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紫式部の人物像に迫る
京都戦端科学大学教授 山本 淳子氏
今年 1 月から紫式部の生涯を描いた NHK 大河ドラマが始まりました。私は紫式部の「源氏物語」をはじめ、平安文学を専門としています。研究のきっかけは高校で国語教員をしていた時、生徒から質問が文学や歴史よりも、生活史に関することが多く「紫式部はいつ起きたのか、何を食べていたのか」などに対して満足に答えられなかったので、一度、教壇を離れて学び直すことにしたのです。
京都大学大学院の人間・環境学研究科に所属し、紫式部の私生活と内面に迫る中で、彼女は常に二つの世界観を抱いていた、ということが分かってきました。
「紫式部集」は晩年の紫式部が残した自伝的な和歌集といわれていますが、そこには、華やかな世界に生きる喜びと、それを拒絶する心の機微が表現されています。例えば、〝正月の内裏の華やかさにつけても、気持ちが落ち込んでしまうもの〟とか。彼女は幼い頃に母親を亡くし、姉や友人に先立たれた挙句、結婚 3 年で夫と死別しています。〝人生とは無常で苦しいもの〟と思い詰めた紫式部は「源氏物語」の作者として、恋をくり返す華やかな光源氏に対しても、同じようなつらい経験をさせています。
しかし、「紫式部集」の最後には、〝つらいことも承知のうえで、生きながらえていく〟という趣旨の和歌が収められており、このメッセージが、一度は仏教に救いを求めた彼女が、最終的にたどり着いた答えだったのかもしれません。
現代でいう専業主婦、キャリアウーマンを経験し、シングルマザーでもあった紫式部は、〝困難をはね返す強さ〟というより〝困難を受け入れる強さ〟を備えた彼女だったと想像しています。そんな彼女は、千年前に、「源氏物語」に自身の世界観を結晶させた。時代の人々はきっと、紫式部と自らの心を重ね合わせるようにして読み伝えてきたことでしょう。また、格式高い和歌の教科書としても重宝し、大切に伝承してきたものと思われます。
紫式部が活きた平安時代は、和歌で意思疎通を図るような「心」が重視された時代でした。当時の文化に触れることで、繊細な心を持つ私たち現代人も、よりよく生きるヒントを得られるのではないでしょうか。
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