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東北出身の哲学者(てつがくしゃ)である阿部次郎という人が、言っています。『如何(いか)なる場合に於(お)いても思想は力(ちから)である。』また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、言っています。『最極(さいごく)の人間主義の思想である仏法(ぶっぽう)は、最強の人間主義の力(ちから)であります。』どんな場合であっても、思想は力(ちから)となる。思想(しそう)というと、難(むずか)しく思うかもしれない・・・。けれど、思想とは、人間の中から溢(あふ)れ出る情熱(じょうねつ)であり、パワーでありエネルギーなんだと思う。自分を幸せや希望、勇気に向かわせてくれる力(ちから)が、思想なんだと思う。その思想にプラスの力、希望の力、勇気の力が溢(あふ)れているのならば、その人の人生も未来も、より幸せと希望に満(み)ちたものになっていく。だから、思想は求めるべきものであり、人間にとって必要なものなんだと思う。けれど、思想と言ってもいろいろあり、厭世的(えんせいてき)なものであったり、単なる理想論(りそうろん)に過(す)ぎなかったり、また、その人を不幸にしてしまうような思想もある。本当に、その人を幸せにしていける思想。現実の上で本当に希望と勇気をもたらし、その人の人生を切り開いていく力となる思想。悩みや困難(こんなん)を打ち破り、夢や希望をかなえていける現実的でしかも大きな大きな力(ちから)となる思想!・・・・そういう思想が求められるんだと思う。その本当の力となる思想。現実を切り開く本当のエネルギーとなる思想。生命自体を蘇生(そせい)させ輝(かがや)かせていける、真実の意味での思想が、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。ここには、人生を切り開く、すべての思想が詰(つ)まっている・・・!悩みや問題を解決し、さまざまな困難を乗り越(こ)えていける、人生と直結(ちょっけつ)した強い強い太陽のような思想・・!それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の思想なんだと思う。創価学会では、よく、『冬は必ず春となる!』と言う。それは、必ず勝っていける。必ず幸せになっていける!という創価学会の人たちの信念(しんねん)です。どんな困難も必ず乗り越(こ)えてみせる!!必ず幸せになるんだ!!という強い強い信念の力・・!それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰であり、また現実に悩みや問題を解決し、夢や希望をかなえていける大きな大きな力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)という思想の力なんだと思う・・・!
2011.06.30
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。『仏法(ぶっぽう)には、個人や社会のかかえる、あらゆる問題を解決する原理(げんり)が説かれている。それを、いかなる角度から、どう語っていくかも、時代によって異(こと)なろう。初代会長・牧口常三郎は、価値論(かちろん)を立て、「罰(ばち)」という反価値(はんかち)の現証(げんしょう)に苦しまぬよう警鐘(けいしょう)を鳴(な)らすことに力点(りきてん)を置いた。第二代会長・戸田城聖は、戦後、広い庶民に、仏法(ぶっぽう)の偉大(いだい)さを知らしめるために、経済苦、病、家庭不和(かていふわ)等の克服(こくふく)の道が、仏法にあると訴(うった)え、ご本尊(ほんぞん)の功徳(くどく)を強調(きょうちょう)した。』※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、創価学会が信じ祈っている、祈る対象の本尊で、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。・・・・・・創価学会が実践(じっせん)している仏法(ぶっぽう)には、個人や社会のかかえる、あらゆる問題を解決する原理(げんり)が説かれている。ゆえに、どんな角度からでも、仏法の素晴らしさを語ることができる。人間を幸せにする、あるいは、人間の問題を解決する、これ以上、素晴らしくて、スゴイ!力(ちから)であり、エネルギーでありパワーは、ないんです。人間に真実の幸せをもたらす、これ以上の法則(ほうそく)は、ないということです。だから、どんな角度から語ったとしても、この創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の素晴らしさを、語ることができる。創価学会の初代会長である牧口常三郎先生は、創価学会が実践する仏法の法則が、人々を幸せにする、どれだけスゴクて偉大で力(ちから)ある法則であることを、わからせるために、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法に反対していった時に現(あらわ)れる、いわゆる「罰(ばち)」という反価値の現証(げんしょう)が、必ず、あらわれることを、語ることによって、その創価学会が実践する仏法(ぶっぽう)の法則のすごさ、偉大な大きな大きな力(ちから)を、証明しようとした。創価学会の仏法に反対していった時にあらわれる現実の罰(ばち)の現証を、自分で体験することによって、はじめて、目が覚(さ)め、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を信じようとするからです。そして、創価学会二代会長の戸田城聖先生は、戦後の経済苦、病気、家庭不和に苦しむ庶民たちに、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践(じっせん)していくことによって、それらの経済苦、病気、家庭不和などの悩みが解決することを語り、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の偉大さ、すごさ、素晴らしさを証明しようとした。そして、その創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を実践していった時、それら、あらゆる経済苦や病気、家庭不和などの悩みが、現実に解決していくことによって、人々は、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、すごい!本物だ!ということを実感し、信じることができた!そして三代会長である池田先生によって、仏法の素晴らしさは、あらゆる角度から語られ、世界192カ国に広がり、その世界中の人々の悩みを解決し、夢や希望を、かなえさせ、それらの人々に歓喜(かんき)と生きがいと幸せを、もたらしている。ようするに、幸せにとっても、人間にとっても、生命にとっても、あるいは宇宙という広大な捉(とらえ)え方をしたとしても、これ以上すごくて偉大で、素晴らしい力(ちから)ある法則は、ないんです。なによりも重要なことは、現実に悩んでいる人々の悩みが解決できる!ということです。現実に人々を幸せにできる!ということです。現実に生きている人々の夢や希望をかなえていける大きな大きな力になっていけるということです。要(よう)するに、『この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法によって、夢をかなえることができた!!』『この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法によって、どうしても解決しなかった悩みを解決できた!』『この南無妙法蓮華経の仏法によって、信じられないくらい幸せになれた!!』そう胸を張って、歓喜(かんき)をもって、生き生きと語ることができる・・・!!それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。だから、人間や社会、生命や宇宙といった、どんな角度からでも、その素晴らしさ、偉大さ、幸せになっていける大きな大きな力(ちから)を語っていけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!!!
2011.06.27
悩みが解決しない・・・。そう感じることはないだろうか・・・?だれだって悩みを解決したいし、簡単に悩みが解決するんだったら、それにこしたことはない。いろいろ自分で努力して、それで悩みが解決したんなら、それは素晴らしいし、それで良いと思う。けれど、悩みが解決しない場合がある。自分だけの問題ではなく、家族の問題だったり、職場や環境(かんきょう)をはらんだ問題も場合もある。また、病気など身体的な悩みの場合もある。当然、悩みを解決するために、できるかぎりの努力をし、挑戦していくべきだけれど、それでも悩みが解決しない場合がある。そういう悩みのことを、仏法(ぶっぽう)では、創価学会では、『宿業(しゅくごう)』という。自分の生命に宿(やど)ってしまった、どうしようもない悩み、苦しみ。それらの普通の努力では、どうにも解決(かいけつ)しようがない悩みのことを「宿業(しゅくごう)」と呼ぶ。この「宿業」と呼べる悩みだけは、確かに、そんじょそこらのことでは解決しない。その宿業と言える悩みがあるから、人は苦しみ、不幸を感じ、ある場合は、死を考えてしまうこともある。この宿業を打ち破(やぶ)る方法を、見いださないかぎり、本当の意味での幸せは、つかめない!と言えると思います。この『宿業(しゅくごう)』を、本当の意味で打ち破り、宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、幸せを勝ち取っていける方法が、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、宿命を打ち破る生命の利剣(りけん)なんです!!南無妙法蓮華経を、となえるということは、自分の生命の中から、なにものにも負けない王者のような生命を、わき上がらせながら、自分の生命を蘇生(そせい)させてくれるんです。そして、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の中から勇気と希望が、湧(わ)き上がり、その生命の中の無限の力(ちから)によって、やがて、宿業(しゅくごう)も宿命も打ち破って、悩みを解決し、夢や希望を、かなえていけるようになっていくんです。本当は、南無妙法蓮華経を、となえることほど、スゴイ力(ちから)でありエネルギーは、無いんです!!言葉では言い表(あらわ)せない、計(はか)り知れない無限の可能性を秘(ひ)めたものが、南無妙法蓮華経なんです。だから、たとえ、『悩みが、どうしても解決しない・・』と思っていても、真剣に南無妙法蓮華経を、となえ抜(ぬ)き、仏法(ぶっぽう)の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、今まで、どうしても解決しなかった悩みが解決し、宿命を転換(てんかん)して、夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです。それが、宿業(しゅくごう)や宿命といえる、どんなに解決しない悩みであっても、必ず解決していける、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!!
2011.06.20
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。『ありのままの自分でよいのです。題目(だいもく/南無妙法蓮華経のこと)をあげきりながら(となえぬきながら)、自分らしく、伸(の)び伸びと進んでいけばよいのです。自体顕照(じたいけんしょう)です。本来の自分自身を輝(かがや)かせていくのが、大聖人(だいしょうにん)の仏法(ぶっぽう)です。』人は、よく悩む・・。とくに、若いうちは、よく悩む。『こんな自分で良いのだろうか・・・?』あるときは、自分の存在自体(そんざいじたい)に疑問(ぎもん)を持つことがある。『自分に生きていく価値があるのだろうか・・・?』その重要な問題に、明確に、みごとに答えているのが、創価学会が実践(じっせん)する、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰です。創価学会の南無妙法蓮華経の仏法では、『あなた自身が、仏(ほとけ)なんだ!』と説く。ちなみに仏(ほとけ)とは、死んだ人のことではなく、人間の王者という意味です。どんな困難も乗り越(こ)え、自分のためにも、人々のためにも、幸せになっていける人間の王者という意味です。また、無限の可能性を有(ゆう)し、自分だけの使命を持って生まれた偉大(いだい)な素晴らしい人間の王者という意味です。それが、自分自身だということです。そしてまた、それは自分がなにか特別なものになるということではなく、自分自身のままで、ありのままの自分のままで、仏(ほとけ)と輝(かがや)いてくということです。それができるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。日々、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分が本来持っている強い強い生命力が、自分の中から、湧(わ)き上がってくる。そしてそのエネルギーによって、本来の自分を取り戻(もど)し、自分らしく人生に挑戦していけるようになっていく。本当は、「自分」ほど尊(とうと)いものは、ないんです!!自分の中に、あらゆる可能性があり、あらゆる希望があり、あらゆる未来がある。そして、自分しか果(は)たせない使命がある。それが、自分自身なんです。その本来の自分のエネルギー、使命、可能性を、無限にわき上がらせ、開花させていく生き方が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。人は時として悩むことがある。『こんな自分で良いのだろうか・・』『こんな自分に生まれたくなかった・・』『こんな自分に生きていく価値があるのだろうか・・?』けれど、その自分が大切なんです。そのありのままの自分が、仏(ほとけ)と輝いていくんです。ありのままの自分で、ありのままの姿で、ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえぬき、人生に挑戦していった時、さまざまな悩みが解決し、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。・・・・・・そのご本尊に、真剣に南無妙法蓮華経を、となえていった時、自分らしく、伸(の)び伸びと、夢や希望に向かって、人生に挑戦していける。そして自分らしく幸せになっていける。それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2011.06.15
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。『心に大きな目標を持った人は、それだけ大きな人生を生きられる。自(みずか)ら決めた目標へ、祈り戦い抜(ぬ)く人は、最後に必ず勝利する。』心に大きな目標があれば、大変かもしれないけど、目標に向かって、さまざまなことに挑戦し、希望を持って生きていける。確かに目標が大きければ、 大きな人生を生きていける。それは、当たり前のことであり、だれでもわかると思う。けれど、『自(みずか)ら決めた目標へ、祈り戦い抜(ぬ)く人は、最後に必ず勝利する。』というのは、なかなか理解できないかもしれない。『祈り』というものが、それほど重要で、人生にかかわってくるとは思えないからです。祈るというと、普通、世間一般的(せけんいっぱんてき)には、正月などに、神社やお寺に行って、パンパンと手を合わせ祈ってくる・・。そんな感覚(かんかく)しか、普通はないと思う。また、祈ることが大切なんだったら、お寺や神社、観光宗教などに祈ればいいじゃないかと思い、それらに、どんなに真剣に祈ったとしても、逆に、幸せになるどころか、不幸になります。なぜなら、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても神社信仰にしても、観光宗教にしても、それらは間違った宗教であり、なんの効力(こうりょく)もないデタラメな宗教だからです。それらは間違っているがゆえに、どんなに祈ったとしても、逆に不幸になっていきます。すなわち、さまざまな形で不幸が出現してきてしまうということです。だから、そんな祈りを当(あ)てにすること自体(じたい)、間違っているし、そんなことは、するべきではありません。ところが、創価学会の『祈り』は違う!!創価学会の祈りは、勝負を決する祈りなんです。祈ることが、人生の勝負を左右する。祈ることによって、幸不幸が、わかれてくる。要(よう)するに、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる祈りには、人生を幸せにするだけの大きな力(ちから)があるんです。人生を未来を動かす強力な力(ちから)があるんです。それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の祈りです。仏法(ぶっぽう)では、『一念三千(いちねんさんぜん)』という法則(ほうそく)を説きます。一念三千とは、心の違(ちが)いによって、違う世界ができあがっていくということです。ようするに、心を変えていくことによって、環境(かんきょう)や世界、未来が変わっていく。その根本が『こころ』であり、その『こころ』には、未来を開く無限のエネルギーが込(こ)められていると、いうことです。心によって未来が変わっていくということは、なんとなくわかりますが、だからといって、そう簡単に心を変えていけるものではありません。心は、なかなか変えられないのが、本音(ほんね)だと思う。けれど、心を、幸せの方向へ、勝利の方向へ、変えていけたなら、未来は開け、人生が開けてくる。それは、わかると思う。その心を、幸せの方向へ、勝利の方向へ、変えていける決定的な方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。南無妙法蓮華経を、となえゆくことは、もっともっとスゴイ力(ちから)と可能性があるのですが、根源的(こんげんてき)に、この心を変えていけるということがあるから、創価学会の中で祈り抜き、戦いぬく人は、 勝利できるんです!本当は、これほどスゴイ力(ちから)は、ないんです。だから、まず目標を決める。けれど、目標を決めただけでは、まだ漠然(ばくぜん)としている。その目標を創価学会のご本尊に(※ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊です。)・・・そのご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとなえて祈っていくとき、目標に向かって、あらゆる知恵となってあらわれ、また強い強い生命力となって、その人を輝(かがや)かせ、行動へと駆(か)り立てる。 そして祈りと共に、創価学会の中で活動していくことによって、自分自身が目標をかなえていける自分に変わっていく。自分が変わり、そのことによって、環境も変わっていく。なぜだか自分の目標がかなうように、世界のあらゆる環境(かんきょう)が引きつけられ、自分を助けバックアップしてくれる存在になっていく。自分が変わり、環境も変わっていき、 さまざまな運を引き寄(よ)せられるようになっていく。そして、最終的には、目標をかなえ、勝利して、幸せになっていくことができる!それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。ゆえに、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、人生を決(けっ)し、幸せを勝ち取る決定的な方法だと言えます。それが、目標を決め、祈り、戦いぬいたならば、必ず勝利していける、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!
2011.06.10
幸せといっても、いろいろある。ある人は、自分は幸せだと言う。また、人から見たら幸せそうでも、本人は幸せだとは思っていない場合もある。また、人から見たら、華(はな)やかな生活に見えても、ものすごい悩みや苦しみを、かかえている場合もある。ある人は、生きていければ幸せだという。また、ともかく、おもしろおかしく生けていければ、幸せだという。日々の生活の中で、幸せに対する考え方は、まちまちだ。けれど、幸せに対して、確証的(かくしょうてき)なものがない・・・。それは、幸せに対する確固(かっこ)たる生命観、哲学(てつがく)がないからでは、ないだろうか・・。はっきり言えば、創価学会の人ほど、幸せな人は、いない。それは、幸せに対して、明確に哲学(てつがく)を持っているからだ。そして、自(みずか)らの生命で感じる歓喜(かんき)と共に、生きているからだ。この生きることに対する歓喜を、これほど感じて生きていける方法は、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰によるよりほかは、ない!と言えます。それほど、スゴイのが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の実践は、その人の生命を蘇生(そせい)させる。その人の生命を歓喜させる。そして、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中の本来(ほんらい)持っている使命感(しめいかん)に目覚(めざ)め、自分のためにも、 世界や人々のためにも、使命感を持って生きる生き方が、できるようになってゆく。そして、それは、自分のこころと生命に、最高の充実(じゅうじつ)と価値(かち)を生む。その充実と価値が、いっそう自分の人生を輝(かがや)かせ、幸せなものにしていく。そして、自分のためにも人々のためにも、自分の使命を果(は)たそうと生きる生き方は、自分の中から無限の可能性を開花させゆくことに、つながり、結果としてさまざまな悩みや問題を、解決していけることになり、また、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。その決定的で最も確実な方法が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。南無妙法蓮華経を、となえることは、歓喜(かんき)の中の大歓喜だと言う。そして実際そうであり、創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえて生きることは、結局、最高の充実、最高の満足、最高の歓喜、そして最高の幸せを感じて生きることになっていく。ゆえに、最初に言ったように、創価学会の人ほど、幸せな人はいない・・。創価学会の人ほど、幸せを味(あじ)わい、幸せを感じて生きていける人はいない。もちろん、人それぞれ、才能や個性、華(はな)やかに見える人、見えない人は、いるでしょう。けれど、それは表面的なことであり、本当の幸せの見方とは、言えない。そして、本当の意味で、心からの最高最大の幸せを、つかんでいける生き方が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2011.06.07
聖教新聞(せいきょうしんぶん)に池田先生(創価学会インターナショナル会長)が連載(れんさい)してくれている小説『新・人間革命(にんげんかくめい)』の中に、ある婦人の話しが、のっていました。・・・・・・・・・・・・その婦人と夫は、1954年に、和歌山市内で創価学会の話しを聞かされる。しかし、婦人は、頭から仏法(ぶっぽう)を否定し、学会を蔑(さげす)むようなことを言い続けた。学会員は、『仏法(ぶっぽう)は、幸福になるための法則(ほうそく)なんです。それを真っ向(まっこう)から否定していけば、いつか行き詰(づ) まってしまいますよ。』と、諄々(じゅんじゅん)と訴(うった)えたが、聞く耳をもたなかった。ほどなく、夫の事業が失敗し、夜逃(よに)げ同然(どうぜん)で、和歌山県の新宮市(しんぐうし)に移り住む。再起しようと夫婦で懸命(けんめい)に働くが、ますます生活は苦しくなっていった。多額の借金(しゃっきん)。そのうえ婦人は、胸膜炎(きょうまくえん)や心臓弁膜症(しんぞうべんまくしょう)などの病にもさいなまれた。何もかも行き詰(づ)まった。心は、深い闇(やみ)に閉(と)ざされ、なんの希望も見いだせず、遂(つい)に生きることに、疲(つか)れ果(は)ててしまった。信心の話を聞いてから、三年がたとうとしていた。彼女は、二人の幼子(おさなご)と一緒に、死のうと思った。そして、死と向き合った時、初めて、仏法(ぶっぽう)の話を思い起(お)こした。『祈りとして叶(かな)わざるなしのご本尊(ほんぞん)よ。真剣に信心に励(はげ)めば、誰でも、必ず幸せになれるよ。』・・との言葉が、胸に蘇(よみがえ)った。※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていけ る仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。婦人は、夫に、「信心してみようと思うの。」と話した。すると夫は言った。「俺は、三年前、学会の話を聞いた時に、本当は、信心をしたかったんだ。しかし、おまえが、あんなに反対したから・・・」彼女は、すぐに、仏法(ぶっぽう)の話しをしてくれた和歌山市の学会員に、速達で手紙を出した。「あなたの言われていた信心をやりたいと思います。すぐに来てください・・・・」婦人の一家は、1957年6月、晴れて入会する。以来二十年、事業も軌道(きどう)に乗り、借金も返済(へんさい)した。はつらつとして学会活動に励(まげ)み、婦人は、県の幹部として活躍(かつやく)。夫妻で幸せを満喫(まんきつ)している。彼女が一緒に死のうと思った長男は、創価大学の四年生となり、さらに、海外の大学院に進もうと、勉学に励(はげ)んでいるということです。・・・・・・・・・・・・この話しで思うのは、同じ人間が、創価学会に反対していた時期と、創価学会に入って真面目に創価学会の信心をしてきた時期での、現実に現(あらわ)れた、あまりにも大きな違いです!!ようするに、創価学会の信心をすると、しないとでは、これだけの違いがある!ということです。これは、この人だけの話しではなくて、すべての人間に当(あ)てはまることなんです!!それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです!創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、宇宙の幸せの法則(ほうそく)であり、生命の法則なんです。だから、当てはまらない人など、世界にひとりもいないんです。真剣にやっていけば、必ず、幸せになっていける。さまざまな悩みを解決していけ、また、さまざまな夢や希望を、かなえていけるんです!だから、今日、話した婦人のような体験が、世界中、数限りなく現(あらわ)れ、世界中の創価学会員が、幸せを勝ち取っているんです。それが、『祈りとして叶(かな)わざるなし!』と言われる、創価学会のご本尊(ほんぞん)であり、悩みを解決し、夢や希望をかなえていける、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2011.06.01
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