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創価学会の人たちは、日々、南無妙法蓮華経を、となえています。ぼくも、日々、南無妙法蓮華経をとなえて生きてきたわけだけれど、自分で南無妙法蓮華経をとなえてきたから言えることだけれど、実感(じっかん)として、「もし、南無妙法蓮華経を、となえなかったとしたら、それは、地獄(じごく)であっただろう・・。」と、心から思う。南無妙法蓮華経を、となえるのと、となえないのとでは、それくらい差(さ)があるということです。これは、ぼくだけでなく、創価学会の中で、真面目に創価学会の信仰をやっている人の正直(しょうじき)な気持ちだと思う。南無妙法蓮華経を、となえることは、生命を蘇生(そせい)させる。南無妙法蓮華経を、となえることは、生命に希望と勇気を、もたらす。そして、南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の人生と未来に、あらゆる幸せを引きつけ、無限の可能性を開く結果となり、その人を幸せに導(みちび)いてくれる。一見(いっけん)、南無妙法蓮華経をとなえるのと、となえないのとでは、小さな違(ちが)いかもしれない。けれど、それは、小さな違いではなく、 決定的な違いを、もたらす。とくに、なにかあった時、苦しいこと、悲しいことがあった時、その時、南無妙法蓮華経をとなえることが、どれだけスゴイことか、実感してくる。苦しい時、悲しい時、宿命的(しゅくめいてき)な悩みに襲(おそ)われた時、人の心は、時として耐(た)えられなくなる。心は、沈(しず)むだけ沈んで、とめどないところまで、沈んでいくこともある。歯止(はど)めが、きかない・・!その心の闇(やみ)と苦しみは、人生に修正(しゅうせい)をきかなくしていく。闇や苦しみの心が普通となり、人生の傾向性(けいこうせい)が、どんどん不幸へと向かっていく。ここに、歯止めをかけ、幸せに向けていくことが、どれだけ困難(こんなん)なことか・・!そのような体験のある人なら、わかると思う。心をプラスにもっていけない。心に希望と勇気を、わき上がらせることができない・・!その心の闇(やみ)が不幸をもたらしているといっても、言い過(す)ぎではないと思う。その心の闇を打ち破(やぶ)ることが、どれだけ大切か!どれだけ重要で、人生を幸せにもっていってくれるか!これさえ、できれば、人生は、幸せになっていけると言っても、過言(かごん)ではない。だから、心の闇を打ち破る方法が、最も重要になってくる。心に希望と勇気をわき上がらせる方法が、決定的に求められる。その心の闇を打ち破り、希望と勇気をわき上がらせる決定的な方法が、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。これほど、スゴイ力(ちから)は、なんいんです。これほど、劇的(げきてき)に心を幸せの方向に変えていける方法は、ないんです!だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけると言えます。どんな苦しい時でも、どんな悲しい時でも、どんな宿命(しゅくめい)の嵐が吹(ふ)き荒(あ)れている時でも、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経を、となえることができる。そのことによって、心の方法性を、希望へ、勇気へ、幸せへと変えていくことができる!そしてそれは、現実に、生命のエネルギーとなって、その人に勝利と幸せを、もたらしていく。これが、どれほど、スゴイことか!!どれだけ、その人を幸せにもっていってくれているか!!そのことによって、どれだけ、世界中の創価学会の人たちが、苦難や宿命の嵐を乗り越(こ)え、幸せを勝ち取っていけたか、計(はか)り知れない・・。その生命自体を蘇生(そせい)させ、希望と勇気と歓喜(かんき)の力によって、悩みや困難を乗り越えさせ、夢や希望をつかんでいける決定的で唯一(ゆいいつ)の力と言っていいのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2012.02.29
聖教(せいきょう)新聞の小説、新・人間革命に書いてあったけれど、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、ある創価学会に入会したけれど、ほとんど創価学会の信仰をしていなかった方に、言ったそうです。『直井君は、何も悩みのない顔をしているね。物事に正面から立ち向かい、悩み、もがいて、前に進もうという覇気(はき)が感じられないんだよ。それでは、本当の力も発揮(はっき)できないし、人生の醍醐味(だいごみ)も、信心の力も、わからずに終わってしまうよ。せっかく入会したんだから、とことんまで信心してみようよ。』創価学会に入ったからといって、急に悩みがなくなったり、大金が入ってきたりとか、そんな棚(たな)ぼたみたいなことは、当然、ありません。もちろん、創価学会自体が、宇宙の法則(ほうそく)にかなった、生命の法則にかなった幸せのリズムの中に存在していると言えるので、その創価学会に入ったという自分の姿勢(しせい)と心によって、さまざまなことが、より良く幸せの方向に改善(かいぜん)されていくということは、多々、あります。というのも、創価学会に入る前は、間違(まちが)った宗教などによって、宇宙の法則や生命の法則に逆(さか)らった生き方をしてきたと言えるので、その間違った宗教を捨て、宇宙と生命の、幸せの法則とリズムにかなった創価学会に入ったということで、生命の方向性が、ガラリと変わって幸せに向いたということが、言えるからです。だから、創価学会に入ったという姿勢によって、人生の方向性が幸せに向いていくことは、事実です。かといって、創価学会に入ったからといって、何もしなかったら、悩みも解決しないし、自分の望む幸せに向かって、なにも良くなってはいかないとも、言えます。創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、何がスゴイかと言えば、それは、悩みを真っ正面(まっしょうめん)から受け止め、その悩みに立ち向かっていくこができる!ということだと思います。そして、その悩みを解決し乗り越(こ)えていくことができる。現代という時代は、悩みを悩みとして受け止められないような風潮(ふうちょう)があると思います。悩みを受け止められない。だから、前に進めない。ただ、すべてを軽(かる)く流し、一見(いっけん)、楽しそうだけれど、立ち向かえないで逃げていってしまう。壁(かべ)を乗り越えようとしないし、 乗り越えられない。だから、いざという時に、困(こま)ってしまい、とんでもないことをしでかしたり、命を捨ててしまうようなこともある。悩みを悩みとして受け止められないから、希望がない。希望が見えない。未来を変えていくことが、できない・・・。ここに、現代という時代の大きな問題があるのかもしれない・・。創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰のスゴイところは、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から強い強い生命力が、湧(わ)き上がってくる。その自分の中からわき上がってきた生命力によって、どんなことでも受け止められるようになってくる。そのことによって、自分が幸せになることを阻(はば)んでいる悩みを、真正面から見つめることができるようになり、その悩みの解決に挑戦していけるようになっていく。そして、その悩みを現実に解決していける大きな大きな力があるのが創価学会の仏法なので、現実に悩みを解決し乗り越えていくことができる。それは、自分が、ワンランク上の幸せを、つかんだ!ということです。そのように、さまざまな悩みに対峙(たいじ)し、それらの解決に挑戦し、より幸せな境涯(きょうがい)に変わっていくことができる!!ここに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の素晴(すば)らしさ、スゴさ、幸せになっていける決定的な力とエネルギーがあると思います。悩みは、だれでもあるでしょう。けれど、その悩みから逃げていたら、幸せに変わっていくことは、できない。なんとなくフワフワと生きていくことはできるかもしれないけれど、本当の人生の醍醐味(だいごみ)、歓喜(かんき)、感動を味わうことはできない。それは、本当の幸せをつかめないことを、意味しています。でも、それでは、かわいそうだ。本当の歓喜。本当の充実(じゅうじつ)。本当の生きる価値(かち)。本当の生きる力(ちから)そのいい知れない歓喜・・! 感動・・ 清々(すがすが)しい幸せ・・!その計(はか)り知れない喜びを味わって生きていけるのが、悩みに立ち向かい、解決し、夢や希望に向かって、無限に向上(こうじょう)していける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!
2012.02.24
アメリカの人権の母、エレノア・ルーズベルトが、言っています。『私たちは、自分自身の心の中にある光りが、あかあかと消すことのできない炎(ほのお)をもって燃えているのでなければ、他の人たちの心に永続(えいぞく)する光りを投(とう)じることは、できないのである。』自分自身の心の中に、あかあかと消すことのできない炎が燃えているのでなければ、他の人たちの心に永続する光を投じることは、できない・・。言い換(か)えれば、自分の中に消すことのできない炎が、あかあかと燃え、自分の心の中から光が太陽のように輝(かがや)いていった時、その輝きによって、他の人たちの心も明るくし、幸せにしていくことができる。自分の生命が本当に光り輝いていった時、家族や地域、職場、やがては、世界を幸せに輝かせていけるようになっていく。創価学会が、やっていることは、そういうことだと思う。現実に一人の人間の生命に火を灯(とも)し、輝かせ、蘇生(そせい)させていく。そして、その蘇生した生命の輝きは、やがて、地域や社会、全世界を幸せにしていくことになっていく。はっきり言えば、これほど具体的で、現実的で、決定的に世界を幸せにしていく方法は、ありません。一人にスポットを当て、そこから出発していく。 現実に一人の人間の悩みを解決し、幸せにし輝かせていく。そのことによって、確実に、着実に世界を平和に、幸せにしていく。地道なようでいて、これ以外、現実に世界に平和と幸せをもたらす方法はないとも、言えます。しかし、過去の歴史において、一人の人間を現実に蘇生させ、悩みや問題を解決し、生命の底から変革(へんかく)し、幸せにしていく方法は、見いだすことはできなかった。だから、人々は、さまざまな不幸に苦しむしかなかった。とくに多くの庶民たちが、悩みや苦しみに覆(おお)われ、人生を終えていったことも、事実だと思う。幸せといっても、平和といっても、つまるところ、それは一人の生命の中にある。ひとりの人間の心の中にある。その部分から変革し蘇生させ、現実に悩みや問題を解決させ、夢や希望にむかって幸せを勝ち取っていく。それは、生命の根底の問題であるだけに、また宿命(しゅくめい)をはらんだ問題なだけに、解決しようがなかった。また、だれも、解決しようとしていなかったとも言えます。ただ、それぞれの人が、かりに全力でベストをつくして生きるにしても、宿命のままに、生きるしかなかった。だから、生命の根底の部分からの問題を、だれも解決しようがなかった。不幸な人は、不幸なままに、解決しない悩みは、解決しないまま、人は生き、そのまま、死んでいくしかなかった。いろいろ、枝葉末節(しようまっせつ)はあるにしても、それが現実の世の中であったと言っていいと思います。その現実の苦しみや不幸、解決しようがない生命の根底からの悩みを、木っ端(こっぱ)みじんに打ち破(やぶ)っていった、太陽のような存在が、創価学会なんです。いままで、だれも解決しようがなかった、生命の根底からの不幸、苦しみ、悩みを、本源的(ほんげんてき)に解決し、人々の心の底から炎を燃やし、消えることのない光を輝かせ、現実に、そこにいる一人を幸せにしていった。それは、どんな悩みであっても解決し、さまざまな夢や希望をかなえる力となり、本源的に不幸を打ち破り、輝かせ、蘇生(そせい)させていつた。その一人の輝きと幸せによって、やがてまた、ひとり、ひとりに、光を灯(とも)し、家族や地域、社会、そして世界を幸せに変革していった。これは、幸福ということを考えるとき、人類の歴史上、誰も成(な)しえなかった偉業(いぎょう)です。創価学会がやっていることは、そういうことです。だから、世界の善意ある有識者たちは、創価学会を最大に尊敬し、最大に賞賛している。それは、創価学会が成しえた偉業が、人類の歴史上、どれだけスゴイことかを、わかっているからです。だから、世界は、創価学会を賞賛する・・!エレノア・ルーズベルトが言うように、自分自身の心の中にある光りが、あかあかと消すことのできない炎(ほのお)をもって燃えているのでなければ、他の人たちの心に永続(えいぞく)する光りを投(とう)じることはできない。それを、現実に可能にしてきたのが、創価学会であり、その自分自身の生命の底から炎を燃やし輝かせ、そのことによって自身の宿命を打ち破り、幸せを勝ち取り、その自身の太陽の輝きによって、他の人たちの心も輝かせ、やがては地域や社会、そして世界をも幸せにしていく力(ちから)が、創価学会が実践(じつせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。
2012.02.21
池田先生が、宿命(しゅくめい)と病気の関係について、以前、語っています。『医学の力(ちから)は大切ですが、病(やまい)を治(なお)せるかどうかは、根本的(こんぽんてき)には、人間自身の生命力の問題になります。また、病に苦しまなければならないという宿命を転換(てんかん)しない限り、一つの病(やまい)を乗り越(こ)えても、また、別の病に苦しむことになる。仏法(ぶっぽう)は、その生命力を涌現(ゆげん)し、宿命を転換する道を説いているんです。私自身、かつては肺結核(はいけっかく)で苦しんできましたが、 それを乗り越えることができたんです。』現代では、医学は、いちじるしく進歩しているし、驚(おどろ)くほど容易(ようい)に病気を治せる場合もある。けれど、その人の持つ「宿命(しゅくめい)」そのものを、変えていくことはできない。その人が、病気で苦しみ宿命を持っているとしたら、一つの病気を治したとしても、また別の病気にかかり、苦しむことになる。また、現代でも、治しようもないような病気もある。手術や治療(ちりょう)が、いつも成功するとはかぎらない。人は、そのことには、気づかないけれど、やはり、その人が持っている病気で苦しむ「宿命」自体を変え、転換(てんかん)していかないかぎり、本質的には、その人に健康や安穏(あんのん)、ひいては「幸せ」をもたらすことはできないと、言えると思います。また、病気にかぎらず、人は皆(みな)、さまざまな宿命をもっている。貧乏(びんぼう)で苦しむ宿命、あるいは事故に遭(あ)ってしまう宿命、人間関係で悩む宿命、細かいことを言ったら、きりがないほど、人はそれぞれ、悩みがあり、宿命をもっていると思う。その悩みについて、表面的には、いろいろと言うことはできるでしょう。けれど、本質的に、その人が持つ宿命自体を変え、転換していかないかぎり、 その人が持つ宿命的とも言える悩みは、解決してはいかないでしょう。だから、人は苦しみ、悩み、また悩みを解決できないまま、人生を送り、そのまま終わってしまう人たちも、たくさんいると思います。そのために死を選んでしまう人さえいる。その宿命を転換しないかぎり、どんなことをやったとしても、本質的な解決策にはならない・・・!人は、そのことに気づくべきです・・。そして、その宿命を打ち破(やぶ)り、変革していく唯一(ゆいいつ)の道と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。池田先生が言うように、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分の中から、無限の生命力を涌現(ゆげん)していけるんです。そして、その人間の中にある無限の生命の力は、病気や、さまざまな宿命を打ち破る力(ちから)となっていくんです。そして、日々、南無妙法蓮華経をとなえながら、仏法の実践活動である、創価学会の活動をやっていくことによって、自分の悪(あ)しき宿命も打ち破っていくことができるようになっていく。自分の生命自体が変革(へんかく)され、宿命を破り、境涯(きょうがい)をより良く幸せに変革していくことができる。だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです。どんな悩みや困難、また宿命があったとしても、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰と、仏法の実践活動である創価学会の活動によって、宿命を打ち破り、自分の生命自体を変革して、幸せになっていける。また、真剣に南無妙法蓮華経をとなえて祈り、創価学会の活動をやっていくことによって、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。創価学会がやっていることは、人々が悩み苦しむ、『宿命』自体を変革し、自身の生命の境涯(きょうがい)を幸せに変革していくんです。たとえそれが、どんな悩みであっても、解決し、乗り越え、勝利していける。それは、一人に留(とど)まらず、自分が人間革命していくことによって、自分の周(まわ)りの人たち、環境(かんきょう)や世界を幸せにしていくことにつながり、やがて、世界を平和に、幸せにしていくことになっていく。そういう根本的で、決定的な、幸せになる法則(ほうそく)を実践しているのが、創価学会なんです。だから、さまざまな病気であっても、解決していける。もちろん、最良の医学による治療を受けていくのは当然(とうぜん)だけれど、それ以上に、自身の病気になる宿命自体を変革していってしまうのが、創価学会の仏法の信仰なんです。だから、本当は、これ以上価値(かち)があることはないし、これ以上、人々を幸せにしていってくれることも、ありません。それは、世界のどんな人であっても、価値を持ち、幸せと勝利をもたらしている。その自身の宿命と対峙(たいじ)し、宿命を打ち破り、変革して、病気になる宿命自体を無くし、自分の運命や境遇(きょうぐう)、さまざまな悩みも、その根本にあるものから解決し、幸せになっていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!
2012.02.16
創価学会の人たちの決定的な強みは、『祈ることが、できる!』ということです。たとえば、家族にしろ身近な大切な人たちが、病気や事故にあったとする。そういう時に、一般的には、いろいろと手はずをとり、手を尽(つ)くすことはできるけれども、その事故や病気にあった人に直接的に影響(えいきょう)させることは、できない。正直、見守るしかない・・。容態(ようだい)や回復に影響させることができず、見守るしか方法はない・・・。けれど、創価学会の人たちは、違(ちが)う。現実に病気や事故にあった人の容態(ようだい)と回復に、直接的に影響させることができる。それが、創価学会の人たちの祈りなんです・・!病気や事故にあった人とは、直接的には関係しないにしても、その人を知り、回復(かいふく)を願う創価学会の人たちの祈りによって、病気や事故の容態をより良く回復させ、治(なお)っていったことは、それこそ、山ほどあると思う。しかも、それが大変な病気や事故だった場合、なおさら、創価学会のみんなの祈りが強くなり、現実に影響力を持ち、病気や事故にあった人を回復させていった例は、数えきれないと思う。もちろん、徹底的な治療(ちりょう)をほどこしてもらうのは、当然(とうぜん)として、それらの治療などの環境も含(ふく)め、あらゆるものをより良くプラスにもっていく力(ちから)が、創価学会の祈りには、現実にあるんです。創価学会の人たちの『祈り』が不可能を可能にした例も、数えきれないと思う。それが、本物の祈りなんです。だからといって、祈りに効果(こうか)があるのならば、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などで、真剣に祈ればいいじゃないかと思って、祈ってみたところで、祈りに効果がもたらされることは、ありません。それらの祈りは、間違(まちが)った祈りであり、葬式仏教や観光宗教、神社信仰自体が、間違ったデタラメな宗教なので、どんなに真剣に祈ったとしても、なんの効果もありません。たとえ、命がけで祈ったとしても、なんの効果もなく、返って、間違った宗教なので、間違った結果として、さまざまな形で不幸が出現してしまいます。それが、世間一般的な祈りです。だから、そんなものは、やるべきではない・・!けれど、さきほども言いましたが、本物の祈りは違う!創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる祈るは、現実に、人生に、世界に、未来に、決定的な大きな影響力を与(あた)えていくんです!現実を動かすことのできる力(ちから)!・・それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえて祈るという『祈り』なんです。これほど、スゴイことはないんです。こけほどの武器も、なんいんです。あらゆるものを幸せに変革(へんかく)していける!あらゆるものを蘇生(そせい)させていける!それは、自分でなくても、かりに他人であっても、その人のことを真心こめて祈ることによって、現実に他人のはずの生命を蘇生させ、より良く幸せにしていけるんです。人生、いろいろありますが、結論から言うと、創価学会の人たちの、『南無妙法蓮華経をとなえる』という祈りほど、すごいものは、ないんです。それは、棚(たな)からぼたもちのようなことではなく、さままな勇気や知恵、最高の努力や行動をもたらし、あらゆるものを幸せに動かし、蘇生(そせい)させ、最高の結果を生むことになります。だから、結局(けっきょく)、南無妙法蓮華経を、となえて祈りきった人が、勝利していける。幸せになっていける!それが、どんな状況(じょうきょう)であれ、どんな環境であれ、どんな苦難(くなん)や悩みであれ、それがかりに自分でなくても、影響を及(およ)ぼし、蘇生(そせい)させ、幸せにしていける!それが、人生と未来を勝ち取っていける、最強の力と言える、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!
2012.02.13
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。『人生には、いろいろな試練(しれん)があります。各人(かくじん)が、さまざまな宿命(しゅくめい)ももっています。順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な人生などありません。しかし、どんなに深い絶望の闇(やみ)のなかでも、心に希望の火をともしていけるのが信心です。大打撃(だいだげき)を受け、何もかも行き詰(づ)まったとしても、必ず一切を乗り越(こ)え、崩(くず)れざる幸福を確立していけるのが妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)なんです。』確かに、人生、試練(しれん)はある・・。さまざまな自分の宿命を感じることも、あるかもしれない。とくに現代という時代は、不況(ふきょう)や災害などが続き、その宿命や試練を強く感じることが多いかもしれない。嘆(なげ)くこともできる・・。どうしたものか・・と、なす術(すべ)もなく、生きていくこともできる。けれど、やはり、生きるとしたら、『打開(だかい)』しなければならない。その闇(やみ)がどんなに深くても・・・。どんなに深い絶望であっても・・・。人は、生きるために、心に希望の火を求めている・・。希望が欲(ほ)しくて欲しくてしょうがない。強い強い精神の支(ささ)えを、ほんとうは心底(しんそこ)求めている!にもかかわらず、自分に精神の柱(はしら)を見いだせないでいるのが、現代の多くの人々ではないかと思う。本当は、こころから強い強い希望が欲しいのに、創価学会と聞くと、反対する。バカにする・・。宗教と聞いただけで、毛嫌(けぎら)いし、悪しきものに違(ちが)いないと思い込(こ)む。確かに、世間一般的な宗教は、毛嫌いして当然といえる代物(しろもの)です。それらの世間一般的な宗教が、希望をもたらすことはありません。逆に、それらの間違った宗教にすがっていくことによって、間違ったものに命をささげていくことになるので、自分の生命は、不幸に陥(おちい)り、 現実にさまざまな形で、不幸を引き起こしてしまう。それは、世間一般的に認(みと)められている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)、観光宗教、神社信仰にしても、同じです。それらの宗教が希望をもたらすことはなく、逆に希望を奪(うば)い、不幸を引き起こす原因にしかなりません。だから、宗教に希望を求めたくないのは、よくわかる・・。けれど、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、違(ちが)う。日本と違って、世界では、信仰心が当然のものであり、信仰を持つことが、人間としての証(あかし)だと考えている人が多い。それらの人が、信仰に悩み、真実の価値(かち)のある信仰を求めていった時、必ず、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にたどり着く。当然(とうぜん)です。真実の現実に価値がある信仰といえるものは、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法しかないからです。ほんとうに悩みを解決でき、困難を打開でき、強い強い希望をもって、人生に挑戦していける信仰は、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しか、ないからです・・!ゆえに、最終的には、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法に、たどり着く。それが、遅(おそ)いか早いかの違いだけです。日本では、さまざまな悪(あ)しき宗教の習慣からか、島国根性からか、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法に力(ちから)があり、真実の信仰であればあるほど、それに反発(はんぱつ)してしまう傾向(けいこう)がある。だから、なかなか、信じられない。けれど、時代は、混沌(こんとん)としてきている。そんな小さなわだかまりで、迷(まよ)っている暇はない。確かに、今、深い絶望の闇(やみ)が、身近なものに感じられる世の中になった。さまざまな事象(じしょう)や出来事に、大きな打撃を受けた人たちも多い。悩みも深いかもしれない。その、どんな深い絶望の闇の中でも、心に強い希望の火を、ともしていけるもの。大打撃を受けて、何もかも行き詰(づ)まったとしても、必ず乗り越えていけ、崩(くず)れざる幸せを勝ち取っていけるもの・・。それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!
2012.02.08
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、『なぜ、祈りが叶(かな)うのか』について語っています。『私たちは、無宗教を自称(じしょう)する人も、何かを心から願っている。何かを心の底(そこ)で祈っている。これらを、宇宙の法則(ほうそく)のうえから、祈りと現実がきちんと合致(がっち)していくようにしたのが、仏法(ぶっぽう)の祈りです。小さなギアでも、大きなギアと、きちっと噛(か)み合わせれば、すごい力(ちから)が発揮(はっき)できる。同じように、「小宇宙」の自分自身が、「大宇宙」の生命と、きちっとギアを噛(か)み合わせていけば、どんな悩みも乗り越(こ)えられる無限のパワーが出るのです。』たとえ、無宗教と自称(じしょう)しているような人であっても、何かを願っている。それは、心の底で、何かを祈っているということです。そこから、さまざまな行動が生まれ、さまざまな人生が形成(けいせい)されていく。心の底にある『祈り』は、やがて、その人に、さまざまな影響を与(あた)え、さまざまな希望となって、その人の人生を彩(いろど)っていく。だから、『祈り』というのは、人間の中に必然的(ひつぜんてき)に存在していて、必然的に、その人の中から、わき上がってくるものだと、言えると思います。だからといって、祈りだったら、なんでも良いかというと、そういうことでもない。間違(まちが)ったものに祈るということは、自分が祈りをかなえたくて祈っているにもかかわらず、祈りがかなうどころか、逆に、間違ったものに祈っているので、その人に、さまざまな形で悪影響を与(あた)え、 間違ったものに祈ったという結果として、さまざまな形で、その人に不幸をもたらしてしまう。だから、祈りだったら、なんでも良いということではなく、間違ったものに祈るということは、不幸をもたらす原因になってしまう。その間違った宗教と言えるのが、日本にはびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰です。だから、正月などに、それらの宗教に、どんなに真剣に祈ったとしても、逆に不幸になる原因をつくることになり、さまざまな形で、不幸が出現してきてしまう。それが、世間一般的に考えられる宗教です。池田先生が言っていますが、小さなギアでも、大きなギアと噛(か)み合うと、すごい力を発揮できる。それと同じように、小宇宙と言える自分自身の生命と、大宇宙という大きな生命が、きちっとギアが噛み合ったとき、どんな悩みも解決していける無限のパワーがでてくる。その時に、祈りがかなう方向に進んでいけ、やがて祈りが、かなっていく・・!それができる真実の祈りが必要であり、その自分自身の生命のギアと大宇宙の生命のギアが、がっちり噛(か)み合い、幸せの方向に、すべてを動かしていける力(ちから)ある祈りが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の祈りなんです。だから、すごいんです!だから、悩みや問題を解決していけ、だから、夢や希望をかなえていけるんです。それが、創価学会の祈りなんです。いわば、世間一般的な祈りは、自分の祈りと大宇宙の生命のギアが、決して噛(か)み合ない、空回(からまわ)りの祈りです。だから、祈りはかなわないし、逆に間違ったものに祈っているので、不幸を引き起こす原因になってしまう。それに対して、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえて祈る『祈り』は、自分の祈りと大宇宙の生命のギアが、がっちり噛み合い、まるでサーフィンで波にのるように、楽しく、悠々(ゆうゆう)と幸せをつかみ、勝利していける。そういう本物の祈りが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる『祈り』なんです。最初に話したように、たとえ無宗教を自称しているような人でも、何かを心から祈っている。本当は、何かを心の底で祈っている。その本源的(ほんげんてき)な祈りを、現実の形にして、現実に祈りをかなえていける、また、悩みや問題を解決していける、また、夢や希望をかなえていく大きな力(ちから)となるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!
2012.02.02
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