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市に虎有り古代中国の説話「市に虎有り」。魏の忠臣・龐(ほう)葱(そう)が、人質として趙に向かう王子の随行を命じられた時のこと。自分の不在中の讒言を心配した龐葱は、王に質問する ▼「一人の者が『市場に虎が出た』と申したとして、王にはお信じになりますか」。「いや」と王。〝二人では?〟。王は「あるいはそうかも、思うだろう」。〝では三人では?〟。王は「信じるだろう」と ▼龐葱は「市場に虎が出るはずがないことは、明白です。それにもかかわらず、三人して言えば虎が出せます」と嘆く。王は真偽を見抜くと誓うが、結局は讒言にだまされ、龐葱は迫害されてしまう(近藤光男『戦国策』講談社学術文庫) ▼〝事実無根の作り話〟も、多くの人が口にすれば〝真実〟に聞こえる。日蓮大聖人は、世間を騙す嘘に対して「何れの月・何れの日・何れの夜何れの時に」(御書319㌻)と。その裏付けを鋭く問いただされた ▼新が他コロナウイルスに関して、ネットやSNSでの〝デマの拡散〟が問題となっている。煽るような言い方や電文には要注意。公的機関の発表か、科学的裏付けはあるのかなどを確かめ、くれぐれも慌てて人に伝える拙速は避けたい。「だまされない」だけでなく、結果的に人を「だまさない」よう心がけよう。 【名字の言】聖教新聞2020.4.6
January 10, 2021
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希望の未来は自分自身の一念から始まる未来に待ち構えているのは大変なことばかり。人が増えすぎて食べ物が無くなったり、怖い病気が流行ったり……。大人のそんな話を、お兄ちゃんから聞いた妹は、心配でたまらなくなってしまった ▼おばあちゃんに相談すると「だーいじょうぶよ!」と明るい声。未来はどうなるかは誰にもわからないし、大人の言うことは大抵当たらないもの。「みらいは たーくさん あるんだから!」との言葉に安心した女の子は、楽しい〝未来〟を想像し始めた ▼毎日ウインナーが食べられたり、ロボットがどこへでも連れていってくれたり……(ヨシタケシンスケ『それしか ないわけ ないでしょう』白泉社)。年長者の達観と子どもの自由な発想は、世代を超えて私たちに大切なものを教えてくれている ▼世界の状況は依然として予断を許さないが、こうした時こそ、想像の翼を大きく広げ、プラス思考で日々を心豊かに過ごす努力を惜しむまい。人類の歴史は試練との戦いの連続であり、それらを完全と乗り越えてきた歩みそのものである。明けない夜など断じてない ▼仏典に「心は工(たくみ)なる画師(えし)の如し」と。どんな境遇にあっても、心は名画家のように、一切を自在に描き出していける。希望の未来は、自分自身の一念から始まる。 【名字の言】聖教新聞2020.4.2
January 7, 2021
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宝剣の如き人格島根県の山間部には「たたら」と呼ばれる日本古来の製鉄法が今も残る。燃え盛る炉で三日三晩、砂鉄を溶かし、「玉鋼」という鉄を造る。その質の高さは現代の技術でも再現は難しいとされる ▼一度作業が始まれば、炉の中にある鉄の様子は分からない。だが、たたら師には、それを〝見る〟技があった。その日の砂鉄の手触り、炎の色、空気の流れ……。五感を研ぎ澄ませ、鉄に向かうことから「誠実が美鋼を生む」といわれた ▼心を鍛錬する中で一流の技は磨かれる。同県のドクター部の壮年は山間地域で診療所を開いて28年。「たった一人で診察するのに大切なこと」を問うと「多くの医療技術を持つこと以上に、謙虚であることです」との答えが。孤独、惰性、慢心――祈りを根本に自身の心と戦うからこそ、患者の何気ない一言や表情から病状に気づけるという ▼人の見えない心を見抜く仏の力を「眼根清浄」という。神秘的な超能力などではない。衆生を救おうとする慈悲の一念が「智慧の眼」を開き、人々の悩みを見抜くことを可能にすることを説く ▼御書に「鉄(くろがね)は炎(きたい)打(う)てば剣(つるぎ)となる」(958㌻)と。鉄は高温の炎で熱し、何度も打つことで不純物が除かれる。人間も同様に、たゆまぬ精神闘争のなかで、宝剣の如き人格が輝き始める。 【名字の言】聖教新聞2020.3.26
December 28, 2020
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精神の格闘夏目漱石の小説『門』に、主人公の宗助が「どうも字というものは不思議だよ」とつぶやく場面がある。「近来の近という字はどう書いたっけね」と妻に尋ねた▼いくら易しい字でも、これは変だと思って疑い出すと分からなくなる。紙に書いて眺めても、違う気がしてしまう。宗介が「御前そんなことを経験したことはないかい」と問うと、妻は言った。「まさか」▼最近、同志に送る便りを手書きしていると、しばしば漢字を思い出せない時がある。「まさか」と笑えない。年のせいか、それともパソコンやスマホで文章を作ることに慣れてしまったせいか▼若き日の池田先生のカバンには、常に葉書と便箋が入っていた。寸暇を惜しんで同志への励ましをつづるためだ。「深刻な悩みを抱えている友も多い。一葉の葉書で人生を決することもある」「一念を研ぎ澄まし、凝縮した言葉を紡ぎだす〝精神の格闘〟であった」と述懐している▼友に直接会えないとき、電話やメール、SNSで心を通わせ、励まし合うことは大事だ。その上で、あえて葉書や手紙を使ってみるのもいい。手書きには一つとして同じ形はない。思いを込めてつづった文字には、おのずと書き手の心がにじみ出るのだろう。友のもとへ「真心」を形にして届けたい。 【名字の言】2020.3.14
December 12, 2020
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御書は未来を照らす希望の光源久しぶりに電話で話をした信じの大先輩。「最近、御書を開く時間が増えて、感動を新たにしています」と語っていた。 ▼約1600㌻にわたり、びっしりと詰まった日蓮大聖人の言々句々。その多くが、迫害の嵐の中でつづられた門下への励ましのお手紙である。電話口の先輩の声は弾んでいた。「大聖人の大慈悲が心に染みます。私も地区の同志の顔を思い浮かべ、筆を執る毎日です」 ▼「文は人なり」という。御書を拝することは、大政治の御境涯に迫り触れることにほかならない。スペイン語版『御書全集』の総合監修を務めたカルロス・ルビオ博士は言う。「日蓮の手紙を読むと、誠実さや人間的な温かさと知性がにじみ出ており、宗派性を超えて高く精神世界にそびえ立っています。人間としての日蓮に親しみが湧いてくるのは、私だけではないでしょう」 ▼文永9年3月に、大聖人が流罪の地から弟子一同に対して認められた「佐渡御書」の末文には、「佐渡の国は紙候はぬ」(御書961㌻)と。〝本当は一人一人に書いて送りたいが、この一通しか書けないので志ある弟子たち皆で読んでほしい〟との心情が拝せられる ▼困難の時こそ、御聖訓を拝せるあり難さが分かる。御書は未来を照らす希望の光源である。 【名字の言】2020.3.10
December 2, 2020
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心の状態によって現実は姿を変えるイソップ物語の「うさぎとかめ」は、足の速いウサギと遅いカメが競争し、油断して眠ったウサギに、カメが勝利する物語。ゆっくりでも着実に前進する大切さを伝える話とされる ▼童話は世界的に有名だが「人や国によって解釈が異なるようです」と、取材先の識者が教えてくれた。ある国際会議で彼が童話の教訓を話すと、エジプトの学者はウサギとカメの競争自体が愚かだと力説。ウサギにもカメにもそれぞれの良さがあることから、「個性の尊重」が童話の真意ではないかと述べた ▼一方、タイの学者は「共に生きる」がテーマと主張した。ウサギが横たわっているのに、なぜ声を掛けないのか。眠っているだけならいいが、病気や怪我だけだったら大変だ。そんな時はウサギを起して一緒にゴールを目指すことを子どもたちに教えたい、と ▼「着実な前進」「個性の尊重」「共生」―同じ話でも国や文化が異なれば受け止め方も違う。とはいえ、どれも知恵に満ちた興味深い観点。捉え方の〝違い〟は〝豊かさ〟ともいえよう ▼心の状態によって現実は姿を変える。御書に「浄土と云ひ穢土と云うも土(ど)に二の隔(へだて)なし只我等が心の善悪によると見えたり」(384㌻)と。伸びよう、学ぼうという心がある限り、どんな状況も成長の好機に変えられる。 【名字の言】聖教新聞2020.3.8
November 29, 2020
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言葉は心の仕事ある詩人が恩師と久々の再会を果たした。恩師は「変わりはなかったかい?」と声を掛けてくれた ▼詩人は振り返る。あの時「元気だったかい?」といわれれば、「ええ、元気です」と答えるしかなかった。でも、恩師は「変わりはなかったかい?」と言ってくれた。この柔らかい一言に、ずっと自分のことを思い、見守ってくれていた恩師の優しさを感じたという ▼だから「言葉は心の仕事です」と詩人。「人を内面から変えることができるのは、言葉だけなのです」とも。御書に「言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563㌻)とある。言葉は心であり、相手を思う心が届いたとき、その人を幸せにするエネルギーに変わるのだろう ▼仏法は「身口意の三業」を説く。私たちの生命活動は、行動(身)・言葉(口)・心(意)として表れるということである。心と行動とともに、言葉が自分という人間を決める重要な要素であることに注目したい ▼心ある言葉を大切にするアイヌの箴言を思い出した。「一人のうそつきがいるとコタン(集落)は滅びる」。一つでもうそがあれば、心ある言葉で成り立っている世界は崩れるからだ。心ない言葉ばかりが目立つ社会だからこそ、自分の本当の心を託した言葉を届け続けたい。 【名字の言】聖教新聞2020.3.7
November 28, 2020
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挑戦▼時を「待つ」のではなく、時を「つくる」――その姿勢は、私たちの人間革命の挑戦にも通じる。目の前の課題に対して、〝チャンス〟と捉えて挑んでいくか、〝仕方がない〟と一歩引いてしまうか。結果はともあれ、〝挑戦〟を選択し、努力を続けていく人生には限りない充実がある ▼池田先生は「自分に挑戦し、自分に負けなかった人が、大きく自分を広げる。また、最高の人生の思い出、財産をつくることができる」と。今できることは何かと問いながら 〝自分への挑戦〟を開始し、希望の未来を開こう。 【名字の言】聖教新聞2020.3.4
November 21, 2020
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普遍の励ましを日蓮大聖人の御在世当時には、たびたび疫病が流行した。そうした中、佐渡の門下、阿仏房の身延に入る大聖人のもとを訪れたことがある。大聖人は阿仏房の顔を見るや〝あの人は大丈夫か〟〝この人はどうしているか〟と真っ先に門下らの安否を尋ねたという ▼大事な門下の身を案じ、現実の幸福を祈る大聖人の振る舞いを通し、池田先生は語った。「『現実』を離れて仏法はない。ただの理屈でもない。観念でもない。『人間性』を離れて仏法はない」 ▼先生の同志への励ましも同様であった。会長に就任した翌年の1961年は自然災害相次ぎ、ポリオ(小児まひ)が猛威を振るった。先生は大阪事件の公判に臨むため、関西を訪問した際、出廷前後の間隙をぬって第2室戸台風の被災者と、小児まひと戦う少女などその母親の激励に走っている ▼新型コロナウィルスの感染拡大を警戒する日々が続く。先が見えない不安や不測の事態への恐怖が生まれる場合もある。正しい情報をもとに、適切な判断や行動を心掛けたい ▼とも、家族、そして自身のために、賢明にして現実的な用心を怠らず、強盛な祈りをともどもに貫いていこう。環境は変わっても、いな、変わっていくからこそ、生命力を湧きいだす普遍の励ましがどこまでも大切である。 【名字の言】聖教新聞2020.2.27
November 12, 2020
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苦境を脱する原動力プロ野球の選手にとって、背番号は「もう一つの顔」ともいえるものだろう。しかし、節目ごとに自ら進んで背番号を変えてきた選手もいる。歴代3位の通算本塁打記録を持つ門田博光氏だ ▼プロ10年目でアキレス腱を断裂した氏は、再起を懸けて背番号を「44」にした。40本以上の本塁打と、44歳で亡くなった母親への思いを込めたという。けがを乗り越え、翌々年には見事、44本の本塁打を放ち、自身初の本塁打王に輝いた ▼その後、〝前人未到の本塁打記録〟を目指し、背番号を「60」に。強い決意が実を結び、40歳にして本塁打王、打点王の二冠獲得という壮挙を成し遂げた。氏は語る。「目標を高い所に設定して、それを超えたさらに上をいこうという気持ちをもち続けるのがプロ」(『門田博光の本塁打一閃』ベースボール・マガジン社) ▼明確な目標は、苦境を脱するための原動力となる。具体的な行動を生み、さらなる高みへ到達することができる。 【名字の言】2020.2.26
November 10, 2020
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不可能を可能にする人の共通点上空に小さく見えるジェット機。なぜ、あんなに重そうな〝機械〟が空を飛べるのか不思議に思うことがある。ライト兄弟の有人動力飛行から117年。考えてみれば、人類史のほとんどで、人は空を飛べないのが〝常識〟だった ▼有史以来、多くの人が空に挑んでは失敗し、嘲笑された。ライト兄弟の〝成功〟に対しても、飛行距離の短さや目撃証人の少なさから、当時の科学者やマスコミは〝機械が空を飛ぶことは科学的に不可能〟と冷淡だったという ▼こうした歴史を踏まえ、神戸大学の中屋敷均教授は、理論的に飛行が可能だったから人が飛行機を造ったのではない、と強調する。「『分からないこと』を含んだまま、人は飛んだのだ」「人は飛べるから飛んだのではない。飛びたいから飛んだのである」(『科学と非科学』)講談社現代新書) ▼先人の飽くなき努力を思うとともに、不可能を可能にする人の共通点に気付く。それは、困難の壁を前にした時、〝突破できるかどうか〟ではなく、〝突破するにはどうか〟と考えていること。その胸には、やむにやまれぬ情熱が燃えている。 【名字の言】聖教新聞2020.2.17
October 29, 2020
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自身を磨き続ける名捕手として一時代を築き、監督としてヤクルトスワローズを3度の日本一に導いた名将・野村克也氏。先日、84歳で亡くなった ▼こうした実績もさることながら、氏が未来へ残した最大のものは「人材」であろう。教え子たちは今、球界を代表する指導者に。訃報に接した彼らが「野球のイロハを教えてもらった」と口々に感謝を語る姿が印象的だった ▼野村氏が指導者として心掛けていたのは「常に自分がレベルアップしていくこと」。「組織はリーダーの器以上に大きくならない」との信念で〝この方法でいいのか〟と自身に問い続けた。氏がこだわった「考える野球」は、選手に触発を与え、彼らの可能性を次々と開花させた(『野村再生工場』KADOKAWA)氏の哲学は、教え子たちの手でさらに輝いていくに違いない ▼人材育成で問われるのは、常に〝育てる側〟の姿勢であろう。相手の可能性を引き出すためには〝自身を磨き続ける〟以外にない。自分の生命が澄んだ〝鏡〟のようになれば、必ず相手の長所も見えてくる。 【名字の言】聖教新聞2020.2.15
October 26, 2020
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法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し友人夫妻の自宅を訪ねるたび、今に季節の花が飾られている。先日は凛としたスイセンが迎えてくれた。夫人は生け花をたしなんでいるという。 ▼華道は草木に「命」を見るといわれる。みずみずしい若葉や花だけではない。虫喰い葉や枯れ枝も全て、〝命が現れた姿〟と捉えて用い、美を見いだす心が大事だと彼女は教えてくれた。「草木の命を支えているのは『根』です。目に見えない『根』の力をどう見せるかが、生け花の醍醐味なんです」 ▼根源、根幹、根本……何らかの〝おおもと〟を意味する熟語には『根』の字を含むものが多い。フランスの作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』(岩波書店)にある「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(内藤濯(あろう)訳)との一節が思い浮かぶ ▼仏法では人間の一身を草木に例える。頭から足までが茎、手足は枝、毛は葉。そして根とは「心法」、すなわち心の働きであると説く。日蓮大聖人は「法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し」(御書827㌻)と仰せだ。妙法を信じ行じることとは、生命の大地に強く豊かな心の根を張って、生活の上に勝利と幸福の花を咲かせていく営みといえよう ▼心は見えない。だがその心で人生は決まる。「ただ心こそ大切なれ」(同1192㌻)である。 【名字の言】聖教新聞2020.2.11
October 18, 2020
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大道を歩いて来たものは強い江戸時代の初期、土佐藩で執政に就いた中野兼山は、新田開発や産業振興などで民の暮らしを豊かにした。しかし策略によって失脚し、汚名を着せられた ▼子母沢寛の小説『大道』は野中を描いた作品で、週刊誌で発表された。子母沢は北海道厚田村(当時)の出身。感銘を受けた同郷の戸田城聖先生は、単行本として世に出したい伝え、1940年、大道書房を設立した ▼『大道』は短編ながら印象深い場面が多い。小説は野中の言葉で終わる。「俺は人間の大道を歩いてきた。命がけで真面目に信念の上を歩き、誠実の上を歩いてきた」「大道を歩いて来たものは強い」。戸田先生の「不惜身命」の信念と重なる。先生が出版を強く望んだのもうなずけよう ▼道にもいろいろある。本道と枝道、正道と邪道、王道と覇道……。牧口常三郎と共に軍部政府の弾圧に抗して獄中闘争を貫き、戦後ただ一人、創価学会の再建に立った戸田先生には、我こそ大道を往くとの自負があった。その心を継いだ池田先生によって、世界広布の大道は今、ようようと開ける ▼11日は戸田先生の生誕120周年。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――畜生道の地球を、平和と共生の菩薩道の地球に変えたいとの恩師の叫びに応えることが、私たちの進むべき道である。 【名字の言】聖教新聞2020.2.9
October 16, 2020
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心のアンテナミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主役を演じた俳優の森繁久彌さんには、痛恨の思い出があった。地方公演でのこと。客席の前列に座った少女がずっと下を向き、居眠りしている様子。不快になった森繁さんたちは、彼女のそばでわざと声を張り上げ、床を強く踏み鳴らし、〝起きろ〟と言わんばかりの芝居をした ▼芝居が全て終わった時、やっと顔を挙げた少女。その両目は閉じられていた。居眠りに見えたのは、盲目ゆえに神経を耳に集めて聞き入っていたから。〝なぜ気付けなかったんだ〟。森繁さんは自ら恥じ、心で泣いた(『人師は遭い難し』) ▼ある地区の座談会。いつも来ている女子部員の姿がない。〝あら?〟。気になった地区婦人部長が、座談会を終えた足で女子部員が暮らすアパートへ。すると部屋で一人、ふさぎこんでいた。仕事で失敗し、苦しかったという ▼地区婦人部長は懸命に激励した。女子部員名「すぐ駆けつけてくれた真心がうれしくて」と涙。そして笑顔を取り戻した ▼友が発する言葉、しぐさ、表情、行動……。その小さな変化に大きな意味が隠されていることがある。だからこそ、絶えず一人一人の幸福を祈り、心のアンテナを広く張り、励ましを送りたい。皆が人材、皆が宝なのだから。 【名字の言】聖教新聞2020.2.8
October 14, 2020
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子育ち「わが子が言うことを聞かず、思うような子育てにならない」と嘆く母親がいた。長年、幼児教育に携わる友が助言を。「『子育て』というよりも『子育ち』と捉えましょう」 ▼子どもは本来、「成長したい!」と思っている。親の役割は、子どもの〝自ら育つ力〟を信じて愛情を注ぎ、励まし、その子らしく育つように見守ることだという。「花と同じです。水をやって、太陽の光を当てて、たまに周りの雑草を抜いてあげればいい。大人の思うようにコントロールしようとすると、かえって花はきれいに咲かないものです」 ▼こうあってほしい、こうなってほしい、こうだったらいいのに……と思ってしまうのが親心。だが子は親の分身ではない。子には子の思いがあり、個性があり、人生がある ▼仏法が説く「桜梅桃李」とは、その人が最もその人らしく使命の花を咲かせられるよう、個々の生き方を尊重する哲理だ。子育てに限らず、人材育成もこの視点から問い直すことで道が開けていく ▼御書に「餓鬼は恒(ごう)河(が)を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれど果報に随(したが)って別別なり」(1025㌻)と。同じものを見ても、境涯によって捉え方は違う。会う人全てを〝無二の花〟と見ることが、人を育てる出発点と心得たい。 【名字の言】聖教新聞2020.1.20
September 18, 2020
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何があっても前進今年はベートーベンの生誕250年。国や時代を超え、人々を魅了し続ける名曲の数々は、いかにして生み出されたのか。楽聖の生き方に学ぶことは多い ▼彼は立場や肩書を気にする人ではなかった。「僕の芸術は貧しい人々に最もよく役立たねばならぬ」(片山敏彦訳)と宮廷を飛び出し、市民の前で演奏した。権威の象徴とされたかつらもかぶらなかった ▼彼は、何があっても前進しつける人だった。古い社会との摩擦、耳の病、母や弟の師、経済苦……。苛酷な〝運命〟を打ち砕くかのように猛然と曲を作り、己の胸中に〝歓喜〟を湧き上がらせた。「一行なりとも書かざる日なし」(佐々木斐夫・原田煕史訳)と ▼哲人ソクラテスの「シビレエイの譬え」のごとく、自分自身が感動すれば、その生命の波動は必ず周囲に広がっていくものだ。人材を育て、歴史を築く要諦もまた、立場や境遇では決まらない。わが心に広布への情熱が燃えているかどうかだ ▼どんなに優れた音楽でも、楽譜に書かれているうちは、ただの音符にすぎない、奏でる人がいてこそ、魂がよみがえり、人の心に響く。人生もしかり。最高の仏法哲理を持ったからには、自分が語る! 自分が行動する! 一人立つ勇者の気概で勇躍、まい進していきたい。 【名字の言】聖教新聞2020.1.19
September 16, 2020
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心のミゾ夏目漱石の作品『道草』に印象的な場面がある。主人公の夫婦は何かとすれ違ってばかり。ある日、夫は、家計のやりくりに苦労する妻を助けようと、仕事に精を出して新たな金を作り、妻に渡した。だが「その時細君は別にうれしい顔もしなかった」 ▼妻は内心思った。「もし夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっとうれしい顔をする事が出来たろうに」と。一方で夫は「もし細君がうれしそうにそれを受け取ってくれたら、優しい言葉をかけられたろうにと考えた」 ▼かつて池田先生はこの場面を紹介しつつ、「互いが、かたくなに相手に期待し要求するだけで、自分を省みるゆとりと思いやりがなかったならば、ことあるたびに心のミゾは深まる」と語った。夫婦に限らず、あらゆる人間関係に通じるだろう。 【名字の言】聖教新聞2019.12.28
August 24, 2020
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人格こそ雄弁なり〝対話の名手〟と仰がれた釈尊には、一言も発せず、自らの姿だけで相手を説得したという逸話がある ▼釈尊を侮っていた人々がある時、こう示し合せた。〝彼が来ても、挨拶してはならない。立って迎える必要もない〟。だが釈尊の姿を目にした瞬間、皆が思わず立ち上がり、教えを請うたという ▼〝超人的な力〟と思いがちだが、決してそうではない。仏教学者の中村元氏は、釈尊の教化を「広々としたおちついた態度をもって異端さえも包容してしまう」と表現した(『釈尊の生涯』平凡社)。釈尊の人格の深みから生まれる表情や振る舞いが、相手の心を動かしたのだろう ▼対話は議論とは違う。互いに心を開き、理解し合うことが目的である。話の中身も大事だが、誰もが話し掛けやすい雰囲気、何かを聞いてみたいと思わせる人柄こそ、豊かな語らいをもたらす力といえよう。仏教で言う「功徳」とは、サンスクリットの「グナ」が音訳された言葉であり、〝すばらしい性質〟との意味。すなわち「人徳」を指している ▼日蓮大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174㌻)と。信行学を真面目に貫いた人の確信と慈愛は、振る舞いで伝わる。〝人格こそ雄弁なり〟と心得たい。 【名字の言】聖教新聞2019.12.27
August 22, 2020
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自分自身が宝言葉が話せるテディという名の犬がいる。ただし会話ができる相手は詩人と子どもだけ。児童文学作品『テディが宝石を見つけるまで』はそんな設定の物語だ ▼飼い主である詩人が〝君が宝石を見つけられるといいな〟と言い残して亡くなる。あるひ、テディは吹雪で遭難した幼い兄弟を救助する。その後、無事に子どもたちと再会した母親がテディに〝あなたは宝よ〟と涙を流して官舎を伝え、話は結ばれる。つまり、他者に尽くしたテディ自身が「宝」だった ▼法華経に「依裏珠の譬え」がある。貧しい男のために親友が衣の裏に宝珠を縫いつけてやる。だが男は気付かず、貧乏な生活は続いた。後に事実を知り、歓喜するという内容。縫いつけられた珠とは、万人に備わる仏の生命という無上の宝のことであり、それを磨く仏道修行の大切さを教えている ▼先日、水晶の山地・山形県のジュエリーミュージアムを訪れた。さぞかし輝きに満ちた宝石ばかり飾られているだろうかと予想したが、以外に原石や研磨・加工の工具、職人を紹介する展示が多かった。宝石へ磨かれる過程も「宝」なのだと感じた ▼今年も同志と信心を練磨し合えたことに感謝が込み上げる。自身を磨く中に宝の人生は築かれると確信し、明年も師とともに前進しよう。 【名字の言】聖教新聞2019.12.25
August 20, 2020
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差別を許さない不断の挑戦島崎藤村の小説『破戒』の時代設定は明治後期。被差別部落出身の青年教師・瀬川丑松が出自を「隠せ」という父の戒めを破るまでの葛藤をえがいた。 ▼封建的な身分差別は廃止されたものの、人々の差別意識は残ったまま。出自を他人に知られるだけで、社会的に排除される恐れもあった。近代的な人権思想を学んだ丑松は悩み苦しむ。「同じ人間だということを知らなかったら、甘んじて世の軽蔑を受けてもいられたろうものを」と ▼『破戒』が読み継がれるのは、差別について読み手を鋭く問いかけてくるからだろう。差別とは、ひとえに心の問題であるゆえに、社会や時代を超えた普遍的な問題なのだ ▼仏法は、生命の十界互具を説く。仏界という最高境涯を得ても、仏以前の九界の生命から離れるわけではない。人を見下す畜生界の生命や、他人に勝ろうとする修羅界の生命と無縁の人などいない。ゆえに、常に自身の心と向き合い、差別を許さない不断の挑戦が必要となる ▼「全ての人が尊い」と言うことは、たやすい。だが、実際に行動に現すことは難しい。どこまでも他者と関わり、励ます実践の中で自身の生命を磨きゆく私たちの学会活動は、人権社会の礎を築きゆく闘争でもあるのだ。誇りと使命感をもって進みたい。 【名字の言】聖教新聞2019.12.12
August 19, 2020
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杉原千畝第2次世界大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人にビザを発給し、多くの命を救った外交官・杉原千(ち)畝(うね)。彼は少年期を名古屋市内で過ごした ▼当時の居住地付近から出身校の愛知県立第五小学校(現・県立瑞陵高校)を結んだルートが「杉原千畝 人道の道」と名付けられている。彼が歩んだ道と眺めた風景に触れながら、足跡を偲ぶことができる ▼現在、名古屋市で「勇気の証言――ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」愛知展が開催されている(9日まで)。彼は困難な状況下でビザを発給したことについて、後年、「大したことをしたわけじゃない。当然のことをしただけです」と語った ▼真に偉大なことは、日常の地道な振る舞いの中にあるのかもしれない。池田先生は「友好や平和といっても、彼方にあるのではない。身近な一人に、どんな思いで接し、何をするかにかかっている」と。目の前の一人を大切に、真心こめて励ましを重ねていく。ここに生命の尊厳の世界を築く道がある ▼明年1月1日で杉原千畝野生誕120年。彼が救った約6000人の命は今、その子孫を含めると約25万人に広がるといわれる。ささやかに見える私たちの「挑戦の一歩」もまた、いつか多くの人々の幸福を開く道になると確信したい。 【名字の言】聖教新聞2019.12.7
July 24, 2020
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ちかいし願やぶるばからず歴史小説の大家・宮城谷昌光氏は出版社に勤める傍ら、作家の立原正秋に師事し、創作活動を始めた。だが常に経済的な苦労が絶えなかった ▼40代半ばでも鳴かず飛ばず。妻がふびんで、筆を折ろうと思った。だが、そんな時に読んだ中国の古典『菜根譚』の文章が胸に刺さった ▼「己を捨てては、その疑いに処(お)ることなかれ。即ち舎つるところの志、多く愧(は)ず」(今井宇三郎訳)。すなわち、身を捨てて取り掛かりながら途中でためらえば、初心をはずかしめることになる、との意だ。氏は語る。「何のためにあなたは最初に志を立てたのですか、と、本は問いかけてきました」(『歴史を応用する力』中公文庫)。その後、士は46歳で直木賞を受賞。46歳の今も執筆を続ける ▼人生勝利の要諦は、志を立てるとともに、その志を貫いていくことにあろう。日蓮大聖人はる難の地・佐渡から、迫害に遭う門下一同に「ちかいし願(ねがい)やぶるばからず」(御書232㌻)と宣言された。この翌年のお手紙には「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224㌻)、さらにその3年後には「いまだこりず候」(同1056㌻)と。「不屈」こそ日蓮仏法の魂である ▼信仰とは自分との間断なき戦い。わが「誓い」も新たに、きょうも勝利の一日を。 【名字の言】聖教新聞2019.12.5
July 18, 2020
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もう一息の努力で目の前が広がる法則先日、ある教育関係者の講演会で、高校生が質問した。「勉学に励む上で大切なことは何でしょうか」 ▼講師は勉強量と成績の関係を表すグラフを紹介。勉強を始めたばかりの頃は、成績はなかなか上がらないが、ある地点から急上昇するという。「勉強は中途半端では身に付きません。どんな小さな歩みでもいい、努力をやめないことです」とエールを送っていた ▼このグラフを作った脳科学者の池谷裕二氏は、さまざまな研究の結果から〝もう一息の努力で、目の前に大海が広がるのと同様に、物事が良く理解できるようになったと感じる瞬間がある〟と分析。しかし多くの人が、その法則を知らず、結果が出る前に努力をやめてしまうと指摘する(『記憶力を強くする』講談社ブルーバックス) ▼勉強に限らず、すぐに「結果」が出ないと、諦めたり惰性に流されたりするのは人の常かもしれない。日蓮大聖人は、仏道修行を貫く大切さを、鎌倉から京の都への道のりに譬えられました。11日あまり歩みを進めても、あと1日でやめてしまえば「何として都の月をば詠(なが)め候べき」(御書1440㌻)と ▼目に見える「結果」がなくても、努力を続ける限り、必ず「成長」はある。日々、精進を重ねつつ、「私は勝った!」と言える総仕上げを。 【名字の言】聖教新聞2019.12.4
July 16, 2020
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小さなことでも積み重ねるワールド・ボクシング・スーパーシリーズで、バンタム級王者になった井上尚弥選手。プロでは19戦19勝(16KO)と無敗を誇る。この強さの秘密は、かつて〝敗戦〟と向き合ったことにあった ▼アマチュア時代の彼は81戦75勝で「6敗」。その敗戦の一つが、18歳の時のロンドン五輪アジア予選である。格上の相手とはいえ、自身のスタミナ切れは明白だった ▼強くなりたい――考え抜いた末、「やらされている練習では勝てない」と思い至った。以来、練習はもちろん、日常生活でも意識を高く持ち続けるよう心掛けた。「意識しているものが、やがて自分の長所になる」。テレビを見る時なども、広げたタオルを足の指で手繰り寄せる練習を続けた。そうした積み重ねから、爆発的な高速ステップがうまれた(『勝ちスイッチ』秀和システム) ▼同じ行動でも、ただ漫然と行うのか、意識を持って主体的に取り組むのか。小さなことでも日々、積み重ねることで確かな成果が生まれる ▼御書に「受くるは・やすく持(たも)つはかたし」(1136㌻)と。持続の信心の大切さとともに、「受くる」という受動的な姿勢から、「持(たも)つ」という主体的な生き方への転換を促されたとも拝されよう。 【名字の言】聖教新聞2019.11.21
July 1, 2020
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魔性と闘う「ベルリンの壁」崩壊から、きょうで30年。市民が歓喜に沸く当時の映像はよく知られているが、実は壁が築かれ始めた時も、喜ぶ人は多かったという ▼東ベルリンから西ベルリンへの住民の流出を防ぐため、特に東側の人々は、西側との「分断」を望んだ。「何百万もの国民が賛成していた」「これで邪魔がなくなる、東側が平穏になり、しっかりと再建に従事できる」「ようやく自分たちの問題を自由に話し合えるようになった」と(クリストファー・ヒルトン著、鈴木主税訳『ベルリンの壁の物語』原書房) ▼池田先生がベルリンを初訪問したのは、壁の建設が始まったわずか56日後。東西陣営の対立が激しくなり、壁を歓迎する人が多い中で、「30年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう……」と語った言葉は、どれほど先見的で、強い決意が込められたものだったか ▼「民族、思想、宗教等の違いによる差別や抑圧。そして、それをよしとしてしまう人間の心――そこに生命に潜む魔性がある」と先生は述べている。「その魔性と戦っていくことこそ、仏法者の使命にほかならない」 ▼人と人がつながれば、どれほど偉大な力になるか――私たちが地域で進める友情の対話には、世界を変えるのと同じ意義がある。 【名字の言】聖教新聞2019.11.9
June 18, 2020
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解決不可能だと思われる問題にも必ず出口はある〝奇跡の7本指ピアニスト〟と呼ばれる西川悟平さんは、右手5本の指と、左手の親指・人差し指で演奏する ▼気鋭のピアニストとしてアメリカで活躍していた19年前、両手の指が硬直し始めた。病名は「局所性ジストニア」。医師から「一生、ピアノは弾けない」と宣告される。絶望していたある日、幼稚園での音楽指導を頼まれた ▼わずかに動く指で「きらきら星」を弾き始める。すると、子どもたちが目を輝かせて歌いだした。その姿に打たれ、〝自分にできる音楽をやろう〟と決めた。血のにじむ練習を重ね、独自の奏法を編み出した。「解決不可能だと思われる問題にも必ず出口はある」。そう気付いた時、道が開けた。音楽活動がメディアで紹介され、欧州でもデビュー。カーネギーホールでソロ公演を果たした(『7本指のピアニスト』朝日新聞出版) ▼人生、思いもよらない試練に見舞われることがある。だが〝不運〟ではなく、〝新しい人生の出発〟と捉えれば“試練”の意味は劇的に変わる。知恵と力が湧き、価値創造の扉が開く ▼作家セルバンテスは言った。「闇が深いほど光が明るくなるように、苦しみが募るほど強くなるのがほんとうの希望」(荻内勝之訳)と。人生勝利の鍵は、たくましき楽観主義である。 【名字の言】2019.11.4
June 11, 2020
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すべては現場に宿る「すべては現場に宿る」。45ほど年前、元伊藤忠商事会長丹羽宇一郎氏がニューヨーク駐在に赴くとき、先輩から総助言された ▼だが氏は、現地の新聞に掲載された〝今年は深刻な干ばつになる〟という予測記事をうのみにして、大豆を大量に購入。実際は逆に〝豊作〟となり、当時の金額で15億円という損失を出してしまう ▼進退窮(きわ)まる中、氏は先輩の言葉を思い出す。自ら車を運転し、豊作物の山地に足しげく通い始めた。あえて天気予報会社と契約し、独自に集めた産地の情報とつきあわせ、分析を重ねた。その結果、今度は同じ年の〝秋の大寒波〟を予測し、損失分を取り戻すことができた。氏は強調する。「『現場にはすべてがある』のです」(『人間の本性』幻冬舎新書) ▼何かを知りたいと思う時、まずインターネットで検索する人は多いだろう。だがそうした情報は、最大公約数的な一般論にとどまることが多い。本当に価値ある情報は、実際に足を運び、自分の目で見ることで得られる。情報社会の現代にもこの鉄則は生きている 【名字の言】聖教新聞2019.11.2
June 8, 2020
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人だのみをするな小さな待ちの商店街でラーメン店を営む壮年部員が、座談会で活動報告をした。かつて周囲の店は繁栄しているのに、自分の店だけが、ほぼ毎日〝開店休業〟状態だったという。 ▼壮年は再起を誓った。「それはそれは題目をあげました。でも今思えば〝こうだったらいいのに〟〝ああなったらいいな〟という願望ばかりで……」。努力も実らず、空回りの年月が過ぎた。 ▼そんなある日、「心の固きに仮(よ)りて神の守り則ち強し」(御書1220㌻)との妙楽の言葉を引いた、池田先生の指導に衝撃を受けた。「一次元から言えば、これは『人だのみをするな』ということであります。誰かが守ってくれるとか、誰かが味方してくれるとか、そういう甘い考えは捨てなさい。全部、自分が強くなるしかない。自分が強くなってこそ、諸天善神も守るのだ、勝っていけるのだ――という文証であります」 ▼壮年の祈りの一念と仕事に対する姿勢は一変した。研究を重ねたスープが評判を呼び、店は遠方からも訪れる客で行列ができるまでになった。 ▼壮年が「これからも全ての戦いに勝ちます!」と話を結ぶと、会場にいた新来者が聞いた。「何と戦うんですか?」。壮年の答えに勝負哲学が光っていた。「自分と、です。自分に勝つ人が真の勝利者だと学びました」 【名字の言】聖教新聞2019.10.30
June 4, 2020
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偉大なる祈りは偉大なる責任感から起こる物理学者で随筆家の寺田寅彦は、関東大震災が起きた後、ドイツに留学中の友人に、被災状況の写真の絵はがきを送った。その余白には当時の世間の様子がびっしりと書かれていた ▼災害の絵はがきを送るなど、不謹慎な行為にも取れるが、そうではなかろう。インターネットなどはない時代である。〝故郷が大変だということを一刻も早く知らせなくては〟という思いからの行動だったに違いない ▼今月、台風19号が上陸した際、各地の本紙通信員から、安全に留意しつつ撮影された被災状況の写真データや情報が次々と送られてきた。そこには必ず、「地域と住民の無事を祈っています」と添えられていた ▼かつて池田先生は「偉大なる祈りは、偉大なる責任感から起こる」「自己のかかわる一切に責任を持ち、真剣に取り組んでいる人こそ祈りを持つ」と語った。その言葉は〝地域広布の記録者〟の使命に燃える通信員の尊い姿と重なる ▼時がたてば、台風被害の報道は減り、人々の関心は薄れるかもしれない。だが、きょうも被災地の復旧作業に汗する人はいて、一日も早い復興を祈る人がいる。「誰も置き去りにしない」という精神は、創価の哲学を持つ私たちにとって、日常の信仰実践そのものであることを銘記したい。 【名字の言】聖教新聞2019.10.22
May 24, 2020
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不幸のなかに向上の一段階がデンマークの童話作家アンデルセンは貧しい靴職人の家に生まれた。少年時代に父が急死すると、単身、首都コペンハーゲンへ。 ▼自慢の声を生かし、オペラ歌手を目指す。ところが、無理がたたって声をつぶしてしまう。進むべき道を懸命に模索する中、ある詩人と出会い、文学の道が開けていった。後に彼は語った。「一見この上なく大きく思われた不幸のなかに、実は向上の一段階が横たわっていたのである」(大畑末吉訳『アンデルセン自伝』岩波文庫) ▼全て〝自分の思い通りに〟と願うのは人の常だが、それが幸せにつながるとは限らない。逆に思うようにならない時、新しい道を見いだし、人生が開けることもある。長い目で見なければ分からない。 ▼壁にぶつかった時、どう前向きにとらえていくか。悩みや困難に振り回されるのではなく、積極的に意味づけし、前進と向上のチャンスに変えていく――仏法の哲理には、そうした智慧が満ちている。 ▼日蓮大聖人は苦難と戦う門下を「未来までの・ものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(御書1086㌻)と励まされた。大変な状況であるほど、それを乗り越えることによって、多くの人を勇気づけることもできる。今いる場所で自分らしい勝利のドラマを作ろう。 【名字の言】2019.10.21
May 23, 2020
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自ら動く人運命の瞬間を、固唾をのんで見守るのだろう。きょう17日、プロ野球のドラフト会議が行われる ▼会議の直前まで、各球団は指名順などを巡って協議を重ねる。そこで重要な存在になるのが、選手の力量をつぶさに知るスカウトだ。かつて“伝説のスカウト”といわれた一人に河西俊雄氏がいる。阪神タイガースや近鉄バファローズ(当時)でスカウトを務め、江夏豊、掛布雅之、野茂英雄ら多くの名選手を獲得した ▼有望な選手がいると聞けば、どんな遠隔地にも必ず足を運んだ。近鉄打線の主軸を担った金村義明は当初、他球団を志望していたが、母親が河西氏の誠実な人柄に心を打たれ、近鉄への入団を決めた。晩年、スカウトの極意を聞かれた氏は「やっぱり誠意かな」と。その証しが靴。「一年になんぼ革靴を潰したことか」とよく語っていたという(澤宮優著『スッポンの河さん』集英社文庫) ▼釈尊も「自ら動く人」だった。朝早くから外に飛び出し、家々を回り、法を説いた。そのためか、釈尊の足は大きかったといわれる。創価学会もまた、三代会長を先頭に自ら動き、自ら会い、語ることで広宣流布を進めてきた ▼「戦いとは、『人と会う』ことである。『人と語る』ことである」と池田先生。師の心を胸に、きょうも友のもとへ。 【名字の言】2019.10.17
May 14, 2020
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ロウソクの科学 ノーベル化学賞に決まった吉野彰氏は、英国の科学者ファラデーの著書『ロウソクの科学』が、科学への興味を持ったきっかけという。大手通販サイトでは、同書が早くも売り切れ状態に。 ▼1825年、王立研究所の研究所長に就任したファラデーは、研究所を社会に開かれたものにしようと、いくつかの企画を推進した。その一つが「少年少女の聴衆のためのクリスマス公演」。『ロウソクの科学』は、彼の69歳の時に行った、この講演をまとめたものだ。 ▼子どもたちのための講演が、世紀を超え、一人の日本人魅了した事実に感動する。電気分解の法則の発見など、ファラデーは数々の業績を残した。講演などを通して、青少年の心に科学への興味の灯をともしたことも、貢献の一つであろう。 ▼『ロウソクの科学』は、こう締めくくられる。「すべての行動において、人類に対する皆さんの義務の遂行において、皆さんの行動を正しく、有益なものにすることによって、ロウソクのように世界を照らして下さい」(竹内敬人訳)。 ▼御書に「人のために火をともせば・我がまへあきらかになるがごとし」(1598㌻)と。社会に貢献しようという志が、自分の人生を大きく開いていく。先達の人生と歴史によって、〝実験証明〟された普遍の法則である。 【名字の言】聖教新聞2019.10.12
May 9, 2020
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国づくりは人づくり 江戸時代、高鍋藩(宮崎県)を大きく発展させたことから「中興の名君」とたたえられる秋月種茂。本年は没後200年となる ▼数え年で18歳の時に藩主となった種茂は、当時の欧州諸国に先駆けて、子だくさんの農民たちを救済する制度を創設。3人目の子どもから、各家庭に米2合または麦3合を支給した。また大阪から知識と経験の豊富な助産師を招くなど、庶民の生活環境の改善を図った ▼さらに36歳の時には藩政改革の重要な事業として藩校「明倫堂」を創立。種茂は、その創立精神を記した『明倫堂記』に「治道ハ賢才ヲ得ルヲ以テ本トナス」とつづった。藩校には農民も入学が許されたという。“国づくりは人づくり”が種茂の信念だった(安田尚義著『高鍋藩史話』みやざき21世紀文庫) 【名字の言】聖教新聞2019.10.11
May 6, 2020
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捉え方が変われば人生は変わる 映画界の巨匠・黒澤明監督が助監督時代について、「眠かった記憶」と振り返っていた。とにかく忙しい。それでも監督になるには新しいシナリオを書かねばならない。 ▼だが氏は、したたかだった。「助監督になったら暇がないと言うが、ふざけちゃいけない。トイレの中だって一日一枚は書ける、年に三百六十五枚の長篇になる」「寝床に入ってからも、二、三枚は書いた」「書こうと思えば、案外、書けるもので、何本か書き上げた」(都築政昭『人間 黒澤明の真実』山川出版社)。〝氏だからできた〟というより、この気構えと奮闘が巨匠を生んだというべきだろう。 ▼〝忙しいからできない〟と諦めるのはたやすい。そうせずに大変な状況の中でも、できることを見つけ、「これだけはやり抜こう」と挑んでゆく。小さくてもそうした積み重ねが、時がたつほど大きな力となる。 ▼戸田先生は語った。「一番、勉強できたのは、電車のなかと、トイレのなかである。その気があれば、どこでもできる」。池田先生はこの言葉を紹介しつつ、「『あと5分、頑張ろう』『あと10分、頑張ろう』それを繰り返せる人が勝つ」と若き友を励ました。 ▼仏法は「一身の妙用」を説く。捉え方が変われば、人生は変わる。不屈の心で、わが勝利の物語をつづりたい。 【名字の言】聖教新聞2019.10.4
April 27, 2020
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人生100年時代を迎えた。大切なことは何だろう? 今年87歳の椅子研究家がヒントを教えてくれた。三つの「しごと」である ▼一つ目は「仕事」――生活の糧を得るための行動。二つ目は「私事」――個人的な事柄で、中でも健康、自分を陰に陽に支えてくれる家族との関係が大切という。最後は「志事」――他者や社会から共感されるような、幾つになっても取り組むことができる“志の活動” ▼「仕事」一辺倒で「私事」をおろそかにしていると、大きなしっぺ返しが来る。「志事」がなければ生きる喜びは少ない。志の活動が見つからないという人は私淑する人を求め、その人から学んでほしい、と(島崎信・中島健祐著『未来に通用する生き方』クロスメディア・パブリッシング) ▼御書に「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(1173㌻)とある。「蔵の財」も「身の財」も幸福の要件だが、それを生かせるかどうかは「心」で決まる。「心の財」を無量に積みゆくのが信心であり、私たち創価家族の世界にほかならない ▼3本足の椅子は床が凸凹でもガタガタしないという。わが人生に三つの「しごと」と「財」が輝けば、揺るぎない幸福人生を送ることができる。時代とともに光る生き方である。 【名字の言】2019.10.1
April 22, 2020
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英和辞書を一日2㌻ずつ暗記し、覚えるとページを食べるか破り捨てた。ついにカバーだけになった辞書は、校庭の桜の根元に埋めた――勉学への鬼気迫る逸話を残したのは、歴史学者の朝河貫一である ▼戊辰戦争で賊軍の汚名を着せられた旧二本松藩士の家に生まれた。経済的に厳しい状況は続いたが、学ぶことへの情熱は消えなかった。氏は後に、こう述べている。「人は境遇に支配せらるゝ如き弱きものにあらず」「古来の至人は、皆悪しき境遇より出でき」(『朝河貫一書簡集』早稲田大学出版部) ▼後年、アメリカの名門エール大学の教授に就任。比較法制史の分野で大きな成果を残した。境遇や環境を嘆かず、学び続ける中で可能性は開けていくと、博士の人生は教えてくれる ▼創価大学通信教育部の「夏期スクーリング」が始まり、全国各地、さらに海外20カ国・地域の友が向学の汗を流している。福島県のある男子部員もかつて、ここに集った一人。アルバイトで生計を立てながら学び、教員採用試験に合格。今、夢だった小学校教諭として、子どもの幸福のために力を尽くす ▼池田先生は「『学は無窮の希望の光』であり、『学は永遠の勝利の道』」と。老若男女を問わず、学び続ける人に人間王者の栄冠は輝く。 【名字の言】聖教新聞2019.8.18
March 25, 2020
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俳優の堺雅人さんが、高校の演劇部に所属していた時のこと。教員の一人に、演技について相談した。“表現したい思いがあるが、今は演技力がない。30歳になればできるかもしれないが、それでは今の思いを失ってしまう。どうすればいいか?” ▼じっと聞いていた教員は、“そうか。そんなことを考えているのか”と言って黙り込んだ。だが、しばらくすると堺さんは礼を言い、帰っていった。この時のことを堺さんは振り返る。「一緒に『うーん』と考え込んでくれることが感動的だった」。聞く人の姿勢の大切さを教えてくれる(『ぼく、牧水!』角川oneテーマ21) ▼「聞く」の語源の一つには「気来」。すなわち相手の「気持ち」が自分に「来る」という意だ。言葉を理解するだけではなく、相手の心を受け止めるということだろう ▼相談事には、助言ができる場合もあれば、“答え”を出せない場合もある。ただ、まず相手の話にじっと耳を傾けたい。そこに“あなたは、かけがえのない存在”という思いが表れる。それが相手に伝わっていく ▼池田先生は、釈尊の逸話に触れつつ、「『聞くこと』『ゆったりと対話すること』は仏教の本来の精神」と語った。旧交を温める機会が増える時季。大切な友と心ゆくまで語り合いたい。 【名字の言】聖教新聞2019.8.11
March 17, 2020
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昭和の名作を彩ってきた挿絵画家の岩田専太郎。吉川英治の『鳴門秘帳』の挿絵を手掛けたとき、驚いたことがあった。連載最後の原稿を、吉川自身が持ってきたからである。「この小説の強で終わるから、一緒に飯でも食べようと思ってネ」 ▼当時挿絵画家としては、まだ駆け出しにすぎない。そんな彼を人気作家は心をこめてねぎらった。岩田は振り返っている。「一挿絵画家に対するいたわりは、おそらく他人全部に対しての温かい気持ちの一部であろう」。この〝人を思いやる気持ち〟が文豪の小説に流れている、と(『吉川英治とわたし』講談社) ▼小説『新・人間革命』の挿絵を担当した内田健一郎氏は当初、20回近く描き直すことも。1枚の挿絵が出来上がるのに平均して7時間ほどを要した。『新・人間革命』の挿絵は試行錯誤の連続だ ▼苦闘する氏に、池田先生は「三世まで 共に画伯と 作者かな」との句を贈り、たたえ励ました。苦心の末に生み出された挿絵は、多くの読者の心を捉えた ▼画家・東山魁夷は、吉川の作品を読むことは「直接、(吉川)先生の心に触れる喜びである」(前掲書)と。池田先生は「新・人間革命」の最終章を脱稿して間もなく1年。小説に学び、師の心に触れる自分でありたい。 【名字の言】聖教新聞2019.8.3
March 6, 2020
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日蓮大聖人の御在世当時には、たびたび疫病が流行した。そうした中、佐渡の門下、阿仏房の身延に入る大聖人のもとを訪れたことがある。大聖人は阿仏房の顔を見るや〝あの人は大丈夫か〟〝この人はどうしているか〟と真っ先に門下らの安否を尋ねたという ▼大事な門下の身を案じ、現実の幸福を祈る大聖人の振る舞いを通し、池田先生は語った。「『現実』を離れて仏法はない。ただの理屈でもない。観念でもない。『人間性』を離れて仏法はない」 ▼先生の同志への励ましも同様であった。会長に就任した翌年の1961年は自然災害相次ぎ、ポリオ(小児まひ)が猛威を振るった。先生は大阪事件の公判に臨むため、関西を訪問した際、出廷前後の間隙をぬって第2室戸台風の被災者と、小児まひと戦う少女などその母親の激励に走っている ▼新型コロナウィルスの感染拡大を警戒する日々が続く。先が見えない不安や不測の事態への恐怖が生まれる場合もある。正しい情報をもとに、適切な判断や行動を心掛けたい ▼とも、家族、そして自身のために、賢明にして現実的な用心を怠らず、強盛な祈りをともどもに貫いていこう。環境は変わっても、いな、変わっていくからこそ、生命力を湧きいだす普遍の励ましがどこまでも大切である。 【名字の言】聖教新聞2020.2.27
February 28, 2020
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創刊から70年を超える「暮しの手帖」。ただ今月発売された8―9月号の号数は「1」になっている 「死ぬまで〈修羅の巷のまっただなか〉でのたうちまわる ▼これは初代編集長・花森安治氏の〝初心に立ち返る〟との考えによるもの。最初の100号までを〝1世紀〟と数え、その次の号を「第2世紀1号」とした。そして今回は「第5世紀1号」。読む方も、おのずと新鮮な気持ちになる ▼氏は言った。「昨日そうしたから今日もそうする。ひとがそうしているから、じぶんもそうする。それはらくかもしれないが、それでは生きてゆく甲斐がないのである」。自身もジャーナリストとして「死ぬまで〈修羅の巷のまっただなか〉でのたうちまわる」と思い定め、信念のペンを振るい続けた(『灯をともす言葉』河出書房新社) ▼新しいものを生み出そうとすれば、苦労は多いが、その分、喜びも大きい。「禍福はあざなえる縄のごとし」というが、「苦労」と「喜び」も表裏をなすものだろう。創造のための悩みや苦しみを避ければ、価値あるものは生まれないし、喜びと充実もない ▼御書に「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(509㌻)と。創価の価値創造もまた、自ら進んで苦労を求め、無限の向上を目指す道である。自他共の喜びに満ちた人生へ、今日もみずみずしい決意で、信行学の実践を貫きたい。 【名字の言】聖教新聞2019.7.28
February 26, 2020
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古代インドの仏教説話に「砂の道 前生物語」がある。隊商主の家に生まれたボーディサッタ(過去世の釈尊)の物語である ▼隊商が重い荷を運びながら砂漠を渡った時のこと。旅も終わりに近づいたある日、案内人は“もう一夜で難所を脱出できる”と考え、水や食料などを捨てさせて出発した。だが隊は道に迷い、皆が喉の渇きに苦しみ始める ▼ボーディサッタは水を得ようと草の生えた場所を探した。やっとのことで見つけ、その下を掘り始めた。ところが今度は大きな岩に当たって掘り進められない。皆が落胆する中、彼は穴の底で岩に耳を当てる。岩の下から水の流れる音がかすかに聞こえた。渾身の一撃を加えると、ついに水が噴き出して隊は救われた(藤田宏達訳『ジャータカ全集1』春秋社) ▼砂漠で水を見つける困難さは不可能を可能にする象徴といえよう。御書にも「乾ける土より水を設けんが如く強盛に申すなり」(1132㌻)と。困難は一度きりとは限らない。困難の連続が人生の実相だ。それでも断じて諦めないと腹を決めた人が状況を大きく変えていける ▼仏の異名は「能忍(能く忍ぶ)」。それは単に耐え忍ぶことではあるまい。「いまだこりず候」(御書1056㌻)と行動し続ける粘り強さが勝利の人生を開いていく。 【名字の言】聖教新聞2019.7.23
February 20, 2020
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時は紀元前3世紀の中国。「戦国七雄(しちゆう)」に数えられる斉(さい)の国に、田(でん)単(たん)という常勝将軍がいた ▼田単が将軍に登用されたのは、斉が隣国の燕(えん)に大敗した時。首都を失い、二つの城を残すだけとなった国家存続の危機にあって、彼は智略を駆使し、自ら先頭に立って果敢に反撃。瞬く間に七十余城を奪還し、救国の英雄となった ▼数年後、宰相となった田単は、小国・狄(てき)との戦いに臨む。誰もが勝利を疑わなかったが、3カ月たっても攻め落とせない。悩んだ田単は、賢者に教えを請う。賢者は答えた。かつての救国の戦いでは決死の覚悟があったが、今の将軍には、そうした「覚悟がおありになりません」。翌日、気力を奮い立たせた田単は、敵の矢が届く場所に立ち、攻め太鼓を打ち鳴らして全軍を鼓舞。ついに狄を破った(林修一著『戦国策(上)』明治書院) ▼「多分、大丈夫だろう」という甘さや慢心。「誰かがやるだろう」という人任せ――歴戦の勇者であっても、心の緩(ゆる)みがあれば、勝てる戦も危うくなる。勝負の厳しさである。 【名字の言】聖教新聞2019.7.15
February 11, 2020
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“若返りの酵素”を発見――先月、こんなニュースが注目を集めた。ある研究で、若いマウスの血液に含まれる特定の酵素を老齢のマウスに注射すると、身体活動が活発になり、寿命が延びる等の効果が確認されたという ▼「いつまでも若く」とは多くの人の願いだろう。かつて、秦の始皇帝が不老不死の薬を求めたという話は有名だ。だが、強大な権力と富を持った始皇帝も、老いと死から逃れることはできなかった ▼御書には「法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」(1125㌻)と。もちろん、「不老不死」といっても「老いない、死なない」ということではない。いかなる苦しみも、妙法と一体の大生命力で乗り越えていく。全てを自身の人生を深め、荘厳する宝に変えていくということであろう ▼池田先生は語っている。「生あるかぎり、妙法を唱え、妙法を語っていく。生死を超えて、使命に生ききっていく。その『信心』こそが『不老不死』の境地なのです」と ▼日本人の平均寿命は戦後の70年で、約1・6倍に延びた。長くなった人生を、どう充実したものにしていくか。確かな生死観を持ち、自他共の幸福のため、社会のために行動する――学会員の生き方の中に「人生100年時代」の指標がある。 【名字の言】聖教新聞2019.7.7
February 2, 2020
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日頃、何げなく使うあいさつにも、味わい深い語源や由来がある。「おはよう」は“お早くお起きになりまして、ご健康おめでとうございます”。「こんばんは」は“今晩はいい夜ですね” ▼いずれも元の言葉を省略したもの。先人たちは、短い言葉の中に思いをぎゅっと詰め込んで、互いに日々を無事に過ごせる喜びをかみしめた(日本語俱楽部編『この言葉の語源を言えますか?』河出書房新社) ▼いつも交わしている言葉だが、そこにひときわの思いが詰まっている――そんな場面に出あった。昨年7月の西日本豪雨で、約5500棟が全半壊した岡山県倉敷市。先日、ある地区で約1年ぶりに座談会が開かれた。故郷を離れ、慣れない土地で暮らしてきた同志が、しばしの沈黙の後、「ただいま」と ▼迎えた同志も、口々に「お帰りなさい」。それだけで気持ちは十二分に通じ合った。座談会では、こう語る友もいた。「先輩から『ありがとう』と言われて気付きました。こうして励まし合えるのも当たり前ではない、『有り難い』ことなんですね」 ▼万感の思いを凝縮した一言を、御書に「一句万了の一言」(1139㌻)と仰せだ。思いのこもった一言が、心を動かすもの。相手を思う心の深い人こそ「雄弁」の人である。 【名字の言】2019.7.6
February 1, 2020
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これまでいくつかの腕時計を使ってきたが、若い頃に持っていた安価な時計は、ぜんまいを定期的に巻かなければ止まり、時刻も狂いやすかった。よくテレビやラジオの時報を聞きながら、合わせ直した ▼今、腕に着けているのは電波時計なので、時刻が正確かどうかを心配する必要はない。その便利さを喜ぶ一方、ぜんまいを巻き直す作業や時報に合わせる時の“緊張感”を失ったことに、当初は一抹の寂しさを感じもした ▼かつて出会った学生部員は年季の入った腕時計をしていた。故郷に暮らす父から譲り受けたものだという。金属のバンドはどう見ても緩い。「サイズ調整しないのですか」と聞くと、彼は「このままでいいんです」と答えた ▼彼の父は高校時代、大学を目指したが家業が傾き、断念して鉄工所に就職した。後年、結婚し、彼が誕生。現在も父は元気に働いている――。彼が大学進学で実家を離れる際、唯一ねだったのが父の腕時計だった ▼バンドの緩さを感じるたびに、家族のために働き続ける父の太い腕っ節を思い出し、感謝と勉学への決意が胸にあふれるという。日々の暮らしにあって、“心のぜんまい”を巻き直し、人生の軌道を“正しい基準”に合わせ直す。そんな時間を持てる人は充実の人生を刻んでいける。 【名字の言】聖教新聞2019.7.4
January 30, 2020
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本年は「アンパンマン」の原作者・やなせたかし氏の生誕100周年。これを記念した最新作の映画が劇場公開されている ▼氏は30代で漫画家としてデビューしたが、ヒット作に恵まれず、焦燥の日々が続いた。50歳で「アンパンマン」を描き始め、子ども向けに絵本化もされたが当初の評判は散々。この時、あらためて「自分は何のために生きるのか」を真剣に考えた。“人を喜ばせることだ”と思い至った時、気が楽になり、ペンを握る手に再び力がこもった ▼そして69歳の時、アニメ化された「アンパンマン」が爆発的な人気に。国民的作品を生んだ氏は言った。「あきらめないでひとつのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて、出番がやってくる」(『やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP研究所) ▼何事も、最初から、うまくいく人などいない。努力を重ねても、なかなか思うようにいかないのが現実だろう。そんな時は、浮き足立たずに「何のため」という原点に立ち返る。心新たに、再び行動を開始する。何度も決意し、何度も挑戦を繰り返す中で人生の活路は開かれる ▼池田先生は「“遠回り”のようでも、着実に力をつけ、自分を磨きぬくのが、人生の勝利者の道です」と。忍耐強く挑む人が、最後に勝つ人である。 【名字の言】聖教新聞2019.7.2
January 27, 2020
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戦国時代、甲斐の武田氏が甲府に都市を築き始め、天下統一へ名乗りを上げたのは1519年。ちょうど500年になる ▼この年、躑躅ケ崎に本拠地として建てられたのは、堀が一重のみの簡素な館だった。武田信玄は「人は城 人は石垣 人は堀」と詠んだとされる。人材を的確に登用し、育て、適材適所で生かすことを築城よりも重視する。こうした質実剛健な気風が武田武士にはあった ▼その一方で信玄は「人を頼る」ことを嫌った。「人数はそう多くなくてよい」と語り、父が8000の軍勢を率いて落とせなかった城を、わずか300の兵で攻略。別の激戦でも、「一騎だけで敵に突入する勢いをもって、御旗本勢の先駆けを」して勝利。「小国の小兵力をもって、大国大軍に立ち向かうことこそ肝要」と言ったという(腰原哲朗訳『甲陽軍鑑』教育社) ▼一人立ち、先陣を切るのは自分だ――その覚悟が根本にあるからこそ、志を同じくして立ち上がる人の存在を、心からありがたく感じられたし、「城」や「石垣」と表現できたのだろう ▼日蓮大聖人は、御自身の足跡を「かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし」(御書502㌻)と。この「いくさ人」の覚悟から広布は始まる。常勝不敗の兵法である。 【名字の言】聖教新聞2019.7.1
January 25, 2020
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兵庫県福崎町には、民俗学者・柳田國男の生家が移設・保存されている。氏が自ら「日本一小さい家」と述べるほど、幼少期の生活は貧しかった。9歳の時、現在の加西市に移り住み、飢饉が起こる。約1カ月の間、おかゆだけの生活を送った ▼この飢饉は、「私を民俗学の研究に導いた一つの動機」と氏は振り返っている(『故郷七十年』のじぎく文庫)。大学で農政学を学んだのも農民たちに対する思いからだ。兵庫での経験は氏の人生と思想に深い影響を与えた ▼氏は30代前半の時、自宅で「郷土研究会」を開催した。同会はその後、新渡戸稲造を中心とした「郷土会」に発展。そこで、氏は初代会長の牧口先生と親交を深めた ▼郷土会創立の7年前、牧口先生は『人生地理学』を出版。その中で、郷土こそ「自己の立脚地点」と強調。地域に根差す「郷土民」としての自覚が、「生命を世界にかけ、世界をわが家となし、万国を吾人の活動区域となしつつあることを知る」という“世界市民”の礎になると考えた ▼法華経寿量品に「我此土安穏(我が此の土は安穏にして)」と説かれている。自分が今いる地域の安穏と繁栄を祈り、行動することこそ仏法者の使命だ。先師の精神を胸に、わが誉れの地域を、きょうも朗らかに駆けよう。 【名字の言】聖教新聞2019.6.14
January 9, 2020
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約1000年前の中国・北宋の時代に張詠という地方長官がいた。情にあつく機知に富んだ人物で、大乱のあった四川で諸葛孔明と並び称されるほどの治績を残した ▼張詠は「事に臨みて三難あり」と、問題に対処する時に心すべき点を三つ挙げている。一つは「ものをよく見ること」。そして「見て行動にうつすこと」。最後に「行動する時決してぐずぐずしないこと」と(朱熹編・梅原郁編訳『宋名臣言行録』ちくま学芸文庫) ▼「ぐずぐずしてはいられない」――1945年7月、戸田先生は軍部政府の弾圧による投獄から出獄して間もなく、こう言った。「私は、一日の休みもなく、奮闘している。これからの半年の間に、2年間の投獄の空白を取り返す決心で戦っている!」。この“決断即行動”こそ永遠不滅の学会魂である ▼ささいな課題でも、先送りにしたり、放置したりすると、解決が難しくなる場合がある。逆に、絶体絶命の困難にも、勝つと決めて作戦を練り、いち早く行動を起こすことで活路が開ける確率は高まる ▼御聖訓に「所詮臨終只今にありと解(さと)りて信心を致して」(御書1337㌻)と。どんな課題もなおざりにせず、一つ一つ、全力で勝ち越えていくことだ。この「決断即行動」の連続の中で、人生勝利の道は開けていく。 【名字の言】聖教新聞2019.6.11
January 4, 2020
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