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人生、長く生きていると、『死にたい』と思うことが、一度や二度は、あるかもしれない。それは、きっと、『死』によって何かから、解放(かいほう)されると思っているからだと思う。それは、浅(あさ)はかな、浅薄(せんぱく)な生命観から、来ているんだと思う・・・。そこで 、生命の永遠性について、考えていきたいと思います。死んだら、どうなるのか?死んだら、きれいさっぱり、無くなって楽になるのだろうか?仏法では、『永遠の生命』を、説(と)いています。永遠の生命といっても、幽霊(ゆうれい)や霊魂(れいこん)のようなものが、残るわけではない。仏法で説く永遠の生命は、そういう形の残るものではない。けれど、かといって、なんにも無くなるか?というとそうではなく、死んでも、自分の生命の核(かく)といえる我(が)という存在は残り、宇宙に溶(と)け込(こ)んでいく。そして、宇宙に溶け込んだ生命は、あるとき、なにかの縁(えん)によって、フッとまた生きた生命として、誕生していく。人が疲れたら、眠り、そして朝、起きるように、疲れた生命は、休まなければならない。そして、元気な生命として、また、誕生していく。だからといって、まったく生まれ変わるということではない。自分がいままで生きてきた喜び、歓喜(かんき)、悲しみや苦しみという自分を形成してきた核(かく)である、その人の境涯(きょうがい)ともいえるものは、そのまま残り、その境涯のまま、宇宙に溶(と)け込んでいく。だから、たとえば、ものすごい苦しみを持って死んでいった生命は、死んでも、そのものすごい苦しみを持った生命として宇宙に溶け込んでいく。歓喜して幸せそのもので、死んでいった生命は、その歓喜と幸せそのものの状態で、宇宙に溶け込んでいく。だから、永遠の生命から考えると、死んでも、その人の境涯を、そのまま、持ったまま、宇宙に溶け込んでいくことになります。歓喜と幸せをもって生きた生命は、歓喜と幸せの生命として、宇宙に溶け込み、地獄の苦しみをもって生きた生命は、地獄の苦しみを持った生命として、宇宙に溶け込む。だから、仏法では、自殺は、無意味だと説く。自殺したとしても、その地獄のような苦しみは、そのままで、永遠にその苦しみをもったまま、その人の生命は宇宙に溶け込み存在し続ける。また、自殺という悪い業(ごう/宿命[しゅくめい])を作ることになるので、また、なにかの縁(えん)で、人間として生まれてきたとしても、以前よりもっとひどい!地獄のような苦しみを味わい、以前よりもっとひどい、自殺したいような苦しみを味わうことになる。だから、永遠の生命から考えると、自殺は、自分に最悪の業(ごう/悪い宿命・運命)を、つくるだけで、どんどん悪い境涯(きょうがい)の生命になっていくことになる。そうすると、じゃあ、いったい、どうしたらいいんだ?という問題に、たどり着く。永遠の生命から考えたとしても、自分の悪い宿命や運命を、断ち切り、幸せになっていける方法が、求められる。その永遠の生命の上からも、悪い宿命や運命を、断ち切り、必ず幸せになっていける方法が、創価学会が、実践している南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです!永遠の生命の上から、ひとりの人間を、確実に幸せにしきる方法は、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法によるしか、ありません。これだけは、他の何をやっても、だめです。だからこそ、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践すると、いい知れない歓喜と充実感、満足感を味わう事ができ、あらゆる悪い宿命を、打ち破ることができるからこそ、どんな困難も乗り越えて、幸せになっていけるんです!そして、その幸せは、その場かぎりのものではなく、永遠に続く、永遠の生命の上での幸せとなっていき、その人の人生を、かざっていきます。その永遠の生命の上での幸せを勝ち取った証拠(しょうこ)として、今、現在、生きている人生において、夢や希望が、かなったり、悩みや困難が、解決できたりして、今現在の人生を、勝利し幸せになっていけるんです!だからこそ、永遠の生命に立脚(りっきゃく)した、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、世界中で、求められ、また、必要になっていくことになります。
2009.11.27
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が 、『人間の力(ちから)は、すごい。いわんや、ご本尊(ほんぞん)を持(たも)った私たちは、どれほど大きな力を発揮(はっき)できることか。』と言っています。ちなみに、『ご本尊(ほんぞん)』とは、仏(ほとけ) の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたのが、ご本尊です。・・そのご本尊とは、人間の力や能力、人間性を開花させる機械(きかい)みたいなものなんです。だから、ものすごく単純(たんじゅん)に考えると、その『ご本尊』という機械を動かすことができれば、人間が持っている大きな力(ちから)を発揮することができるようになっていく!ということです。では、どうやって『ご本尊』という機械を、動かすか?というと、それが、『ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえることによって、『ご本尊』という機械が、動き出す。そして、そのご本尊という機械は、祈っているその人の生命と連動(れんどう)し、その人の中にある無限とも言える人間の力(ちから)が動きだし発揮(はっき)されていく。それが、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。注目すべきは、『ご本尊』は、『仏(ほとけ)の生命』という究極(きゅうきょく)とも言える生命の力、エネルギー、人間性を、あらわしたものなんですが、その『仏(ほとけ)の生命』は、『南無妙法蓮華経を、となえないかぎり』は、出てこない!!ということなんです。これだけは、他の何をやってもダメです!人間の力(ちから)は、すごい!それは、わかります。 それは、時として信じられないことも可能にするし、素晴らしい、感動的な結果を生むこともある。本当は、みんなが、その人間の素晴らしい力、無限の力を、出したがっているし、模索(もさく)している。けれど、それは、漠然(ばくぜん)としたものであり、はっきりした答えが、出せないでいるというのが、現実だと思う。けれど、本当は、そのはっきりした答えが出ている!人間の無限の力、素晴らしい力、その素晴らしい力を出す究極(きゅうきょく)の方法が、創価学会が実践している『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる!』ということなんです。これほど、素晴らしく、偉大な行為(こうい)は、ありません!確かに、人間の力は、計(はか)り知れないんです!だから、その人間の力を発揮したならば、どれだけ大きな幸せを、つかめるか、わかりません。その計り知れない人間の力(ちから)を、だれでも、確実に、必ず、出していけるのが、創価学会が実践している、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです・・・・!
2009.11.23
前回、聖教新聞に、のっていた『池田先生とフィリピン』という題の記事の内容を、紹介しまたたが、池田先生(創価学会インターナショナル会長)という人間が、とても良くわかる内容になっていたので、今回も、その『池田先生とフィリピン』の記事の別のエピソードを、紹介したいと思います。国立フィリピン大学。フィリピンの最高学府(がくふ)で、日本で言えば東京大学にあたろうか。池田SGI(創価学会インターナショナル)会長に「名誉法学博士号」を授与(じゅよ)している。マニラ郊外(こうがい)のケソン市に、メーンキャンパスが広がる同大学。国家・サンパギータの白い花が咲(さ)き誇(ほこ)っていた。1991年(平成3年)4月21日、卒業式典(しきてん)の席上での授与式(じゅよしき)だった。壇上(だんじょう)のSGI会長は、卒業生が前を通るたびに、椅子(いす)から身を乗り出す。拍手(はくしゅ)を送り呼びかける。「よくやった!」「勝ったね!」日本語を解(かい)さない学生にも、心は確実に伝わる。前を通りすぎる時、うれしそうな笑(え)みを浮(う)かべる。ホセ・V・アブエバ総長(そうちょう)も、穏(おだ)やかに見守った。学生の列は、途切(とぎ)れなく続いた。1時間が経過(けいか)すると随行(ずいこう)メンバーは、だんだん不安な顔になった。常夏(とこなつ)の島。気温は30度を超(こ)え、じっとしても汗(あせ)が吹(ふ)き出る。会場にクーラーはない。扇風機(せんぷうき)だけである。それでも、スーツの上にガウンをまとった池田SGI会長が、身体(からだ)全体で歓呼(かんこ)を送っている。この直前に経営学部で記念講演(こうえん)を行ったばかり。疲労(ひろう)はピークのはずだ。体調は大丈夫(だいじょうぶ)なのか。役員が香峰子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)に尋(たず)ねた。「学生が、かわいくて、しかたがないんですよ」。静かに微笑(ほほえ)んだ。ようやくSGI会長の謝辞(しゃじ)になった。用意した原稿(げんこう)を伏(ふ)せ、話しはじめた。「マニラを訪(おとず)れ、私は思いました。"世界一、荘厳(そうごん)なる旭日(きょくじつ)"を仰(あお)ぎ、"世界一、尊厳(そんげん)なる夕日"を望(のぞ)む皆様の心もまた、"美しき宝の心"であると」拍手(はくしゅ)が一斉(いっせい)に沸(わ)き上がった。鳴(な)りやまない。この日、一番の大歓声である。スタンディング・オペーションが起こった。2年後。アブエバは授与式(じゅよしき)を振(ふ)り返り、誇(ほこ)らしく語った。「あの後、学生たちが「池田会長のスピーチ原稿(げんこう)をください。もう一度、心に刻(きざ)んでおきたい」とやって来ましたよ。学生たちの伝説になっています」池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、今 回、話したフィリピンの話しにかぎらず、世界中いたるところで、池田先生が出会った、あらゆる人々に、あたたかい感動と印象(いんしょう)を、与(あたえ)え続けているんだと思う。その、世界の人々の評価と賞賛(しょうさん)の結果が、名誉博士や名誉教授などの265におよぶ名誉学術称号(めいよがくじゅつしょうごう)や、640を超(こ)える名誉市民称号となって、あらわれているんだと思う・・・。
2009.11.20
聖教新聞に、『池田先生とフィリピン』という題の記事が、のっていました。池田先生(創価学会インターナショナル会長)という人間が、とても良くわかる内容になっていたので、今回と次回にわけて、その『池田先生とフィリピン』の記事の抜粋(ばっすい)を、そのまま、のせたいと思います。ヤシの木が茂(しげ)るマニラのホテルの入り口。「ようこそ!フィリピンへ」玄関前で日本人客を迎(むか)えたジョイ・アルベスは、流(りゅう)ちょうな日本語で頭を下げた。従業員の彼女は、名古屋大学に留学した経験が買われている。しかし、高級車から出てくる日本人は、たいていアルベスには目もくれず、さっさとロビーへと向かってしまう。「これだから、日本人は・・・・・・・・」。最後の言葉は、ぐっと飲みこんだ。ホテルは空港から15分。客室から有名な『マニラ湾の夕日』が一望(いちぼう)できる。どうやら近々、日本の宗教団体のトップが来るらしい。アルベスは「また失望させられるのか」と思ったが、迎(むか)える側の地元メンバーの熱意に打たれ、ともに準備に奔走(ほんそう)してきた。1991年4月19日の午後11時過ぎ。池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長を乗せた車がホテルの入り口に止まった。車から降(お)りた会長は、アルベスに折(お)り目を正し、深々(ふかぶか)とおじぎをした。「うちの人が無理難題(むりなんだい)を言って、困らせたんでしょ。本当に、ありがとうございます。」アルベスの小さな手を両手で握(にぎ)りしめた。隣(となり)に立っていたホテルのマネージャーに語りかける。「彼女は本当に陰(かげ)で良くやってくれたと伺(うかが)っています。日本から贈(おく)り物を持ってきたので、渡(わた)してもいいですか」マネージャーは驚(おどろ)いた様子を見せた後で、にっこり微笑(ほほえ)んだ。その深夜、アルベスは、SGI(創価学会インターナショナル)のメンバーと遅(おそ)い夕食を共(とも)にした。 「実は私、今まで、日本人は傲慢(ごうまん)な人ばかりだと思っていました。」池田SGI会長から贈(おく)られた写真集に視線(しせん)を落とすと、大粒(おおつぶ)の涙をためた。「でも、池田会長にお会いして、日本人が好きになりました!」次回は、『池田先生とフィリピン』の別のエピソードを、紹介します。
2009.11.17
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、『百年の大計(たいけい)、いな何千年の平和の大計を立て、もって日蓮大聖人の御恩(ごおん)に報(ほう)ずるとともに、民衆万年の幸福を確率することが、創価学会の使命である』と、言っています。創価学会は、目先の利益や団体の利益などのために、存在しているのではない!百年、何千年の平和の大計(たいけい)のもとに、築(きず)かれているのが、創価学会なんだそうです。創価学会二代会長の戸田先生が、どれだけ、優(すぐ)れた、卓越(たくえつ)した指導者であったかが、うかがわれます。また、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法が、どれだけ素晴らしく、偉大な生命哲学(せいめいてつがく)であるかが、わかると思います。何千年の未来を、見据(みす)えて、世界に平和を築 (きず)くことのできる法則であり、生命哲学、それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の生命哲学なんです。けれど、世間の人たちは、そのことが、わからない。自分たちの利益、欲望のために、創価学会があるのではないか?などと考えてしまう。たしかに、他の宗教があまりにも、ひどく、あまりにも人間心理を利用して、利益をむさぼり、人々を不幸にしているので、そう考えるのも無理はないかもしれない。だから、あまりにも優(すぐ)れた、あまりにも偉大な生命哲学(せいめいてつがく)があることを、信じられない。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法が、あまりにもスゴくて偉大なので、それを、信じることも理解することもできない。だから、その南無妙法蓮華経の仏法を実践している創価学会も、なかなか信じられず、疑(うたが)いたくなってしまう。けれど、そうではない!創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、何千年の未来の平和を見据(みす)えた偉大な生命哲学ですが、かといって、今、現在、現実に生きている人々を、見捨てているわけではない!逆に、何千年の未来までも平和と幸福を築(きず)くことのできるスゴイ生命哲学であるので、今、現在、現実の中で生きている人々を、必ず、確実に、幸せにしていける力(ちから)がある素晴らしい生命哲学であり、偉大な法則なんです。だから、創価学会の人たちは、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわした本尊です)・・・そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて祈る仏法の信仰によって、今、現在のさまざまな悩みや問題を解決し、そして、現実にさまざまな夢や希望をかなえる力(ちから)となり、現実の中で、創価学会の人たちは、幸せになっていけたんです!ようするに、今、現在生きている人々の悩みを解決し、幸せと勝利を、もたらすことができるから、何千年の未来までも、平和と幸福を、築(きず)くことが、できるんです。それが、何千年の未来までの平和と幸福のために存在している『創価学会』であり、その偉大な生命哲学が、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!
2009.11.14
前にも話しましたが、創価学会では、毎月、座談会(ざだんかい)というのがあります。もじどうり、老若男女いろんな人が語り合い、仏法や信仰、人生を勝利するために語り、学びあい励まし合うのが、座談会なんですが、アメリカの著名な仏教研究家のストランド氏が、『座談会に新しい宗教の姿がある!時代の最先端である!世界の知性が驚(おどろ)きをもって見つめている!!』と言っています。それは、なぜだろう?と考えてみました。世間一般的に、座談会と言っても、いろいろある。会社で行う座談会だったら、それは仕事で、つながっている。ビジネスという利益(りえき)を追求するための座談会です。また、さまざまなサークルでの座談会もある。それは、同じ趣味、同じ傾向(けいこう)の楽しみを追求するための座談会です。そういう座談会と、創価学会の座談会は、いったい?なにが違うんだろうか?まず、考えられることは、創価学会の座談会の中心には、『ご本尊(ほんぞん)』がある。(ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわした本尊です)・・・いわば、ご本尊は、南無妙法蓮華経という、宇宙を幸せに変革しゆく、根本の法則であり、力(ちか ら)を、あらわしたものです。だから、ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて祈っていった時、生命を希望へ、勝利へ、健康へと、蘇生(そせい)させていくことが、できます。その生命の法則であり力(ちから)を、あらわしたものが、ご本尊だと言えます。また、ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて祈っていった時、悩みや困難を乗り越え、解決していくことが、できるので、その宿命転換(しゅくめいてんかん)の法則を、あらわしたものが、ご本尊だとも言えます。創価学会の座談会には、その、ご本尊が中心にあるということは、集まってくる人それぞれ、仕事も性格も夢も個性も、まったく違うにもかかわらず、ひとつの目的、幸せと勝利と平和という根本的な目的のために、集まった座談会だと、言えると思います。また、これは単なる理屈でも、お題でもなく、創価学会が実践している南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、現実の中で、それを確実に、結果として実現していける信仰だということです。どういうことかというと、幸せと勝利と平和という根本的なテーマに対する答えと結果を、自分自身の生命で感じ、歓喜し、感動して、自分の人生と生命を、現実に蘇生(そせい)させ、元気になって、日々を新しく出発していくことが、できるということです。それが、創価学会の座談会なんです。実際には、創価学会の座談会では、そんな難(むずか)しいことは、何にもやっていません。みんなで歌を歌ったり、簡単なアトラクションをやったり、ひとりひとりが、近況を語り合ったりと、楽しく、ほがらかにやるのが、座談会です。けれど、そこには、『ご本尊』という必ず人々を幸せにできる力(ちから)があり、南無妙法蓮華経の仏法という、悩みや問題を解決し、夢や希望を、かなえて必ず幸せになっていける強い強いエネルギーがある!そして、その『ご本尊』と『南無妙法蓮華経の仏法』のもとに集まってきた人たちを、蘇生(そせい)させ、勝利のリズムに乗せ、福運(ふくうん/幸せを呼ぶ運)を付け、元気にする。そして、ひとりひとりが、夢や希望に向かって、生命力を高めて、また新しく日々を戦っていける。少し大げさな言い方をすれば、そこには、『宇宙的空間と幸せのリズム』が、存在している。だから、なぜだか、創価学会の座談会には、集まったひとりひとりを、蘇生(そせい)させ、その人の幸せに向かって前進させる大きな力(ちから)がある。だから、アメリカの仏教研究家、ストランド氏は、『座談会に新しい宗教の姿がある!時代の最先端である!世界の知性が驚きをもって見つめている!!』と言ったんだと思う。確かに、そんなスゴイことは、創価学会でなければ、できないかもしれません。それが、時代の最先端(さいせんたん)と言える、創価学会の座談会なんです!
2009.11.11
生きていると、当然、いろいろなことがある。楽しいこともある。けれど辛(つら)いこともある。大きなショックを受け、自分自身に大きな打撃(だげき)を受けることもある。けれど、生きていく以上、それを乗り越え、立ち直り、前に進んでいくしかない。良き仲間がいれば、いろいろと悩みなどを、話して、励(はげ)まし合い、明日へのステップにすることもできると思う。けれど、それだけでは、どうしようもないことも、あると思う。すなわち、自分自身で立ち直るしかない場合が、それです。そういう場合、どうしたら?いいのだろうか?自分自身に打撃(だげき)を受けた場合、なかなか精神的に、つらいものがある。時間をかけないと、立ち直るのが、困難な場合もあると思う。池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『共に励(はげ)まし合いながら、強盛 (ごうじょう)な祈りを根本に、自分で自分を勇気づけていくのだ。』創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる祈りは、自分で自分を勇気づけていけるんです!ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわした本尊です)・・・そのご本尊に、真剣に南無妙法蓮華経を、となえて祈っていくと、自分の中から、強い強い生命力が、わきあがってくる。そして、その生命力は、自分の体や精神を、蘇生(そせい)させる力となり、精神を元気にしていきます。傷(きず)つき、打撃を受けた精神を、元気に復活されてくれんるです。そして、それは「よし!負けてなるものか!」「必ず、勝つ!」という強い決意と勇気となって、あらわれてきます。だから、南無妙法蓮華経を、となえる祈りは、自分で自分を勇気づけていく最高の行動となっていくんです。それは、やがて、自分の悩みや問題を解決する力(ちから)となり、その毎日毎日、南無妙法蓮華経を、となえて生(う)み出される勇気によって、やがて、夢や希望をかなえる結果と、なっていきます。それが、自分自身を勇気づけ、人生を勝利してける最高の行動と言える、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえて祈る、仏法の信仰なんです。
2009.11.08
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『歴史を残(のこ)せるのが、人間です。そして、最も尊(とうと)き歴史を残せるのが、仏法なのです』人間は、人それぞれ、歴史を残すことが、できる。自分が生きてきた証(あかし)として、何かの歴史を、残すごができる。それが、人間なのかもしれない。また、自分が生きてきた証(あかし)を、なにかしら残したいと思うのが、人間の心情かもしれません。もし、かりに、自分が生きてきた証(あかし)を、何も残せないとしたら、こんなに、わびしいことはないかもしれません。どんなに財産があっても、「自分は、世の中に、これを残すことが、できた!」と言えるようなものがないと、確かに、わびしいかもしれません。けれど、そんなこと、いちいち、考えていれない、きびしい現実があるのも、事実かもしれない。それどころではない!現実の中で、戦うのに必死だからです。けれど、どんな人でも、必ず、自分は、本当にやったんだ!と思えるような不滅(ふめつ)の歴史を残す方法がある!それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経の仏法なんです!この創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、世界最高の平和と幸福の法(ほう)です。ようするに、この南無妙法蓮華経の仏法を実践していくこと、そのものが、世界の平和のために、世界の幸福のために、最高に貢献(こうけん)することに、なっていくんです!だから、スゴイんです!!しかも、この南無妙法蓮華経の仏法の実践は、世界を最高に平和に、幸せに導(みちび)くと共に、自分自身も同時に、最高に幸せにしていく力(ちから)が、あるんです!ようするに、南無妙法蓮華経の仏法には、世界を最高に平和に幸せに変えていけると同時に、その功徳(くどく/現実にあらわれる幸せの結果)によって、自分自身の悩みや問題も、解決し、夢や希望を、かなえていける、大きな力(ちから)が、あるということです。だから、この南無妙法蓮華経の仏法を実践していくと、自分自身が、輝(かがや)いてくる。歓喜(かんき)してくる。そして、生きることに最高の充実(じゅうじつ)を感じて生きることが、できます。だから、楽しいんです!だから、素晴らしいんです!それは、結局、池田先生が言うように、『人間として最も尊(とうと)い歴史を、永遠に残していく』ことになっていきます。それは、最高の充実、最高の幸せ、最高の勝利を、つかんでいく!ということです。人は、だれでも望んでいるはずです!『自分の人生に最高の歴史を残したい』『自分が生きてきた最高の証(あかし)が欲(ほ)しい』それが、確実に、最高の形で実現できるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!!
2009.11.05
加藤夏希は、1111と1が並ぶと、一個、願いが、かなうというので、ビックカメラなどの時計売場に行くと、つい、目覚まし時計の針を、11時11分に合わせて、願いを、ひとつ、かけ、また他の目覚まし時計の針を11時11分に合わせて、願いをかけ、売場にある目覚まし時計、全部、11時11分に合わせてしまうらしいです。願が、かなうか、かなわないかは、別にして、気持ちは良くわかります。けれど、それで実際、願いが、かなうかというと、その可能性は少ないと思うのが、普通だと思う。一般的に考えて、願いが、かなうためには、やはり、それなりの原因があると思う。まず、願いを叶(かな)えるための現実的な努力を、徹底的にする必要がある。また、人が、その人の願いを、かなえることに援助(えんじょ)したくなるような、その人の人間性もあると思う。そして、どうしても必要なのが、『ラッキー』すなわち『運』これも必(かなら)ず必要となる。また願いを叶(かな)えるための強烈(きょうれつ)な情熱も、必要になってくると思う。きっと、ほかにも願いをかなえるために必要なものは、たくさんあると思う。それらの、願いをかなえる、あらゆる条件が、重(かさ)なって、結果として願いが、かなっていく。だから、『願いを、かなえる』といっても、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことはなく、さまざまな必然性(ひつぜんせい)が、重(かさ)なって、願いが、かなっていくんだと思う。逆に言えば、それらのさまざまな願いを叶(かな)える条件が、そろえば、願いは、かなっていくということだと思う。だから、それらの願いを叶える、さまざまな条件を揃(そろ)え、満(み)たす方法があれば、いいわけです。その願いを、かなえる、あらゆる条件を満(み)たし、揃(そろ)えていく決定的方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!!創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになってけてる仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわした本尊です)・・・そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて真剣に祈っていくと、自分自身の中から、強い強い生命力が、わき上がってくる。そして、それは必ず願いを、かなえるんだ!という強い情熱となり、具体的に願いを、かなえる知恵や行動として、あらわれてきます。また南無妙法蓮華経は、福運(ふくうん/幸せをもたらす運)を、つける唯一(ゆいいつ)の方法といっていいので、結果として自分の人生に、ラッキーを運ぶことになる。また、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中から最高の人間性を、開花されることになるので、人を引き付ける人間性も開花していくことになる。そして、仏法の実践活動である、創価学会の活動をしていくことによって、自分の境涯(きょうがい)は、より大きくなっていき、宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、幸せに向かって、人生を開いていけるようになっていく。不思議だけれど、南無妙法蓮華経を、となえていき、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくと、願いを、かなえる、あらゆるものが、自分に備(そな)わっていき、願いを、かなえる、あらゆるものが、自分の方に、寄(よ)ってくる。そして、その必然(ひつぜん)の結果として、願いが、かなっていくんです!。南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、自分に、願いをかなえる、あらゆるものを、備(そな)わせてくれる、無限の力(ちから)なんです。だから、その結果として、願いが、かなっていく!。それが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえて祈る、仏法の信仰なんです!!。
2009.11.02
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