2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全28件 (28件中 1-28件目)
1
今日は思いがけない人と再会した。夫婦で日本の名古屋に赴任中の仏人のPさんで、東京での会議の前にOFFICEに寄ってくれたのだ。ビジネスの情報交換した後で、奥さんの様子を聞いて見た。名古屋ではFrench Communityが無く、ホームシックを心配しての質問だったが、日本語の個人レッスンを受けたり、日本料理の教室(勿論日本語だけ)に通ったりして、既に日常会話は日本語でこなせるレベルに成ったそうだ。Pさんは、仕事も日本語で出来るプロであるが、奥さんは今回が日本語の初体験、何時ながら、フランス人の適応力には脱帽。
2008年01月31日
コメント(0)
昨日に続いてのトイレ情報で今日は日仏の比較。フランスでも日本と同じ様にトイレは男女別々に分かれているが、日本ほど厳密では無い。夏のバカンスシーズンの高速道路のサービスエリアのトイレは長蛇の列。男子トイレには小母さんのみならず、若い女性も次々に入って来て列を成している。男子トイレが掃除中だった時に、隣の女子用を使えと指示された事もある。会社のオフィスでは、女性が少なかった事も有るが、男性側が塞がっている場合に待つフランス人は皆無で、隣の女性側に入って用を足していた。以降はカールも同じ様にやり始めたが。混雑した道路で、車を停めて親が子供を抱えてピピをさせている事態に遭遇した事があるが、親が子供を抱えてピピをさせるスタイルが日本と違う事に気付いた。日本では背後から抱えて足を持ってピピをさせるが、目撃したケースでは前側から腕を持ってピピをさせていた。あれでは、親が濡れてしまうのではと心配した。
2008年01月30日
コメント(6)

海外を巡っていると苦労する事の一つはトイレ。トイレ事情は歴史的な当に大衆文化で、郷に入っては郷に従え、相手国の文化を理解し、受け入れる事に勤めるのが基本で有るが、生理現象の様に避けては通れないケースでは、これが中々難しい。40年来の山男だったので、野外での雉撃ちや汚れた無人小屋でのトイレには慣れてはいるものの、中国での集団用足しや欧州での公衆トイレの汚さには馴染め無かった。フランス社会では、立ちション等の排泄行為や排泄物に対する羞恥心は、他のテーブルマナーや身だしなみマナーに対して相対的に低いと思われる。羞恥心と言うよりも関心が低いと言った方が良いのかも知れない。道路上の犬の糞や公衆トイレの汚さが大きな社会問題に成る事は少ない。パリ他の都市では極端にトイレが少なく、歴史的遺産のChateauや教会でも公衆トイレは数える程。昔の人が使っていたトイレの遺跡なるものは見た事が無い。中国では急速にウォシュレットが普及してきたが、フランスでは高級ホテルでも見掛けない。トイレにお金を掛けると言う価値観は無さそうで、その面では合理的、かつ保守的かもしれない。歴史的にも、排泄は外で自由に垂れ流しされて来た文化が、立ちションは許容されると言う現在のマナーに繋がっているのかも知れない。6年間のフランス生活での、最大のカルチャーショックは、サンジェルマン・アンレで目撃した妙齢のマダムの森の中での座りションだった。木陰でこっそりと言うスタイルでは無く、当に堂々と言う印象であった。公衆トイレが不潔で汚れている事を直ぐに知ったので、その後は極力使わない様に努めて来た。従って、特にトルコ式(和式)の公衆トイレのフランス人の使い方、カカ(大)やピピ(小)を如何言うスタイルでするのかは今持って謎のまま。又便座の無い洋式トイレでは、見知らぬ便座に座る事を嫌うフランス人は中腰スタイルで用をたすため?、カカとピピが如何すれば外に飛び出さずに可能かは良く分からない。トイレの汚れがひどいので、余程の緊急時以外は使用を躊躇して来たが、背に腹は変えられずにトライした事も有った。慣れない身にはナイトメア。トルコ式トイレは、ひよこさんのブログに写真が乗っていたが、今日の空色 トイレの話へジャンプ使い方に付いては曖昧のまま。真ん中に足場があり、奥に穴のある和式スタイルで、通常はお尻を壁に向ける日本とは逆向きのしゃがみ方でカカを、男性のピピは壁方向に向かって急降下で穴を目指すのか。女性のピピは方向がなぞで、扉方向に向けてすると外に飛び出したり、流す時(この水流が半端でない)にも前に飛び散ってトイレ内は水浸しに成るのでは。トルコ式トイレが汚れているのは、外部に複合水が飛び出す事と足が水で汚れる事を嫌って流さないでバイバイする剛の者もいる為だろうか?。都会では少しでも奇麗な所と考えるなら、入り口にチップを受け取る小母さんのいる有料(50セント)の所を選んだほうが良さそう。カフェでも只使い防止にレシートにトイレ番号を記入したり(番号入力で鍵が開く)と工夫している。有料はメンテされて奇麗だと考えるべき。有料のコイントイレボックスで流し方が分からずに冷や汗を掻いた事も有ったが、そのまま出てくれば自動的に流れると言う事を知らなかったのだ。インドネシアへの出張時には、紙を使わずに右手でホースの水をお尻にかけて、左手で洗浄すると言うイスラム圏の方法も体験して見た。左手では食物を食べない習慣に繋がっているのだ。グローバル化が進んで、どんどん西洋文明化して来ると海外での滞在生活は確かに快適には成るが、固有の文化が消えて行くと言う側面もある。アフリカへ修学旅行した高校生が、最初はアフリカの台地でテント生活を送り、トイレも自分達での穴掘りスタイルの洗礼を受けた後で、後半はホテルでの生活を体験すると、日常当たり前と思っていた水洗トイレの有り難さを身を持って痛感するそうだ。中高年の登山ブームで今の山小屋は随分と快適に成ったが、快適さの裏にある周囲の環境破壊を忘れては成るまい。
2008年01月29日
コメント(9)

日本の秋は、秋晴れの青空と紅黄葉など鮮やかな原色が美しいが、フランスでは秋晴れの青空と言うものを見る機会がほとんど無く、秋は気候が不順が一般的なイメージ。秋の定番の紅葉も、フランスアルプスではカラマツの黄葉が目立つ程度で、もみじは見掛けない。日本の大雪山や東北の山岳部の燃える様な色彩に比べて拍子抜け。秋の村巡りでも、秋の色彩を売り物に出来る場所に出会う事は少なく、唯一アルサス地方の黄葉の葡萄畑越の村の全景は見応えが有った。1.2005年9月18日 (2回) セントラルのカンド・サン・マルタン 2.2004年9月26日 (3回) セントラルのラヴァルダン 3.2005年10月8日 (6回) リムーザンのコロンジュ・ラ・ルージュ 4.2005年10月8日 (8回) リムーザンのキュルモント 5.2007年10月10日 (4回) アルサスのリックヴィール 6.2007年10月12日 (6回) オートザルプのグラーブ・ラ・メジェ7.2005年10月15日 (6回) フランシュ・コンテのボーム・レ・メシュー8.2006年10月28日 (3回) アルサスのリボーヴィレ 9.2003年11月1日 (2回) ブリターニュのロクロナン 10.2004年11月12日 (3回) ミディ・ピレネーのコンク
2008年01月27日
コメント(3)
土曜日はWIFEが日本語ボランティアなので、一人で行動する標準パターンを模索していたが、如何やら定型スタイルが確立できた。題してMMS、Mは昼食を調布駅近くの”みさと屋”で。みさと屋は有機無農薬の自然食の野菜食堂。次のMはGallary&Cafeの”みるめ”。画廊の2階でゆっくりとお茶が飲める。フランスで単身赴任していた頃から、一人でレストランに入って食事をしたり、カフェに入るのは苦手で、外で出来合いの食料品を買って帰ったり、ワンパターンの自炊を続けていた。今日のみさと屋は男性一人で昼食を食べに来ている人が沢山居て、食事した4人掛けのテーブル席は男性3人と女性1人の全て一人客の相席。場所柄、常連の大学の先生が多いと思われたが、一人でも寛いで食事出来るのが嬉しい。みるめも、静かでのんびりと本が読めるが、今日は他に一組のお客が居ただけ。食後のお茶を飲んだ後は、歩いての野川沿いの柴犬ワンコの小屋を目指した。これが最後のS。生憎、今日は飼い主が散歩に連れ出している様で、会う事が出来なかった。
2008年01月26日
コメント(2)

6月はプレバカンスシーズンでは有るが、7,8月のスクールホリデー前に夏休みを取るカップルや学齢期前の子供のいる家族連れを見掛ける。梅雨の無いフランスでは、6月は好天が続き混雑の無い最適なバカンス月かも知れない。夏場の気候は予想が難しく、2003年の様な1万5千人が亡くなった猛暑年も有れば、真夏に山間部では雪を見た不順な寒冷年もある。6月下旬にパリに出張して来た旧友が、蒸し暑さに耐えかねてホテルにエアコンを運転してくれと頼みに行った所、7月から運転がルールだと言って断られたと嘆いていた。1.2006年6月3日 (3回訪問) ミディ・ピレネーのオートワール2.2004年6月8日 (1回) コルシカのサン・タントニーノ 3.2005年6月18日 (6回) フランシュ・コンテのボーム・レ・メシュー 4.2005年6月18日 (2回) フランシュ・コンテのロード 5.2007年6月23日 (3回) ローヌ・アルプのボヌヴァル・シュール・アルク 6.2005年7月2日 (3回) オーベルジュのサレール 7.2007年7月2日 (6回) オートザルプのグラーブ・ラ・メジェ8.2004年7月10日 (3回) プロバンスのムスティエ・サント・マリー 9.2005年7月15日 (2回) プロバンスのシミアンヌ 10.2003年8月8日 (1回) ラング・ドッグ・ルションのカステルヌー
2008年01月25日
コメント(2)

フランスでは、夏と秋が短いので5月は初夏と言うより寒の戻りもある春たけなわの季節。そんな5月の美しい村10選を選んでみた。春の訪れが早いプロバンスには3月が訪問適期、台地に新緑が広がる森と水の国、リムーザン、フランシュコンテへは4月が、山深いミディ・ピレネーやラング・ドッグ・ルションへは5月の訪問が多くなった。1.2005年5月1日 (訪問1回) 海外領土ドム・ドム レユニオン島のエルブール 2.2004年5月15日(訪問1回) ミディー・ピレネのサン・ベルトラン・コマンジュ 3.2004年5月15日(1回) ミディ・ピレネーのサン・リズイエ 4.2003年5月24日(6回) オートザルプのグラーブ・ラ・メジェ 5.2003年5月24日(2回) オートザルプのサンベラン 6.2006年5月25日(2回) ラング・ドッグ・ルションのサン・テニミ 7.2007年5月27日(2回) オーベルジュのサン・フロレ 8.2003年5月30日(1回) ミディ・ピレネーのベルキャッスル 9.2003年5月30日(1回) ミディ・ピレネーのサン・シル・ラ・ポピー 10.2003年5月30日(1回) ミディ・ピレネーのロートレック
2008年01月24日
コメント(0)
朝目覚めて窓の外を見ると雪が舞っている。都心も積雪ありとの天気予報で、通勤スタイルを思案。気楽な非常勤で、客先と会う予定も無いので冬場のパリジャンスタイルで出勤する事にした。ブレザーの上はフード付きコートで傘は差さないスタイル、パリジャンは本当に傘嫌いだ。靴は、滑らないハイキングシューズにして、上着はスーツでは無くジャケットにネクタイ。一方、都心に通勤する大多数のビジネスマンは黒の革靴、スーツにコートと普段と同じ服装で傘を差しての出勤。出退勤時も昼食外出時にも今日は一切傘を使わないで済ませた、昼食時に同行した同僚のAさんは羨ましがっていた。
2008年01月23日
コメント(4)
病院での検査が続くので、今週は変則勤務。今日は夫婦揃って昼過ぎまで時間が空いたので、防寒対策を万全にして、神代植物園まで散策した後、森のカフェでランチを食べた。テーブルの上に、ナイアガラ名の白ワインの紹介パンフが有ったので、店の人に宮崎県五ヶ瀬町産かを聞いたら、長野県塩尻産との回答であった。12月の九州縦断の旅で、五ヶ瀬町を訪問した時に五ヶ瀬ワインのナイアガラを買ったので目に留まったのだ。アメリカ原産?のナイアガラ種は広く栽培されているようだ。森のカフェは情報誌の調布特集号で取り上げられたレストランで、WIFEが次男の嫁さんと偵察に来て、満足した店。アンティークショップに併設された雰囲気のある店で、夫婦揃って磯カレーを注文したが、シェフの拘りが随所に見られるユニークな味わいで大満足。
2008年01月22日
コメント(0)

過去6年間で撮影した「フランスで最も美しい村」や四季の自然、フランスの素顔などを様々なジャンルに纏めて写真で紹介する。初回は、これまでに訪問した「フランスで最も美しい村」全149村と番外編の中から、お気に入りで繰り返し訪れている全景が美しい村を主体に、春(3,4月)の10村を選んで見た。1.プロバンスのバルジェーム(6回訪問)2007年3月4日 2.ローヌアルプのパーシー(3回)2005年3月26日 3.プロバンスのゴルド(4回)2006年4月1日 4.プロバンスのルッション(2回)2006年4月1日 5.リムーザンのチュレンヌ(5回) 2005年4月2日 6.プロバンスのムスティエ・サント・マリー(3回)2007年4月2日 7.リムーザンのサン・ロペール(1回)2003年4月5日 8.リムーザンのセギュール・シャトー(2回)2003年4月5日 9.ブリターニュのイル・ド・サン(1回)2004年4月17日10.リムーザンのシャトー・シャロン(5回)2003年4月20日
2008年01月21日
コメント(6)
WIFEが外国人に日本語を教えるボランティアに出掛けたので、今日は久々の自炊昼食の後で、一人で深大寺方面へ散歩に。野川沿いを柴犬ワンコの小屋まで行き、柴犬の写メールを出産の為に実家に戻った次男の嫁さんに送った。これがワンコ通信の第一号、直ぐに近況報告の返信が来た。立体エコー写真で胎児が口を空けた様子も撮れるとは驚き。深大寺を経由して神代植物園に足を延ばす。園内では既に春の息吹が、菜の花やクリスマスローズの花がちらほら咲き始めていた。寒さを物ともせずに、バラのソフトクリームにトライ。大広場でフランス人の四人家族を見掛けた。Bonjourと声を掛けるタイミングを見計らって居たが、何時の間にか視界から消えてしまった。
2008年01月19日
コメント(2)
フランスで勤務して居た会社から封書が届いた。中味を確認するとフランス内務省交通安全局?(la circulation et de la securite routieres)からのLetterが同封されていた。表面に日本人アシスタントのNさんの解説文が付いていたので焦らずに済んだが、交通違反では沢山脛に傷を持っている。「2004年12月18日以降には違反をしていないので、2007年12月18日から持ち点が12点に復活する」旨の知らせであった。持ち点がゼロ近くに成り、びくびくしながら運転していた思い出がある。フランス免許は書き換えが不要で、永久に使用が可能、日本へ帰国後の昨年10月のWIFEとのフランス縦断ドライブでも国際免許は不要であった。米国内でも、仏免許があれば自由に運転出来るのが有り難い。
2008年01月18日
コメント(0)
昨日の強行スケジュールから一転、今日は昼過ぎのFlightまでは自由時間。空港に車で移動する道すがら、大連市内と海岸沿いのリゾートエリアを案内して貰った。中山広場近辺の旧大和ホテル、旧満鉄、ロシア人街、日本人街を巡って海岸線沿いをドライブ。さすがに厳冬期だけに観光客は少ないが、それでも観光バスに乗った団体客を見掛けた。空港に到着後の大連空港の出国審査でトラブル発生。大連空港での入出国検査は北京オリンピックを目前に控えて、マナーや手続き時間短縮に注力して好感が持てた、個人にインセンティブを与えるため、出口でPOL(仕事の個人評価)調査の端末まで設置して ”私達の仕事を評価して下さい”の音声が流れていた。トラブルは出国時のパスポートチェック時に発生。カールのパスポート(2003年に再製)が全ページに渡って既にスタンプ満杯状態に成り、中国入国時の3日前のスタンプを係員が見つける事が出来なかったのだ。他の国と異なり、中国では入国スタンプの隣に出国スタンプを押すのがルール。担当係官が見付ける事が出来なかったので、別係官を呼んで調査を引き継いだが、その人も発見出来ず。結局、その人に付いて行き、別室前の椅子に座って待つ羽目に成った。10分以上経過して、今度は上長と思しき人を含めて3名が現れ、漸く見付ける事が出来た、ご迷惑を掛けたと誤りに来てくれたのだ。改めてパスポートを詳細に見たが、一面のスタンプの海の中から当該のスタンプを見つける事は至難の技と思われた。次回から中国への出張時には、何ページ目に入国スタンプが押されたかを憶えて置く必要が有りそうだ。
2008年01月17日
コメント(0)
今回の2泊3日の大連出張では、2社での業務打ち合わせ以外にも、同世代の旧知のメンバーが総経理を勤めている異なる産業分野の日系3社を訪問して、最新の中国の経済動向や国内の変化の情報を収集する事が出来た。今週から寒波が襲来したそうで、各社の工場見学や徒歩での建物間の移動では、上下の山用の防寒下着を着用していた物の、寒さに震え上がってしまった。気温を聞くと-10度前後ではとの回答、1分以内なら何とか我慢出来たが、数分間建物の外に出ると限界に。準備してきた毛糸の帽子や手袋は役立った。大連訪問は10年ぶり、中国への出張は6ヶ月ぶりと成ったが、変化の早さには驚くばかり。今回の出張で目に付いた変化は1.空の青さ中国の空は煤煙や黄砂、排気ガスで抜けるような青空を見た記憶が終ぞ無いが、今回は寒波の影響も有ろうが、素晴らしい青空を体験できた。石炭火力発電所は健在だったが、家庭では都市ガスやプロパンが普及、10年前には道路に野積みされていた石炭は見当たらなかった。2.整然とした交通事情道路整備が進み新車(当に世界中のブランド車の坩堝)が多く、運転マナーも格段に向上、主要道路には人力荷車や自転車を見かけない、この変化は驚き。3.ホテルの質向上今回は経済開発区内の4星ホテルに宿泊したが、設備やマナー等は格段に向上。特にウォシュレットのトイレがホテルやレストラン、カラオケにまで完備されていたのは驚き。便利なもの快適なものへ直ぐに飛びつく中国社会、中国人の柔軟性には毎度驚きを感じている。欧州では3星、4星のホテルでも室内の快適さでは中国に遅れを取っている、今日の行程は、朝8時から夕方6時まで4社を駆け足訪問の強行スケジュール、中華レストランでの会食後にカラオケに出掛けた。ビル内の複数階に個室を持った大規模カラオケ店で、女性従業員の数は90名、ずらっと廊下に並ばれたのは壮観。南海キャンディーズの静ちゃん似の女性総経理の下に4名の副総経理(チーママ)が居て、名刺が企業スタイルで驚いた。件の総経理に静ちゃん似と言われるかを聞いたが、返事はOUIで有った。
2008年01月16日
コメント(0)
今朝は4時30分に起床。上下の保温下着にオンパックスを貼り付けての防寒対策。これから2泊の予定で、中国大連への出張、日本も早朝は寒い。成田の出国手続きで、今までダイアモンドメンバーでの特別待遇で如何に楽をして来たかを痛感。今回は、Firstのカウンターとラウンジから、一般のエコノミー扱いで、搭乗時間間際のぎりぎりセーフに。連休明けで、チェックインが大混雑して居たので、延々と待つ事に成った。今回は、オフシーズンでの安価Ticketを会社が使用している旅行社経由で購入したので、別航空会社に成った為。人間楽な生活に慣れるとダメに成る。
2008年01月15日
コメント(2)
中目黒のベルギーフレンチレストランのAmbianceに「日本で最も美しい村」連合仲間のKさんに連れて行って貰った。ベルギーの家庭料理をお手頃価格で気楽に楽しめるこの店の雰囲気(Ambiance)がとても気に入った。店内には、外国人カップルも見掛けた。オーナーシェフの大平さんは、昨年秋にこの店を開店されたが、ベルギーの星付きレストランで修行された本格派。カールの「フランス四季の色と美しい村」の本を謹呈して、いろいろ話しをさせて頂いた。
2008年01月14日
コメント(0)
中国大連への出張に向けて、防寒下着を新宿の山用品専門店に買いに出掛けた。冬山用の衣料の中で、ビジネスシャツの下でも着用可能な色と厚さのウールの下着上下をお店の人に相談して買い求めた。その他、防寒用のこれもウールの暖かそうなお気に入りの形状と色の帽子が目に付いたので、衝動買いした。既に早朝散歩用のWIFEとお揃いの毛糸の帽子を持っていたが、こちらの方が寒さ対策には強いと判断したのだ。循環器系の持病が有るので、急激な温度変化への対応には万全を期したい。
2008年01月13日
コメント(3)
トロンボナンザの第28回定期演奏会を聴きに行って来た。トロンボーンのアンサンブルと言う珍しい構成で、アマチュア楽団が28回も演奏会を続けているのは驚き。金管楽器のトローンボーンだけで30数名が合奏するのは困難この上なく、こんな曲をトローンボーンアンサンブルで良くチャレンジしたなと意欲的な試みには拍手を贈った。今回この演奏会に出掛けた経緯は、長男の相方のMさんの義兄が、トロンボーン奏者として、更に演目の編曲に関わって出演して居たため。お子さん2人を含めて家族全員が楽器を演奏する音楽家一家で、特に小学生のお嬢さんが熱心にお父さんの演奏に聴き入っていた。
2008年01月12日
コメント(0)
次男のお嫁さんのAさんが出産準備のために山口県に移動するので東京駅まで見送りに行った。東京駅でちょっとしたハプニングが有ったが無事に出発。その後、WIFEと門前仲町、月島方面へぶらり散歩、昨年地元のKさんに連れて来て貰ったもんじゃ焼きの”はざま”とコヒー専門店の”東亜”が目的地。もんじゃ初体験のWIFEも満足してくれた。帰りに、深川江戸資料館に足を延ばし、江戸庶民の正月飾りの展示を見て来た。天保の頃の深川の町並みが実物大で再現されており、興味深かった。清澄通りを月島、越中島、門前仲町、深川、清澄白河、森下と歩いたが、途中宮部みゆきの小説に縁の場所などが出て来た。
2008年01月11日
コメント(2)
来週、非常勤勤務を開始してから始めての海外出張に中国大連に行くため、その準備を始めた。マイレージによるアップグレードを期待して居たが、今日会社から支給されたTicketは、別会社のものでラウンジも使用出来ず。大連は最高気温が-5度前後と仕事以外にも防寒対策の準備が必須。帰宅後、「日本で最も美しい村」連合メンバーの大鹿村から案内を貰っていた、大鹿歌舞伎を題材にしたテレビドラマの番組を見た。歌舞伎終了後に締める”おシャシャのシャン”が番組のタイトル。紅葉の渓谷の彼方に聳える冠雪した赤石岳を望む大西公園からの景色は何時見ても美しく、村人を演じた役者さんも素朴な優しさを上手く出していた。
2008年01月10日
コメント(2)
昨日出社したので、今日はお休み。WIFEが出掛けたので、昼過ぎまでは読書をして、3時から深大寺方面に散歩に出た。遅まきながら深大寺で初詣を終えて、野川沿いの柴犬の小屋まで足を伸ばした。運よく、柴犬は在宅していたので暫し声を掛けて戯れていた。其処で有ろう事か、散歩中の次男の嫁さんのAさんと偶然出くわした。妊娠中のWeight controlに毎日夕方歩いているそうだ。真直ぐ自宅に戻るのを変更して、お茶に誘った。
2008年01月08日
コメント(4)
今日が仕事始め、年始の全員朝礼に出るため、何時もより早いラッシュ時の電車に乗った。帰宅後、NHKスペシャルの伝説の夫婦が挑む1300Mの大岸壁を見た。予想通り?、山野井泰史、妙子夫妻のドキュメンタリー番組であった。山野井さんには、彼が国内の厳冬期の岩壁を目指して居た頃から関心を持っていた。その後、世界各地の高所、高難度の岩場を単独、無酸素で限界ぎりぎりの登山をする姿を見て、その生き方には芸術家か哲学者の姿を感じていた。ギャチュン・カンの岩場で夫婦で雪崩に巻き込まれて、手足の指を失ったと聞いていたので、もう岩登りの現役は退いていたと思っていたが、今回の番組で苦しいトレーニングを積んで夫婦揃って現役に復帰した事を知った。番組では、奥多摩の山間の自宅で妙子さんが野菜を育てて生活している様子も放映されていたが、山が本当に好きなお二人の生活ぶりが偲ばれた。1300Mのグリーランドの岩壁の映像以上に、氷河の氷が少ない事に地球温暖化の影響を見た思い。
2008年01月07日
コメント(2)
古くからの友人で、京王八王子駅前のフレンチレストランのSに家族6人でランチに出掛けた。次男の嫁さんのAさんが出産を控えて、今週末に実家に戻るので送別会を開いたのだ。Sから、今年は開店20周年との案内を貰ったので、お祝いの花飾りを持参した。店の人とはミシュランの星認定のレストランが話題に成ったが、多摩地区には調査に来なかったとそうだ。普段は無口なカールでは有るが、今回はオタクを自認する駅伝やのだめに付いての質問をいろいろ受けたため、舌好調で有った。
2008年01月06日
コメント(3)
母校のK名誉教授の叙勲記念パーティに出席した。先生には昨年のカールの出版記念パーティでお目に掛かっては居たが、他の研究室で机を並べたメンバーにも再会出来るのではとの期待もあった。出席メンバーの年代差は約35年、顔見知りの人は10名ほどであった。先生は山好きで、K研究室では毎年石楠花と紅葉の時期に、奥秩父に山小屋泊まりで出掛けるのが年中行事であった。パーティでは先生の功績や自然や山や自由を愛するリベラルな人柄、エピソードが紹介され、懐かしく当時の事を思い出した。パーティの終了後には、同年代の5人で二次会、三次会に繰り出して旧交を温めたが、卒業後の35年の月日は重く、お互い体にガタが来て、皆年を取った。
2008年01月05日
コメント(0)

今日は人出の谷間と見て、多摩動物園に出掛けた。此処は、息子達が小学生の低学年以来の約20数年ぶりの訪問。当時は、多摩動物園の近くに住んでいた事もあり時々来ていた。大きな間取りは昔のままの様に思われたが、整備は進んだ印象。蝶好きなカールが先ず目指したのは、昆虫館で、熱帯性の蝶が温室内で乱舞していた。子供の頃に、採集したいと憧れて居た九州や四国の限られた地域に生息していた、イシガキチョウやツマベニチョウが目に付いた。 目指す動物は、コアラ、ユキヒョウ、オランウータン、22歳で高齢のウォンバッド、マレーバクの赤ちゃんなど。先ずは人気もののコアラ、木の枝の上で眠るコアラは可愛い。 殆どの野獣が檻の中で、牙を抜かれて惰眠を貪る中、ユキヒョウの垂直の岩場を登る軽快な身のこなしや雄叫びは見ていてほっとさせられた。 マレーバクの赤ちゃんは、12月12日に生まれたばかりで、長時間粘って待たないと、起き上がった姿は見る事が出来ないとボランティアの人が説明してくれた。赤ちゃんバクは当に瓜坊だ。 園内には孫と同行してやって来たおじいちゃんやおばあちゃんが多い。外国人の親子連れは、如何言う訳か、お父さん一人で子供達を連れて来ている人ばかり。
2008年01月04日
コメント(6)
Kストアーのチラシに福財布の案内が出ていた。カード入れが破れて、新しい物を購入する事を考えていたので、箱根駅伝の復路の中継が終わった後で、聖跡桜ヶ丘のKストアーに出掛けた。手頃なカード入れが見付かり、値段も正札の半額、更に宝くじを引いたら、500円(現金)が当り、鉦が鳴った。結局、正札の1/4の値段で購入出来た事に成り、こいつは春から縁起が良いと喜んでいる。
2008年01月03日
コメント(2)
テレビ嫌いで、カールがテレビを見続けるとご機嫌斜めになる我がWIFE。但し、正月三が日の駅伝中継だけは、最早諦めの境地の様だ。駅伝オタクのカールは事前に注目選手の名前を頭に叩き込み、下馬評を調べてテレビ観戦に望む。箱根駅伝では、往路だけは自信があると聞かされて居ただけに、母校は予想通りの名門復活を遂げた。駅伝が終わった後で、神代植物園まで散歩に出掛けた。植物園は空いており、のんびりと園内を散策できたが、お目当てのバラのソフトクリームは売店が閉まっており食べられず。園内の草花は来春以降の芽吹きの為に、あらかた刈り取られていた。深大寺に寄り道して、初詣をしようかとWIFEを誘ったが、No Thanksの返事。昨年の大混雑の記憶があり敬遠した様だ。
2008年01月02日
コメント(2)
今年は2人に成ったので、お節料理作りはパスするかとWIFEと話し合っていたが、元旦に息子達のカップルが来る事に成って、WIFEが昨日より頑張って料理に励んでいた。正午近くに先ず次男夫婦が到着、長男カップルは例に寄って遅れて到着。年末に長男が掲載論文書きに、徹夜を含めて毎晩遅くまで励んで居たそうで、疲れた表情で言い訳をしていた。勤務時間後に自宅や図書館に篭って、論文を書くのは大変な重労働ではあるが。昼食時には、好きなシャンパンにも口を付けず、食後のトランプにも何時もの精彩が無かった。長男の調子が悪そうなので、早く引き上げて寝る様にアドバイスして、ゲームを切り上げた。心配していたが、案の定暫くしてWIFEにTELが入り、2人とも熱を出して寝込んだとのSOSコール。WIFEは、彼らのアパートに急行する羽目に成った。
2008年01月01日
コメント(6)
全28件 (28件中 1-28件目)
1


