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第23回 「メンタルヘルス」の理解のために
〝本当に犯罪の原因か?〟
西方 これまでの連載を踏まえて、今回は「こころの病気」に対する「誤解」について考え、「理解」へ変えていく機会にしたいと思います。
最初に、〝「こころの病気」は犯罪の原因になりやすいのでしょうか?〟という質問が寄せられています。
長渕 「こころの病気」であるからといって、犯罪を起こしやすいわけでは決してありません。
ニュースなどで、〝容疑者は、精神科に入院歴・通院歴がある〟等と報道されることで、〝「こころの病気」が事件の原因〟という誤解や偏見につながっていることが指摘されています。こうしたイメージが、さまざまな誤解や偏見を助長していることを、厚労省や専門家なども懸念しています。
遠藤 犯罪心理学の分野においても、こうした誤解や偏見はデータによる裏付けはないとしています。むしろ、統計的な分析では、「『こころの病気』と犯罪との関連は薄い」という結果が出ています。
近年、「こころの病気」が増えているのに対し、犯罪率が低下していることなどからも、犯罪との関連は薄いとされています。誤解や偏見に振り回されることなく、正しく理解をしていくことが、とても大切です。
〝要因は一つか?〟
西方 〝「こころの病気」は、家庭環境や親の育て方、過去のトラウマなどが要因なのでしょうか?〟という質問も寄せられています。
木内 「こころの病気」は個別性が高く、「引き起こす要因は一つではない」ということが、さまざまな検証で分かっています。要因が一つであるように見えたとしても、実際には複合的に影響をしており、一対一の因果関係だけで説明できるものではありません。
村松 「こころの病気」の要員を捉えていく視点として、バイオ=身体的(体)・サイコ=心理的(心)・ソーシャル=社会(生活)という多面的な視点はとても重要です。
治療においても、個別の状況に応じて、身体的・心理的・社会的な視点から、さまざまなアプローチが行われることで、回復に向かうケースがあります。
〝普通じゃないから?〟
西方 〝「こころの病気」は、普通じゃないから、弱いからなるのでしょうか?〟という疑問もよく聞かれます。
遠藤 人には、それぞれ個性があります。しかし、〝普通じゃないから〟〝弱いから〟という理由で、「こころの病気」になるということは決してありません。これもよくある誤解です。
西 「こころの病気」になることは、〝特別なこと〟ではありません。ふとしたことをきっかけに、私たちは心のバランスを崩すことがあります。それまで何の問題もなく生活していた方が、突然、「こころの病気」になるというケースも多くあり、誰にとっても「身近な病気」といえます。
長渕 池田先生は、このように語られています。
「『生老病死』だから、誰でも病気になる場合がある。それを上手に乗り越えていくことである。たとえ病気になっても、「変毒為薬」し、早目に治していく――信心による、懸命な〝生命の操縦〟をお願いしたい。体の具合が悪くなったら、すぐ医師に相談するなり、よく診断してもらうことである」
〝信心が弱いからか?〟
村松 〝信心が弱いから「こころの病気」になる〟と思っている方もいるかもしれませんが、そのようなことはありません。「病気になることは、決して敗北などではない。信心が弱いからでもない」と池田先生は語られています。
木内 「『三界之相』とは、生老病死なり」(新1050・全753)との御聖訓を通して、池田先生はこのようにも語られています。
「病気そのものも人生の一つの相である。病気になるから人生の敗北があるのでは断じてない。まして、『病気になったから信心がない』などと、周囲の人が決めつけるのは、あまりにも無慈悲です。病気と闘う友には、心から励ましてこそ同志愛です」
西 「安心」と「希望」の方向へ向かえるように、周囲の人も、状況に合わせた「真心の励まし」を送っていくことが大切ですね。
〝相談するのは恥ずかしい?〟
西方 〝悩みや不安を相談することは、弱い人がすること〟と思って、相談をためらう使途もいます。
遠藤 人に相談することは、弱いことでも、恥ずかしいことでもありません。むしろ勇気が必要なことではないでしょうか。
池田先生は「『相談する勇気』を持とう。一人で悩みを抱えず、相談することが大事な場合がある。相談することは恥ずかしいことではない。むしろ、その『開かれた心』が強みになる」と語られています。
長渕 戸田先生も「人生には、さまざまなことがある。ゆえに必ず、なんでも相談できる人をひとり、心に置いていくことが大事である」と語られています。一人でも信頼できる人が近くにいること、相談できる環境があることは、「人生の財産」といえますね。
西 実際、初めは抵抗があった方でも、相談したあとには、「もっと早く相談すればよかった」「話を聞いてもらってよかった」という方もたくさんいます。
村松 「こころの病気」になる時には、多くの場合、少しずつ変化や症状が現れます。これまでも紹介してきましたが、初期サインに気づいたら、医療機関や公的な相談機関など、身近な専門家に早めにつながっていくことが大切です。
本人が相談することに抵抗を感じている時などは、まず家族が相談してみることをお勧めします。
〝受診しなくても大丈夫か?〟
西方 「本人がなかなか受診してくれない」という家族からの相談もよく受けます。
木内 家族から見て、本人が以前と違う状態が続く場合は、やはり病院で受診する k 徒をお勧めします。早期に対応することで回復も良好になります。また受診してみて、特に問題が見つからなければ、それに越したことはありません。
西 「こころの病気」で受診することに抵抗があれば、たとえば、「疲れが抜けない状態がずっと続いているように見えるから心配」など、家族として思いを伝えていくことの大切ですね。特に、初めて受診する前には、家族が付き添うことをお勧めします。
村松 池田先生は、このように語られています。
「疲れたら休む。具合が悪ければ、そぐに病院へ行く。当然の道理である。病気を治すのは医学の使命であり、信心はその医学を使いこなしていく、根本の生命力を強めるのである」
長渕 「こころの病気」の治療においても、身体の病気と同じで、「早期発見・早期治療」はとても重要です。日蓮大聖人は、病と向き合う門下に繰り返し、治療を受けるよう勧められ、「早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御退治あるべし」(新1308・全986)と仰せです。
西方 〝ドクター部の精神科医にみてもらわないといけないでしょうか?〟という質問もあります。
木内 ドクター部でなくとも、精神科医の専門医であれば、適切なアドバイスや治療を受けられますので、安心して受診してください。
また、医療者には守秘義務がありますので、身の回りのことなど、さまざまな話をすることは、まったく問題はありません。それは、診断や治療の一環として必要なことです。
遠藤 「こころの病気」の受診の際のポイントや病院選びなどについては、これまでも語り合ってきましたので、ぜひご覧ください。
〝題目はたくさん必要か?〟
西方 〝題目をたくさんあげないから、「こころの病気」が治らないのでしょうか?〟という質問もよく寄せられています。
長渕 そのようなことは決してありません。「題目」について、池田先生はこう教えられています。
「もちろん、祈りは大事です。祈りを根本にすれば、医師は偉大なる諸天善神の働きをするからです。でも、疲れ切った時には、題目三昌で終わることがあってもいいんです。早期に休養を取れば、早く体力は回復します。
「夜の勤行も、帰宅が深夜になったり、疲れている場合、唱題だけとか、柔軟に考えてもいいと思う。御書に書かれているのは、一遍の題目にも大功徳があるということである。大切なのは一生涯にわたる持続であり、根本の『御本尊への信心』なのである」
村松 「病気を克服するためには、『医学』を懸命に活用することです。その『智慧』を引き出すのが仏法です」とも池田先生は語られています。そして、「医師も、薬も、友人の励ましも、すべてを『諸天善神』としていける」のが、「信心」であることを教えられています。
「仏法」と「医学」の関係性を理解しながら、「こころの病気」と向き合っていきたいと思います。
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