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今日から本格的に電話を取ることが始まった。…難しい。人間相手の仕事だから、こちらが予想もしていないことを言われたりする。その瞬間頭は真っ白になる。研修当初は18人だったのに、いつの間にか4人も辞めてしまっていた。私だって満足に仕事が出来ていない。でも薬のせいかそれほど落ち込まない。最初なんだからまぁこんなものでしょう♪と思える。いつか出来るようになるさ、と。出来てないことがたくさんある。「もう来なくていいよ」と言われるまで…自分からは辞めてあげないぞ!!今年の抱負は「のほほんと生きる」だ。人から何と言われてもどんなに大変な中にいても「のほほん」としていられる人になろう。
2005年01月31日
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偶然Yahooのサイトを見ていたらホークスの動画が配信されていた。見てしまった(笑)心配していた応援歌は「我ら~の我らの ダイエーホークス」が「~ソフトバンクホークス」になっていただけだった。心配して損した気分だ(笑)毎朝見ていたローカルのニュース番組のパーソナリティがMCみたいな感じで出演していた。そのパーソナリティーはもう2年くらい見ていなかったからとても嬉しかった。やはり中国地方の言葉よりは地元の言葉のほうがしっくりくる。…やっぱりちょっと地元に帰りたくなる。ラーメン食べたいなぁ。久しぶりに和田選手を見れて嬉しかった。
2005年01月30日
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大学に行っていた頃の話。くたくたに疲れて大学から帰宅した。でも、課題をやらなくてはならない。そういう時は少しだけ仮眠を取っていた。夕方7時に眠り始めて、9時頃に目覚まし時計の音で目覚める。真っ暗闇の中で目が覚める。上手くいえないけれど暗闇の中で目覚めるのは怖い。心拍数が上がる。汗さえ出る。少しでも明るいと眠れないので、明かりをつけて眠る事はできない。変な時間に眠らないようにするしかない。
2005年01月29日
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TVを見ていた。あるアニメ映画のCMが流れた。「生きる喜び~」とかナレーションが入った。映画館に足を運ぶ事はないだろうけれど、その映画は観たいと思う。何かを、誰かを責めるわけではない。「生きることに喜びなんてないよぉ」と泣いてしまった。2年前くらいの話。その時期もその系列のアニメ映画が公開されていた。お世話になっていた臨床心理士さんから「千と千尋の…」を観たか?と訊ねられた。観ていないと答えたら「どろどろに腐った川の神様がいてね、お風呂に入りにくるんだけれどヘドロになっていて大変なの。でも、千という女の子がその川の神様からゴミとかを取り除いてあげると…綺麗になって元に戻る。あなたの過去の話を聞いていたら、そんなことを思い出したよ。過去の傷が癒えたら、あなたも元に戻るよ」と言われた。まだ私は腐ったままだ。
2005年01月28日
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今日ダイエーに買い物に行ったら例の、あの応援歌がエンドレスで流れていた。出身地がバレバレだけれども…地元でのローカルな野球番組ではその応援歌がずっと流れていた。下手だが覚えているので少し歌うことさえ出来る。中国地方に来て、ホークスの応援歌を聞く機会が減った。まだ中国地方に来て間もなかった時は、聞きなれたホークスの応援歌が耳に入ってきて少し安心した記憶がある。ホークスがダイエーではなくなる。会社が変わってもホークスであることは変わらないが…何故だろう?少し寂しい。実家には帰りたくない。でも時々ものすごく帰りたくなる。嫌いな方言とか美味しいラーメンとかに会いたいと思う。ホークスの応援歌を聴くと「あぁ帰りたいなぁ」と思う事が多かった。でも、その応援歌も変わってしまう。
2005年01月27日
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私が大学を辞めたら…履歴書には「大学中退」と書かなくてはならない。56単位しか取れていなかったから、編入は無理だろう。大学卒業という学歴が欲しい。一応、放送大学の入学案内を取り寄せてみた。心理学をもっと深く学びたいし、文学もしたい。でも勉強したいという気持ちよりも、どこでもいいから大学卒業の資格が欲しいという思いのほうが強い。こんなことで簡単に放送大学に入っていいのだろうか?いろんなことに対して失礼な気がする。志も弱いから…こんな気持ちではじめるのなら最初から入学しない方がいいのではないか?とか考えてしまう。選択肢がたくさんありすぎて…かえってどうしていいのか分からない。
2005年01月26日
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研修の日々。薬のせいか以前とは考えられないくらい楽天的になれる。もうすぐ研修も終了するので「実際に電話を取る練習」が始まった。出来ない事だらけだ(>_
2005年01月25日
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二人で一つのPCを使って研修を受けている。今日は、前回私を見ながら(3回も目があった)笑っていた人とペアになってしまった。最初は目も合わせたくなくて、会話さえもしたくなかったけれどそういうわけにもいかないので私から話し掛けた。意外と話やすい人だった。じゃぁ、この前の嘲笑っぽい笑い声とともに私をジロジロ見ていたのは何だったのだろう?やっぱり自意識過剰なのだろうか?とりあえず、その日一日の研修が無事に終了したので助かった。
2005年01月24日
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これからどうすればいいのか分からない。とりあえず大学は辞めることになりそうだ。どうしてこんな風になってしまったのだろう?頑張ったのに…。「こんな風にだけはなりたくない」と思っていたことがどんどん実現していく。自分でも気づかないうちにそういう選択肢を選びとっているのだろうか?わからない。今度北海道に行ってしまうルーテル教会の牧師先生は神様が与えてくださったことだから最善だと信じている、とおっしゃっていた。2年くらい前までは私にもそういう考え方が出来ていた。でも、今は「日曜日クリスチャン」になってしまった。言葉通り、日曜日に教会に行くだけのクリスチャンだ。地元の牧師さんは「神様が必ず癒してくださるから大学に行けるように祈っているからね」と言う。そうなることが出来たら私もそうしたい。でも…無理かも。考えてみたらいつだって「親から逃げたい」という思いで動いてきた。そこに「自分」は無かった気がする。だから「神様」と「大学」を失った今、目標が何もない。最近は離人感が特にひどい。
2005年01月23日
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別に韓国ブームを否定するわけじゃない。でもさぁ、と思う。今までは金曜11時位から放送されていたER緊急救命室が、何で土曜の午前1時台に放送されるのだろう?少し前までERは金曜に放送されていた。韓国のドラマは土曜にやればいい。ERは金曜でいいじゃないか。1時まで起きているのは辛い。好きな海外ドラマだが、予約録画までしようとは思えない。だから寝てしまうことが多い。そりゃぁ10年近くやっていたらマンネリ化もするさ。(投げやり)開始当初は若かったカーター(登場人物の名前)が、今ではお腹が出てたりする。開始当初の登場人物はほとんどいなくなってしまっている。病院なのに強盗が入るわ爆発するわ、ありえないことがいっぱいある。マンネリ化してるけど、でも…もう少し早い時間に放送してほしい。
2005年01月22日
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タイトルに「普通の人」と書こうとしたけれど、やめた。それではココロの病を持っている人が「普通じゃない」ようになってしまう。ココロがちょっと弱いだけで「普通」とか「普通じゃない」とかそういう計り方をしてはいけないと思うから。研修3日目。2人一組でデスクに着いて研修を受けた。中心に社員の方が居て、それをぐるりと囲んだ形になり説明を聞いた。休憩時間の時に向かい側の若い2人が笑っていた。話の内容は全く聞こえなかったけれど、そのうちの1人と3回も目が合った。自分が笑われているのかもしれないと感じた。自意識過剰なのかな?それほど脅威にはならなかったけれど、やはり辛かった。大学に通うことが出来ていた時に教授から言われたことがある。「例えば講義中に大きな声で私語をしたり、人の悪口を平気で言うような人と付き合わなくてもいい。でもそれは全く話をしないでいい、という意味ではない。仕事などで必要が生じたら嫌でも話をしなくてはならない」と。ただの自意識過剰で、私とは全く関係のない話をしていたのかもしれないけれど…その2人とは会話をしたいとは思えない。今後その2人と話す機会があったとしたら…話をした後に嘲笑されるのではないかと考えてしまう。タイトルをそのまま書くけれど日常生活に不自由がない人はこういう時、普通に相手に話しかけることが出来るのだろうか?それってすごい。
2005年01月21日
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私は23歳で、今年24歳になる。世間ではまだ「若い」ほうに分類されるのかもしれないが、精神年齢は60歳だ。(ネット上の判定結果で)それなのにココロの一部はまだ十代だったりする。(ふざけているのではない)高校時代にいろいろな事がありすぎたせいで、高校生を見ると恐怖を感じる。まるで自分が今も高校生であるかのように感じ「何か文句を言われるのではないか」と思う。あと、金髪でマスカラばっちりの人も苦手。怖い。若い男の人も同じ。でも、それ以外は意外と平気だ。自分よりかなり年上の人とは落ち着いて話が出来る。「ドジな部分を見られても嘲笑されないだろうな」と安心感があるのでそれほど恐怖を感じない。嘲笑されるのは怖い。今日は研修2日目だった。年齢的に上の人が多いためにそれほどストレスを感じなかった。マクドナルドでむちゃ食いをすることもなかった。
2005年01月20日
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午前10時から午後4時まで研修があった。こちらの県に来て二年になるのにまだ市内の土地感がないために路面電車で行かなければならない場所に徒歩で行ってしまった。おかげで一時間近く歩いてしまった。遅刻しそうになったが何とか間に合った。電話を受信する仕事なので、専門的な知識が要る。未経験者は私だけかと思っていたが、経験者の方が少なかったので安心した。ココロの疲れよりも足がガクガクになって疲れた。帰りにマクドナルドでむちゃ食いした。(太るから気をつけないといけないのに…)今日からブラインドタッチの練習しよう。あと発声練習も。
2005年01月19日
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毎朝プルーンとカスピ海ヨーグルトは必ず食べる。野菜は一日を通してもなかなか食べる事が出来ない。食事内容を手帳に記入しているが…必要摂取量の野菜を食べる事が出来ていないのが一目瞭然である。食べたいとは思うけれど、調理するのが面倒だ。しかも調理方法が煮るかゆでるか焼くだけの3つのみ。シチューやスープは常に作っているためすぐに飽きてしまう。通販でまとめ買いの青汁を買おうかな。スーパーやコンビニで見かける「一日の必要摂取量 350gの野菜入り」と書いてある野菜ジュースは本当に栄養を補ってくれるのだろうか?…生きるって面倒だなぁ。
2005年01月18日
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焦燥感で居ても立ってもいられなくなった。とりあえず働くことにした。経験も資格もない私だけど、惨敗するかもしれないけれど、面接を受けに行った。一つはコールセンターの受信スタッフ、もう一つは派遣会社だった。コールセンターの面接は就職試験のような感じで、一般常識やPC入力の試験が行われた。数学の問題に苦戦した。派遣会社は登録会に参加したら交通費がもらえるので…ついでに参加しただけなのにすごく疲れた。英検と自動車免許くらいしか資格を持ってない人は働けないことを思い知らされた。派遣は…作業の仕事ならあると言われた。コールセンターは落ちたと思った。家に帰ってのんびりしていたらコールセンターの会社から採用の電話があった。自分に出来るかどうか不安だけどやってみようと思う。今のところ凹み担当者は出てきてない。病気のことは、日常の事は考えないようにしている。
2005年01月17日
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眠かったり、ココロの調子が悪かったりして今年はまだ日曜礼拝に行っていなかった。やっと今日、行く事が出来た。近くのルーテル教会はとても居心地がいい。会堂が広いから人がたくさんいても圧迫感を感じない。所属教会を出ようとは思っていないけれど、とりあえずここに通う気でいた。でも…しばらくすると牧師先生は北海道に転勤してしまうそうだ。残念で仕方がない。新しく来られる先生と波長が合えばいいのだけれど。
2005年01月16日
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今年になってから「いいこと日記」というものを付け始めた。良い事しか書かない日記である。小さな幸せを見つけることが大事なのは分かっているけれど…書くことが何もない。
2005年01月15日
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ちょっと太った(>_
2005年01月14日
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私は、感受性が強すぎるのと感情の波が激しいのを抑えるらしい薬をもらっている。今飲んでいるのはジプレキサというものだ。精神科で出される薬にはどれも共通しているが、やはり眠くなってしまう。朝、好きな時間に起きれないと悲しくなる。妙な時間に目が覚めると、自分だけ世界から取り残されたような気分になる。焦燥感で心拍数が上がる。頑張って布団から出る事が出来ても、頭が働かず、ボーっとしてしまい無駄に時間を過ごしてしまう。上記したが、私は感情の波を、感受性の鋭さを失くすために薬を飲んでいる。…日常生活を不自由なく暮らせている人たちは、薬を飲んだ私の様にいつもボーっとしているのだろうか。そんなはずはない。私も普通になりたかった…。
2005年01月13日
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好きな歌はたくさんあるけれど、今の時期になると必ず思い出す歌がある。ゆずの「いつか」という歌だ。この歌は私が高校の時の、一番辛かった時期に発売された曲で…自殺未遂をする前も、そして入院してからもずっと聞いていた。「いつか」を聞くと、あの頃を思い出さずにはいられない。2月は、私の命日になるはずだった日がある月だ。
2005年01月12日
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もう行かないつもりだったけれど、行った。昨日、いのちの電話が初めて繋がって…「病院に行け」と言われたから。とりあえず外に出ないと良くない。気持ちが沈んだままで上昇しないから。気分転換も兼ねて病院に行った。「私は境界例だから何を言っても、演技だと思って信じてないでしょう?」「{病院でよくなると思わないほうがいい}と言ってましたが、それなら病院は何をしてくれるんですか?」とかいろいろ聞いた。2番目の問いにははっきりした答えはもらえなかった。とりあえず薬で何とか抑えるしかないらしい。気持ちが安定している時は大丈夫だけれど、不安定な時は「境界例は治らない」という言葉が刃物みたいに胸を刺す。どうしたらいいのか分からなくなる。絶望的になる。欝には、統合失調症には薬は効く。でも境界例には効かないらしい。薬で何とかするしかないのに、薬が効かないのなら一体どうすればいいのだろう。気持ちが安定していたから何とか泣かずに帰ってこれた。
2005年01月11日
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私のような性質を「サラブレット意識の強い」と表現するのだろうか。なるべく親から非難されないように、親戚から馬鹿にされないように、人から笑われないように、非の打ち所のない人間になりたかった。そんな努力が自分自身を追い詰めてしまったのかもしれない。諦めよう。いろんなことを。決して妥協をしようとしているんじゃない。大学に行けなくても、生きていていいのだ。就職できなくても生きていける。生きることだけは諦めないように…頑張ろう。
2005年01月10日
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TVの深夜放送であっていた。最初にこの映画を観たのは中学生の時。渥美清さんが亡くなった夏だった。あの頃は何も考えずに観ていた。でも、今回観たときは主人公の男の子に感情移入して大変だった。名探偵コナンのイメージが強すぎて、リバーフェニックスに高山みなみさんの声は合わない気がした。
2005年01月09日
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…生きてた。ためていた薬を飲んで、練炭に火をつけて、窓から空気が入ってこないよう目張りをして眠った。よく覚えてないけれど、苦しかった。倒れたりしながら換気扇をつけたり、練炭に水をかけて火を消したりガムテープをはがしたりしてた。死にたくないんだろうなぁ、体が。結局、目が覚めた。死ねなかった。薬をたくさん飲んだせいで体がだるくて辛い。親の事、大学の事、奨学金の返済の事、どうしたらいいんだろう。いのちの電話に何度電話してみても留守電か話し中だ。
2005年01月08日
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行きたいと思う所も、帰れる場所も、私にはない。
2005年01月07日
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私が自分の病気のことを人に話すと大概は「そんな風には見えないよ。普通に見えるよ」と返ってくる。でも、私は確実に悩んでいて困っている。初対面の人に話しかけられたら、それだけで心拍数が上昇し息が出来なくなるときもある。上手く話せなかったらどうしよう、変なやつだって思われるかも…という思いでいっぱいになる。そんな風に焦っているから、当然会話はギクシャクする。次からは話しかけてもらえなくなる。そして落ち込む。悪循環だ。コミュニケーション能力がない人間が生きるにはどうしたらいいのだろう?生きていてもいいのだろうか?「良くない。死ね!!」って言われても困る。私は「そんなことないよ。生きていていいよ」って誰かに言ってもらいたいからこんな質問をしたいのだろう。質問される側にすれば、うっとおしいことこの上ない。出来れば生きていたい。でも、どうすれば生きられるのか分からない。自分が何をしたいのかも分からない。したいことも特にない。境界例の治療についてのHPを見ても、予後がいいとは書いていない。生きづらいなぁ…。このまま治らない病を、人にあんまり理解してもらえない病を抱えて生きていくしかないのかなぁ。私にそれが出来るかなぁ。何だかよくわからない所にぽっかり浮いている気がする。生きている実感がない。
2005年01月06日
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右手の薬指の関節が痛い。関節を曲げたら違和感が走る。熱を持っているし、少し腫れている。もしも…慢性関節リウマチだったらどうしよう?全身性エリテマトーデスも怖いけど、リウマチも怖い。病院に行ってリウマチ検査受けなくちゃいけないのかな?リウマチって確か進行性だ。動けなくなって寝たきりになったりもする。どうしよう。
2005年01月05日
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私には姉と妹がいる。私がクリスチャンになった時、一応神様の素晴らしさは伝えた。それまでは怖くてたまらなかった人ごみが「わたしは決してあなたを離れず また あなたを捨てない」の言葉で平気になったことを。でも、しつこく勧誘はしなかった。だって信教の自由があるし、その人自身が心から助けを求めている時でないと意味がないと思っていた。私があくせくしても信じてもらえないものは信じてもらえないし、無理やりじゃ意味ないし。神様が「時」を与えてくれるだろうから、早く「時」がくればいいと思っていた。私が家を出て半年くらい経った後、姉が”何か”に入ったことを知った。よく聞く新興宗教の名前ではない。何でも、偉い人がいて、その人は手をかざして気を送り人の痛みとか病を治せるらしい。その力を使えるようになったら人生のいろんなことが思い通りにいくらしい。…で、その力を分けてもらうには60万(70万だったかな?)かかる。姉はそれを払って、力を手に入れた。その「○○○会(植物の名前)」が訴えられて、全国ネットのニュースで活動が報道されたのを見た。大きな会場にたくさんの人がいて、女の人がステージに立っていた。みんな手にオレンジジュースを持っている。「みなさんの持っているオレンジジュースよ、甘くなれ」とステージ上の人が言ってから会場の人がジュースを飲む。すると「あまぁ~い」という声があちこちから聞こえてきた。別にいいんだ。人に迷惑さえかけなければ何をやっても。そんなすごい力があるのなら、もっと人の役にたつことをすればいいのにと思うけれど、別にいいや。姉がその会に入る前に、人から「○○○会」っていうのに誘われていると相談されたことがある。かなり厳しく止めたのだけれど、私の言葉よりも職場の同僚の言葉の方が重要だったのだろう。こんなことを言えば怒られてしまうかもしれないけれど、きっと宗教なんて何でもいいのだ。その人がそれを信じる事で毎日を平安に過ごすことが出来るのなら。だから姉の信じているものに文句を言うつもりはない。私だって信じているものがあるから。キリスト教は一神教だ。他のものを拝んだり崇拝してはならない。それを何度も言っているのに姉は「これは宗教じゃないから」と勧誘してきた。姉によると「うちの家族全員が入らないと助からない」らしいのだ。病気が治るし、人生が思い通りに行くから、と。「私が調べてあげるから全国の癌のホスピスをまわって末期癌の人を治してあげなよ」とまで悪態をついてしまった。それ以来姉から連絡はなくなった。姉はパニック障害の妹を無理矢理その会に入れた。自分の家族を本人の意思とは関係なく引き入れるのは卑怯だ。卑怯だと感じるからこそ、私はしなかった。近所の公民館で人を集めて、痛みを取る集会も開いていた。別にいいんだ。もう家には帰る気ないし。神様を信じている私がこんなこと言っても説得力ないかなぁ。
2005年01月04日
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「私はここにいるぞ!!」ってはっきり自覚して生きている人がそんなにいるとは思わないけれど…自分の指が動いているのに、自分で動かしている感じがしない。気がついたらボーっとしたまま何時間も経っている。やばいなぁ。病院に行かなくちゃ、と思うけれど先月まで行っていた所には行きたくない。医者もカウンセラーも信用できない。近くの病院は大体がうちの大学の実習場所だから、教授の知り合いの婦長とかがいそうで怖い。勝手に私のことをばらされそうだから。…被害妄想も激しい。
2005年01月03日
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昨日まで冷蔵庫の中にはマーガリンとヨーグルトしか入っていなかった。それなのに今はたくさん詰まっている。地元の牧師さんから荷物が届いたから…。年末に「荷物送ったからね」という電話をいただいて、きっと信仰書だろうと思っていた。しかし、届いた中身は全て食料だった。切り餅、パスタ、お米、白菜、お菓子、カレールー、だしの素…etc。普通の小包なのに肉が入っていたことには驚いた(何とか食べれた)。ダンボールの中身を確認しながら泣いた。牧師さんだって生活に余裕があるわけではないのに、どうしてここまでしてくれるのだろう?私は何も返せてないのに。…嬉しかった。でも何とお礼を言っていいのかわからなくて、しばらくはお礼の電話ができなかった。****クリスチャンならではの悩みが生じたときに「大変な神様を信じてしまったなぁ」と思った。棄教することなんて考えた事もないし、したいとも思わない。でも時々少しだけ「クリスチャンにならなければよかった」と思う事がある。でも、やっぱりクリスチャンになっていて良かった。あの時教会に足を運んでいなければ、牧師さんに出会う事が出来なかったかもしれない。あの時教会に行ったおかげで牧師さんと出会えた。品物はもちろんだけれど、気にかけてくれる人がいることが嬉しい。ハレルヤ。
2005年01月02日
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ずいぶんと頑張りすぎてしまったなぁ。無理をしている事が自分では分からないから始末が悪い。後で積もり積もった重荷に耐えられなくなって、結局動けなくなる。私は自分を見ようとはしていなかったのかもしれない。見たくなかった。聖書の御言葉を信じている。からし種ほどの信仰さえあれば何だってできるのだと信じていた。そう教えられてきた。そして私もそうなりたかった。今の自分とは全く違う自分に。人と上手く話すことができて、人から好かれて、頼りにされる職業に就ける自分になりたかった。大学のグループワークに上手く参加出来なくても、祈って教会に行ってさえいれば…コミュニケーションが上手く取れないことも改善されるのだと思っていた。でも、違うのかもしれない。神様を、聖書を信じないわけではない。境界性人格障害とか、リストカットとかが”今”完全に治ることを神様は望んでないのかもしれない。苦しみが与えられたのには意味があると信じている。”今”治る事はなくても、もしかしたらいつか治るかもしれない。治らないかもしれない。キリスト教は”天国に行けること”に望みを置いて”今”を耐え忍ぶ宗教のようだ。だから病気が治らないことを神様に文句を言うのは間違いだと気がついた。向上心がないとか不信仰だとか言われてしまうかもしれないけれど、自分に出来る事を探していこう。その中で「自分にしか出来ないこと」を見つけることができますように。生きていてよかったと思えますように。
2005年01月01日
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