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とうとう道警の裏金工作の実態を、道警の元幹部が実名で証言した。現職の時に行っていた裏金工作を告白することは、どんなに勇気が必要なことか・・。組織ぐるみの歴史のある不正の中にいるときには、なかなかそれを正せないことは、私でも理解できる。だからこそ、今回の事件もまたうやむやのうちにトカゲの尻尾きりのように終わるのだろうと思っていたので、彼の勇気ある行動に、久しぶりに感動している。ひょっとすると、まだ更正可能なのかもしれない。でも・・、こう書きながらも、「警察が更正可能だなんて・・」と、またまた情けなくなってしまう。彼の勇気の後に続く人が出て来る事を、心から願う。
2004年02月11日
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11日まで留守にするので、いつものように日記を書き込めない。そこでケータイからの書き込みにチャレンジしてみる。うまくいくかな?それにしてもこれは時間がかかる。若者がピコピコやるようにはいかず、年を感じる。同時に若い人を尊敬!
2004年02月08日
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札幌雪まつりが始まっている。今年は、自衛隊のイラク派遣などがあったので規模は少し縮小されているようだが、あの大雪像群は自衛隊がなくては決して作ることができないものだ。つまり、札幌雪まつりは自衛隊の協力なくては、あのような形での開催は不可能なのである。自衛隊の仕事と雪祭りへの支援はどのような関係にあるのか詳しくはないけれど、北海道民にとっては、自衛隊は色々な面でとても頼もしい存在だ。私の子どもの頃は、学校の運動会には自衛隊のテントが並んだような記憶があるし、確か炊事遠足の時に自衛隊のトラックで色々な材料などを運んでもらったような記憶がある。地域のイベントには、自衛隊の協力をいただくことも多いし、駐屯地を抱える市町村にとっては、自衛隊は色々な意味でとても大切な存在なのだ。私を初めとして、誰もが自衛隊が銃を持って「紛争地域」に派遣されるとは思っていなかった。それは、隊員ですらそうだろうと思う。地域と国土に根ざして、国民と共に生きるのが自衛隊の務めだからこそ、地域の発展に貢献するために雪まつりにも協力し続けてきたのではないかと想像している。こんな厳寒の地からイラクに派遣された隊員たち、きっと今頃は、「あー、雪祭りやってるんだろうな」と、北海道を懐かしんでいる人もいることだろう。イラク派遣には今でも反対の私であるが、派遣された隊員の皆さんの無事を祈る気持ちは、派遣賛成の人に勝るとも劣らないと思う。
2004年02月07日
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今日の新聞によると、道警の報償費不正支出疑惑を調査している道公安委員会において、道警総務部長が報償費支出に際し、架空名義での領収書作成が行われていたと認める発言をしていたようだ。「協力者の身の安全を確保するため」だそうだが、会計書類は本来非公開らしくて、素人が聞いたって辻褄があわない。とはいえ、私は道警がそのようなことを認めるとは思っていなかったので、ひょっとするとこれが「蟻の一穴」となり、警察のいいかげんさが明るみに出るのかもしれないと少し期待をしている。だがしかし、このように法を取り締まるべき組織が、組織ぐるみで不正をしているということがはっきりしてくるということは、何とも嘆かわしいというか、困ったことというか・・。庶民が警察をバカにし、「警察だってやってるんだから俺達がやって何が悪い」といよいよ開き直ったら、第一線の警察官は本当に仕事がやりづらいことだろう。まあ、大切な憲法だってご都合主義的に拡大解釈して、ちょっと考えたら見事な憲法違反をやってのけるこの国においては、当然のなりゆき・・・?だんだん楽天的に考えられなくなってくる今日この頃。
2004年02月04日
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今朝パソコンを開くと、2月1日の日記が消えている。あれ????よく考えてみたのだが、自分で削除したつもりはないけれど、「編集・削除」のところをクリックし間違えたのだろう。さて、あの日は何を書いていたんだろう・・・。たった2日前のことなのに、正確に思い出すことの出来ない情けなさ・・。・・そうだ、情けないというか、頭にきたことを書いていたはず。自衛隊イラク派遣が既定のことで、国会審議も何もかも、その後付けというかアリバイ工作のためだったのではないかと思ったんだんだ・・。今朝の新聞で、小泉首相が高校生が集めたイラク反対請願署名について、「学校の先生はもっと自衛隊の平和的貢献について教えなくちゃ」と言ったという記事があった。もちろん、自衛隊の任務について様々な視点から教えてほしいとは思うけれど、それには「国民が政治に対して納得できないときには何ができるのか」ということも一緒に教えるべきだし、国民の請願に目もくれないで、「問答無用、ついてこい」じゃ民主主義ではないということも教えなきゃね。小泉さんが、そういうことをふまえて言っているんならいいけど、どうもそうは見えないような・・。私は最初は小泉首相に少し期待していたのだけれど、最近の行動を見ていると(思えばブッシュ氏の行動に率先して「賛成!!」と叫んだ時から変だったな・・)、やっぱり彼は「変人」というか、一国の首相としては変だと思う。
2004年02月03日
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知人が亡くなった。私と同世代の54歳だった。「オイオイ、ちょっと待ってくれよ」と、本人も戸惑っているのではないだろうか。一年ほど前から、体調を崩して入院したとは知っていた。しかし、あの元気一杯の人が、そのまま終わってしまうとは考えたくなかった。若い頃から様々な地域活動やボランティア活動に関わり、この町でその人の顔を知らなければ「もぐり」とさえ思えるような人だった。だが、あちこちに顔を出す人にありがちな、傲慢さや偉そうな態度とは無縁の人だった。その人の明るい笑顔に、どれだけ多くの人が励まされたことだろう。外に出歩くことが多かったから、家族サービスは不足気味だったかもしれないけれど、家族を誰よりも愛していたことは、みんながわかっていたことだろう。まだまだ生きていて欲しかった。ちょっぴり頑固で自分の意見ははっきり主張するけれど、一旦決まったからには決して文句は言わず、率先して行動に移す人だった。あれほど気持ちの良い人は、本当に珍しい。人の何倍も何倍も、自分の出来ることを精一杯楽しみながら取り組んで、それに伴う苦労をも、自分の喜びに変えていた。まだまだ生きてやりたいこともあっただろうに、死を前にして「俺は本当に幸せなやつだなー」と、苦労を共にした妻に言ったという。今の私は、その言葉に少しの救いは感じるけれど、「どうしてみんなにとってこんなに大切な人を、こんなに早く連れて行くの!」と、何かに向かって叫びたい。人生は四苦八苦というけれど、人の生き死にだけはどうしようもない運命だ。今はまだ、私の中にはその不条理さや理不尽さへの怒りが荒れ狂っているのだが、何とか受け止めていくしかないのが人の死なのだ。そして、生き急いだ彼の命や志を、のろまな私が少し分けていただいたつもりで、少しでも誰かの役に立てるように生きて行きたい。Nさん、そんなに深いお付き合いはなかったけれど、いつも尊敬してお手本にしていました。今まで、みんなのために本当にありがとう。ゆっくりお休みくださいね。そして、あちらの世界から、愛する家族や友人達、そしてこの町のみんなを応援していてくださいね。
2004年01月30日
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今日あたりは、カウンターが12345になるかも・・と思ってパソコンを開くと、なんと「12654」になっている。このHPを開設してから、一日に100件を越える日は珍しいくらいだったのに・・・。?????????昨日の「通信教育の学歴」に関心を持たれたのか、それとも「12345」を狙ってくださったのか・・・。私にはとんとわからない。不思議でキツネにつままれたような気分である。でも、ちゃんと「12345番目」のABOさんは、私書箱にメッセージを残してくださったので、これからお返事を書く積りです。それと、この人もですが、もう一人の方も、先日の「箕輪登氏のイラク派遣憲法違反を提訴」について関心を持って、私の日記を読んでくださったようで、それについて触れていらっしゃいました。かつてのタカ派・箕輪氏の「老いの一徹」にも見える行動に、多くの人が共感を示されているのでしょうか。この裁判が、現在の政府の方向性へのブレーキになって欲しいと、心から願っています。それにしても、昨日このHPを訪れてくださった多くの方々に、この場を借りて心からお礼を申し上げます。
2004年01月29日
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多分、この2.3日の間に、「12345」アクセスになると思うのですが、留守にすることが多くなるので頻繁に確かめられないのです。別にどうということはないのですが、少しばかり遊んでみたくて・・・。記念品? うーん、私の私書箱メールじゃだめかな。特別に、私の秘密を教えるとか・・、フ・フ・フ・・・。【補記】という、上記の日記だけだったので、今日の訪問者は少ないだろうと予想していたら、100人を超えていました。びっくりです。たまたまだったのでしょうが、アクセス数が増える要因って何なのでしょう。最近は、できるだけ「テーマ」を選んで日記を書いています。その方が、同じようなテーマで書いている人の日記を読みやすいからなのですが、今までの実感としてはテーマを選んだ方がアクセスが増える感じでした。でも、今日は「テーマ」は選んでいないので、その要因がよくわからない。「お知らせください」というフレーズに、何かいいことがあるかもと思われて来てくれたのなら、騙したような日記でごめんなさい。特別に何もいいことはありませんので、ご容赦ください。それと、私は数字が弱いので12345番目までの数を、予測するのを間違えていました。でも、多分数日後には・・・。それも含めて、「タイトル詐称」にはならないですよね?(28日/記)
2004年01月27日
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旭川の警察署の裏金作りのために、架空の捜査協力者を仕立てて報償費を不正支出していたことが発覚し(注:警察はまだそれを認めてはいないが)、勝手に名前を使われていた上川管内の男性が、道(道警)に損害賠償を求める訴えを起こしたことが、北海道内では話題になっている。ほとんどの人が、「そういう事実はあったのだろう」と思っているし、私もそう思う。今朝の北海道新聞に、元警視庁会計職員だった大内顕氏が、「裏金作りは警察庁主導」と言っていることが記事になっていた。これも、「やっぱりね」と諦めの気分で納得して読みながら、この国の機構はどこまで腐っているのだとうんざり。法を護るべき職業の人たちが、それも偉くなるにつれてどんどん腐ってくるのを見せ付けられると、自分の正義感や倫理観がとても虚しくなってくる。だが、このような日本を何とか護り続けているのは、私達のような偉くない大多数の人たちが、「正直者はバカをみる」とぼやきながらも、風前の灯火に近いまっとうな倫理観や道徳観を、精一杯護りながら生きているからだろうとも思う。裏金作りの問題は、結局はトカゲの尻尾きりで終わってしまうのかな。
2004年01月25日
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昨日のテレビは、古賀議員のおっかけが随分多かった。日記リンクをしている七詩さんも書いていたけれど、私個人の感想としては「それがどうした!」という気分。あんなに大勢のカメラマンやりポーターが、大挙して話題の大学にまで行かなくてはならない問題か?その隙間を縫うように、自衛隊のイラク派遣関連のニュース、さらにその残りで国会の代表質問関連、というのがチラチラとテレビを見ていての私のニュース配分量。私達がしっかり見すえなくてはならないニュースは、いったいどれなのか。少なくても、古賀代議士の学歴事実確認ではないだろう。(この問題は、先日の日記にも書いたように、別の意味では日本の教育問題にあると思うけれど、今のところそれに触れているニュースを見ていない)メディアのニュースの取り上げ方に比例して、それが重要な問題だと錯覚するようなことはないだろうか。それほど庶民が愚かだとは思いたくないけれど、私自身がよほど気をつけていないとそうなりそうだから、何だか心配なのである。それにしても、イラク先遣隊の活動のニュースを見ていると、何だか切なくなる。精一杯任務を遂行していることが、痛いほどわかるからだ。しかし、テレビや新聞で見る限り、サマワの人たちの期待値と、自衛隊が出来ることとのギャップは大きいようで、その矛盾を体感しながら必死に与えられた任務を果たそうとしている隊長以下隊員の皆さんには、この国の庶民を代表して謝りたい気分。きっと、命令を下した人たちは誰も、「ごめんね、無理なこと言って」なんて言わないだろうから。
2004年01月24日
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今朝、アクセス数を見て驚いた。いつの間にかカウンターが[11270]になっていた。10000件になった時、楽天さんからお知らせがあったので、その時も「いつのまに・・」とビックリしたのだが、あれからそれほどたっていないのに・・。実は、[11111]というぞろ目を誰が踏んでくれるのかなと、チョッピリ楽しみにしていたのだけど、うっかりしているうちに過ぎてしまった。次は、[12345]の時を楽しみにしよう。でも、ボンヤリの私は、またうっかりと過ぎてしまう可能性が大である。それにしても、何でたかがカウンターの数字に一喜一憂しちゃうんだろう。たとえば10000は、9999の次であり10001の前だと言うだけなのに・・。私はどうも「数字」が苦手な性質(たち)なので、そのせいかあまり数字にこだわる方ではない。そんな私でも[11111]とか[12345]にはちょっと気をつけようなんて思っているのが、我ながらおかしい。人間って、こんなことにも楽しみを見出す能力があるんだなと思う。しかし、事実としてのこの数字は、ちょっと怖いかもしれない。このHPを開設して半年だけれど、随分多くの人が私の書いたものを読んでいることになる。もちろん、この数字の中には私のものも沢山あるし、同じ人が何度も見てくれているのだから、実質的にはたいしたものではないだろう。だけど、仮に「100人」としても、今までの私の感覚からするとすごいことだ。作家でもジャーナリストでもない私の文章が、100人の人に読まれるなんて・・・。大変な世の中になったものだと、改めて考えてしまう。また、ホームページを開設している人に小・中学生も多いことにビックリ。先日の香山リカさんの本では「サブ・カルチャー」というキーワードがあったけれど、この時代のサブ・カルチャーは「ホーム・ページ」かな?だけど、私は基本的に、若い時代はできるだけ自然と対話して欲しいと願っている。暇があったらパソコンよりも、暇があったら公園を散歩して季節を感じ、木々や草花、そして流れる雲達や、鳥や虫などの小動物と触れ合って欲しいと願っている。自然の一部として人間は自然に生まれたのだから、その原点をしっかりと身体に叩き込んでから、新しい文化を取り入れて欲しい。そのバランスが崩れたところに、様々な歪みが生じると思う。その点でも、養老孟司氏の言葉にはとても共感したのだ。本を読み始めると癖になる。私は結構早く本が読める方だと思う。若い頃に乱読したので、その頃に私なりの速読技術が身についたように思う。しかしそれは、「面白いとのめりこんだ時だけ」である。香山リカさんの本と、養老孟司さんの本は、私の脳の壁を感じさせないものだったので、何も引っかからずにダーッと読めて、どちらも三時間程度で読み終えた。昨日は、以前借りていた本を返しに行って、先日直木賞をとった京極夏彦氏の「巷説百物語」を借りてきた。このような内容の本になじみがないことと、使用されている語彙が現代的ではないこともあって、小説なのになかなかはかどらない。しかし、そのうちにだんだんと文体にも慣れてくるだろうから、まあ期間内には読めるだろうと思う。そういえば、「私なりの速読法」は、通信教育でレポートを書く時や卒論の、参考文献探しには大いに役に立った。ページごとにパッと見て、おおよその内容がつかめるからだ。しかし、私のこの方法の場合、細かいことは全くアウト。本当の速読法は、細かいこともつかめるらしいのだけど、私などは「ほんまかいな」と思ってしまう。しかし、人間の脳の働きはすごいものがあるから、訓練によってそうなるのかもしれない。だが、それには素質が必要だろうな。多分、私には無理な芸当だろう。
2004年01月23日
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☆自衛隊がサマワヘ本当にこのことが日本の国益になるのかと、やっぱり不安。アメリカに追従するしかないとするなら、これは「現時点では国益」なのだろうし、そして、ひょっとするとこのことは「防衛」の一環なのだろう。だけど、長期的にはどうなのだろうか。最近の小泉氏は、妙に精神が高揚しているように見える。このような状態で、大切な決断をしてもいいものなのだろうか。それにしても、どうして「戦争反対、憲法九条堅持」を言う人を「楽天的なお人よし」とバカにするような論調が支持されるんだろう。武器を持ったら武器使用はとても近いものになるのに・・。自衛隊員が武器を使用することがないように祈る。☆教育者は自殺するな!サッカーゴールの下敷きになって生徒が死亡した中学校の校長が、自殺したという。私は基本的に、自殺する人を責めたくはない。どちらかというと、「死ぬしかない」というような心情や孤独感のうちに死ななくてはならなかった人を、とても気の毒だと思っている。だが、少なくても青少年と日常接して「教育」に携わる人には、自殺を禁じたいと思う。生きていれば苦しいことや死んだ方がマシに思うことなど、一杯ある。それが生きるということだ。苦しい時を何とかしのいで、自分のありったけの力を振り絞ってもがきながら立ち上がったときに、喜びや感謝というかけがえのないものを掴むことができるはずだ。人を育てるとは、教育とは、そのような価値を伝えることではないかと思う。この校長先生は、多分とてもまじめな人だったのだろう。マジメを最上の価値として生き過ぎたのではないだろうか。しかし、マジメばかりが人としての価値ではない。時々、「校長の自殺」のニュースを目にする時、死によって何かを清算することを選ぶ人は、教育者になって欲しくないと思う。どうしても死にたい時には、退職してからにしてほしい。そして、校長が自殺を選ぼうと考えるような教育界は、やっぱりどこか歪んでいると思わざるを得ない。
2004年01月19日
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テレビで良く見る人の中に、とても気になる顔が複数ある。気になるというよりは「イヤな感じを受ける」のである。(断っておくが、私は「顔相」を観る占い師ではない)。いつの頃からか、その顔に多少の不快感を受けることに気付いてから、自分なりにその理由を考えている。その人の考え方に同意できないからか?(そんな人は、他にも一杯いる・・)表情が乏しいからか? (夫の表情も豊かではない・・)傲慢な感じがするからか?(傲慢でも憎めない人もいる)人をバカにした感じがするからか?(そういう人もゴマンといる)どれもこれも、「これ!」という決定的な理由にはならないし、何しろすべてが私の主観によるものであり、それで誰かを「嫌な人」と決め付けるのでは、あまりにもひどい話だ。しかし、どうしても私はその人の顔に嫌な感じを受けてしまい、そのせいなのだろうけれど、その「言葉の真意」を疑ってしまうのだ。だから、その人の言葉を聞かなくてはならない時は、眼をつぶった方が良いのではないだろうかとさえ思う。視力のない人は、「声と言葉」だけでその人を判断していくのだろう。私は目の見えない人に、(私が嫌な感じを受ける)その人の声がどのように聞こえるのか、問うてみたい気さえする。その嫌な顔が、現在のこの国の政治を担っている人の中にもいるので、とても気になってしまうのだ。そして、多分多くの人がその人を支持しているはずなので、私の感覚が間違っていることを願ってもいる。
2004年01月18日
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今日については、これしか書くことがない。昨日の吹雪は、私のこれまでの人生でも体験したことがないほどの大吹雪だった。風と雪があれほど休むことなく一日中続くとは、予想以上だった。昨日は、玄関が吹き溜まりで開かなくなる恐れがあるので、玄関前と車道までの区間は、午後からはほぼ一時間ごとに除雪をしていた。しかし、そのほかの場所は除雪してもどうなるのかわからないので、雪が収まるまでほおっておいた。そして今朝である。夫が出勤前に車道までを除雪して行ったが、残りは私の仕事である。途中で休憩を入れながら、正味三時間以上は働いたと思う。最近肉体労働をしていなかったので、もうヘトヘトである。腰も痛いし、腕も重い。もうしばらく雪は降って欲しくないというのが、今の本音である。
2004年01月15日
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昨夜から吹雪。朝、玄関には雪の吹き溜まりが出来ていて、玄関のドアは雪を「どっこらしょ!」と押し開けた。降雪量はさほどではないのだけれど、とにかく風が強いので、すぐに吹き溜まりになってしまう。玄関のドアが開けられなくなったら大変なので、風の吹きつける中を二度も雪かきをしてしまった。以前の日記にも書いたことがあるかと思うが、幼い頃の私にとっては、吹雪はとても身近なものだった。だから時々、その体験を人生に重ね合わせて考えることがある。下校途中で何度か「このまま死んじゃうかも・・」と思ったことがある。吹雪の中でもがいているうちに方向感覚がなくなり、下手をすると道路脇の用水や、途中の川に滑り落ちる危険を感じる時。あるいは疲れ果てて手足は冷たさで無感覚となり、「もうどうでもいいや、このままここで休みたい」と思うときなど・・。でも、私は必ず無事に帰宅することができた。吹雪の最中にも、ふっと風の止まる時があり、その瞬間に自分の位置や自宅の明りが見えたりで、「助かった!」となった。人生の道中にも、自分の位置や進むべき方向性が見えなかったり、お先真っ暗と絶望しかかったり、あるいは「もう、どうでもいいや」と投げやりになる時があるが、ちょっとの時間を辛抱していると、次の瞬間に道しるべが見えたりするものではないかと。そしてまた、命の危険を感じる時ほど、人は生へのエネルギーを燃やすものではないかと。私達はもっと、自分自身の生き物としての感覚を感じた方が良いのではないだろうか。だから私は、そんなことを思い出させてくれる吹雪が、それほど嫌いではない。
2004年01月14日
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半年も前の卵が出荷されていたというニュースには、本当にビックリした。卵がそんなに日持ちするものだったとは、想像もしていなかった。それにしてもひどすぎる話で、マジメにやっている養鶏業者には申し訳ないけれど、卵の表示についての信頼感が決定的に低下したのは事実。引き続き今朝は、「鳥インフルエンザ」の見出しが新聞にドーン。これでは養鶏業者にはダブルパンチであろう。卵も鶏肉も、消費者にとっては「経済的食材」としてありがたい存在だが、一パック100円を切る値段は、素人が見ても不自然だと思っていた。あまりにも人間が鶏の命を軽んじてきたので、「鶏達の逆襲」じゃないかとさえ思ってしまう。これからの推移が気にかかる。
2004年01月13日
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朝カーテンを開けると、そこは雪国になっていた。とうとうこの日がやってきた・・、という感じである。昨年末からお正月にかけて、このあたりは竹箒で掃くだけでよい程度の雪しか降っていなかった。だから今朝は、「雪かき初め」である。昨夜は、多分20㌢以上の降雪があったと思う。雪のない地方の人にはピンとこないだろうが、この量は結構なものである。夫が仕事に出る前に、玄関から道路まで自分が歩けるだけの除雪をしていった。私は夫が出かけてから、今までの約20分くらいを「雪かき」に汗を流した。まだ除雪車が来ていないので、あとはそれが通ってからドンと道路脇に残される雪の塊を取り除かなくてはならない。だから、今のところ雪かきの第一段階が終了したというだけである。あーあ、これからドカ雪が続かなければ良いのだけれど。私が雪かきの作業を主にやるようになったのは、仕事をやめてからである。それまでは、さすがに除雪は夫や息子達の仕事であった。特に息子達が中学生頃からは、主に彼らの仕事にさせていた。(だが、息子達は早く作業を終えることに主眼を置くので、細かい後始末などは夫や私がしていた)。除雪作業は、雪を集める場所が手近にあれば、今のところちょうど良い運動になっている。しかし、私達夫婦も次第に年を重ねてきたので、多分十年後はこの作業が重荷になってくるだろう。私は雪が嫌いではないが、年をとっての雪かきだけは憂鬱だ。冬になると、除雪の心配のないマンション暮らしに憧れてしまう私である。☆雪かきの続き10時半頃、除雪車の「ガガガーッ、ガカーッ」という音がした。すぐに通り過ぎると思ったのだが、何度も行き来している様子である。結構雪が多いから、往復して除雪をしているのだろうとおもっていた。音がしなくなったので、雪の塊を除雪するために外に出てみて感動!本当に丁寧に除雪しているだけではなく、玄関の出入り口に雪が残らないように配慮していることがよくわかった。だから、私の予定していた「除雪第二段階」はほとんどしなくて良かったのだ。今年の業者、あるいはこの地域の担当者は「いい仕事をしてくれる!」と、期待と感謝がこみあげてきた。当市では、地域によって除雪の業者が毎年少しずつ代わっている。会社や運転者によって仕事の仕方が少しずつ違うのは当然かもしれないが、下手、あるいはあまり頭を使わない、またはいいかげんな運転手が担当だった場合、その年の除雪作業は腹立ちと疲労のダブルパンチとなる。今年は「大当たり!」の感じがして、とても気分が良い。どうぞ、今年の運転手は今日の人のままでありますように・・。
2004年01月08日
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☆陸上自衛隊と雪祭札幌雪まつりで雪像製作を行う「陸上自衛隊雪まつり協力団編成式」で師団長が、「イラク派遣に対する度を越した街宣活動やデモがあったら、撤収も含めて検討する」と言ったという。隊員に対しての言葉ではあるけれど、ちょっと首を傾げてしまう。イラク派遣に反対している人達は、別に自衛隊に対して批判しているのではない。イラク派遣を決定する政府に対して異議申し立てをしているわけで、むしろ自衛隊員の皆さんには「大変だな。ご苦労様です」という気持ちの人が多いと思う。同じ国民として、隊員が戦いの場で命が失われるようなことがないにと願い、「イラク派遣反対!」と言っているつもりだろう。それを、自衛隊の敵のように感じるのだろうか。しかし、派遣反対のデモなどを駐屯地の前でやっているのをテレビで見て、これも「バカじゃないの?」と感じていた。自衛隊員は、イラク派遣を拒否することなどできないのに。駐屯地前は、デモをするには全く不適切な場であることがわからないのだろうか。それにしても、さっぽろ雪まつりは自衛隊に依存しすぎている。自衛隊が雪像作りに汗を流す姿は、この国が平和だという象徴でもあるけれど・・。☆SARSでハクビシン撲滅作戦?!いやはや、中国もやってくれる。まあ、原因と疑われたら一斉撤去など、ヒステリックに犯人と疑われるものを排除するのは日本だって同じようなものだけど、少なくても全く科学的ではない対応。それに加えて(新聞に書かれているのをそのまま鵜呑みにするなら)、ハクビシンを食べるのは「非文明的飲食習慣」とまで自ら言ってしまうとは・・。ならば、文明的な飲食習慣ってどんなものなのか教えて欲しい。
2004年01月07日
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今年の年賀状を、住所確認も含めてゆつくりと見直した。年々パソコン印刷の年賀状が増えているのは、時代の流れとして当然だろう。しかし、表も裏も印刷だけの年賀状は、美しくはあるけれども味気ない。せめて一言でもその人の文字が書かれていたら、何となくその人と本当に挨拶をしたような気持ちになるのは、私だけだろうか。私も昨年からパソコンで年賀状を作成することにしたし、もちろん住所録もパソコンで管理しているので、宛名印刷だってできる。しかし上記の理由から、面倒ではあるが表書きは手で書いている。(パソコンで住所録をプリントアウトして)住所を書きながらその人のことを思い出したりする時間が、私には大切なような気がしている。ずーつと昔は「筆ペン」で書いていたが、最近はポールペンだ。パソコンのおかげで文字を書くことが極端に減り、字がとても下手になってしまったので、筆ペンで書く自信がなくなったからだ。そして、余白には必ず一言でもいいからコメントを書く。それが、日頃のご無沙汰へのせめてもの誠意だと思っている。だから、裏も表も印刷だけの年賀状を見ると、申し訳ないけれど「無理して年賀状をくれなくてもいいよ」なんて、失礼なことを思ってしまう。さらに言うなら、「来年からは出さないでおこうかな」とさえ思う。しかし、かつてはお世話になったり、今も交流を続けている人ならば、やはりそんなわけにもいかないな・・とも思うし、年賀状のやり取りしなくても、別の形で付き合えばよいのだと思ったり・・。どちらにせよ、便利になることは悪くはないけれど、少しずつ味気なくなるのは確かだ。
2004年01月06日
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一連の年末年始イベントを無事終了し、息子一家もいなくなり、やっと我家に静けさが戻る。おせち料理の残り物の後始末、息子一家が使った寝具や客用座布団の片付け、洗濯や年賀状の読み直し、パソコンを開いてたまっていた日記を少し書くなど、モタモタしているうちに一日が過ぎる。忙しさの中で新聞もゆっくり読んでいなかったのだが、それを読み直すために新聞の束を持ち出すのも億劫だ。いつも、お正月が過ぎると疲労のせいか風邪をひき熱を出すのだが、今のところなんともないようだ。このまま無事に元気が続けばよいのだが・・。夜は早めに寝ることにして、気分転換に久しぶりにマンガの「MASTER・キートン」をペラペラと読む。(この本は、次男の置き土産の一つ。彼は漫画大好き少年→青年である)これは、何度読んでも面白いし、一巻ごとに話が終わるのでキリがつきやすいので、結構重宝している漫画である。
2004年01月05日
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おせち料理作りの合間に、今年最後の書き込みをします。もしも書いておきたいことが生じても、記入するのは1月4日以降になるでしょう。もうすぐ息子一家がやってきます。夫の仕事の関係で、明日、杵と臼での「お餅つき」をする予定。面倒だけど、息子達も「本物の餅つき」を続けたいと言うものですから・・。どこかの団体のイベントではない、家庭の年中行事の餅つきをする家は、今では希少価値なのではないかと思います。杵と臼がある家でも、「電気餅つき機」を使っている家が多いようです。これを見ていて下さるみなさんのご家庭で、本当の餅つきをする家庭があったら、教えてくださいな。それでは皆さん、良いお年を!【補記】年が明けて一段落してから、年末年始の日記を順次書いてゆきます。
2003年12月30日
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私は、もういらないと思ってます。必要なのは高速道路建設事業そのものであって、「高速道路としての必要度」はとても低いのは、誰でもわかっていることのはず。道路としての必要度が高くないのだから、計画見直しも含まれる三区間がとりあえず生き残ったとは言え、多分ズルズルと執行猶予が続くんじゃないだろうか。今後、お金の使い道に困るような状況となれば別だろうけれど・・。ということで、私はこれ以上の高速道路は北海道には不必要だと強く強く思っている。
2003年12月26日
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来週になると、実家の掃除の手伝いやおせち料理準備、お餅つきなどで忙しくなるし、明日から土日にかけては出かける用事があるため、今日可能な限り掃除をしようと決意。実は昨日も、台所の片付けや掃除をするかたわら、パソコンで年賀状を作っていた。年賀状書きは夜の仕事にすることにして、夫が出かけてからは普段の手抜き掃除のツケを実感しながら汗を流す。一段落して遅めの昼食をかき込み、今はちょっとお休みの時間。この日記を書いてからは、足りなくなった家具用ワックスや洗剤等を買いに行き、予定している今日の作業を済ませたいと思う。今日できなかったら、多分私のことだから「汚れていても死にはしない」と開き直るに違いない。この日記のテーマは『大掃除しますか?』なのだけど、他の人達はどのようにしているのだろう。私程度の「大掃除」は、きれい好きな主婦なら日常の家事なのだろうけれど、私にとってはやっぱり大掃除である。つまり、壁や窓ガラスや床磨き。蛍光灯などの掃除や家具磨き。普段使わない食器洗いや、押入れの不要物の整理などなど・・。こんなことを書くと、いかに私が「主婦らしからぬ主婦であるかがバレバレ。だが、これを一気にやろうとすると、実に疲れてしまう。実は、もうやりたくない心境である。今夜の私は、多分例年通りの反省をしていることだろう。
2003年12月25日
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大正時代の日本赤十字が、当時は国交のなかったシベリアにおけるポーランドの孤児を救済したこの話は、以前、テレビのドキュメント番組か何かで見て、とても感激したことがある。だから昨夜のこのドラマは「見逃してはならじ」と、しっかりと見た。時は大正11年、私の父が生まれた年なので80年も前のことだ。いつも感じることなのだが、やはりドラマ化されるとドラマになってしまう。私は、直接の資料や写真などで淡々と綴られるドキュメントの方が、想像力をかき立てられるせいかより感動する傾向がある。それでも、大正期の日本がこのような国際貢献や人道支援をしていたことを、何だか誇りに感じることができた。そして、今の日本のイラク支援のことを思う。支援は、支援を受ける人との人間同士の相互作用がなくては、本物にはならないような気がする。ポーランド孤児の支援は、「助けて欲しい」という訴えが当事国から具体的に頼まれて、受けた日本が「わかりました」とポーランドの意向に最大限沿った形で国をあげて取り組み、受け入れ先の日赤やその周囲の住民こぞってポーランドの子供達を助けようとしたことが、相手の心に届く支援となり、80年後の私達にも感動を与えるものになったのだと思う。自衛隊は「自己完結できる唯一の組織」などと、どなたかが言っていたけれど、「自己完結」は「自己満足」と非常に近い。自衛隊の派遣については賛否両論あるが、今となっては「派遣中止」は無理だろうと思う。だからこそ、イラクの人達の心に届く、お互いに実りのある支援活動になるように、精一杯の知恵と努力を傾けて欲しい。アリバイ作りのためにしか見えない神崎氏のイラク訪問など、私には邪魔にしか見えない。創価学会の人達は、神崎氏のイラク訪問での無責任とも思える言葉によって納得してしまうのだろうか。今更ながら、創価学会と公明党には失望している。
2003年12月24日
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息子家族が引越しをするため、3日間孫達を預かることになりました。あー、子育ては体力勝負だということを実感しています。
2003年12月20日
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昨日の日記に、お雑煮を食べたことがない子どもの話を書いた。実は昨夜、出張帰りに長男が我家に泊まったのだが、朝食を食べながらその話をした。すると息子が言った。息子「それと似たようなことだけど、うち(我家)では冬至の時にかぼちゃを食べることって、あんまりなかったよね」私「そういえば、そうだね」息子「知り合いのおばあちゃんの家に立ち寄った時に、冬至だからかぼちゃの汁粉を食べなさいって言われてさ、あー、そういえば冬至ってかぼちゃ食べるんだっけ・・って思ってさ。それと似たようなことかもね」私「・・・そうだねえ。そういえば私は、お赤飯だってあんまり作らないしねえ。人のこと言えないねえ」・・と、しばし反省した次第である。昨日の日記にも書いたけれど、私の年末年始の料理は普段の手抜きの罪滅ぼしだったから、本当に人のことは言えないのだ。実家が近いこともあり、何かお祝い事がある時は、母がお赤飯を作ってくれた。冬至のかぼちゃも、私自身はあまり作らず、母が作ったものを食べていたことが多い。自分の家でやらないことは、子どもにとっては「我家の習慣」とはならない。もしも実家が離れていたら、私はもう少しそのあたりに気を使って赤飯も作っただろうし、かぼちゃも煮たかもしれない。しかし、母の楽しみを奪ってはいけないし私も楽ちんだしと、自分に言い訳をしながら手を抜いていた。このようにして、日本の食文化も季節の行事も、遠いところに行ってしまったのだろう。そして息子夫婦だ。こちらは、何かにつけて家族ぐるみで我家にやってくる。当然、お正月料理は我家で食べることになる。お嫁さんは私のアシスタントであるし、今の今まで私はそれでよしと思ってきたが・・・。孫達にとっては、お正月は「我家のイベント」ではなくなるのかもしれない。お嫁さんの実家では、お父さんがお正月も仕事で不在が多くて、我家ほどにはお正月料理を作ってはいなかったらしいから、ひょっとするとこの家の習慣を「わずらわしい」と感じているのかもしれない。昔と違って、今は年がら年中クリスマスかお正月のように美味しいものが溢れているし・・(お店に)。あー孫の代には、お雑煮がお正月の食卓から消えるのは必至だ。
2003年12月13日
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留守家庭児童会の人の「ぼやき」をまた聞きした。わが町の留守家庭児童会は、親が働いている小学三年生までの子どもを、放課後や長期休暇中に預かっている。冬休みに入ると、朝から夜まで子供達を預かるので、指導員は色々な小イベントを工夫するらしい。その一つに、「お雑煮、お汁粉づくり」をした時のこと・・。子どもの中に「お雑煮」を食べたことがない子どもが複数いたという。嫌いで食べないのではなく、家庭で作ったことがないらしいのだ。私はそれを聞いたとき、「エーッ! ウソーッ!」と黄色い声を上げてしまった。日本のお正月にお雑煮は付き物でしょうが・・・。手の込んだおせち料理は難しいとしても、お雑煮などは作ろうと思えばお味噌汁程度の手間でできるのに。その話をしていて、ふと思い出したことがある。私は、働いていた頃から、普段の手抜き料理の罪滅ぼしもあって、年越しの料理とおせち料理だけは年に一度の頑張りだと思って作ってきた。数年前の12月31日の夕方、料理に足りないものがあったので近くのスーパーに走った。大晦日とあって店内はごった返し、店先には年取り用の「年越し蕎麦、オードブル」などがどーんと並んでいた。忙しい人にとっては、出来合いのオードブルの活用も悪くはないと横目で見ながら通り過ぎようとすると、背後で子どもの声が聞こえた。「おかあさーん、これ食べたい!」何を指してのことかは私は知らない。子どもには魅力的なものだったのだろう。しかし、次の母親の言葉に、私は思わず足を止めた。「だめだめ、パンを買ったから!」思わず振り返って親の顔を見たい衝動に駆られたが、私はぐっと我慢した。この家庭では、年越し蕎麦も食べずにパンを食べるのか?!どんなパンなのかわからないし、ひょっとするとその家はとても貧しくて、年末年始のご馳走を用意できないのかもしれない。しかし、スーパーに来てパンを買うくらいなら、乾麺でもいいから蕎麦を食え!私はお腹の中で毒づきながら、その場をあとにしたものだった。きっとあの子も、お雑煮は食べていないのではないだろうか。数日前に雑誌を見ていたら、現在の日本の家庭ではクリスマス料理には随分力が入るけれど、お正月はさほどでもないらしい。うーん、嘆かわしい。我家でもクリスマスケーキくらいは食べるが、何せ年末年始という一大イベントがあるし、クリスチャンでもないのでその程度で済ませてきた。この国は、食文化もアメリカナイズされてしまったのか。アメリカ親分の力は偉大だ・・。
2003年12月12日
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今日は、臨時閣議で自衛隊派遣基本計画が決められるとのこと。とにかく、今(朝)の私の気持ちを書いておきたいと思います。この数日、自衛隊イラク派遣のことが気になって仕方がありません。昨日は真珠湾攻撃の日でした。どなたかのHPにも書かれていましたけれど、あれはアメリカの戦略に日本が落ちてしまったということが、色々な証言や資料から指摘されています。同時に、当時の現地の外務官僚の間抜けとドジについても・・。そのことの真偽はさておき、この時期にまた日本は泥沼に踏み込むのではないかという不安が募っています。今、切に願っているのは、小泉首相が「君子の豹変」をしてくれることです。イラクの人に歓迎されない自衛隊派遣は、単なるアメリカ迎合に過ぎません。日本にとっての脅威はイラクがテロの温床化することではなく、親分アメリカに睨まれることなのだろうと、さすがの私も理解はしていますが、せめての気骨をみせてほしいと思っています。期待や祈りが募るあまり、この一連の小泉首相はの態度は、豹変への含みがあっての「深慮遠謀」であってほしいとまで思っています。ここまできたら、私自身少し冷静でなくなっていると感じながらも・・。小泉首相のおっしゃる「総合的な(まっとうで大義のある)判断」を切に切に願っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・《以下、午後のできごと-10日に記す-》この日は、所属する子育て支援のグループの行事準備の日だった。このメンバーの中には、自衛隊関係者の家族もいる。午後の閣議で「イラク基本計画」が決められることは、多分集まった人のほとんどが内心では気にしているはずだ。しかし、私たちはそのことには一度も触れずに、行事の打ち合わせや準備に追われた。クリスマスが近いので、それらしい雰囲気作りをするために、色画用紙や色紙で様々な工夫をこらした。「わー、可愛いねえ!」「ステキ、ステキ!」「さーすがーぁ!」などと部屋のあちこちで歓声が上がり、私もイラクのことなど全く気にしないような顔をして、私より若い人達のアイディアと指示に従って作業をしていた。・・・切なかった。首相が君子であることを願いつつも、それが万に一つの願いだということも感じていた。私たちはそのような国に住んでいて、ここにいる人の親族・知人の中からもイラクに派遣される人がいるのかもしれないのだ。しかし、私達は国の大きな流れや決定に従うしかないのだ。私たちはそのように決める人達を選び、間接的とは言え小泉首相を支持しているのだ。そんな私達に出来る事は、不安を抱えながらも日々をより良く生きていくことだ。その意味で、私達もイラクの庶民の人達も、全く同じ仲間なのだろう。今日を元気に心豊かに生きることだけに心を砕く。それが、多くの名もない人々がずっとやってきた営みだ。その積み重ねの先に、もっと良い社会が来る可能性を信じ、辛い運命が来ないことを祈り、ただ今日を大切に生きることしかない。様々なモヤモヤを抱えて夕方帰宅すると、豹変をしない毅然とした(?)首相の映像が流れた。かつてカンボジアのPKO活動で警察官が死亡した時、小泉首相は「血を流してまでの国際貢献は反対」と撤退を主張したという。その彼が今回の派遣を主張するには、やはり彼なりの国民を守ろうとする判断なのだろう。すでに彼は豹変済みだったのだ。この判断が最善だったかどうかは、歴史が決めてくれるのを待つしかないのだろうか。
2003年12月09日
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土曜日に、来月4歳になる孫と一緒に、クリスマスツリーの飾り付けをした。このクリスマスツリーは、息子達が幼い頃に毎年飾っていたもので、彼らが大人になってからは押し入れにしまいこまれて眠っていた。私にとっては子供達との思い出の品だったので、何となく捨てられなくてそのままになっていただけであったのだが、孫のおかげでツリーもまた再登場となったのだ。飾りなどは100円ショップで補充して、一歳半の孫も一緒に飾りつけをする。その作業をしながら、「これを見て、サンタさんも来るかなー?」と声をかけると、「うん、そうだねー。きっと来るよ」と無邪気に答えていた。サンタの存在を無邪気に信じている幼児の姿は、大人に忘れていた夢を思い出させてくれることもあり、親は精一杯サンタの実在を信じさせようと努力する。かつての私もそうであった。長男は保育園の年長の頃に、サンタの現実を知ったようだが、二歳年下の弟が信じている間は、親にも何も言わずにサンタを信じているふりをしてくれていたらしい。そのことを知った時、私は子どもが大人になるということを感じたものだった。それを思い出しながら、「この子はいつまでサンタさんを信じていてくれるのだろう」と思っていたのだが・・・。我家に来ている時に、3歳の孫はいつも私と一緒に寝ている。夜、布団に入っていつものようにお話をしたりしているうちに、話はクリスマスのことになった。私「サンタさんに、プレゼントのお願いしたの?」孫「うん、したよ。ぼく、飛行機がほしいの」私「そうか。サンタさん、持ってきてくれるといいねえ。 サンタさんはどこから来るのかな」孫「サンタさんはね、いないんだよ」私「エッ!!・・?? いないの????」思わず私は絶句した。想像もしなかった言葉に、それをどのように受け止めてよいのか、正直なところ混乱してしまったのだ。最近の孫は、ジョークというものも覚えてきたし、大人の言葉に反論というか逆らうこともするようになったので、その類なのかもしれないし、ひょっするとサンタの真実を知ったのかもしれないし・・・と。気を取り直して、私は聞いた。私「えー、おばあちゃんはサンタさんいると思うけどな」孫「えー、いないんだよ。お母さんがプレゼントくれるの」あー、もうダメだと私は思った。しかし、母親はサンタさんを信じさせようとしているし、「おりこうにしたら、サンタさん来るよ」なんて、サンタを利用してもいる。ここはやはり、お嫁さんの共犯者をするしかないと覚悟を決めた。私「そうだね、お母さんもプレゼントくれるのかもしれないね。でも、サンタさんはちゃんといるんだよ。○○君がいないなんて言ったら、サンタさん悲しくなって来ないかもしれないよ」うー、苦し紛れの大人の詭弁だと思いつつも、「嘘も方便」を自分に言い聞かせた。孫は「ふーん?」と、それ以上の反論はしなかったので、私は話題を別に移し、やがて孫はすやすやと眠った。孫が眠ってから、お嫁さんに聞いてみた。私「ねえ、○○君はサンタさんいないっていっていたけど・・、お母さんがプレゼントくれるって・・」嫁「えー、そんなことないはずですよ。サンタさんのこと、信じてるはずです」次の日の日曜の午前中、「クリスマスツリー、きれいだねえ」と言っている孫に、お嫁さんは聞いた。嫁「ねえ、サンタさんってどこから来るんだっけ?」孫は一瞬視線を宙に浮かすような、考えているような表情をした後、「えっとね、煙突から来るんだよ」。(幸い、我家にも息子達が住む家にも、ちゃんと集合煙突があるのだ)母親はホッとしたように、「そうだよねー、サンタさんはいるよねえ」と言っている。私は二人の会話を聞きながら、孫はやはり半信半疑の状態だと確信したし、そのような母親の確認の言葉によって、いよいよ疑いを深めつつも、母親を困らせないようにと自分の疑惑を心にしまっているように感じた。孫がいないときに、お嫁さんは言った。「あの子、私に合わせてますよね」「多分、そうだろうね。それだけ大人になったってことだよ」「えー、でも、何だか子どもらしくなくてイヤですねえ」「仕方ないよ。今は色々な情報が子どもにだって入ってくるから、いくら大人が頑張っても見抜かれることって多いものね。サンタのことを信じてほしいって言うのは、親の夢というか自己満足の部分もあるから、騙しあう楽しさを学ぶって事でいいんじゃないの?」「エー? でも、こんなに早くこんな日がくるなんて、ガッカリです」「でも、まだ半信半疑だと思うから、こうなったら全力あげてサンタさんを信じさせようよ。やっぱり、サンタさんが本当に来たと思うほうが、子どもだって嬉しいはずだよ。いつかはバレても、親が子どもを喜ばせようとして頑張った愛情に間違いはないのだから」「そうですねー」それにしても、いつも考えさせられるのは、子どもが見せる大人への思いやりである。幼児に対して「大人や親に思いやりを持ちなさい」と教える大人はいないだろう。だけど、幼児はちゃんと大人を思いやったりしてくれる。かえって、大人が「思いやりを持ちなさい」と説教をするようになる頃から、子どもはその言葉のうそ臭さに辟易して反発するようになる。さて、孫は今年のクリスマスプレゼントを、誰から貰ったと思うのだろうか。
2003年12月07日
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イラクで亡くなったお二人の外交官の葬儀が、外務省との合同葬としてとりおこなわれた。私は孫達が来ていてバタバタしており、そのニュースを見てはいないのだが、小泉首相は涙を流して絶句し、「2人は日本国、日本国民の誇りでもある。熱い思いと功績を決して忘れない。日本政府は遺志を受け継ぎ、国際社会と協力してイラク復興に取り組んでいく(yahoo!ニュースより)」と言ったそうである。私はこの日記で、「自衛隊派遣は反対」と書いてきた。しかしもちろん、イラクの復興支援に反対なわけではない。また、どうしても自衛隊を派遣しなくてはならないことが納得できたなら、涙を飲んで自衛隊の人達に「世界平和と日本のために頑張ってください」と頭を下げたいと思う。だがどうしても、今の日本の憲法の上からも、イラク特措法からも、イラクに自衛隊を派遣する道理がないと思うのだ。小泉首相は「遺志を受け継いで・・」と言うが、本当にお二人は自衛隊派遣が日本に望ましいイラク支援だと思っていたのだろうか。私は、奥氏が書いていたという「イラク便り」を読んでみたのだが、あのメッセージのどこにも「自衛隊に来て欲しい」という思いを感じることができなかった。そしてまた、お二人が警護もつけずほぼ「丸腰状態」で危険な場所に赴いたということに、(私の勝手な解釈ではあるが)隠れたメッセージがあるのではないかと感じている。つまり、日本はあくまでも軍隊のような形での支援ではなく、武器を持たずイラクの人達のために共にその復興に汗や(時には血を)流していくことが、イラクの人達に信頼され認められる唯一の道なのだという信念である。彼らの尊い死を生かすために、本当に自衛隊派遣が最良の選択なのだろうか。私にはどうしてもそうは思えないのだ。また、もう一つ思ったこと。これから自衛隊員が派遣され、万一犠牲者が出た時には、やはりその都度首相も参列しての合同葬になるのだろうか。そして、多分その時には(あまり考えたくはないが)、もっと多くの遺影が並ぶのであろう。私はその数の分だけ、お一人お一人の命が軽くなるような気がしてならない。繰り返すが、テロに屈せずイラクを支援してゆくことには、私も賛成である。それは自衛隊を派遣することとイコールではないはずだ。
2003年12月06日
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今日の午後から、孫達とのバタバタが始まりました。日曜の夜に孫達が去るまで、パソコンを開くことができないかもしれません。月曜日まで、ごきげんよう。
2003年12月05日
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参加しているボランティアグループで、会のPRと活動資金のための収益を兼ねて、ボランティア・グッズを販売することをめざして、この二ヶ月ほど話し合いを続けてきた。手芸が得意な人もいるので、最初は「手作りグッズ」を作ろうかという話もあったのだが、最近は「百円ショップ」の品揃えが豊富で、ちょっとしたものならそちらで手に入る。ためしにいくつかの小物類を、自分達で同じものを作ったらどのくらいかかるかと計算してみたが、絶対に百円ショップに太刀打ちできないことが判明。では、オリジナルの「絵はがき」はどうだろうかということになった。幸い、仲間の中で可愛いイラストを描くことが得意な人がいるので、その人に原画をただで描いてもらったら、少しは収益があがるのではないかと考えた。では、その印刷をいかに安くあげるかである。この時点では、印刷業者に発注することしか考えていなかったので、市内などあちこちの業者に聞きまくった。しかし、ここで次の課題が発生。ある程度まとまった枚数を注文しなくては、決して安くはならないという現実である。なにせ初めての取り組みだから、一度に大量の注文をして売れなかったことを考えると、かなりの勇気がいる。では、パソコンで作ったらどうかということになった。私はこのようにホームページを作っているから、パソコンはある。しかし、スキャナーがない。他のメンバーにそのような道具を持っている人がいないか探したが、あってもご主人が使っているか自分ではうまく使えないという人ばかり。仕方がない、誰かにスキャナーで取り込んでもらって私のパソコンで印刷してみるか・・と、また心当たりを探したら、いたいた。ちょっと頼みづらい立場の人ではあったが、この際「できるかどうかを試すだけ」ということでお願いした。送られてきた画像を、今度は絵はがきにするために試行錯誤。うん、何とかなりそうだ。では、もっと気安く頼める人はいないかと考え、友人に「こんなことで困ってるんだ」と話すと、何と「私、スキャナーあるよ」。「えーっ、持ってるのー! じゃあ、お願いできる?」「もちろーん、いいよ、いいよ、お安い御用!」彼女は別の会の仲間なので、私の頭の中の「お願い可能リスト」から除かれていたのだ。ということで、無事画像が届き、何だかうまくいきそうな予感、というか、一応の「お試しセット作成」の目途が立った。今回のことで、つくずく感じたことは、ネットワークの大切さである。それも、同類のネットワークだけではなく、無関係と思われるネットとつないで見ることの大切さと言おうか。私たちはつい、関係ある人達の中で何とかやろうとするし、それはそれで大切なことではあるけれど、行き詰った時には違う視野から見てもらったり考えたりすることが大切だと思う。人間同士のことだから、目的さえはっきりしていて正しければ、必要に応じて立場を超えて協力し合うことはできるし、思いがけない形で役に立てたら、それはそれで嬉しいことだ。ひるがえって、イラク問題。国際平和と協調のためのネットワークは、もう望めないのだろうか。理念や目的がはっきりしていて、お互いのためになると確信できるならば、たとえ傷ついたとしても納得できるかもしれない。でも、今の状態では、少なくても私には納得できない。「しかるべき時に説明します」と小泉首相は言うけれど、決定した後で「これで納得せよ」と言われても、私は納得できないだろう。説明を自分の中で吟味して、あれこれ考えた上でなくては、私は納得ができない人間なのだ。どうしても派兵しなくてはならないのなら(現状では、どう見ても派兵だろう)、完全志願制にして一般人も含めた米軍の「傭兵」にしたらどうですか。
2003年12月04日
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《MSNニュース・ジャーナル》http://news.msn.co.jp/404509.armx で、この記事を読んだ。-以下引用-9月下旬、バグダッドから北に70キロほどいったイラク中部の町ドルアヤの近郊で、米軍のブルドーザーが果樹園の木々をすべて根こそぎにする作業が行われた。付近は旧フセイン政権の支持者が多いスンニ派の地域で、米軍に対するゲリラ攻撃が頻発していた。米軍は、付近の村人たちを尋問したが、誰もゲリラの居場所を教えなかったため、その「懲罰」として、村人たちが所有するナツメヤシやオレンジ、レモンなどの果樹を、根こそぎ切り倒した。 伐採するなと泣いて頼み込む村人たちを振り切り、ブルドーザーを運転する米軍兵士は、なぜかジャズの音楽をボリューム一杯に流しながら伐採作業を続けた。ナツメヤシは樹齢70年のものもあり、村人たちが先祖代々育ててきた果樹園だった。伐採を止めようと、ブルドーザーの前に身を投げ出した女性の村人もいたが、米兵たちに排除された。 (引用終り)このようなことをする背景についても記事は述べているが、米軍のやりかたのどこにも「イラクの人達のために」という大義はない。果樹や樹木を育てることの大変さを少しでも知っているなら、決してそんなことは出来ないはずだ。だからこそ「懲罰」として効果があると考えるのかもしれないが、このようなやり方では憎しみの感情しか生まれはしない。憎しみの連鎖をどこかで断ち切らなくては、平和は決して訪れない。そのことを思う時、思い出す人がいる。今年の春、カンボジアにNGO活動の視察ツアーに行った時、現地のカンボジア人スタッフのエピソードを聞いた。そのNGO(本部は日本)はカンボジアの初等教育支援をしていて、日本から送られた絵本などを、カンボジア各地に届けたりしている。その現地スタッフは、奥地にその活動のために出向いた時、あのクメール・ルージュ時代(彼はまだ少年だった)に自分の父親を連行し、多分殺したであろう人に出会ってしまったのだという。忘れようにも忘れられなかったその顔と向き合った時、彼の心の中がどのような怒りや悲しみ、憎しみや恨みの感情に荒れ狂ったのかは、想像に絶する。いつもは明るいその人が突然無口になり、様子が変わってしまったことに、他のスタッフは戸惑ったという。しかし何日か経った後に、彼は仲間に次のように語ったという。「私の憎しみは、私だけで終りにしなければならない。この気持ちを、子供達に伝えてはならない。そうでなくては、決してカンボジアに平和は来ないのだから」と。私はその話を聞いたとき、明るくジョークを連発している彼の心の中に、深い思いと決意があることに感動せずにはいられなかった。彼はその辛い過去と決意を仲間に表明することで、憎しみを乗り越えようとしたのだろう。だが、そのようにできる人ばかりではないだろう。一般的に、心の中に巣食った憎しみは自己増殖しやすい。そして、すべての原因をそこにつなげることになりやすい。アメリカ軍がやっていることが、イラクの人々の心の中にどのような種を蒔くのだろう。そのような米軍の支援をすることがどのような意味を持つのか、私にはわからないだけに怖い。
2003年12月01日
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とうとうイラクで、日本大使館員が殺害されたとか・・。意外でないことが、まず悲しい。2日間日記を書いていないのだが、時間もないので今のやりきれなさだけを書いておきたい。ブッシュ大統領のイラク訪問も、イラクの人達はどのように感じたのだろうか。もう一つのガッカリ・・。またもや人工衛星打ち上げ失敗ですって?もう、スタッフの総入れ替えでもしなくては、この壮大な無駄遣いが続くばかりなのじゃないのかしら。「失敗は成功の母」にできない人がやっているとしか思えない。それって、日本全域に蔓延している病(やまい)なのかも。自分だけは罹患していないと思うのも、この病気(症候群かな?)の特徴のようだ。
2003年11月30日
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偶然にも、人間関係で悩める若い二人(AさんBさん)から話を聞くことになってしまった。●最初はAさんから「実は、Bさんと気まずくなってしまって・・」彼女が言うには、Bさんから電話やメールでの相談に応じているうちにどんどん心配が募ってきて、彼女の「もうダメ」というメールに対して電話をした時、鬱陶しいようなことを言われてショックだったのだという。その後は、メールも電話もしていないのだが、とても気になっているということだった。そして本当は、メールが頻繁に入るようになってから、自分自身も荷が重くなっていたので、Bさんから連絡がなくなった事に対しては、ホッとしている部分もあるのだと。この時私は、「私は、自分がイヤだと感じたり、荷が重いと感じるようになったら、相手に配慮しながらも距離を置くようにしている。あなたとBさんのことについては、直接見聞きしているわけではないから何も言えない。もしもあなたがBさんのことがどうしても気になってそれがストレスになるなら、さりげなく声をかけてみたら? まだその気になれないのなら、もう少し時間に手伝ってもらったらどうだろう。相手の出方を待つのではなく、自分がどうしたいのかを考えて欲しい」というような話をして別れた。●それから間もなく、何とそのBさんに相談されてしまった。私はAさんから話を聞いたことは、黙っていた。「実は、Aさんと仲良くしていたのだけど、ある時期から個人的な話をするようになって、それ以来付きまとわれているような感じがして重たくなって・・、一度少しキツイ言い方をしたら気分を害したようで、それ以来全く連絡がない」。Bさんの言い方では、自分の方がAさんの相談に乗っていたようなことになっている。また、驚いたことに(当然なのかも?)、Aさん同様「自分自身も荷が重くなっていたので、Aさんから連絡がなくなった事に対しては、ホッとしている」というのだ。人間関係って、本当に難しいものである。その一番の原因は、人は「主観で考える」ということのようだ。はからずも両者から話を聞いてしまうことになった私は、二人の言い分がそのままコピーしても使えるような内容であることに驚くばかりで、同じ事を感じているにも関わらず(いや、だからこそか?)、現状は断絶・冷戦状態なのだ。さて、私はBさんから話を聞きながら、ひょっとすると共通の知人である私に話すことで探りを入れていれながら、どちらも自分の言い分の正当性を認めて欲しいということなのだろうと判断した。両者の話の食い違いを指摘したところで意味がないだろう。それぞれに、相手のことを思っての優しさの行動のはずが、いつのまにかお互いに重いものになっていて、あるきっかけで自分を守るためにお互いを突き放したということだ。Bさんにも、Aさんへの言葉を繰り返すことになった。それにしても、携帯電話やメールという手段は、いつでもどこでも時間や場所を問わず、かつ手紙のように冷静になる時間の猶予もなく、感情のままに相手に言葉を送ってしまう。二人とも、そんな話をしながらも携帯を握り締め、メールや電話が入ると私との話を中断している。うーんこの道具、よく言われているように「功罪」を強く意識しなければ、人間関係を破壊することになるのやもしれない。この二人、ちゃんと向き合って話をしているのだろうか。基本的に自分の問題は自分で何とかしなくてはならない。自分の問題と相手の問題の区別をするところから、人間関係の修復は始まる。当事者でない者は下手に深入りせず、「気付き」も含めて本人に判断を任せるしかない。そして、たとえ失敗があったとしても、努力や真情のへの理解や励ましをするしかない。二人の関係が、このことによってより強い絆に成長することを願っている。
2003年11月28日
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昨日は朝から何となく調子が悪かったのですが、某会の打ち合わせなどで出歩いたのが良くなかったのか、夕食準備の頃から悪寒と吐き気が・・・。ということで、昨夜は夕食もそこそこにバタン・キューでした。本当に久しぶりに、38度の熱が出ました。息子達がいたら「鬼の霍乱」と言われるところです。そのくらい、久しぶりの発熱でした。たまには熱を出して寝込んでみたいと罰当たりなことを考えたりするのですが、やっぱり具合が悪いのはイヤですね。今回はお腹の調子が悪いのと吐き気があったので、一層不快でした。それでも今日は随分楽になって、熱も微熱程度。まだお腹の調子が悪いので体調万全とは言えないですが、明日はどうしても出かけなくてはなりません。私は気力が体調に勝るタイプなので、きっと明日は元気でしょう。というわけで、今日は朝からグタグタしていた一日でした。
2003年11月27日
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中規模の病院の薬剤師をしている知人と話していた時のこと。その病院は、どちらかというと整形外科が中心なのだけれど、一応総合病院ということになっている。彼女は私と同年代ですでに薬局の責任者の立場にあり、もちろんベテランである。昨今の医療ミス事件などを見聞きする時、彼女は「他人事ではない」と危機意識を持ち、毎日神経をすり減らしてチェックに明け暮れているようで、それだけにお疲れの様子である。そして話は、彼女の病院に最近ケースワーカーという職種の人が入ったということになった。私は福祉関係の仕事をしていたので、「ケースワーカー」という単語を聞けばその仕事がどのようなものかはすぐに理解できる。同時に、「医療・福祉分野」の人達は、当然私程度の認識があると思っていたのだが・・・。・・・彼女はケースワーカーを知らなかった・・・確かに彼女の職場には最近までケースワーカーはいなかったのだから、その仕事の実際を知ることはできなかったであろう。しかし、医療・福祉分野の仕事をしている人ならば、常識としてケースワーカーの役割を知っているのではないかと思っていた私は、非常識だったようだ。素直に「ケースワーカーって、どんなことをするの?」と聞いた彼女は、とてもマジメで前向きな人だと思う。私は内心の驚きを押えながら、病院におけるケースワーカーの役割を、知っている範囲で伝えた。すると彼女は、「そうなんだー。とても大切な仕事だよね。なのに、どうして今までウチの病院にはいなかったんだろう」。私もその点についてはよくわからないが、多分現在の医療システムにおいては、ケースワーカー(病院では一般的にはソーシャルワーカーと呼ばれることが多い)は、病院のサービスという位置づけなのだろう。設置義務もないから、サービスに重点をおかない病院にはワーカーはいないのだろうと話をした。それにしてもだ、・・・知らないんだねえ。当のご本人に「あなたはどんな仕事をするの?」とも聞きづらくて、話のついでに私に聞いたのだろう。うーん、その役割をちゃんと他の職種の人に説明もせずに配置されたワーカーも、さぞ大変なことだろう。私は会ったこともない「とってもいい人だよ」というそのワーカーに、同情を禁じえない。
2003年11月26日
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昨日の新聞で、またもや医療ミスが報じられていた。京都の病院で、麻薬を10倍も投与していたという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031122-00001046-mai-soci 人はミスを犯す動物だと思うけれど、どうしてこんなにも医療ミスが頻発するのだろう。今までは、いかにこの手のことが「闇の中」に葬られていたかと思うと、ゾーッとする。(実際に、本当は医療ミスで死んだのではないかと思う人も複数いる)ミスを犯すことを想定して、それを防ぐためのシステムを作っておかなくてはならないだろうと思うが、医療関係ではそれらの工夫がされていなかったということなのか?百歩譲って、過去はそうであったとしても、これだけ色々な医療ミスが報じられている現在、「自分の病院は大丈夫か?」と、チェック体制を強化することくらいできないのだろうか。劇薬を使用する際には、医師・薬剤師・看護婦など複数の人が確認するだけでも、このようなミスは防げたのではないかと思うのは、素人考えなのだろうか。「他山の石」という言葉は死語になってしまったのかと、嘆きたくなる。
2003年11月25日
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マイケル・ジャクソンの幼児性的虐待の件も、ケネディ大統領の暗殺事件についても(随分飛躍したニュースの並べ方だけど)、色々なことが報じられたり「新事実発見!」なんて言われるけれど、真実ってみつかるものなのだろうか。プラトンの「イデア」ではないけれど、そんなものは我々人間には「憧れ」に過ぎないのではないかと思うことがよくある。しかし、真実を求める意志や、憧れに近づこうという願いがなくては、人は生きる意味を見失ってしまうのも事実だ。「事実」は確かにあるのだろう。マイケルがやっていたことは、今のマイケルにはわかっているはずだ。しかし10年後には、マイケル自身にも記憶の変化や修正がなされ、事実とは少しズレている可能性が高い。ましてや40年が経過して、関係者のほとんどが死亡しているとなれば、たとえ関係文書が公開されたとしても、それに基づく仮説しか出て来ないはずだ。話は変わるが、かつてある事件の身近にいたことがあり、事情聴取されたことがある。たった3日前の事実を問われたのだけれど、普通に生活していた時間のことを追求された時、ほとんど記憶していない事実に愕然とした。幸いなことに私は容疑者ではなかったため、記憶していなくても「わかりません、覚えていません」と冷静に言うことができたけれど、もしも疑われていると感じたらどれほどのパニックに陥ったことか。その時でさえ、自分の言葉によって誰かを不利にさせるとなると、とても怖かった。自分の中にある種の「仮説」のようなものはあったけれど、それは主観だと思い口にすることはしなかった。結局、その事件は闇の中で終わってしまった。真実を求める心は大切だと思うけれど、同じ心が傍若無人に何かをもてあそぶこともあると自戒していきたい。
2003年11月24日
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掲示板でマー坊さんが教えてくださったので、シメシメとこのテーマで書くことにする。ところで「いい夫婦」ってどんな夫婦なんだろう。多分私たちは、百人に聞いたら百人とも、「いい夫婦!」と太鼓判を押してくれるだろうが、さて相手はどう思っていることやら。私自身は、現在は「まあ、いいんでないかい・・」と言う気分だけれど、これは内心の様々な葛藤の日々を何とかクリアーしてきた今だから言えることであって・・・。多分、相手もそう思っていることだろう。夫も私も、イヤになるほど「外面(そとづら)」が良い。その意味では似たもの同志だ。その上、極端なほどの「平和主義者」であることも同じ。つまり、喧嘩のできない体質である。だからといって、心の中に不平不満がないはずはない。私の日記をずっと読んでいる人はわかるだろうが、素直なようで天邪鬼であり、かなり斜から物事を見るし、多少理屈っぽい。そして、自分のこと(退職や、大学進学など)は自分で決めて行動するから、すべては事後承諾である。(もちろん、夫がらみのことや子どものことは話し合うけれど)夫はその点私よりも単純であり、見た目と違い「賭け事」に通ずるものが大好きである。現在は収まったけれど、結婚した当時はパチンコ・マージャンに明け暮れ、一見家庭的に見えるのだが家事育児は妻にお任せ主義だった。その代わり、私のやることにはよほどのことがない限り文句は言わなかったから、何とか持ってきたというのが私の言い分。というのは、私の結婚の条件は「仕事を続けること」。当時は、そんな普通の望みを黙って了解してくれる男性が周囲に少なかったから、私はその一点にしがみついたような面もある。(団塊世代は、意外と保守的である)そのほかにも色々あるが、それは私の言い分であり、相手にとっては「良妻賢母、黙って俺についてくる人」とは全く違う私に多分ゲンナリして、ますますマージャン・パチンコにのめり込んだのかもしれない。それでいてケンカをしたことがないというのは、これは問題を棚上げし続けた結果とも言え、仮面夫婦に近いかもしれない。前日の日記のように、私は年に何回か「良妻を目一杯演じ」て、その贖罪を果たしていたかも。夫は夫で、子どもと休みの日に遊ぶことが唯一の家庭サービスであり、ドライブ中に私を熟睡させることが贖罪行為だったかも。さて、こんな私たちは「いい夫婦」なのだろうか?多分、きっと、素晴らしい夫婦なんだろう。
2003年11月22日
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私は、年に何度か「良妻」を頑張る。それは、夫が職場の人達を連れてくる日と、夫の親族が集まる日。(それから、一ヶ月に何日かは「良きばあちゃん」になり、時々「良き娘」になったりもする)さて、今日は「良妻」を頑張る日だった。夫の職場の部下達が10人、さほど広くもないこの家に集まった。たてまえは「夫の手打ちそば賞味」の日であるのだが、蕎麦だけとは言うわけに行かない。定番の「天ぷら」を初めとして、若い人達(本日は若い人達メイン)のお腹が一杯になるようにと、朝から台所に立ちっぱなし。私は、料理が下手な方ではないらしい。しかし、決して料理が好きなほうではない。好きではないから、いかに手抜きをして、手抜きに見えないようにするかに知恵を絞ってきた日々であった。同時に、子育て中はずっと働いていたので、スピードも人には負けないようである。それでも、私は料理が好きなほうではないというのが、自分でも不思議なところだ。ということで、全員が帰宅して、台所の後片付けが終わったら、12時を過ぎていた。夫が「お疲れさん」と、布団を敷いてくれた。常々「パラサイト妻」として、好き勝手な毎日を送っているわけで、年に何度かの「良妻を演じる」ことで、私達夫婦のバランスは取れるのだから、ありがたいありがたい。本日のお客様は、本当に良く食べてくれた。それはそれで、気分爽快に近いものがある。たまの「良妻」もいいものだ。
2003年11月21日
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「国際テロ組織アルカイダと名乗る組織からロンドン発行のアラブ紙に16日、自衛隊をイラクに派遣すれば自爆テロは今後日本の首都、東京の中心でも起きると警告する声明が電子メールで届いた。フランス公共ラジオが伝えた」記事全文は下記http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20031117/20031117a3920.html あー、とうとうこんな脅しが来たか!バグダッドの日本大使館にも発砲があったようだし、いよいよ危険が身近になってくる気配。「テロに屈しない!」と威勢が良いのはいいけれど、イラクでの米軍の武装勢力掃討作戦をテレビで見ていると、どっちがテロなのかわからなくなってくる。武力勢力だけを選別して空爆できるわけもないだろう。あの爆弾の下では、罪のないイラクの人達が、どれほどの恐怖を味わっているだろうと思うと、たまらない気持ちになる。さて、「東京へのテロ」などと聞くと、私は理屈ぬきに「やめてくれー」の気持ちになる。東京の新宿には、私の大事な息子が働いている。決して「脅しだ」とか、「メールだから信憑性が・・」なんて捨て置けない。息子にもしものことがあったら、どうしてくれるんだ!もう、仕事なんてどうでもいいから、田舎に帰っておいでと親ばか丸出しでいいたくなる。私が息子達に望むことは唯一つ、「とにかく生きていて欲しい。私より先に死なないで欲しい」。もちろん、事故や病気などの不可抗力でどんなことがあるかはわからないと思うが、テロや戦争で殺されるのはイヤだ。小泉さん、どうしてもイラクに自衛隊を派遣しなくてはならない本当の理由を、私にもわかるように説明してください。
2003年11月19日
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千葉県我孫子市で、母親と祖母に虐待されて五歳の子が死んだ。(記事詳細は下記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031116-00000204-yom-soci この子は、保育園からの通報で2000年10月から今年1月までの間に計3回にわたって県柏児童相談所に一時保護されていたという。虐待の再発の可能性が高いこの家庭に対して、児童相談所が充分な訪問指導を継続していなかったことが、今更ながら苛立たしい。近年、児童虐待が急増しているため、相談所の対応が追いつかないという現実を見せ付けられる。それにしても、テレビで見る限り近所の人達は虐待の実態を知っていたにも関わらず、どうしてこのようなことになるのだ。それぞれの地域には、民生・児童委員がいる。普通、虐待が疑われるケースが生じた時には、児童相談所がコーディネーターになって、児童委員などがさりげない見守りを続け、必要と思われる時には児童相談所への通報や、地元の福祉事務所等の相談員が訪問するなど、親に対する牽制をしていくことがマニュアル化されているはずだ。今回は、それらのことが全くなされていなかったのだろうか。近所の人達も、そのような社会的ネットワークのシステムを知っていれば、自分が直接の関わりを持たなくても、児童委員への情報提供などという形で、この子どもを救う力になれたはずなのに。この世に生を受けて、たったの5年。愛してくれるはずの母親と祖母に虐待され、どんなに恐ろしく悲しいことであっただろう。少なくても、虐待を繰り返す家庭に子どもを戻す時には、再発を防止するために最大の配慮をしてほしい。そのためには、児童相談所のケースワーカーなどの体制を、もっともっと強化して欲しい。この国は、「少子化だ、大変だ」と言う割には、現実に生きている子供達を大切にしていないとつくづく思う。
2003年11月17日
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昨夜、NHKクローズアップ現代で「痴ほうの人・心の世界を語る」を、たまたま見た。46歳で若年性痴ほう症(アルツハイマー病)を発症したオーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんへのインタビューを軸に、痴ほうの人の「心の風景」をたどり、どのようなケアが望ましいのかを考える番組だった。クリスティーンさんの脳は、既に百歳をとっくに超えた状態で、重い記憶障害があり、日常生活は夫のヘルプが不可欠のようである。しかし、きちんと自分の状況や心理状態を語ることができ、表情もとても美しいことに、驚きと共に感動を覚えた。彼女の語る痴呆の人の心理状態は、私にはとても納得できるものだった。私の祖母は90歳の頃から痴呆が始まり、デイ・サービス→ショートステイ→特別養護老人ホーム→病院と、心身状態の変化に伴って環境が変わる中での辛い十年を生き、101歳で亡くなった。在宅でいるときの家族と本人の関係は、修羅場に近いものがあった。私は別に生活していたので、できるだけ実家に行って両親と祖母のヘルプをすることに努めたが、それにも限界があった。当時も、ある程度の痴呆に対する知識はあったので、いつも生活する両親にそれを伝えようとしたが、「一緒に暮しているものの気持ちが分かるか!」と怒り出すことが多く、それ以上のことを上手に話し合えもせず、間に立って実に辛かったことを思い出す。やがて、特別養護老人ホームに入ったのだが、ここからが祖母の本当の地獄の始まりだった。老人ホームへ通うのは、主に私の役目となり、最初の頃はホボ毎日通ったけれど、これまた本当に切ない日々であった。老いて特別な介護が必要になった老人の、ついの住処としてのホームであるはずだけど、プロであるはずの介護職員や看護士のはずなのに、老いてゆく切なさや悲しみ、焦りや怒りにパニックになる老人に対して、どうしてこのような態度ができるのかという人も結構いる。家族である私は、何度怒りに体が震えそうになったり、切なさにいたたまれず、見境なく祖母を連れて帰りたくなったことだろう。しかし、私もまた身勝手な人間であった。祖母を我家で介護するということの重さを考えると、どうしてもそこまではできなかつたのだ。だから、他人のことは言えないのだけれど、それだからこそ一層、その職で働く人達にはプロになって欲しい。祖母は、クリスティーンさんのようにきちんと語ることはできなかったけれど、日々祖母と接し、祖母の表情を見ていた私には、祖母の悲しみや苦しみ、不安や焦りはよくわかった。その日の状態によるけれど、かつての元気だった時のように、忍耐強く理性的で、そして周囲への思いやりを持っている祖母は、最後まで健在だったと思う。最期の日、私は祖母の最後の食事介助をした。その頃はもう、言葉で話すことはできなくなっていたけれど、私の話しかけに耳を傾け、ちゃんとわかっているよと目で合図してくれる祖母がいた。「また、明日来るからね」と、枯れ枝のような手を握った私をジーッと見詰めて、ギュッと私の手を握り返してくれたその手のぬくもりを、私は決して忘れないだろう。祖母はその手を、なかなか離そうとはしなかった。きっと、それが最期の別れになると、祖母はわかっていたのではないか。それから二時間後、病院からの連絡で駆けつけた私を待っていたかのように、祖母は眠るような大往生を遂げた。私は確信する。どんなに痴呆が進んだとしても、人としての感情は決して衰えないのだということを。寝たきりで反応がなくなっているかのように見えても、その人の意識や感情は常に動いているのだということを。ただ、それを表現できなくなっているだけなのだから、そのことを肝に銘じて周囲の人は接して欲しい。私は、自分がボケていった時に、「何も分からない物体」のように扱われるのだけは、死んでもイヤだと思う。
2003年11月14日
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苫小牧市の住宅地から海岸にかけて、熊が散歩しているらしい。親戚が苫小牧に住んでいるので、出没している場所はよくわかるのだが、あんなところをウロウロするなんて、道産子の私もビックリしている。冬眠の時期を控えて栄養を取らなくてはならないのに、山には食べ物が少ないのだろうか?まだ見つかってはいないようだが、熊も焦っていることだろう。早くもとの住処に逃げ込むことが出来ればいいのだけれど、住宅地に近い場所でハンターに見つかったら、射殺されるに決まっている。それにしても、人間の危機管理能力が低下しているのは理解できるが、熊もそうなのだろうか。人間が山に投げてくる食べ物を食べるようになって、人間への警戒感が低下しているのかもしれない。それとも、自然の恵みよりも人工的な味の方に惹かれるようになっているとか・・。いくら人間に親近感を持つようになろうとも、熊は間違いなく野生の獰猛な動物である。はやく見つからなければ、近くに住む人達はどんなに不安なことだろうと思う。蛇足であるが、私は生まれも育ちも、そして現在も熊出没の可能性のあるところに住んでいるが、幸か不幸か、野生の熊に出会ったことはない。
2003年11月12日
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「マニフェスト」を連呼した民主党は、作戦成功と言って良いのかも・・。結果を見ていると、お昼のワイドショーでも誰かが言っていたが、結構日本人ってバランスを取るんだなとまず思った。あまり激しい変動は望まない国民性があるのかもしれない。かく言う私だって、主義主張よりバランス優先の投票行動をしたと言えるかもしれない。私の選挙区は、元来自民党がとても強い所なのだが、今回はいつもの自民党候補者が辛勝はしたけれど、今までの状況と比べたら負けたと同様の結果。従来は所属する組織の影響を強く受けていた選挙民が、今回は自分なりの判断での投票をしたことが想像される。それにしても、戦後二番目の投票率の低さはどういうことだ。政治家や政治にブツクサ言うならば、投票くらいしてからにしてよと言いたい。それとも、投票に行かない人達は、それなりに現状に満足しているのだろうか。選挙の時にいつもイヤだなーと思うのは、「土下座する候補者」。きっと、何年に一度だけなりふり構わず土下座して、当選したら有権者に土下座させているんじゃないかなんて思ったりする。土下座姿を見て感動して投票する人って、いるんだろうか?禊が終わったと、何かの問題で離党した人が復党することもよくある。なんだかなあ・・、という感じである。それから、いつも「無駄だなー」と思うのが、同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査。本当に考えて×をつける人って、国民の何パーセントいるんだろう。ちなみに私は、もう随分昔から棄権している。何かの時に(もう何だったか忘れたけど)、こいつは納得できないという最高裁判決があって、その時だけ×をつけた。人に聞くと、白紙で出したり、みんな×にするといったり、いい加減な人がほとんどだ。この仕組み、何とかして欲しいとずーっと思っているのだが、議論になっているのかいないのか・・。とにかく、選挙は終わった。政権公約の行方を、気をつけて見ていなくてはならないのだけど、私自身やがて忘れてしまいそう。
2003年11月10日
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私はコスモスの花が好きなので、春の雪解けと同時に昨年取っておいた種を庭の片隅に植えました。種は順調に芽を出し、やがて夏になると次々と花を咲かせ始めました。(この地方では、コスモスは夏から秋にかけて咲くのです)背丈が低いうちに咲き始めるコスモスもあれば、ある程度背が高くなって咲き始めるものなど、見ているとコスモスにもそれぞれ個性があります。でも、その中に、とても元気に葉は茂っているくせに、ぜんぜんつぼみをつけないものが二株ありました。他の花達は、次々と花を咲かせ、やがて役目を終えたように枯れていくものまで出て来はじめた頃、私は花がないコスモスを見ながら、「おまえは、花を咲かせずに葉っぱだけで終わってしまうの?」と、少々哀れんでおりました。せっかくコスモスに生まれながら、ピンクの花の一輪も咲かせずに終わるなんて、寂しいことだと感じていたのです。でも、花を咲かせずともこのように元気に生き抜くという姿に、また何かを教えてくれるような気もしていたのです。ところが・・・一ヶ月ほど前、何と葉の影に小さなつぼみがいくつもついているではありませんか。それを見つけた時、私は思わず「おー、やったねえ。とうとう花をつけたんだねえ。偉い偉い!」と、そのコスモスをメンコメンコしてあげたい気持ちになりました。でも、いつ霜が降るか分からない季節に入っているので、とにかく一輪でも花を咲かせるまではガンバレという気持ちでした。半月ほど前、その二株のコスモスは、やっと可憐な花を咲かせました。ピンクと白の二種類でした。他のコスモスたちは、ほとんど花も終わりかけの中、この二株は「これからが私達の出番よ!」とばかりに、次々と花を咲かせ始めたのです。今も、この二株は生き生きと花を咲かせ続けています。私の願いが通じたのでしょうか、まだ霜はダメージを与えるほどには降っていません。毎日このコスモスを見詰めながら、同じ土壌・同じ気候の中で、同じような種から育てたのに、このように遅咲きのものもあるということに少し感動しています。植物ですらそうなのですから、人間ならばなおさらでしょう。私たちは子どもたちに、「這えば立て、立てば歩けの親心」で、次から次へと成長を促しているように思いますが、いくら成長を促そうと、時期がこなければどうにもならないということが多いはずです。人それぞれの成長のペースを無視してしまっては、その人の伸びようという芽を傷つけることになるでしょう。そんなことは既に知っている積りの私でしたが、このコスモスたちにもう一度教えられたような気がしています。
2003年11月09日
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しばらくバタバタしていたので、あまりキチンとニュースを見たり考えたりしていなかったのだが、西安市の留学生のことでは、中国の大学生が妙にエキサイトしたらしい。どうしてこういうことになるのだろうと、とっても不思議な気がする。当の学生が非難されるのは仕方がないにしても、無関係の学生たちにまで暴力をふるうことはないだろう。それほどまでに、反日感情があるのだろうか。昨年ツアーで中国を旅行して、西安市にも行った。全般的に中国での印象は、日本人から儲けてやろうという感じを受けることが多くて、なんだか気分が良くなかった。(私たちは、気前良くお金を落として歩くタイプではないので)さらに、歴史的な遺跡や建物も、お金を得るための道具にしているような感じで、先人からの賜物への敬意が感じられないことが多く、中国も何だか危ういな・・という感じがしたことを思い出した。(もちろん、兵馬俑や万里の長城などには感動したけれど)中国人を日本人留学生が侮辱したというけれど、中国人自身がどれほど自分の国への本物のプライドを持っているのかと、少しばかり首を傾げてしまう。もっとも、あれほど沢山の人口を抱えているのだから、中国人だって色々だろう。(日本人も、色々だし・・)だけど、日本よりは知的エリートであるはずの大学生が、あのように簡単にデマに乗ってしまい、群集心理的に暴動に近い行動に走ることには、おバカな日本人留学生同様に憂慮してしまう。ふと、文化大革命の時の「紅衛兵」を連想してしまった。そしてまた、日記リンクしている七詩さんも書いているけれど、外務大臣のコメントも片手落ちだ。中国人留学生の一部が、日本においていただけないことをしていることに対して、中国の政府は遺憾の意を表していたっけ・・?
2003年11月07日
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昨日の疲れのせいか、朝から頭痛がしている。なのに、本日は乳児検診会場でのボランティアの当番の日。今朝になって別の人に変わってもらうわけにもいかないので、自分を励まして会場に向かう。検診会場では、赤ちゃんが検診を待っている時間を利用して、絵本の読み聞かせなどをするのだ。文字は当然読めない赤ちゃんでも、絵本には興味を示す。絵本を通しての親子のふれあいの時間を少しでも増やし、小さい頃から想像力や集中力、言葉でのコミュニケーション力を高めるお手伝いをしたいということでの、ボランティアである。ボランティアメンバーのほとんどは、読み聞かせなどをしているグループの人達なのだが、私は個人的に参加している。元気な時なら、赤ちゃんと一緒に遊ぶのは楽しいことなのだが、何せ今日は疲れていて頭痛がしているのが辛い。赤ちゃんと遊んでいる時は忘れているのだけれど、ちょっと空白の時間があるとズキズキを感じるのが不思議。悪いことに、午後からのメンバーが少ないというので、結局午前と午後付き合うことになってしまった。それでも、私の身体はとても丈夫で優秀らしく、調子が悪かろうと、それをあまり感じさせずに乗り切れるタイプ。なんとかかんとか無事終了して帰宅したのだけど、家に帰りつくなり頭痛は「ズキズキ」から「ガンガン」になってしまった。もう我慢ができずに、頭痛薬を服用。30分後、少し痛みが治まったので夕食準備ができたのだが、食後にまたガンガンが始まった。ふと気付くと、肩がバンバンに張っている。電動肩たたき機でしばらく肩を叩いてみても、ちっとも楽にならない。仕方がないので、夫にお願いして肩を揉んでもらう。最初は全然痛みも感じなかったけれど、次第に「効くー」という感じなり、やがて「イタッ!」と感じてきた。痛いのに肩が軽くなるのって、とっても不思議だ。あー、肩を揉んでくれる人がいるって、本当にありがたい。久しぶりに(?)、夫に心から感謝したことだった。
2003年11月06日
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某研修会で事例発表をするため、前日のパソコン疲れを引きずって、電車に乗るために駅へ急いだ。ホームのベンチで電車を待っていると、目の前を顔見知りの少年が歩いていく。あれ・・と思いながら、「○○君!」と声をかけると、「あー、□△さん・・」と寄ってくるなり、「もう、ダメ・・」と顔が歪んだ。・・・・それからの約40分近く、電車の中で色々彼の話を聞いた。「人の一生は重き荷物を背負って歩くが如し」と誰かが言っていたが、若くても(いや、まだ子どもの部類だ)色々な荷物を背負わされて生きなくてはならない人がいる。私も時間のゆとりがないので、とにかく話を聞いて少しでも彼の心の荷物を軽くしてあげたいと思ったのだが、聞いたとしても私の手助けできることはほとんどないのが現実。「私にできることがあったら言ってね」と別れたのだが、その言葉の虚しさもまた感じている。・・という心の疲れを上塗りして、研修会場へ。こちらの方は、・・まあ、こんなものだろうという感じ。事例発表となると、やはりそれなりに「こうやっています」という感じにならざるを得ない。言葉では一言で終わってしまう背景に、悩みや不安や失敗や恥が渦巻いているのだけれど、限られた時間ではそのようなことには触れずに終わってしまうのが常。でも、発表後のフロアからは、色々な質問やある種の批判も相次いだ。他人のことであれば、質問などが出る発表は、それだけ聞いている人にある種の刺激を与えているという意味で、「良い発表だ」と思う私なのだが、まな板に乗っているのが自分自身となると話は別になってくる。手が上がるたびに「ビクッ」とヒビリ、(どうかうまく答えられる質問でありますように・・)と祈る気持ちになる。そして、やっとのことでそれが一段落したら、(どうか、もう手が上がりませんように)と願ってしまう。やっと時間がきてお役ご免になった時は、ドッと疲れてしまった。知っている人や見知らぬ人の何人かに、「良かったよ。本当にお疲れ様」と声をかけられて、とにかく責任は果たしたという安堵感が、やっと心を落ち着かせてくれた。本当はさっさと帰宅してバタン・キューと布団に入りたいのに、何とこの日は、もう一つ夜の会合に出なくてはならなかったのだ。時間に間に合うように大急ぎでそちらに移動。こっちの方は参加しているだけでいいのだけれど、とにかく沢山の人達と顔を合わせ、それなりの会話をしなくてはならず、途中からは頭痛を耐えながら無理やりの笑顔を作り続けていたという感じ。やっとのことで帰宅したのは、九時過ぎ。・・と、そこに留守電が・・・。嫌な予感があったので、できれば無視したかったのだが、緊急かもしれないとやはり電話をしてみた。やっぱり予感どおり、あまり良い電話ではない。とにかく善後策での電話のやりとりや、関連のある人にメールを出したりなどで、お風呂に入れたのは十時過ぎ。最近まれにみる、とても疲れた一日だった。
2003年11月05日
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