浅きを去って深きに就く

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

March 4, 2016
XML
カテゴリ: 文化
嶌 信彦

中央アジアのウズベキスタン共和国。シルクロードの栄華を残す世界遺産も数多い同国の首都タシケント市の中心部に、オペラハウス「ナボイ劇場」があります。総床面積1万5000平方メートル。1400席を有する3階建て(地下1階)、れんが造りのビザンチン風オペラハウスです。

劇場が完成したのが旧ソ連時代の1947年(昭和22年)10月。モスクワ、レニングラード(旧サンクトペテルブルグ)、キエフと並ぶ四大劇場の一つとしてナボイ劇場の名前は知っていても、その建設の中心に457人の手に職をもった日本人工兵捕虜が従事したことを知る方は少ないのはないでしょうか。

それから20年後の66年(同41年)4月、約8万棟の家屋が倒壊するなどタシケント市街を壊滅状態にした大地震の際、ナボイ劇場は外壁が落ちることもなく無傷で立ち、市民の避難場所となりました。この事実がウズベキスタンはじめ中央アジアの人々の心を大きく動かし、今日まで続く親日感情を築く基礎にもなったのです。



第2次世界大戦後、旧満州(中国東北部)などでソ連の捕虜となった日本軍将兵は約60万人。シベリアや中央アジアなどで鉄道建設、石炭・石油の採掘、木材調達など使役労働を余儀なくされ、そのうち約3万人がウズベキスタンに移送されましたが、オペラハウス建設に従事していたのは第4収容所にいた457人の工兵たちでした。極寒の気候で、日本兵上司への弾劾、告げ口なども多くあった収容所も、たくさんあったようです。

タシケントでは、ロシア革命30年に当たる47年11月の完成を目指してオペラハウスが建設されていましたが、戦争で中止。再開された工事に現地の人々と共に従事することになったのが、陸軍航空部隊で飛行機の整備・修理などを担当していた永田行夫元大尉の部隊を中心とした457人の日本兵捕虜だったのです。

国家プロジェクトによるオペラハウスの建設工事といっても、捕虜としてやらされる仕事。手抜きすることもできたでしょう。

しかし、歴史に残るオペラハウスになる以上は日本人の誇りと意地にかけても最良のものを造りたい。後世に笑われるようなものではなく、日本人の建設したものは出来が違うといわれるものにしたい。これが永田さんたちの決心でした。


最良のものを造る。そして、全員が健康で無事に帰国する。この方針は小グループのリーダーを通じて共有され、各人が持ち場で力を尽くしたのです。


【文化】公明新聞2016.1.20

(つづく)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  March 4, 2016 07:03:52 AM
コメントを書く
[文化] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

聖書預言@ Re:池上兄弟とその妻たちへの日蓮の教え(10/14) 神の御子イエス・キリストを信じる者は永…
背番号のないエースG @ 関東大震災 「福田村事件」に、上記の内容について記…
とりと@ Re:問われる生殖医療への応用の可否(04/03) 面白い記事なんですが、誤字が気になる。
とりと@ Re:●日本政策研究センター=伊藤哲夫の主張(03/21) いつも興味深い文献をご紹介いただき、あ…
三土明笑@ Re:間違いだらけの靖国論議(11/26) 中野先生の書評をこうして広めていただけ…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: