社した者は、課長クラスまでみんな一緒に昇進していく。これがまさに渋沢的強調主義と表裏をなしている。そしてそれが現在の官民協調主義にまで発展したわけである。

「タテの平等」は、世の中全体を発展させない。これを維持させるのは「嫉妬の政治」である。この点に『論語』の限界があり、渋沢的強調主義の限界もある。

平成の日本が「渋沢」を超えられるか、あるいは「渋沢」を捨てられるか――—これは目下の大問題、行政改革の成否を決める重要なポイントであろう。

【日本を創った12人】堺屋太一著/PHP新書006





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Last updated  January 21, 2016 07:16:58 AM
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