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戦後80年
見極める社会のかたち
制度の根幹見つめる必要性
戦後に区切り、国の在り方議論へ
政治学者 御厨 貴さん
みくりや・たかし 1951年、東京都生まれ。東京大学卒業後、東京都立大学、政策研究大学院大学、東京大学先端科学技術研究センターなどで教授を歴任。政府の有識者会議委員も多数努める。
「戦後という捉え方に区切りをつけ、これからの時代を表す新しい言葉を創る時期に来ている」——。日本の近現代史に詳しい政治学者で東京大学名誉教授の御厨貴さんは、日本をどんな国にしていくのか、皆で真剣に考える必要性を痛感している。
失われた〝歴史顧みる痛み〟
政治家や市民の証言を記録するオーラル・ヒストリー研究の第一人者。戦後政治家のさまざまな証言を思い起こし、中曽根内閣で官房長官を務めた後藤田正晴が自衛隊の海外派遣を阻止した事例を挙げる。台湾から復員した後藤田には「二度と戦争をしたくないという強い思いがあった」と振り返り、「戦争を知らない世代が政治家になり、歴史を顧みるときの痛みのようなものが失われてしまった」と指摘する。
明治から昭和の初期まで、日本は戦争を繰り返しました。「日清戦争、日露戦争、第 1 次世界大戦、満州事変など、ほぼ 10 年おきに戦後が新しい戦後に置き換わった」。日米安保体制にも支えたれた先の大戦以後、戦火を交えずに済んでいるが、「若い世代は先の戦争実感がなく、体験者は今後も減っていく。戦後何年という時代の捉え方にそろそろ良区切りをつける時期だ」とし、世代を超えて抜本的に国の在り方を考える重要性を訴える。
複雑さを増す内外情勢も背景にある。ウクライナや中東の戦争では「むき出しの憎悪で、人権保障など普遍と思われていた価値観が揺さぶられている」。安全保障や危機管理を考える米だが、、フェイクニュースがあふれ、冷静な議論の土台が失われつつある。「戦後 80 年で到達した大変な事態」との認識を示す。
許されない課題の先送り
満州事変までの数年間は「政党内閣が曲りなりに続いた」ものの、ただ一人の元老が天皇に首相候補を進言する不安定な仕組みだった。首相の選出システムを制度化しておけば、その後の軍部の台頭はなかったかもしれない」
ひるがえって現在でも、議院内閣制をどう維持するかといった視点が欠けているという。「自民党が永続的に続くものと思われているが、機能不全を起こすこともあり得る」。安易な楽観論を戒め、社会や制度の根幹を見つめる必要性を説く。
御厨さんは、天皇の退位に関する政府の有識者会議の座長代理もつとめた。安定的な皇位継承が危ぶまれ、「このままでは皇室が途絶える可能性がある」と安倍晋三首相(当時)に伝えると、「危機が来たら日本は必ず神風が吹く」と返ってきた。「振るった答えにびっくりしたが、目に見えている課題を先延ばしにするのは許されないはず」と言い切る。
「陛下(現上皇さま)が退位され、また続くはずだった平成が終わったのも一つの変わり目になる」とみる。戦前と戦後で日本は大きく様変わりしたが、昭和天皇は相変わらず在位していた。「『昭和 100 年』で振り返るのも特別なイメージがあるから。天皇と元号が強く結びついた最後の時代になるだろう。
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深まる分断、増す不透明感——
新しい時代へ紡ぐ言葉を
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聞き手がいて語り手が生まれる
「対話」から繋がる記憶
哲学研究者 永井玲衣さん
ながい・れい 東京都生まれ。2024年、『水中の哲学者たち』で「わたくし、つまり Nobody 賞」を受賞。他の著書に『世界の適切な保存』など。
哲学研究者の永井玲衣さんは、学校や企業を舞台に、さまざまな人たちと『哲学対話』を繰り広げる。相手が当たるエピソードを「聞いて、語り継ぐ」という実戦でもある。扱うテーマは多様だが、戦争の記憶継承という試みも重要な位置を占める。
答えのない問いを中心に
「哲学対話」では、 10 人前後の参加者が車座になり、地震の考えや想いを順番に話していく。「なぜ死ぬのが怖いのか」「大人って何か」といった根源的なものから、何気ない日常の疑問まで題材は多岐にわたる。「のびのびと表現でいるよう」人が話している間はさえぎらないのがルール。学校や企業のほか、寺社、美術館などでも開催し、子どもから高齢者まであらゆる世代が参加する。
「どうしたら人とつながれるか」という問題意識を抱いて約 10 年、永井さんは『哲学対話』を地道に続けてきた。「日常のもやもやには哲学の種が埋まっていて、政治的、社会的な問題もはらんでいる。人は集まると競い合うが、答えのない問いを置くことでつながれる」地、体感をもって強調する。
対話の基本は、向き合う相手に関心を持ち、意識を集中して話を「聞く」ことだ。しかし、近年その機会が失われていると指摘する。 SNS 隆盛の現代では、断片的な情報が一方的に流れ込み、相手の意見を打ち負かそうとする人があふれる。「人の話を聞けないメディア」が、終わりのない欧州、そして分断を生む。『個人のアイコンが記号に見え、取り換えの利かない『人間』が向こう側にいることを忘れてしまう。私たちは一人の人間が生きていることを忘れずにいられるかを試されていると、危機感を口にする。
戦争の体験 継承の場も
ロシアのウクライナ侵攻を埋め、若手写真家八木咲さんと、戦争について対話をする場を設ける「せんそうってプロジェクト」を始めた。「若者は『戦争を知らないから語ってはいけない』と後ずさりするが、そうすると高齢者が減っていく名で戦争の記憶が断絶してしまう」という懸念からだ。
プロジェクトで「わたしのせんそう」と題した対話が持たれた際には、「おばかカラオケに行くたびに軍歌を歌った」といったエピソードが語られる。だれかの話をきっかけに、若い世代に何かしらの思いでに行き当たる。「戦争は日常の中にも残っており、話してみると意外なかかわりがあったと気付く。自分の言葉を発見していく時間で、『私も戦争について語っていいんだ』と言って帰る人もいる」
昨年 6 月には広島でも対話の場を開いた。「聞き手がいて、始めて語り手が生まれる」という意純粋な思いがある。語られる戦争体験談は、聞き手の中に固有の経験として残り、そこから一つの継承が始まる。そして「聞き手もまた、語り手になり得る」。伝え聞いた体験をまた確かに話すことで、記憶がつながっていくと信じている。
【戦後 80 年 見極める社会のかたち】聖教新聞 2025.1.7
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