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山代二子塚国史跡指定100周年
—島根県立八雲立つ風土記の丘—
全国的に珍しい 出雲地域の前方後方墳
島根県の古代史といえば『出雲国風土記』に記された国引き神話、あるいは荒神谷遺跡(出雲市)や加茂岩倉遺跡(雲南市)から出土した、大量の青銅器を思い起こす人も多いだろう。だが、師赤軍のフィールドミュージアムとして活用する「島根県立八雲立つ風土記の丘」がある松江市南港では、島根が全国に誇る古墳も多く知られている。その頂点に立つのが山城二子古墳塚だ。
ふつう古墳時代の豪族の墓といえば、「前方後円墳」だが、山代二子塚は墳丘長 94 ㍍、まわりの溝も含めると復元全長 150 ㍍にもなる 6 世紀最大の「前方後円墳」である。 1924 年 12 月に国の史跡に指定され、また、翌年 4 月刊行の『島根県史』第 4 巻において、考古学史上初めて「前方後円墳」と呼ばれたことでも名高い。そして、山代二子塚の周辺には大小さまざまな前方後円墳が分布している。前方後円墳流星の時代に築かれた前方後円墳は、古墳時代社会の王道だったのか、異端だったのか——。
古墳時代史物語る出土品
獅噛環頭大刀などを展示
この秋、島根県立八雲立つ風土記の丘では、島根の前方後円墳に注目した特別展『王と前方後円墳』を開催している。展示資料数は 130 点とささやかな規模ながら、出雲で最古級の前方後円墳である雲南市松本 1 号墳( 3 世紀)から出土した鏡、邑南中山 B - 1 号墳( 4 世紀)が出土した鉄製のヨロイ、朝鮮半島からもたらされた松江市岬山古墳( 6 世紀)の獅子噛環頭大刀といった金属製品のほか、前方後円墳からの出土ではないものの、この土地の古墳時代史を物語る土器や埴輪が集う。とりわけ、 7 世紀後半以降に出雲国府が営まれた意宇川沿いには、 5 世紀の有力首長が居住していた痕跡が発見されているが、ここでは朝鮮半島からもたらされた土器が多く出土している。中海を介した対外交渉を司った在地有力首長の存在がうかがえる。そうした地理的役得の結晶であろうか、御崎山古墳や岡田山 1 号墳では、朝鮮半島や中国大陸に期限する刀が出土しており、全国的にみても屈指の集中密度を誇る。
このほかにも、山代二子塚から本格的に始まる出雲型子持壺をもちいた墓前祭祀や、 6 世紀後半の古天神古墳(県史跡)に始める出雲型石棺式石室の築造は、前方後円墳を築造した集団の異端性を説明するに十分な質と量がある。
ただし、それと同時に、被葬者の格の違いを古墳の形や大きさで表現する体制そのものは、一般的な前方後円墳の社会と同じだ。そこに、出雲東部の前方後円墳がもつ「王道」と「異端」の両側面が凝縮されているかのようだ。
もちろん正解はわからないが、「調和のなかの個性」という表現が、より実態に近いかもしれない。そうした広域の共通性と差異を捉えつつ地域の歴史を活写することこそが、地域に根差し、地域に愛される博物館が果たすべき使命なのである。
【文化】公明新聞 2024.9.28
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