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生きた「オシラサマ」を見たい。東北地方で信仰される「オシラサマ」。家の神様で、蚕の神と言われます。オシラサマは守り神ですが、タブーを犯すと祟る神でもあります。動物の肉や卵を供えると、祟りで病み、顔が曲がるとされています。私はオシラサマを、博物館でしか見ていません。いつか家で祀られている”生きた”オシラサマを見てみたい。少し、恐ろしくもありますが。
2017.02.26
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「捕まえるカッパは、真っ赤な顔と大きな口であること」先日の日記の岩手県遠野市の「カッパ捕獲許可証」の第4条にはこうありました。「chappy2828さん」と「天星音1005さん」から、この第4条に指摘がありました。私も不思議に思い調べると、下記の事実を知りました。柳田國男さんの「遠野物語」の第59段には、下記の記述があるそうです。「他の土地では河童の顔は青いというけれど、遠野の河童の顔の色は赤い」「カッパの顔は赤い」は、遠野物語からの記述でした。遠野市らしい第4条です。遠野物語は読みましたが、まったく記憶にありません。学生の頃、「教材」として勉強のために読んだので、気持ちが入っていなかったのでしょう。本は興味を持って読みたいもの。また「遠野物語」を読み返すのも良いかもしれません。。【日記】 「ルールは守って - カッパ捕獲許可証 -」
2017.02.24
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岩手県遠野市では「カッパ捕獲許可証」が発行されています。理由は、鳥獣の狩猟や捕獲は基本は禁止。カッパといえども、捕獲には許可証が必要だからだそうです。許可証には、カッパ捕獲7ヶ条が記されています。1.カッパは生捕りにし、傷をつけないで捕まえること2.頭の皿を傷つけず、皿の中の水をこぼさないで捕まえること3.捕獲場所は、カッパ淵に限ること4.捕まえるカッパは、真っ赤な顔と大きな口であること 5.金具を使った道具でカッパを捕まえないこと6.餌は新鮮な野菜を使って捕まえること7.捕まえたときには、観光協会の承認を得ることなかなか厳しい、捕獲のルール。皆さんも、カッパ捕獲の折には、必ず許可証の申請を!「カッパ捕獲許可証」 ※写真引用元:http://news.mynavi.jp/news/2014/10/09/147/
2017.02.22
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価値がない意味の「二束三文」は、「二束」と書く様に教わりました。しかしどうやら、「二足三文」と書いても良いらしい。二束三文の語源は、二足で三文の安い草履があったことらしい。語源が草履なので、「二束」より「二足」が相応しく思います。三文は100円に満たない金額。なるほど、草履が二足で三文は安価です。ところで、「早起きは三文の徳」とも言われます。早起きを推奨する言葉のはずですが、三文では魅力不足。「二束三文」で三文の安価を強調されては、なおさらです。草履を二足売っても、三文。早起きしても、三文。わずかな金額でも、収入を得るのは難しいもの。金銭は使うは易く、得るは難し。三文の教えで先人が伝えたかったのは、そういうことなのでしょう。
2017.02.19
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どうやら地域によって、よく飲まれる胃腸薬は違うらしい。ラジオで、奈良県でよく飲まれる胃腸薬は「陀羅尼助(だらにすけ)」と言っていました。たしかに、奈良県吉野付近では、陀羅尼助の看板を目にします。愛知県では、周囲の人は「百草丸」を飲んでいました。長野県の薬ですが、東海地方でも親しまれているようです。西日本育ちの私は「正露丸」。評判悪くもありますが、やはりなじみの薬です。皆さんの地域では、よく飲まれる胃腸薬は何でしょうか?【日記】 「コレクションのおすすめ - 正露丸のラッパ -」
2017.02.17
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かつて、稲荷寿司の中身は”おから”でした。今では鮨飯を油揚げで包む、稲荷寿司。かつては、おからを包んでいました。おからを包んだのは、稲荷寿司が天保の飢饉の対策として考案されたからです。稲荷寿司の名称は、もちろん由来は油揚げ。お稲荷様、つまり狐の好物が油揚げとされていたから。そのためか、かつては「狸寿司」というのもあったそうです。すぐに狸寿司は廃れたそうですが。その狸寿司とは、どんなものだったのでしょう?関東では、たぬきそばは、天かすが乗ったそば。しかし、天かすでは上手く寿司になりません。大阪では、たぬきそばは、油揚げが乗ったそば。油揚げでは、稲荷寿司と同じになります。みなさんなら、狸寿司とは、どんな寿司を想像しますか?
2017.02.13
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浮世絵師の安藤広重は、火消しでした。広重の父親は、八重洲河岸の火消し同心でした。広重も13歳で、家督を継いで火消し同心となりました。しかし翌年、不幸にも広重の両親は相次いで亡くなりました。広重はまだ、14歳でした。その翌年、広重は15歳で歌川豊広に入門します。本当は歌川豊国に入門したかったのですが、断られたためです。入門後1年で、才能ある広重は歌川広重の画名を授かりました。それでも広重は火消し同心を続けました。真面目に同心として働き続け、23年目。ようやく広重は、画業に専念することになります。息子の仲次郎に火消し同心を継がせたからです。広重は画号を一幽斎から、一立斎に変えました。画業のみで生計を立てるという決意が、画号にも表れています。そして、その翌年に描かれたのが傑作「東海道五十三次」です。広重が火消し同心を続けた理由はわかりません。ただ、広重の第2の人生の選択がなければ、傑作は生まれませんでした。一方で、火消し同心を続ければ、安定した生活は保障されたことでしょう。広重が、画業に専念して26年。61歳で広重は、多くの傑作を残して亡くなります。死因はコレラでした。人生の選択肢、そのどれが正解かは、誰にも知ることはできません。
2017.02.11
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江戸時代の座頭と言えば、高利貸しでした。江戸時代、座頭は3,700人いました。そのうちの3,000人が高利貸しでした。座頭は、盲目の官名です。最高位の官位が検校、続いて別当、勾当。座頭はそれらに続く、最下位の官名でした。座頭から最高位の検校までは、72もの段階がありました。段階を上がる毎に、お金を収める必要がありました。座頭は出世のために、多額の資金を必要としたのです。資金集めのために、高利貸しを営む座頭。「座頭市」のような生活は、ほとんどの座頭が想定もしないことでした。出世を競うため、庶民から借金を取り立てる高利貸し。そんな世界は、想像もしたくありません。
2017.02.09
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岡っ引きは、十手を持ちません。十手を持つ岡っ引きは、時代劇だけの誤った描写です。そもそも岡っ引きは、役人ではありません。それどころか、岡っ引きの大半は前科者ややくざ者でした。犯罪の捜査では、裏社会に通じた岡っ引きを、同心が内密に雇ったのです。岡っ引きは、いわゆる情報屋に近い存在。岡っ引きは公認の役人ではありませんから、十手も持ちません。ただし同心の同行下では、特別に岡っ引きも十手を持つことが許されました。その際でも、房付きの十手は持てず、岡っ引きは房なし十手限定でした。それでも勝手に、私造の十手を持つ岡っ引きもいました。役人の権威を笠に、ゆすりを働く岡っ引きもいました。そのため、岡っ引き禁止令は、何度も出されていました。 闇社会の住人、岡っ引き。彼らは、権威の象徴の十手にあこがれました。権威は正しい者が行使すれば、強い統率力を生み出します。ふさわしくない者が持てば、権威は悪の温床にもなります。だから江戸幕府は、岡っ引きに十手を与えませんでした。権威を誰が持つべきか、江戸時代の役人は知っていました。それを知らないのは、現代の米国ばかりです。
2017.02.07
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病院での診察結果、風邪をこじらせての気管支炎でした。インフルエンザではありませんが、困ったものです。咳がひどく、夜に発熱する症状があります。以前にも肺炎になっているので、どうも呼吸器系が弱いようですね。ご心配頂き、ありがとうございました。
2017.02.06
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移動が続いて疲れがたまっていたのか、風邪で寝込んでいます。ご訪問が滞り、すみません。せっかく天気も良い日ですが、残念です。秋田犬げんきくん、さようなら。
2017.02.04
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「魏志倭人伝」には、日本人の2種類の挨拶が登場します。ひとつは、おじぎ。貴人に会うと、ひざまずき、あたまを下げておじぎします。もうひとつは、柏手。貴人に対して、手を打って挨拶します。弱点の頭を下げるおじぎは、無抵抗を意味します。武器を持たないことを示す柏手には、その音で相手の魂を揺さぶって、活力を与える意味もあります。今では柏手は、神社でのみ行われます。荷物を持って歩く時は、柏手が打てないために廃れたと思われます。弥生時代から続く、おじぎと柏手。友好を示す挨拶の習慣は、これからも忘れないようにしていきたい。
2017.02.01
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