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どこに行っても、皆、似たようなおみやげ物ばかりで、名物と言われれば、これまた、どの店も同じような物を並べている。滋賀は、お米はもちろん、野菜、お茶ととっても美味しい農産物王国だが、お土産となると、ハテ、なんだろう。草津の道の駅で、見たことのない野菜、お茶、お米まで買い込み、考えた。米処だが、名酒もあまり聞こえてこない。まず、鍋物に使うと美味しい丁字麩。こちらでは、芥子酢味噌で食べる(どんな味だろう)こともあるらしい。でも、やっぱり「赤こんにゃく」、これほど独特な物は、ないだろう。滋賀に入境するや見かけるが、出境した途端、見かけなくなる代物だ。当たり前のようですが。 まず、見た目にインパクトがある。柔らかそうな、あるいはふやけた煉瓦。食品には見えず、ちょっと異質な風体である。鉄分で赤くしているらしい。では、お味はと言うと意外や意外、アクが少なく、こんにゃく独自の臭みもない。もちろん、鉄分の味も唐辛子の味もしない。ぷんにゃりとして独特の歯ごたえだが、父母は食べやすかったそうだ。値段は、確か150円程度。(一丁には満たない大きさ)但し、各店舗により微妙に大きさが異なり、値段も当然大きさに比例している。なぜだろう、同じメーカーだったと思うが。スーパーで買うこんにゃくよりかは、若干高めだが、そこは珍味?ということで。 何故、赤いのか。てっきり「井伊の赤備え」に由来しているのだと思っていたら 鎧甲一式を赤に統一した井伊家の最強軍団。勇猛果敢で名を馳せていた、らしい。派手好き信長が、赤に染めさせたとかなんやらで、はっきりしないらしい。けれど、婚約、こんにゃくには元々、繊維質とカルシウムが多くそれに摂取しづらい鉄分も加われば、現代女性はもちろん、メタボリックパパにも最強のお友達、まさに「赤備え」ぐらいにはなるかもよ。さてこの日、お友達から頂いた珍しいお肉の煮物が、あまりにも美味しくて、ぺろりと頂いてしまいましたが、残ってしまった煮汁は、これまたもったいないので舐めるように、件の赤こんにゃくとピーマンを炊いた次第。美味しかった~。最強の煮汁だったので、何を炊いても美味しかったとは思います。有り難うございましたあ^0^
2007年03月30日

琵琶湖に縁遠かったのは、心惹かれる食べ物がなかったからかもしれない。恋、鯉や鰻は絶対に食べないし、甘露煮、佃煮自体、好まない。ある日、近所に新しいお肉屋さんが出来たら、そこに「近江牛」の三文字が。よっしゃあ、琵琶湖近辺に行く日が来たら、近江牛だなっ!!長浜に宿泊した日の夕食は、季節的にレアな鴨すき。その内容は、余すことなく語られているので、省略。こちらをご照覧下さい。おいっ!!だって、湖に群れる鴨の写真しかないんですもの、悪趣味でしょ?あ、付け加えるならば、鍋奉行の従業員氏は、目はちっとも笑ってないのだが、笑わせてくれるお兄さんで、鍋料理の仕切に並々ならぬ愛情を感じる。果たして、鍋物以外の料理では、いかにしてサーブに、情熱を燃やしているのだろうか。平凡な宿の朝食を済まし、近江八幡へと向かう最中にも、頭は近江牛でいっぱい。期待度の割に下調べがなってないので、どこで食べられるのかも知らないからだ。世界に冠たるブランド松阪では、市境を越えた途端、牛肉の甘い匂いに満ちていた。きっと、近江八幡に入ったらどこなっとあるでしょう。ないんですね、観光の目玉にすえたこの街並保存地区一帯には牛どころか食べ物屋が少ない。ふっと、上を見上げる。電信柱の広告に、「近江牛 西川」が!!ツレのおごりだもん、高級だろうが知ったこっちゃない!あ、我が家の車を出したので、必然的に私が運転することになる。その謝礼。「ダ~リンおごちそうさま」、そんな甘い話じゃない。鼻を頼りに捜し出したその「西川」は、元々は精肉店だろう、店舗は併設しているが、割と立派な構えとメニュー構成である。飲酒厳禁なのに、ステーキやしゃぶしゃぶじゃつまらないし、遠慮もあるし、私はすきやき丼を注文した。塗りのお椀に盛られたそれを、期待をこめて蓋を取ると!他人丼や~ん。私、牛丼みたいなの、想像してた。なんだか卵でごまかされた気がしたが、気を取り直して、まずは、一切れ肉をつまみ出す。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」さらに一箸。すきやき丼と言うだけあって、菊菜、えのきだけ、豆腐、白ネギ、おなじみの具材の切れっ端が入っている。お値段は、赤だしと香物付いて1300円。(だったと思う、払ってないから)で、お肉のお味は?西川さんのお肉云々したいのならば、はい、明らかに私のミスチョイスです。すき焼き丼じゃ、お肉の味なんかわかんな~い。遠慮なんかしないで、がっつり注文すりゃ良かったんだ。でも次々、座敷に上がってくるお客様の顔は、皆、にこにこと幸せそうなので牛肉の本領ドーパミンは、匂いと期待感だけでも放出される、どうやら、これは確かなことらしい。
2007年03月28日

元食堂のウインドウ。親子丼からうどん、焼き飯、カレーライスと何でもあったのかも。おすしを注文すると「今日は、うどんとそばしかない」って、言われたりね。とても古いお雛様でしたが、やっぱり大事にしてあるのですね。さて、城下町長浜から、南下して、やはり古い町並み残る近江八幡市は近江商人の軒昂ぶりが面影に残っています。今では、時代劇のロケ地として重要になった八幡堀を中心に静かな情趣に満ちた町並みです。お雛様が飾られた家々は地図に記され、また軒には短い竹竿に布を下げたものを、目印として出してあります。商店のウインドウを中心に、お宅に残る、古くは江戸時代の享保雛から明治に流行した御殿作りのお雛様、子供時代に目にした懐かしいお雛様、日本人形、五月人形と飾ってあります。雛祭りとは文字通り、忘れていたものを、また取り出し、眺め、また愛でる。人形を供養できるのは、本来、そんな肉感的行為だけのような気がします。近江八幡では、家々に飾られたそんなお雛様の他に今では、「旧伴庄右衛門」宅として公開されている大きな建物内部(以前は校舎として活用されていた)でも寄贈された古いお雛様やお道具が展示されていました。相方を無くしてしまった三人官女や、人気役者を模した人形、流行り装束をまとった人形、武者人形など、今では見ることもない意匠の人形が白砂をしいた囲いの中に並べられそれは、日頃孤独なお人形達の花見の宴のようでした。またことのほか愛おしいのは、小さな小さな道具類。黒塗りに金蒔絵の定番だけではなく、恐らくは、お土地柄でしょうか、まるで裕福な商人の妻女達が使う物のように、華やかな色合いの衝立、箪笥、鏡台。硯や筆はもちろん、墨と水滴まで納められた硯箱、小さなお煎茶茶碗一式、火鉢、時代が新しくなってくればミシンやアイロン、果ては包丁一式、お玉や杓子、魚焼き網なんてお台所道具まで、数え上げればキリのない、女達には縁深い日用品がそれはそれは、いかにも大事に丁寧に作られ、残されているのです。箪笥長持だけでなく、日用品も含めて飾るというのは、実は、私は初めて知ったのですが、この地特有の風習なのでしょうか。いつからの物なのか、残念ながら時代別には展示されてなかったので不明でしたが、説明文には、年に一度の雛祭りの時にだけ、飾られ手に取った、とありました。日頃はお転婆な子も、そっと取り上げ、静かに眺め入ったお道具だったのでしょう。夕闇迫り薄暗く、ますます、ヒンヤリとしてきた館内の一画から古の女の子達の密やかな息使いが、感じられます。お雛様をお片付けする日、髪やお顔には母だけしか触ってはならず手をきちんと洗い、化粧紙をお雛様の道具に巻き付けることのみ許された幼い日の私。その覚束ない緊張した手つきと柔らかな化粧紙の感触。そんなものまで、その場所には蘇ってくるのでしょうか。お雛様の宴もたけなわ、いろんな時代の、境遇も異なる女の子達のざわめきに、幼い日の私も確かに、混じっていたようでした。大阪府富田林市寺内町でも見つけたお雛道具です。高さ20センチくらい。近江八幡にもありました。寺内町に関しては、遠い近日(笑)アップ予定。
2007年03月22日

母がついつい自分のために購入した、古布をまとったうさぎの雛一対。父には、値段は内緒だそう。墓場まで持って行く秘密の、一つと言ったところ。最近、個人所蔵のひな人形を各戸で展示し観光客は、古い町並みを楽しみながら、店や玄関先に飾られたそれらを眺めさせて頂くという形式の町おこしが、そちこちで見られるようになりました。琵琶湖湖畔には、古い町並みを残す珠のような町々が残っています。梅に誘われ、早春を味わうつもりで訪れたそんな湖国の町でも、桃の節句はもう始まっておりました。長浜は、戦国時代を舞台にしたドラマで、豊臣秀吉が、初めて城持ち大名となった城下町として登場しますがその城址に天守閣を模した博物館があります。高さはありませんが、最上階がお決まりの展望台になっており、平坦な長浜の町並みと、間近にずんと拡がる琵琶湖をぐるりと見回し秀吉の高揚感をひと時、味わうことが出来ます。常設品としては、国友火縄銃の生産地として、様々な武器が展示されていましたが、この時期、企画展として「砂千代の雛と雛道具」が開催されており長浜の古刹「大通寺」と縁深い彦根藩主の娘、砂千代姫(井伊直弼の七女)が同寺に縁づいた折の道具が展示されています。幕末の、しかし幕府の屋台骨を支え続けた大藩の、恐らく浮世離れもしてたろう姫君の種々の贅を尽くしたお道具類。お寺かお城の大広間にしか映えないほどに、大きな内裏雛(一抱えもある)。漆に蒔絵の、実用品と見紛うばかりの雛道具類。様々な美しい化粧道具、風変わりな意匠の食器。幼いうちから内室となるべく大通寺に養女に出され、また父を早くに亡くした姫君は、小柄で華奢だったのでしょうか。白地の紬地に刺繍が施された振り袖は、身幅も着丈もとても小さいものでした。父直弼と亡くなった婚約者の絵姿は展示されているのに、この日の主人公を、そっと空想する唯一のよすがでした。彦根市では姫の姉、弥千代姫のひな人形の展示があったようです。あわせてみることが出来れば、どれほど、感慨深かったことでしょう。「砂千代の雛と雛道具」展は3月25日まで、もっと早くにご紹介すべきでしたが。隣市、彦根と併せて、大名家の暮らしを伺えるこんな企画展があれば、また足を運んでしまうでしょう。長浜城歴史博物館の周囲にも、たくさんの桜が植えられその花の盛りを思い描いたことでした。くり乃々の姉姫初節句のひな人形。かれこれ30年もたつと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、古色もつきますが綺麗なお顔をしていると思うのは、愛着ゆえでしょうか。お内裏様とお雛様しか残していないのが、残念です。後編は、近日(笑)アップ予定です。またのお越しを、お待ち申し上げております。
2007年03月21日

望郷君自故郷來 君故郷より来たる應知故郷事 應(まさ)に故郷の事を知るべし來日綺窗前 来日(らいじつ) 綺窗(きそう)の前寒梅著花未 寒梅花を著(つ)けしや未だしや王維「雑詩第二首」より君は私の故郷より来たのだろう(私の)故郷のことならよく知っているはずだ君が来るとき、綺窗の前にあったあの早咲きの梅はもう花を着けただろうか、まだだったろうか中国は唐時代に李白、杜甫と並び称された詩人、王維の漢詩です。「望郷」という題からも、「故郷」という言葉を二つ重ねることからも若くして都に出てきた王維の望郷の熱き想い、とも思われますが、綺窗(きそう)とは、女性の居室用飾り窓のこと。丸く抜いた形に、細工細かな桟をとりつけた絹張りの窓を言うのでしょうか。梅が咲いたかどうかを尋ねながら王維が知りたいのは、故郷に残してきた想い人、この瀟洒な窓の奥にいる住人のことなのですね。菅原道真を持ち出すまでもなく、梅には望郷の詩が多いように思います。冬枯れのわびしい風景の中、ほころぶ様に淡い色を着け出す梅の花は、季節の移ろいと共に、己の来し方、過ぎゆく年月を実感させたのかもしれません。それは、手紙さえままならぬ古人にとって、身を切られるような孤独を、切ない故郷への想いをより駆り立てる、春の予兆だったのでしょうか。漢詩、漢文もちんぷんかんぷんなのですが梅花の頃、王維も焦がれた「梅」を想像して、この絵画的な詩を思い出すのです。故郷を思った詩ならば、さしずめ、野に咲くこんな梅。(北野天満宮 梅苑)女性への恋情ととるならば、共に慈しんだであろう庭の梅を思い描きます。(同 境内)いかにも、中国風の窓に似合いそうだとお思いになりませんか?でも漢文の授業て何なのでしょうね・・・・。中国語のお勉強じゃないし。純粋に教養のためのお勉強だと割切ることさえ出来さえすれば別に励んでみても悪くはなかったのかもしれないと今なら思わんこともないではないんですが。「タグ」で、私も遊んでみています。前の日記の「上七軒」に反応して、来て下さった方、行かれた方がおられる様子です。うふふ、がっかりさせてごめんなさい。これからも、紛らわしいタグを付けて遊びます^-^
2007年03月14日

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて春な忘れそ日本歴史史上最強の祟り神、菅原道真公が九州は太宰府に左遷された後、詠んだ望郷の歌です。(初出は「春を忘るな」だそうですが、こちらの方が好き)全国に散らばった天神さんの境内には、どこも梅の木があるでしょうが、筆頭、京都の北野天満宮では梅花咲きほころぶ頃、菅公の祥月命日である2月25日に「梅花祭」として、毎年、多くの人を集めます。この日、梅ならぬもう一つの花が、上七軒の芸、舞妓たちによる野点でのお接待。京の花街といえば、祇園、先斗町を思い描かれることでしょうが、北野天満宮と軒を接する上七軒は、最も歴史が古くその成立ちからして縁深いそうです。また、織物の代名詞「西陣織」生産地のただ中ですから、彼女たちは目のこえた旦那衆に鍛えられ、その隆盛時には、どこの花街よりも豪勢な衣装比べだったとか。例年、お天気が荒れることの多い梅花祭ですが、今年は暖冬に恵まれ日曜日でもあるし、私も出かけることにいたしました。覚悟はしておりましたが、人出はかなりなものです。1500円也のお茶券(おみやげ、宝物館入館券つき)は、とうに売り切れ、お目当ての綺麗どこさんは、くすん、紅白の天幕で区切られた遙か彼方で、しかも、茶席の客人に囲まれた向こうで、結った頭が、行ったり来たりしているのが見えるだけ。天幕に貼りついて目を凝らしましたが、着物チェックは到底、叶いそうもありません。梅に鶯ならぬ、梅に華。目もあやな上七軒の芸妓さんです。しからば、ここは素直に、梅の甘やかな香りに導かれることと致しましょう。茶菓代込みの梅林入園料は500円也(境内、拝観は無料)。紅白の梅が六分咲き、の状態でしょうか。例年よりも早いですね、やっぱり。こちらも幽玄の境地には程遠く、人混みに歩調をあわせて進みます。チケット代に含まれる茶菓は、長蛇の列でしたので並ばず、どんなお菓子だったのかはわかりません。上七軒の綺麗どこさんにお株を奪われた形なのに、なんだか境内の梅の方が梅林よりも、枝振りもお花も雅で華やかな気がします。うぅ~ん、気のせいかしら?そもそも、北野天満宮においては25日は毎月、市の立つ日。広くはない敷地内に、定番の食べ物屋から古着、骨董、小間物屋と種々雑多に屋台が立ち並びます。すぐ傍らに拡がる梅林に、屋台の雑多な匂いが(唐揚げ、焼きそば等々)入り込み、せっかくの梅香を殺してしまった様でした。市は大好きな性格ですが、梅にはそぐわず魅力半減、全く残念なことでした。友人が撮ってくれた写真は、いつもデータ記号のままメールで来ます。なぜかこれにだけは、すでに名前が付けてありました。ザンバラ髪で紅白幕に張り付いている女が、はい、くり乃々です。写真に、カーソルを乗せてみて下さい。むむむむ~、ウッキー!!3月9日現在の梅便りによると、長浜盆梅展、北野天満宮ともに「満開」でした。^-^
2007年03月09日

さて前述しましたように、日帰りバスツアーも来るほどですから会場内は、団体ツアー客も個人客も結構な人出ですが、間違ってもフラリと立ち寄った若者や、お花見デートなんてのは一人もおらず、お若い方がおられたら、大方、運転手兼じじばばの付き添いです。平均年齢62,3歳てとこでしょうか。私達なんか、引き下げに貢献しています。会場は、新館も連なっていてお土産物コーナー、お抹茶、梅茶が頂ける茶所もしつらえてあり、寒さもあってか一番の人だかりでした。この後訪れた近江八幡の骨董屋のおやじは「俗ぽく、商業主義に陥りすぎた。昔は、もっと厳かだったのに」と怒っておられましたが、私も出来ることならば民話を気取って「サンカ」の住人の如く、艶やかな友禅を裾長に着付け人のいない盆梅の間を密やかに歩いてみたいものです。会場は「慶雲館」という明治期の由緒ある木造の建物。明治天皇の長浜行幸に際して、歓待所として建築されたそうです。なんと作庭は七代目小川治兵衛で、彼らしく、広い空間をより明るく伸びやかに作ってあります。なんだか、オブジェとしか言いようのない巨石が散らばった お相撲さんとか巨大手水鉢とか巨大灯籠とかちょっと不思議で楽しいお庭です。(オブジェは七代目の趣味ではなく、後世のものかも)今回、建具は取り払われていましたし、春から秋にかけては見学できるそうなので、次は、暖かくなった頃「慶雲館」そのものをじっくり訪ねたく思います。今年は3月11日まで開催されていますが、この記事を読んで奇特にも好奇心を刺激された方、そう、貴方のために最後にたった一つのお役立ち情報です。会場内はもちろん、暖房などありません。しんしんしんしんと足元から冷えが這い上ってきます。傘とお弁当は忘れても分厚いソックス(重ね履き用)、室内履き、カイロのご用意、これらをお忘れになっちゃいけません。名物の一つとして、是非とも湖国の寒気を観光したいというへそ曲がりさんには、暖冬の今年であっても存分に味わえること、請け負います。鉢の一つ一つに、なるほどという麗々しいお名前がついています。この「蓬莱」というお題は、木にではなく、2本の木が醸す空間につけられたのでしょうか。写真の角度が悪い(撮影:友人)のですが、左は1メートル余り斜めに伸びた白梅、微妙な間があって右が小振りなしだれ紅梅。まさに、仙人が住まう「蓬莱」という幽境の心地がしませんか?もしかしたら、滋賀の蓬莱山(琵琶湖バレイ)に因んだだけかも。まさか、「551の蓬莱」オーナーの所有物なんてことは・・・・・・。 大阪発祥の中華料理屋。持ち帰り用豚まんが有名で、そのテレビCMは大阪炸裂です。
2007年03月04日

柳田国男に端を発する「サンカ」(山窩とも山家とも)の変化球的伝説の一つでしょうか。山中、迷った里人が大きな屋敷に辿り着き、歓待を受けるというお話。開けてはならぬという約束を破り、秘密の場所を覗くと四季の風景がそれぞれ眼前に現れる。里人が我に返ると、豪壮な屋敷も典雅な住人もおらず、迷った山中に取り残されていたという民話は、日本全国どこにでもあるようです。秘密の場所は、倉の中であったり、座敷であったり、小さな箪笥の抽斗の中というのもありました。けれど共通して四季の風景は、夏は蝉時雨、秋は借り入れ前のたわわな稲田、冬は雪景色に、春は梅に鶯だったと思います。子供心に箪笥に収められた四季の箱庭的風景というのが、妙にそそられたのですが以来、梅というと「梅林」よりかは「盆栽」を思い浮かべます。最近、大阪からの日帰りバスツアーで「長浜市の盆梅展」というのをよく見かけます。以前から心惹かれる企画だったのですが、なにせ、冬の琵琶湖湖畔の寒さといったら!梅の季節には積雪も珍しくなく二の足三の足でしたが、この度、友人の出産祝いを届けるため、 四の五の言ってる内、赤ちゃんは、1歳のお誕生日を迎えました湖西まで行くことになり、そのついでといってはなんですが、1泊してぐるり琵琶湖半周、湖東まで足を伸ばすことにしたのです。盆梅というのは、文字通り梅の盆栽。年末にはお花屋さんに並び、新春寿ぐ気分を上手に演出してくれる、あれです。会場「慶雲館」の式台も物々しい玄関の右左にも、そんな紅梅白梅が春を競うように咲いてのお出迎えでした。緋毛氈の上をしずしず歩めば、お庭に面したお座敷のふすまを取っ払った広い空間に盆栽が並んでいます。なんと!「箱庭的」なんて言葉が吹っ飛ぶくらい大層、立派な木々が並んでいます。野山からかっさらってきて慈しみ、中には樹齢350年なんてのもあるそうです。300鉢の中から、その三分の一くらいを開花した順に取り替えながら展示しているそうですが、元々、梅は桜と違い、てんこ盛りに咲くものではないにしても幹の立派さに比べ、お花は五分といった印象。天女が舞い、楽を奏する優雅、典雅な梅花のイメージではなく、枯淡、恬淡、古老といった言葉が匂いたちます。咲いていないというより花芽自体、少ない気さえするのですが、ひょっとしたら、盆梅はお花を見るものではなく、このねじくれた枝幹を愛でるのが通なのかもしれません。それでも、館内には馥郁とした梅の香りが立ち籠め、纏い付くようでした。また、狭い空間に人があふれているので、一番見栄えする場所にデンと機材を構える、素人カメラマンもご遠慮下さっているのが見物客にはありがたいことです。お役立ち情報満載(嘘っ)!!続く!!まさに「盆梅」という言葉を絵に描いたような「盆梅」春告げし 音なく散るや またも咲きオソマツ
2007年03月03日
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