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昨日、今日と暖かい日が続く。暖かいのは、老人にとってなによりだ。でも、たとえばチューリップの花が、すぐに開き切っていくのを見ると、「いいのかなあ?」とも思うのだが・・・・・。
2015.03.31
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春が急いでやってきた。庭では、新芽と花芽、つぼみと花が競争しているみたい。この黄色い花は、昨年、近くのスーパーで買った盛り合わせの鉢植が一度は枯れて、この春、この花だけが咲いたもの。netで調べてみたが、名前はわからない。実は、先の連休、久しぶりに来阪した孫のM樹に頼んで、8.1のパソコンを買い、設定と引っ越しをしてもらった。前のVistaPCの電源コネクターまわりがまずく、2年近くダマシダマシの状態できていたが、スマホもない。もうしばらくはPCと縁が切れないだろうから、早いうちに次のWindowsに慣れたほうが良さそうという考え。ところが、M樹が帰ってしまうと、さあ困った。画面が違うし、手順?も違う。WindowsMailではなくてOutlook?アドレス帳は?いろいろやってみるうちにかなり分かってきた。仕事で使うわけではないから、気分は楽。PCのメールで受信するのは、ほとんどがニュースとアラート。友人たちとのメールは、均せば週に数件。写真を取り込んでブログに使うのもできた。プリンターとの接続もOK 。Bookmark も「お気に入り」の中にあった。今は、M樹に「さすがオジーチャンの孫!」と言いたい気分でいる。
2015.03.28
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1945年6月から8月にかけての第2~8次大阪空襲のとき、4年生のボクは、大阪の家を引き払った母と祖母といっしょにやはり葛城山麓の隣村の遠縁の家の離れに住んでいた。国道24号線と今のJR和歌山線、近鉄御所線が通る村だった、母は大阪の女学校の教師で、勤労動員先の大阪造兵廠へ通勤。今思えば、大阪大空襲だったのだろう。突き抜けるような青空の上の上の空をB29の編隊が飛行機雲を引きながら北西に向かう。その後、決まって二上山の方向の空が赤黒く染まる。その赤黒い空の下にいるはずの母のことを思って、「死んでいれば冥福を。生きていればご奉公を」とつぶやく。そうつぶやくのが『愛国少年』 だったのだろう。でも、20年前に亡くなった母に、そのことを打ち明けられなかったことも事実だ。間もなく終戦。1年もすれば葛城山東麓の町と村は、すっかり平和。ボクは24号線でキャッチボールをする『野球少年』だった。
2015.03.20
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昭和20年3月~8月にかけて行われた大阪大空襲のとき、国民学校生のボクは、奈良県葛城山東麓の町にいた。 3月に行われた第1回の空襲のときは、縁故疎開先の伯父の家にいた。夜のことだったし、記憶はない。実家に被害もなかった。 実は、その頃まで、毎週、土曜日には、電車で約1時間の今川駅(現・東住吉区)に近い母と祖母の住む実家に帰っていた。疎開先が大家族であり、食糧不足が深刻でボクは空腹続き。一人ずつのご飯を、伯母が秤で計っていたことを覚えている。今川へ帰ると、母と祖母が蓄えたゴチソウ?で腹いっぱい、日曜日夕方、疎開先へ戻ると、下痢が始まる。下痢が治る頃に実家で腹いっぱい・・・・・。そしてまた・・・。の繰り返しの日々だった。 つまり、1945年3月13日の夜、ボクは下痢少年! 因みに、現在のボクの体重は65kg程度。しかしタバコをやめた30年前までは、約52kg。この体重不足状態は、少年の頃の下痢の影響に違いないと思っている。
2015.03.19
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今日は、久しぶりの青空、庭のウメも満開状態。メジロが来ている。いつものツガイのようだが、定かではない。それはともかく、メジロが来ると、ウメの受粉や実の収穫にプラスなのだろうか?先週、79歳になった。「ハルバル来たぜ 」とも思うが、「マダマダこれから」感も否定できない。80歳になれば車の運転を止そうと思うこともあったが、もうしばらくは出来そうな気がする。先週、10年前からの2Lの車を下取りに出して、1.3Lのコンパクトカーに乗り換えることにした。ディラーからは某球団のヘルメットと同じ色を勧められたが、穏当にシルバーにした。
2015.03.12
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