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文芸評論家 持田 叙子
学校の先生とは、人をよく深く愛する仕事である。そして心込めて愛した人と何度も、別れるしごとでもある。
ゆえに卒業の季節に校庭に咲く桜は、教師のとってとくべつに感慨深い花になる。
民俗学者の折口信夫は、とても情熱的な教師だった。始めてつとめたのは故郷の大阪の中学校で、二十四歳のとき。国語と漢文を教え、クラスの担任にもなった。
若い折口先生はすぐ生徒の人気者になった。この先生は体面にとらわれない。ウソのない裸で自分たちとつきあってくれる。生徒は敏感に悟った。
折口信夫は生徒といっしょに散歩し、万葉集や与謝野鉄幹・晶子の歌を大声でうたい、おやつをおごった。本屋で本の選び方を伝授した。教科書を無視し、自由にたのしく教えた。
とはいえ学者になる夢は捨てられなかった。担任したクラスをぶじに卒業させ三月、すぐに辞職し、花ふぶきの中を上京した。先生を慕い、十数人の生徒が東京へ追いかけてきた。
折口は全員の世話を引き受けた。本郷の下宿を借り、生徒たちと共同生活をこころみた。かねてともに暮らし、日々の感激を分かち合うことこそ、理想の教育であると信じていたのだ。
残念ながらこの愛の学校は、経済的な理由で程なく解散する。しかし折口信夫は生涯、そうした個性的な教育を貫いた。全身全霊で生徒を愛した。
大学教授としての長い年月の中、何十回も彼は花ふぶきの下で、たいせつに育てた若者たちと別れた。彼らの幸せを祈り、手をふった。
折口信夫は、釈 迢 空の筆名をもつ歌人である。とうぜん桜の花を詠む。しかし華やかな歌はない。さみしい哀しい歌が多い。彼にとって桜は、別れの花である。
——卒業する人々に
桜の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ
【言葉の遠近法】公明新聞 2017.3.29
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