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先月、創価学会インターナショナル会長である池田先生に、韓国から、同国の最高栄誉(さいこうえいよ)である『花冠文化勲章(ファグァンぶんかくんしょう)』が、贈られました!この『花冠文化勲章(ファグァンぶんかくんしょう)』というのは、韓国の勲章(くんしょう)の中で、トップの最高の価値と位置にある勲章で、文化芸術の発展に貢献(こうけん)し、国民文化の向上と国家の繁栄(はんえい)に寄与(きよ)した人物に贈られるもので、前年は、ペ・ヨンジュンが、受賞しています。この花冠文化勲章は、普通だったら、韓国国民の中から、選ばれるもので、外国人に贈られるなんてことは、考えられないことなんです。しかも、韓国人は、日本人に対して、敵対心が強い傾向(けいこう)があるので、その中で、池田先生が受賞したということは、韓国の人たちが、どれだけ、池田先生を評価し、尊敬しているかが、強く、うかがわれます。花冠文化勲章(ファグァンぶんかくんしょう)というのは、文化芸術の発展に貢献(こうけん)し、国民文化の向上と国家の繁栄(はんえい)に寄与(きよ)した人物に贈られるものなので、池田先生が、韓国にとっても、文化芸術の発展に貢献(こうけん)し、国民文化の向上と国家の繁栄(はんえい)に大きく寄与(きよ)した!と評価されていると、いうことです。池田先生の人道(じんどう)と平和のための行動が、どれだけ注目され、高く評価されているかが、よく!わかります!!かつて、韓国は、戦争で日本に蹂躙(じゅうりん)された歴史から、完全に日本を、憎(にく)んでいた。だから、日本の入ってくる隙間(すきま)は、ほとんど無い!ような状態だった。そんな中、創価学会の池田先生は、平和と文化の道を開くべく、韓国で『日本の名宝展』を、開く事を提案(ていあん)し実行した。韓国の日本に対する敵対心から、池田先生は、韓国に数時間しか、滞在(たいざい)することが、できなかった。けれど、池田先生は、その『日本の名宝展』に一筆(いっぴつ)のメッセージを、添(そ)えた。その中には、『文化大恩(ぶんかだいおん)の国・韓 国』という言葉が、書かれていた。今まで、日本人で、韓国に対して『文化大恩の国』などと評価し、また、言った人間は、だれもいなかった・・・!けれど、創価学会の池田先生は、韓国に対して『文化大恩の国』と、心からの感謝を、しめした!その言葉に、韓国の人たちの凍(こお)りついた心が、溶(と)け、日本に対する「わだかまり」が無くなっていく・・!そして、その人間としての心の変化は、やがて、大きな変化へと、つながり、現在の日本と韓国の友好的な関係へと、つながってゆく・・!!きっと、その池田先生の平和を願う心と勇気と行動が、今回の『花冠文化勲章(ファグァンぶんかくんしょう)』に、つながっていったんだと思う。そして、池田先生に対する、世界中のさまざまな顕彰(けんしょう)も、池田先生の平和を願う、心と勇気と行動の結晶(けっしょう)であることは、言うまでもない・・・。
2009.12.30
聖教新聞に、創価学会の女性の体験の話しが、のっていました。彼女は、世界規模(きぼ)の事業展開をしているメーカーに入社したそうです。最初は、遣(や)り手のベテラン社員にまじって会議に出ても、聞いたこともない専門用語が飛び交(か)い、呆然(ぼうぜん)とするばかり。悪戦苦闘(あくせんくとう)の日々が続いたそうです。しかし、創価学会の『負けじ魂(だましい)』で発奮(はっぷん)した。毎朝、5時に起きて、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、南無妙法蓮華経を、となえて祈る対象(たいしょう)の本尊(ほんぞん)で、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊です)・・・彼女は、そのご本尊に、真剣に南無妙法蓮華経を、となえ、そして猛勉強(もうべんきょう)を重(かさ)ねた。朝は一番乗りに出社し、職場の雰囲気(ふんいき)を、盛(も)り上げた。そして、入社二年目にして、実に年間二億円という全国トップの営業成績(せいせき)を収(おさ)めた。その仕事ぶりをじっと見ていた上司(じょうし)は、「あなたは、いつも元気で、前向きで、周(まわ)りの人を幸せにしてくれる。だから、創価学会は善(ぜん)だと思う」と語り、自(みずか)ら、希望して創価学会に入会されたそうです。このように前向きで素晴らしい青年が、世界中にいるのが、創価学会だと思う。そういう前向きで素晴らしい青年たちがいるから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。また、逆(ぎゃく)に言えば、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経の仏法の信仰には、一人一人の人間の向上心(こうじょうしん)や前向きな姿勢(しせい)、社会や平和に対する姿勢、人間の希望をつかむ力(ちから)、それらプラスと思われるすべてを、大きく良い方向に、幸せの方向に変革していく力(ちから)が、ある!!ということを、意味しています。それは、当然、自分を輝(かがや)かせ、また自分の会社や環境、自分が接(せっ)する人々にも良い影響を与(あた)え、その人々を幸せにしていく。そのひとつひとつが、やがて、世界を幸せにしていく力(ちから)になっていく。それができるのが、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰であり、それを現実に実現しているのが、創価学会なんです・・!
2009.12.27
よく、人が亡(な)くなったりすると、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と、となえることがある。昔からの習(なら)わしで、なんとなく、人が亡くなったら、南無阿弥陀仏と、となえると、いいんだと思っているように人も、いるかもしれない。けれど、この南無阿弥陀仏ととなえる、これほど、ひどい宗教は、本当は、ありません。南無阿弥陀仏と、となえるのは、念仏宗(ねんぶつしゅう)で、浄土宗(じょうどしゅう)や浄土真宗(じょうどしんしゅう)が、それに当(あ)たります。この浄土宗や浄土真宗の念仏宗(ねんぶつしゅう)は、この世では幸せになれないから、極楽浄土(ごくらくじょうど)という架空(かくう)のあの世で、幸せになろうという宗教です。ようするに、完全な現実逃避(げんじつとうひ)です!!だから、念仏宗の人たちは、自分の人生に、なにか大変に事や困難があると、まともに立ち向かうことができず、すぐ現実逃避してしまいます。そして、その最終の形として、自殺を選んでしまいます。だから、世の中で、自殺してしまう人の多くは、この念仏宗の悪影響を、色濃(いろこ)く受けていると思って、間違いありません。また、念仏宗というのは、ちょっと良くなったと思ったら、ドーーンと落ちて、またちょっと良くなったと思ったら、またドーーンと落ちるという連続で、地獄(じごく)のような人生になっていきます。これを、念仏無限地獄(ねんぶつむげんじごく)と、いいます。このように、世間では、なんとなく、知れ渡(わた)っていますが、南無阿弥陀仏と、となえる念仏宗(浄土宗・浄土真宗)を、やって良いことは、ひとつも、ありません。逆に、不幸の根源だ!ということが、できます。ハツカネズミを使った実験によると、ハツカネズミに念仏(南無阿弥陀仏)を、聞かせていると、ハツカネズミは、普通により、早く死んでしまうそうです。このように、宗教というのは、実は、人生に大きく影響(えいきょう)を、与えていて、自分が、かかわっている宗教が、念仏宗のように、間違った宗教であった場合、自分の人生を、不幸へと落し入れてしまいます。これが、宗教の恐(こわ)いところです。また、自分は宗教には関係ないと思っていたとしても、自分の先祖をたどれば、なにかしらの宗教に、かかわっています。また、生命の永遠性を考えると、自分の過去世(かこせ/自分が過去に生きていた世の中/前世)に、なにかしらの宗教 に、かかわっていたと考えるべきです。その宗教が、念仏宗のように間違った宗教であった場合、それは、自分の人生に大きな悪影響を、もたらしてしまいます。普段は、まったく気にかからないし、気にしなかったとしても、間違(まちが)った宗教の悪影響は、あるとき、ふっと自分の人生に、なにがしらの不幸という形で、降(ふ)り掛(か)かってくる場合も、あるでしょう。それが、間違った宗教というものです。では、その間違った宗教の悪影響を、いったい断(た)ち切ることは、できるのか?それが、もっとも重要な問題です!!その悪(あ)しき間違った宗教の悪影響を、断(た)ち切り、逆に大きな幸せを、もたらしてくれる宗教が、実は、創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。はっきり言って、悪しき間違った宗教による不幸を、断ち切る方法は、これしかありません!ほかの何をやっても、だめでしょう・・!この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法しかないんです!!たとえば、太陽が出た後では、どんな暗闇(くらやみ)も消え去ってしまうように、南無妙法蓮華経の仏法は、間違った宗教による不幸を、消し去ってしまうんです!そして、サンサンと輝(かがや)く太陽のように、大きな幸せを、もたらしてくれるんです。それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです!間違った宗教が、、人生に悪い影響を与えるんだから、逆に、正しいプラスの宗教が、人間の人生に良い影響を、与えることは、容易(ようい)に想像(そうぞう)がつくと思います。その最高にして最強の正しきプラスの宗教が、幸福の太陽とも言える、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。
2009.12.23
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、『信念も基準(きじゅん)もなく、批判(ひはん)のみしている人が、賢明(けんめい)に見える社会である。信念、基準を持(も)てる人は、一往(いちおう)、受け身になるようなれど、結局(けっきょく)は強く、幸福であることを忘れてはいけぬ。理念(りねん)を持(じ)し、進む者は強し。王者の帆(ほ)に打ちあたる風波(ふうは)は、一番強烈(きょうれつ)なのだ。恐(おそ)るるな。恐(おそ)るるな。』と言っています。創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、『王者の法(ほう)』なんです。世界最高の生命哲学(てつがく)であり、幸福の哲学なんです。一見(いっけん)、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践していくことは、風当たりが強いように見えるかもしれない。けれど、確かに、これ以上幸せなことは、ないんです。世界最高の幸福の法則を持つということは、世界最高の幸福を、つかめる!ということです。だから、何も恐(おそ)れることはない!また、たじろぐこともない。とかく、信念を持っている人の方が、風あたりが強く、生きづらいように思える世の中かもしれないけれど、本当は、信念を持たないということの方が、不幸なのかもしれない。信念を持たないということは、実は、『本当の幸せ』を持たないのと同じだと思う。最高の信念は、最高の幸せを、生むからです。そして、その信念は、自分の人生や環境、世界に反映(はんえい)し、人生を幸せへ、勝利へと、動かしていく。それが、信念だと思う。そして、その信念の中で、最も強く、最も素晴らしく、最も劇的(げきてき)に、自分の未来と人生を、幸せに変えていけるのが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法なんです。南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、幸福へと向かう強い強い信念となって、大きな力(ちから)を発揮(はっき)して、現実に自分の人生を、変えていってくれるんです!たとえば、自分のさまざまな悩みや問題を解決し、また、身体を健康にし、そして夢や希望をかなえて、人生を勝利していけるようになっていく。その現実に自分の人生を大きく変えていける力(ちから)ある宗教が、『世界最高の幸福の信念』といえる、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです!!
2009.12.19
うちに近所に、子供のころから、ずっとキリスト教の教育を受けてきて、その後、創価学会に入ったという婦人がいます。彼女は、学校とかもキリスト教系の学校に通(かよ)い、その中でずっと、キリスト教の教育を受けてきました。キリスト教では、「自分」、「イエス・キリスト」、「神」という縦割(たてわ)りがあって、テストとかでも、最初に、「自分」、「イエス・キリスト」、「神」という縦割りを、答案用紙に、必ず、書かされたそうです。この縦割(たてわ)りでも、わかる通り、キリスト教では、人間は神にはなれないと説(と)く。神と自分との間には、大きな隔(へだ)たりが、あるということです。だから、人間は、イエス・キリストを通して、神に少しでも近づいていこうというのが、キリスト教です。ようするに、キリスト教では、人間は神にはなれない。人間は、罪深(つみぶか)い生き物だと説きます。だから、神に懺悔(ざんげ)しなさい。懺悔しなさい。と言います。自分は、低い低い所にいて、天上の神を、いつも、仰(あお)ぎ見て、あがめていなければならない。良いことがあれば、神の力だと、言い、悪いことが、あっても、神の御慈悲(ごじひ)だと言う。すべては、まったく、自分とは、かけ離れた「神の、ちから」だと説く。神を、あがめれば、あがめるほど、自分は、卑小(ひしょう)になっていく。人間が、どんどん、小さくなっていく。そして、神と、自分との距離は、一生、永遠に縮(ちぢ)まることは、ない!人間は、罪深い生き物で、神には、なれない!と説くからです。だから、人間は、低い低い所から、天上の神を、仰(あお)ぎ見て、神の慈悲(じひ)を、祈るしかない・・・。その絶望的なドグマから、一生、逃(のが)れることは、できない!それが、キリスト教です。ところが、仏法は違(ちが)う!創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法は、違うんです!創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法では、『本当は、あなた自身が、仏(ほとけ)なんだよ!』と説きます。『あなた自身の中に、必ず幸せになっていける、偉大で素晴らしい仏(ほとけ)の生命が、あるんだよ!』と説きます。この言葉を聞いた時、ずっとキリスト教の教育を受けてきた彼女は、強烈(きょうれつ)な驚(おどろ)きを、おぼえたそうです。そして、それがきっかけで、創価学会に入ったそうです。実際、南無妙法蓮華経を、となえていると、自分の中から、強い強い生命力、自分の中にある無限の可能性のようなものが、開花していくんです。そして、その結果として、悩みや問題を解決できたり、夢や希望を、かなえる結果となっていきます。アメリカや海外でも、キリスト教の人は、多い。そして、ただ単に、おすがりするしかないキリスト教の教えに疑問を抱(いだ)いた人たちは、創価学会の『自分の中から幸せになっていく!』、自分の中から、仏(ほとけ)の生命という、必ず幸せになっていける素晴らしい力を、湧(わ)き上がらせて、人生に挑戦し、幸せになっていける!その創価学会の哲学(てつがく)と法則(ほうそく)に共感(きょうかん)し、創価学会に入った人たちは、たくさんいる!そして、海外でも、創価学会は、発展しつづけて、現在、192カ国にまで、広まっている。人間の可能性は、無限だ!その自分の中にある無限の可能性を、自分自身の中から、開花させ、自分の中から、勝利と幸せを、つかんでいける!それが、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです!!
2009.12.16
創価学会二代会長の戸田城聖先生が、『創価の師弟(してい)に一生を賭(か)けてごらん。後悔(こうかい)は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾(かざ)っていけるよ。』と、言っています。戸田先生を、少しでも知っている人だったら、この言葉が、どれだけ重く、どれだけの真実が、こもっているかが、わかると思う・・・。創価学会の初代会長は、牧口常三郎先生、二代会長が、戸田城聖先生、そして三代会長が、池田大作先生です。牧口先生と戸田先生、戸田先生と池田先生が、この創価の師弟に一生を賭(か)けてきたから、今の世界が賞賛(しょうさん)してやまない、人材が続々と出てくるような素晴らしい創価学会が、できあがっている。師弟とは、何だろうか?一般的に、師弟というと、芸や技術をきわめるような場合でないと、なかなか存在しないように思われる。だから、世間一般的には、師弟を意識して生きているということは、あまり無いように思われる。たしかに、なにかの道を、きわめようとした場合、師匠(ししょう)と呼べる存在は、大切だと思う。師匠は、道を示(しめ)し、道を開いてくれるような人だと思う。だから、師匠が大切なのは、わかる。けれど、世間一般的に、人々は、あまり、この師匠ということを、意識することなく、師弟という関係が、あいまいで、あまり関係ないような世の中になっているのかもしれない・・・。けれど、世界でも、一流とされている人々は、必ず自分の師匠と呼べる人を、持っている。・・ということは、やはり、師匠は、人間にとって、とても大切で重要なものなんだと思う。おそらく、師弟というものは、人間性の結晶(けっしょう)のようなものなんだと思う。だから師匠を持ち、師弟を、貫(つらぬ)いていくと、その人の人間性が鍛(きた)えられ、輝(かがや)いていき、その人の人間性が、開花していくんだと思う。師弟が人間性の結晶(けっしょう)であるならば、その師弟を貫(つらぬ)くことは、自分の人間性そのものを、貫(つらぬ)くことになっていくんだと、思う。すなわち、それは、人間としての最高の勝利、最高の充実(じゅうじつ)、最高の幸せを、つかむことになっていく。それが、師弟なんだと思う。では、創価の師弟とは、何だろうか?創価学会は、『仏法(ぶっぽう)』という世界最高の人間哲学(てつがく)、生命哲学、あるいは最高の勝利の哲学であり幸せの哲学を、実践している団体です。その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、必ず、人々に勝利と幸せをもたらす、無限にして最大の法則であり力(ちから)だとも言えます。だから、その『創価の師弟』は、その人々に必ず勝利と幸せを、もたらす、無限にしてい最大の法則であり力(ちから)を、貫(つらぬ)くことになっていきます。創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、世界最高の人間哲学(てつがく)であり生命哲学であり、また、世界最高の勝利と幸せの哲学なんだから、それを、貫(つらぬ)こうとする師弟は、当然、世界最高の勝利と幸せを、つかむことになっていきます。それが、創価学会の師弟なんだと思う。前に、創価学会の先輩が、仏法とは何ですか?という質問に対して、「仏法とは、ひとことで言うと、『師弟』だ」と言っていた。その時は、よくわからなかったけれど、今思うと確かに 、そうなんだと思う。師弟とは『人間性の結晶(けっしょう)』そして、その中でも創価学会の師弟は、最高無二(さいこうむに)とも言える、最高最大の勝利と幸せを、もたらす『師弟』なんだと思う。だから、戸田先生は、言った!『創価の師弟(してい)に一生を賭(か)けてごらん。後悔(こうかい)は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾(かざ)っていけるよ。』・・・と!!
2009.12.13
うちの会社で、忙しくて人が足りなくなったので、社員を募集することになった。それで一週間、応募の方が、何人も来て、面接だけでも、会社が、ごったがえしていました。 そんな中、応募の後半になって、ある入社希望の方から電話があった。その方が言うには、「応募の方は、たくさん来ているでしょうか?あんまり、競争率が高いと、行っても無駄(むだ)だと思うので・・・」という話しだった。当然、こちら側(がわ)としては、応募の方は、たくさん来ているのでと、お断(ことわ)りしました。 だれでも、わかると思いますが、このような姿勢(しせい)で、今の大変な時期、たくさんの応募の中から、入社を勝ち取ることは、難(むずか)しいと思う。 なぜなら、最初から、心が負けているのだから。 不思議だけれど、人というのは、「希望がある!」と思えば、希望が出てくるし、「希望がない!」と思えば、希望は、なくなっていく。 希望がゼロだったら、そこから希望が生まれることは、ない!未来は、真っ暗闇(まっくらやみ)、けれど、たとえ、ほんのわずかでも、希望があるのだったら、その希望の方向に、突(つ)き進んでいけば、希望は、無限に大きくなっていく可能性を、秘(ひ)めている。 それが、人間の心と希望のシステムだと思う。 希望は、自分の心の中からしか、生まれない。 だから、自分の心で、希望を生み出し、その希望に向かって、行動し、生きていかないかぎり、希望は、大きくはならないし、かなってはいかない。 だから、心が、何よりも、大切になってくる。 実は、その自分の心の中から、希望を、泉(いずみ)のように、無限に湧(わ)き上がらせていける方法が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。 どんな時でも、希望を、見いだしていける!決して、行き詰(づ)まりがないのが、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)なんです。 心に希望は、大切だ!。心の持ち方が大切だ!と、いくら口で言ってみても、現実の荒波(あらなみ)のなか、さまざまな障害(しょうがい)によって、自分自身が,傷(きず)ついてしまったりして、なかなか、希望を見いだせない場合もあるかもしれない。また、あまりの人生の過酷(かこく)さに、自暴自棄(じぼうじき)になってしまう場合も、あるかもしれない。 けれど、たとえ、どんな状況(じょうきょう)の人であろうとも、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です)・・・そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の中から、希望が、ふつふつと、湧(わ)き上がってくるんです!そして、自分の中に生命力が、みなぎってきて、どんな困難な状況にあろうとも、それを乗り越え、打ち勝っていけるようになっていくんです! 南無妙法蓮華経は、希望の法なんです! 昔は、創価学会は、貧乏人と病人の集まりと、言われてきました。 ようすにも、みんな、普通だったら、とても希望など見つからない困難な状況にあったはずです。その人たちが、この創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、希望を燃やし、輝(かがや)いて、ことごとく、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は、病気を克服(こくふく)していき、健康になっていった。 そして、現在の、人材が続々と出てくるような、世界が認める素晴らしい創価学会に発展していった。 この結果を見れば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どけだけ素晴らしい法則であり哲学(てつがく)であり、大きな力(ちから)ある宗教であるかが、一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。 だから、たとえ、どんな状況の人であっても、かならず、無限の希望を、湧(わ)き上がらせていける、希望の源泉(げんせん)と言えるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!!
2009.12.10
イギリスの桂冠詩人(けいかんしじん)のワーズワースが、言っています。『われわれは、今日を新しく、年の初めと定(さだ)めよう!』新年になると、なぜだか、年が、改(あらた)まるので、新鮮(しんせん)な気持ちになる。「今年こそ!」とか「今年は!」とか、新しい決意を立てたり、抱負(ほうふ)を、持つことも多いと思う。新しいということは、新鮮(しんせん)なものだし、気持ちが良いものだと思う。なぜだか新年になると、清々(すがすが)しいような気持ちになることも、ある。また、新(あら)たに、がんばろう!という気持ちになることも、ある。それは、良いことであり、素晴らしいことであり、確かに気持ちを新(あら)たにしたほうが、自分にとっても、自分の人生にとっても、良いことだし、プラスになる。では、毎日、新年のような清々(すがすが)しい前向きな希望に満(み)ちた姿勢と心で、生きることができたら、どうだろうか?そうなったら、自分の人生が、大きく開けていく!と思わないだろうか?そうなったら、自分の人生が、どれだけ、輝(かがや)かしく、素晴らしいものになる!と思わないだろうか?それを、現実の上で、確実に可能にするのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命は、瞬間瞬間(しゅんかんしゅんかん)、一新(いっしん)されていくんです!南無妙法蓮華経は、今と未来を創(つく)る、大きな力(ちから)であり、無限の力なんです。だから、南無妙法蓮華経を、となえると、その今を出発点として、未来を創(つく)る、希望と勇気と、強い強い生命力が、湧(わ)き上がってくるんです!瞬間瞬間、新しい心(こころ)で、未来を創(つく)っていける!それが、『南無妙法蓮華経』なんです!だから、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経を、となえることによって、毎日毎日を、年の初めのように、清々(すがすが)しく、生き生きした気持ちで、挑戦していける!そして、やがて、それは、自分の悩みを解決したり、夢や希望を、かなえる結果となっていき、人生に、勝利と幸せを、つかむことになっていきます。それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです!!
2009.12.07
人から聞いた話しですが、人は、「はあーーーっ」と 、ため息をつくたびに、細胞(さいぼう)が、何万個も死滅(しめつ)するそうです・・・。ちょっとしたマイナスの仕草(しぐさ)が、人間の細胞(さいぼう)にまで、影響(えいきょう)してしまう。人間という生き物が、いかに『こころ』と密接(みっせつ)に、かかわっているかが、よくわかると思う。人間の生命というのは、『こころ』に大きく左右されるということだと思う。“アメリカの良心”と言われたノーマン・カズンズ博士が、笑いや希望は、病気を回復する大きな力(ちから)になると言っていました。『希望』『喜び』『生きる意欲』などの前向きな感情が、人体の『治(なお)す力』を高めていくということです。人間の生命というものは、やはり、『こころ』と直結(ちょっけつ)していて、心が自分の生命に与える力(ちから)は、大きく、心の重要性が、どれだけ大きいか!ということだと思う。創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法では、『南無妙法蓮華経は、歓喜(かんき)の中の大歓喜』だと言います。 また、『南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』とも言い、南無妙法蓮華経を、となえることによって、生命が蘇生(そせい)していく!と言います。実際、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の生命が、歓喜してきます。そして、実際に自分の生命が、なぜだか元気になってきます。それは、やっぱり、『生命が蘇生(そせい)している』ということなんだと思います。これは、ノーマン・カズンズ博士の言っていることと、一致(いっち)します。南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、生命が歓喜してくる。そして、自分の中から、希望が、わきあがってきて、勇気がでてきて、楽しく朗(ほが)らかになってきます。そして、それは、ノーマン・カズンズ博士が言うように、自分の人体、生命の『治(なお)す力』となって、その人の生命を蘇生させていく。だから、病気などの時、真剣に南無妙法蓮華経を、となえ続けた結果として、病気が治(なお)ったり、病気の治療(ちりょう)が、スムーズに短時間で、すんだり、大変な手術が、大成功したりということも、多々あります。南無妙法蓮華経の力は、無限大だし、それだけではないけれど、やはり、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命を歓喜させ、元気にし、そして希望や勇気を、わきあがらせ、人生を前向きに挑戦していけるということは、南無妙法蓮華経の力(ちから)の大きな一つだと思う。人間の生命は、『こころ』と密接(みっせつ)な関係を、もっている。だから、その『こころ』を、希望の方向へ、喜びの方向へ、勇気の方向へ、そして勝利と幸せの方向へ、大きく変えていければ、自分の身体や生命も、蘇生(そせい)し、元気になっていくわけです。その、『こころ』を、あらゆる面において、希望の方向へ、喜びの方向へ、勇気の方向へ、幸せの方向へ、大きく変えていく力が、南無妙法蓮華経には、あるんです。だから、生命が、蘇生(そせい)していくんです!!それが、創価学会が実践している、生命を歓喜させ、蘇生させる、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・!
2009.12.03
池田先生が、創価学会が信じ、祈っている『ご本尊』について、『ご本尊は、自分自身の生命そのものである。だから、ご本尊を信じることは、自分の生命の力を信じることと、同じ!』と、言っています。『ご本尊』は、自分の生命そのもの・・・。いったい、それのどこが?いいんだ?と思うかもしれませんが、メチャクチャ良いです!!!。また、『ご本尊を信じることは、自分の生命の力(ちから)を信じるのと同じ』というのなら、べつに、ご本尊を信じなくても、自分の生命の力を信じていれば、いいではないか?と言うかもしれない。けれど、はたして、それほど自分の生命の力を、信じられるだろうか?生命の力は、計り知れない。どんな大きな力が秘(ひ)められているかもわからない。その自分の中にある無限大の生命の力を、ほんとうに、ただ、「自分を信じればいいじゃないか」と言って、信じることができるだろうか?ぼくが思うに、おそらくは、そこまでは、信じられないと思う。また、困難(こんなん)に、ぶつかったり、障害(しょうがい)があるたびに、あきらめたり、自信を失(うしな)うことも、あるかもしれない。そんな時、ほんとうに?自分の中にある無限大の生命の力を、信じられるだろうか?また、そんな時、ただ単(たん)に、「自分を信じる」と言って、自分の中にある生命の力を、引き出していくことが、できるだろうか?それが、できるかどうかには、大きな疑問が残る。さまざまな困難や障害によって、自信を失っている時である。・・・そんな時、本当に自分の中にある無限大の生命の力を、信じられるだろうか??けれど、『ご本尊』という信じる対象があると、話しは、大きく変わってくる!ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわした本尊ですが、・・このご本尊があると、考え方は、飛躍的(ひやくてき)に変わってくる。ご本尊は、池田先生が言うように、『自分自身の生命そのもの』を、あらわしたものです。しかも、その自分自身というのは、無限の可能性を秘めた、また、あらゆる困難を乗り越(こ)え、夢や希望を、かなえていける、また最高の人間性を秘めた、『無限の希望としての自分自身』を、あらわしています。だから、その『ご本尊』を信じるということは、『自分自信の無限の希望と可能性』を信じることになっていきます。人間の可能性は、計り知れないし、わからない。その、わからない、はかり知れない、未知(みち)の部分まで、ふくめた無限の可能性を秘めた自分自身。その宇宙大の可能性を秘めた自分自身を、信じることが、『ご本尊を、信じる』ことになってくるんです。これだけの可能性を信じるということは、ただ単に口で、「自分を信じる」と言っているだけでは、とうてい、できることではありません。だから、ご本尊が、必要なんです。だから、ご本尊を信じると、大きな希望、大きな可能性、大きな人間性を、開花させていくことが、できるんです!これは、ただ単なる理屈ではなくて、『ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていく』ことによって、自分の中の無限の希望と可能性が、自分の人生の中で、現実に、結果として、必ず、花開いていくと、いうことなんです。だから、世界中の創価学会の人々が、悩みや問題を解決でき、夢や希望を、かなえ、勝利と幸せを、つかむこてが、できているんです・・・!
2009.12.01
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