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演繹法と帰納法
東京大学教授 安藤 宏
「演繹」という考え方がある。何か問題が生じた時、一般的な法則を具体的な事例に適用してみるやり方だ。これに対し「帰納」という考え方がある。まず個別の事象を集め、そこに共通する法則を導き出して解決をはかるやり方である。外側(すでにある原理)から入るか、内側(個別のご大礼)から出発するか、まさに正反対だと言ってよいだろう。
私が関わっている文学研究の世界でいうと、ある一つの作品を説明する場合、すでにある、一般的な文学理論を援用して説明していくやり方がある。大変明快でわかりやすいのだが、実は題材を説明するのに都合のよい道具を借りているだけなのではないか、という疑念を抱いてしまう。まず結論ありき、とでも言ったらよいのだろうか。
それでは帰納法、つまり個別の証拠を積み重ねていけば解決策が導き出せるのかというと、決してそのように単純なものではない。数多くの資料が集まれば自動的に結論が出てくる、などというのは夢物語に過ぎないからだ。
ここで仮に「 A は B である」という仮説を立ててみたとしよう。それを立証するためには証拠が必要になるのだが、実際に探してみると、実はその仮説に都合のよい事例と同じぐらい、都合の悪い事例も出てきてしまう。そこでさらに、都合の悪いものを取り込めるように最初の仮説を組み立ててみる。その上でまた証拠探しを始めるのだが、結局また、不都合なものが出てきてしまう。その繰り返しをするたびに、仮説が次第に鍛えられていくのである。
結論。実際にわれわれが何か問題の解決策を権が得る場合、演繹法、帰納法、いずれかに一方だけでもいけない。根気よく双方を繰り返していく地道な努力の中からしか、解決或策を導き出すことはできないのである。
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