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物語 7 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。 ひろしにうながされて扉をあける。押されて入ったとたん、扉は閉まる。そこには 3 つの扉があった。前に 1 つ、右に 1 つ、左に 1 つ。ふりむいても扉。あわせて 4 つ。入ってきた扉はひらかない。何なんだよ、おーい!「おーい、ひろしさん、どういうことです? どういうつもり?」 4 つの扉に囲まれた、縦横 2 メートルほどの場所に立つ。「あけてくださいよ」 僕の声には力がない。はじめからこういう計画だったのか? あれこれ誘導して、ここに連れて来て、ひとりにする。でも、それからどうするつもり? どうしよう、これから? どの扉から出よう? まあな、3 つともあけてから決めればいい。あれ? ここは閉まってる。もしかして…あ、ここもだめ…ああ…どれもひらかない…ということは…閉じこめられた? そんなばかな…でも、なんだかな、あんまり驚かなくなっているよ、妙なことが起こるのに慣れてきてるな。いいんだか、わるいんだか。天井には赤いランプ。緑になったら扉がひらくのか? 緑になる前に黄色になるのか? もういちど、4 つの扉を回って押したり引いたりしてみる。だめだ。まあな、あせってもしかたがない。ふと、何日も眠りつづけるというひろみのことを思い出す。ひろみはあせりはしない。眠ってればあせりはしない。夢の中であせってるのかもしれないけれど。眠気がやってくる。床に横たわる。きのうはじゅうぶん眠ったというのに、車の中でも眠っていたというのに、どうしてしまったんだろう、ずいぶん眠い……… 夢を見た。「A」の夢だった。■ さて、今回も、これまで同様、「A」 に入れる「何か」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1 名様の「何か」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 8 のはじまりは、Esomさんに応募していただいた、「扉をあけると、さらにそこには 3 つの扉があった。」を、多少変更させてもらい、「そこには 3 つの扉があった。」として採用させていただきました。 Esomさん、ありがとうございました。■物語 9 につづきます。
2006年11月30日
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はすとにわとり どろのなかから はすがさく。 それをするのは はすじゃない。 たまごのなかから とりが出る。 それをするのは とりじゃない。 それにわたしは 気がついた。 それもわたしの せいじゃない。(明るいほうへ:金子みすゞ童謡集:p110/p111:JULA出版局)より引用
2006年11月30日
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草の名 人の知ってる草の名は、 わたしはちっとも知らないの。 人の知らない草の名を、 わたしはいくつも知ってるの。 それはわたしがつけたのよ、 すきな草にはすきな名を。 人の知ってる草の名も、 どうせだれかがつけたのよ。 ほんとの名まえを知ってるは、 空のお日さまばかりなの。 だからわたしはよんでるの、 わたしばかりでよんでるの。(わたしと小鳥とすずと:金子みすゞ童謡集:p20/p21:JULA出版局)より引用
2006年11月30日
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(しなやかに生きるために/若い女性への手紙:p33:クリシュナムルティ:大野純一(訳):コスモス・ライブラリー)より引用『私たちは常に選びまたは保持し、有意義だと思われるものを選び、延々とそれらにすがりつくのです。』
2006年11月30日
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物語 6 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。 目の前の壁を見ていたひろしは視線を上げる。僕もつられて視線を上げる。そこには赤い文字があった。読めはしない。ああ…あの男の子が持ってた赤いノートの文字と同じ言葉かな? 天井の赤いランプが目に入る。「これ、ひょっとしてメニューですよね? いったい何語なんです?」「え? ああそうか、すみません、向こうの壁です」 振りむく。向こうにもメニューが貼られている。あれなら読める。「納豆チーズサンドとコーヒー」「聞こえました? 僕のも聞こえてましたよね、じゃあ、それでおねがいします」 僕は視線を赤い文字にもどす。 「で、これ、何語です?」 「森に住む人たちの文字です。森に住むといっても、きこりをしたり森のきのこを採ったり森で狩りをして暮らしているわけではありません。森の地下に住居がひろがっているのです」 ああ…すると…赤いノートを持った男の子もタクシーの運転手も、森の地下に住んでるのだろうか? だけどこの人、どうしてこの文字、読めるんだろう?「ひろしさんも森に住んでるのですか?」 「生まれはね。もうずいぶん昔に森を出ました」 「森の地下で暮らすって、どんなものなんでしょう?」 「子供でしたからね、いろんな部屋を迷路代わりにして遊びましたよ。じつに愉快でした。あ、どうも」 板のテーブルにミルク、コーヒー、サンドイッチの皿 2 枚が並ぶ。パンに挟まってるのはカレーに納豆チーズ? 森の人の食べ方なのかな? ほかにどんなメニューがあるのか、読める方の貼り紙に目を向けたとき、天井のランプが赤から黄色に変わる。「あ、いけません、急いでください。もうあまり時間がない」「どういうことです?」「しゃべらないで食べてください」 何なんだ、いったい? 納豆チーズサンドを頬ばる。何なんだ、この味? ひろしは口をせわしく動かしながら振りむいて店の奥、緑の扉を見ている。トイレだろうか?「では、行きましょう」「うっ、ちょっと待っ、…喉が…ふっ…どこへ?」 ひろしは返事せず、緑の扉に向かう。天井のランプが黄色から緑に変わる。「まだ食事代、払ってませんよ。それにまだ…」「急ぎましょう」 緑の扉はトイレではなく、ふたたび地下への階段だった。ひろしのうしろからあたふた下りてゆく。急に冷えこむ。「ひろみさんはどうするんです? 車の中に置きっぱなしですよ」「だいじょうぶですよ。まだまだ眠るでしょうし、もし起きたら自分で運転するでしょう」「彼女がいなくてだいじょうぶなんですか? 何をすればいいのか、教えてくれてたんでしょう?」「眠ってるんだから、しようがない」 ん? 何の音? どんどん近づいてくる。階段が終わる。縦横ともに 2 メートルほどしかない狭いコンクリートに立っている。まぶしい光。うわっ、電車じゃないか! ここは地下鉄のプラットホーム? 電車は停まり、狭いプラットホームに合わせて、ちょうどドアがひらく。「切符、買ってないですよ」「え? ああ、いりません」 ひろしは車両に飛びこみ、反対側のドアから飛び出す。あ、あ、あ、あ、何なんだよ。「ナカタさん、早く!」 飛びこんだ足がもつれる。くそっ。よろけながら反対側のドアを抜ける。すぐにドアは閉まり、電車は出発する。「なんとか間に合いましたね」 ひどいじゃないか、まったく。こんなの、前もって説明してもらわないとな。「どういうことなんです?」 立ってる場所は向こう側と同じ、狭いプラットホーム。こちら側も階段につづいている。「「駅」で電車を待っていたのですよ」 うーん、なるほど。まあそれはそういうことになるのかもしれないけど…電車を待っていたことにはちがいないけど…でもねぇ…振りむいて向こうを見る。「だけどこんなの、線路に降りて渡ればいいじゃないですか」 線路を見る…線路が見えない…底は見えない…どこまでも暗い闇…足音…振りむくとひろしは階段を上ってゆく…しようがないな…うしろからゆっくり階段を上る………何というか………まあな………階段が終わる…扉…ひろしは身を階段の端に寄せる… ひろしにうながされて扉をあける。押されて入ったとたん、扉は閉まる。「A」があった。■ さて、今回も、これまで同様、「A」 に入れる「何か」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1 名様の「何か」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 7 のはじまりは、和。。さんに応募していただいた、「あれ? メニューってあれですよね?(壁に貼られたメニューを指差しながら)僕には読めないですよ。」を、多少変更させてもらい、「これ、ひょっとしてメニューですよね? いったい何語なんです?」として採用させていただきました。 和。。さん、ありがとうございました。■物語 8 につづきます。
2006年11月29日
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クイズです。 今のところ、9 名様分まで「答」を用意させてもらっています。 すでに昨日のリーダーさんは正解です。 では、楽しんでください。
2006年11月28日
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gaMeさんといっしょに 1のつづきです。 gaMeさんといっしょに「A」してみませんか。 gaMeさんといっしょに「いつもとはちがう順序で、歯を磨いて」みませんか。 上から磨いている人は下から、左から磨いている人は右から、前から磨いている人は裏から、歯を磨いてみましょう。 きょうでもあしたでもあさってでも、いつでもいいですから、「A」をしていただいた(してしまった)人は、できましたら、「しました」とだけでもいいですから、コメントしてください。もちろん、参加されなくっても、ぜんぜん問題ないです。気まぐれでしてしまっても、「した」と書きこむのも何だかね、と思われたなら、それはそれでかまいません。 これは、とらえようによっては、ちょっと(というか、かなり)気持ち悪い企画なんですが、まあ、考えてみればブログ自体がある「気持ち悪さ」を抱えているわけだし、ま、いっか、という気楽な感じでやっています。 書きこんだからには、僕はかならず「A」します。僕自身ができそうにないことは「A」として書きこみません。それでいいですよね、gaMeさん? いっしょに「A」していただいた(してしまった)人が何人かおられた場合には、「gaMeさんといっしょに」をつづけていきたいと思います。gaMeさんといっしょに3につづきます。
2006年11月27日
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ブログってのは、その人が生きてたときに書き溜めた「遺書」みたいなもんだな。 書いてた人が死んだら、物としてのお墓より、ある意味ではリアルな「墓」になるな。 死んだ知り合いのブログを集めてブログ内「墓園」を作っておいて、命日にはその人のブログを訪れ、その人のブログの掲示板にひとことコメントを入れるとか、花の写真でも飾る(入力する)ってのも、あってもいいね。
2006年11月27日
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物語 5 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。「駅です」「ひろみさんがそう言ってたんですか?」「そうです。いや、ちょっとちがうかな…」「ちがう?」「ああ…いや、駅ですよ」「よくわからないけど、まあいいです。で、電車に乗ってどこへ行くんです? はじめから駅名を教えてくれてたら、こんな遠回りしなくても直接そこに行ったのに」「でもねぇあなた、知らない人に教えられた場所にナカタさん、行きますか?」「なるほど。それもそうですね。で、どこに行くんです?」 車のドアをあける。「ひろみに聞いてみてください。ああ…」 後部座席には体を折り曲げ横たわっている人がいる。「この人、ひろみさん…ですよね」「眠っちゃったみたいです。しようがないな。しかし…ちょっと困りましたね」「何が困るんです? 行き先を聞いてないなら、起こして聞けばいいじゃないですか。まあ、気持ちよく眠ってるみたいだし、急ぐことはない、駅に着いてから起こしましょう」 ひろしは運転席に、僕は助手席にすわる。「困りましたよ」「え?」「それがですね、ひろみはいったん眠るとちょっとやそっとでは起きないのです…しかもいったん眠ると、ずいぶん眠りつづけます」「だけど、まさか何日も眠るわけではないでしょう?」「それがね、冗談じゃなく、眠りつづけるんです。この前は1週間ほど寝てましたか。その分、寝る前にはずいぶん長く起きてましたがね。 びっくりされたようですね、冗談ですよ。起きているひろみを1週間ほど見なかったというだけのことで、僕が起きてるときにはいつも眠っていたというだけで、たぶん僕が眠っているときに起きてたんでしょう…ほんとは眠りつづけてたのかもしれませんが…わかりません」 かすかに寝息が聞こえる。車は動き出す。森に入ってゆくとまもなく暗くなり、ひろしはヘッドライトを点ける。今何時だろう? まあ、時間なんて関係なくなってるけど。ん? 緑の光が見える。近づくと森の道の左側に緑のネオンが光っている。車は停まる。「ここです。降りてください」「どういうことです? あれ、何これ…駅?」 ネオンは緑の文字「駅」になっている。「いや…これは…だけど…ネオンだけで、建物さえありませんよ」「おなかすいてません?」「何ですって?」「ナカタさん、食事しませんか?」「それはまあ、おなかはすいてますけど」「それはよかった。ここは地下食堂の入り口なんです」「なんだかよくわかりませんが、地下食堂の名前が『駅』なんですね…なるほど…でも、こんなところにわざわざ食べに来ますかね?」「ほとんど誰も来ない。さあ、行きましょう」「ひろみさんは?」「だいじょうぶです。車の鍵はつけておきますから、もし起きたら、自分で運転するでしょう」「え? 起きたら地下食堂にやって来るんじゃないんですか? それに、これからとうぶん眠るのなら、僕たちが食堂から戻ってきたときも眠ってるでしょうし。それにですよ、目覚めた彼女が勝手に車を動かしたら、僕らが困るでしょう?」「だいじょうぶですよ」 笑いながらひろしは車から降りる。さっきまで困ってたはずなのに、いったいこいつ何考えてるんだ? で、どうしよう? ひろしといっしょに食べに行かないとして、だからといって車に残っててもしようがないし、それにおなか、すいてるしな。だけどこの人、車に置きっぱなし寝かせっぱなしで、ほんとにだいじょうぶかな?「ひろみさん」 起きはしない。まあいいか、今さら何がどうなったら困るのか、どうならだいじょうぶなのか、わけわかんないし。僕も車から降りる。ひろみの横たわる車を森の道に置いたまま、ふたりは緑のネオンの扉を抜け、薄暗い階段を下りてゆく。なんだか少しひんやりする。階段が終わり、扉をもうひとつ抜けると、たしかに食堂だった。狭い食堂だ。壁から板が突き出てテーブルになっている。木の椅子にすわる。「カレーサンドとミルク。この店ではひろみはいつもこれです。きょうは僕が代わりに食べることにします。ナカタさんは何がいいですか?」「A」■ さて、今回も、これまで同様、「A」 に入れる「ナカタの言葉」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1 名様の「ナカタの言葉」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 6 のはじまりは、天使さんに応募していただいた「駅」を、「駅です」として採用させていただきました。 天使さん、ありがとうございました。■物語 7 につづきます。
2006年11月26日
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(しなやかに生きるために/若い女性への手紙:p32:クリシュナムルティ:大野純一(訳):コスモス・ライブラリー)より引用『特定の状態ではないこと、あるいはそれに陥っていないこと』
2006年11月26日
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(自己の変容:p112:クリシュナムルティ:松本恵一(訳):めるくまーる)より引用『英知は両極端を理解し、それゆえそれを避ける敏感さなのです。しかし、それはその両極端の中間にとどまる、用心深い凡庸さではありません。 このすべてを明晰に知覚することが、それについて学ぶことです。』
2006年11月25日
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物語 4 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。 白く大きな扉があった。巨大な壁が、扉の左右に伸びひろがっている。壁の高さは10メートルくらいだろうか。振りむくと、大きな森のひろがり。森を抜ける道をタクシーが去ってゆく。森と壁に挟まれたところに僕は立っている。鳥の声は聞こえるが、鳥は見えない。人も見えない。 扉に近づいて押してみる。まったく動じない。こんな大きな扉、どんな具合にひらくのかな? 扉を叩いてもほとんど音はしない。「おーい!」 声も虚しく消える。静かだ。扉はひらきそうにないし、おなかもすいてるし、どうしよう? 森に入っていくのは気が進まない。となると、壁に沿って進むしかないか。 右にするか左にするか、首をまわす。あれ? 扉の隅に隙間があるぞ。体を横にすれば、僕の体ならなんとか通り抜けれそうだ。隙間に横向きの体を入れ、ゆっくり足を滑らせて進む。壁も扉もけっこうな厚みだ。狭いな。うっ。鼻の頭がこすれる。 抜けると、森がひろがっている。森と壁に挟まれたところに僕は立っている。鳥の声は聞こえるが、鳥は見えない。人も見えない。何なんだよ、さっきと同じ光景じゃないか。扉も大きくて白くて同じ形だし、壁も同じように伸びひろがっている。まいったな。壁の向こうにもどって森の道を歩いて帰り道を探すか? 車の音がする。 森から出てきた黒い車が停まる。扉がひらき、降りてくる。「ひろしです」 ああ…何が起こってるのかわからないけど、とにかく言葉が通じるのはありがたい。電話の声から推測するのとちがって、ひろしは僕よりかなり年上に見える。それとも別人か? でもまあ、会ったとたんひろしだと言ってるんだから、同一人物だろう。「僕もひろし、いや、ナカタです」「自分で来られたんですね。あしたこちらからお迎えに行こうと計画してたんですがね」 やはりあのひろしだ。「自分で来たわけじゃないけど…いったいどういうことなんです?」「さあね。僕もひろみに教えてもらったようにやってるだけで、まあ、ナカタさんと同じようなものです」「ひろみ?」「彼女の名前です。車に乗ってます。では、行きますか」「どこへ?」「A」■ さて、今回も、これまで同様、「A」 に入れる、「ひろしの言葉」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1 名様の「ひろしの言葉」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 5 のはじまりは、ローズこころ1さんに応募していただいた、「白くて豪華で、お城のような素敵な“大きな扉”があった。」を、少し(だいぶ?)変更させていただき、「白く大きな扉があった。」として採用させていただきました。 ローズこころ1さん、ありがとうございました。■物語 6 につづきます。
2006年11月23日
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gaMeさんといっしょに「A」してみませんか。 gaMeさんといっしょに「落ち葉を一枚拾って、ほっぺたにくっつけて」みませんか。 新企画です。 あしたでもあさってでも、いつでもいいですから「A」をしていただいた(してしまった)人は、できましたら、「しました」とだけでもいいですから、コメントしてください。もちろん、参加されなくっても、ぜんぜん問題ないです。気まぐれでしてしまっても、「した」と書きこむのも何だかね、と思われたなら、それはそれでかまいません。 これは、とらえようによっては、ちょっと(というか、かなり)気持ち悪い企画なんですが、まあ、考えてみればブログ自体がある「気持ち悪さ」を抱えているわけだし、ま、いっか、という気楽な感じではじめてみます。 書きこんだからには、僕はかならず「A」します。僕自身ができそうにないことは「A」として書きこみません。それでいいですよね、gaMeさん? いっしょに「A」していただいた(してしまった)人が何人かおられた場合には、「gaMeさんといっしょに」をつづけていきたいと思います。 みなさん、よろしくお願いいたします。 suhoさんへ。 企画倒れか!? どうして、ここでsuhoさんが登場するかというと、物語 1 のコメントに、 「この企画おもしろいですね^^」と書いていただいたからです。suhoさんに言われなければ、「企画」という言葉は思いつきませんでしたから。「企画」と言われてほめられていい気になって、企画なら他にもあるんじゃないかと考えてみて思いついたのを、とりあえずさっそくはじめてみた、というところです。(ちなみに、suhoさんのブログはここです)■gaMeさんといっしょに 2 につづきます。
2006年11月22日
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鳥鳥は僕の外から僕の中へと飛びこんできて僕の中をみごとに飛翔僕を突き抜けた瞬間すべては僕の中僕の中で雲は浮かんでいる僕の中で鳥は飛んでいる
2006年11月22日
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物語 3 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。 鏡だった。屈んで拾う。鏡を覗く。おいおい何だよ、ナカタじゃないか? 何なんだよ、おまえ。何でここに? 車内を見まわすが、僕と運転手と男の子、三人だけだ。ナカタはいない。鏡を覗くと、やはりナカタだ。何なんだよ? 僕がナカタだとすると、ひろしはどうなってしまったんだ? 待てよ、さっきの電話の声、聞き覚えのない声だったけど、そもそも自分の声ってのは聞き覚えのないものだし、あの声はひろしという名の僕の声だったのかも…ああ、でも、「ひろしという名の僕の声」だなんて、わけわかんないな。それに、あれは、電話の向こうのひろしの声だったんだし…僕は小さく声を出してみる。「あー、アー」 うーん? これはひろしの声だろうか、それともナカタの声なのか? 顔はナカタだが、声はナカタかひろしか不明だ。体はどうなってる? ひろしの体の特徴は? 身長体重はこんなもんだった気がするな。腕のほくろの位置…うーん、どうだったかな、よくわからないよ。そういえば視力、きのうより上がったようにも感じるけど、気のせいかも… …… ………いつのまにやら眠ってしまう。 意味のわからない声に起こされる。運転手の声だった。座席に鏡が光っている。ドアはひらいている。男の子はいない。もしかしたらあの子は僕のお金を使ってここまで来たかっただけかもしれない。 お金? 料金表示の数字は消えている。走った距離もわからないし、適当に財布からお金を取り出して運転手に見せる。運転手はしばらく見つめている。え? 言葉がちがうってことは、通貨もちがうの? いや、運転手は僕の手からお金を受け取る。降りる前にもういちど鏡を見る。やはりナカタだ。わかったよ、しようがない、僕はナカタだ。 タクシーから出ると、まったく見覚えのない場所だった。「A」があった。■ さて、今回も、これまで同様、「A」 に入れる、「何か」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1 名様の「何か」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに、物語 4 のはじまりは、 凛呼さんに応募していただいた「鏡だった。」を採用させていただきました。 凛呼さん、ありがとうございました。■物語 5 につづきます。
2006年11月22日
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(自己の変容:p76:クリシュナムルティ:めるくまーる)より引用『葛藤を終わらせることはもっとも複雑なことのひとつです。それには自己観察と、内にも外にも気づいている敏感さが必要です。 葛藤が終わるのは、自分のなかの矛盾に対する理解があるときだけです。既知のもの、すなわち過去からの自由がなければ、この矛盾がつねに存在することでしょう。 過去からの自由とは、時間を離れ、今(そこには過去や既知のものが触れえない、この自由の運動だけがあります)に生きることを意味します。』
2006年11月21日
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物語 2 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。 赤い風船が描かれている。妙にあざやかな赤だ。さわってみると、ちょっとざらついている。何を使って描いてるんだろう? ページをめくる。赤いりんご。きれいだな。 ページをめくる。ああ、いちめんの赤。あざやかな赤のひろがりにうっとりしたまま電話ボックスの隣の青いベンチにすわる。 ページをめくる。文字のようなものが、これまた美しい赤で書いてあるが、僕の知らない文字だ。文字じゃないかもしれない。両手を伸ばしてあくびする。あれ? ひざに置いたノートがない。横にいつのまにやら男の子がすわっててノートを持っている。犬は見あたらない。「返してよ…ああ…そうだね、それはきみのノートだね。その字のようなの、何て書いてるの?」 男の子は首をかしげる。僕は赤い文字を指さす。男の子は笑顔になってうれしそうに返事してくれる。 ん? 何言ってるんだ、この子は?「もういちど言ってくれる?」 男の子は首をかしげる。僕は赤い文字を指さす。男の子はふたたび返事してくれる…ああ…知らない言葉だ。僕は、もうひとつだけ知ってる言語でしゃべってみる…通じない… 男の子がベンチの後ろを指さす。振り向くとタクシーが停まっている。後部座席のドアはひらいている。さっきあくびしたとき伸ばした手でタクシーを停めてしまったのかもしれない。僕は運転手に向かって大きな声で言う。「すみません、まちがいです」 タクシーは去らない。僕はベンチから立ち上がって、ひらいたドアに首を突っこむ。「すみません、停めるつもりじゃなかったんです」 運転手はじっとこちらを見つめている。わっ、男の子が僕の左脇から急に顔を出して運転手に何か言う。運転手も男の子に向かって何か言う。ああ…知らない言葉だ。僕の知ってるもうひとつの言語を運転手にも使ってみるが、通じない。僕の左脇を通り抜けた男の子はタクシーに乗りこみ、僕の腕を引っぱる。僕の体は後部座席に入ってしまい、ドアは閉まり、タクシーは出発する。しゃべろうとしたが、僕の声は無意味な音にすぎない。口を閉ざす。 レストラン「wind」を通りすぎ、勢いよく道を曲がったとき、何かが運動靴にあたる。「A」だった。■ さて、今回も、物語 1・物語 2 同様、「A」 に入れる、ひろしの運動靴にあたった「物」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1 名様の「物」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 3 のはじまりは、ローズこころ1さんに応募していただいた、「赤い風船が描かれている。。。 その赤い風船をじっと見ていたが、次のページをめくった。 赤いりんごだ。。。 その次のページは。。。?」 を、少し変更させていただき、「赤い風船が描かれている。妙にあざやかな赤だ。さわってみると、ちょっとざらついている。何を使って描いてるんだろう? ページをめくる。赤いりんご。きれいだな。 ページをめくる。」 として採用させていただきました。 ローズこころ1さん、ありがとうございました。■ 物語4 につづきます。
2006年11月20日
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(瞑想:p46/p47:クリシュナムルティ:星雲社)より引用『理解は人生の方向を変えてしまうかもしれません 考え方や行動様式を変えてしまうかもしれません それはここちよいこともあるでしょう そうでないこともあるでしょう いずれにせよ 理解というものは あらゆる関係にとって危険なものです しかし理解がなければ 哀しみはつづいてゆくでしょう 哀しみが終わるには ただ自分を知ることしかありません あらゆる思考と感情に気づき 意識のはたらきと その背後に隠れた無意識のはたらきのすべてに 気づくことしかないのです』
2006年11月20日
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自然の美しさを強調する人はたくさんいるけれど、自然はもちろんのこと、人工物だってじつに美しい。 見れば美しい、というんじゃなくって、見られている物はすべて見ているわけで、見てたり見られてたりじゃなくって、【私=瞬間ごとの脳の知覚/認識】だし、なんというか、生きているのは途方もない現象です。 個人的には、本来自然しかなく、自然物が作った物もまた自然物であり、人は自然物であり、人が作った物もまた自然物だと感じています。
2006年11月19日
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物語 1 のつづきです。「ひろしです」「え? ちがうよ。電話ボックスにかかってるよ」「ああ…公衆電話なんですか…」「じゃあ」「いえ、待ってください。押しまちがえじゃないんです。教えてもらった番号を登録してかけてるんですから」「何のことかわからないよ」 ボックスの外では犬連れの子供が立っている。遠くに見えたのにもうここにいるなんて、ずいぶん早いな。なんだか時間の感じが妙だ。こっちを見てる。電話を使いたいんだろうか? 子の握る赤いノートが陽に照らされる。ボックスの中は暑い。受話器も熱い。「この番号にかけたら世界が変わるって、彼女が教えてくれたんです」「彼女?」「いえ、知り合いの女の人ですけど、信用してるんです、僕は。ひろしって言いますけど」「どうして名前を教えるの?」「彼女がそうしろって教えてくれましたからね」「彼女のこと、信用してるんだね」「まあね、いえ、そうです。はい」「で、世界は変わった?」「え? いや、今からですよ」 犬がほえる。子どもの手から赤いノートが落ちる。「今から?」「あ、すみません。またあしたかけなおします。じゃあ」「ちょっと待ってよ」 電話は切れた。 ちょっと待てよ。わけわかんないな。まさか、ひろしって僕のことじゃないだろうな。僕の名前を知ってる人がどこかの窓から僕がここを通りかかるのを見てて僕の名前を語って僕に電話する…でも、何のために? 首を回すと、窓は多い。双眼鏡なら遠くのビルの窓からでも僕の体は見えるだろう。外を歩く体はみな、視線にさらされている。他人の体を眺めていなくても、遠くの窓から双眼鏡で朝の海を眺めてる人はいそうだな。 ボックスから出ると、赤いノートを踏みそうになり、よろける。子どもも犬もすでに見あたらない。ノートを拾い、表紙をめくる。「A」■ さて、前回同様、A に入れる、ノートの「文字もしくは文章」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1 名様の「文字もしくは文章」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 2 のはじまりは、suhoさんに応募していただいた『ひろしです…』を「ひろしです」として採用させていただきました。 suhoさん、ありがとうございました。■物語 3 につづきます。
2006年11月19日
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最近、夜明け前の北斗七星を楽しみにしているのですが、今朝は雨でした。 雨というのは、雨粒がこんなにたくさん落ちてきて、なんとも不思議なことです。
2006年11月19日
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朝。窓から風が吹きこみ、シャツがはためく。 海。光の粒がまきちらされる。鳥があざやかに横切る。 風 - - - 潮の匂いは心地よく僕の内部を通る。 そうだな、久しぶりに海岸通りの向こう、レストラン「wind」に食べに行こう。 僕の名はひろし。年令はまだ知らない。 運動靴を履いて外に出る。足取りはしだいに速くなってゆく。窓を閉め忘れたが、まあいいや。遠くに犬連れの子どもが見えるだけで、通りは静かだ。 ん? 海岸沿いに置かれた電話ボックスで、呼び出し音が鳴っている。番号を押しまちがえたんだろう。電話ボックスを通り過ぎるとき、僕の体は気まぐれに半回転してボックスに入る。受話器をとる。「A 」■ さて、A に入れる、電話の向こうの声を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1名様の「声」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いいたします。■物語 2 につづきます。
2006年11月18日
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言葉(時間)の側に立たない「とき」を、言葉の側で暮らしつつ、ていねいに組みこんでいくこと。 結局のところ、時間はすべて失われるのだから。
2006年11月17日
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(自己変革の方法:p182:クリシュナムーティ:霞ヶ関書房)より引用『だが、あなたはこのすばらしい泉に到達する方法を知らない。 では、どうしたらよいか? どうしたらよいかわからなければ、あなたはただ手をこまねいて何もしないだろうか? まったく何もしないのである。ただ、心の中で完全な沈黙を守るのだ。 この意味があなたにはわかるだろうか? それは、あなたが何ものも求めず、何ものも願わず、何ものも追求しない、中心となるものがまったく存在しない状態に入ることである。』
2006年11月16日
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(瞑想:p92:クリシュナムルティ:星雲社)より引用『大きな自己も 小さな自己も あるかたちをとった存在物にすぎない 存在物とは 思考にほかならず 思考が 存在物の正体なのだ そこでは 哀しみがたえることはない』
2006年11月15日
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せきらんうんさん・せきらんうんの代理の者さんのコメント(メッセージ)の場所をここに引っ越しします。 ちなみに、ここからの引っ越しです。 せきらんうんさん・せきらんうんの代理の者さん・天使さん、よろしくお願いします。■せきらんうんさんといっしょににつづきます。
2006年11月15日
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起きている間は覚醒しているよう試みること。 たった今にいつづける(たった今の変化にずっとついていく)ことなんてできない、と考える余裕があるくらいなら、そんなふうにたった今から目をそらす余裕があるくらいなら、たった今にいる試みをつづけてみること。 過去や未来について考えているのもまた、たった今考えているのだから、過去や未来の場所に立って考えるのではなく、たった今ここで考えること。 たった今ここで考えることによって、考えから自由であること。 と、たった今ここで、言い聞かせています。 たった今ここにいれば、物はきれいで、色は鮮やかです。
2006年11月15日
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虚無感というのは、物事への意味付けを苦しんだり楽しんだりしているとき、何らかのきっかけで、それまでの意味付けに実感が持てなくなったとき、起こる。 そして、せっかく意味付けが止まったのに、また別の意味付けできそうな物事を探して虚無感から抜け出そうとして、虚しさを繰り返す。 どうせそのうち、意図しなくても、何かに意味付けしてそれに実感を持ってしまうのだから、せめて意味付けの落ちているうちは、意味付けの落ちた世界の、意味付けの落ちた人生の、途方もない豊かさ、美しさに、うっとり溶けていよう。
2006年11月14日
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しんどくて、しかも「しなければならないこと」がないにもかかわらず、そして横たわることによる不都合がない状況であるにもかかわらず、横たわることを怠けて、ついつい「しんどくなければしたいこと」をしてしまうことによって、心の静けさを見失っている、という状況に気づくこと。
2006年11月13日
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(自己の変容:p78:クリシュナムルティ:めるくまーる)より引用『既知のものからの自由が、真に宗教的な生なのです。 それは既知のものを抹消することではなく、既知のものを観察している次元から、まったく別の次元に入ることを意味します。』
2006年11月13日
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「時間からの自由」というのは、夢中で何かをしていて時間を忘れている、という状態のことではなく、「何時までに何々をする」「何時にある場所にいる」という予定があっても、そのことが「たった今ここ」を妨げない状態なんだろう。
2006年11月12日
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(自己の変容:p77/p78:クリシュナムルティ:めるくまーる)より引用『思考なしに木を観察することは、過去から免れた行為です。過去の運動を観察することも、過去から免れた行為なのです。 見る状態の方が、見る対象よりはるかに重要です。選択のない観察によって過去に気づくことは、まったく別の行為であるばかりでなく、まったく別のあり方なのです。 この気づきのなかでは、記憶は何ものにも妨げられず効率よく働きます。「宗教的である」とは、選択のない気づきがあるため、たとえ既知のものがどこかで働く必要のあるときでも、既知のものから自由である、ということなのです。』
2006年11月12日
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たった今の状況Aにおいて「Bをしよう」と思う。 じっさいに状況Bになるかどうかは、どちらでもいい。 避けたいのは、BにこだわることでAを見失うことだ。 結局のところ、たった今の状況Aしかなく、BもまたAなのだから。
2006年11月11日
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(大乗仏典1:善勇猛般若経:p134:中公文庫)より引用『実に物は物としての固有の実体(自性)を離れたものである。感覚や観念や意志形成も同様である。認識も実に認識としての固有の実体を離れたものである。』
2006年11月10日
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(瞑想:p96:クリシュナムルティ:星雲社)より引用『瞑想には 始まりも終わりもありません 瞑想においては 成功や失敗というものはなく なにかをつみあげることも 放棄することもありません 瞑想は終わりのない運動です』
2006年11月09日
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ドッグカフェ 2のつづきです。はじめから読んでみようという人はドッグカフェ 1へ。 ドッグカフェを始めたうどん屋さんで、また新たな張り紙を見つけた。今度はなんと、『バンド演奏者募集中 店内で生バンドを楽しく演奏してみませんか?』 ナンなんだこれは? うどんを食べながらワンチャンといっしょに楽しいひとときを過ごして、ワンチャンにはお水のサービスがあって、まあそれはいいとして、いったいあのうどん屋のどこに生バンドが入るんだ? 僕はドッグカフェを始める前に入ったことあるが(うどん、まずかった。いっしょに食べた人は、二度と来ん、と言った)、狭くはないにせよ、そんなに広くなかったぞ、あの店は。 それに、犬入りのうどん屋で演奏する生バンドって、それって・・・うーん・・・もし「本日、生バンド演奏あり」なんて張り紙を見つけたら、そんときは無理してでも見に行くぞ。ドッグカフェ4につづきます。
2006年11月08日
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『世間は、あの人は、わたしの欲望をどのようにあつかうだろうか。そうした不安にこそ、あらゆるこころの動き、こころの「問題」が集約されている。』(ロラン・バルト)相手に気に入られたいという欲望。相手のこころの動きを支配したいという欲望。相手のこころの動きに関与しようとする瞬間、わたしのこころは不自由になり、不安になる。
2006年11月08日
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「僕は色形である」とか「僕は音である」とかだと、感情抜きですんなり入れるのだけれども、「僕は思考である」となると、「思考」という言葉はどうしても感情を呼びこむので、ぎこちなさ(自我)が生じる。 それに、「思考」と呼ぶと、なんだか偉いことのように妄想してしまう。 だったら、思考は言葉でできているんだから、「僕は言葉である」という表現にしてしまえば、思考という言葉を使うことによって何となく物事が複雑に精密に妄想されて「偉そう」になる前に、ぎこちなさ(自我)を落としやすくなる。
2006年11月08日
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(瞑想/MEDITATIONS:クリシュナムルティ:星雲社)より引用Meditation is the seeing of what is and going beyond it.To meditate is to be innocent of time.Meditation is the total release of energy.The flowering of love is meditation.Meditation is the action of silence.The death that meditation brings about is the immortality of the new.
2006年11月08日
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思考があるとき、私は言葉であり、「私=言葉」は迷うか遊ぶ。そして、たんに遊んでいる状態はまれである。【私=瞬間ごとの脳の知覚/認識】「思考があるとき、私は言葉であり、「私=言葉」は迷うか遊ぶ。そして、たんに遊んでいる状態はまれである」と思う瞬間、「思考があるとき、私は言葉であり、「私=言葉」は迷うか遊ぶ。そして、たんに遊んでいる状態はまれである、という思い=私」であり、それよりほかに、それについて考えている「私」はどこにもいない。
2006年11月06日
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クイズです。 ABC三つのカーテンの向こう、いずれか一つに車が置いてあります。 どのカーテンの向こうに車があるかを当てれば、車がもらえます。 さて、このままでは当たる確率は1/3ですが、いったんひとつのカーテンを選んだあと、解答者にヒントが与えられます。 それまでカーテンの向こうにいた人が出てきてヒントを出します。その人は車の置かれている場所を知っています。そして、解答者が選ばなかったカーテン二つのうち、車の隠されていないハズレのカーテンの前に立ってくれます。解答者が正解のカーテンを選んでいる場合は、残りのカーテンはどちらもハズレですが、そのときには、どちらのハズレのカーテンの前に立つかは、ヒントを与える人の自由です。 さて、ここで、解答者は選ぶカーテンを変えることができます。 では、問題です。 解答者は選ぶカーテンを変えればいいでしょうか、変えない方がいいでしょうか、それとも変えても変えなくても当たる確率は同じでしょうか? クイズ 1 のときのように、この問題の意味がわかりにくければ、質問してください。 解答は、どうしてそうなるかの理由は省いて、どちらが得か、もしくは同じか、だけを答えてください。 何人か答えていただきましたら、正解者のうちどなたかに、どうしてそうなのかをコメントしていただく予定です。
2006年11月05日
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私は色形ではない私の色形なんてどこにも無い色形に見とれる私は音ではない私の音なんてどこにも無い音に聞き入る私は言葉ではない私の言葉なんてどこにも無い言葉で遊ぶ
2006年11月05日
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【私=瞬間ごとの脳の知覚/認識】私は色形である。色形が悩むことはない。私は音である。音が悩むことはない。そして、ここが最高のポイントなんだけれども、私は言葉である。言葉が悩むことはない。
2006年11月04日
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ドッグカフェ1のつづきです。 ドッグカフェを始めた近所のうどん屋さんが、新たなサービスを始めた。「ワンチャンにはお水をサービスいたします」 残念ながら僕はまだ、店の開いているときに通りかかったことがない。ドッグカフェ3につづきます。
2006年11月03日
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「気づく」というのは、森羅万象の教えを聞くことである。 なので、「気づき」が法悦をもたらす。
2006年11月01日
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