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シャンソニア劇場が復活すれば、息子と一緒に暮らせる、シャンソニア劇場が復活すれば、かわいいあの娘と一緒になれるシャンソニア劇場が復活すれば、俺の芸が活かせるシャンソニア劇場が復活すれば、わたしの夢が叶う監督・脚本 : クリストフ・バラティエ 出演 : ジェラール・ジュニョ 、 カド・メラッド 、 クロヴィス・コルニアック 、 ノラ・アルネゼデール 、 ピエール・リシャール 、 ベルナール=ピエール・ドナデュー女神は最初はみすぼらしい身なりでやって来る。ところが歌いだすと光か輝く。新人の彼女(ノラ・アルネゼデール)はみごとにそれを体現していたと思う。歌える新しいフランス女優が誕生した。適当に波乱万丈、心に残る音楽スコア、始まりと終わりをみごとにまとめて、エンタメシャンソン映画が出来上がった。
2009年10月31日
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貧稿である、低調である、と云ふ。云ふほうも面白くないが、聞かされる方も大抵飽きたであろう。…という風に、このアンソロジーは始まる。藤澤正のペンネームで書かれた高校生編集の雑誌のあとがきなのだ。この青年客気溢れる文章はその20年後の文体とはまた違っていてほほえましい。ただ、ただ、三木清氏は一高の講演で日本には学生を措いて本当のインテリゲンチアはないと言ふ意味のことを宣告した。この宣告の意味することはそれ(文化的情熱のこと私注)から逃避することである。わたしの考へでは同時にそれは敗北を意味するのだが。当時の日本の最高の知性である三木清と自分たちを同等においていることにはやはり末恐ろしいものを感じるのである。(大学時代には集会で横光利一を苛めたというのは有名な話)加藤周一が書いた加藤周一これは1938-2008にかけて書かれた加藤周一氏の「あとがき集」である。その大部分は一度は目を通したものであるはずなのに、このように年代順に並べられ、一通り読むと、改めて氏の文章の変遷、思想の変遷が分かって非常に面白かった。いくつかの画期がある。敗戦、留学、「三題話」、「言葉と戦車」、「日本文学史序説」、「加藤周一著作集」…。1979年著作集14の後がきのなかで加藤周一氏は「世の中の基本的な構造が変わらぬ以上、その世の中に対するわたしの立場が基本的に変わるはずもないだろう」と書いた。氏は73年「歴史・科学・現代」という対談集のあとがきのなかで「わたしは座談を好んで、演説を好まない」と書いている。しかし、96年に「同時代とは何か」という「講演集」が出る。10年にわたった講演をまとめたものだという。だとすると、氏は86年くらいから講演を始めたということになる。「世の中の基本的な構造」のどこが変わったのだろうか。中曽根の不沈空母発言はこのころであった。90年代から、「日本美術史序説」の構想があったことも、あとがきでわかる。「鴎外・茂吉・杢太郎」も未完成に終わる。それを犠牲にしてでも、90年代から本格的に講演や対談が増えていく。九条の会を発足させる十年以上前から、氏は次第と社会に対する働きかけを強めて言ったということなのだろう。また変わらぬものもある。「日本文化における時間と空間」は07年の発行だが、そのほぼ完成の原型は90年代にはすでに出来ていた。著作集のあとがきをまとめて読むと、それはそのまま「加藤周一入門」ということになるのだろう。著作集15「上野毛雑文」のあとがきには、よく読めば、氏の住んでいる周りの描写が詳しい。駅前のパン屋「モンテ・ヤマサキ」はまだあるのだろうか。こんど東京に行ったときには、必ずこのあたりを散歩することに心に決めたのであった。
2009年10月30日
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監督・脚本 : ニック・カサヴェテス 出演 : キャメロン・ディアス 、 アビゲイル・ブレスリン 、 アレック・ボールドウィン 、 ジェイソン・パトリック 、 ソフィア・ヴァジリーヴァ 、 ジョーン・キューザック CMがあれだけネタバレだともう少し驚いて、感動する場面でも驚かない。アビゲイルちゃんは確かに上手いけど、姉役のソフィア・ヴァジリーヴァが光っていると思う。そして、キャメロン・ディアスの最後の声を出さない号泣はさすがであった。アメリカという国は、「家族」を永遠に描く国だと思う。難病の娘のためには次の娘を犠牲にしてもいいのか。本人にとって、家族にとって、「死を受け入れる」ということはどういうことなのか。同じようなテーマで、やはり何度も何度も描かれていくのだろうと思う。
2009年10月29日
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ETCを利用して(^_^;)兵庫県立考古博物館に行ってきました。播磨町につい二年ほど前に建てられた最新の考古学専門博物館です。行ってみてわかりました。ここは、展示場ではないのです。ふれる、体感する、学習する、体験型の施設になっています。素晴らしいと思います。少し「研究」という点では物足りないところはありましたが。でも色々と勉強になりました。なんとも珍しい。発掘の広場というのがあって、発掘そのものが展示されています。また、この日は出張「修復作業」というものをしていました。女性職員に聞いてみました。「こんなことまで展示しているのは、珍しい、というよりか初めて見ました」「そうでしょ。バックヤード見学もあるのですが、そこではなかなか身近に見て、気軽に交流はできない。このように通路で修復していると、触れるし、気軽に質問してきてくれます」確かにその通りでした。例えばこの日修復していたのは、1400年前に作られた鉄剣と鐙です。良く見ると、鉄剣には布が付着しているというのです。良く見ても分りません。ルーペを貸してもらってみたら、やっとそれらしきものが分りました。職員の方も出土直後にはわからなかったそうです。でも気がついた。そこがプロと素人の違いですね。或いは、この鐙の横棒をよく見ると、ひねりが加えられています。この部分は全く目立たない場所であって、こんなところまで凝る「文化」とはいったいなんだろう、と思ってしまいます。テーマ展示は「古代祭祀の世界」でした。ふーんという感じで、目新しいものはなし。常設展示場にはこんな人骨もありました。この女性の人骨をよく見ると、上あごの骨が薄くなって穴まで開いています。これは鼻などに膿がたまる蓄膿症だった証拠だそうです。鼻水や鼻づまりに苦しんでいたのですね。(坪井遺跡人骨)地下には、まだ整理で来ていない土器の山がつまれていました。こういうものまで見学できるようになっているところが、この博物館の特徴みたいです。外の池のそばには葦が茂っていました。もちろん、古代の風景の模写です。
2009年10月28日
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ニッポン硬貨の謎創元推理文庫 北村薫今年は北村薫イヤーである。彼の作品が出ることはめったにないのに、作品が立て続けに上梓され、過去の文庫も立て続けに出版された。そうしてついに夏には念願の直木賞をとる。よって、本屋には北村薫コーナーが設けられて、今まで絶版になっていたような文庫まで平積みにされる。私にとっては非常にうれしく、便利になって都合がよい。この作品は「本格ミステリ大賞」をとった本格モノである。しかも非情に凝っていて、北村ワールド全開。ところが体裁は「敬愛してやまない本格の巨匠エラリークィーンの遺稿を翻訳した」ということで書かれているので、最後まで北村薫作ではなくて、北村薫訳と勘違いしながら読んでいる人が出てもおかしくない出来である。北村らしく、途中でクィーン論まで飛び出して「薀蓄」の宝庫にもなっている。クィーンが日本に滞在したときの取材で書かれたという設定のために、おかしな日本人が多々出てくるのも「遊び」で楽しい。やたらお辞儀をする日本人、俳句をやたらにひねる警視等々。箱を開ければ、さらに箱がある。そのような入れ箱形式の謎が楽しいが、いかんせん、わたしはクィーンはまったく読んだことがなくて、良く分からないところも多かった。クィーンを好きな人ならば、文句なく楽しめる「本格」推理小説である。
2009年10月27日
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実に7年ぶりに鳥取の遺跡を見に行きました。ETCのおかげで重い腰を上げたのです。前回の見学のころはまだブログがなくて、よそ様のホームページを借りて感想を書いています。ここにも書いているように妻木晩田(むきばんだ)遺跡は「国内最大級の弥生都市」です。2000-1700年前に栄えた152haに及ぶ弥生時代の集落で、約900棟の住居や建物跡、30基以上の墳丘墓の跡がわかっています。まだ発掘途中だし、その成果はこれから明らかになっていくと思います。今回も行くと、ちょうど復元建物を建築中でした。この後に行く青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡の発掘成果とあわせて首長クラスの建物はこのようなものであるというこがわかりました。ここまで来ると、まるで江戸時代の農家のようです。いままで木の文化は腐ってなかなか残っていなかったけれども、だんだんと解明されてきました。私たちの思っている以上に、暮らしは現代に近いのかもしれません。この遺跡がまだ発掘途中で、保存運動の真っ最中だったころ、なんとしてでも残さないといけない、という気持ちの原動力になったのは、洞の原地区から見えるこの景色です。少し小高い丘陵に住居と墓が集中し、そこから弓ヶ浜が綺麗に見えます。来年にはどうやら展示施設の新館が出来るようです。いろんなボランティアがこの遺跡を守り活用していて、例えば、周りの木々はこのような説明書きがいたるところに吊るされていました。このころ、蕎麦の白い花が満開でした。さて、妻木晩田のあとは青谷上寺地遺跡展示館に行きました。国内で初めて見つかった弥生人の脳で有名なところです。溝の中から、ばらばらな人骨が100体以上見つかり、中には傷つけられた骨が100点以上含まれていました。その他、水に守られて豊富な木々やいろんな物が残っていて、「地下の弥生博物館」といわれています。写真は殺傷痕のある15-18歳の女性の頭蓋骨です。海の生活を再現できるいろんな遺物も見つかっていて、今回7年ぶりに来て、本当にきちんと整理されていることに驚きました。これは結合式のヤス(魚を突き刺す道具)です。これを駆使して、一挙に三匹も四匹も同時に取る名人もいたのでしょう。山陰特有の琴です。ただし、使い方は叩いて音を出していたようです。少し足を延ばして発掘現場にも行ってみました。日曜だったので人はいなくて、ビニールがかぶされていましたが、真っ黒い土の中から新たな発見があるかもしれないと思うと、どきどきします。妻木晩田も青谷上寺地も、地元の人たちの熱心な運動があって国の指定遺跡になっています。これからきちんと調査して新しい弥生時代像を作ってきて欲しい。たくさん本を買ってきました。すこしづつ読んでいきます。
2009年10月26日
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いちばん最初にインターネットで予告編を見たときに「こりゃだめだ」と思っていた。なにしろ、アトムが空を飛びながら「イャッホー」と叫んでいたのである。われらがアトムはたとえ幾ら嬉しくてもそんなはしたない声は出さない。ところがわが町の映画館では「アトム」は吹き替え版しか上映しない。よって、日本流に吹き替えたのか、その場面はとっても小さな声で喜んでいたので違和感はなかった(しかもこのときはアトムはまだ自分を人間だと思っていたのである。これは原作にはない展開)監督 : デビッド・バワーズ 声の出演 : 上戸彩 、 役所広司 アニメは現代アメリカの姿を「正直に」映すのだろうか。舞台は雲の上のシティという上流階級と取り残された地上の下流階級に分かれていて、大統領選で不利になった候補は「戦争」を起こして国威発揚すれば選挙に勝てると信じている。ここまでみみごとに批判的にアメリカの姿を「マンガ化」されると、きもちいい。結果的に、武力に頼った元大統領は武力の中に取り込まれてしまって暴走し、大統領にもなれないことになる。分かれていた上流階級と下流階級はいっときくっつき、分かれていた家族がめぐり合う。さすがにアメリカアニメだけあって、戦闘場面はやっぱり手書きアニメよりも迫力がありました。それが横糸で、縦糸に親息子との絆と自立、そしてロボットとしてのアトムの自覚の芽生えを描いて終わる。手塚版アトムの本当のテーマはまだ片鱗しか現れていない。けれども、本来アトムは「人と人(ロボット)との人(ロボット)間関係の軋轢」をテーマにした作品なのだから、この展開はそれはそれでありうる話である。原作にはない、色んな登場人物や小物ロボットもとても生き生きとしていて、この原作のアニメ版は「ドラゴンボール」のようなむごいことにはならずに成功だった。こんな作品に限ってあまり宣伝もされずに小規模短い公開で終わりそうである。科学技術省助手のなかに手塚治虫の若い姿や、時々ヒョウタンツギが出てくるなど、アメリカの監督もそういう「遊び」が好きだった手塚作品をよく読んでいるのだなあ、と思って好感が持てた。
2009年10月25日
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「おまえが気づかず、また興味がないにしても、この風には秋の爽やかな味がするし、もくせい の花の香が匂っている。」山本周五郎の「さぶ」のなかの言葉、いずこからか花の香りがする、2~3週間前からふと気がつくとそんな毎日でした。金木犀は花の姿に気がつく前に、香りで気がつく花です。時には気がつかないまま通り過ぎることも良くある。今はだんだんと香りが少なくなっているので、尚更です。でも目に見えないところで、花は可憐に咲いているのです。目の前のことで精一杯の栄二はさぶの献身に全然気がつかなかった。この一言で、やっと栄二は独りで生きているのではない、ということを知る。いずこからか花の香りがする。それはその気にならなければ、気がつかない匂いではあった。「栄二にはぼんやりとではあるが、その言葉の意味がわかるように思えた。ことによるとおれは、いままでこの人たちを本当に見ていなかったのかもしれないな。風に もくせい が匂っていても嗅ぎわける気がなかったように」秋になると、いつも自戒しています。
2009年10月24日
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丁寧な作品だと思う。イタリアの田舎町で起こった殺人事件から、一見秘密も持てない共同体の住民にも、人に言えない「秘密」があることが明かされていくというお話である。監督 : アンドレア・モライヨーリ 出演 : トニ・セルヴィッロ 、 ヴァレリア・ゴリーノ 、 オメロ・アントヌッティ 、 ファブリッツィオ・ジフーニ 、 ネッロ・マーシャ 「あなたに説明しても分からない」警部は何度も何度も別の人々からまったく違う意味で、同じ言葉を言われる。サスペンス形式をとった田舎の人生模様である。これが「ライフイズビューティフル」よりも多くの賞を取ったのか、信じられない。確かに他人の気持ちは分からない。そんなことは当たり前のことではないのか。しかし、それを超えて人生を鮮やかに見せてくれるのが映画というものではなかっただろうか。もしかしたら、イタリアの人々には良く分かる映像つくりだったのかもしれない。私が見た「空気人形」も断片的な描き方であったが、私は大いに共感した。それにしてもイタリアの田舎がまったく田舎に見えにない。新興住宅地のなかのようにみえる。もしかしたら本当に新興住宅地だったのかもしれない。彼らが余裕のあるように見えるのは、働き方が違うからだろう。かの国には「残業」は基本的にないのである。
2009年10月23日
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「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」松たか子が素晴らしい。冒頭の泣き笑いでどきっとさせた後は、居酒屋での解放された顔と、警察に連行されたときのこわばった顔と、大谷を慈しむ顔と、おびえる顔、困った顔、母の顔、強く立ち向かう顔、さまざまな「女」を見せて飽きさせない。女性の可能性を色々と見せるが唯一見せないのが、大谷の愛人が見せる勝ち誇った顔である。大谷が結局何に絶望して死にたがっていたのかは、この映画では分らない。太宰が好きな人ならば、それは自明のことだし、わからなくても、大谷演じる浅野忠信を見ていれば、「結局男の甘えであり弱さ」なのだということは分る。けれども、「ヴィヨンの妻」を描ききったのも結局大谷(太宰)なのだ。実は実際の太宰の妻は佐知とは全然違うタイプの女性だったらしい。佐知の純粋さはそのまま大谷の純粋さでもある。大谷の妻佐知は、基本的に大谷(太宰治)の分身なのである。監督 : 根岸吉太郎 原作 : 太宰治 出演 : 松たか子 、 浅野忠信 、 室井滋 、 伊武雅刀 、 光石研 、 山本未來 、 鈴木卓爾 、 小林麻子 、 信太昌之 、 新井浩文 、 広末涼子 、 妻夫木聡 、 堤真一 二人で食べる桜桃は美味しかったに違いない。けれども、日本人の我々はあの後やっぱり太宰は他の女と心中してしまうということを知ってはいるのだけれども。美術はやっぱり種田陽平。昭和20年代の崩れそうななあんにもない一軒家と、穴倉のような居酒屋を描いて秀逸だった。登場人物が皆力演で、緊張感強いられる映像の連続だったので、広末のなあんも考えていない演技がちょうど見る側を弛緩させる役割があっていい効果(?)を生んでいた。さて、この前この映画で友人と話をしていて意見が分かれた部分がある。他のブログを見ていると、不思議にその部分の言及がない。確かにネタバレ部分ではあるが、どちらの意見を採用するかによって最終的な評価が変わると思うので、書いておきたい。つまり佐知が元恋人の堤真一のもとを訪れたときに、払うべき弁護料がないので堤に言い寄られた後どうなったか、という問題である。友人は「具体的に何処までいったかわからないが、身を任せることで弁護料はチャラにしてもらった」という意見である。根拠はその後大谷に「いけない事をした」とはっきり言っているということと、堤の事務所を出るとき淋しそうだったということ。私は、「二人の間には何もなく、弁護料はチャラになった」という見解である。根拠は二人の映像が途切れる直前まで、精神的には佐知の方が圧倒していたということ、事務所をでるとき佐知がなんとなくさばさばしていたように思えたこと、映像的に衣服の乱れどころか、口紅の乱れさえなかったこと、「いけない事をした」という意味は大谷に対する単なる(不倫をされたことに対する)仕返しの言葉であったということ。ここが明らかにならないと、「いけない事をした」ということの意味が大きく変わってしまう。そして最後に「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と佐知が言ったときに自分は「人非人」でないという自信があったからこそ、前向きに「人非人」という言葉を使えたのである。と、私は思う。 さて、皆はどう思うのだろう。
2009年10月22日
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昔の写真からちょっとこんなのを紹介します。(未公開写真です)映画の美術というものは、時には雄弁に脚本や俳優以上にモノを言うことがあります。一番印象に残っているのは、美術担当が誰だったかも知らないのですが「トキワ荘の青春」(96年市川準監督)の美術でした。三畳一間の端正な部屋の中に昭和30年代の漫画家たちの「夢」がつまっていました。最近では「空気人形」の美術監督、種田陽平の仕事が素晴らしいと思います。さて以下の写真は映画「UDON」のロケツアーに行ったときの写真です。そのときの文章を再掲します。次はレオマワールド内で開催されていた「UDON」展を見に行く。初めて実際の映画の「美術」を見ました。松井製麺所の中のセットや、雑誌編集局の中のセット、本広監督の脚本などが展示されている。ゆーすけはアイマック、小西はダイナブックのPCを使っていたり、パソコンについているタックシールや、机にさりげなく置かれている宅急便のお届け表もすべてきちんと作られていた。タックシールには個性に合わせたその日の予定が書かれ、お届け表は「かえる急便」とわざわざロゴを作っていた。画面に映るわけではない。遊び心でもあるし、雰囲気つくりでもあるのでしょう。そのような仕事が、映画の質を高めていくのに違いない。映画用にわざわざ雑誌まで作る。このこだわりには感動しました。松井製麺所のセットはこれです。そして、この日最初にいった普通家の製麺所三島製麺所の本物の製麺しているところはこれです。見たら分るように、本物は一見雑然として「主張しているもの」は映像としては見えてきません。美術とはあくまでも本物に近づける、と同時に「主張」がないといけないのです。色々調べて結局この映画の美術担当の名前は分りませんでした。美術担当の名前は消えていくことが多い。けれども、これこそがテレビドラマではない、映画の醍醐味なのです。
2009年10月20日
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「縄文の生活誌」岡村道雄著 講談社学術文庫この本を私は三冊持っている。三冊とも同じ著者の同じ題名の本で、しかも三冊とも中身が違う本である。講談社「日本の歴史」シリーズの最初を飾ったこの本は発売直後に数奇な運命に遭う。私はまさに発売直後にこの本を買い、二日で読みきり、大いに刺激を受け感動した。たとえば、三内丸山遺跡を説明するのに、13歳のアカメ、氏族長、シャーマンなどを配して、半分を「物語」として描いて見せたのである。あくまで方便であるから、本格的な小説ではないが、縄文時代を生き生きと描くのに充分な作業だった。そういう物語を旧石器時代、三内丸山、権現原貝塚、小牧野環状列石遺跡、と節目節目で採用していた。私は「大変面白かった」と感想を読者カードに書いてまさに出そうとしたその日に、とんでもない大事件が起きる。藤村新一の旧石器遺跡捏造事件である。初版のこの本は、藤村の発掘をたたえ、その成果の描写で本の5-10%を占めるものであったために、しばらくして廃刊になった。2000年の10月に発行されたこの本は2002年11月に改訂版が出された。今その詳しいことは書かない。この本はその改訂版の学術文庫版である。「学術文庫版あとがき」で岡村氏はこのように書く。 事件によって、私の人生は大きく変わり、今なお続く苦悩が始まった。 あのころは、あいつぐ発見の新しい成果を追い風に、考古学学会はバブルの中にあった。筆者も、遺跡の保存と活用に邁進し、日夜前進あるのみだった。法や制度で万全に護られているわけではない遺跡は、それへの理解と協力がなければ保存・活用はかなわない。だからこそ、遺跡の重要性、歴史の重みや面白さを世に伝えることで、遺跡への理解と発掘調査や遺跡の保存・活用への協力を取り付けたかったのである。その気持ちは分かる。しかし、改訂版を読んだとき、彼は他人事のように事件の経過と分析を書いていた面があった。反省の言葉はもちろんあったが、いい訳の言葉も多かったのである。私は少なからず、違和感を覚えた。まさに彼は「東京に戻った私は発掘現場から離れて15年、全国の発掘成果を正しく伝えるべき立場にあった」しかもその文化庁の職員として最高の責任の立場にあったのではないか。そのことについて、8年たったいま、やっと彼はこう書いている。 …(捏造されたものも含む発掘や研究の成果を)あるゆる機会をつかまえては伝えてきた。そこに焦りがあったのではないかといわれれば、反論のしようもない。研究者として充分に吟味もせずに、大きな成果として発信してきた安易さと不明を、いまさらながら深く反省するばかりです。(略) これらの研究の進展を踏まえながら、これからも捏造事件の経緯・構造、原因・背景などを探り、本質を捉え、今後の自らの教訓としたい。そして、確かな研究方法を構築して正しい叙述につとめ、考古学の立て直し・改善を図り、発展と信頼回復を目指して微力ながら尽力する思いである。同時に今回の事件を長く伝えることも私に課せられた責務であると考えている。きっとこの8年、折に触れては彼はいわゆる私たち考古ファンから詰問され、あるいは励まされ、そして反省してきたのだろう。トップの役人が真から反省するにはここまで長い時間がかかるのか、改めて唖然とする。「今回の事件を長く伝える」この言葉を信頼したい。そのとおりにやってほしい。そこから未来は生まれる。
2009年10月19日
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「あんたなんて大嫌い!この町から出て行け!」昭和40年代から50年代(たぶん)にかけての愛媛県大洲という田舎(たぶん)が舞台の女の子3人の友情ものがたり。監督・脚本 : 森岡利行 原作 : 西原理恵子 出演 : 深津絵里 、 大後寿々花 、 福士誠治 、 風吹ジュン 、 波瑠 、 高山侑子 、 森迫永依 、 板尾創路 、 奥貫薫サイバラの時代にはギリギリ「くさい」とか「きたない」とか言われて「仲間はずれ」にされている貧乏家族がいたと思う。イヤ、それはいつの時代でもいるのかもしれない。そして、今日新たにその層は増えつつある。今の時代にこれが作られるのだとしたらそれもひとつの要因だろうか。注目したのは、登場の2/3を占める青春時代の主役、大後寿々花である。ポスト宮崎あおいと見ている私が、大後の最初の代表作品になるかもしれないと思ったからである。大後は黙っているときに一番雄弁にモノが言える役者である。10台の女優の中では一つ頭を抜けているのは間違いない。理不尽な世の中への怒り、友だちへの慈しみと悲しみ、そして楽しみ、淡い恋への戸惑いを一言も喋らずに演じわけることが出来る。しかしセリフはまだ深みがなく、身体全体の表現も今一歩である。作品自体も素晴らしい、とまではいっていない。次回か、次々回ぐらいに代表作を待ちたい。
2009年10月18日
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昨日、「通販生活」の最新版が届いた。いろいろと興味深い記事はあったのだが、最近気になっていることとして「死刑制度は存置すべきですか?廃止すべきですか?」というアンケート結果が出ていたので読んでみた。ETV特集「死刑囚永山則夫」を見て、いろいろと考えたということもある。このアンケートは、三号にわたって存置派、廃止派八人の論者の意見を読んだ上で答えている真面目なものである。有効投票数1269票のうち、存置すべきが849票(67%)、廃止すべきが325票(26%)、どちらともいえない95票(7%)という結果だった。論者の支持では、「勧善懲悪の徹底こそが犯罪を抑止する」という鳩山邦夫氏の意見が一番の支持(31%)を取った。次は「死刑は存置する意義はあるが、犯罪被害者の支援体制つくりが急務」と言った山上皓氏(16%)、そして「どんな理由であっても、人を殺してはいけない」と廃止を説く森達也氏(16%)が三票差で三位になった。「冤罪を防ぐことは不可能に近い。死刑を廃止し、終身刑の創設を」と廃止派の亀井静香氏(10%)が四位。読者の意見は「子供の頃、人を殺したら死刑だと信じていいたので、絶対に人は殺せないと思った。人間も動物である以上、死ぬことが一番の恐怖だと思う」(女性48歳)がある一方、「死刑を認めることは「理由によっては人を殺してもいい」ということ。」(女性35歳)といろいろに分かれます。永山則夫のように「真の更正」があったとしても、「死と直面してこそ、死刑囚に償いの気持が生まれる」と言った元死刑囚に接してきた刑務官の坂本敏夫説にも納得した読者は多かったようだ。私の気持は今のところ決まってはいない。気持ち的には死刑廃止に気持は揺れている。どちらかというと亀井静香氏の意見に一番近い。人間は長い時間をかけて「復讐による殺人はダメだ」と納得してきた。では、死刑制度は「国家による代理復讐」を認めてきたということなのだろうか。そのことを判断する前に、死刑だけではない。「裁判制度」とはいったいなんなのだろう。「代理刑を決定するところなのだろうか」いや違うと思う。「どんな刑をするか決める」ところは、検察=国家なのだと思う。裁判はその国家が間違っていないか、「監視」するところなのだ。だから「疑わしきは被告人の利益に」ということが本来裁判制度の「国際常識」になっているのである(日本は違う)。歴史上、時の政府が100%正しく「決定」してきたことはない。亀井氏が言うように、冤罪は無くならない。ならば、「死」によって「決着」をつけることは間違っている。国家と被害者は違う。被告と被害者は別の決着の仕方を考えなくてはならないだろう。さて、ここからやっと映画評である。残虐な犯罪を続ける少年犯。彼らは“少年法”に保護されている。最愛の娘が、少年達によって、凌辱され殺された。ある日、謎の密告電話により、失意のどん底に落ちていた父親・長峰重樹は、犯人を知ることになる。「我が国の法律では未成年者に極刑は望めない!」復讐が何も解決しない虚しい行為だと分かっていながら、父親は自ら犯人を追う…。そして、長峰を追う2人の刑事。織部孝史と真野信一。被害者の絶望は、永遠に消えない。そして、少年達は犯した罪と同等の刑を受けることはない。法律を守る。という建前の正義を優先する警察組織に、不条理さを感じる刑事たち。それぞれが苦悩しながら、事件は衝撃の結末に向けて、加速していく…。(goo映画より)監督・脚本 : 益子昌一 出演 : 寺尾聰 、 竹野内豊 、 伊藤四朗 、 長谷川初範 、 木下ほうか 、 池内万作 、 岡田亮輔 、 佐藤貴広 、 黒田耕平 、 酒井美紀 、 山谷初男映画としては、完成度はイマイチ。原作ではうまく処理していた携帯や留守番電話を使った進展は上映時間の関係もあったのだろうが、リアル性のないものだった。また、主人公の原作とは違う最後の決断は当然賛否両論起きている。国家による「決着」を望まない主人公は、あの選択はありえる選択だと、私は思う。すみません、本論が短いですが、ネタバレできないので‥‥‥。
2009年10月17日
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フィンランド豊かさのメソッド 堀内都喜子 集英社新書子供の学力調査(PISA)1位、国際競争力ランキング四年連続1位、で有名、映画「かもめ食堂」で有名なフィンランド、けれどもどんな国なのかは、なかなか知られることがない。なぜなんだろうかと思っていた。ひとつは英語ともかけ離れて、漢字ともかけ離れている、言葉の壁があったのかもしれない。文法が英語圏とは違う。もちろん日本語とも違う。残業はしなくて、一ヶ月の休みも取れる、それで国際競争力が1位(01-04)、けれども失業率も高い(6.4%)、まったく不思議の国だ。それでも「経済が成長しているせいなのか、社会保障制度が整っているせいなのか、それともただ単にみなのんびりとした性格なのか、学生や人々の顔に暗さは感じられない。」そうだ。一般のフィンランド人も教育世界一という結果にはびっくりしているらしい。「別に何も特別なことはしていないのにねえ」なんて言っている。大学研究所ではこのように分析している。質の高い教師、偏差値編成や能力別クラスなどがない、同じクラスでの特殊教育、学生のカウンセリングとサポート、少人数制、進学希望が強い、平等な義務教育、社会における教育の重要性が高い、教師という職業の社会的地位が高い、安定した政治、経済格差が少ない、地域差があまりない。みごとに小泉の目指したもの、教育基本法「改正」の精神と正反対である。なかでも「教師の質の高さ」はどの教育研究者、教師に聞いても必ずいちばんに返ってくる答えらしい。大学に受かるだけでは教師になれなくて、教職課程を取る権利を得るには多くの難関がある。特に適性検査は厳しいらしい。この本はフィンランドに留学していた著者のお国案内である。教育・産業だけでなく、文化、生活まで言及しているところにと特徴がある。フィンランド入門としては最適。
2009年10月16日
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なんと贅沢な配役か。監督・脚本 : 沖田修一 原作 : 西村淳 主題歌 : ユニコーン 出演 : 堺雅人 、 生瀬勝久 、 きたろう 、 高良健吾 、 豊原功補 、 西田尚美 、 古舘寛治 、 黒田大輔 、 小浜正寛 、 小出早織 、 宇梶剛士 、 嶋田久作 これだけの役者を使っているのだから、途中で大きな事件が起きるに違いない、と思っていてはいけない。その考えにとらわれてしまうと、とんでもない映画を見たという記憶しか残らないだろう。では、この映画をみて、何か得るものがあったかと言うと、実は何もない。実は何もない生活を一年以上続けるということがどのくらい苦痛で、退屈なのかを身もって知ってもらおうという企画なのだろうと、最後には慰める。ただ、零下70度の下で10-30秒裸になっていたが、果たしてそんなのを映像で流してよかったのか。あれは幾らなんでもフィクションだろう。それだけが気になった。
2009年10月15日
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「あの歌が聞こえる」重松清 新潮文庫重松清は自伝的な作品を書く場合は、良く瀬戸内海に面した町を舞台にする。言葉は岡山弁なので、てっきり玉野か児島あたりが舞台なのだと思いながら読んでいくと、どうも雰囲気がちがう。結局架空の町なのだということをしるのである。この、当時の流行歌をちりばめながら描いた作品もそうだ。けれどもこの作品の場合は後半で舞台はほぼ見当がつく。明らかに山口県(本州の西の端で鍾乳洞があって元国立二期校といえばこの県しかない)の下関なのである。重松清の時代設定は、みごとに自分の生きてきた時代を忠実に再現する。いつもそうだ。彼は私の二歳年下なので、この作品で彼が山口県から東京に向けて旅立ったときには、私は元二期校の山口大学の二年生だったわけだ。当時の歌は私の思い出とも重なることもあり、重ならないこともあり、それはそれで楽しめた。大学に旅たつまでの「独立したい」というあいまいな願望、「あんた自分一人で大きゅうなったんと思うとるんと違う?」と憤る母親の気持ちも今になってよく分かる。キヨシローの「トランジスタラジオ」の「こんな気持ち/うまく言えたことがない」も今になってよく分かる。口下手なおとうちゃんは、サングラスを買って東京に乗り込もうとした「俺」にサングラスをゴミ箱に捨ててこういう。「色メガネで見て、どないするんな。東京はお前の行きたい街なんじゃろうが、自分の目玉でにらみつける度胸もないんか?」俺はうなだれる。「こんな気持ち/うまく言えたことがない」そして最後のダメ押しで、わたしはついにうるうるとくる。この読者たらしめ。
2009年10月14日
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東野圭吾の文庫新作「赤い指」(講談社文庫)を読んだ。赤い指 この作品には刑事加賀恭一郎が出ている。私は東野作品における名探偵のなかで、ガリレオ湯川よりはこっちの方がずっとすきだ。東野作品を初めて読んだのが、加賀恭一郎がまだ大学生で初登場だった「卒業生」だったということはおそらく関係している。まだそのときは単なる謎解き小説であった。 そのころは推理小説にはまりだした頃で、東野作品は理系人間らしいきっちりした本格推理を書いていて、私は次々と手を出した。そうすると、思いがけないときに加賀恭一郎は出て来て、普通の刑事として地道に捜査して地道に真相に近づくのである。作品のテーマはいつも「事件そのもの」にあって、加賀の私生活は最低必要限度か、全く描かれない。けれどもずっと読んでいると、加賀が「犯人」たちの心情をしっくり汲み取りながら、真実を明らかにしようとしている「優しい作者」そのものの分身であることが分る。 東野作品では三番目くらいに読んだ「眠りの森」において、加賀は犯人の女性と恋に落ちる。結果的に犯人を逮捕するのも加賀なのであるが、加賀は女性に「ずっと待っている」と約束するのである。加賀登場の作品ライブリーを見ると、最初警視庁捜査一課からスタートした加賀が、途中からずっと練馬署の刑事として登場している(「悪意」のみでは警視庁に戻っている)のは、犯人と結婚の約束をしている加賀の心情を警察官僚が危ぶんだからではないかと私は勝手に思っている。事実、この「赤い指」において、警視庁のベテラン刑事が新米の松宮が所轄の練馬署刑事加賀恭一郎と組む事になったことを知って言うのである。「当然知っていると思うが、優秀な刑事だ。俺も何度か一緒に仕事をしたことがある。やりにくいかもしれんが、今回は彼について動いてくれ。おまえにとっても、必ずいい経験になる」私生活に問題はあるが、優秀な刑事ということで警視庁の中では有名で特別な位置にいたのかもしれない。 本当は松宮と加賀とは甥、叔父の関係にある。それだけではない。彼らは一人の共通の「父親」を巡ってある「事情」があった。この作品は、そのことに決着をつけることも横糸に絡んでいる。「家族の絆」とは何か。成熟した筆さばきではある。 23年まえに22歳だった加賀恭一郎は、もういい歳のはずだ。この作品に「結婚」のにおいを嗅ぎ取ろうとしたけれども、ついには出てこなかった。加賀はまだ待っているのだろうか。彼女はまだ刑に服しているのだろうか。前作「嘘をもうひとつだけ」において加賀恭一郎はバレエ教師に向かい「前に縁があってバレエのことはいくらか知っています」という場面がある。彼女のことを加賀が忘れていないということを知った瞬間であ さて、作品であるが、作品の初めにおいてすでに犯人は割れている。それがいかに明らかになるか、ということのみに焦点が絞られた珍しい推理小説になっている。
2009年10月13日
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昨日のETV特集「死刑囚 永山則夫」は衝撃的だった。実は、永山則夫についてはほとんど知らなかった。まさかこんなにも、特異で、短くも影響力のある人生を送った人だったなんて知らなかった。ウィキペディアで永山則夫を引いてみた。生い立ち1949年6月27日、北海道網走市呼人番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。腕のよいリンゴの剪定師だったが博打に明け暮れる父親の放蕩生活によって、家庭は崩壊状態であり、現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。1954年(当時5歳)に、母親が1人分しか汽車賃が出せずに則夫を含む4人兄弟を網走の家に残し、青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう(後に書いたノート母はで悔いている)。残された則夫を含む4人兄弟は屑拾いなど極貧生活に耐えてギリギリの生計を立てたものの、1955年に、4人を見かねた近隣住民による福祉事務所への通報をきっかけに、板柳の母親の元に引き取られた。母親は行商で生計を立てた。1965年3月、板柳から東京に集団就職する。就職の際に取り寄せた戸籍謄本の本籍が網走無番地であり、網走刑務所生まれと考えたため(実際には刑務所の外だった)。渋谷の高級果物店に就職し精勤し新規店を任される話まであったが退職、その後も職を転々として全国を転々、どこも長続きしなかった。1967年4月、明治大学附属中野高等学校の夜間部に入学するも、同年7月、除籍処分を受ける。1968年4月、同校に再入学し、クラス委員長に選ばれる。[1] 初めての犯罪は、横須賀の米軍基地内での自販機荒らしであった。 連続射殺事件 米軍宿舎から盗んだピストルで、1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、いわゆる「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。永山は1965年に起こった少年ライフル魔事件の現場至近で働いていたためにこの事件を目撃しており、これに刺激された犯行ではないかという見方もある。1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された[2]。1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない」として死刑判決が確定する。この判決では死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。 獄中での心境の変化 一審頃まで 永山は生育時に両親から育児を放棄され(ネグレクト)、両親の愛情を受けられなかった。裁判が始まった当初は、逮捕時は自尊感情や人生に対する希望や他者を思いやる気持ちも持てず、犯行の動機を国家権力に対する挑戦と発言するなど、精神的に荒廃していた。 二審頃まで その後、獄中結婚した妻やその他の多くの人の働きかけと、裁判での審理の経験を通じて、自己が犯した罪と与えた被害の修復不可能性に関して、自己に対しても他者に対しても社会に対しても客観的に認識・考察する考え方が次第に深まった。その結果、反省・謝罪・贖罪の考えが深まり、最終的には真摯な反省・謝罪・贖罪の境地に至った。また5人分の命(被害者と自分)を背負って贖罪に生きることが償いになるのではないかといったやり取りが残されている。二審のやり取りの中でもし社会復帰をしたらの問いに対し「テストで1番の子がビリの子を助けるような塾をやりたい」といった趣旨の発言をしている。 差し戻しから死刑確定頃 差し戻し審で無期懲役が難しくなると一転して1審のような国家権力に対する発言に変わったが関係者の話では1審のような迫力はなかった。また拘置所で面会に訪れた人に対して社会に出た時の話をしなくなった。弁護士に対して「生きる希望の無かった人に生きる希望を与えておきながら結局殺す。こういうやり方をするんですね」といった趣旨の発言をしたとされる。死刑執行から12年たった今、なぜかもと妻の和美さんの初めてのロングインタビューがあり、それと永山則夫の自筆の手紙が中心になって番組が構成されていた。和美さんが何故今発言したのかよりも、今まで発言していなかったことに驚きを禁じえない。永山の願いは一つは、永山子ども基金の存在があるように、「二度と(貧困などの理由により)自分のような人間が出現させないこと」にあったに違いない。この10年、酒鬼薔薇事件の裁判、光市母子殺人事件の裁判、貧困の深まり、永山則夫の問題はいつも日本の社会と大きく結びついていた。いったい何故このような番組が今まで作られなかったのか。この番組を見ると、永山がいかに獄中で更正したのか、それにどれだけ和美さんの存在が力を貸したのか、手にとるようにわかる。和美さんと永山氏の過去との相似と、決定的な違い。だからこそ惹かれあった二人。和美さんが永山氏の「足」となって贖罪の旅をした経緯。それらはもっと深く知られるべきことだと思う。差し戻し確定後、永山氏と和美さんは離婚する。番組では何も語られていないが、オホーツクの海に散骨したのは和美さんなのだから、国家の法を信用していなかった二人の理由のある選択だったのだろう。いまだ明らかにされていない、1900通(だったかな)の手紙のやり取り。そこには日本の裁判制度への重大なヒントがあるに違いない。永山氏の19歳当時識字が出来ていなかったとは思えない論理的など文章と確固とした「字体」。マルクス主義を論じたという70年代の手記や、新日本文学賞を取ったという『木橋』など是非読んでみたいと思う。無知の涙増補新版
2009年10月12日
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一本の茎の上に茨木のり子 ちくま文庫詩人茨木のり子のめずらしい散文集である。エッセイ集というのには、少し抵抗がある。散文を書いていたら、いつの間にか一篇の詩になった、という種類の作品がこの中にはたくさんあるが、それをエッセイと言うと文が繋がらないからである。茨木のり子の詩は物事に対する発見が満ちているが、この散文もやはりそうだ。韓国の史書「三国史記」を読んでいると、ずっと事実の羅列でびっくりしたと書いている。その一方で、「我が「日本書紀」を思い巡らせば、なんとまあ詩歌の多いことよ。「記紀歌謡」として取り出せるほどに」と、書いていてなるほど思う。本当に日本のあらゆる書物はなぜか途中で詩歌が挿入されている。「悪く言えば、散文だけで押し通していけない弱さであるかもしれないし、良く言えば平板な叙述に耐え切れず、詩歌で飛躍し、また気を取り直し叙述に戻る―つまり詩心の芳醇とどめがたし。いいんだか悪いんだか分からない」ロシアの諺でこんなのがあるらしい。「百年生きて、百年学んで、馬鹿のまま死ぬ」「それはそうでしょうねえ。深い真実を突いていて、この諺も思い出すたびに、はればれとおおらかな気分にさせてくれる。」と茨木さんは言う。深く同意する。20代のころから親しくしていた山本安英について茨木さんはこのように書いている。「世阿弥は、能役者の心得を説いた「花伝書」のなかで「花」ということをいい、50歳過ぎて尚、残った花かがあるならば、それこそが真の花であるという意味のことを言っている。視点を一寸ずらせば舞台人ばかりでななく、普通の生活人にも当てはまり、そこがなんともおっかない書ではあるけれど、山本さんの舞台には、世阿弥の言うところの「真の花」がある。」そして私は思う。茨木さんの詩には、世阿弥が言うところの「真の花」がある。
2009年10月11日
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岡山市の公民館では「中高年男性応援プロジェクトチーム」というのがあるらしい。特に団塊の親父たちをターゲットに、家に引きこもるな、人と交わろう、とさまざまな企画をしようというのである。いいんじゃない、とまだ50歳未満の私は思う。その企画の一つに参加してみた。「創る、観る、語る 映画に魅せられた男たち」というテーマなので。確かに昭和30年代に青春時代を過ごした人達には映画というのは最適の素材だと思う。そのころ岡山にはなんと130の映画館があった。どの町にも映画館があったのである。もちろんわが町水島にも二館あった。ほんの30年くらい前までは存在していたのだ。さて、映画を作った人の体験談やら、映画鑑賞会の代表の話やら、北海道で町民350人が参加した大型ミュージカル「いい爺ライダー」を鑑賞したりしたのであるが、一番印象深かったのは、地域の夫婦活弁士として活躍している「むっちゃん、かっちゃん」の活弁上映であった。素材は名匠小津安二郎監督の昭和四年の18分の無声映画「突貫小僧」(本編は38分。88年にこれだけ発見された)である。1929年 「突貫小僧」 松竹蒲田 白黒サイレント監督 小津安二郎脚本・脚色 池田忠雄出演 斎藤達雄、青木富夫(子役)、坂本武 当時は「人攫い」(子どもの誘拐)というは流行っていたのだろうか。「この世界の片隅に」の冒頭のエピソードにも出てきた。たとえ流行っていても、現代のように親が子どもをひと時も目を離さないということが「義務つけられ」てはいない。そんな余裕も無かったのだろう。《簡単な粗筋》付け髭をはやした男が、小僧にお菓子やおもちゃをえさに攫う。小僧はわがままし放題。手を焼いた人攫いは小僧をもといたところに返そうとする。決してVFXではない。正真正銘の昭和初年の下町が背景に映る。本来のト書きセリフ以上に色んなセリフをおそらく新たに脚本を作って付け加え、音楽も入れて、活弁の「ライブ」をするのである。大変面白かった。活弁しだいで、映画は二倍にも三倍にも面白くなるということがよく分った。しかも、監督は東京弁で作ったはずなのに、岡山弁で話される。活弁は面白い。もっと色んな人が見るべきである。
2009年10月10日
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「美人コンクール発言事件」はいまや全学生の知るところとなる。その後何回か大学祭実行委員会が開かれたが、某サークルは欠席したまま。それがまた「糾弾」の対象となるであった。わが大学新聞は沈黙を守っていた。わたしは女性問題に疎く、付け焼刃の学習では到底歯が立たないことを感じていた。安易に記事にすると、われわれも「糾弾」の対象になってしまう。一回だけ、先輩がエッセイの装いを持って、この「現象」にコメントしてくれた。たぶんそのことを免罪符にして、わたしは編集長の仕事を果たした、と思ったのかもしれない。わたしはこの糾弾会がどのような決着を持ったのかを覚えていない。(おそらく某サークルは女子学生の会が望む総括文を嫌々ながら書かされたのだと思う)ということは、わたしは最後まで「関わらなかった」ということなのだろう。「それは賢明な判断だった」と誰かは言うかもしれない。しかし、今だから言うが、あれは間違っていた。新聞会は何の立場に立って書くのだろうか。自分たちの思想を広げるためか。違う。(広げる思想もないが)「当局」(大学経営者=文部省)か。もちろん違う。自治会である以上、大学の全学生のために、学生の立場に立った新聞つくりをしていかなければならなかった。今起こっている糾弾会は本当はどういうことなのか、学生たちは関心を持っていただろうし、新聞会はそのことに応える義務があっただろう。編集部に、編集長たる私に「勇気」と「覚悟」が足りなかった。理論的な未熟はあったかもしれないが、「足で書け」ば、少なくとも事実関係で後ろ指差されることはなかっただろう、と今になれば思う。そうはいっても、あらゆる記事には「主張」(事実を選択するものさし)があるのだから、そこを突かれたら、後は理論対決になる。あれは「糾弾」に値する発言ではなかった、と、誠実に言わなければならない。それはおそらく全学生の支持するところだっただろうと思う。理論の泥沼に入ることを避けて、世論対決にもっていくという戦略をとれば、何とかなったかもしれない。新聞会の「故意の無作為」にあのときの某サークルに対し、あのときの全学生に対し、いまさらながら「ごめんなさい」とわたしは謝るだろう。時機を逸せず、勇気をもって判断を下す、それは本当に難しい。そのとき大事なのは、やはりわれわれはどういう立場に立つか、ということなのだろう。もうひとつそのいい例がある。生協設立運動である。以下次号。(さすがになんか「総括文書」を書いたような疲れが(^^;)次号更新は果たしていつになるのか。)
2009年10月09日
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事件は、「祭り全体を象徴する企画について、何かないか」と大学祭実行委員会の議長が言ったときに起こった。ところで、この議長P氏は、どんぶり太って外見はどこかの土建屋のおっさんみたいではあるが、弁は立つ。5回生だとか、7回生だとかのうわさ。あるときは実行委員会の議長、ある時は三里塚の集会に行っていたといううわさもある、いわば、大学の主(ぬし)である。その議長の提案に対して、体育会系のどこかのスポーツサークルの男が、全く軽い調子で、「この大学祭はなんか暗いんだよね。もっと一般受けする企画が必要なんではないの。たとえば美人コンクールなんていいと思うけど。ミス早稲田とかよく話題になるじゃない。あれと同じように、優勝者は話題になるんじゃないかな」と提案した。最初に発言したのは議長P氏だったと思う。「つまり君は女性の外見を大学祭の宣伝媒体にしようというんだね。」体育会系の男は真面目な提案をまぜっかえされたと思ったのか、むきになって反論する。「難しいことは分かんないけど、そういう風に暗く考えるからいけないんじゃないのかな。」そのとき女性が発言を始めた。女子学生の会からの発言だった。今、女子学生の会がどのようなことをいったのかを思い出すことが出来ない。おそらく当時の私は女性差別のことについて、ほとんど知識を持ち合わせていなかったし、女子学生の会自体に対する反発もあったのだろう、彼女のいうことが心の中を素通りしていった。ただ最後のほうになって、彼女が泣き出したのだけはびっくりしたのを覚えている。自らの発言に感極まり、泣くとは。私は、理屈でなく、感情が会議を支配しだしたことに気がついた。「君たち○○サークルの発言は明白な差別発言である。きちんとした反省の言葉がない以上、この会議はこれ以上続けることが出来ない。これ以上の議題は次回に持ち越す。」P議長はそのように会議を打ち切った。私はその間、ずっと貝のように押し黙っていた。私は「たかだか」美人コンテストをしたいといっただけで、ここまで罵声を浴びるこの体育会系のサークルに同情をしていた。はたして私は援護の発言をしなくて良かったのだろうか。ただ、大学祭の教室が決まっていなかった。私は次の会議にも出席しなくてはならないことを知っていた。私は、編集長としてこの事態に判断を下さなくてはならなかったが、わたしは迷っていた。よって相談役になっていた、四回生の先輩に聞くと、彼もことは慎重に対処すべきだということだった。問題は三つ。一、体育系サークルの「美人コンクール」発言は、女性を外見だけで評価し、それを商品的価値にまで定着させてきた現代の女性差別構造に「つながる発言」として「感心できたものではない。」こと。一、しかしながら、大学祭を盛り上げようという善意から発言されたことで、「罵声を浴びるほどのことではない」ということ。一、しかしながら、新聞会として下手に反対などすると、今まで敵対関係にある大学祭実行委員会や女子学生の会から、「いちゃもん」をつけられる可能性が高いこと。わたしの態度は結局「事態を見守ろう」ということだった。しかし、事態はしだいと大きくなっていった。次の大学祭実行委員会はこの体育系サークルの「糾弾会」に性格が一変し、きちんとした「文書」で「総括文」を提出せよ、となり体育系サークルは多勢に無勢、前回の発言は撤回したにもかかわらず、許してもらえず、何も言えず帰っていったのである。次の日からは、ほぼ連日女子学生の会からのアジビラ、アジ演説、でこの某サークルはずーと「糾弾」されていった。わたしはこの事態を記事に出来なかった。はたしてそれでよかったのだろうか。以下次号。
2009年10月08日
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前回は、どういう立場に立つのか「選択」するのは、学習によってではなく「決意」によってであると書いた。少しかっこをつけすぎていたと反省している。決意というほど決意していなかったと思う。「感性」という言い方もあったかもしれない。要はこういう選択の場合、しばしば理屈では決めれないということを言いたかったのだ。最も適切な言い方をすると(分かりにくいが)その人個人の「倫理観」によって、選択するのである。どういう立場に立つのか、非常に難しい例がある。というか、人生ではそういうことのほうが多いのでは、とその後30年以上たってみて思う。そういう例の一つ「美人コンクール糾弾事件」について書こうと思う。そのとき私は三回生だった。(すみません、一挙に時間が飛びます)なんと編集長という位置にいた。世の中は、つい数年前に明らかになった連合赤軍の影響によって、「学生運動=こわいもの」という定式が根強くあった。「しらけ世代」という言葉は今はあまり聞かれない。いまはそれどころではないのである。けれどもそのころは、まだ始まらないバブルの初期、学生は売り手市場であって、大学新聞なんて「かかわらないほうがいい」という種類の「サークル」であった。よって、人材が不足していた。決定的に。ズルズルと居ついていた人間が編集長になるほどに。そのようなとき、事件が起きた。私はその場に居合わせたこと、は不幸であった。まだ相談できる先輩がいたこと、は救いであった。時は秋の入り口、教養学部○○番教室において、例年のごとく、大学祭実行委員会が開かれていた。各サークルが大学祭での企画を持ち寄り、使える教室などを調整したり、補助が必要なサークルはその申請をしたり、大学祭全体を象徴する企画を立てたりする会議なのである。私たち新聞会は過去において大学祭実行委員会やその他の組織に学外に追い出された経緯があるので、出来ることなら参加したくない会議なのではあるが、毎年、大学祭には記念講演をしているので大きな教室はぜひ確保しなければならない。お金はあるから補助の申請はしない、また立場上できない。まあとにかくしぶしぶ出て、早く終わればいいなという会議なのではあった。そのときは何の記念講演を企画していたのか、覚えていない。前年は鮮明に覚えている。なんと、先代松鶴を呼んだのである。講演と落語をしてもらった。学生ということで、破格の出演料だった。私は文化部部長ということで、駅まで迎えに行き、大学までの車中松鶴の隣に座った。むすっとしたしわくちゃの小太りのおじさんがシワガレ声で聞いてきた。「山口ではどんな酒を飲みますんや」「ぼくらは五橋という酒が大好きです」と答えた。じつはその酒しか飲んだことがなかった。そしたら、師匠は噺の中でその酒をしっかりと使っていた。単なるお爺さんが、人の前に出ると「芸人」に変わった。目の前で初めて落語を見た。「試し酒」である。親指を口につけただけなのに、ほんとにそれがお猪口となって、師匠が本当に旨そうに酒を飲む。落語が大好きになった瞬間だった。何が言いたいかというと、大学祭実行委員会に参加するのは嫌だけど、大学祭に「自治会」として企画を出すのは、学生に対する神聖な義務だった、ということを言いたかっただけ(^_^;)。さて、ここから本題。事件は、祭り全体を象徴する企画について、「何かないか」と実行委員会の議長が言ったときに起こった。以下次号。
2009年10月07日
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君の見た世界は悲しいだけのものだった?君の目に世界は少しは美しかっただろうか?監督・プロデューサー・脚本・編集 : 是枝裕和 原作 : 業田良家 出演 : ぺ・ドゥナ 、 ARATA 、 板尾創路 、 オダギリジョー 、 高橋昌也 世の人達に「私は空気人形なの」と告白すると、「実は僕も空っぽなんだ」と返す人間のなんて多いことか。「こころをもってしまったのでうそをつきました」片言の言葉で話し、さまざまの表情をみせる空気人形。世界を初めて見て、すなおに愛する空気人形。この人しかありえない、という絶妙の配役である。今年の主演女優賞は、初の外国人女優で決まりか。空気人形を毎日丁寧に着せ替え相手にする男は「なぜ私だったの」と聞く空気人形に「めんどくさかったんだ」という。空気人形は心を持っているので、それは最高の侮辱の言葉である。男は言い訳をする。「いや、君じゃないんだ。人が、だよ」もう遅い。言葉に出さないけれども、みんな鬱屈がたまっている。溜まれば貯まるほど、こころが空虚になる。私には空気を抜いて空気を繰り返し入れる、青年の気持ちは分からない。けれども、それは人「形」を傷つける行為のような気がする。いや明確にそうだろう。空気人形だから許されるというのか。彼女が青年を好きだから許されるというのだろうか。空気人形はやすやすと許す。愛は惜しみなく与える。そして惜しみなく奪う。青年はみごとに罰を受ける。冒頭の空気人形作者の質問に、空気人形はうなずく。そして、「うんでくれて、ありがとう」というのだ。なんという肯定の言葉。太宰治も真っ青である。ああ、わたしはこの映像のたくさんのものを見落としていたのかもしれない。下町のトタン屋根の家から見える世界は美しくはなかったか。海辺で拾った空き瓶はキレイではなかったか。彼女から見える世界をまたもう一度きちんと見てみたい。
2009年10月06日
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原恵一監督の原作(決して臼井儀人氏ではない)が好きだったので、心配していたのだが、実写版は実写版でいいのではないかという気持ちにさせてくれた。監督・脚本 : 山崎貴 出演 : 草なぎ剛 、 新垣結衣 、 武井証 、 筒井道隆 、 夏川結衣 、 香川京子 、 中村敦夫 、 大沢たかお 例えば廉姫の婚儀をどうするか意見を求められたときの又兵衛の微妙な表情はアニメでは難しい表現だったろう。同じく廉姫も比較的ビミョーな表情を使い分けていた。凄いとまではいかないが、新垣結衣も見ることの出来る役者になった。もともと、歴史の中に埋もれてしまう小国の姫と大将なので、それほどガチガチの身分制約に縛られているわけではないのである。だから彼らに現代っ子的な雰囲気が残っていたとしてもそれほど違和感は無い。今回は慎之介ではなくて、真一。ハチやめちゃなアニメキャラではなくて、等身大の小学生の行動が、戦国時代に投げ込まれる。そこが最大の原作からの変更点である。携帯やマウンテンバイクを使いながらうまいこと処理していたと思う。素晴らしかったのは、山崎監督の(或いは白組の)VFX。おそらく、城の遠景はVFXだと思うのだが、他はうまいことセットとエキストラとを組み合わせていて、全然特撮だということがわからない出来である。相当VFXを使わないとあれを全部セットでやると莫大な制作費を要するはず。「特撮を特撮だと感じさせないのが、最高の特撮である」と誰かが言っていた。これがあるから、アニメの原作を実写にしてもすんなりと入り込めた。戦闘場面はあまり迫力はない。けれども現実の戦闘場面はこのようなものであった、という主張だと思えば、そのように見えてくる。真一の目の前で、ちゃんと人は殺されていた。真一は現実感持っていなかったようだが、真一の親は充分にショックを受けていたようだ。そのあたりも狙いだとすれば素晴らしい。この作品の素晴らしいのは、小国の城の素朴さ、その歴史考証であり、歴史の埋もれた庶民の「想い」を現代に伝えるというところだ。昔も今も、初々しい「恋」はあったし、家族の絆もあったということである。そして、封建時代の宿命と現代との違いも分りやすく描く。それはきちんと伝わっていた。真一が何のために来たのか、という点は原作よりも分りやすく描かれていた。最後の「ありがとう れん」にはさすがにうるっと来た。
2009年10月05日
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二週間ためていた朝日新聞をまとめて読む。いつの間にか、「居酒屋のムッシュ 素顔の加藤周一」という連載が始まって終わっていたのに気がつく。生誕90年を前に加藤を巡って何人かが発言をし、朝日の記者がそれをまとめている。いくつか重要な証言もある。三回目で、立命館大3年の山本美穂子が10代のころ、白いタートルネックのセーターの上に淡いブルーのシャツ、銀のネックレス、ジーンズ姿を加藤が褒めた。「美的センスと物事を批判的に見る力。その二つが大事で、あなたにはもうそれが備わっているね」といわれたことが彼女を救ったらしい。彼女は高校で不登校になり、自信を失っていた。加藤はどんな人も平等に扱った。そのことは、私の唯一の加藤との出会いの中でもそのとおりだと思う。最も重要なのは、安斎育郎と妻の矢島翠の発言である。安斎育郎が加藤に護憲運動の旗振りを期待したとき加藤は「ほかの人に頼みなさい」と言って日高六郎の名を上げたという。これが95年のことだった。矢島翠は「あの加藤がよくやったと思う」と6月の九条の会講演会で挨拶をしたという。会を発足させるまでの加藤は良くも悪くも評論家で当事者になりたがらなかった。その加藤が80歳を過ぎて変わったのはなぜか。矢島は言う。「晩年の加藤は、ピラミッド型の組織ではなく、生活を持つ人たちが集まり、緩やかなきずなを広げるコミュニティー感覚が、平和を守ることにつながるのだといっていました。」記者は京都の居酒屋の語らいが加藤を変えたのだと書く。(連載四回目9月25日)誰も書いていないが、私は古在由重の死が大きかったのではないかと踏んでいる。古在は東京の喫茶店でずっと生活者と気の置けない哲学カフェを運営していた。古在は晩年は原水禁運動への態度の違いから共産党除名という憂き目に会うが、決してそれを公にせず、思想家としての矜持を全うした。晩年に古在が目指そうとしたことを、加藤は実践しようとしたのではないか。私はずっと、この10数年の加藤は今までの加藤と違う、と感じていた。そのことを、ずっと身近に、同士として接してきた矢島翠から発言されたことが、私にはとても嬉しい。「生活を持つ人たちが集まり、緩やかなきずなを広げるコミュニティー」はまさにフランス五月革命の精神であり、68年のプラハの春の精神であり、アメリカヒッピーたちのの精神でもある。知識人はそのとき、一定の役割を演じなければならない、と加藤は感じていたようだ。一般大衆の私たちはこれから何をしたらいいのだろうか。
2009年10月04日
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びっくり。ローガンの能力は四作目にしてやっと最強だということがわかった。監督 : ギャヴィン・フッド 出演 : ヒュー・ジャックマン 、 リーヴ・シュレイバー 、 ダニー・ヒューストン 、 ドミニク・モナハン 、 ライアン・レイノルズ 、 テイラー・キッチュ 、 ウィル・アイ・アム 、 リン・コリンズ まさかローガンの生まれが1830年代だとは思わなかった。本当に彼は不死身なのである。その不死身の身体に本来そなわっていた爪の能力、そしてそれを手術で最強の鋼鉄にしてしまったというわけだ。オープニングが凄い。ローガンと彼の兄は、アメリカがかかわってきた南北戦争や二度の世界大戦やベトナム戦争に兵士として参加していく。そういう形でしか自分のアイデンティティを証明することが出来なかったのだろう。(それは即ちアメリカの歴史そのものなのかもしれない。それで気がつくと監督は『ツォツィ』のギャヴィン・フッド)そして二人の兄弟は、一人はさらに凶暴化し、ひとりは二人の愛の巣に引きこもる。ところが、それを「陰謀」でまた一つにしようとする、という展開。そのときに起こるいろんな悲劇やらローガンの葛藤やらをもっと掘り下げてくれたらよかったのであるが、ミュータントの悲哀をもっと掘り下げてくれたらよかったのであるが、後半ではご都合主義の展開に終始してしまった。しかも、兄弟の確執も最強の敵との確執も、結局曖昧なまま終わる。(続編が決定しているからだと後で知ったが、それにしてもそれは今回で決着をつけて欲しかった)前半が良かっただけに非常に残念。
2009年10月03日
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昭和八年から九年にかけての、昭和の令嬢英子と謎の女性運転手別宮ことベッキーさんとの日常推理小説である。けれども、しだいと時節は刻々と戦争に近づいている。狂信的な右翼思想家の『段倉』という男が出て来る。この巻の重要人物である。この男との絡みの中でベッキーさんのとりあえずの正体がこの二巻目で分かる。玻璃の天しかし、北村薫が直木賞を取ったときに総評で北村薫と非常に近しい間からである宮部みゆきがこのように言っている。「「「私のベッキー」シリーズを愛読してきて、ずっと不思議に思っていました。ヒロインの英子にぴったりと寄り添って活躍する女性運転手の別宮が、強烈な存在感と希薄な生活感を併せ持ちながら、まったく不自然な人物ではないのは何故だろう、と。」「今回、『鷺と雪』を読んで、初めて解りました。別宮は〈未来の英子〉なのです。だからこそ、終盤で別宮が「別宮には何も出来ないのです」と語る言葉が、こんなにも重く、強く心に響くのです。素敵な発見でした。」」もちろん、これはたとえであり、しかも宮部みゆきをしてやっと分かったと言わしめたのだから、作品の中で直接書かれていることではなく『果たしてそのように考えることも可能では』というぐらいの意味であろう。だとすれば、三巻目が終わっても、ベッキーさんの本当の姿というのは謎のままに残っているということなのだろうと思う。ベッキーさんは確かに謎である。徹底的な博識と素晴らしい拳銃の腕前、そして財閥と庶民と両方に精通しているかのような過去。その隠された過去にこそ、多分三巻通じて描かれないであろう本当の過去にこそ、この作品で描きたかったことがあるのではないかと私は『推理』する。今回しだいと不穏な動きをする帝都の様子をたとえばこんな描写で私たちは理解する。段倉に語らなかった『漢書』の一節をベッキーさんはこのように言って言いよどむ。「たってとおっしゃるなら、申し上げましょう。軍の方には、お耳障りの筈。しかし、庶民には力となる言葉です。」ベッキーさんは言った。「善くやぶるる者は亡びず」銀座のパーラーで食事をしているとき、まだ社会に出ていない雅吉兄さんは世間話をする。「鉄鋼もセメントも今が稼ぎ時だからな」「どうして?」「決まっているじゃないか、戦争だよ。財界じゃ、戦線の拡大を神に祈っている連中が山ほどいるだろう」せっかくのおいしい食事の味が、変わるような気がした。「-だって、人が死ぬのよ。味方だって、敵だって」「重役室の安楽椅子に腰掛けた《大人》は、そんなこと考えちゃいないよ。それでなくたって、今、《君死にたまふことなかれ》なんて大声で言ったら、えらいことだからな」226事件まで後二年。
2009年10月02日
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この映画を見た日の朝、テレビ番組で惚けない(アルツハイマー病にならない)ための三か条をしていた。一つ「考えること」、一つ「音楽をすること」、もっとも効果のあるのは「対戦相手のあるチェスや将棋のようなゲームをすること」とあった。そういう意味ではこの老教授は無意識のうちにその予防策をみごとに実践していたといえるだろう。監督・脚本 : トム・マッカーシー 出演 : リチャード・ジェンキンス 、 ヒアム・アッバス 、 ハーズ・スレイマン 、 ダナイ・グリラ 老教授は全てに意欲を無くしていた。おそらく過去にはそれなりの実績を残していたからできたのだろうが、20年間変化のない週一コマの講義と、いい加減な本の執筆(名前を貸しただけの「共著」もあり)で割と裕福な生活をしていた。彼自身もこれではだめだ、とおもったのだろう、なくなった妻が弾いていたピアノを弾いてみようと個人レッスンを頼むが、すぐに(4人もの)先生を断ってしまう。そんなある日、学会出席のためニューヨークにある昔住んでいて留守にしているアパートに入ると、シリア出身の男とセネガル出身の女が住んでいた。彼らは詐欺のアパート契約を結んでいたのである。すぐに出て行こうとする彼らを哀れに思ったのか、老教授はしばらく自分のアパートに留め置くことにする。そこで、彼はシリアの男からジャンベ(太鼓みたいなもの)の音楽を発見する。そんなときシリアの男が、無届の移民で逮捕される。9.11の関係で厳しくなった移民法への批判はある。けれども映画で描きたかったことはそのことではない。すぐに老教授と打ち解けるシリアの男と比べて、セネガルの女もシリアの男の母親も老教授とは一線を引いている。なにしろ老いているとはいえ、彼も男なのだ。男のひとり暮らしの部屋に平気で招き入れる男の気持ちを訝ってもおかしくない。それだけ、彼は無償の親切を施す。しかし、映画を見ている私は老教授の気持ちが痛いほど善く分かる。逡巡しながら、怖れながら、そしてやがて決然と彼は動き出す。「スタンドアップ」で渋い演技をしていたリチャード・ジェンキンスお父さんがやはり渋い演技のまま、今回は出ずっぱり。けれども堂々とした主演である。女性たちもいつの間にか、老教授と打ち解けてしまう。驚くような名演ではない。そのような作品でもない。けれども安心してみていられる。小品ながらも、言いたいことはすべて言い切るそんな作品なのではないか、と思う。冒頭、ボケ防止のことを書いた。彼はゲームこそしなかったが、善く考え、音楽を始め、真剣に人と対峙した。もちろん、この映画の意図はボケ防止にあるのではない。けれども地下鉄で決然として太鼓をたたき始める彼を見ていると、老境に差し掛かった人達全ての男たちに対して、色んなことを語りかけているような気がする。少なくとも、男はいつでも女性に言って貰いたいものだ。「あなたって、クールよ(かっこいいわ)」
2009年10月01日
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