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すてきなペンネームを作ってくれたお礼に、電車大好きっ子くんにプレゼントです。電車1電車2電車3電車4電車5電車6電車7電車8電車9電車10
2006年12月31日
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日曜日には小説を4のつづきです。はじめから読んでみようという人は日曜日には小説を1へ。 きょうは、 2006年12 月31日、日曜日だ。いわゆる大晦日だな。 新聞には「フセイン元大統領 死刑執行」と書いてある。 きょうはひとつ、このブログで何が起こっているのか、頭を整理してみよう。 まず、私は「日曜日には小説を」という小説を、ナカタの父さんというペンネームで、毎週日曜日に書いている。 ナカタの父さんのパソコンを管理しているのは「シバタパソコン管理事務所」である。「シバタパソコン管理事務所」の電波塔の建て替えの際には、電波塔設計における構造計算を「アニハ設計事務所」に依頼することになっている。「日曜日には小説を」という小説のなかで、ナカタの父さんは「ひろしを探せ」という小説を書いている。 ひろしを探す探偵を雇っているのは「アニハ探偵社」である。「アニハ探偵社」はひろしのほかに、ハルカちゃんという行方不明になったいたいけな少女、もしくはハルカばあさんという長老の初恋の人を探している。 ブログに発生しているウイルスに対し、ウイルス対策ソフトを「アニハウイルス研究所」が開発中であるが、今のところ未完成だ。「アニハ設計事務所」も「アニハ探偵社」も「アニハウイルス研究所」も、「AIG(Aniha Integral Group)」に所属している。 そして、ナカタの父さんの夢のなかで、gaMeさんというのが「物語」という小説を書いている。 あまり頭ん中が整理された気がしないけど、もういちど考えなおしたらいっそう混乱しそうだし、この辺でやめておこう。 では、「ひろしを探せ」のつづきです。■ひろしを探せ そこでぼくは、受話器の向こうの、見知らぬ探偵に向かってしゃべりはじめた。 レストラン「wind」で朝食を食べてたら、青いノートを持った女の子がやってきて、ノートをめくってみせるんだ。1ページ目は青いりんご、2ページ目は青い風船、そして3ページ目はなんと全面青で、不思議な青のきらめきに見入っているうちめまいがしてきて、テーブルにうつぶせになってしばらく目を閉じてたんだ。 で、目をあけたら窓から夕日がさしこんでて、何だかとても奇妙な雰囲気で、うっとりしたままレストラン出て海岸通りを引きかえすんだけど、家の近所なのに知らない人ばかりとすれちがう。建物は同じなのに、知らない人ばかりが住んでるみたいなんだ。あげくのはて、たどりついたところに家はなく………■「たどりついたところに家はなく………」、うーん、家の代わりに何があったんだろう? 困ったな。 そうだ、ここはひとつ、gaMeさんのまねをして、読者に考えてもらおう。■ あげくのはて、たどりついたところに家はなく、「B」だった。 さて、「B」に入れる「何か」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着1名様の「何か」を使って「ひろしを探せ」のつづきを書いていこうと思います。 お待ちしております。■日曜日には小説を6につづきます。
2006年12月31日
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2006年12月30日の時点でのAIG(Aniha Integral Group)の概要をお知らせします。では、ひとつひとつ行きますね。まずはAIG(Aniha Integral Group)創設のきっかけに興味のある方は、下記のコメント欄をご覧になってくださいね。アニハ設計事務所登場 アニハ探偵社に興味のある方は、下記本文及びコメント欄を見てくださいね。アニハ探偵社 それから、アニハ探偵社の理解には、下記のコメント欄も欠かせません。ハルカちゃんを探せ アニハウイルス研究所につきましては、下記本文及びコメント欄を見てください。アニハウイルス研究所 それと、下記コメント欄を参照してくださいね。ウイルス対策ソフト また、アニハ人生相談室とアニハ心理研究所につきましては、下記本文ならびにコメント欄を覗いてみてください。アニハ人生相談室ならびにアニハ心理研究所 アニハ詐欺社およびアニハ銀行に関しましては、下記本文及びコメント欄をしっかり読んでくださいね。架空請求 アニハ寿司ならびにアニハ巨大モールにつきましては、下記コメント欄参照のほど、よろしく、ネ。ビックラポン なお、今後どんどん当グループは拡大するおそれがありますが、あしからず。
2006年12月30日
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電車大好きっ子(作)(5才の夏休み、直筆原稿あり) クルクルと クルクルと かぜが そよそよ きもちいい クルクルと もりが たくさん かぜがいい クルクルと そらが あおいよ きもちいい クルクルと むこうの やまが すずしいぞ クルクルと もりが そよそよ きもちいい クルクルと さかなが たくさん たのしいよ クルクルと みずが つめたい きもちいい クルクルと クルクルと さんごが たくさん きれいだな(なお、直筆原稿は、電車大好きっ子くんのお母さんの手元にあります)
2006年12月30日
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物語 13 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。「キビタキが地下の森で鳴く日、奇跡が起こるのです」 キビタキが地上へと抜け上がった瞬間、地下の森を照らしていたひかりは消え、真っ暗になる。あざやかにひらいていた花たちの色は消え、けたたましく鳴いていた鳥たちの声はいっせいにやむ。 闇の静寂のひろがり。「どうして奇跡なのに闇なんですか? 奇跡って光でしょう?」「ある種の日食なんじゃよ」「日食ですって? だけど日食とキビタキ、どんな関係なんです?」「そうですね、いわゆる日食とはちがうのです」 三人は暗闇の中に突っ立っている。「どう説明したらよいかな…簡単に言うとじゃ、地下洞窟から森の上空へとひろがっとる、ある特殊な空気の層があってな、それがキビタキの鳴き声に反応するんじゃよ」 特殊な空気? ん? キビタキが飛んで行ったあたりに薄っすら、明かりがちらついている。「さあ、行きましょう」 ひろしは小型の懐中電灯をポケットから取り出し、足元を照らしながら慎重に登ってゆく。おじいさんと僕もひろしにつづいて、かすかなひかりの方へ、ゆっくり登ってゆく。「ひろしさん、知ってたんですか?」「何を?」「日食のこととか」「ああ、キビタキ日食ね。いいえ、キビタキがいつ地下の森に来るのか知りません。それにしても今日、キビタキが鳴くだなんて…」「キビタキ日食ですって? 真っ暗になること知らなかったのなら、どうして懐中電灯、用意してたんですか?」「準備万端と言いますか、それはですね…」 洞窟から抜け出る。「うわっ!」 見事な焚き火だった。「誰もいませんね」「犬がおるぞ!」 一瞬、海岸通りで出会った男の子が連れていた犬が頭をよぎる。もしかしてあの犬?…いや、そんなばかなことはない。「あの椅子、さっきの人がすわってたんでしょうか? あの人、どこにいるんでしょうね?」「おぬし、何が食べたい?」「え?」「おぬしの好きな食べ物じゃよ!」「A」(ひろしの言葉)■ さて、今回も、これまで同様、「A」に入れる「ひろしの言葉」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1名様の「ひろしの言葉」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 なお、同じ人が何回応募されてもかまいません。 お待ちしております。 ちなみに「物語 14」のはじまりは、和。。さんに応募していただいた「キビタキが鳴いた日、世界に奇跡が起こるという、伝説があるのです。」を、「キビタキが地下の森で鳴く日、奇跡が起こるのです」として採用させていただきました。 和。。さん、ありがとうございました。■物語15 につづきます。
2006年12月29日
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とき 何が欲しいと尋ねられ とうぜんのように「時間」と答えていたけれど 時間の中で僕はすべてを失ってきた 時間の中で僕はすべてを失うだろう 時間は僕にすべてを与え 時間は僕からすべてを奪う 時間は僕にまつわるあらゆる現象を僕に与え 時間は僕にまつわるあらゆる現象を僕から奪う ……… 時間の無い「とき」 僕は僕を失う 僕を失う「とき」 僕が失うものは何も無い ……… そして奇跡が降りそそぐ
2006年12月28日
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(自己の変容:p151/p152:クリシュナムルティ:松本恵一(訳):めるくまーる)より引用『自己憐憫が悲しみの要因のひとつです。もうひとつの要因は、あなたが誰かに執着して、相手の自分への執着を煽りたてたり、育んだりすることです。 悲しみは執着している人から背かれるときにだけ存在するのではなく、執着がはじまるまさにそのときに、すでに種子として存在しているのです。 問題は、このすべてにおいて、自分を知ることがまったく欠如していることです。自分を知ることが悲しみの終わりです。 自分を知ることを恐れるのは、私たちが自分自身を善い部分と悪い部分、邪悪な部分と崇高な部分、純粋な部分と不純な部分に分離させてしまったからです。善い部分はつねに悪い部分を審判し、これらの断片は互いに争っています。この争いが悲しみなのです。 悲しみを終わらせるためには事実を見、そして対立物をつくり出さないことです。対立物は互いに他を包含しあっているからです。この対立物の回廊を歩くことが悲しみなのです。 高いものと低いもの、高貴なものと卑しいもの、神と悪魔といったこの生の断片が、葛藤と苦痛を生み出すのです。 悲しみがあるとき愛はありません。愛と悲しみは共存できません。』
2006年12月28日
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電車大好きっ子(当時3才)(作) どうなっちゃうの? もしも、あおいおそらがなかったら、 もしも、しろいくもがなかったら、 どうなっちゃうの? わー、たいへん!
2006年12月27日
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電車大好きっ子(当時3才)(作) おなかのなかには・・ ママのおなかのなかには、 赤ちゃんがいてるの? ぼくのおなかのなかにはねえ、 夢がつまってるんやで。
2006年12月27日
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さよなら 母さま、母さま、待っててね、 とてもわたしはいそがしい。 うまやの馬に、鶏小屋(とりごや)の、 鶏(とり)と小ちゃなひよっこに、 みんなさよならしてくるの。 きのうのきこりに逢(あ)えるなら、 ちょいと山へもゆきたいな。 母さま、母さま、待っててね、 まだわすれてたことがある。 町へかえればみられない、 みちのつゆくさ、たでのはな、 あの花、この花、顔をみて、 ようくおぼえておきましょう。 母さま、母さま、待っててね。(このみちをゆこうよ:金子みすゞ童謡集:p140/p141:JULA出版局)より引用
2006年12月26日
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gaMe「何か言いたげですね」悪魔「gaMeさんが言葉まみれになっているのは自業自得ですが、ほかの人を巻き添えにしているのではないかと、少し気がかりです」gaMe「巻き添えになりたくなければ、関わらなければいいと思いますけど…」悪魔「人はどうしても自分に関わってくる物事や人に影響を受けてしまうものです」gaMe「なるほど…では、これからどうするか、しばらく考えてみます」悪魔「考えたってうまくゆくはずがありません。「あなた」が混乱しているというのに、その混乱している「あなた」の考えが混乱していないわけがありません。「あなた」がいるかぎり、混乱はつづくでしょう」gaMe「………」
2006年12月26日
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あいうえお 長老(作) あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わをん長老さんというのは、和。。さんのブログの 長老との対話 および 長老のひとりごと に登場されている方です。
2006年12月26日
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ネコと対決 yumizenの息子(作) きけんなみち あるく ねこいた ほえぬ めもにらまれ かさをすて うそのはむひとつやり ふゆへ おせろ よわし(危険な道 歩く ネコいた 吠えぬ 目も睨まれ 傘を捨て ウソのハム一つやり 冬へ オセロ 弱し)
2006年12月26日
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このほど、アニハウイルス研究所にて、各種ウイルス対策ソフトを発売することになりました。 たとえば、「悪魔ウイルス対策ソフト」「シバタパソコン管理事務所ウイルス対策ソフト」「一読者の疑問ウイルス対策ソフト」「似非長老ウイルス対策ソフト」「アニハウイルス対策ソフト」などなどです。 詳細につきましては、アニハ総合研究所まで御連絡のほど、よろしくお願い申し上げます。 なお、当記事のコメント欄に何かしら書きこまれますと、あなたのブログにウイルスが侵入する危険がありますので、じゅうぶん注意してください。
2006年12月26日
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ケミ姉さん 和。。(作) 村をすて こわれぬ気持ち 便りへひとつ 背に 星降る山は その色あおく 夢かなう ケミ姉さん むらをすて こわれぬきもち たよりへひとつ せに ほしふるやまは そのいろあおく ゆめかなう けみねえさん
2006年12月24日
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日曜日には小説を3のつづきです。はじめから読んでみようという人は日曜日には小説を1へ。 きょうは、 2006年12 月24日、日曜日だ。クリスマスイブだな。ショートケーキ、食べよう。 新聞には「細菌性髄膜炎ワクチン承認」と書いてある。「アイデアは自分で見つける」とgaMeさんにコメントされたけど、なかなか独自のアイデアは浮かばないから、やはり「物語」をちょっと使わせてもらうことにしよう。 でもまあな、これはこれで「私のアイデア」ではあるよな。■ひろしを探せ 私はアニハ探偵社(3級探偵士事務所)で日給の仕事をさせてもらっている。探偵事務所で働いているといっても、探偵の知識も技術もない。ちょっとしたコネのおかげで、暇さえあれば誰でもできそうな依頼を回してもらっている。もちろんそんな依頼がさほどあるわけではない。 でもあった。 行方不明になったひろしという人物を探すという仕事だ。 本物の探偵によるひと月ほどの真剣な調査のはて、どうにも行き詰まった探偵事務所が、残念ながらひろしさんは見つかりそうにないと依頼人に告げたところ、調査をつづけてくれれば経費と調査料は今後も払いますと返事され、そういうことでしたらと、私に仕事が回ってきたというわけだ。手がかりはほとんど何もなく、期待の少ない気楽な仕事だ。 きのうから、ひろしの家の近所をうろついている。どういうわけか顔写真も手に入らず、家の近所をうろつくほかに何をすればいいのやら思いつかないでいる。ひろしの過去についても、アニハ探偵事務所としてはずいぶんがんばって調査したものの、重要な手がかりは見つからなかったらしい。 海岸沿いのベンチにすわって夕日を眺める。世界はまったく美しい。こんなにゆったりした時間を過ごさせてもらって日給をもらうのも少し気が引けるが、今のところ探偵としてやれることは何もないのだから、あとは偶然に頼るしかない。………え? 電話? 携帯電話持ってないのに、どうしてこんなところで電話が鳴るんだ? どうやらベンチの隣の電話ボックスらしい。私は立ち上がり、ボックスに入る。 受話器をとるとすぐにしゃべってきた。「ひろしだけど」「ひろし?」「ん? あんた誰?」「どこにかけてます?」「あれ? 家じゃないの? 家の人に代わってよ」「ここは電話ボックスです。ひろしさん、今どこですか? どこからかけてるのですか?」「海岸通りの電話ボックスだよ」 ここと同じような場所だな。「じつはわたくし、頼まれてひろしさんを探している者です。どうして家出なんかしたの?」「家出? してないよ。それどころか家に帰りたいんだ」「誘拐?」「ちがうよ、自由なんだけど帰れないんだ。どういうことになってるのか、わけわかんなくて、こうして家に電話してるんだ…ああ、家じゃないんだ…まあ、今の状況からすると、つながらなくっても不思議じゃないけど」「どういうことなんです?」「あんたはぼくを探そうとしてくれてるんですよね。だったら言うよ」 奇妙な状況とはいえ、とにかくこうしてひろしとしゃべれてるのだから、意外と簡単に事件(?)は解決するかもしれない。 だけどな、事件を解決してしまえば(解決というのがひろしの居場所を発見することなのか、ひろしを家に連れもどすことなのか、探偵事務所に確認しなくてはいけないな)仕事が終わってしまう。 行方不明のひろしが見つからなくても、というか、ひろしが見つからないかぎりいつまでも日給をもらいつづけられる、目が覚めたら探偵気分で一日を始めることのできる、かといってプレッシャーのほとんどかからない、のんびりした日雇い探偵でいられるのに、ひろしが見つかったらこの仕事、終わってしまう。 まあな、そのかわり、事件を解決したら、依頼人は成功報酬としてすごい額を探偵事務所に支払ってくれることになっており、そのときには私にもかなりな報酬が回ってくることになる。 私にひろしが見つけられるはずがないと予想したアニハ探偵社が、もしも成功したら成功報酬の8割をあげよう、がんばってくれたまえ、と約束したのだ。 そうだ、ここで私の探偵としての能力を見せつければ、本物の探偵として雇ってくれるかもしれない。 それに、日雇いバイトとはいえせっかく憧れの探偵をしてるんだから、ひとつくらい事件を解決してみたい欲望もある。「そうです。わたくしは探偵です。ひろしさんを探しています。何が起こったか話してください」■ うん、これはなかなかいいぞ。この調子で来週も書ければいいな。どうなるか、わからないけど。 さて、gaMeさんの「物語」、どうなってるかな? ………ふーん、こうくるか……… ん?「物語14」はまだない…そうか、誰かが「物語13」のコメント欄に「A」を書きこまないと「物語14」にはつづかないんだな。「物語」をおもしろいと思ってるのは私だけか? ほかの人はつづき、読みたいと思わないんだろうか? だけどまあ「12話」までは「A」にたいする応募が来てるんだから、興味を持ってる読者はいる。もしかしたら、いちど「A」を書きこんで「物語」に参加した人は、なかなか2回目3回目の応募はしづらいのかもしれないな。だけど、それで誰も書きこまなくなったら、つづきが読めない。 ほかの人はともかく、私はつづきが読みたい。 そうだ、もし、来週の日曜日まで誰も書きこまなかったら、もういちど「A」に書きこむとしよう。■日曜日には小説を5につづきます。
2006年12月24日
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クイズです。「誰でしょか?」
2006年12月23日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー1:p152:クリシュナムルティ:大野純一(訳):春秋社)より引用『あるがままの発見の手段として経験に頼ることは、幻想に陥ることである。』
2006年12月23日
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天使(作) 天を愛し 空に夢乗せ 山さす月も吠えろよ 浮く小舟へ抜け落ち 波は光と戯れる てんをあいし そらにゆめのせ やまさすつきもほえろよ うくこふねへぬけおち なみはひかりとたわむれる
2006年12月22日
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すずめ ときどきわたしはおもうのよ。 すずめにごちそうしてやって、 みんなならして名をつけて、 かたやおててにとまらせて、 よそへあそびに行くことを。 けれどもじきにわすれるの。 だって、遊びはたくさんで、 すずめのことなんかわすれるの。 思い出すのは夜だもの、 すずめのいない夜だもの。 いつもわたしのおもうこと、 もしかすずめが知ってたら、 待ちぼけばっかししてるでしょ。 わたし、ほんとにわるい子よ。(このみちをゆこうよ:金子みすゞ童謡集:p112/p113:JULA出版局)より引用
2006年12月22日
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これまで職場で名刺を作ってもらったことはあるのですが、生まれてはじめて、自分で(自費で)名刺を発注しました。 片面は「gaMe」(だけ)で、もう片面はgaMeさんのURL(だけ)が印刷されているものです。 できてくるのが楽しみです。
2006年12月21日
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のん気なハチ yumizenの息子(作) われもけせえぬ あかいひ さしこむ やまへ おりたら ねてろ ふゆに そとくる のんきな みつすうはちを ほめよ
2006年12月21日
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ネィル(作) やまこえ ちくりんもぬけて そらにはふね きみ とわのせかいへ あすよされ なつおしむほたる ゆめをひろう(山 越え 竹林も抜けて 空には船 君 永久の世界へ 明日よ去れ 夏惜しむ蛍 夢を拾う)
2006年12月21日
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螺旋に縒れる縄紐編む手 和。。(作) ゆうやけみち ほりふたつ ねことおえかき しろいはすさくぬまへ そのめを らせんによれるなわひもあむて
2006年12月21日
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ネィル(作) あめは やむかね よる ふらり ほしをおう たぬきのひみつ そこへゆけても ちえとろまん わすれないくせにさ
2006年12月21日
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物語 12 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。 右手をズボンのポケットに入れて洞窟の上からこっちをのぞいている人 が、とつぜん呼びかけてきた。『おーい、キビタキは鳴きましたかー?』 キビタキ? 鳴くってことは鳥か? 僕はおじいさんに尋ねる。「キビタキ…」「なんじゃ?」「キビタキってわかります?」「おぬしの目のまん前におるじゃないか!」 何言ってるんだ? じぃさん、ぼけなのか? まぬけとぼけの会話か? 僕の目のまん前にいるのはじぃさん、あんただろ? ひろしを見ると、ニコニコして二人の会話を聞いている。「おじいさんの名前、キビタキっていうんですか?」「人は呼ばれた名になるんじゃよ」 やはりぼけか?「どういうことなんでしょう?」「おぬし、生まれたとき、名前があったかね?」「それはまあ、生まれる前から親が決めてましたから」「あほ。そうじゃない。人から、たとえば母親から名を呼ばれるまで、自分の名を知ってたかね?」 まぬけの次は、あほ、か…「赤ん坊は言葉を知りませんからね」「あほ。赤ん坊に向かって名前で呼びかけるのは、その名前にしてしまうためじゃよ。かなしいことに、人は他人に呼ばれた名になってしまうんじゃ」 うーん、まあ、そう言われたらそういう気も…「おい、あそこだ、どっち見てる! あほ。あっちじゃ」 じぃさんの視線を追う。「 あれですか? ああ、すごい。みごとな鳴き声ですね」「ほら、飛ぶぞ!」 洞窟の天井にひらいた穴のひとつに向かって、穴の上に立ってる人に向かって、キビタキが飛ぶ。赤や青の鳥とすれちがい、キビタキの黄が飛翔する。「うわっ、すごいすごい」「おぬし、何をぼやぼやしとるんじゃ! ちゃんと答えてやらんか!」「え?」「鳴きましたか、って聞かれたんじゃろ?」「あ、はい…おーい! キビタキ、鳴きましたよーぉ!」『ありがとー!』「どうしてあの人、キビタキが鳴いたかどうかなんて尋ねたんでしょうね?」「A」(ひろしの言葉)■ さて、今回も、これまで同様、「A」に入れる「ひろしの言葉」を募集します。コメント欄に書きこんでくださいね。先着 1名様の「ひろしの言葉」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 13 のはじまりは、ネィルさんに応募していただいた「キビタキは鳴きましたか?」を、「おーい、キビタキは鳴きましたかー?」として採用させていただきました。 ネィルさん、ありがとうございました。■物語 14 につづきます。
2006年12月20日
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思い出 和。。(作) やねぬけて しろきくも そらひとつ せまいにわへ はなかおり ふみよむめを さする ほれたあのこ ゆうえんち
2006年12月18日
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(自己の変容:p139:クリシュナムルティ:めるくまーる)より引用『愛があるとき寛容はありえません。許すということは恨みが積み重なった後でしか起こらないのです。 寛容とは激怒のことです。傷がなければ治療の必要もありません。激怒や憎しみを生み出すものは不注意なのですが、それらに気づいた後であなたは許そうとするのです。寛容は分離をますます広げます。「私は許している」という意識があるとき、あなたは罪を犯しているのです。「私は寛大だ」という意識があるとき、あなたは寛大ではありません。「私は沈黙している」という意識があるとき、沈黙はありません。意識的に愛そうとするとき、あなたは暴力的なのです。「私は存在する」とか「私は存在しない」と言う観察者がいるかぎり、愛はありえません。』
2006年12月18日
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涙にくもる情景 和。。(作) ひよりもさむく ゆうやけに ちへい てつのせんろ そまる あか めは ぬれ なきこらえ ふと おね ほしを みわたす
2006年12月18日
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名前 ナカタの父(作) あえくけしすせそたちつなぬねひふへむやよらりろわをこ さんは とてもきれい ゆめにみる まほうのかお アイデアはおもしろいので採用させてもらいますが、このように長たらしい名前を使った作品の掲載は、今回のみとさせていただきます。 今後は、名前は7文字まで、「さん」「さま」「くん」を入れて9文字までとさせていただきます。
2006年12月17日
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日曜日には小説を2のつづきです。はじめから読んでみようという人は日曜日には小説を1へ。 きょうは、 2006年12 月17日、日曜日だ。 新聞には「ミサワホーム粉飾の疑い」と書いてある。 さて、きょうこそ小説、始めるぞ。 そのまえに先週、gaMeさんのブログに書きこんだの、どうなってるか見てみよう。「物語 10 」に応募した「A」に入れる「ひろしの言葉」が採用されたかどうかと(先着1名様採用だけど、あんなにすばやく打ちこんだんだから、1着のはずなんだけど)、コメント欄に書きこんだ「gaMeさんへのお願い」に返事があるかどうか…おっ、よしよし、「ひろしの言葉」は私のが採用されてるな…おおっ、「お願い」の返事も書いてくれてるぞ… ん? なんだ、アイデア、くれないのか…ふーん…よし、だったら「物語」からネタ、パクってしまおう。 どれどれ、こんな話はどうかな。■ 森の地下劇場では、今夜の公演の準備でみんな大わらわ。舞台の裏に運びこまれた電話ボックスのまわりを犬が走り回り、大人たちの間を小柄な女の子が赤いノートと青いノートを持って走り回る。 赤いノートの赤い文字は森の文字。 青いノートの青い文字は壁の向こうの文字。 片方の言葉しか知らない出演者や裏方さんのために走り回っている女の子。文字の翻訳だけじゃなく、絵も翻訳できます。 赤い風船は青いりんごに姿を変えます。 赤いりんごは青い風船に姿を変えます。 舞台に置かれた鏡は翻訳鏡。 森の人は壁の向こうの人になって映ります。 壁の向こうの人は森の人になって映ります。■ うーん、しかしな……… たしかにgaMeさんがコメントの返事に書いてくれたように「アイデアは自分で見つけないと、書く楽しみがずいぶん減ってしまう」のかもしれないな。 ん? 何なに? gaMeさんのブログに「あいうえおうた募集中」ってのがあるぞ。『あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わをん の46文字を並べ替えて、それぞれの文字をひとつずつ使って、46字(題名の文字は数えません)の詩にするというゲームです』 おもしろそうだな、ちょっとやってみるか。 ………クソッ! こんなじゃまくさいことできるか! 待てよ…アイデア浮かんだぞ…こんなの簡単じゃないか…ほら、できた。くけこすせそちつてとなにぬねのはひふへほみむめやゆよらりるれろわをさんもあいうえお かきました だけどな、いくらなんでもやりすぎか。もうちょっと考えてから応募しよう。■日曜日には小説を4につづきます。
2006年12月17日
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天使と人と狸の冬 和。。(作) けむりのなか そらあおく てんしは ころもわすれ めにみえるひと つちへほねを やせいたぬき さまようふゆ
2006年12月16日
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冬の道 yumizen と その息子(作) ねむけなわれは えほんもよめぬ ふゆみちを おやまへ うたのせて しろいとこあるく そらに つきひかりさす
2006年12月16日
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(しなやかに生きるために p40 クリシュナムルティ 大野純一(訳) コスモス・ライブラリー 星雲社)より引用『あらゆる経験、あらゆる思考を、毎日、毎分、それが起こるつど終わらせ、精神が未来へと根を伸ばさないように気をつけねばなりません。』
2006年12月16日
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センチメンタル 和。。(作) ゆうやけそら ぬれていろあおき ほふねをみつめ よまへさしこむ ひかりのわは たとえもなく せんちにする
2006年12月15日
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「あいうえおうた」を募集します。「あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わをん」 の46文字を並べ替えて、それぞれの文字をひとつずつ使って、46字(題名の文字は数えません)の詩にするというゲームです。 たとえば、 あいうえおうた gaMe(作) ゆめはすて けわしくせまいみちをとおり あなたによむ ねこやつきのえほんもぬれ ひるからふろへさそう とか、 哀愁。。。 和。。(作) すてきなふみよむこいをし おまもりほねひとつ ちるゆめは せんろのうえへ あさやけにぬれたそらかわく というふうに、作ってくださいね。 応募(コメント欄に書きこんでください)、お待ちしております。(ひとりでいくつ応募されてもかまいません) 作品は、「あいうえおうた」作品集 に掲載させていただきます。
2006年12月15日
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哀愁。。。 和。。(作) すてきなふみよむこいをし おまもりほねひとつ ちるゆめは せんろのうえへ あさやけにぬれたそらかわく
2006年12月15日
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(自己の変容:p134:クリシュナムルティ:めるくまーる)より引用(一部変作)『私たちは次のことをはっきりさせておく必要があります。それは、言葉は事物ではなく、言葉の表現はそれが表わす事物そのものではないということです。 なぜかと言うと、どんなに緻密で巧妙な説明をいくら積み重ねたとしても、それだけで心がひらくわけではないからです。 この事実を理解し、ただ言葉にしがみつくだけなのはやめなければなりません。言葉はコミュニケーションの道具として役に立ちますが、どうしても言葉で言い表わせないことについて話しあう場合には、交感が必要です。そうでなければ、ただ言葉をもてあそんでいるだけになってしまいます。』
2006年12月14日
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(大乗仏典 1:善勇猛般若経:p146 :中公文庫)より引用 『善勇猛よ、実に物や感覚や観念や意志形成や認識は、みだりに考えることもなく、思い迷うこともなく、ことばをもてあそぶこと(戯論(けろん))もない。』
2006年12月14日
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「私」「=」「瞬間」「脳」「知覚」「認識」「言葉」もまた、言葉であり、あらゆる言葉と同じく、言葉の「指し示しているもの」とは異なっている。 そして、【私=瞬間ごとの脳の知覚/認識】の本質もまた、あらゆるものの本質同様、たとえば、何でもいいのだけれど、たとえばボールペンの本質同様、たとえば空腹感の本質同様、「奇跡」である。 「私=瞬間ごとの脳の知覚/認識」と考える瞬間、「(私=瞬間ごとの脳の知覚/認識という思い)=私」であって、それよりほかに、「私=瞬間ごとの脳の知覚/認識」について考えている「私」はいない。 上記の文章をまとめてA とする。 すると、「A」と思う瞬間、「Aという思い=私」であって、それよりほかに、思っている「私」はどこにもいない。
2006年12月14日
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月のひかり 一 月のひかりはお屋根から、 明るい街をのぞきます。 なにも知らない人たちは、 ひるまのように、たのしげに、 明るい街をあるきます。 月のひかりはそれを見て、 そっとためいきついてから、 だれも貰(もら)わぬ、たくさんの、 影を瓦(かわら)にすててます。 それも知らない人たちは、 あかりの川のまちすじを、 魚のように、とおります。 ひと足ごとに、こく、うすく、 のびてはちぢむ、気まぐれな、 電灯(でんき)のかげをひきながら。 二 月のひかりはみつけます、 暗いさみしいうら町を、 いそいでさっととびこんで、 そこのまずしいみなしごが、 おどろいて眼(め)をあげたとき、 その眼のなかへもはいります。 ちっともいたくないように、 そして、そこらのあばら屋が、 銀の、ごてんにみえるよに。 子どもはやがてねむっても、 月のひかりは夜あけまで、 しずかにそこに佇(た)ってます。 こわれ荷ぐるま、やぶれかさ、 一本はえた草にまで、 かわらぬ影をやりながら。これを読む子どもたちには、「影」というのが「光」のことだとわかるでしょうか? ちょっと気になります。ここは解説を入れるべきかも。(このみちをゆこうよ:金子みすゞ童謡集:p42/p45:JULA出版局)より引用
2006年12月14日
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物語 11 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。 目が眩むような光を浴びる。 まっしろなひかり。 光ひかり光ひかり光ひかり……… 目が慣れてくると、光を浴びて森がひろがっている。森 森 森森 森 森森 森 森 森に目が慣れてくると、インジゴブルーの花やスカイレッドの鳥が咲き乱れ飛び散っている。 ひろしもおじいさんも呆然と突っ立っている。花 鳥 花鳥 花 鳥花 鳥 花 すばらしいな。みんな輝いてる。光が降りそそいで………光? え? ちょっと待てよ、おかしいじゃないか、地下食堂「駅」から地下鉄への階段を下りて、すぐに階段を上がって4つの扉に囲まれた部屋に入って、そこから平面の廊下を歩いてきたんだから、ここも地下のはずなのに、どうしてこんなに明るいんだ? 見あげると、わっ!洞窟 この森は地下にあるんだ! 洞窟の天井にひらいたいくつもの穴から光が降りそそいでいる。ん? あの穴、上から誰かこっちを見てるぞ。「A」(洞窟の上にいる人の言葉)■ さて、今回も、これまで同様、「A」に入れる「洞窟の上の人の言葉」を募集します。コメント欄に書きこんでください。先着 1名様の「洞窟の上にいる人の言葉」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語 12 のはじまりは、ネィルさんに応募していただいた「目が眩むような光」を採用させていただきました。 ネィルさん、ありがとうございました。■物語 13 につづきます。
2006年12月13日
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これは僕の自慢の詩です。「あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わをん」 の46文字を並べ替えて、それぞれの文字をひとつずつ使って、46字の詩にしています。 ゆめはすて けわしくせまいみちをとおり あなたによむ ねこやつきのえほんもぬれ ひるからふろへさそう
2006年12月13日
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あるとき「奇跡」が起こるわけではない。 起こっていることがすべて「奇跡」である。
2006年12月13日
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わたし どこにだってわたしがいるの、 わたしのほかに、わたしがいるの。 通りじゃ店の硝子(ガラス)のなかに、 うちへ帰れば時計のなかに。 お台所じゃおぼんにいるし、 雨のふる日は、路(みち)にまでいるの。 けれどもなぜか、いつ見ても、 お空にゃ決していないのよ。(このみちをゆこうよ:金子みすゞ童謡集:p40/p41:JULA出版局)より引用
2006年12月13日
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「私の世界」は「私の言葉」が作る。「あなたの世界」は「あなたの言葉」が作る。「Aさんの世界」は「Aさんの言葉」が作る。 だけど「誰のものでもない世界」は「誰かの言葉」でできてはいない。「誰のものでもない世界」ではひたすら光が降りそそいでいる。「言葉」が落ちれば、それはそこにある。
2006年12月12日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー1:p175:クリシュナムルティ:大野純一(訳):春秋社)より引用『自我という織物の全体が、矛盾したさまざまの関心や価値の結果であり、異なったレベルでの多種多様な願望の結果なのである。』
2006年12月12日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー1:p171:クリシュナムルティ:大野純一(訳):春秋社)より引用『言葉は記憶であり、そして言葉がもはや意義を持たないとき、そのときには経験者と経験されるものとの間の関係は、全く異なってくる。そのときには、経験は直接であり、言葉、記憶によるものではない。そのときには、経験者は即経験であり、そしてそれのみが恐怖からの自由をもたらすのである。』
2006年12月12日
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物語 10 のつづきです。はじめから読んでみようという人は物語 1 へ。「さあ、行きましょう」 どこへ? と尋ねかけてやめる。ひろし、わけのわかんないおじいさん、につづいて扉を出る。階段のつもりで足を踏み出したが、廊下だった。入ってきた扉とはちがう扉。ということは、ひろしは地下鉄とは別の方角からやってきたのか?「ひろしさん、どこに行ってたんですか?」「おぬし、何ごじゃごじゃ言っとるのじゃ!」 ひろしの笑い声がひびく。廊下は薄っすら、緑の光に包まれている。奇妙な角度に折れ曲がった通路を、ふたりはどんどん歩いてゆく。僕はついてゆく。まぬけ? けど、この状況でどうするのがまぬけでないのだろう? ふたりについてゆくのがまぬけだとしたって、たとえば廊下がふたつみっつに分かれるところを曲がるとき、ふたりが進んだのとちがう通路を選ぶのがまぬけでないのだろうか…4つの扉に囲まれた部屋に引きかえすのがまぬけでないのだろうか…ああ…でも…引きかえしたくても引きかえせはしない…どんなふうに右に左に右斜めに左斜めに、廊下の分かれ道を進んできたのか、もう覚えてはいない…突きあたり…扉。 廊下は終わり、ふたりにつづいて扉を抜けた。「A」だった。■ さて、今回も、これまで同様、「A」に入れる「何か」を募集します。コメント欄に書きこんでください。先着 1名様の「何か」を採用し、それにある程度合わせて、物語のつづきを書いていこうと思います。 よろしくお願いします。 ちなみに物語11のはじまりは、ナカタの父さんに応募していただいた「さあ、行きましょう」を採用させていただきました。 ナカタの父さん、ありがとうございました。■物語 12 につづきます。
2006年12月10日
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日曜日には小説を1のつづきです。 きょうは、2006 年12 月10日、日曜日だ。 新聞には「火災保険料取り過ぎ」と書いてある。 小説、いよいよ、書き始めるか。 ………………… ふぅ。 思い浮かばないや。まあ、とつぜん書こうとしたって無理だな。今週いっぱい考えてみて、書くのは来週からにしよう。 パソコン閉じる前に、人が何書いてるか、ちょっとブログを覗いてみるとするか。 Googleで検索…「連載小説 ブログ」と打ちこむ…ん?…「連載小説を書いてみようv楽天ブログ」…これにしよう…うわっ、いっぱいあるな…えーと…「物語 10 」にしてみるか…なになに?…はじめから読んでみようという人は物語1へ?…わかりましたよ、はいクリックしました…ふむふむ…ほお… これはおもしろい。「物語11」はどこだ? そうか、誰かがコメント欄に、次の話のはじまりの言葉、「A」を書きこまないと「物語11」にはつづかないんだな。つづき読みたいな。 そうか、つづきを読むのは簡単じゃないか。コメント欄に誰かが「A」を書きこみさえすればいい。だったら、私が書きこめばいい。 よし、「A」に入れる「ひろしの言葉」に応募しよう。 そうだ、ついでに「物語」を書いてる gaMeさんに小説のアイデアも尋ねてみるか…この人ならおもしろいアイデア教えてくれるかも… …よし、できた。 ん? カテゴリーってとこに、変なのあるぞ。「gaMeさんといっしょに3」だって? 何なんだろう、これは? ふむふむ…なるほどね…明日にでもやってみて来週、コメントするとしよう。 さて、きょうはパソコン終わり。 おもしろかったな。 ああそうだ、「物語」の入ってる gaMeさんのブログ、「お気に入り」に「gaMe」として入れておこう。 来週の日曜が楽しみだな。■日曜日には小説を3につづきます。
2006年12月10日
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