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七詩さんComments
大仏次郎の 『地霊』
という短編にも出てくるが、帝政末期のロシアに、のちに 「革命のユダ」
というあだ名がついた、 アゼーフ
という人物がいる。表の顔は、ナロードニキの流れを汲む社会革命党(通称エスエル)の幹部であり、テロ部隊であった 「戦闘団」 の最高指導者でありながら、じつは内務省=警察のスパイであったという人物である。
かれは雇い主である内務省に情報を流して党の同志を売り渡しながら、同時に雇い主には内緒で、政府要人の暗殺計画をたて、実際に何人もの暗殺を成功させてもいる。そのひとつであった、皇帝の叔父でもあるセルゲイ大公の暗殺事件は、のちにカミュによって 『正義の人々』
という題で戯曲化されてもいる。
最終的に、彼の正体はブルツェフという人によって暴露され、党の査問を受けることになるが、決定が下る前に逃亡し、最後は第一次大戦中にドイツで死亡したということだ。このときに彼の査問に当たったのが、彼の副官であって、のちにロープシンという名前で 『蒼ざめた馬』 という小説を書いた サヴィンコフ である。
アゼーフという人物は、もともと皇帝に対する忠誠心からスパイとなったわけではない。自分の個人的利益のみを追求していた彼にとって、スパイとしての職務をあまりに忠実にやりすぎて、革命勢力が壊滅し、政府にとっての脅威でなくなってしまえば、スパイとしての自分の存在価値も失われてしまう。
彼のスパイとしての価値は、彼の 「革命家」 としての地位の高さに比例していた。党内において高い地位を占め、「革命家」 としての名声が上がるにつれて、雇い主である警察にとっても、革命運動に関する情報源としての彼の価値は高まるようになっていた。だから、彼の計画が挫折や失敗ばかりして、その 「革命家」 としての権威が失墜してしまえば、警察としても彼をスパイとして育て上げたせっかくの努力が無駄になってしまう。
そのため、警察はアゼーフの党内での出世を後押しし、その声望を維持させるために、彼の 「革命家」 としての活動を黙認し、ときには内密に手助けせざるを得ないという奇妙な立場に追い込まれた。しかし、やがてアゼーフの行動は、そのような警察の当初の思惑を超えて暴走を始めるようになる。
この奇妙な 「二重スパイ」 事件をめぐって、彼と雇い主である警察がはまり込んでいた立場とは、そのようなものだった。彼が政府のスパイでありながら、同時に政府要人の暗殺を実行し成功させたことには、おそらくそのような背景があったのだろう。むろん、同時に、そこには政府と革命党の両方を自分の手で操るということに対する、暗い満足感のようなものもあったに違いない。
その結果、警察によって送り込まれたスパイが立てた計画によって、政府の要人が暗殺されるという、なんとも奇妙な事件が起きることになった。人はみなそれぞれの意志と利害を持って行動しており、その結果、だれも予想していなかったような奇妙な事件が生じたり、奇妙な結末を迎えたりもしてしまう。社会は、つねにそのようにして動いている。
この事件について、トロツキーは次のようなことを書いている。
社会革命党の戦闘団と中央委員会のメンバーであったエヴノ・フィリポヴィチ・アゼーフが、職業的挑発者だと宣言された1909年1 月以来、この人物をめぐって膨大な国際的文献が現われた。こういった文献は主としてセンセーショナルな調子のものであった。それも当然だ。事実そのものがすでにあまりにも異常にセンセーショナルであったし、事実そのものがすでにあまりにも想像力を刺激したのであるから。
ほとんどすべての人の頭の中には、とくに俗物の頭の中には、まるで絵に描いたようにこのロマン主義的な蛆虫が住みついている。この蛆虫は、日常の気苦労の中で麻痺しているのだが、ひとたびセンセーショナルな事件に刺激されると次々に新しい糧を、しかも、ますます異常なものを要求する。
それは、うずくような好奇心である。現代の情容赦のない新聞の時代には、あらゆる事件が莫大な量の報道を読者にもたらす。そして、その報道はますます、もともとの源泉から遠ざかっていく。
新しい糧をなくしたセンセーショナルな報道は、2次的、3次的……「N+1」次的な報道によって養われる。結局、一定の時間がすぎると、ロマン主義の蛆虫の心理的・生理的な性質に規定されて、センセーショナルな報道は飽きられ、このセンセーションを引き起こした事件は新聞紙の山の下に葬られる。
センセーショナルな報道に刺激された社会心理は、ますます異常なものを要求するだけでなく、こういった解説が事件を現実主義的な枠におさめていることに気づいて若干の腹立ちを感じさえする。一般に、社会心理がこうした場合に求めているのは、解説なのではない。それが求めているのは、謎めいた未解決のものなのである。
ここでトロツキーが指摘していることは、100年前とは比べようがないほどに、大規模なテロや暗殺といったセンセーショナルな事件が世界中で頻発し、それについてのセンセーショナルな報道や、いかがわしい情報があちらこちらに蔓延している現代には、なおのこと当てはまる。それは、ほとんど予言といってもいいくらいだ。
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参考文献: サヴィンコフ 『テロリスト群像』
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