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完全ネタバレです。でも映画が始まるとすぐにこのあたりのことはばればれなので、この秘密の暴露は許してください。その前にすこしあらすじ。山間の小さな村のただ一人の医師、伊野が失踪した。村人たちに全幅の信頼を寄せられていた伊野だったが、彼の背景を知るものは誰一人としていなかった。やがて刑事が二人やってきて彼の身辺を洗い始める――。失踪の2か月前、東京の医大を出たばかりの研修医・相馬が村にやってくる。看護師の朱美と3人での診察の日々。そんなある日、一人暮らしの未亡人、かづ子が倒れたとの一報が入る……。(goo映画より)監督・脚本・原作 : 西川美和 出演 : 笑福亭鶴瓶 、 瑛太 、 余貴美子 、 井川遥 、 香川照之 、 八千草薫 伊野はついに意を決して研修医の相馬に言う。「…僕には資格がないんだ」「先生の自虐ネタはもう飽きました。いったい誰が資格があるといえるんですか。僕の親父なんか、いつも金儲けのことばかり考えていて、医者の資格なんて到底あるとは思えない」「いや、そういうことじゃないんだ。…いや、もうええ。うっとおしいやっちゃなあ。ほんまに春からこの診療所に来るつもりなら、上司の愚痴の聞き方ぐらい心得てきぃよ。」そのあと、紆余曲折ありまして…。いい終わり方だったと思う。八千草薫は笑顔で迎えると思っていたけど、やっぱり笑顔で迎えた。「ゆれる」ほどには緊張感のある映像ではなかったけれども、西川監督はやっぱり人間の「揺れる」微妙な心理をみごとな切り口で見せてくれた。過疎地における地元密着医療と総合病院の機械的医療との違い(一方では設備は決定的に不足している)、そして人の生き方の問題、仕事は何か、「資格がある」とはなにか、を突きつけて面白かった。村びとも、看護婦も、医療業者も、研修医も、刑事の前では一転して、村にいたときには英雄扱いだった医師を冷たく証言するのだが、それは自分を守るのと同時に、結果的には彼をも守っている。このあたりの微妙な匙加減は私好み。ところで、私のささやかな経験を話したい。ヘルパー2級の「資格」を取ったときに、ある福祉施設に三日間研修に行った。そのときに一日付いてくれたのは、30才前後の青年だった。もうここで2年働いているという。トイレ介護の仕方、掃除の仕方ひとつとっても、「利用者のためになにが最善なのか」すべての作業に意味を持たせていて、てきぱきと優しく仕事をしている。「すごい」と思った。ところが、最後に彼は言った。「実は僕ヘルパーの資格ないんです」時間がなくてまだ資格を取りにいけていないらしい。もちろん、法的には何の問題もない。いまのところは。(やがては、すべての介護職員は資格が必要なときがくる予定ではあるのだが)「資格とはいったい何なのだろう」私は時間と金をかけたから資格は取れた。けれども、人の命を預かる仕事であるこの仕事に本当につけるのか、逡巡した結果、今はまったく別の仕事をしている。エンドロールの歌もなかなかよかった。♪回り道するのよ どんな道草にも花はある♪
2009年08月31日
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「こどもたち」 茨木のり子こどもたちの視るものはいつも断片それだけでは何の意味もなさない断片たとえ視られてもおとなたちは安心しているなんもわかりはしないさ あれだけぢゃしかしそれら一つ一つとの出会いはすばらしく新鮮なのでこどもたちは永く記憶にとどめているよろこびであつたもの 驚いたもの神秘なもの 醜いものなどを青春が嵐のようにどつと襲ってくるとこどもたちはなぎ倒されながらふいにすべての記憶を紡ぎはじめるかれらはかれらのゴブラン織を織りはじめるその時に父や母 教師や祖国などが海蛇や毒草 こわれた瓶 ゆがんだ顔のイメージで ちいさくかたどられるとしたらそれはやはり哀しいことではないのかおとなたちにとつてゆめゆめ油断のならないのはなによりもまづ まわりを走るこどもたち今はお菓子ばかりをねらいにかかっているこの栗鼠どもなのである 『対話』より本当はもっとまえにこの詩を紹介するべきだったのかもしれない。今日の選択は四年前の9.11と同等の深い意味を持っている。本当に民主党に独り勝ちをさせてもいいんですか。憲法の平和や民主条項などの根本理念を変える可能性のある議員を当選させてもいいのですか。新自由主義を推し進める国会を作ってもいいのですか。「子供手当てが欲しいから、後はよく分らんけどとりあえず」「どうも空気がそんなんだから、皆と一緒で‥‥‥」というよな夫婦の会話を、子供が聞いていてもいいのですか?けれども、私のブログにそんな影響力を期待するほうがチャンチャラおかしい。まあこれから投票に行く前に、本や映画の紹介よりも、今の私の気分の証として、未来の子供たちに恥ずかしくない行動をしようと思っているということで、こんな詩の紹介の方がいいかな、と思って書いてみました。
2009年08月30日
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昨日FMラジオのJ-WAVEで全国学力テストの結果を受けて識者がコメントをしていた。誰がしゃべっていたのか、どんなことを喋っていたのか、あまり覚えていないけど、しきりと「やっぱりねー」と肯くことが多かった。覚えている限りを書きたい。「全国学力テストは今年で三年目。結果は三年とも同じ傾向で、小学校はずっと秋田が一位、福井が二位です。もう傾向は分ったのだから、きっぱり止めるか、10年に一度にするか、したほうがいい。一回やるのに莫大なおカネをかけるのだから(200億と言ったような気がするのだが)次回からはその金は教育環境を整えることに使ったほうがいい。」「なぜ秋田県や福井県が上位になるのか。別に詰め込み教育やスパルタ教育をしたわけではなくて、その反対。子供がのびのび学ぶことの出来る環境を整えただけなのです。」この発言を裏付けるようにウエブで調べたら、こんな新聞記事があったようです。秋田県が一位になった理由を<河北新報コラム「河北春秋」2009/8/29付け>に、次のように紹介していました。『・・同県では塾に通っていない小学生が約8割、中学生も7割近い。なのに成績が良い訳は?▼浦野弘秋田大教授が『秋田の子供はなぜ塾に行かずに成績がいいのか』で理由を書いている。「かつての日本では当たり前だった、学習環境と生活環境が今でもある」というのがその解答 ▼授業に集中する、予習・復習を行う、朝食をしっかり取る。つまり「昔ながらのやり方を『変えないこと』」。当たり前にやれば、成績は後から付いてくる。・・』「一方では大都市で就学助成の比率が高いところ(貧困率が高いところ)では、学力テストの結果も悪かった。秋田や福井では体力測定で上位に入っている。結局学力はどう高まるかというと、この三年間でそれはもう明らかになったのではないか」ホントにそうです。子供たちが当たり前に生き生きと生活できること、「健康で文化的な生活」をすることが出来ること、それが結局「学力を高める」ということになるのです。学力に序列をつけ、競争させて、知識を植え込むことでは決して学力は付かない、そのことをお金をかけて三回も実験したのだから、新しい政権のもと、これはもうすっかり止めて、教師の免許更新制などもすっぱりやめて、子供の立場に立った当たり前の教育に切り替えてもらいたいものです。
2009年08月29日
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誰の発想なんだろうか。本編のまえに、トランスポーターの三つのルール等、今までの二作品の簡単な紹介映像とあわせて「プロの運び屋」の解説映像がありました。二作目は見ていなかったので、得したような、損したような(結末まで触れていたので)。さて、今作は子供以上の制約が彼に突きつけられる。愛車から離れると自動的に爆発するブレスレットを填められたのである。結局彼は「荷物」を運ぶしかない。訳ありのロシア女性も一緒に。主人公はかっこいいの一言。笑わない、叫ばない。いつも冷静沈着。類いまれなる身体能力。ハードボイルドタイプの男である。奥に熱い「人情」がたぎっているのも見えて充分に楽しませてもらった。監督 : オリヴィエ・メガトン 脚本 : リュック・ベッソン 出演 : ジェイスン・ステイサム 、 ロバート・ネッパー 、 フランソワ・ベルレアン 、 ナターリア・ルダコワ 、 ジェローン・クラッペ 、 セーム・シュルト
2009年08月28日
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今日は「寅さんの日」だそうだ。1969(昭和44)年この日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されたということらしい。「男はつらいよ」シリーズでは、岡山は三回舞台になった。一回目二回目は高梁である。妹さくらの婿の実家が高梁という設定で、この城下町のたたずまいが山田監督はよっぽど気に入ったらしい。三作目は最終48話で、津山の寂れた駅舎やら狭い路地などが使われた。48話通して最高傑作はどれだったかは、10人が10人とも違う答えを出すのではないだろうか。それほどまでに、いろんな人から愛された映画だった。私はやっぱり32作「口笛を吹く寅次郎」が一二を争うのではないか、と思っている。さくらの夫・博の亡父の三回忌が近くなったのを思い出し、寅さんは博の故郷の備中高梁を訪ねるわけです。寺の和尚(松村達雄)と仲良くなり、和尚の娘・朋子(竹下景子)が出戻りと知って恋心がうずく。 和尚が二日酔いになり、寅さんは代わって法事を務めるが名調子の弁舌が好評。博の亡父の法要でも僧侶の扮装をし、さくらたち親子三人を唖然とさせる。‥‥‥というような調子です。もう三回も映画館で見たが、そのたびにころころ笑いこけてしまう。どうして寅さんに和尚の代役が勤まったのか。一回目は20台だったので、分らなかった。二回目はもう既に何回も身近な人の法要は体験している。そうすると、分るわけです。葬儀ならばともかく、法事は実は参加者にとってお経などはどうでもいいのです。一年ぶり、2年ぶり、10年ぶりに出会った親戚たちの交流こそが、あの法要の目的であることは、彼らには暗黙の了解なのです。だとすれば、ともするとギクシャクになりがちな場を和ませるとらさんのような人は、貴重な存在だったわけです。もっともいつまでもその調子でやっていけないことは、目に見えています。だからこそ、寅が去るのは必然でした。三回目を見たのは、渥美清追悼映画だった。それでも人は死ぬ。「男はつらいよ」は、本当は寅が野垂れ死にする一歩手前で終わる話だった、と私は今でも思っている。本当はとんでもない悲劇映画なのである。生き方のとんでもなく不器用な男が、人のつながりの中で何とか生かされていた。それはまるで奇跡のように。寅さんシリーズが終わって、はや10年以上が過ぎ去った。あの「奇跡」はまだあるのだろうか。
2009年08月27日
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今週の「マガジン9条」の「コラムリコラム」で、毎日新聞(8月20日付)の候補者アンケートの紹介しをしていた。おもしろい結果が出ていたので、取り上げたい。 <憲法改正について 自民=賛成97% 反対3% 民主=賛成57% 反対24% その他・無回答19% 公明=賛成73% 反対18% その他・無回答10% 共産・社民=反対100% 9条改正について 自民=賛成82% 反対11% その他・無回答7% 民主=賛成17% 反対66% その他・無回答16% 公明=賛成24% 反対71% その他・無回答6% 共産・社民=反対100%> 「集団的自衛権を行使できるように憲法解釈を見直すべきか」について、賛成が、自民77%、民主25%、公明8%、共産・社民0%となっている。 コラムの筆者たちはは公明党のリベラルぶりを評して「うーん、驚くなあ。確かにかつては、公明党は「反戦平和の党」と自らを規定していた。その根っこが今でも残っているということなんだろうか。 」「そう言えると思う。しかし、それならばなぜ、公明党が自民党にべったり寄り添っているのか、その意味が分からない。政権与党にいれば、自分たちの政策が実現できて、その存在感を示すことができる、という判断なんだろうけど、それにしても国家の根底の憲法観がこれほど違う党と連立しているっていうのは、自分たちで矛盾を感じないのか。彼らはよほど美味しい政権の蜜を味わってしまったのかもしれないな。 」そして選挙後には、民主党にすり寄るのではないかと書いている。私なんかは「この政党には一貫した政治イデオロギーというものはなく、外的世界がどのように変わろうとも、心の平和さえ保てれればそれで目的は達する」のだと思っているから意外でも何でもない。 自民党の憲法改正賛成、九条改正賛成については、今更ながらの話なので、置いておくとして、民主党が「憲法改正には賛成」だが、「九条改正には反対」という結果が出いるのは注目に値する。 実は、これを見て「民主党政権になれば九条は変わらない、安泰だ」と思う人がいるのではないかと危惧している。民主党のマニフェストを見てみれば、憲法改定を「慎重かつ積極的に検討」するとし、日米軍事同盟における「責任を積極的に果たす」立場を表明し、武力行使も含む「国連平和活動への積極参加」などをうたっている。これを見れば、日本国憲法の平和主義の大きな転換を目指していると見ることは充分に出来るだろう。憲法の根幹は九条だけではない。平和的生存権をうたった前文等重要なところはたくさんあって、その根幹が変わるようではとてもいただけない。四年前から一貫して、私は憲法を守り活かす政党に一票を入れます。
2009年08月26日
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原題は「THE SOLIST」ということにになっている。いまやカメレオン俳優の代表格となったジェイミー・フォックスがジャズメンではなくチェリストを演じるということで、音楽映画なのかと思いきや、これはじつは社会派映画だというへき作品だった。題名も「野宿者」としたほうが実はぴったり来る。すこしあらすじ。ロペスはある日、べートーヴェンの銅像のある公園で2本しか弦のないヴァイオリンを弾くホームレス、ナサニエル・エアーズに出会う。彼の演奏する音楽の美しい響きにひかれコラムのネタに取材をはじめる。まもなく彼は、ナサニエルが将来を嘱望されたチェロ奏者で、ジュリアード音楽院の学生だった事を知る。なぜ才能ある音楽家が、LAの路上生活者になったのか?そして、家も家族もない彼が、なぜ音楽だけは捨てずに生きてきたのか? やがて、ロペスはナサニエルの感動の物語を発見するのだった。(goo映画より)監督 : ジョー・ライト 原作 : スティーヴ・ロペス 出演 : ジェイミー・フォックス 、 ロバート・ダウニーJr. 、 キャサリン・キーナー 、 トム・ホランダー 、 リサ・ゲイ・ハミルトンつまり、チェリストのナサニエルが音楽家として再生する話でもなければ、LAタイムス記者のロペスが彼から『何か』をもらって再生する話でもないのである。そこを間違うと、この映画はえんえんと二人をずっと追いかけておきながらほとんど何の進展もなく終わるので、不満が残るかもしれない。話の主眼はそこにあるのではない。LAに9万人いるという野宿者の、その心のありようを、もとジュリアード音楽院の将来嘱望をされた青年に代表させてつづったのである。アメリカのホームレスのセーフティ・ネット事情は堤美果の「貧困大陸アメリカ」や堤と湯浅誠の共著「正社員が没落する」にある程度か書かれている。またナサニエルが悩んでいた統合失調症の症状や幻聴などの問題は、最近観た『精神』や『幼獣マメシバ』にも描かれている。そのように事前にいろいろと前学習(?)をしていたのにもかかわらず、やっぱり私はロペス記者以上にはナサニエルのことは理解することができない。ナサニエルが子供のころに見ていた幻覚は、日本でいう『火車』だったのかもしれない。少年の頃から彼には幻覚が見えていたということなのだろうか。人はそれぞれの道をたどって、路上に行く。堤さんが言うように、アメリカはスープキッチンが充実しているから、野宿者は飢えることはないのかもしれない。しかし、一方では常にねぐらを奪われる危険はあるし、いつまでもそういう生活はしていくことができない。そしてそのことは彼ら自身が一番よくわかっている。堤さんが言うように、9万人という数字は本人だけの事情で生まれたのではないのだろう。ラストにすこしだけ彼らの再生するヒントが提示されてこの映画が終わる。岡山市には路上生活者が120人いるといわれている。キリスト教系の団体の方が、一人ひとりの路上者と会話しながら数えたのである。65万都市に私はその数は充分に多いと思う。ロバート・ダウニー・Jrは誠実だけど小市民的な小ずるさも持っている矛盾した人間を演じていて、なかなか秀逸いつだった。一度だけ有名チェリストのリサイタルを聞いたことがある。事前にCDで勉強して臨んだのだが、(ご承知のように私はまったくのの音楽音痴なのだが)明らかに生はすごかった。低音がこんなに美しいとは!!!どんなに素晴らしい音響施設でもあれは生でないと分からない。ロペスがいっぺんでナサニエルのチェロに魅了されたのも十分にうなずける。
2009年08月25日
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前回より展示物の出演は約倍になっていて、全編CGのノンストップエンターテイメントは健在のなのだが、前よりはわくわくドキドキ感が無いのはどうしてだろうか、と帰り道ぼんやりと考えた。監督・製作 : ショーン・レヴィ 出演 : ベン・スティラー 、 エイミー・アダムス 、 オーウェン・ウィルソン 、 ロビン・ウィリアムス 、 ハンク・アザリア 二回目だから、新鮮さがない?それもある。でもこの違和感はそれとは違う。前回は、博物館の展示物だった彼らはしっかりとしたアイディンティティがあった。Tレックスは恐竜時代の行動原理を持ち、原始人たちもやはり石器時代の行動原理で歩いていた。ところが、今回の彼らはあまりにも現代にすんなりと溶け込みすぎている。前回の登場人物たちはそれでも「今までの蓄積」があるからということで許されるだろう。ところが、今回初めて登場した野心家のエジプトのファラオは、すぐに現代に対応して、、ナポレオンとアル・カポネを仲間に引き入れることを画策する。どうして彼はそんな知識を手に入れていたのか。アインシュタインにしても、すぐに現状適応していました。カスター将軍は本当は戦略下手で臆病な奴だったとか、考える人はたんにポーズをとっていただけだとか、新しい解釈のところはそれなりに面白かった。一番のヒロインのメリア・イアハートって、全然知らなかったんですが、アメリカでは有名な人だったんでしようね。前回は、歴史上の有名人に出会えることにドキドキしたのだけど、今回は歴史上のという感じでは全くなかった。それが今回の致命的な欠点です。
2009年08月24日
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昨日広島で、広島平和研究所の専任研究員 河上暁弘氏の『日本国憲法を読み返す』という話を聞きました。若い研究者が育っています。歯切れがよくて、これからが期待できます。憲法前文にある『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって』の『信託』という意味で私の思っていた以上に重要な意味を見出すことができることを知りました。『信託』とは「条件付契約」ということで『白紙委任』とは違うのです。J.ロックからの思想で「ぜんぜん過激ではない」と先生は言うのですが…国家はわれわれの人権を保障するためにつくられたものである。だから、違約をしたら引きずりおろすことができる。つまり「革命」ですね。これは昔は「命がけ」でした。けれども、今はそうではない。「清き一票」という言葉があるけれども、これはスローガンとしてはうまくない。今は選挙で『投票非暴力革命』ができるのだから、「あなたの一票、革命権」というようなスローガンのほうがいい。よく「あなたの言うことは分かる。けれども、一票で選ぶ人がいないんです」と言われる。それならば、自分たちで出せばいい。出さないのは『市民失格』ではないか。そういえば、そうだと思う。日本でも、ほんの100年前までは、自由民権運動で命を懸けて選挙権をたたかっていたではないか。幸福実現党の主張にはほとんど反発を覚える私ですが、彼らは自ら出ている、その一点で正しい行動だと思う。今政党選挙ではなかなかその条件は熟してはいないと思う。けれども、自治体の首長選挙では、岩国の基地撤去を巡る選挙でその典型が現れたし、その他の選挙でも十分に条件は熟していると思う。あとは『市民』がどれだけ本気になるかどうかだけだろう。河上氏は現在の護憲運動は「9条が変えられたらどのように悪いことが起こるか」ということはよく語るが、「9条が実現したらどういう世の中になるか」をほとんど語っていない。と指摘します。憲法が持っているグランドデザインを明らかにしよう、と呼びかけています。大賛成です。
2009年08月23日
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9/30の選挙において、毎回ある最高裁裁判官の投票ですが、態度を決めました。いつもは全員×をしていたのですが、基本的にはそれでも意味があるのでしょうが、本人にとっては、×の割合が多ければ多いほうが、「意思がはっきり感じられて」堪えるだろうと推測し、「選んで」×をすることにします。少しでもいいという判決をしたと思われるのは、宮川光治氏(弁護士出身)のみ。中国残留孤児の国賠訴訟において上告破棄(原告の請求を破棄)の多数意見において、上告受理のの少数意見でした。ちなみに櫻井龍子氏はこの上告破棄に賛成意見。また、田原睦夫氏は「君が代」伴奏強制事件で「伴奏を命ずる職務命令とその違反を理由とする懲戒処分を合憲とする多数意見」に賛成している。この人は×です。其の他、他のブログを色々参照した結果、お玉おばさん竹内行夫最高裁判事に何で×をつけるのか 来たる8月30日の衆院選と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で、「4人の最高裁裁判官に×(バツ)を与える国民運動」今回九人のうち×をするのは那須弘平氏涌井紀夫氏田原睦夫氏櫻井龍子氏竹内行夫氏竹崎博充氏の六人でした。
2009年08月22日
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諸星大二郎『ユリイカ諸星大二郎特集』09年3月号諸星大二郎読本の決定版といっていいかもしれない。豊富なインタビューと評論の掲載、最新の年譜、主要作品解題。どうやら最近『モーニング』で諸星版西遊記「西遊妖猿伝・西域編」が再開されているそうで(といいながらどうも今は秋まで休載中だそうな)その関係でとく特集が組まれたらしい。昔は本当に良くマンガを読んだ。いまは時々コンビニで立ち読みをする程度である。気のせいか、魅力的な漫画ががくんと減ったと思うのは私だけだろうか。「西遊妖猿伝」が『月刊スーパーアクション』で連載されたころ、星野宣之、大友克洋が素晴らしい漫画を描き、「ビックコミック」でも白土三平や手塚治虫が健筆を振るい、少女マンガ家たちもピークは70年代だったけれども萩尾望都たちの24年組が革新を起こしていた。今はどこかで革新は起きているのだろうか。『生物都市』「暗黒神話」「孔子暗黒伝」『マッドメン』『海神記』『妖怪ハンター』『僕とフリオと校庭で』は大好きな作品である。潮社版の「西遊妖猿伝」は集めなかったけど、今回のぶんは大人買いをしてみようかしら
2009年08月21日
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平和運動発展のために学習の友社 吉田博徳著世の中に平和論、あるいは平和史の本は多い。いいことだと思う。けれども、平和運動論の本はほとんどない。どのように平和運動を進めていくか。それは平和運動にずっとかかわり続けてきて、組織をつくってきた人間でしか書けない本だからである。この本はそういう立場で書かれた待望久しい平和運動入門書である。前半は当然『情勢論』から始めるから簡便的確な情勢が書かれているが、簡略すぎるという欠点を補って余りあるほど、平和論の要点が、時々『目からウロコ』状態で書かれている。そして『日本の平和運動の特徴』『課題』『草の根平和運動をどう広げるか』『国際連帯』等々と話を進めている。論より証拠。すこし長いが、第五章「日本の平和運動とその特徴」のうしろ半分をそのまま紹介してみたい。以上のおおまかな経過を振り返って、日本の平和運動の特徴を私は次のように思います。 第一に日本は明治以来ほぼ10年おきに戦争をしてきましたが、戦後60年あまり戦争をしていません。朝鮮戦争やベトナム戦争のときにも、アメリカは裏でつよく出兵を要求したのでしょうが、政府はしませんでした。最近イラクやインド洋に出兵していますが、発砲はできないでいます。外国人をひとりも殺していません。これは大変な変化です。もちろん憲法9条があるから戦争はできないわけですが、9条を支える広範な平和運動と戦争反対の世論があったからであり、この運動がなければ憲法は死んでいたでしょう。日本の平和運動の底力を示しているものと思います。 第二は憲法擁護運動です。アメリカは憲法制定直後から憲法改悪と再軍備を要求してきました。政府も明文『改正』でなく解釈変更でなしくずし的に改悪して来ましたが、それでは間に合わず明文『改正』に乗り出したことが、これまで四回ありました。最初は1954年から55年にかけて、吉田内閣から鳩山内閣が政治の反動を進めたとき、二度目は80年の鈴木内閣から83年の中曽根内閣のとき、三度めは94年の北朝鮮核問題をめぐって、米・朝戦争が再発しようとしたときで、今進められている四度目の策動は、もっとも強力に何が何でも断行しようとしているのです。今改憲派は国会で絶対多数を握っている好機なのですが、それでも改憲策動もまとまらずなんこうし、見通しを立てられていません。新聞報道による世論も次第に改憲反対が増えています。これは思想信条を超えて『憲法九条を守れ』と訴える『九条の会』が全国7000を超えて活動していること「戦争反対!九条を守れ!」の広範な世論を作る平和運動があるからです。私たちの運動は有識者や活動集団だけの運動ではなく、国民世論の高揚を基本的な力と考えているところに特徴があります。 第三は、憲法に違反し憲法を変えてまでアメリカの戦争に協力させようとする策動、世界最大の軍事大国の策動に対して、真正面から「軍事基地拡張反対!」「基地撤去!」「日米安保条約廃棄!」などを要求して敢然と戦っていることです。中には暴力的に強行されてしまった所もありますが、砂川基地拡張の断念や沖縄の普天間基地移設計画の難航、三宅島の艦載機訓練基地建設阻止、神戸方式の継続などなど、多くの成果を挙げてアメリカの予定とおりには進んでいません。日本の平和運動の力強さを示すものです。韓国、フィリピン、エクアドルなど、世界には米軍基地とのたたかいのすばらしい経験はたくさんありますが、日本のように長期にわたりこかつ全国各地の広範な地域で、住民ぐるみのたたかいを続けているのは、おそらく日本だけではないかと思います。 第四は、私たちの運動が統一の三原則を守ってきたことです。戦争に反対し平和を守ることは、全国民の切実な問題ですから、思想・信条をえてもっとも広範な人々を結集できるし、また結集しなければなりません。しかし私たちの運動は、公安警察などからたびたび妨害されたり、マスコミからは差別されたり、一部の団体の分裂、妨害策動とたたかわざるをえず、全国民的団結が妨げられてきました。 このような苦しい経験の中から、もっとも広範な人々を結集するための統一の方法を生み出したのです。それは1、参加するすべての個人・団体とは、一致する要求と一致する行動で団結すること。一致しない問題を持ち込んだり押し付けたりはしないこと。2、何かを決めるときは多数決採決を行わないで、参加者の全員一致性で決めて運営すること。3、口でどんなよいことを言っても、特定の参加団体や個人を非難して排除することを主張したり、暴力を行使したりする者は参加させない…ということです。この方針で合意するまでには随分討論をしましたが、今ではその正しさが定着して、国際的にも評価されています。 第五は、日本平和委員会や日本原水協など継続して運動する全国組織をもち、その活動を蓄積していることです。日本平和委員会は広範な自治体・職場・学園に、ソシテ全都道府県に組織を持ち、平和に関するあらゆる問題で先頭に立って活動しています。原水爆禁止日本協議会(日本原水協)は、団体加盟を原則にしながらも、広範な中央団体を結集し、全都道府県と多数の自治体に組織を持ち、1955年以来ずっと多彩な活動を続けています。とりわけ日本平和委員会も日本原水協も、地方自治体と協力しながら運動を広げている組織が多いのが特徴です。こんな運動体は世界に例が少ないのではないでしょうか。 以上は私たちの運動の長所ですが、反面弱点にも注目すべきです。弱点を改めることが、運動の発展につながるからです。その第一は活動家が高齢化していることです。かつての戦争体験者がすくなくなり、戦争の実相を語る人が減っています。平和運動の担い手が高齢化し、集会や学集会の参加者も高齢者が目立つようになっています。平和運動の後継者をいそいでつくらないといけません。戦争の被害を受けるのは、若者が多いのですから、若い活動力のある人々を増やさなければならないと思います。 第二は、職場・地域・学園で私たちの運動が多数派にならなければなりません。仲間内だけの運動ではなく、思い切って広範な人々に呼びかける運動にしなければなりません。(これについては後述) 第三は、労働組合の運動がかつての安保闘争のときと比べて弱いのではないかという問題です。いまの社会は労働者が働く人の70%をしめており、労働組合の組織率は減っていますが、労働者階級の組織性と闘争力は、依然として全国民結集の中心部隊であり、平和運動の推進力です。労働組合が民主勢力のなかで主導的役割をさらに強めるようになってほしいと思います。 第四に、自主性の問題を強調したいと思います。日本の平和運動では、各団体の上級機関の指導で、全国的に整然と行われる組織性が国際的にも評価されていますが、逆に各個人や基礎組織が自発的に行動をおこすことが弱く、指導待ちの傾向があるのではないかと思います。その団体の運動方針に反しない限り、情勢に応じて自発的、積極的に行動を起こし、点から線へ、線から面へと運動を広める自発性が必要だと思います。韓国や西欧諸国ではこのような個人から始まる運動を良く聞きますので、外国のよい例は大いに学ぶ必要があると思います。著者は1921年生まれのもと裁判所職員。全司法労組中央執行委員長などを歴任。現在、日朝協会顧問、日本原水協全国理事、日本平和委員会全国理事で活動しているので、当然その立場からの発言になっているが、この「運動の特徴」のまとめはすばらしいと思うし、学ぶところが多かった。
2009年08月20日
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『幼獣マメシバ』最初、わけの分からない外国語で説明書きがあって、とつぜん日本家屋での場面に写る。あの説明書きは何だったのだろうか。おそらくはマメシバと呼称される『大きくならない芝犬』の説明だったのではないかと思うのだが、で、あの言葉はスペイン語ではないかと思うのであるが、正しいのだろうか。なぜスペイン語になるのか、それを書くと決定的なネタバレになるので、避けます。(^_^;)監督 : 亀井亨 原作・脚本 : 永森裕二 出演 : 佐藤二郎 、 安達祐実 、 渡辺哲 、 高橋洋 、 高橋直純 、 西田幸治 、 笹野高史 、 石野真子 、 藤田弓子 始終くすくす笑いが絶えない、という種類の映画でした。『ニートを持った親子の、お互いの自立の物語』であるというのは、正しいと思うし、それは最初から分かるのであるが、その描き方がとてもユニークです。そもそも藤田弓子扮するお母さんが、「30数歳になっても家の半径3キロ以上を出ることができない息子のニート克服のための処方箋」でマメシバを派遣したのは分かるのですが、そのあと『私を探してくれ』という明確なメッセージもないまま、下手な絵とわけの分からない一言メッセージを置くだけ。もちろん彼はそれで外の世界に入るわけではない。周りの偶然の助言や偶然の出会いで、しかも奇跡がいくつも重なって彼はお母さんの足取りをたどるわけです。だから結果的にニートの彼が一人立ちできたとしても、それはあくまでも『奇跡』あるいは『ファンたージー』なのである。それは観客にも皆分かっている。だから安心してみていられる。映画を見てみいてもニート問題が解決するわけではない。でも90の嘘があって、10の本当がある。はじめての保護すべき存在マメシバを迎えて、彼はすこし勇気を出し、初めての外の世界に出てきて、確かに自分を責めない仲間にも出会う。そんななかで、彼は社会生活をすこし送れるようになる。最後にはなんとわれわれにはちょっとできないようなことまで…。いやあ、マメシバ飼いたいです。
2009年08月18日
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このまえ鬼の城に行ったときに、萩の花の咲き始めを見つけました。萩の花は、万葉集で一番登場頻度が高い花です。古代から愛された花なんですね。そうそう、古代から愛されたというと、このまえ、映画で紹介されていたのですが、秋田犬も縄文時代からペットとして愛されたようです。千葉の加曾利貝塚には丁寧に葬られた犬骨がありました。「HACHI約束の犬」この映画のいいところは、秋田犬を使い、名前も「ハチ」になったのは自然ないきさつになっているということ。よって、日本版とはまた違う次元で自然とハチと主人との交流を見守ることができた。また、随所にハチ視線の映像を使っており、よりハチの気持ちが分かる仕組みになっている。監督 : ラッセ・ハルストレム 出演 : リチャード・ギア 、 ジョーン・アレン 、 サラ・ローマー 、 ケイリー=ヒロユキ・タガワ 、 ジェイソン・アレクサンダー しかし、がっかりしたのは、結局リチャードギアとハチとの交流だけがメインになっており、ハチのずっと主人を待った10年間をあっという間に終わらせたというところである。本来はそこがメインにならなければならない。たんに一年二年待つならばできるかもしれない。ハチのえらいところは、そういう「人間」の常識がまったく通用しないところにこそあったのではないか。店の主人や駅長が社会のしがらみの中で変わっていったとしても、ハチは変わらなかった、そういうところを見せてほしかった。 監督が監督だけにも「もしかしたら…」と期待していたのだが、残念だった。
2009年08月17日
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監督 : スティーヴン・ソマーズ 出演 : チャニング・テイタム 、 シエナ・ミラー 、 イ・ビョンホン 、 レイチェル・ニコルズ 、 マーロン・ウェイアンズ 、 デニス・クエイド 、 レイ・パーク軍隊おたくたちが、近未来の兵器がこうなって、戦い方はこうなればかっこいいのではないかと思って作った「お話」のような気がする。敵味方分かれてどんぱちやってそれで終わり。GIジョーは国連管理下なのか、米軍管理下なのかどっちなんだろう。
2009年08月17日
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鬼の城(きのじょう)に行って来ました。一番の目的は、この前の台風九号の集中豪雨のときに版築工法で作られた土塁が崩れたと聞いたので、それを見に行ったのです。版築工法は基礎に列石を配置し、その上に土を一層ごとに突き固めて築くもので、朝鮮から来た技術を使ったといわれ雨風ににも十分耐えうるものでした。発掘当時はこの版築のところを掘ろうとすると、鉄が当たって火花が散ったと言われたぐらいです。実は五年前の大型台風のときも復元されたばかりのこの版築の土塁が崩れたことがありました。すぐ隣の1400年前につくられた版築土塁はびくともしていなかったのに、最新の現代工法でつくられた版築土塁が崩れたのです。「情けない…」というのが私たち考古学ファンの間での素直な感想でした。今回あの反省は生かされなかったのか!!というのを確かめようと思ったのです。鬼の城は総社市の砂山公園のを通り過ぎて、急峻の山を10分ぐらい車であがったところにあります。標高400mの山の頂をぐるっと2.8Km、城壁が築かれています。土塁が主体で、城門4ヵ所、水門6ヵ所、角楼1ヵ所、そして高石垣などで構成されています。ここからは、吉備の国が一望に眺めることができます。吉備の中山、楯築遺跡、造山古墳、国分寺跡、遠くは児島湾や、水島灘、もっと晴れれば香川県の屋島も見ることができます。一番立派な西門は復元されてこんな感じ。屏風折れの石垣といわれる、城外へ鋭く張り出した城壁の一部で石垣積みになっています。昔はこの石垣だけがきれいに残っていて、いまのように城の全体像が分からなかったので、何のためにこんな石垣が残っているのか、不思議に思われていました。実はこの石垣のすぐ下にゴルフ場があって、そのなかに現在のところ日本最古の製鉄遺跡、千引カナクロ谷遺跡があったのです。私はひそかにこの製鉄場を守るためにこの城が作られたのだと思っているのですが、専門家はそのことには否定的な意見が多いようです。なぜ、この城が作られたのか、諸説あってまだ決定的なものはありません。何しろいつごろ作られたのかが、まだ決定していないのです。5-6世紀につくられた、戦争逃げ込みようの朝鮮式山城だという説、白村江の戦い(663年)の後に作られた国土防衛のための朝鮮式山城だという説、いや、もっとあとのお城だという説もあるようです。さいわい、この城は国の指定遺跡になったためにいま整備がすすんでいて、まだ発掘途中、そこから色々と発見が続けば、分かるのではないかと思います。前置きが長くなりました。さて、ビジターセンターのおじさんに今回の崩れた土塁の場所を聞いてみました。西門から20mほど下った第0水門前後のあたりでした。おじさんの言うには、今回崩れたのは、新しく復元した版築土塁ではなくて、昔の土塁の部分だということです。五年前に崩れた版築土塁は教育委員会の人達にはそれはそれはショックだった見たいで、土塁を直すのになんと五年をかけたそうです。つまり原因を考えて対策を出すのに五年かけたようです。そのおかげか、今回の豪雨では新しく作り直した版築土塁はびくともしていません。写真の白いところが新しい版築土塁です。反省はすこしは生かされたようです。でも少なくとも、あと1000年たたないと「歴史的評価」は下せません。今回崩れたのは古いところですが、しかし、今まで崩れなかったのに、なぜ今回崩れたのか、それはそれで教育委員会の人達にはショックだったみたいです。ビニールで覆われているところが崩れたところです。「今日はお偉いさんが来て、視察をしていった」とのことでした。わたしは、この間の復元作業の過程で、どこか「自然状態」を壊す部分があったのではないかと推測しています。昔の人達の汗水たらした誠実な「技術」の前に私たちは正直に謙虚にならなくてはいけないのかもしれません。
2009年08月16日
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「いちど視たものー1955年8月15日のために」いちど視たものを忘れないでいよう日本の女は梅のりりしさ恥のためには舌をも噛むと蓋をあければ失せていた古墳の冠ああ かつてはそんなものもあつたろうか戦おわつてある時東北の農夫が英国の捕虜たちにやさしかつたことが ふつと明るみに出たりした 茨木のり子『対話』より一部2005.9.11の郵政解散自民の地すべり的大勝より四年たち、2009.8.30を迎える。「いちど視たもの」を忘れないよう、この間書いてきた記事を少しだけピックアップしてみた。2005.9.27首相所信表明演説あるいは後世の歴史家から見れば(この後すぐに小泉はアメリカ・大企業の傀儡であったことが明らかになる)2006.4.22もっともっとメールを!『共謀罪、審議入り』 (結果的には廃案にすることは出来たが‥‥‥)2006.12.04「世界」編集長の言葉、ジャーナリズムの責任 (教育基本法の改悪はこの4年間で個人的には一番むごい改悪だったと思います)2007.3.29改憲手続法『修正案』とは (国民投票法は成立した。しかし戦いはまさにこれからが本番である)2007.12.31今年の総括、お知らせ、或いは「水滸伝」(今年の総括を書評と一緒にしているところが私流)総括といえば、今年はひとつの大きな闘いがありました。参院選。あの闘い、カネも情報も、自民党の方が有利だったはず。けれども、野党が勝った。悪法の度重なる強行採決、カネをめぐる違法と嘘とごまかし、とくに5000万件の中に浮いた年金、長い不況と格差拡大が、与党にいつもの方程式を許さなかった。不安倍増は政権を投げ出し、福田小川のアクロバット「連合」も許さなかった2008年も色々あったが、長くなるので‥‥‥2009.4.24海賊対処の本質(憲法違反の海賊対処法成立)
2009年08月15日
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四方田犬彦氏の『白土三平論』を読み終えました。白土三平論ほぼすべての白土作品に付いて、その粗筋を述べて言及するというかなりの労作です。この本が出るまで、白土三平自身に付いての作家論が無かったことを考えれば、この本がこれからの白土論の基点になることは間違いないでしょう。実は恥ずかしながら、私の大学での専攻は日本思想史だということはかつて述べたことはあるし、(作文みたいな)卒業論文は中江兆民だったということも述べましたが、卒論テーマを決めるとき、もうひとつの候補は白土三平でした、とここで告白します。その頃、手塚治虫のように作品ごとにまったく違ったテーマに挑むのではなく、白土三平は当時既に神話伝説シリーズが始まっていたのですが、そこでも一貫してかつてでてきたテーマが繰り返し現れているのを感じていました。例えば一度死んだ人間が復活するというテーマ。(『忍者武芸長』『カムイ伝』)例えば人間界の秩序が自然によって覆されるというテーマ(『赤目』)、其の他繰り返し描かれる支配されるものと支配すものの相克、父親と子供の関係、仲間と裏切りの関係、それらの特徴を過去の漫画を収集分類することによって明らかにできないかと担当教授に言うと、『それは面白いですね』一応の賛意を示してくれたのにもかかわらず、あまりにも収集が難しいことに気がつき、挫折したわけです。四方田氏は白土三平の原点は少年時における信州上田の疎開体験にあったと書いている。ここで、『アカの子供』(父親岡本唐貴はプロレタリア画家)であることをひた隠しにしながら陰湿な差別に耐える体験をしたことと、上田の自然に親しんだこと、信州真田家の歴史を知ったことがのちに大きな影響を与えたことを書いています。その指摘は重要です。この本はそういう意味では非常の貴重な本です。ただ、粗筋を追うことに情熱を注いでいるために、分析が通り一遍で終わっているところが多々あります。とくに1988年から始まった『カムイ伝・第2部』に関しては、今までのテーマとの関連含めて全く言及で来ていない。歴史的評価はこれからということなのかもしれないが、残念である。四方氏はやがて描かれるかもしれない第三部に対する期待に言及するとともに、以下のようなことも書いて、この長編が未完に終わる予感みたいなものも書いています。この本を読むと、白土三平の作品は、決して独りでは書くことができずにかならず過去には小島剛夕、最近では弟の岡本鉄二等の赤目プロ集団での力が必要であることがよく分ります。第二部での挫折は四方田氏は末弟で赤目プロマネージャーだった岡本真氏の急逝だったのではないか言っています。白土三平氏自身も今年で既に77歳、身体は元気でもなかなかこの大長編の終わりを作るのは大変なのかもしれません。白土三平論は加藤周一論と並んで、私の人生での宿題です。『鬼泪』における「女星」の意味、「サバンナ」における怪物の意味、岡本唐貴との関係に付いてはいずれ語りたいけれども、今はその準備ができていない。(312p)既に記したように、『第2部』は2000年4月10日号の『ビックコミック』誌において中絶している。この後、正助や崎山治朗衛門、熊沢蕃山らが共同で行うことになる椿沼の干拓や新港の建設が、どのような展開を見せるのか。長崎で医学を学んだ竜之進が、その後とのように活躍するのか。また抜け忍カムイが社会にどのように自己投企を行なうのか。残念ながら我々はまだそれを知ることができない。だかぽっかり開かれた空洞でもって『第2部』が凍結されていること自体が、ある意味で永遠に未完結な物語の本質を指し示しているといえなくもない。文学史を紐解いてみると、ノヴァーリスの『青い花』から中里介山の『大菩薩峠』まで、文学には未完であることが本質であるかのような、巨大な規模を持った作品がしばしば出現している。おそらく後世は白土の『カムイ伝』をも、その範疇において理解することだろう。
2009年08月14日
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昨日は、残留孤児の城戸幹(孫玉福)がどうしても日本に帰りたいと願ったのは、生命の危険さえも及ぶような中国という国の『自由の無さ』だということを書きました。テレビドラマでは描ききれないことは他にも幾つかあります。例えば、シェンカがなぜ養父母の下で暮らすようになったのか、ドラマではついに明かされていませんが、本の中では明らかにされています。これは、シェンカの家庭の『貧困』の問題でした。そのこともドラマの中で明らかにするのは難しかったのかもしれません。ドラマは何とかして中国本土でこのドラマが放映できるよう、『大地の子』の苦い思いを二度としないよう、出来る限りの努力をしているように思えました。では、中国はやはり怖くていやなところなのだろうか。そうではない、と筆者は言います。牡丹江の親戚と英語クラスの受講生…彼らは一見、両極端のような存在にも見える。この両極端の単純な感情が複雑に交差する世界、それがまさに中国なのかもしれない。しかし、それは必ずしも中国人の中に二種類の人間がいるということではないようにも思える。これは、ドラマの中でも久枝が言っていたことで、まさにこのドラマのテーマでもあった。それはどういうことなのか。本では、彼女はさらに詳しく展開している。『日本人』という言葉を聞くと、まるで条件反射のように攻撃的になる中国人の頭の中には、常に前提として『侵略者』『憎むべき対象』『歴史を知らない』という抽象的な顔のない『日本人像』があるようだった。彼らの怒りは決して個人に向けられているわけではなく、いわば彼らの頭の中の想像の『日本人』と、そんな『日本人』をつくった日本という国に向けられているのだ。彼らは自分の出会った目の前の日本人がその想像の『日本人』と同じなのか執拗に確かめようとする。まるでそうすることが中国人としての正しい態度なのだとでもいうように。ところが、そんな彼らでも、いったんその『日本人』と個人としてリアルな人間同士の付き合いが始まると、今度は抽象的な「日本人」としてではなく、具体的なひとりの人間として深い情愛で接してくるようになるのではないだろうか。(ただしそれで彼らの日本という国への基本的な認識が変わるかどうかは別だ)要はまだまだ、二国間の国民は交流が足りない、ということなのだ。「リアルな人間同士の付き合い」言葉の壁を越えて、そして飛び越えたい壁は幾つかある。
2009年08月13日
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「あの戦争から遠くはなれて」城戸久枝 情報センター出版局NHKのドラマ『遥かなる絆』が良かったので、単行本を買いました。丁寧に作られたドラマであるにもかかわらず、いろんなところが省略されているような気がしてなりませんでした。単行本を買ってもう少し知りたいと思ったゆえんです。まずはどうでもいい話から。ドラマで出てきた留学先の好青年はまったくのドラマ用の創作でした。なぜ彼を出す必要があったのか、実は今でもよく分かりません。現代編に何らかの恋愛要素を入れないと、視聴者の興味を引かないと思ったのでしょうか。実はテレビドラマでは、重要な部分が十分に描かれていませんでした。『なぜ城戸幹は養父母を中国に置いてまでも、日本に帰りたかったのか』ドラマでは、ここは『問いかけ』のまま終わっていたところでした。私は彼の郷里の映像を見ながら、『それほどまでに、中国で暮らすということは、経済的に厳しかったのだ』と思っていました。ところが、この本を読む限りでは、違っていたのです。城戸幹の直接の言葉はありません。城戸久枝が「日本という国の『罪』を背負わされて父は25年間を中国ですごしてきた。その過酷さがどれほどのものだったか私には想像もつかない。しかし、父がどうしても日本に帰りたかった理由が-そして父のつよさが―少しだけ分かったような気がした。」と書いていて、その文脈から考えると、私の考えは違っていたようです。この本を読む限り、城戸幹が文化大革命のときに『生き残った』のはまったくの『運』のように思えます。たまたま、城戸幹は自分が『日本人』であることを公表していた。そのために公安から恐ろしいまでに監視がついていた。ところが、どうもその公安の監視が、城戸幹の命を救った可能性があるのである。城戸幹(孫玉福)は、文化大革命による『闘争対象』という名の『つるし上げ』の対象に何度もなっていたが、友人がその危険性を教えてくれたりして逃げ回り、最終的には『職場で何度も孫玉福が日本のスパイか白状させようという動きがあったがそれが実行に移されることはなかった。どうやら公安局が職場に連絡し、そういうことはわれわれが担当するから職場でする必要はないと押さえ込んでいたようだった』らしいのである。近衛兵による暴走がとまっても、工宣隊による批判集会は続き、やはりつるし上げは続いていく。じじつ、それで城戸幹の恩師も自殺している。それらの詳しい描写はテレビでは一切していない。文化大革命が終わっても、日本人に対する『罪の背負わせ』は続いている、(それは80-90年代の愛国主義教育が影響しているらしい)ので、残留孤児の人達が帰国を望むのは、経済的な理由だけではない、ということもわれわれは知る必要があるのだろう。(つづく)
2009年08月11日
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「よくないのは、食べないことと、独りでいることだよ」最初に仮想空間「OZ」の説明が続く。いわゆる画面いっぱいに綿密に作画されており、前回「時をかける少女」よりも金をかけていると納得する。前回の成功で、思いっ切り潤沢な資金で作られた文字とおり今年を代表するアニメ作品だろうと思う。監督 : 細田守 脚本 : 奥寺佐渡子 主題歌 : 山下達郎 声の出演 : 神木隆之介 、 桜庭ななみ 、 谷村美月 、 富司純子 、 斎藤歩 スピード感があふれ、人の人情と表情と感情を描き分けて、二時間近くを退屈させないエンタメ精神に撤している。バーチャルの世界で何でもできる世界が確立しつつある。その危険性をうったえるのと同時に対抗できる可能性として旧家の大家族の『人のつながり』を持ってきた。ありがちかもしれないけれども、説得力のあるストーリーをつくっている。それを保障するのが旧家の2-30人にも及ぶ登場人物なのであるが、せりふに頼らないで、絵やしぐさだけで彼らの性格ならびにちょっとした人生までもあぶり出るようにしているのは、たいしたものだと思う。(たとえば、侘助に対する人々の態度が微妙に違う。子供のころの対立関係までもが想像できるつくりになっている)けれども、何か物足りない。なんなのだろう。先々週の金曜日に、この映画の前宣伝として日テレで『魔女の宅急便』をしていて、私はつい最後の15分間だけ観ていた。魔女のキキは男友達が飛行船から落ちそうになっているのをテレビで見て、街に飛び出す。おじさんから『デッキブラシ』を貸してもらって、そのときまで飛べなかった魔法を使おうとする。喧騒がなくなり無音の世界。キキの髪が逆立つ。デッキブラシが逆立つ。彼女は飛び始める。コントロールできない。スピードが増していく。街中の隅々まで行き届いた作画。彼女は飛んだ。地中海のみごとな風景。空を飛ぶってこういうことだったんだと思わせるみごとな映像。上映当時はこの映画をマイナーがメジャーに擦り寄ったいやらしい作品に感じていたのだが、いま改めて見て、本当に緊張感のある作品だった。デッキブラシが逆立つところで、私の肌も逆立ったような気がした。このセンスとオリジナリティを超える作家はまだ出てきていない。細野監督にセンスはあると思う。けれどもオリジナルティはまだない。逆立つようなアイディアがない。(あるいは宮崎駿の中にあるようなあまりにも我儘な作家性というべき物なのかも知れない)これから期待して行きたい。よかったのはおばあちゃんの最後の手紙と小磯健二君の『よろしくお願いします』というこの場に及んでもの謙虚さである。このアニメは日常SFとでもいうべきアニメの王道作品なのであるが、人工衛星が落ちてあれだけの被害で終わるものなのだろうか。まあアニメだからどうでもいいといえばどうでもいいのだけど、そういう水準のアニメではないと思っているので気になっています。
2009年08月10日
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先日、やっとやっと念願の美咲町の「たまごかけごはん」を食べました。いつも近くを通るたびに食べたいなあ、と思いながら時間がなかったり、時間外だったりして悔しい思いをしていたのです。国道53号線から美咲町中央総合運動公園に入ってすぐのところにその食堂はありました。「食堂かめっち。」りっぱな町営施設です。美咲町紹介パンフにはこうあります。美咲町は「たまご」で町おこしを展開する中、「たまごかけごはん」に着目。その理由は同町出身で、明治時代を代表するジャーナリスト岸田吟香が「たまごかけごはん」を愛好し、日本に広めた説があること。また町内には、日本棚田百選に認定されている棚田があり、そこではおいしいお米が作られていること、西日本最大級の養鶏場があることです。シンプルな料理だけに素材が大切な「たまごかけごはん」。美咲町で味わえる「たまごかけごはん」は食材にこだわり、すべてが「美咲町産」。ということだそうです。入っていくと、小さい店なのに、お客さんでいっぱいでした。(そういえば今は夏休みですね)お品書きはたまごかけごはん定食、とオムレツや卵焼きなど五つのみ。定食を頼みました。300円。もっと、おかずもあって、豪華なものだとばっかり思っていました。ほんとうに「素材だけを追求した」ものだったのです。器も町特産の「桜湖焼」。町の山土を使い、町の木である桜の木を灰にして釉薬とした桜色の器でとても素朴でこの料理にぴったりです。てっきり、「特製タレ」が出てくるものかと思えば、手前の醤油をかけてください、とのこと。その傍にねぎ、しそ、のり、のタレもあります。自分で調整するんですね。すこし失敗したかもしれません。食べた感想は、「これはすごい」というものではありませんでした。でも普通においしかったです。(ちなみに私はほぼ毎日卵かけごはんを食べています)個人的にはご飯はもう少し硬めに炊いてほしい。ただ、きゅうりの浅漬けがこんなにたまごかけごはんに合うとは思いませんでした。卵はおそらく生産者から毎日届く新鮮なものなのでしょう。きちんと盛り上がっていました。こんどはタレをもう少し工夫したい。リピーターが多いのも分かる気がします。安いですし。ちなみに、オムレツやたまご焼きは200円です。特製タレとかは売っていませんでした。残念です。たまごかけごはんを食べるのは、日本人だけだという説があります。そもそもごはんが主食の国は少ないので、それだけで国が限定されます。生ものをバリエーション豊かに親しむ習慣があるのは、中国、韓国、日本で、日本のみだといっていいので、もしかしたら、ここのたまごかけごはんは「世界一」の卵かけご飯なのかもしれません。(言い過ぎか)卵かけご飯は、素材と新鮮さが一番大事だということを再認識させられた店でした。
2009年08月09日
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昨日の広島平和祈念式において、麻生首相は世論に押されていつより一歩踏み込んだ挨拶をした。改めて核兵器廃絶のために国際社会の先頭に立っていくことを宣言するのと同時に、やっと重い腰を上げて原爆症の認定対象をできるだけ拡大すると具体的な方針を出したのである。これだけを読むと力強い宣言である。遅きに逸する感もある。この長い裁判の間に何人もの原爆症の方々が亡くなった。けれどもマア今までのなおざりな挨拶よりはよい。ところが、今朝の朝日ではこの舞台裏を書いている。『首相の決断』演出(略)「基金のことはちゃんとつめてくれよ」首相は会見後、河村官房長官にこう指示した。政府内では敗訴原告の救済には異論が強かった。基金の詳細は白紙とはいえ、民間の寄付だけには頼れず、政府も出資する可能性が高い。首相の懸念は、間接的であれ、敗訴原告を税金で救済することの正当性を説明できるかにあった。(略)しかし、河村、桝添え両氏の説得に対し、首相は5日も慎重姿勢を崩さず、両氏がまとめた解決案を手に、『本当にそれでいいのか』と何度も念を押したという。(略)ただ、確認書の著名式でも首相の表情は硬く、質疑では用意された紙を読み上げただけ。被爆者団体との代表との会談では『きわめて異例な対応ですが…』と断りをつけた。原告側は裁判の長期化に対する政府の謝罪を求めていた。しかし、首相の口から一言もなく」河村官房長官が陳謝の談話を発表したらしい。いやあ、麻生さん、本当に被爆者の方々に『税金で救済するのは』嫌で嫌でたまらなかったんでしょうね。これに税金を使うとすれば幾らかかるかは知りませんが、思いやり予算に毎年何千億、米軍基地のグァム移転に七千億もの税金を使い、景気対策と称してぽんと大企業にお金が行く仕組みを何十兆円も使うのに、ともかく「本当に困っている」国民にお金を使うのは「ありえないこと」なんでしょう。徹底して頭の構造が国民ではなく、米国と大企業に向いている、という証拠なんでしょう。ほかの新聞記事では、麻生さん広島市で記者会見し、日本が「核の傘」の下にある実態については「核をもって攻撃しようという国が隣にある。現実を踏まえないといけない」と仰りました。この人は何が現実だというのだろうか。「現実を踏まえる」は「現状を踏まえる」とは違う。「現状」を乗り越えていく、その実際の行動への意思なのではないだろうか。斧を振り上げている精神異常者が隣の家にいるので、彼の病気がさらに悪くなる様にさらに大きな斧やら鉄砲やらを目の前に用意するということなのだろうか。それを自前では用意できないので、頼み込もうとしている親戚の大人は病理的対応を主張しているというのに、である。もしかしたら、隣の家に影響されて私たちの家の当主も精神的に異常になっているのかもしれない。そういえば、すこし精神的に不安定さが目立ってきた。こわい、こわい。広島市長の平和宣言は毎年言うことが具体的になってきた。今年はこんなことも言っている。実現する「芽」がもしあるのならば、生きていくのに希望を覚える内容である。夢物語だろうか。本当の平和を実現するためには、麻生さんのいうやり方よりも、よっぽど「現実的」であると私は思う。対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創(つく)る必要があります。例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。
2009年08月07日
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消え行く少女(後編)前後編 小学館 白土三平1959年のこのとき、白土三平は紙芝居の世界から貸本漫画の世界に移って二年目だった。金はなかった。子供もできて稼ぐ必要のあった彼はこの一年に19冊の本を刊行したという。まだアシスタント体制をとる前の話である。全部自分で描く。しかし、えてしてこのような超人的な忙しさの中から名作は生まれるものなのだ。白土三平の珍しい現代劇漫画であるのと同時に、おそらく日本で初めて被爆者のことを扱った漫画だ、ということを聞いて、復刻版なので高かったが買うことにした。満足した。今日は、ヒロシマに原爆が落とされて64回目の夏。中沢啓治の「はだしのゲン」の連載が始まったのが1973年である。その14年前に描かれた原爆症の少女が主人公の漫画がここにある。それだけで、この漫画はもっと知られてよい。しかし、驚くのは、(おそらく)日本で始めての被爆漫画だということだけでない。後半は在日朝鮮人の拉致問題も扱われるし、その他今も問題になっている「貧困格差」問題も扱われている。それらが驚くことに、当時の貸本漫画の中でおそらくブームになっていた「少女の難病もの」という漫画のジャンルのなかで「エンターテイメント」として描かれているのである。冒頭遠くからB-29がやってきて8時15分原爆が落とされる場面、14p続いているが、丸っこい描線や映画的手法に手塚の影響は見られるものの、描かれている内容はすでに大きな隔たりがある。そもそも原爆が落とされたあとの地獄のような様子をこんなにも早く漫画にしたことが凄いの一言である。主人公の高校生の雪子は母親を「原子病」で亡くす。半場の仕事仲間で雪子の幼馴染の三太の家に居候になるが、経済的困窮を見かねて雪子は家を出てしまう。吝嗇家で労働強化をしいるラーメン屋の夫婦のところでしばらく働き、首になったところで親切な社長さんに拾ってもらう。けれども、その家の家族に意地悪をされ、家を出ると、息子を戦争で失った石焼芋売りのおばあさんところでしばらく一緒に暮らす。けれども天皇の正月参拝のとき「むかしは私のようなものが天皇様のお顔を拝することなんてできなかったものだからね」と言って出かけて群衆につぶされ圧死してしまう。雪子はさらに放浪し、こじきのような格好で田舎を放浪し、田舎の子供や大人の慈悲のないいじめにあって死にそうになっているところをなぞの山男に拾われるのである。(ここまでが前半)波乱万丈、「かわいそうな少女」ものの展開であるが、その間雪子はずっと被爆症状であるめまいや発熱に苦しむし、社長の家の(映画でよくある)意地悪だけでなく、さまざまな階級の人達を描き分けていて、一般的な少女受難物語からすでに外れている。白土三平はデビュー当時からすごかったのだ、と改めて思った。おばあさんの圧死場面。かつて天皇を漫画で描いた作品があっただろうか。私は記憶にない。しかも、戦死遺族はあくまでも天皇を慕い、しかし正月参拝のときに圧死するという悲劇を描いて、おそらく通常の雑誌では絶対描けないようなことも描いている。後半前半の波乱万丈からトーンが変わって主に山男との二人の話になる。背景としては強制連行された朝鮮人労働者・李貴道が鉱山の事故で脱走していたが、敗戦を知らずずっと山に暮らしていたということがある。彼の強制送還がもうひとつの悲劇を生むのであるが、そのまえに雪子と山男の「ユートピア」的時間が丁寧に描かれている。これは、のちの「カムイ伝」における自然と人間とのテーマにもつながり、興味深い。最後は雪子の幼馴染の三太が昭和33年ビキニの原水爆実験反対の運動に立ち上がっている。当時はまだ原水爆運動が始まったばかり、分裂も起こっていない。「戦争の悲劇は終わっていない…。一人の少女が消えていった。そして第二、第三の雪子が、また消えていこうとしている…そして原水爆の実験はいぜんとして続けられているのた゛!」と終わるのである。つぎはぎの学生服を着た三太は肉声で演説し、それを若い女学生や労務者、会社員などが聞いている。当時、白土三平は普通の風景として描いたのだろうが、今ではありえない風景ではある。学生が社会変革の前衛となる日はもう来ないのだろうか。
2009年08月06日
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今日トンカツ屋でビッグコミックを読んでいたら特集で田中優子と夢枕獏の対談があって、映画「カムイ外伝」の試写の感想を述べていた。今年の松竹はこれともうひとつ「ハチ公物語」ハリウッドリメイク作品(だけに)力を入れているようで、私はカムイの広告ならば映画館で50回以上観たので返ってどんどん期待感が薄れてきているのが現状である。田中優子も同じようで、期待しないようにして試写に臨んだらしい。結果「思ったよりはよかった」(見るハードルを下げていれば当たり前か)歴史考証は割りとしっかりとしているらしい。カムイの服は田中氏は誉めていたので、一応それだけは期待して9月19日を迎えたいと思う。粗筋はカムイ外伝第2部の「スガルの島」の忠実な映画化らしい。と、なるとあの不動はあの役で出てくるわけだ。それを言ってピンとこなければ、アニメ版「カムイ外伝」の最終回の粗筋だといってもよい。(第2部は原作にはなかったアニメ版を豊にリメイクしたところから始まった)白土三平はどうやら主役の松山ケンイチをいたく気に入っているようだということもわかった。いま四方田犬彦氏の「白土三平論」を読んでいる。白土三平論映画のこともあったし、明日紹介する本のこともあったので買ったのであるが、白土作品のほぼすべての作品に付いて言及しており、わりと便利な本であることが分った。感想はまた機会があれば詳しく書くが、四方田氏は「スガルの島」に付いてこのように言及している。「スガルの島」で中心の主題とされるのは、信じられる、信じられないという抜け忍の判断基準が漁師半兵衛が海を前に提唱する、信じるという投企の積極性によって乗り越えられていくという過程である。漁師たちは他人の秘密を決して詮索などしないが、危機に際しては互いに助け合うものだと、半兵衛は説く。 ‥‥‥これ以上書くと大きなネタバレになるのでかけないが、白土三平らしく悲劇的な運命が待っているということだけ書いておこう。原作では簡単に結論を提示しない。映像になったときに、それがどれほど描けるのだろうか。実は白土三平の父岡本唐貴は倉敷出身でしかも私の家のすぐ近くであったらしい。生家はどうやら地主であったらしいが、その長男である唐貴の父親は親の家も相続も嫌い、しばしば放浪癖に任せて転居を繰り返した。だからこの有名なプロレタリア画家は時々はわが郷土には来たらしいが、基本的にはあまり住んでいない。白土三兄弟も東京生まれの東京育ち。ただ、「スガルの島」は舞台が郷土近くの備中弓が浜、そして奇ヶ島であるのは、父親の影響なのかもしれない。「カムイ外伝」期待せずに待ちたいと思う。
2009年08月05日
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イントゥ・ザ・ワイルドDVDで見ると集中力がなくなるので、なかなか「凄い」という作品には出会えないのではあるが、これは凄かった。監督・脚本 : ショーン・ペン 原作 : ジョン・クラカワー 出演 : エミール・ハーシュ 、 ハル・ホルブルック 、 キャサリン・キーナー 、 ウィリアム・ハート 、 ヴィンス・ヴォーン (goo映画より)1990年夏、アトランタの大学を優秀な成績で卒業した22歳のクリスは、将来へ期待を寄せる家族も貯金も投げ打って、中古のダットサンで旅に出る。やがてその愛車さえも乗り捨て、アリゾナからカリフォルニア、サウスダコタへとたった一人で移動を続け、途中、忘れ難い出会いと別れを繰り返して行く。文明に毒されることなく自由に生きようと決意した彼が最終的に目指したのは遙か北、アラスカの荒野だった。彼はスーパートランプ(超放浪者)と自ら名乗り、たった一人で生きていく。二年間の試行期間の末に北の地アラスカへ。はるか昔、旧石器時代、人類は移動しながら生きていた。時には独りで、時には数人で、荒野を。彼の旅はその「昔」を髣髴させる。「人生の夢は手をのばして掴むんだ」彼は16歳の少女に教え諭すかのように言うのだが、実は彼自身がそのことを日々学んでいたのである。最初は、仮面夫婦を演じる両親への反発から始まった旅だったのかもしれない。けれども彼はいろんな人と会うことで、少しずつ何かを学んでいく。彼は3年の間、一人だけの力で生きていったのだろうか。イヤ、彼は最後にこのような言葉を書いている。「幸福か?現実となるのはそれを誰かと分かち合ったときだ」独りになって、独りでないことを知る。凄い映画だった。途中、彼はヒッピーズの社会に暮らす。60年代末からアメリカで流行していた彼らの生き方が、90年代にまだ生きていたのにびっくりする。加藤周一は1968年に彼らを評してこう書いている。(「世なおしことはじめ」)要するに「ヒッピーズ」現象は、ひどくつじつまの合ったものである。決して、奇異な風態の、頭のおかしな連中(それはどの時代のどの社会にもあるだろう)の思い付きではない。長い髪、汚い服装、ヨーガのまねや、乞食のまね、《make love,not war》、学校中退、LSD‥‥‥一見雑然として脈絡のないように見えるこのような現象は、ひとたびそれを北アメリカ社会の伝統的な価値の否定の徴候としてみるときに、忽ち整然として、緊密に組み合わされた感情または態度の体系として見えてくる。外見尊重(汚い服装)、男女差強調(長い髪)、キリスト教的性道徳(性交の自由)、軍国主義(平和)、文化的自己中心主義(ヨーガ)、生産能率主義(乞食のまね)、出世主義(学校中退)、科学崇拝(LSD)、高度の組織化(組織の不在)、‥‥‥これは伝統的な価値の体系の全体と、そのすべての否定の体系に他ならない。加藤周一はヒッピーズの「運動」の中に、プラハやフランスと同じ若者の「世なおし」の可能性を見ているのである。クリスはやがては、ヒッピーズを体験したことだろう。ヒッピーズの社会にはクリスが求めてきたものの幾つかが必ずあった。その最大は「自由」なのではあるが。実話だから悲劇で終わっている。経験少ない彼が「自然の罠」に引っかかったのである。もし引っかからなければ、いっぱしの文学者になっていただろうと思う。
2009年08月04日
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終末のフール伊坂幸太郎 集英社文庫「どういうことですか」「死に物狂いで生きるのは、権利じゃなくて義務だ」「義務」と私はその言葉を反芻してみる。「そう。だからみんな、他人を殺してでも生き延びようとする。自分だけでも助かりたいってな。醜く生きるわけだ、俺たちは」「醜くですか」「他人を蹴落としてでも、無我夢中で生きるわけだ」私は顔をしかめた。「気の利いた言葉かな、と思ったら、何だか嫌な、生々しい話ですね」「そりゃ、そうだ。これは嫌な、生々しい話なんだ」8年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そう予告されてから5年が過ぎたころがこの小説の設定である。仙台北部の団地「ヒルズタウン」の住民たちのそれぞれの「生」を八話に分けて見せてくれる。世界はその最初の5年ほどはひどいパニックに陥ったらしい。たとえば食料品を求めてイナゴのような略奪が始まる、殺人その他の嫌なことが日常茶飯事に起こる、流言飛語が飛び交って街から人が半分ほどいなくなる、人々は仕事をしなくなるからいろんなところで生活ラインがストップする。それでも、何パーセントかの人が仕事を続け、どういうわけかテレビはまだ続き、街に一軒だけだし品数も数えるほどだし店長は入り口で猟銃を構えるという形だけどスーパーマーケットも存在する、まだお金は流通している。人それぞれが欲求と事情で行動した結果、生産者は消えず、流通も維持できていた。ほとんどの人は映画をつくるとかやめていたらしいが、ヘルッォークとスピルバーグは撮っているらしい。(これは伊坂幸太郎の趣味と偏見の意見でしょう。私は映画人の半分近くは撮りたかった映画を撮り始めるだろうと推測する)物語は8話だけだけど、この設定ならば無数に話が作れそうな気がする。映画にするとつまらない。テレビドラマにしたら面白そうな気がする。けれどもスポンサーはつきにくいだろうけど。いくつも印象的な話はあるのだけど、私が最も好きなのは、両親が自殺したあとに両親を恨まないと決心し、自分は死なないと決心し、五年かけて父親が残した本を全部読み終えて冬眠から出てきたような少女「冬眠のガール」のエピソードである。わたしは、いつもけなげに生きる女の子に弱いのである。お気に入りのルールである。
2009年08月03日
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韓国と日本を結ぶ幻想的な大人のラブストーリー 【韓国映画】キム・レウォン、山本未來「花影」DVD(日本版)うーむ、どうしてこんな安易な脚本が通ってしまったのか、まったくなぞです。宝石デザイナーとして銀座で成功している女の人(山本未来)は実力主義のいわば嫌な女。不倫の恋で敗れ、それがマスコミに明らかになって仕事も立ち行かなくなったときに、釜山に仕事に行っていたときに出会った青年からラブレターをもらい、会いに出かけて性格まで変わってしまうという物語。実は青年はラブレターを出しに行った当日事故で死んでしまったが、山本未来は在日三世で、なぜか未来はそのときだけ韓国語ができるようになる。そして桜の木の下で青年にあう。DVDで見たのだけど、一応記録。山本未来は「ここにいるときは本当の自分に戻った」とでも言うようなせりふをはく。マスコミから逃れていたときに奈良の実家に帰るのだけど、そのときにそのような「本来の自分」のエピソードがあればまだ説得力があったのに、それもない。まるで自己都合満載のファンタジーである。ただ、舞台が私も行った密陽でした。あんな素敵な場所があるとは知りませんでした。こんど行くことがあればぜひ「風の丘」にも行ってみたい。多分何時間かタクシーを飛ばすことになるのでしょうね。映画になったからバスも通じているかしら。
2009年08月02日
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