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タコツボ化の弊害
3 11 いらいこの国は行き先の見えない混沌の中にあります。どこを見ても明るくはない。しかも、活目を開いてみると、過去にすでに体験したことがある、いわゆる既視感(デジャビュ―)、のあるものがやたらに目につきます。戦前日本にもあったリーダーたちの独善性と硬直性と不勉強と情報無視が、現在に通じているのではないか、そう思えてくるのです。
何度も反芻しますが、大本営陸海軍部は危機に際して、「今起きているは困ることは起きるはずはない。いや、ゼッタイに起きない」と独断的に判断する通弊がありました。今日の日本にも同じことがくり返されている。東日本大震災という国民の生命と健康と日々の生活にかかる一大事において、こうした通弊がそっくりそのまま出ています。とくに昔も今も共通してあるのは、エリート集団による情報の遮断と独占と知らんぷりではないでしょうか。つまりタコツボ化の弊害です。
しかも、 3 ・ 11 の場合は、総理官邸、原子力安全・保安院、それに東京電力というエリート集団の間で、意思の疎通がまったくできていませんでした。由々しきことでした。そのバラバラさは、昔の、仲間である情報課からの情報さえ入れることがなかった参謀本部作戦課そのままです。作戦課の部屋は、入口に番兵が立っていて、部外者は何人たりとも入れないことになっており、あからさまに〝聖域〟を誇っていました。東電の原発部門も聞くところによれば、作戦課のように他の部署とは全く関係なく、独歩独往した組織になっていたというじゃありませんか。
そして国民に伝えられる情報は、このバラバラの集団それぞれから発信されるものでした。それで事故発生当初は、ガセネタや風紋と事実の区別もつかず、何を信じたらいいのか、国民はふり回されるだけ。この国の危機管理体制は根本からできとらんと、しみじみと恐ろしく感じました。
現場とトップにおける情報の落差は本当にひどかった。原発の現場の人たちは、当時から、「これは深刻きわまりない一大事」という危機感に震え上がったことでしょう。それが東京の本社や艦艇に情報が上がっていく過程で、「大変だけれどなんとか大丈夫らしい」という話にねじ曲がっていたフシがある。これなどもいくつかの戦争中の具体例が否応なく思い出されてきます。それに東電の会長は海外、社長は奈良で遊山と、最初の時点でトップが焦点のところにいなかった。現場の吉田所長が「やってられねえ」と朔分ほど、中央はゴタゴタ。その危機意識はたるんだものがあったのです。
また、情報の過小評価と表裏の関係ですが、「情報の隠蔽」という重大な問題もありました。原発事故から二カ月もたってから「最初の段階でメルトダウンが起きていた」と、新事実が明らかになった。電源が喪失すれば冷却水が亡くなって、燃料棒が露出することはもう目に見えていました。燃料棒が露出すれば、メルトダウンあるいは水素爆発が起こる。世界中の専門家にとってそれは自明の理だったのです。ところが、東電も経産省も燃料棒は部分的に露出しているが、冷却され続けているとひたすら主張しとおした。真実を隠すのに一生懸命でした。
原子炉を冷やすのに、ヘリコプター、それから機動隊の放水車が行って、東京消防庁のハイパーレスキューが行って、さながら中成る等の「戦力逐次投入」そのままでした。これ以外にも、共通点を挙げたらキリがないくらいいっぱいあります。
そして、あれから一年半たっていまは、福島第一原発の処理、そして放射能やガレキとの〝戦争〟がまだ終わっていないのに、ついに責任をとるものがひとりもいないままに、何か終戦処理といったような雰囲気になっています。再興、再興の掛け声だけになってしまいます。
そしていま、強いリーダーシップが声高に求められている。
まさか、かつてのリーダーのように、組織をきちんとするよりも支配することを重視し、説得よりも服従を求め、人々を変革するよりも抑圧することに努める、そんな力のあるリーダーを日本人が求めているのではないと思いますが、とにかく今の政官財の無責任体制はほとんど昭和戦前と変わらないようです。「想定外」という言葉は、「無責任」の代名詞なのです。このことに対する根本的な反省のない限り、 3 ・ 11 以後の日本の再建はありえないと思います。
国家が危機に直面したとき、その瞬間に、危機の大きさと真の意味を知ることは容易ではないのです。しかも、人間には「損失」「不確実」「危険」をなんとか避けようとする本能というか心理があるといいます。ですから、この三つとは直面したくない、考えまいとするのが人の常です。そこで今退治なのは、この三つから逃げ出そうとせず、起きてしまった機器を、失敗を徹底的に検証して、知恵をふりしぼって、次なる危機に備え、起きた場合にはそれを乗り切るだけの研究と才覚と核ごとをきちんと身につけておくことです。そのためにも、過去の戦争のときに身をもって学んだ「死を鴻毛よりも軽し」とする考え方、根拠のない自己過信、無智蒙昧、逃避癖、底知れぬ無責任など、私たち日本人の愚劣さ、見たくない本質を正しく見つめ直すことが大切だと思うのです。
わたくしが忘れてしまいたい昔話を長々と語ったのは、あの戦争のあれほど多い犠牲者のためにも、「人間は歴史から何も学ばない」と簡単に諦めるわけにはいかないからです。今度こそ歴史から少し学んでほしい。日本人がもう一度、この眼で見た悲惨を「歴史の教訓」としてできるかどうか、問われていると思うのです。
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