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七詩さん
ばあチャルさん
吉雄777さんComments
先日ちょこっと言及した 大林太良
の別の著書 『神話学入門』 に、ドイツの民族学者カール・シュミッツ(政治学者のカール・シュミットと名前は似ているが、まったくの別人。1920年生まれだそうだ)による神話の分類として、次の三つがあげられている。
1 だれが、どのようにして世界を創造したか(宇宙起源論)
2 だれが、どのようにして人類を創造したか(人類起源論)
3 だれが、どのようにして文化を創造したか?
天と地に関する関する神話とか、天体やその他の自然に関する神話は、私の考えではみな宇宙起源論の一部であり、洪水神話その他の大災厄神話も、宇宙起源神話の一部である。
他方では大災厄神話も、人類の起源を物語るかぎりにおいては人類起源神話の一部であり、また原古の状態に関する神話は、それが原古における文化の起源を説明するかぎりにおいては文化起源神話である。
君のために土地は呪われる。
そこから君は一生の間、労しつつ食を得ねばならない。
君は額に汗してパンを食らい
ついに土に帰るであろう。
君はそこから取られたのだから。
君は塵だから塵に帰るのだ。
「知恵」 とはつまり根源的には人間の反省意識、すなわち自意識のことだが、それと不可分のものとされている 「死」 とは、この場合、「死」 そのものというより、むしろ 「死の意識」 と言ったほうがいいだろう。つまり、人間は 「自意識」 を手に入れることで、同時に 「死」 に対する恐怖という意識にも憑りつかれるようになったということだ。
ディオゲネス・ラエルティオスによれば、古代ギリシアの哲学者であるエピクロスは 「死」 について次のように言っている。
死は、もろもろの災厄の中で最も恐ろしいものとされているが、実は、われわれにとっては何ものでもないのである。なぜなら、われわれが現に生きて存在しているときには、死はわれわれのところにはないし、死が実際にわれわれのところにやってきたときには、われわれはもはや存在していないからである。
『ギリシア哲学者列伝』
なので、彼によれば、 「死はわれわれにとって何ものでもないと考えることに慣れるようにしたまえ」
とのことだ。たしかに、彼の言うとおり、 「死が実際にわれわれのところにやってきたときには、われわれはもはや存在していない」
のだから、悩んでもしょうがないということにはなる。だが、やはりそうはいかぬのも事実だろう。
アダムとエバに禁断の木の実を食べるようそそのかして、その目を開かせたヘビもまた、人間に対して 「知恵」 という文化の原理をもたらしたのだから、「文化英雄」 ということになる。だが、そこには神と人間に対する一定の悪意が存在していたことも明らかであるから、彼は同じく神話学で言う 「トリックスター」 としての性格も備えている。
「トリックスター」 とは、もとはネイティブ・アメリカンの神話についての研究から生まれた言葉で、 「神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好き」 なのだそうだが、人類学者だけでなく、心理学者のユングなどもいろいろと論じている。「文化英雄」 と 「トリックスター」 が多くの場合、重なり合うということは、文化とは、本来そのような 「神や自然界の秩序」 を破るという性格を持つものだということを意味しているのだろう。
逆に言うならば、そのような 「神や自然界の秩序」 に対する挑戦という意味を失ってしまえば、文化は停滞してしまうということであり、文化としての意味も失われるということになる。つまるところ、「文化」 とは本来危険なものであり、だからこそほとんどつねに「文化」 は、時の権力による取り締まりや規制の対象とされてきたということでもあるだろう。
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