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創価学会の人たちは、ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る仏法(ぶっぽう)の信仰を実践(じっせん)しているわけですが、なぜ、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえるかというと、自分の生命の中にある最高にして最強の無限の可能性を秘(ひ)めた、『仏界(ぶっかい)の生命』が湧(わ)き上がってくるからだと言われています。また、仏界の生命とは、『仏(ほとけ)の生命』とも言い換(か)えることもできます。南無妙法蓮華経を、となえていると、実際、それは、自分の生命の歓喜(かんき)によって、感じることはできるのですが、この『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、どうしても、言葉で表現ができないとされています。日蓮大聖人は、人間の生命状態を、おおまかに10種類にわけて、説明されています。たとえば、地獄(じごく)のような生命状態が『地獄界(じごくかい)』。食物に飢(う)えている状態が『餓鬼界(がきかい)』。おだやかで人間らしい生命状態が『人界(にんかい)』。喜びで、天にも昇(のぼ)りそうな生命状態は、『天界(てんかい)』など、生命状態をあらわす言葉に、『界(かい)』ということばを付けて、『何々界』という形で、表現しています。けれど、この『仏界(ぶっかい)』ばかりは、表現のしようがない!!とてつもなく素晴らしくて偉大(いだい)で、無限の可能性と力(ちから)を秘めた生命であることは、わかりますが、日常の生活の中で、当てはまる心の状態がないために、どうしても表現しきれないというのが、本当だと思います。ぼくは、便宜上(べんぎじょう)、仏界の生命を、『強くて、あったかくて、魅力的(みりょくてき)で、何ものにも負けない最高に歓喜した最強の生命』などと、表現していますが、やはり、仏界の生命を表現するのは不可能というのが、本当のところだと思います。そのあらゆる壁(かべ)を乗り越(こ)えていける、無限の可能性を秘(ひ)めた最強の生命である『仏界の生命』が、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の中から湧(わ)き上がってくるから、創価学会の人たちは、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえているという訳(わけ)です。※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。そして、この『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえないと、自分の中から湧(わ)き上がってきません!この仏界の生命だけは、ほかの何をやったとしても、自分の中から出していくことは、不可能です!!!横暴(おうぼう)のようだけれど、本当だから、しょうがありません。この創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえないかぎり、『仏界の生命』は、わきあがってこないと、断言(だんげん)できます!!!逆に言うと、だから、創価学会の人たちは、この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)によって幸せになっていけるんです。世界中の人たちが、悩みを解決し、夢や希望をかなえて、人生に勝利し、幸せになっているんです。それが、自分の中から、最高にして最強の生命である『仏界の生命』を湧(わ)き上がらせてきた結果だと思います。おそらく、仏界の生命とは、自分自身が、偉大な王者のようになる生命状態ではないかと思います。そしてその偉大な王者のような生命状態になった時、環境(かんきょう)がどう、まわりがどうではなく、自分自身が完全に主体となり、世界を変え、 生み出していけるような強烈(きょうれつ)に強い生命状態になるんだと思います。だから、その強靭(きょうじん)な生命状態になった時、自(みずか)らの生命を蘇生(そせい)させ、無限の可能性を引き出しながら、あらゆるものを変革していく無限のエネルギーと可能性によって、困難な病気であっても、また貧乏などの経済的な問題であっても、ほかのさまざまな悩みであっても解決でき、乗り越えていくことができる・・。そして、夢や希望をかなえて、幸せになっていける・・!それが、仏界の生命であり、仏(ほとけ)の生命なんだと思う。そして、その仏界の生命を、自分の中から湧(わ)き上がらせ、開花していける唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!
2011.10.31
世界的に有名なジャズ・ピアニストのハービー・ハンック氏が、創価学会に入会するきっかけになった話しを、してくれています。ハービー・ハンコックは、語っています。『私に信心を教え、SGI(創価学会インターナショナル)に縁(えん)させてくれていたのは、私のバンドでベースを弾(ひ)いていた、バスター・ ウィリアムスさんでした。ある公演で、彼は驚(おどろ)くべきソロ演奏を披露(ひろう)し、私たちを高揚(こうよう)させたのです。演奏が終わると大勢(おおぜい)の聴衆(ちょうしゅう)がステージに走り寄(よ)ってきました。感動のあまり泣(な)いている人もいました。その衝撃(しょうげき)の公演が終わった後、私は思わず彼を楽屋(がくや)に連(つ)れていき、尋(たず)ねたのです。「君が、何か新しい哲学(てつがく)か宗教を実践(じっせん)していると聞いている。もし、それが、こんな演奏を可能にするのなら、それが何かを知りたいんだ。」と。バスターは、それについて私に話す機会(きかい)が訪(おとず)れることを祈っていたと言って、『南無妙法蓮華経』の題目(だいもく)について話し始めました。彼は、それが『法(ほう)』であり、宇宙の法則(ほうそく)であると話してくれました。私は彼の話しに多くの希望が含(ふく)まれていることに好感(こうかん)をもちました。『南無妙法蓮華経』が何かは分かりませんでしたが、バスターは、私が信じようが信じまいが、南無妙法蓮華経には力(ちから)があり、効果(こうか)があると力説しました。それで私は「まだ信じてはいないが、試(ため)すだけなら、失(うしな)うものは何もない」と始めてみたのです。』そして、現在にいたり、何度もグラミー賞を受賞するなど、大活躍(だいかつやく)しているわけです。同じく有名なジャズ・奏者であるウェィン・ショーターさんも、語っています。ショーターさんは、亡(な)き奥様のアナ・マリアさんから創価学会の信心を教わったそうです。ショーターさんは、語っています。『彼女(ショーターの奥さん)は、ハービー(ハービー・ハンコック)から、この信心を紹介されました。私は、彼女がどう行動するのかを見ていました。創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる信心を実践(じっせん)してしばらくすると、彼女は別人のように変わりました。私は非常に驚(おどろ)きました。その時の気持ちは、言葉では表(あらわ)せません。そこで、私にも教えてほしいと頼(たの)んだのです。』ひとことで言うと、これが創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと思います。だれもが、口にはしないけれど、望んでいるもの。生命の幸せへの変革(へんかく)、人間性の開花、幸せへと向かう生命の喜び、心に感じる高揚感(こうようかん)と感動・・。それらの人間が本質的(ほんしつてき)に求めている幸せへの欲求(よっきゅう)、幸せでありたいとする人間性の開花が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)には、ある!ということです。今日、話した内容は、べつにハービー・ハンコックやウェイン・ショーターさんだけに起こってくるのではありません。創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰を実践した、世界中のすべての人に起こっているんです!だから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。そして、何よりも大切なことは、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、現実の人間を取り巻(ま)く、さまざまな悩みや問題を解決でき、人それぞれの夢や希望をかなえていく大きな力(ちから)となっていく!ということです。そして、人生における、どなん試練(しれん)や困難も乗り越(こ)えていける、大きな大きな力(ちから)であり、エネルギーでありパワーとなっていくと、いうことです。ゆえに、この南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、人々は歓喜(かんき)し、生命の変革を感じ、大いなる喜びと感動をもって、人生に挑戦していける。ウェイン・ショーターさんが、妻が別人のように変わっていく姿に、言葉では表せないほど驚いたように、ハービー・ハンコックが、強烈(きょうれつ)な衝撃(しょうげき)をおぼえたように、人々をより良く、変革し歓喜させ、幸せにしていく。それが、人生も人間性も、未来も、生命も、幸せに変革していける、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!
2011.10.26
19世紀のフランスの文豪(ぶんごう)・デュマの名作『モンテ・クリスト伯(はく)』の中で、こう言っています。『人智(じんち)のなかにかくれている、ふしぎな鉱脈(こうみゃく)を掘(ほ)るためには、不幸というものか必要なのだ。』・・・と。不幸はいやだし、嫌(きら)いだけれど、悩みや苦しみは、確かにそれを乗り越(こ)えようとしていった時、真剣に挑戦していくことによって、大きなものを学び、自分にとっての大きな財産を手に入れられることが多いと思う。池田先生(創価学会インターナショナル会長)も言っています。『皆も、苦しみに負けてはいけない。言うに言われぬような苦難と戦ってこそ、「智慧(ちえ)の鉱脈(こうみゃく)」を見つけることができる。』苦難(くなん)は、その人から、大きな力(ちから)を引き出してくれる・・。確かに人間の可能性は、無限(むげん)だし、計(はか)り知れない。その無限の力を引き出していくためには、確かに、苦難や悩みが必要なのかもしれない。人は、不思議(ふしぎ)と、悩みや苦しみがあるほうが、真剣になるからです。そう考えると、デュマが言うように、不幸というものが時には、必要なのかもしれない。といっても、別に不幸を賛嘆(さんたん)しているわけではない。絶対、不幸はないほうがいいし、不幸が好きな人なんていない!別の言い方をすれば、不幸の中に幸せの鉱脈が、かくされているというのなら、たとえ、現在、自分に不幸が降(ふ)りかかってきたとしても、それは、「不幸」ではなく、幸せをつかむための「試練(しけん)」と考えることもできる。そう考えて、希望を持ち、心を強く、人生を挑戦していった時、その試練を乗り越えた時、人は大きな幸せを、つかむことができるのかもしれない。けれど、人は、状況(じょうきょう)に左右されやすい。自分に不幸が降(ふ)りかかってきた時、その状況だけが、心を覆(おお)い、意気消沈(いきしょうちん)し、絶望してしまうことも、まま、ある・・・。また、心情的(しんじょうてき)に、人は、そういう生き物なのかもしれない。けれど、本当は、不幸の中に幸せが、かくれている。不幸の中に、ふしぎな幸せの鉱脈(こうみゃく)がある・・!だから、その鉱脈を、掘(ほ)り当てなければならない!だから、状況や環境(かんきょう)、絶望や苦難に負けない、強い強い、生命の力(ちから)が、求められる!!その鉱脈を掘(ほ)り当てる、絶望や苦難を必ず乗り越えていける決定的な方法が、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!これほど、スゴイ力(ちから)は、ないんです・・!ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、強い強い生命力、勇気や知恵が、湧(わ)き上がってくるんです!その生命の力は、計り知れない。そして、デュマが言うように、ふしぎな幸せの鉱脈を、つかんでいくことが、できるようになっていくんです。※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。そのご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていくことは、自分の生命の中の、幸せの鉱脈を掘り当て、開花させていくことと同じなんです。自分の中の無限の可能性、無限の力を引き出していく!それが、南無妙法蓮華経を、となえていくことなんです。だから、創価学会の人たちは、どんな苦難、どんな不幸な状況にあろうとも、真剣に、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、実際、ことごとく、苦難や不幸を打ち破(やぶ)り、幸せを勝ち取ってきているんです。その勝利と幸せの証(あかし)が、世界192カ国に広がる創価学会になっているんだと思う。・・・だから、嘆(なげ)くことはない。落ち込むことはない。決して、絶望することはない。この、創価学会の『ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰』があれば・・・!!!それが、どんな不幸も、悩みも、苦難も乗り越え、その中から、幸せの鉱脈を無限に掘り出していける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2011.10.21
日蓮大聖人が、『蔵(くら)の財(たから)よりも身の財すぐれたり 身の財(たから)よりも心の財第一なり』と、言っています。この言葉について、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『慈悲(じひ)や勇気や希望など、人間としての至高(しこう)の資質(ししつ)に勝(まさ)る財宝があろうか。そして、この「心の財」は、どんな不慮(ふりょ)の事故や災害に遭(あ)っても絶対に壊(こわ)されない。』「蔵(くら)の財(たから)」・・、物質的な財産やお金などの財産よりも、「身の財(たから)」・・、自分の身体の健康や健全(けんぜん)さの方が大事であり、大切である・・。いくら、財産があっても、健康を損(そこ)ね、病気で普通に生活できないのであれば、財産を生かすこともできないし、幸せを満喫(まんきつ)することもできない。やはり、幸せは、自身の身体(からだ)の健康から来るものだし、そこから幸せを感じ、味(あじ)わうことができる。また、身体が健康であれば、それから、人生に挑戦し、財産(ざいさん)を築(きず)いていくこともできる。だから、「蔵(くら)の財(たから)」よりも、「身の財」のほうが、すぐれている。その「身の財(たから)」よりも大切で、すぐれているのが、「心の財」だという。幸せは、根源的(こんげんてき)には、「こころ」からやってくる。健康であっても、心が荒(すさ)んでいたり、傷(きず)ついていたりすると、幸せを感じることは、できない。また、心が荒(すさ)み、傷ついていると、それは、身体にも影響(えいきょう)し、健康を害したり病気になってしまう原因にもなる。また、逆(ぎゃく)に、心を強く、明るく元気にしていくことによって、それは、身体にも影響を与(あた)え、健康になっていくのも、科学的に証明されている。そう考えると、やはり、「身の財(たから)」よりも「心の財」の方が、優(すぐ)れているし、重要だということになる。そして、池田先生が言うように、「心の財」は、どんな不慮(ふりょ)の事故や災害に遭(あ)っても絶対に壊(こわ)されない!!ゆえに、絶対的な幸せ、決して崩(くず)れることのない最高の幸せを築いていけるのは、「蔵の財」でも「身の財」でもなく、『心の財』であると言うことができる。そして、『心の財』が強く、大きく、輝(かがや)いていったならば、自然と「身の財」である身体も健康になり、また「蔵の財」である物質的な幸せ、すなわち財産や、それにともなう自分の夢や希望も、かなってくる・・ということだと思う。だから、やはり、『心の財(たから)』が、いちばん大切だ!ということができる。そうはいっても、『心の財』は見えないし、そう簡単に培(つちか)っていけるものではないことも、わかると思う。けれど、『心の財』は、幸せをつかむ上で、とても重要となる。その『心の財』を、最高に、無限に培(つちか)っていけるのが、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!『心の財』を養(やしな)い、無限に増(ふ)やしていける方法は、これしかない!!と言っても、言い過ぎではないでしょう。日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命は、歓喜(かんき)してくる!その生命の歓喜は、自分の生命自体を蘇生(そせい)させ、復活(ふっかつ)させる。南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の生命に本来、そなわっている勇気や希望が湧(わ)き上がってきて、夢や希望に向かって挑戦していけるようになってゆく。また、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中から、さまざまな知恵やアイデアとなって湧(わ)き上がり、人生のさまざまな状況で、自分を助けていくことになる。心そのものを、生命そのものを、絶(た)えず、希望へ、幸せへと変革(へんかく)していく!それが、南無妙法蓮華経をとなえると、いうことなんです。だから、「蔵の財(たから)」よりも「身の財」よりも優れている、最高の『心の財』を、無限に増やし開花していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2011.10.14
ブラジルに、35年前、経済苦、家庭不和(かていふわ)、さらに命におよぶ難病(なんびょう)に苦しみ悩んで、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)に巡(めぐ)りあい、創価学会の真剣な信仰によって、病(やまい)を克服(こくふく)し、幸せを勝ち取っていった婦人が、いるそうです。そのブラジルの婦人が、確信を込(こ)めて言っているそうです。『仏壇(ぶつだん)の扉(とびら)を開けば、いかなる勝利の扉も開いていける。』・・と。具体的(ぐたいてき)に、どういうことかというと、『仏壇の扉(とびら)を開く』とは、創価学会が信じ祈っている『ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえていく』ということです。『ご本尊(ほんぞん)』とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊です。だから、そのご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていった時、悩みや問題、あるいは、夢や希望に向かって、あらゆるものを、勝利へと向かわせ、勝ち取っていける!ということだと思います。南無妙法蓮華経とは、生命を、希望へ、勇気へ、幸せへと変革(へんかく)し、蘇生(そせい)させていく『幸せのエネルギー』のようなものだと思っていいと思います。そして、ご本尊は、自分の生命の中から、勝利と幸せを開く扉(とびら)のようなものだと思います。だから、そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていった時、自分の生命の勝利と幸福の扉(とびら)が開き、自分の中から、勇気や希望、勝利を呼ぶ、あらゆる知恵やアイデアが湧(わ)き上がり、また、自分自身の生命を元気に蘇生(そせい)させながら、日々を挑戦していける!ゆえに、ブラジルの婦人が言うように、創価学会のご本尊の仏壇(ぶつだん)の扉(とびら)を開いて、南無妙法蓮華経を、となえていった時、あらゆる勝利と幸せの扉を、開いていくことができる!それが、勝利と幸福を開く扉(とびら)と言える、『ご本尊(ほんぞん)』であり、あらゆる悩みを解決し、夢や希望を開いていける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2011.10.11
詩人、宮沢賢治が、物語の中で、描いているそうです。それは、ある小さな野に咲(さ)く花が、たとえ誰(だれ)も見なくとも、また、どんな嵐(あらし)があっても、自(みずか)らの命を自分らしく立派(りっぱ)に咲かせていった。その強く美しき魂(たましい)を貫(つらぬ)き通したがゆえに、やがて「花の王」と讃(たた)えられる、最も光り輝(かがや)く存在へ生まれ変わったという話しです。池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強(にんたいづよ)く、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』本質的(ほんしつてき)には、ここに、人生の勝敗が、分かれてくるんだと思う。自分という存在は、他の人とは違(ちが)う。当然(とうぜん)、どんなにうらやんだとしても、他の人には、なりえない。自分以外の人も、同じで、その人が自分と同じようになることは、ない。すべての人が違う運命や宿命(しゅくめい)、境遇(きょうぐう)や環境(かんきょう)、違う個性や人格(じんかく)、才能や能力をもって生まれてきている。だから、あの人はいい、この人はいいと言ってみたことろで、どうにもならない。そして、宮沢賢治が言うように、自らの命を自分らしく咲かせていくしかない・・!!そしてその自分自身を貫(つらぬ)き通していった時、光り輝く存在に変わっていく。勝負は、そこにあり、原因も希望も、幸せも、やはり、自分の中にあり、自分の中から出発していくしかない。だから、池田先生は、言っている。『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強いく、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』・・・と。ところが、これほど難(むずか)しいことは、ない。これほど困難(こんなん)なことは、ない。それは、難事中の難事(なんじ)と言ってもいいと思います。だから、その難事中の難事を可能にしていく、明確で確実な哲学(てつがく)とパワーとエネルギーが、求められる。その勇気と忍耐(にんたい)を持って、自分自身の生命の花を、無限に咲かせていける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。逆に言えば、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰があるから、創価学会の人たちは、自分自身の最高の花を咲かせ、幸せと勝利を、勝ち取っていけるんです。誰も見ていなくても、どんな嵐があっても、自(みずか)らの立派(りっぱ)な花を、咲かせていく。それは、確かに困難なことであり、また、世間一般的には、自分らしく立派な花を咲かせていきたいという気持ちはあっても、結局(けっきょく)それができず、そのまま、埋(う)もれてしまうことも、数限りなくある。また、そういう人の方が多いとも言えると思います。だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どうしても必要になってくる!そして、この南無妙法蓮華経の仏法は、自分がやったこと、自分の努力が、すべて、必ず、花開いていく法則(ほうそく)だから、人が見ていようが、いまいが、自分がやったことが、必ず、最高の形で報(むく)われていく結果となります。そういうスゴイ法則であり、力(ちから)であり、エネルギーが、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。はっきり言えば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰をやりながら、人生に挑戦し努力していくのと、創価学会の南無妙法蓮華経の信仰をやらないで、努力していくのとでは、天と地くらいの差(さ)がでてくるんです。これは、おどろくべき違いなんです。それは、新しく創価学会に入って、仏法(ぶっぽう)の信仰を実践している多くの人たちが、体験していることであり、感じていることでもあります。また、だから、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経の仏法を、実践するんです。そして、だから勝っていけるんです。幸せになっていけるんです。そしてそれは、宮沢賢治の物語のように、自分の人生の中で、「花の王」と輝き、最も光り輝く存在へと、自分を変えていってくれるんです。その力(ちから)でありパワーでありエネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2011.10.05
創価学会の人たちは、日々、南無妙法蓮華経を、となえています。南無妙法蓮華経とは、いったいなんだろう?どういう意味が、あるんだろう?どういう効果(こうか)や効力(こうりょく)があるんだろう?と考える時、南無妙法蓮華経は、あまりにもスゴイので、どういう考え方、どういう捉(とら)え方をすることも、できる・・!ある人は、単純(たんじゅん)に、南無妙法蓮華経をとなえると、幸せになれるんだ!と言うし、病気などの人は、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)するから、病気を治(なお)す大きな力になるんだ!と言う。また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の運命、宿命(しゅくめい)を変革していくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、人間性を向上(こうじょう)し、境涯(きょうがい)を高め、大きくしていくんだ!と言う。また、ある人は、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、無限の勇気を湧(わ)き上がらせていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分の中から、大きな知恵やアイデアを湧(わ)き上がらせていくんだ!と言う。また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悩みや問題を解決していくんだ!と言い、またある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、家族や地域、社会、そして世界を幸せにしていくんだ!と言う。また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、苦難を打ち破(やぶ)り、乗り越(こ)えていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悪を打ち破っていくんだ!と言う。いろいろ、考え方はあるけれど、その、どれも、正しいんです・・・!!!!結局(けっきょく)、南無妙法蓮華経は、あらゆる角度から見たとしても、生命を、人間を、世界を、幸せにしていく法則(ほうそく)なので、その人にとって、いちばんプラスになる、いちばん幸せになる考え方をするのが、いちばん、いい!!!それが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだと思う。ぼくはと言えば、最近、自分で気に入っているのは・・、今の状況(じょうきょう)、環境(かんきょう)や場面、自分のおかれた立場や心境(しんきょう)がどうであれ、南無妙法蓮華経とは、その時を出発点として『必ず、幸せに変わる!!』ということだと思っています。今が、辛(つら)くても、苦しくても、また、順調(じゅんちょう)な時も、また悲しい時も、南無妙法蓮華経を、となえるということは、『必ず、幸せに変わる!』『必ず、幸せに変えていく!』という決定的な未来を築(きず)くことに等しいと思う。だから、今の状況がどうだとか、こうだとか、愚痴(ぐち)を言うのではなく、「ともかく、幸せに変わるんだ!」「必ず幸せに変わっていくんだ!」 という力(ちから)であり、エネルギーでありパワーが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだと思う。また、そう思って南無妙法蓮華経を、となえていった時、南無妙法蓮華経の力は、より一層(いっそう)、幸せへと向かい、幸せを勝ち取っていくことができる!ようするに、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中にある、こころや生命を、すべて、幸せというアイテムと思考に変換(へんかん)し、足の先から頭のてっぺんまで、 すべてを『幸せ』という細胞で満(み)たして、そこから、人生も未来も、生命すべてを幸せに変えていく!ということだと思う。今の状況はどうであれ、生命も細胞も心も、幸せのエネルギーで満(み)たし、人生と未来を、幸せというエッセンスに変革していく!それができる究極の力でありエネルギーであり、必ず幸せを生む、無敵の楽観主義が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰ではないかと、僕は、思っています・・・。
2011.10.02
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