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キツネにだまされる人もいなくなりました。そして昔から、外国からの訪問者は、キツネにだまされなかったと言います。キツネにだまされる日本人。それは日本特有の自然観が原因のひとつ。日本では「自然」は「ジネン」と読まれていました。ジネンとは、オノズカラ(自ずから)。つまりジネンは、「我」との境界のないあるがままの世界。今でも「自然にそうなる」,「自然の成り行き」などの表現に、その名残が残ります。海外から持ち込まれた「自然」は「ジネン」ではありません。人々は「自然」の翻訳に困ります。そして明治の後半、ようやく「自然」は「シゼン」と読まれ始めました。「シゼン」と読むことで、日本人も変わりました。自然は「自ずから」ではなく、自然との対話も失われました。キツネと通い合った心も失い、キツネは単なる動物になりました。そして我の外にある自然を破壊し始めました。私たちが失ったものを、取り戻さなくてはなりません。今回の選挙は、大きな変化点になるでしょう。その結果もたらされる未来が、「自然の成り行き」、「ジネン」であることを願います。決して、キツネ、いえ、タヌキにだまされませんように。【参考】 内山節,日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか,講談社現代新書,2007年,128P
2009.08.30
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肉食により広まる狂牛病。共食いが狂牛病と言われています。特に親族の共食いが悪いとの説も・・・。まだ研究中ですが、怖い話。少なくとも飼料への肉の混入中止で、狂牛病が沈静化したのはたしかです。動物のみが持つ脳の神秘。狂牛病と脳の神秘。せっかくの脳は、奇病の原因追求や抑制に使いたいもの。自然が回避している共食いを、人が強制して奇病を生み出すのは論外。コンビニ弁当の肥料化が良いのではとの声。そのとおりと思いますが、土壌汚染や土壌中の細菌も何を起こすか分かりません。食糧不足の折に、捨てる食品が多量にあること自体が問題ですね。リサイクルの安全性は、より真剣に論議されるべき。それを阻むのは、リサイクルにまつわる利権。エコに便乗した商売が、リサイクルを誤った方向に向かわせています。*東京都美術館の「トリノ・エジプト展」に行きました。門外不出のツタンカーメンに注目。宗教改革に失敗したツタンカーメンに思わず同情。大型木棺や彫像の展示もなかなかの迫力です。ミイラの展示はちょっと不気味ですが。東京都美術館にしては空いていて、ゆっくり観ることができました。「海のエジプト展」と重なるからかもしれませんが、今はねらい目です。気がつけば誕生日。まったくめでたくもありませんが、それでも今日のよき日に感謝。月日の流れは、早いものですね。【日記】 そのもの 食べるべからず ―狂牛病―
2009.08.29
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なぜ狂牛病は、沈静化しているのでしょうか。世界を震撼させた狂牛病。その恐怖は終わっていませんが、耳にすることも減りました。脳が海綿化する狂牛病。人に感染し、クロイツフェルト・ヤコブ病として恐れられたにも関わらず。狂牛病の原因は、その餌と考えられます。飼料に骨肉粉を混ぜて与えた牛から、狂牛病が発生したため。草食の牛の飼料に、屠殺した牛肉などの肉を混ぜる。それは、人が強制した牛同士の「共食い」でした。ニューギニアの人の風土病に、クールー病がありました。これも狂牛病に似た症状の病気。その原因は、家族が故人の肉を食う、食人の風習が原因でした。共食いにより、起きる脳の海綿化。それが狂牛病や、クールー病の原因。そして病気の直接の原因は、異常プリオン蛋白。異常プリオンの発生が、共食いにあるのと考えられています。飼料への屠殺肉の混入が原因と考えられた狂牛病。事実、狂牛病の発生は、飼料への肉の混入中止で激減しました。しかし根絶されてはいません。先日、日本では賞味期限切れの食品の廃却が問題と書きました。今、リサイクルの名のもと、コンビニ弁当等を家畜の飼料にする計画が進んでいます。牛肉が牛の餌に、豚肉が豚の餌に、鶏肉が鳥の餌となろうとしています。リサイクルの名の下に進むのは、繰り返される「共食い」の悲劇。恐れなくてはなりません。また、新たな狂牛病が、生まれるかもしれないのですから。あの“世界を救う”、リサイクルの名のもとに。【畜産技術協会 報告】 「食品廃棄物を利用した豚の飼育試験」
2009.08.27
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今年、私は家ではほとんどエアコンを使わずにすごしています。思ったほど大変ではなく、ほんのわずかな我慢です。しかし本来は、室温を空気の入れ替えなどで調整しやすい家作りも大切です。生ゴミを新聞で包んで捨てると良いという情報もありました。食品の廃却は、とても大きな問題を秘めています。紙の消費など、エコの考え方は様々です。リサイクルの是非も意見が様々。このエコの考えについては、後日、また補足したく思います。エコの問題は、必ずしも真実が広められていないこと。エコの名を借りた行政のバラマキ、企業の利権が絡みます。これからもリサイクルの賛否などを考えたく思います。まずは明日の話題は、食品の廃却について。少しショッキングな話題になります。***今は特に忙しく、皆さんへのコメントができず、すみません。昨日、ご訪問、応援だけとなりました。また挽回したく思いますので、ご容赦を。【日記】 悲鳴に 耳を傾け ―エコ数学―
2009.08.26
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エコロジーについて、数値で考えましょう。【紙】私も反省しなくてはなりませんが、日本人の紙の使用量は世界第4位。一人当たり年間247kg。世界平均58kgの4倍。【食料】賞味期限切れなどで捨てられる食料。日本の食品廃棄物は年間2100万トン。これは日本人の3000万人分の年間食料に匹敵します。家庭では作りすぎが、商品廃棄の最大の原因。【電池】日本の乾電池の廃棄量は、年間44億個。繰り返し使える充電式電池の活用が望まれます。【気温】もし東京23区の40%の面積で打ち水すれば、気温は2℃低下。もちろん打ち水は、風呂の残り水などで。【エアコン】エアコン設定温度を1℃下げれば、1世帯だけで500mLペットボトル1万3千本分の二酸化炭素を削減できます。【森林・水】森林の減少。このままでは、世界の熱帯雨林は100年後には消滅するペース。今も世界の1/4の面積で、砂漠化の影響が深刻。地球上でわずか0.76%しかない、飲用可能な水も減りつつあります。【絶滅のシナリオ】100年以内に、1万6000種の生物の絶滅が予想される現在。もし日本人と同等の生活をするなら、地球は18億人の人類しか支えられません。現在67億人の世界人口は、2050年には92億人へ。地球はまさに、人類に蝕まれ、悲鳴を上げています。やるべきことはあるはず。たとえわずかなことでも。それが、地球を、無数の命を救うのだから。 【参考】 左巻健男,地球を救うエコ数学,小学館,2008年,127P
2009.08.24
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藍に負けないように。先日の日記は、ミーコ0204さんのリクエストでした。お店の情報もありがとうございました。LimeGreenさんから、藍とインディゴの情報を頂きました。藍はタデ科、インディゴはマメ科とのこと。もとになる植物が違います。またいずれもインジゴが水に溶けないので、発酵などの工夫で水溶性にしています。藍に愛を注ぐ。注ぐのは酒ばかりではなく。藍も酒も水が大切とのご指摘、もっともです。お酒は赤くなるほうが、飲み過ぎなくて良いという声。猩々も赤くはなるのでしょう。夏の夜は、とても静か。そんな夜は、静かにお酒を頂きます。あの手強い藍に、負けないように。*今日、この曲に出会いました。私は芸能界に疎く存じませんが、このかたは有名なのでしょうか。とても素敵な歌声が印象的でした。【オフィシャルサイト】 KAORI 「君の待つ場所へ」*【日記】 ぐるぐるに まどわされ ―どんぶり―
2009.08.22
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藍は酒好き。間もなく、徳島の阿波藍の?(すくも)づくりが始まります。?とは、藍の葉に含まれるインジカンを発酵させた作ったインジゴ。インジゴは、染液となります。それは、9月上旬の大安の日。葉藍を寝床に入れ、水を振りかけます。5日ごとに振りかけ発酵させるための水は、消毒した水道水ではできません。良質な井戸水を使います。発酵を始めた藍で、寝床の温度は70℃。さらにアンモニアが充満し、目も開けられません。その暑い部屋で、繰り返し藍を交ぜ返さなくてはなりません。気温の低下や水のかけすぎで、止まる藍の発酵。その時は、日本酒を何本も振りかけ、発酵を回復させます。藍の機嫌は、お酒でとらなくてはなりません。12月の初め、発酵を終えた藍は?に変わります。しかし?のインジゴは、水に溶けません。さらに藍建てにより、?を発酵、水に溶けるように変えます。藍建ては、甕の中で行われます。甕の中に加えるのは、?、石灰、麩(ふすま)、灰汁、そして日本酒。この藍建てが終われば、染色に使う藍ができます。藍建てでも、20kgの?は、1200ccの日本酒を飲み干します。?づくりに、藍建て。藍は多量の日本酒を飲み干します。お酒を飲むと、顔が赤くなる私。そんな私には、酔えば酔うほどに青くなる藍が、うらやましくてなりません。【参考】 田村善昭,日本の藍,日本放送出版協会,平成6年,119P
2009.08.22
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話題は、雷になりました。先日の日記は、アラブの大富豪さんのリクエストでした。雷文は中華のイメージという声。ラーメンを思い出すかたが多くみえました。雷のエネルギーに、パワーを感じるかたも。車で雷に打たれた私は、縁起が良かったのでしょうか?【過去の日記】 コパンダは 電気うなぎの夢を見るか? ―感電―東西共通の模様、面白いですね。メアンダーは陶器の模様。ウェッジウッドのダイナスティの中でも、昨日の柄は新しく思います。雷の家紋、謂れがあるのでしょうか。*昨日は、NHKテレビで「秩父山中 花のあとさき」を見ていました。再放送らしいものの、とても良い作品でした。皆さんも、機会がございましたら、またご覧ください。【日記】 ぐるぐるに まどわされ ―どんぶり―
2009.08.21
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どんぶりに描かれた渦巻き模様。ぐるぐると、どんぶりの縁を飾る渦巻き模様。あの渦巻き模様は、雷文と呼ばれます。雷文は、その名のとおりの稲妻模様。どんぶりの雷文は、縁起のよい模様。落雷の場は、陽と陰の重なる縁起のよい場所。左下のウェッジウッドにも、雷文が使われています。これに似たのが、ギリシア雷文のメアンダー。旧石器時代の土器の模様として始まり、ギリシアの幾何模様になりました。中央下のブレスレットも、メアンダー模様。過去から、世界の人をとりこにした渦巻き模様。その模様は、今も商品を彩り、ひたすらに人を惑わしています。
2009.08.19
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少し忙しくしています。今日も遅くなり、ご訪問できずすみません。また後日ご訪問いたしますので、ご容赦ください。
2009.08.18
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高価な菜種油を、夜店で使うことができた理由。夜店は大阪が発祥の地。しかしこの夜店は今の様な露天ではなく、しっかりした店舗に灯をともしたものでした。つまりは夜も開いている店。この夜店に、河内から多量の油が供給されました。またたしかに、少し前まで夜店はカーバイドでした。私も指摘でカーバイドを思い出しました。カンテラが懐かしいという声も。夜店はちょっと高めですが、お祭りですから。行灯と蝋燭はどちらが昔かとのご質問。調べてみますと、行灯の普及は江戸時代。蝋燭は古代エジプトからあり、日本では奈良時代とのこと。少なくとも普及では、蝋燭が古くなるのでしょう。明かりの大切さは、停電で実感します。それ以外では、街に明かりがあふれていますから。インドの夜は、アーク灯が主流との情報も。灯で、鬼灯(ほおずき)を思い出されたかた。この字をすぐに思い出されるのは感服します。灯篭流し、最近は環境問題で流せなくなり、残念です。農業のあり方、少子高齢化社会も考えると、とても重い問題です。自給自足ができないのは、消費が過大との声。それも大きな理由と思います。おかげさまで、27万アクセスを超えました。最近は、特に皆様のコメントに支えられています。どんなことでも、ご気軽にコメントください。これからも、よろしくお願いします。【日記】 揺らぐ灯に 昔を偲び ―夜店―
2009.08.17
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お祭りに欠かせない夜店。祭りに賑わいを添える夜店。夜店には、多くの灯を必要とします。今では発電機などで灯を得ることができますが、昔は容易ではありませんでした。灯に必要な菜種油。菜種油が農村から多量に供給されることで、灯を得ることができました。農村の発展あっての灯、そしてお祭り,夜店でした。現代も食糧自給から、農村の活性化が求められています。そして油不足は、今日でも深刻な問題です。農村の活性化,油を始めとした自給自足。昔できたことが、今はできなくなりました。揺らぐ灯で昔を偲ぶ夜。今日はお盆の夜だから。
2009.08.15
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さすがに知名度の高いチキンラーメン。油で揚げる工程は、味にも影響するでしょう。最近は食べていないというかたも多く見えました。インスタントも種類が増えましたから。都こんぶの窓はまだあるかとの質問。確認しましたが、まだ窓はありました。ちびっこなどのリンク先のご紹介、ありがとうございました。もう発売から50年経つわけですね。ちょっと悲しいチキンラーメンの思い出もありました。そのまま食べることができるのも、チキンラーメンの魅力。もっともそのまま食べる商品は、細かく砕けていますが。CMの効果もあり、玉子を入れて食べるかたも。玉子を入れてもずれないようにくぼみがあるのは知りませんでした。消費者の声を聴くことが、ヒット商品の秘訣。ただし便利さとともに、食中毒などの安全性の考慮は必要です。便利さと安全性の考慮では、今の高速道路の復旧でも問題となっていることでしょう。復旧を急ぎすぎて、事故がないことを願います。【日記】 わすれものは なんですか? ―チキンラーメン―
2009.08.14
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日清のチキンラーメンの秘密は何でしょう。お湯を注ぐと、すぐに食べることができるチキンラーメン。麺がすぐにもどる秘密は、その麺の乾燥法にあります。チキンラーメンは、麺を油で揚げて乾燥させます。その結果、麺の表面にできる無数の細孔。その細孔にお湯が入り、すぐに麺がもどる訳です。また昔のチキンラーメンの袋には、透明な部分がありました。中味を消費者が確認できることで、安心感を与えていました。その透明部分は徐々に小さくなり、今では透明部はありません。中味を見なくても、消費者からの十分な安心感を得たからです。袋に描かれたキャラクターも変わりました。昔の男の子のキャラクター「ちびっこ」から、今のひよこの「ひよこちゃん」に。ひよこちゃんは、歌とギターが特技で、演歌もロックもこなすそうです。すぐに食べることができる麺。中味が確認できる安心なパッケージ。常に消費者の立場で開発されたチキンラーメン。消費者の心を知ることで、大成功した商品。様々な商品の販売不振に悩む現在のメーカ。もう一度、消費者の心を考えなおしてはどうでしょうか。チキンラーメンを食べながら。
2009.08.13
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霊を意識する夏。恐山の最果てというイメージ。それが異界との接点を思わせるのでしょう。恐山はいつかは行きたいと思います。カタカナガ、コワクカンジルノハ、ナゼデショウ・・・。マックス爺さんのイタコのコメントが、とても参考になりました。沖縄の「ユタ」と、青森の「イタ」は通じているとか。「ユタ」と「イタ」は同じ意味で、「コ」は沖縄では「グァー」。そして「ユタ」は沖縄では、「ユタグァー」と呼ばれるとのこと。一方で、「ユタ」の訪問による商業化問題も知りました。イタコのシャーマン的能力、修行と才能が必要なものでしょうね。潜在的にでも、いつまでも消えないものかもしれません。民間信仰も、なくなりはしませんから。科学は分かるほどに、不思議なことが出てきます。量子力学などは、まさに神秘の世界です。地震の予測は、まだ不十分。今回の地震の被害、皆さんは大丈夫でしたでしょうか。まだ余震が心配です。お気をつけてください。【日記】 キエテユク ヒトノオモイ ―イタコ―
2009.08.12
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占いを越えて、イタコに想う。死者の口寄せをするイタコ。現在では、青森県の恐山が有名です。しかし江戸以前には、青森,岩手,秋田に広くイタコはいました。20種の経文、祭文、呪詞を習得してイタコになるには、4~5年の修行が必要でした。その間、イタコの両親は、師匠の生活費まで負担しなくてはなりません。イタコの修行には、大きな経済負担が強いられました。しかし一人前のイタコになれば、状況は変わります。村々の病気の治療や祈祷、吉凶占いに引っ張りだこ。米一升と祈祷料が支払われ、イタコは家に米や銭を降らすと言われました。現在、イタコは恐山にしかいません。皆、高齢になり、イタコを志望する人もほぼ皆無。このまま、イタコは消えてゆくのかもしれません。私は人の神秘を求める気持ちが、愛おしくてなりません。神秘を糧に、夢見る想い。それが、そこにあると、思うから。
2009.08.11
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海水浴に長く行っていない人は多いですね。クラゲに刺されたことのない人も多いですね。アンドンクラゲは、私は見たことがありません。クラゲを見たら、泳ぐのはやめるべきですね。オーストラリアの殺人クラゲ!怖いですね。エチゼンクラゲ、今年はどうなったことでしょう。エチゼンクラゲの食用化計画、その後は?海のクラゲより、中華クラゲが好きというのは私も同感です。潮の流れで、集まるクラゲ。浜に打ち上げられたクラゲ、哀れですね。生き方を楽しむには、自主的でなくては。クラゲの様に流れるままではなく。大雨の被害が広がっています。私も道の冠水などで、怖い地域も見ました。これから関東の方も、お気をつけください。【日記】 痛い お仕置き ―クラゲ―
2009.08.10
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今日は移動があり、この時間になりました。皆さんのブログを拝読し、応援していますが、コメントは残す時間がありません。ご容赦ください。
2009.08.09
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海水浴の季節です。海水浴の時期、クラゲの被害も気になります。夏に毒性の強いクラゲの上位は、ハブクラゲ,アンドンクラゲ,カツオノエボシ。ハブクラゲがいるのは、沖縄の海。普段は、あまり会わないでしょう。アンドンクラゲは、日本周辺ではお盆のころ多量に発生。傘が3cmで見えにくいので、注意が必要。カツオノエボシは、綺麗ですがご注意を。アカクラゲに刺されることは、よくありました。しかしアカクラゲは、見つけやすくまだ安心。お盆以降に、泳いだときのこと。多量のクラゲの群れに泳ぎこみ、全身を刺されてしばらく跡が残ったこともあります。群れから逃げようにも、手足を動かす毎にクラゲに刺され、それは大変でした。透明なウリクラゲの群れと思っていましたが、調べるとウリクラゲは毒がないとか。あれがアンドンクラゲだったのでしょうか。皆さんも、お盆を過ぎてからの海水浴にはご注意を。【参考】 並河洋,楚山勇,クラゲガイドブック,ティービーエスブリタニカ,2000年,118P
2009.08.08
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なぜ死ねのかについて、コメントをまとめます。思い出がある限り、魂の死はない。倒木の様に、命を育む。純粋な命の連鎖。世界が有限である限り、次の生のために死がある。死によって、魂を得る。輪廻転生、死は終わりではない。理解し難い鳥葬も、命の転生を願っている。死と均等になるように、生がある。生きたいから、生きている。次世代に、知や慣習などの肥やしを残す。老衰と病死では、死の捕らえ方も異なる。意味深い、「新しい葉に、いのちを譲って」の詩。行動学、宗教など、死には様々なものが絡む。生まれた瞬間から、死に向かって生きている。死を包括したものが生。人の存在のすべてが、後へのバトン。死を考えるより、生きることに懸命でありたい。受け継いだ生を、前向きに受け止めてゆきたい。分かっていても、拒否したくなる死。死を当然として、如何に生きるかを追求。この世が地獄でなくなれば、安心して旅立てる。見習うべき、植物の生き方。種子も鳥などに運ばれ、遠くまで広まってゆく。知や心の財産も受け継がれてゆく。そしていつしか、死を冷静に受け止める。**皆さんのコメント、とても深く考えさせられました。答えはひとつでは、ありません。自分なりの答えを、見つけたいですね。【日記】 われわれは なぜ死ぬのか -零の発見-
2009.08.06
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まず、皆さんにお詫びしなくてはなりません。昨日の「死」の日記は、私にとって実験的な試みでした。少し前から、私は隔日で日記とそのコメントの回答を掲載しています。その理由は初めは、私の体調の都合でした。しかしその中で、気づくことがありました。皆さんのコメントが日増しに豊かなものになり、私の日記以上に価値のあるものになってきていることに。ブログは当初は、個人の意見や主張を述べる場であったと思います。私は今でも、個人の意見を述べています。しかし、現在、ブログはご訪問者の皆さんの、意見交換の場になりつつあるのではないでしょうか。それが試したくて、あえて皆さんの意見が聴けそうな日記を掲載しました。あえて文体も、いつもと変えました。そしてその結果は歴然として、ブログの変化を確信することができました。これからは、ブログはまさに意見交換の場になることでしょう。そのための、実験的な日記、ご容赦頂ければ幸いです。ただし、そのためにコメントが書きづらくなることは懸念しています。お忙しいとき、書きにくいコメントがあることは、私も身を持って感じています。コメントは、自由に思いのままに、記入くださいますように。*何のために死ぬのか。ひとつ、補足したく思います。あたかも不死のDNAを後世につなぐことが、死の意味と受け止められる日記を書きました。しかし私の本意は、それだけではありません。今まで、私は多くの偉人の伝記を日記に書きました。それは偉人の生き方に、学ぶものがあると思うから。その時、偉人の生きた価値、そして死の意味は何でしょうか。私たちは偉人から、DNAを引き継いでいるわけではありません。それにも関わらず、偉人の生き方、死に様は、私たちにとても価値のあるものです。偉人から引き継いだもの。それはDNAではなく、その思想、想い、そして生き様、死に様そのものなのです。彼ら、彼女らは、何のために死んだのか。その答えを、私たちはもう既に得ているはずです。***昨日は帰宅が遅くなり、皆さんへは足跡、応援ぐらいしかできませんでした。またこの日記が長くなりすぎましたので、「零の発見」のコメントについては、明日にあらためて日記で掲載いたします。今からでも、追加のコメントがあれば、お願いします。【日記】 われわれは なぜ死ぬのか -零の発見-
2009.08.05
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夏だから、死について考えたくなる。私たちの体を作る体細胞。体細胞には、死がある。能動的な死の、アポトーシス。受動的な死の、フリーラジカルによる酸化。決定的な死のメカニズムは、いずれかは分からない。生殖細胞には死がない。DNAを介して、そのコピーが連綿と引き継がれる。私たちの体細胞が滅びても、そのDNAは末永く引き継がれる。数学の大発見に、「零の発見」がある。零を知ることで、人類は数学に真理を見出した。まだ私たちは、生命の零である死の仕組みを、理解してはいない。「生命の零」を、まだ発見してはいない。しかし、気がついているだろうか。植物は枯れるときも、悲しみはしない。むしろ種子を残すことに、惜しげなく全生命を使い果たす。枯れる植物は静かだが、花を咲かせ、種子を残す植物は躍動感に満ちている。静かな死には、次世代への希望が託されている。死は決して、「生命の零」ではない。次の世代の夢を拓く、あらたな旅立ち。もう答えが、見出せたのはないだろうか。われわれは、“何のために”死ぬのか。***【過去の日記】 以前、こちらの日記で、「寿命」についてまとめました。少しずつ 死に向かう生き方 ―酸素―【参考】 柳澤桂子,「われわれはなぜ死ぬのか」,草思社,1997年,222P
2009.08.04
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夏は幽霊。幽霊より、見知らぬ人が怖い時代ですね。足に対する美学も変わりました。心中せざるを得ない制約がなくなったことは、現代の数少ない良い点です。枕元の幽霊、足元の幽霊。どちらも出会ったことはありません。女性と猫は化ける。それについてコメントすると、祟られますのでご容赦を。出会いのお話を少々。先日、ある賞を頂き、常陸宮様と記念撮影しました。普段は身近にお会いする機会はありませんが、とても親しみやすい印象でした。常陸宮様は報道関係者以外撮影禁止ですので、公式の記念撮影のみ。ここで公開することもできませんので、あしからず。梅雨明けの地域も増えました。まだ雨の日もありますが、素敵な休日をおすごしください。 【日記】 そのあしを みせるとき -幽霊-
2009.08.02
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