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赤穂といえば四十七士だが、前回のコメントで頂戴したとおり、食いしん坊さんにとっては、塩。南イタリアはナポリお墨付きのピッツァ職人が、その塩を使って料理する店が、赤穂にはある。さくらぐみ。人気の程は大層だが、値段も大層だ。駅からお城への道程、通りがかると店頭予約しか受付けない上、開店準備開始(10時過ぎ頃)でもう行列。さして広くはない店内だから、しょうがない。残念。観光客が見つけ得るお店は、その通り沿いにしかなさそうだ。名物穴子寿司ののぼりを何本か見かけるが、食べられないし。お、手打ち蕎麦ののぼりが!が、観光地、しかも海沿いの蕎麦って、どんなものだろう。しかし店内では、親父がそばを打っている!てなことを、すでに、お城への道すがらチェックする私。浪士訪問後いまだ雨は上がらず、花見弁当は男らしくあきらめ、即行、親父手打ちの蕎麦屋「芳侖庵」に向かった次第。不思議だ。看板は確かに蕎麦屋だが、月、火、水曜はおふくろの味食堂で木、金曜はラーメン、土、日曜に蕎麦屋と大書きしてある。これはいったい、店主が居抜きで替わるのか、店主は替わらず、出す料理のカテゴリーが変わるのか。頭には、大きな大きなクエスチョンマーク。美味しいのか~~??結論。何故、週末のみ蕎麦屋なのか、もったいないぞっ!私、盛り蕎麦700円。友人、盛り蕎麦、炊き込みご飯、水蕎麦がついた、蕎麦セット800円(850円?)。この日、薬味はわさびではなく、出始めだからと辛味大根が付いた。出汁の味は薄めこそあれ、甘くはない。蕎麦独特の得も言われぬ甘みが鼻に抜ける。これは、旨い。久しぶりに関西(赤穂が関西圏であるかは別にして)で食べた美味しいお蕎麦だ。先付けの形で供された水蕎麦は、蕎麦の純粋な旨味を味わいましょうという当世流。芳侖庵さんでは、お塩(もちろん、赤穂の)を少しのせ、お水で濯いで頂戴する。これがまた、繊細なのだ!塩で軽く締めた蕎麦の甘みとコシが一層、香り立つ。あぁ、大阪とは言わない、この店がせめて三宮辺りまで、引っ越してくれないかしら。赤穂はちょっと、遠すぎる・・・・・。そば湯を頂いている頃合いで、小さなガラスの器に出されたのが、そば粉の寒天ゼリー。きな粉と黒蜜がかけられたそれは、また種々の香ばしさを漂わせ、口福だった。しかもこれ、全くのサービス。デザートが付くなんて品書きにも書いてない。すてきでしょ?あんまり美味しかったので、お酒メニューを見るのも忘れてた。で、不思議の種は、やっぱり月曜から金曜は、違う料理人が入って、それぞれお店をしているらしい。なぜ、そういう形態なのかは、さすがに聞きかねた。おじさんは、月曜から金曜は、他のお仕事をしてらっしゃるのかも知れない。日替わりで料理が出るのも、土地の方に喜ばれ、長続きするコツなのかも知れない。謎は謎のまま、週末に赤穂に行けば、美味しいお蕎麦が食べられる。これだけは、間違いない。赤穂城のお堀と桜。遠景に幽霊の如く、蔵の形の博物館が見えます。お題はご存知、小倉百人一首97番 権中納言定家作来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつすみません。塩繋がり・・・・・・てだけです・・・・・・。
2007年04月26日

赤穂といえば、はい、忠臣蔵。去年、初春興行で観た「仮名手本忠臣蔵」。玉三郎のおかる、仁左衛門の勘平。その凛々しいこと、美しいこと、当代きっての看板だ。私にとっての忠臣蔵とは、討入りよりもそこに至るまでの阿呆らしくも切ない、歌舞伎や浄瑠璃で馴染んだ、見栄と意地の人間ドラマだ。で、前述通り雨もよいの春の日、花見の積もりで降り立った赤穂はまさしく四十七士の故郷だった。改札を抜けて駅頭に下りる階段には、四十七士一人一人のタイルが貼られているし駅前モニュメントも赤穂浪士ならば、お弁当の名前も赤穂浪士。私の気持ちの中では、お城に行く予定は無かったのだが、天気も悪いし、一つミーハーで楽しむことにする。城下町らしく、真っ直ぐな広い道路がお城に向かって走っている。海に面しているので、平坦で空が広い。お堀の名残と大手門を越えた城内、大石内蔵助の館跡に大石神社はある。松の廊下の惨事(珍事?)を伝えた早駕籠(早馬説も)が叫ぶ「御開門!ごかいも~ん」の門も残っている。短い参道には、ずらりと石造りの四十七士が居並ぶが、当たり前か、皆、悲壮な表情だ。入り口には、大立役者大石内蔵助、対面には若くして父に殉じた主税。この大石神社のご利益は、大願成就、らしい。私は子供の頃、殿様一家は天守閣に住んでいると思っていた。再建するならば天守閣だろうが、赤穂城はそもそもそれを持たない。それでは、と歴史的にも優れた赤穂上水道の遺構に合わせて、本丸御殿を再現した。といっても、コンクリートで間取りを象っただけだが、大広間、控えの間、湯殿、押入れ、縁側、奥の間、台所、十分にあらましが想像できる。大家族だろう殿様一家を想像すると、広いのか狭いのか、よくわからない。う~ん、5LDK基準の小市民的発想ですね。御座所の大広間の正面には、日本庭園が広がっている。ゆるやかに綻びかけた桜もたくさん植わっている。天守閣をついに乗せることのなかった石垣は、その分、さらに堅牢に残っているという。 天守閣が乗るはずだった石垣から御殿跡を見る赤穂御崎に急ぎたかった私は、この日、大石神社の資料館にも博物館にも寄らなかった。残念。あまり来ることはない町だろうに。堀端には桜が咲ききらぬ枝を水面にかざし、その遠景、蔵を模した博物館の外観が伺えた。塩の取引で栄えたろう国の名残だ。赤穂を去る頃、ようよう陽が明るく差し出し、締めくくりに、隣町の坂越に降り立つことにした。海に面した古い家々を取り潰し、町並み整備を始めたようだがかつては塩の取引で賑わった、古い漁村の面影を残している。頃は夕方、神社の広場では、子供達がボール遊びに興じるその上で桜が霞を作っている。港には、二人三人と手にバケツを下げて集まってきた。きっと、漁のおすそ分けがあるのだろう。まだ開ききってはいなかった桜が、駅へと戻る頃には、西日を受けて、温もったのだろうか、ぽわぽわと夢から覚めたように、咲きだした。今日もまたもや、西行法師。雪と見えて 風に桜の 乱るれば 花の笠きる 春の夜の月もう赤穂でも、いくら何でも今日辺りは散った頃と思われます。お城の庭では、朧月夜、名残の桜を慰撫するために管弦の音色を漂わせ、上臈方がきららにお揃い召されたやもしれませぬ。
2007年04月19日

やぁ、ぱぁっと桜が咲き出したわぁ。他所さんのブログ見とって「ふん、ここらはもう咲いてんかいな」思とったらうっとこの近所かって、しょむない仕事場の近くかって、ようけ咲いてますやん。枝の先っぽ、紅(あこ)なって来よったな、思てたら、いきなしやもんなぁ。枯れ木に花を咲かせましょ、て、ほんまやで。ちゅよなことを思とったら、あっ、ちゅう間に散ってしまうやん。かなんわぁ。桜吹雪もええけどな、なんやぁ、鈴木清順の映画に出とるみたいで。そやけど、今年の桜、あんましきれいとちゃうかった。なんでて、あんまし観に行かれへんかったからやろな。去年は、ようけ観に行ってんでぇ。ソメイヨシノは、あんさん、当たり前、枝垂れかって八重かって、山桜も行きました。まるで物狂いみたいにあっちこっち行きました。それがなぁ、今年は憑きモン落ちたみたいに行かへんかった。いつまぁでも、やれ、お雛さんや袴の着付けや、言うとったさかいになぁ。よっこいしょぉ言うて、出掛けた赤穂御崎はちょう、早かったしな。桜の写真はとうとうあらへんの、よそのんがきれいなん載せてはるしな。ま、今更やけど、ちょう(超、ちゃいます。少々の意)ヘンコなうちも真似して、こんなん載せとこ。若葉も萌えよ、ちゅうこれからの季節でもいけてるし。ふん、「たねや」さんの桜餅ィ。最近、お店をよう見るんで、名古屋かどっかの和菓子屋さんか、思てましたら滋賀やって。白餡にうす桜色つけてありましてん。ちょう変わってますな。お抹茶たてるん、めんどくさかって、紅茶にしましてん。ダージリンのちょ、かび臭いようなんが、和菓子に合う気ィもするやんな。あぁ、めんどくさ。大阪弁の変換ややこしわ。せやけど、日本語ォの変換、マシなん作ってもらうんが先やわな、マイクロソフトはん、あんじょう、頼んまっせ、ほんまやで。そや、よう解りはらへんかったらカキコしといてな、解説したるよって。しかも出血大サービスや、負けといたんで。
2007年04月16日

青春18切符なる物を初めて利用した。友人が誘ってくれたのだが、基本的に鈍行で行くのは好きじゃない。特急で行くからこそ、旅行気分も盛り上がろうというものだ。それでも、せっかくならば出来るだけ遠くに行こうというのが、人情なのか、生来ケチくさいのか。赤穂は、大阪の端っこに住んでいる私からしたら、日帰りにはきつくまた、泊まりに行くほどでもなしという微妙な距離にある。けれど、ただで行けるというならば、温泉にも入ってみたい。折しも花見のシーズン、赤穂御崎の突端には桜があるという。海、空渾然と一体になった蒼の風景に、うす色の桜のピンクが霞を作ろう。私の脳裏には、点描派スーラの明るい絵画が浮かんだ。ようし、鮮やかな春の風景狩りと行こうじゃないか、赤穂御崎の桜としゃれ込むことにした。その日、天気は悪かった。ついに雨がぽつぽつ来たので、お弁当お酒で花見の醍醐味は、潰えた。赤穂城を廻り、食事を済ませ(後述)雨上がりを待って、いざ、岬へ。岬に至る道の両側に、花びらを潮風に振るわせた桜の木が並んでいる。岬の突端も桜にぐるりと囲まれ、ここまでは想像通り。が、蒼色に爛漫な花の風景はなく、枝先にまだ赤くすぼまった蕾を残し、灰色の中、桜は寒そうに佇んでいた。それでもシーズン中の土曜日だ。狭い岬の上には、ブルーシートを広げ陣取るおじ様方、ワインを抱えてしゃれ込む方、たこ焼き作りを楽しむ方、手をかけたお弁当を広げる方、皆それぞれに、お花見を楽しんでいる。開ききらぬ花を後に、海岸へと遊歩道をぶらりぶらりと下っていくと。「桜取るバカ、梅取らぬバカ」というのだもの、桜は弱いのだ。波際にあろうはずがない。遊歩道を辿り、もう一つの目的「赤穂温泉」に行く。数軒ある旅館は、どこも新鮮な魚と眺望を売りにしているが、日帰り入浴料は、一律1500円の様子。海に面した断崖にある露天風呂は、岩風呂と檜の2つの浴槽を備え、日本庭園風前栽をこしらえてある。貸切状態ではあるし露天とはいえ、ゆったりと入れる感じだ。お湯は、赤穂ならではの塩の温泉で、ゆっくりまったりと温もってくる。岩風呂の目の前には、まだ若い桜の木が花を咲かせようとしていた。遠景には、赤穂御崎がやんわりとピンク色に染まっている。湯船につかりながらの花見とは、これは、文人墨客並みの風情と贅沢だ。私は大きく伸びをして、十二分に満足していた。本日、大阪は水色の空をした春の快晴です。桜便りによると赤穂御崎は、やっと「満開」さだめし、日本の春と題した印象派絵画が見られることでしょう。お題はこちらより拝借いたしました。言わずと知れた、生涯かけて桜と恋愛した西行法師のお歌おしなべて 花のさかりになりにけり 山のはごとにかかるしら雲
2007年04月12日

前述しましたとおり寺内町は、観光地ではありません。3月10日は一日だけの雛祭りとして、解放されていたお宅があったものの、日頃は、お住まいの方々だけの静まりかえった町だと想像いたします。従って、お食事処なぞ、あろうはずがございません。恐らく、ちょっと離れた場所を走る環状道路(通称、外環)にお決まりのチェーン店があるくらいでしょう。この日、母と私の様に予約する先見の明のある者だけが味わえた贅沢、1000円の雛御膳は、やはり古い邸宅を公開している勝間家のお座敷で饗されました。奈良県北葛城郡の地産地消を謳う自然派レストラン「すみれ」の仕出しでございます。献立は、ひじきの炊いたんを乗せた紫米(古代米の一種)入り玄米ご飯山芋とお豆腐のふくさ煮、大根と八朔の和え物、蕗と煮麺のおすまし水菓として抹茶と梅酒のゼリー、あっさりと、お精進に近いようなお献立ですが、自家栽培のお野菜を使っているだけに、その味付けの優しく丁寧なこと。まこと、雛祭りに相応しい春の食彩お膳でした。カフェ風にワンプレートを気取っていますが、お膳やお湯のみ、お椀などは勝間家に残された昔ながらの器を借りていた由。下町の古道具屋さんで売っているような、少し日に焼けた漆器や縁の欠けたお湯呑みは、微笑ましくもあります。暖かい日で、お庭に大きく面した窓は開け放してあり、向こうの田園風景まで見渡せたのですが、これまた古い火鉢に炭を熾して、ほっこりと暖がとれるようにしてありました。豪勢なお雛様や長持ちに納められた婚礼布団を眺めたり、角度を変えて茶室の縁側からお庭を眺めたりと、たった一日ながら、まるで気分は、大店のこいさん(末嬢さん、私、次女なので)さながらでした。ほなイベントのない日は、どないすんねん。この雛御膳は一日だけの仕出しやってんろ?はい、そこです。この勝間家住宅では、見学料200円をお支払いするのですが(昼食代1000円の内、200円の見学料が含まれていたことになります)別途200円ほど足し増せば、お庭に面したお座敷でお弁当をつかうことが出来ます。もちろん、持ち込みとなりますが。せっかくのお座敷ですもの。腕によりかけ、春のお弁当をこさえることと致しましょう。ささみに山椒を効かせた白味噌焼き、蕗とひろうすの炊き合わせ抹茶塩と桜の花びら漬を散らしたおこわなど、如何でしょう?お重に詰めて、近在の地酒、春の甘口「天野酒」でも嗜みながらお庭に目をやれば、野を渡る風も見えましょう。文化人を競ったお土地柄、珍しい形の灯籠も見られます。楓も若葉を芽吹く頃合いなれば、春の「観風会」と気取って、こいさんごっこでも致しましょ。お庭から眺めたお座敷。右手がお茶室。お座敷の右隅に、撮影不可の七段飾りのお雛様対面の坪庭が臨めます。7月になっても、自作弁当のアップがなければ、コンビニで間に合わせたのだと、ご了承下さいませ。
2007年04月06日

杉山家のお雛様 江戸末期頃だそうですはや桜便りが行き交う時候に、まだお雛さんかいな、ではありますが旧暦なら雛祭り、4月4日は・・・・・・・・、の日でもありますしご容赦願って、お付き合い下さいませ。しかもまた、長いし・・・・・・。高校野球大阪代表常連校PL学園を擁する富田林市は南大阪に拡がる住宅地の一画ですが、また、高野街道筋の古い町並みも残しています。環濠に近い形を未だ留める寺内町でも、ここ数年、お雛様を街角に飾る雛祭りをしています。母と二人、3月10日、春の陽気に誘われて出掛けることにいたしました。環濠とは、堀で町の周囲をぐるりと囲ってしまうこと。寺内という地名通り、夜盗や野武士の襲撃から町を自衛するために寺を中心に土塁や堀で要塞を作った街並みです。やはり、力のある自治体のみに許されるわけですから裕福な家々が多いのが特徴です。街道の交差点、水運業盛んな川筋と恵まれた富田林市寺内町は、古くから商家が集まり大層、賑わった町だそうです。「薄幸の歌人」石上露子の生家杉山家住宅を始め伸びやかな田園風景に眺め入ったろう勝間家、材木商を営んできた、一丁を占める程に広大な奥谷家、忍返しの塀からは、屋根と樹齢何百年の大木だけしか伺えないというくらい豪壮な家々を楽しむことができます。大修復の後、公開されている杉山家住宅では、ご親戚筋から寄贈された江戸時代末頃の内裏びな。同じく公開中の勝間家では、お祖母様の明治初期より残る七段飾りのお雛様と邸宅の内部とあわせて、贅をつくした雛人形を楽しむことが出来ます。また、町中を桃と菜の花の活け花を目印に捜していけばお雛様は、店先に玄関先に道標の上にと見つけることが出来ます。古い物とは限らず陶器、折り紙、木彫りと意匠も様々なかわいらしいお雛様が楽しめました。目印の活け花も各戸、工夫されていますこの南大阪随一の裕福な町も、やはり時代の趨勢に従い、修復が追いつかなかったり、住む人がいなくなったり、また、建てかえたりで、完全に昔からの形を残しているのは、ごく一部分ではあります。それでも平成になってからの街並み保存運動とともに、塀には木材、漆喰様(しっくい、とはまた別物ではないかと思います)で、外観もまた、格子や虫籠窓を生かした修復を、という機運になっています。新しい分譲住宅も、木目や白壁を現代風に、またガレージに石畳を用いたりと街並みに融和するそのデザインは、日本の風土が産んだ美しさ住まう方々のこの町に寄せる愛情、自負心を痛感せずにはいられません。今日、古い家並みを維持していくことの困難さは、想像に余る物があります。けれど長くお住まいの、またその家並みを愛してやまない方々のその見識の高さによって、かろうじて伝統は引き継がれていくようです。住むことこそ叶いませんが、余所者の私もあちらこちらで有り難く、余得を頂戴しています。たった一日だけの雛祭りではありますが、昔から伝わる物の美しさ、大切さを認識するには大事な、そして大きな大きな一日ではありました。なお「薄幸の歌人」石上露子につきましては、長大な期限なし(笑)のレポートに取り掛かっております。いずれお目にかける日あらば、ご笑覧下さいませ。読みたかねぇや、って?( ̄∇ ̄;)
2007年04月04日
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