遠方からの手紙

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カテゴリ: 雑感

  先週のことだが、なんの因果か 「結婚式」 なるものに参列するはめになってしまった。そういう類のものは正直言って苦手なのだが、諸般の事情により、どうしても出席しないわけにはいかなかったのだ。

 そういうわけで、ほぼ30年ぶりに九州から本州へと遠征したのだが、いやいや世の中というものは、大きく変わっていた。まことにテレビなどで遠くから見ているのと、実際にこの目で見てみるのとではまったく違うものだ。

 考えてみれば、足利尊氏などはわずか1年の間に、後醍醐政権を倒すための鎌倉から京都への進軍と、新田義貞に敗れたことによる九州への退却、さらには再度の京都いりをはたしている。それは、人の足と馬以外に交通手段のなかった700年近くも前のことだ。それどころか、江戸時代の大名たちは、一年おきに地元と江戸の間を行き来していたのだから、われながら、その腰の重たさにはあきれるほかにない。

 式場は横浜にあったのだが、駅の改札を出ると、目の前に広々とした 「大地」 が広がり、遠くにはビルも建っている。あれあれ、ここは三階ではなかったのか、と一瞬困惑したが、どうやら斜面を整地して、巨大なテラス状の 人工大地 を何段も建設し、そこに様々な建物を建てたということらしい。

 もともと、横浜は平地の少ない地域であるから、市街の膨張とともに必要に迫られて、傾斜地域を開発するために工夫された方式なのだろうが、「世界七不思議」 のひとつに数えられた、古代バビロニアの王 ネブカドネザルが建設したという 「空中庭園」 にも劣らぬその壮大さには驚いた。まことに田舎者はこれだから困ってしまう。

 式場は頂上に十字架と鐘楼をおいたゴシック風の建築で、中にはいると、窓には色とりどりのステンドグラスもはめられ、列席者用の簡素な木製の座席と机が、花嫁・花婿が通る通路を中心に左右対称に並ぶなど、本物の教会を忠実に模した造りになっている。ただし、式が執り行われる空間が、まるで劇場の舞台のように一段高くしつらえてあるのには、ちょっと首をかしげた。それでは、「神聖」 なる式が、なにやら下手な役者が演じる劇のように見えてしまうではないか。

 イエス様もマリア様も信じていない不信心者がこんなところに入り込んでもいいのかな、罰が当たりはしないかななどとも思ったのだが、招待されたのだからしかたがない、一日だけ 「クリスチャン」 のふりをすることにした。どうせ、花嫁・花婿も、それから列席者のほとんどもそうなのだろうから。

 扉には Le Chapelle d'Evangile と書かれており、おやおや、ひょっとして使徒が襲来すると、このあたりのビルがぐあーんと動き、大地がすーっと開いて、その底からシンジ君が乗るひょろりとした 「初号機」 が登場するのかななどと思ったが、よく考えればなんのことはない、「福音教会」 という意味である。

 式をとりおこなったのはヨーロッパ系の長身の男性で、その横には黒い服を着た修道女ふうの女性もならんでいる。その男性が本物の神父なのかどうかは知らないが、おかしかったのは、式の間、ずっといかにも 「外人」 ふうの妙な日本語をしゃべっていた 「神父」 様が、式典が終わったあと、壇上から降りてきてこちらに歩み寄ってき、小さな声で「おめでとうございます」 と、ごく普通のアクセントのなまりのまったくない流暢な日本語を話したことである。

 たぶん、式典では 「アナタハァ、カミニィ チカイマスカァ」 というような、日本人が普通にイメージする、いかにも 「外人」 といった感じでしゃべらないと、「外人」 様というありがたみが出ないということなのだろう。「ご苦労様です」 と、思わず心の中でつぶやいたのであった。

 式が終わると、建物の中をあっちこっちと引っ張りまわされたのだが、壁にどこかで見た覚えのある絵が何枚も飾ってある。青を基調にして、赤や黄色、緑で花嫁と花婿の姿や馬などの動物を描いた幻想的な画風で、覚えはあるのだが、誰の絵なのか、すぐには思い出せない。クレーでもないし、カンディンスキーでもないし、などと一生懸命頭をひねっていたのだが、何枚目かの絵に Chagall というサインがあって、ようやく思い出した。そう、ロシア出身のユダヤ人画家、シャガールであった。

 シャガールの絵には、たしかに若い男女のカップルを描いた絵が多い。結婚式場に飾る絵としては、なるほどなるほど、むべなるかなというところだ。帰ってきてから、家の近くのいつものBOOKOFFで、シャガールの画集を見つけた。絵と解説(竹本忠雄という人だが、よくは知らない)のほかに、ジャン・グルニエの文章が収録されている。グルニエとは、あのカミュのアルジェリア時代の恩師だった人である。

 シャガールの顔は、なにもかもが曲がっている。眉毛はアクサン・シルコンフレックスだし、唇はゆがんでいないまでもすんなりと半円形、鼻もかるく曲がって、目はまんまる、髪は半ば狂乱のていである。バルザックの時代であったなら観想家たちはこれを出発点に、さだめし人物の心的肖像画を書きあげたことであろう。

 彼らはこう言ったかもしれない。精神においては繊細、芸術においてはファンテジー、生にあっては放心、心情は直感、ようするに――内的ハーモニーによってもたらされ、それによって、人間が自己のうちにその確信と憩いを見いだしうるところの全価値がそこにはある、と。そう、環境がどうあろうとも、たとえばそれが、革命、戦争、喪のごとくに人を茫然自失せしめ、あるいは辛酸をきわめたものであろうとも。

『幻想と自然』 ジャン・グルニエ  


 こういった動きは、一見すると、法や制度の安定性と一貫性を損なう 「朝令暮改」 のように見えなくもない。しかし、そこで問われるべきなのは、むしろたった一度の選挙、それも、郵政民営化の是非のみを争点にした選挙で大量の議席を得たことをいいことに、野党や世論の反対意見にいっさい耳を貸さず、反対派の説得や妥協案の模索という民主政治における最低限の努力も放棄し、数の論理だけで押し切って、そのような問題の多い制度を次々と導入した、小泉・安倍政権の政治責任ということになるだろう。






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Last updated  2009.09.20 22:17:52
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