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「吹毛剣 楊令伝読本」集英社文庫(北上次郎) いいなあ、すごく。それはきれいな完結になると思う。第一部が夢の話で始まって、戦うというのは基本的に夢の話ですからね。第二部で現実の話になって、最後は人生の話になるわけですよ。すごくきれいな形で終わりますよね。(97p)文庫版の「楊令伝」が完結して、恒例の読本が出た。今回は全体的に本格的な評伝は載っていなかった。みんな物語が完結していないという気持ちが強いからだろう。所々に北方謙三の「ホンネ」が散りばめられている。それが、それだけが、この本の価値である。岳飛とはライバル関係だった。この二人にいい戦をさせようと思いながら書いていたが、なぜか死なせてしまった。作者にとっては、残念な死を遂げた男である。(人物辞典 花飛麟への作者コメント185p)李英は、本当は生き残らせようと思っていた。あの死闘の場から逃げると、載宗なんかが現れて、本寨へ連れて行かれる。すると楊令が罰を与えるのだ。その罰を何にしようか、馬糞掃除だと林冲と同じになってしまうから‥‥などと考えているうちに、死んでしまった。(187p)「楊令伝」は1118年より始まり、1136年に閉じる。このことだけは、メモしておかなければならない。2012年9月19日読了
2012年09月30日
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「楊令伝15」北方謙三 集英社文庫最終巻である。今巻ほどページをめくるのが辛かった本は無い。「楊令伝」の最後には主人公である楊令が死ぬことは定められている。それだけは定められているが、他の人物の死は定められてはいない。しかし、一つの物語が閉じるのだから、主要登場人物が死ぬのは、ある意味当然だろう。まさかこの人が、という人が次々と死んでゆく。思えば、「水滸伝」以来の人物は20人しか残っていなかったのだ。それがこの巻だけで9人も亡くなるのだ。もちろん彼らは十分に生きた。しかし、この「楊令伝」では彼らに必ずしも「水滸伝」の様な「滅びの美学」という舞台は与えられない。前作は戦って華々しく散るのがテーマだったからそれで良かった。しかし、「楊令伝」は国家建設の物語である。どの様な事情があろうとも、途中で退場は、その建設に棹さすことなのである。私は最終巻に梁山泊に大洪水が襲うと聞いていた。だから、この洪水が楊令の命と共に国そのものを押し流すのだろうかと思っていた。しかし、そんな単純なことではなかったのである。敵役では遂に李富が死んだ。思いもかけず、呉用がトドメを刺した。「水滸伝」「楊令伝」通して最大の敵役だった。物事の順番を「国の秩序」に置き、その為にありとあらゆる権謀術数を使った。しかし、決して自らの利益の為に動かなかった。自らの子供を皇子にしたが、それも自らの為ではなかっただろう。いや、単なる金のためではなかったが、もしかしたら「国を自らのものにする」という魔物に取り憑かれたのかもしれない。その事の答えは次の「岳飛伝」で明らかになろう。その李富の最期は実に呆気なかった。「なるほど。わしは、ここで死ぬのか」李富はかすかに笑っていた。(192p)この長い物語は最大の敵役が死んでもそれで終わりでは無い。そんな単純なことではなかったのである。「死なぬと言え、公孫勝」「いや、死ぬ。死なぬふりをしているのも、ここまでだろう」「死を選んだのか?」「見たくないのだ、呉用殿。夢が、実現していくのを、私は見たくない。見るべきでもない」「心の中に、見果てぬ夢を抱いたまま、死んでいった同志が、多くいすぎるのだな」「林冲など、いつまで経っても、どこにも行かん」「おまえは、私の心の中に居座ろうというのか?」「あんたが、死のうというのは、虫が良すぎる。もっと、苦しむんだな」公孫勝が、低い声で笑った。(195p)「楊令伝」では、宋江の様に楊令は次の頭領にバトンは渡さない(渡すことが出来なかった)。その代わり、公孫勝が呉用にこういう形でバトンを渡したのではないか。もっと苦しめ。長い物語の最終巻で、こんなにもカルタシスが無い終わり方というのも珍しい。光が見えない。あゝ良かった。という様な物語ではないのか。河の流れはいったい何処へ辿り着くというのか?そんな単純なことではないのか。頁を変えて別の機会に、この「大水滸伝」構想に関しては語って置きたい。とりあえず、次の「岳飛伝」の文庫化が始まるまでの約4年間、またもや雌伏の秋を過ごさねばならない。2012年9月15日読了
2012年09月29日
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「楊令伝14」北方謙三 集英社文庫前の巻で、若さ故に裏切り者が出た、と書いた。申し訳ない。私の浅はかさだった。志で結びついた若者たちは、そう簡単に全てを裏切らない。李英は梁山泊の一員として立派な最期を遂げる。最終巻近くになって、やっぱり、まさか、という感じで英雄たちが死んで行く。新しい時代を理解出来なかった古いタイプの革命家の戴宗は成る程という形で死んでいった。いい死に方だったと思う。楊令は言う。「なんのために戦をするか。それはもう、梁山泊を守るため、ということではなくなっている。新しく、現れてくるものを守る。新しいものを、ただの夢で終わらせない。そのために戦をする。俺は、そう思っている。新しく現れてくるものが、どんな姿をしているのか、俺はまだ言葉で言うだけだ。実際に現れてきたら、それは俺たちを押し潰すようなものなのかもしれん。しかし、俺はそれを見たい。梁山湖の湖寨に拠って、宋とのいつ終るともしれぬ闘いを始め、死んでいった梁山泊の先人たちは、みんなそこに光を見ていたのではないか。おぼろだが、「替天行道」の導く光を。志の導く光を」全員が楊令を見つめている。楊令は低く「替天行道」を暗誦した。途中から眼を閉じた。湖寨にあった聚義庁の、燃える炎が見えた。背後の岩山で、ひとりで待っていた宋江の、静かな眼が見えた。心の中の、黒々としたものに光を当てよ、と言った宋江の声が聞こえた。(282p)楊令の国は共和制になっただけではなかった。梁山泊を越えて燎原の火の様に「自由市場」が広がる。膨大な物資を動かして、その利鞘だけで運営する国。それは現代でさえもまだ実現していない、究極の資本主義社会である。楊令初め、この時代の登場人物たちがその正体を見極め、コントロール出来るはずがなかった。金や宋はこれを畏れ、梁山泊は守ろうとする。そうやって、最後の闘いの機は熟していこうとしていた。国とは何か。革命とは何か。大きな問が立ち上がろうとしていた。ここまで来てまだ混沌としている。果たしてどの様に決着が着くのか。あと一巻しか無いのである。
2012年09月27日
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24日朝日新聞社会面に「オスプレイなぜ頭上に 憤る住民「運動会の最中にも」」(山口周防大島)が載っていた。23日には周防大島の運動会をしているグランドの真上をオスプレイが通ったらしい。今回の政府との約束「人口密集地は飛ばない」「出来るだけ水上を飛ぶ」ということ以前に、「学校施設の上空は飛ばない」という取り決めがあったのにそれさえ無視している。おそらく「150m以下の高度では飛ばない」という取り決めも無視するだろう。そもそもあの普天間基地のどこを飛べは人口密集地を避けることが出来るというのか。最初から米国は守る気などさらさらなかったということだ。これでも政府は安全というのか! と、言うことと関係なく韓国から戻って読み終わった本を幾つか載せます。「魂の岸辺」北方謙三 集英社文庫北方謙三の少年モノである。どうして女が描く少年は小学5年から中学2年までの大人一歩手前になって、男の描く少年は大人になるまでを描くのだろうか。眠れなかった。躰の芯の方に痛みがある。佐野とやり合った時より、ずっとひどいようだ。一発一発のパンチがずしりと肚にこたえた。やるだけはやった。久我とやりあって、勝てるはずも無いことは、頭のどこかでわかっていた。だからやめる。そうしなくてよかった、と周一は思った。最初からやめていれば、闘う前に負け犬だ。やりあって負けはしたが、それは第一ラウンドの負けのようなものだ。寝返りを打とうとしたが、背中あたりがひどく痛んだ。顔も腫れているので、横にはむけられない。仰向けでじっとしているのが、一番いいようだった。くやしくはなかった。やるだけやって負けたのなら、くやしくもなんともないことが、はじめてわかった。久我というのは、強い男だ。それを認めるような気持ちはある。(148p)1986年「小説現代」初出。古いタイプの男たちが出てくる。最後は高倉健の様な男が怒りを爆発させる。雪は降らない。藤純子の代わりに、周一がそれを見守り、大人の世界に入る宣言をする。負けても負けても強くなる。それは、やがて岳飛の姿にも繋がっていくだろう。2012年9月14日読了
2012年09月26日
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四月の「反日デモ」で日中の政府は交渉した。そこで中国側は「デモ」の原因を論じて、「歴史意識」の背景に及んだ。日本側は「デモ」に対する北京政府の対応の仕方を批判して、暴徒化した「デモ」の被害の現状回復や再発防止を求めた、とされる。これは議論のすれ違いであり、中国側の病因論に対して、日本側は対処療法を主張したようにみえる。その結果、政府間の当面の緊張緩和には成功しても、それだけで大衆感情の背景は消えないだろう。何度も指摘された様に、戦後ドイツは隣国の深く広汎な反独感情に対して「過去の克服」に全力を傾け半世紀に及んだ。類似の目的を達成するために保守政権下の戦後日本は、半世紀を浪費した。今さら何をしようと半年や一年で事態が根本的に変わることはないだろう。私は「反日デモ」が起こったことに少しも驚かなかった。もちろん何枚のガラスが割られるかを予想していたのではない。しかし日本側がその「歴史認識」に固執するかぎり、中国や韓国の大衆の対日不信感がいつか、何らかの形で爆発するのは、時間の問題だろうと考えていた。その考えは今も変わらない。アジアの人々の反日感情と対日批判の苛立ちは、おそらく再び爆発するだろう。それは日本のみならず、アジア、とくに東北アジアにとっての大きな不幸である。私は和自身の判断が誤りであることを望む。(加藤周一「20世紀の自画像」2005)今回は2005年よりもはるかに大きい「爆発」になった。残念ながら加藤周一のこの予言は的中しつゝあります。2005年のこの時は小泉靖国参拝や教科書問題だった。今回は、日本に正当性はあるのですが、しかし、中国政府となんら交渉せずに、選挙を控えていて原発問題で「市民の連帯」が実現しそうなこの時期にナショナリズムで国民の気持をそらそうという目的から強引に尖閣諸島の国有化を行なったのだと思う。「反日デモ」の根本はやはり変わっていない。日本はあくまでも「日本に領土問題は存在しない」と「正式なルートでは」日本の歴史的事実を伝えと交渉を行なうことさえ拒否しているのである。日本がまた対処療法に流れたとすれば、何度でも何度でもデモの暴徒化は起きるだろう。。ちなみに尖閣諸島に関しては私は日本の領土だと思っている。1895年の尖閣諸島を日本領に編入した閣議決定が最初の領有行為であり、それは国際法で認められている領土取得のルールにそったものである。尖閣諸島が歴史的にも国際法上も日本の領土であることはあきらかである。尖閣諸島の領有は、中国政府が主張するように、日本軍国主義の侵略と植民地化の政策の結果によるものではない。しかし、そのことの交渉を無視して進めるから中国の市民の怒りが爆発するのである。今回のデモの暴徒化で得した者は誰か。先ずは日本政府。10万人集会や20万人デモが頻繁に起きるようになった戦後でも60年安保に次ぐこの盛り上がりに、見事に水を差した。原発問題とオスプレイ問題。そして来るべき選挙を向かえて消費税の問題。それらをナショナリズムの勃興で変えて行こうというのは、歴史的にみてもありうる「戦略」だろう。次にアメリカ政府。オスプレイの欠陥はごまかしようがないところまで来ている。けれども中国の脅威のために必要である、という世論をつくっていくことが出来るだろう。そして中国政府。職がなく貧困格差が広がり不満が広がっている層のガス抜きがいくらかは出来ただろう。今回の問題で損をしたものは誰か。それは明らかである。
2012年09月25日
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7月に見た映画のまとめです。(一作品だけ八月にかかっている)期待しながら後一歩という作品が多かった。しかし、私の映画評は基本辛口です。「アメージングスパイダーマン」「秘密を持つものは、責任が伴うのよ」前回シリーズは「力を持つものは、責任が伴う」だったけど、叔父さんは今度は何も言わずに死んだので、この叔母さんの言葉がシリーズを貫くテーマになりそうです。前回は9.11を受けて「正義とは何か」「ヒーローとは何か」がずっと尾を引いていたが、今度はそれから開放されて、単純なヒーローものになりそうです。主人公、ヒロインがイケメン、美女で軽く楽しめる内容になるのかな。in TOHOシネマズ岡南2012年7月1日★★★☆☆「サニー」1986年、等身大のソウル女子高生の青春。韓国らしい独裁政権打倒デモと一緒に縄張り争い(←また古い!)のケンカをする場面などは、楽しい映画的な趣向。何ということもなくつるんで楽しかった日々は、おそらく全ての世界共通のティーン女性たちの世界だろう。まあ、男にはあんまりわからん世界ですな。少し羨ましいけど。inシネマクレール2012年7月8日★★★☆☆「グスコーブドリの伝記」イハートーブの森や田んぼ、そして村の風景や都市の様子を「創造」していて、楽しかった。原作からの改変は仕方ないが、それでもお気に入りの場面を変えていたり、削っていたりすると、がっかりしたのは否めない。お父さんはあんな風に家を出て欲しくなかった。人口雨を降らす幻想的な場面を入れて欲しかった。ネリとの再会場面を描いて欲しかった。火山を爆発させるのは、あくまでも「科学的」的に描いて欲しかった。結局は賢治の解釈の仕方になるのかな。ただ、今の時期にこれを描く意義は有る。監督・脚本・絵コンテ:杉井ギサブロー原作:宮沢賢治監修:天沢退二郎in movix倉敷2012年7月12日★★★☆☆「苦役列車」西村賢太の芥川賞作品の映画化。この作品に共感するかしないか、貫多が好きか嫌いか、で言えば、どちらかと共感しない作品である。貫多の置かれている環境が現代の派遣切りの環境そのものだとしても、それでその人物に同情しても仕方ない。もともと「私小説」の世界なのだ。あくまでも、自分に起きた事を克明に描いた小説なのである。映像が客観的に日雇い暮らしの生活を克明に描いたとしても、作品の意図は全く別の処にある。私は、ひたすら「康子ちゃん(前田敦子)早く逃げなよ」と、祈っていた。今迄前田敦子を一度も良いと思った事はないのだが、今回は「可愛い」と思った。それにしても、今回前田敦子ファンには衝撃的なシーンが盛りだくさんだ。なにしろ、(おそらく)始めてのキスシーンはあるわ、シースルーのヌード(?)はあるわ、彼女が屎尿の瓶を持って「処置」をする場面まであるのである。例によって、西村賢太はこの作品の悪口を言っているらしい。「映画化はその原作とは離れるモノだ」その原則を知ってか知らずか、わがままを書いて憚らない西村賢太という人物は、(結構な原作使用料も貰っているだろうに)つくづく嫌なやつではある。山下監督はこの様に「心底嫌なやつ」も、何か一つその人間でしか出来ないことはある。と、「描く」。本来であればこの主人公は、映画の中で直ぐに殺されてしまうか、主人公を裏切るか、或いは敵キャラとして憎まれるか、という役柄だ。森山未來は映画のそれを主人公としてしっかりと演じた。映像として残してみたいという監督の希望は分からないでも無いけど、やっぱり私は「嫌い」です。一年前の「マイバックページ」はその年のマイベストワンだった。つくづく映画の出来と映画の好みは違うモノだと思いしった。in TOHOシネマズ岡南2012年7月14日★★★☆☆「捜査官X」何故1917年の雲南省の田舎の村での出来事なのか。推理ものだけに、途中まで孫文が出て来るんじゃないかと訝っていました(^_^;)。それとは、真逆の方向で、やはり歴史的な経緯があった様だ。さすが、三千年の歴史を持つ大陸ではある。そして、まるで自然と一体と化した様な村。あの村にあの娘なら、私もずっと住みたくなります。金城武が全面に出ているけど、主演はドニー・イェンなんですよね。素晴らしい存在感、表情、そして武演!また、妻のタン・ウェイが素晴らしい。やはり中国のエンタメは、見事である。監督はピーター・チャン。出演ドニー・イェン:Liu Jin-xi金城武:Xu Bai-jiuタン・ウェイ:Ayuジミー・ウォング:The Masterクララ・ウェイ:The Master's wifeリー・シャオラン:Xu’s wifeinシネマクレール2012年7月16日★★★★☆「ルートアイリッシュ」wrong place,wrong time.(悪い時に、悪い処へ)友人なフランキーがイラクで戦死した。会社は「世界で一番危険な道路を行ってはいたが、たまたまだ。悪い時に悪い処へいただけだ」という。同じ民間兵として生きて来たファーガスは一つの映像を手に入れる。彼は真相の解明に、そして復讐にはまり込んでいく。真相に近い衝撃映像を手にいれても公表しようとは、しない。その多くが闇に葬られている事を彼は知っているからである。「民間兵は指令17号のお陰でなんのおとがめもなく帰国するんだ」まるで沖縄の地位協定の様にそういうことが日常茶飯事なのだろう。しかし、イラクでは10万人以上の民間人が死んでいる。ファーガスもその中で自分が「壊れて」いる事を半分自覚している。しかし、真相に近づいた時に彼のとった行動はー。2011年12月のオバマのイラク戦争集結宣言を受けて、ケン・ローチ監督は「真のイラク戦争終結は、すべての戦争請負業者たちが、あの地から去ってはじめてなされると我々は信じている」と言った。不都合な真実は、ここにも有る。inシネマクレール2012年7月16日★★★★☆「ヘルタースケルター」「お姉ちゃんは強いから綺麗になれたのよ」「違うわ。綺麗になると強くなるのよ」沢尻エリカは、ほぼ完璧だったと思う。この映画がもし(多分)当たらなかったのだとしたら、エスカレートしていくりりこの欲望を「ヒリヒリするような危機感」で演出できなかった、監督に原因があるだろう。「スノーホワイト」のシャリーズ・セロンも凄かったが、沢尻もこれでもか、という露出度で(いや、ひつこい位に)魅せてくれた。ただ、もし噂が本当なのだとしたら、この程度の熱演に薬を頼らざるを得なかった沢尻エリカという女優の力量はここまでという事になる。何処かで書いたが、彼女がブレイクする直前(今から7年ほど前)、岡山の場末の単館で「問題のない私たち」の舞台あいさつに立った時、まるで新人で未成年とは思えない位に堂々としていて、「私の夢は有名な女優になることじゃない。世界に通用するモデルになること」と言い切ったのが、忘れられない。映画の中で全てのファッション雑誌の表紙を飾っている彼女を見た時に「その夢は、こんな形で映像に残ったけど、君はその儚さを既に知ってしまった。そんなに早く知ってどうするというのか」と、心配にならざるを得なかった。映画の中に彼女の人生が透けて見える。「観たいモノを見せてあげる」彼女のこれからの人生が心配だ。(←つくづく美人は得だね〜)スタッフ監督:蜷川実花 原作:岡崎京子 脚本:金子ありさキャスト沢尻エリカ、大森南朋、寺島しのぶ、綾野剛、水原希子、新井浩文、鈴木杏、寺島進、哀川翔、窪塚洋介、桃井かおりin movix倉敷2012年7月21日★★★☆☆「おおかみこどもの雨と雪」狼男の子供を産んだらどうなるか。そういう仮定の元に、世界の片隅で「家族」を作ることを真面目に追求した作品。やっぱり子育て経験の無い私には、ただそれだけの作品になってしまった。悪くはない。疾走場面は細田監督のオハコではある。それは見ていて気持ち良い場面だった。全体的に「生と死」の描き方が緩いと思う。おおかみおとこの死の真相を隠したのは、全体のテーマをハッキリさせる上で当然だったとは思う。しかし、雨や花の生死を別けた理由がハッキリしない。あれをハッキリ描かなかったのは、都合の良いアニメだと言われても仕方ない。最近宮部みゆきの「英雄の書」を読んだ。小学五年の少女が「世界の滅亡」に対して敢然と立ち向かう話である。11歳というのは、それ程に「一人前」なのだろうか。重松清の小学五年も形は違いこそすれ、世界と敢然と立ち向かう。雨が独り立ちするのも認めてあげなくちゃいけないんだろうな。スタッフ監督・原作・脚本:細田守、脚本:奥寺佐渡子キャスト(声の出演)宮崎あおい、大沢たかお、染谷将太、麻生久美子、谷村美月、菅原文太in movix倉敷2012年7月21日★★★☆☆「裏切りのサーカス」MI6の二重スパイの存在を指摘した為に解雇された元同僚の女性は、スマイリーに云う。「昔は良かった」「昔だって、同じ戦争だった」「けれども、本当の戦争だった。誇りを持てた」ソ連という本当の敵も無くなった今なら、あの女性はなんというだろうか。1976年の東西冷戦の頃がまだ良かった、と言うだろうか。70年代のイギリスを隅々まで(多分)再現し、緊密なスパイ映画を作っていた。一つ70年代と違うのは、この映画のテーマそのものが、正義も国境も無くなった現代そのものの風景の様に見えるという事。そういう意味では、スパイたちは、「最先端」の国際情勢を生きているのかもしれない。監督:トーマス・アルフレッドソン脚本:ブリジット・オコナー脚本:ピーター・ストローハンinシネマクレール2012年7月23日★★★★☆「バットマン・ライジング」「人はなぜ堕ちると思う?」「……」「這い上がるためさ」三部作の冒頭で、ブルース・ウェイン(バットマン)の父親が言った言葉が、このシリーズのテーマだったことが最後になって解るという作品でした。9.11を経て、一度アメリカのヒーロー像は解体されなくてはならなかった。試行錯誤の末に辿り着いたのが、やはり単純に「ゴッサム・シティは守らなければならない」という結論なのだろう。どんなに悪人や狡い奴が居ようと構わない。守ろうと決めたものは、守らなくてはならない。何故か。副本部長の様に「人は変わり得る」からである。だから、ヒーローは、単純にヒーローでなければならない。伝説として生きなければならない。と、同時に、自由でなければならない。ロビンがバットマンに弟子入りするのは、そういう意味だし、「マスクは自分を守るためではない、愛する者を守るためだ」というのもそういう意味なのだろう。当たり前だが、遂にあれ程の混乱と囚人開放の中、ジョーカーは出てこなかった。八年の間に獄死したとみるべきだろう。in movix倉敷2012年8月6日★★★★☆
2012年09月24日
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今月の県労会議機関紙に掲載した映画評です。字数の関係で削った部分はそのまま残しています。「BIUTIFUL ビューティフル」 昨年の洋画マイベストワンです。ただし、私の事だから観る人を選ぶ作品になっています。暗くて少し難解。予備知識があった方が良いと思うので、少し内容まで踏み込んで紹介します。 「人は、人生最後の日々に何をするのだろう」という謳い文句の映画です。末期がんの宣告をされて余命二ヶ月。こういう男の物語は黒澤明の「生きる」を出すまでもなく幾つも作られました。しかし、予想に反して男は何かを始めるわけでもありません。 男ウスバルを演じたのは、バビエル・バルデム。かつて人間性の欠如した殺人鬼になったこともあるし(「ノーカントリー」)、とびきりのプレイボーイにも何度もなったこともあります(「それでも恋するバルセロナ」「食べて、祈って、恋をして」)。清濁あわせ持つ人間を演じてピカイチの俳優です。その男がスペインの裏の顔を総べて飲み込むような男になって我々の前に出てくるのです。 彼の主な職業は斡旋屋です。仕事を紹介して賃金のピン撥ねをしているのですが、案外と面倒見もよくヤクの摘発に捕まらないように警官と裏取引を試みたり、貧困ビジネスで一部屋に詰め込んでいる中国人の25人の集団の暖を取るために暖房機を買い入れたりもしています。警察に捕まった夫の頼みを受けてセネガル人の妻の住所を見つけたりもしています。また、彼は「イタコ」のような特殊能力も持っていて、時々亡くなった人間の言葉を遺族に伝えるアルバイトもしています。私生活では、妻は躁鬱症で別居中です。子供二人を面倒を見ながらギリギリの生活をしています。小学一年ぐらいの男の子と小学四年ぐらいの女の子の食事は、ずっと彼が作っていました(けれども毎日コンフレークと焼き魚の日々ではある)。食べるシーンが何度も出て来きます。それはすなわち、彼たちが生きているということの象徴なのでしょう。 夜明けのバルセロナの街が美しい。ウスバルは生まれて直ぐ父親と死に別れ、母も早く亡くし満足に学校にいってなかったのか、子供にBEAUTIFULの綴りを聞かれて「BIUTIFUL」と答えます。つづりは間違えるけれども、美しい世界は都会の下町の中でも確実にあることを映像は伝えます。 死の宣告がされた後も、彼は「子供を残して死にたくない」といい、別れた妻との関係修復も試みるが失敗します。知人のアパートにもぐりこみ、知人の彼女に子供の行く末を頼みます。それが如何に危ういかを男は既に判断できないほど病状が進んでいるのです。 また、彼は判断ミスで世話をしていた中国人25人を事故死させます。「赦しを請いなさい」というアドバイスも聞けないくらい彼は何も出来ません。 生きる、ということは、大切な人を守り、大切な人を傷つけ、愚かなことを繰り返し、そして大きな罪を犯し、美しいものを見る、ということなのか。それでも死ぬ前に人は、黒曜石のような純粋なものを子どもに残すことが出来るのです。 私の父の最期と重なって、そして自分の最期を想い、心が抉られるようでした。イニャリトゥ監督も「父に捧げる」と最後に告白しています。記憶に残る映画でした。監督の前作「バベル」よりも、ずっとこちらのほうがいい。(監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
2012年09月23日
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ちょっとまごついたけれど、全州バスターミナルで無事suzuさんたち、マッコリ飲みツアー御一行と合流。「クマちゃん元気にしてた?」「‥‥‥いろいろありました」「どうしたっちゃ?」「カメラを失くしてしまいました」そのあと、事情を縷々説明していた時、ふとsuzuさんが呟いたのです。「なんなら、カメラ貸しちゃろか?」「‥‥‥それはいいです。ご迷惑をおかけしますし‥‥」「イイちゃ!予備があと二台あるっちゃ。どうせ最後は釜山に帰るんだから、その時返してくれればいいし」「それは物凄く嬉しい話ですけど‥‥」そんなこんなで、カメラ無しの旅も視野に入れ始めた時に、思いもかけない光が差し込んだわけです。ほとんど初対面と言って良い私に‥‥。ホント有難い申し入れでした_(_ _)_。これ以降は、写真付きです。釜山で借りたレンタカーで、モーテルにチェックインしたあとは、全州のマッコリ通りに繰り出しました。行ったのは西新町のサランジェというお店。韓国の居酒屋には、こんな絵がよく描かれている。そして落書きも。マッコリ通りの酒は一ヤカン(マッコリ)毎に次から次へと頼まなくても料理が出て来る、というシステムである。マッコリの味と料理の量と質が他とは違う!ということで有名になった。先ずは乾杯!にんにんさん、まことさん、リーダーさん、やすさん、ハヨンさん、イさん、suzuさん、ズネチンさん、コバさん、ナカノさん、あっくんさんという大世帯でした。記念の落書きです。まだまだ出るけど、料理をとりあえず撮影。前菜と言っていい。この貝は吸い付いて中身を取る。魚が出た。写真に取り損なったけど、初めて鮑なるモノを食べた。そしてこれが、かの有名で食べる人はほとんどいないという「エイ」である。強いアンモニア臭がして、かなりクセがある。肉にこれを取り、キムチを載せて食べるのだと教えてもらう。私は美味しいとは言えないけれども、舌がピリピリする、刺激のある珍味としてほぼ一皿近く食べ終えました。料理はいったいどれくらい出たのか、気がつくと4時間は飲み食いしていたと思う。次々に出る。最後の絞めの料理一旦ホテルに帰って、確定した部屋に荷物を置いて二次会に突入フルーツパーラーみたいな処だった。そこでたまたま出会った韓国MBCのディレクターみたいな人が合流。三次会を目指したのだが、既に2時近く。仕方ないので、コンビニ前で酒やツマミを買って三次会。立ち上がっている背の高い人がMBCの人です。人数は減って6人になっていた。何故か私と話が盛り上がり、お互い片言でよくわからないんだけど、彼は全州に岩崎弥太郎と細川護煕のお祖父さんの農場があったことに興味があり、追いかけているらしい。「あとで訪ねて下さい」と名刺を貰ったが、興味の対象が違ったので、行かなかった。雨のコンビニ、3時過ぎにお開きにしたのでした。バス2400 光州→全州9300 朝食3000 電話カード3000 ロッテリア3800 宿30000 飲み代50000 コンビニ8500 Wi-Fi5500合計 115500w歩数 12285歩ここでしばらく韓旅レポートはお休みします。完結するのは相当後になると思います。左カテゴリーの「韓国2012」にまとまりますので、気長にお待ちください。
2012年09月21日
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8月12日(日)雲時々雨 光州→全州ところで、朝のニュース。見逃しているのかもしれないが、一度も(日本が勝って三位になった)女子バレー日韓戦を流していない。まるで無かったかのような扱いだ。この徹底ぶりが韓国の悪いところである。9時に出て、韓国の前方後円墳である月桂洞長鼓墳に向かった。昨夜のうちにWi-Fiでバスルートを調べていたので、ストレス無しに行く事が出来た。(←やっとNAVER地図の使い方が解ってきた。←遅いで)場所は市街地である。バスで約20分の郊外。周りは高層アパートが並んでいる。しかし、そばには川は流れ、小高い丘は各地に散在していて、古代には大きな村と田園風景が広がっていた事を想像させる。写真はスマホで撮ったものです。思ったより大きな古墳だ。完全に平野に作られている。長さ44m、回りを0.8-1.2mの溝が回っている。ガマを生やす演出をしていた。形は確かに前方後円墳である。1号墳と2号墳とあって、1号墳の方が若干大きい。気がついたのは、前方部を少し山の様に盛り上げている。これは復元作業の時にこうなったのではないならば、前方部が祭祀場であるという本来の古墳の役割を忘れていると見なければならない。そもそも横穴式石室の前方後円墳なので、後円部に登り祭はしなかっただろう。どうやらハムピョンや海南で見つかった前方後円墳の3/4の大きさらしい。「日本のそれより小さい」と立て看はしきりに大きさにこだわっていたが、そんなことはないですよ、これより小さい前方後円墳は日本にいくらでもあります。むしろ、大きい方だと思う。はっきりと5世紀築造と書いてあり、当初心配した様な「前方後円墳半島元祖説」は採っていない。この古墳の保存が決定されたのが1994年なので、伽耶地域考古学の研究がだんだんと成熟した頃だったからだろう。後で管理人に「パンフがあるか」と聞くと、カラー印刷のハングル版のペーパーをくれた。そこには発掘の様子と出土土器の写真があった。明らかな器台型埴輪が出土していたのでビックリ。器台型埴輪は中国の殉葬の思想とは関係無く、日本吉備から始まり独自に発達した日本型埴輪なのである(←くま説)。半島独自の発達ではなく、明らかに日本の影響の元に作られた古墳なのだ。この古墳は、正確に日本の祭祀は輸入していないが、半分くらいそれを採用している様に感じた。非常に興味深い古墳だった。すぐ近くの南部大学に寄って見た。期待していた大学博物館は無かった。帰りのバスは一区間どこでも1200w(約95円)で、満員だった。若者がたくさん乗っていて、私と同じバスターミナルで半分くらい降りた。バスは日本よりはるかに住民の足になっている。新しくカメラを購入しようと思って、量販店らしき店に入ったが、日本の品数の1/10くらいしか無い。しかも、品質もよくない。とりあえず一万円くらいのカメラだけでも買っておこうとすると、なんと充電はPCからするようになっていた。それでは到底旅では使えない。これはショックだった。昨日カメラを無くした時よりショックだった。これから、この旅をカメラ無しで過ごせるだろうか。例えば、写真はスマホで撮り、すぐに自宅PCにメール送信すればスマホの容量が一杯になる事は無いという方法がある。しかし、画質は悪いし、電池が途中で切れる心配、枚数も一日80枚も撮るわけにはいかないという制限もある。明日もう一回量販店を回ってみようと決心する。50万wも出して使いづらい韓国製の高級カメラを買う決断もしなくてはいけないかもしれない。それにしても、この水準で、どうして三星(SAMSUNG)は日本の電気業界に勝利出来たのか。私はホント、アタマに来ていた。バスで全州に向かった。遅い朝飯でサンドイッチとホッケ茶「男」というモノを買う。しきりにテレビCMをしていた。
2012年09月20日
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事件が起きた。私は博物館の人に聞いたり、村のお店の人に聞いたりして、バスターミナル行きのバスを待っていた。駄菓子屋の前が停留所であると、判断した。コーンアイスを買って待つことにした。これはミルクにコーンの粒がアクセントになって意外と美味しかった。バスが来た。運転手に行き先を告げると「それはこのバスでは行かない」と云う。「それはおかしい。あの店の人もこのバスだと言っていた」と抗議するが何かの手違いがあったのだろう。私は去って行ったバスを呆然と眺めていた。たまたま止まっていたパトカーから警察の人が「どうしたのか」と声をかけてくれた。「バスがない」「何処へ行きたいのか」「陜川バスターミナルです」「英語は出来るか」「少し」「ターミナルまで乗せて行ってあげよう」おそらくこんな会話があったのだと思う。意思疎通が出来ない外国人を可哀想に思ったのだろう、そう言ってくれた。途中でパトカーの管轄が違うのか、川沿いの道でパトカーを乗り換えたりした。そうして私をバスターミナルまで送ってくれたのである。私は千載一遇のチャンスだと思い、パトカーの中を一枚二枚盗み撮りをしていた(←これがミスの原因だったかもしれない。いつもはカメラの紐は首にかけているのだが、この時外したのだ)。この時気がついたことがふたつ。単に車を走らせていても、パトカーは始終無線が入っている。後ろの座席はなんと内から外に開けることが出来ない仕組みになっている(←後で聞くと、日本もそうらしい)。送って貰って、丁寧に礼を言って、私はターミナルで普州行きのチケットを買い、待合室の椅子に座って少しウトウトしていた。テレビはえんえんとサッカー男子の映像を流していた。3時40分、バス時間まで後5分、私はガバッと起きてバス乗り場に行く。そこでふとカメラを確かめると、「無い?」待合室に置き忘れた?戻って確かめるが無い。その間僅か3分程。幸いバスが遅れている。私は頭を回す。可能性はふたつ。ウトウトしていた時に、椅子にカメラを置き忘れてその一瞬に盗まれたか。あるいは、パトカーに置き忘れたか。後者の方が可能性が高い。しかし、電話しても絶対話は通じないだろう。旅の間になんとか連絡が着いたとしても、陜川までわざわざ取りに来るのは不可能だ。「諦めよう」その時バス時間が迫っていたので、そう判断した。陜川に泊まることは考えなかった。明日の全州オフ会があるので早い内に全州に行きたかったのだ。泊まってゆっくり探していればもしかしたら警察にあったかもしれない。しかし、そんなことは今では意味が無い。カメラは惜しく無い。どうもピントが上手く合わないので、買い換えようかと迷っていたくらいだ。この5日間の間に、400枚程を撮っていた。これは惜しい。近藤文庫、亀浦倭城、甘川文化村の小径、ふと見つけた日本人家屋、suzuさんとの出会い、四天王寺跡で見つけた土器、慶州駅裏の日本人村。或いは博物館の数々の遺物と説明板。途轍もない落し物をした様な気もする。いや、カメラの記録に頼る旅を反省する機会なのではないか、私は写真を撮ってブログにアップする、そのためだけに旅をしていたのではないか、果たして写真が無ければ私の旅は意味の無いモノになると云うのか、もしかして無い方が意味のあるものになるのではないか。そんなことをバスに揺られながら、つらつら思ったりした。普州に着いた。こんな大きなターミナルなのに全州行きのバスが無い。光州に行くことにする。光州から全州行きは確実にある。しかし1時間半待ちで、光州に着くのは夜の9時だ。今5時だけど早い夕食にすることにした。暫く歩き近くの食堂でビビンバを頼んだ。ここは伽耶地域ではあるが、洛東江流域では無い。よってオカズは違う。煮豆とキムチと魚由来のキムチ、ふきのとう、豆スープ、ワカメスープが出た。ビビンバも全州のそれとは違う。良い意味で田舎くさい味で全部美味しかった。光州で宿を探した。モーテル街に行くと、1番安いので35000w、あとは50000wだった。重たいリュックを背負い6000歩以上歩く。今日タクシーを使ったことで大きく予算をオーバーしていたし、カメラを買い換えるとしたら何10万Wいるかわからない。節約意識が働いていて一時間ほど歩いた。意地になっていた。10年程前に泊まった覚えのあるシンカラクモーテルに入る。30000wだった。5000W上がっていた。土曜日の夜なので高くなっていたのだろう。泥のように眠った。ジュース600 慶州→大邱5200 地下鉄 1200 大邱→陜川 5600 昼食6000 タクシー19000 博物館700 アイス500 陜川→普州6400 夕食6000 普州→光州9800 宿30000 Wi-Fi5500合計 96500w歩数 18904歩
2012年09月19日
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8月11日(土)雨のち雲 慶州→大邱→陜川→普州→光州朝4時に起きた。サッカーが始まっている。まだ0-0だ。ところが、パスが全然通っていない。そして向こうのFWの神懸かった様な個人技で一点獲られてしまった。その後もいいところなし。0-2で終る。韓国のチャンネルは4局でやっていて、全部実況の声が違っていた(日本は一つ)。慶州の田舎では、流石に終わった後も外は騒がしくはならなかった。朝五時、誰かの話し声は聞こえた。‥‥‥しかし、日韓戦における韓国選手のあの集中力はいったいなんだというのか?慶州でいいことなんて一つも無い!ということで、6時50分発のバスで引き上げることにした。大邱に行って陜川のバスがあればそれに乗ろう。バスの中の朝のニュースは、八割がサッカー、一割は大統領独島訪問、他はオリンピックニュースだった。東大邱に着いた。やはり此処から陜川にはいけない。地下鉄で西大邱バスターミナルに行く。すると陜川行きは五分前にバスが出発したばかりだった。此処から明日約束している全州行きのバスは無い。(←明日全州のマッコリ通りでオフ会に参加することにしていたのだ)今日、明日、どの様にスケジュールを組むか、1時間沈思黙考する。スマホを使っても、高速バスの時間割の調べ方がわからない。日本語観光案内サービスが繋がらない(←1330を133と間違えていた)結局、結論出ない。まあ、ともかく陜川(ハプチョン)の古墳群見て何とかなるだろ、と11時のバスに乗った(←結果的に此処が運命の最初の別れどころだった)。途中高霊を通り、陜川バスターミナルに着く。博物館は更に遠くにある。ザッと見渡して博物館以外にこの土地で見るべきものは無い様だ。此処から全州行きのバスはなかったので、とりあえず普州に行くことにして、博物館をちゃっちゃと見て帰ろう。とりあえず、メシだ。適当な店でソルロンタンを頼む。此処は洛東江流域なのか、鉄壁のオカズセット(キムチ、カクテキ、シシトウ、タマネギ、ニンニク)が出る。特別に美味しいモノではなかった。早く行こうとして珍しくタクシーを使った。途中で博物館まで17キロの表示があった。しまった。想定よりも倍以上の金がかかる。帰りはバスにしよう。陜川博物館は玉田(オクチョン)古墳群の中にあり、その遺物を中心に展示している。遺物自体は一昨年行った普州慶尚大学に多く展示されているが、こちらはわかりやすく展示しているし、何よりも遺跡が此処にはある。西暦4C前後に高句麗広開土王の南征の影響で釜山金海の住民が移って来たのだとのこと。その意味では、純粋な新興国家であり遺物は後期伽耶時代のモノしか無い。国の名前は多羅国で間違いなかろう。「日本書紀」の中の任那復興会議に登場する国である。どうやら洛東江の支流にある国らしく、比較的楽に日本から来れた様だ。鉄製品がたくさん出ている。高句麗、百済、新羅、中国、倭との交流。見事な装飾品。バランスの取れた(綱渡り的な?)外交戦術で、強力な専制政治を敷いていたのではないか。その後、裏山の玉田古墳群を見て回る。高霊池山洞古墳群と比べ大きくはない。墓は短期間の間に、竪穴式木棺墓から、竪穴式石槨墓、横穴式石室墳まで急速に変遷していた。バス停留所の場所は良くわからなかったが、博物館の人に聞いたバス時間には30分以上余裕をもって遺跡を後にした。私の旅史上最大のミスはその後に起きた。
2012年09月18日
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8月10日(金)曇りのち雨 慶州朝9時に起きた。早起きの私にしては、寝坊である。まだ昨夜の酒が残っている。スマホやカメラを充電していなかった事に気が付く。お風呂に入ったり、なんやかんやしていたら10時出発になった。老浦洞(ノポドン)11時出発の慶州行きのバスに乗る。バスは意外にも非常に豪華だった。流石ドル箱慶州行き。直通1時間のバスだが、ほぼ満席である。慶州に着いた。先ずは宿探しだ。ウワサには聞いていたけど、以前泊まったキリン荘が取り壊されて鉄筋ビルを作っている。その前の古そうなモーテルで値段を聞いてみる。「安いよ。5万w」他の処を探す。「部屋は無いよ」平日で断られたのは初めてだ。流石、夏休みだけはある。太陽荘モーテルで聞いてみる。「あるよ。3万w」部屋を見せてもらうと意外と綺麗だ。此処にする。バスターミナルから少し離れているから安いのか。昼メシは前回行ったマッタケ料理のお店。ビビム冷麺を頼んだのだが、オカズが三品ほどしか出なかった。もっと多くて美味しかったという印象だったのだかおかしいなあ。(←実際見てみると、そのときは同じ値段の料理でおかずが9品ついたと書いている。日によって違うのか、この一年半の間にサービスを落としたのか)ここで食べている時雷が鳴って雨が振り出した。モーテルに戻り雨宿りする事にした。(この雨がこれ以降ずっと苦労させられる雨の始まりであった)なかなか止まない。2時間経つ。小降りになったので、マートで折り畳み傘を買い、善徳女王の墓までバスで行く事にした。当初の予定は、昨年青銅器時代の大きな住居跡が発掘されていたので、そこへ自転車で行く積もりだった。しかし観光案内所で聞くと、到底自転車では行ける処ではなく、詳しい場所もわからないとの事。大きなリスクがあるので止めた。しかも、3時から自転車を借りようとすると、もう今日は終わったと言われてしまった。そういうわけで着いたのは郊外の四天王寺跡の原っぱの前。この奥の小山に善徳女王の墓が最近発見されたらしい。四天王寺跡は現在発掘中である。これも観光の目玉にするつもりなのだろう。ところが、発掘現場をぐるりと回って、線路の高架の下を潜ろうとしたところで行き止まりになってしまったのでした。小川から溢れた水が唯一の道を塞いでいるのだ。ひざ下まで水に浸かる程度。高架を越えて行こうとしたら、列車が来て轢かれそうになった(←大袈裟)。越えるのは草が茂って無理、びしょ濡れになりながら墓を見る気力は無い。諦める。四天王寺跡の発掘現場以外の場所をうろつくと、瓦質土器や白磁の破片らしきものが沢山転がっていた。バスで慶州駅前の市場に戻る。ドジョウがたくさんいた。この地方の特産なのか。鯉もわざわざ「国産」と書いて売られている。FTP韓国では、国産表示は即ち「安全安心高級」と同義語なのだろう。駅の高架鉄橋を渡る。線路沿いの古宅はまだ昔ながらの造りをしていた。庭の中に井戸があるんだ、と発見。高架を渡ると、駅は広い操作場を持っている事に気が付く。駅の反対側の慶州中学校がある辺りは、昔日本人がたくさん住んでいた地域なので一度歩きたかった。家に瓦屋根が多いのはその反映だろう。建て替えているとしても、道の構造は70年前と変わらないはずだ。道は、直線で広い。だから町の雰囲気はとても日本と似ている。バスで帰る。バスターミナル前の気になっていた喫茶店でパンとコーヒーを頼みながら、きょの日記を書いた。パンは古墳の様な形をしている。中に空洞があるので、見た目は大きいけどボリュームは無い。香ばしくて美味しかった。夕食はsuzuさんお勧めのミド荘旅館一階のプカン食堂にした。カルビタン。ここは7品目のオカズが出た。貝や小魚の煮付け、海産物のオカズが目立った。美味しかった。男子サッカーの為に、この日は早々に寝た。チャージ3000 ジュース700 釜山→慶州4500 宿30000 昼メシ6000 傘4500 バス4500 夕飯7000 Wi-Fi5500合計 65200w歩数 14561歩
2012年09月17日
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9月5日(水)曇りのち雨青春切符消化の旅第二弾、瀬戸大橋線を渡って高松市街中のうどんを食べに行こう旅。本来ならば往復4000円近くする旅ですが、2300円で行こうというわけです。高松駅につくと一つの車両しか無い高徳線に乗ります。ワンマン電車なので、青春切符を車長さんに見せて栗林公園北口駅で降ります。街中は歩いていける処ばかり。先ずは松下。かけ小180円。ストレートな細麺である。ストレートな味である。ぎゅっとまとめていた。高松市のマンホール。次は丸山製麺。六月から休業していた。いかに名店といえども家庭の都合には勝てない。ならば、竹清。処が、此処も休業日にかかっていた。非常に残念。此処は倉敷アリオに出店していて、その味と比べるのが、今回の旅の大きなエポックだったのだ。しかし諦めるしか無い。少し歩いた処にさか枝がある。県庁が近くにあって何時も行列が出来る店である。12時と少し前、少しの行列で済んだ。釜玉小270円+天ぷら80円。茹で上げたうどんに玉子をのせるだけで、どうしてこんなに旨くなるんだろ。中太麺。私の好みは太麺にある事を再確認。このもちもち感がたまらない。天ぷらは珍しい小豆の入ったモノ。しょうゆ豆だったかも。饅頭の様な感覚で美味しかった。腹がいっぱい、少し県庁で休憩しよう。ここは映画「県庁の星」のロケ地にもなった。21階の展望台に上がる。遠くに屋島が見える。ここの喫茶で「豊島の無農薬レモンでつくったレモネード」を飲む。釜山南浦で飲んだレモネードも美味しかったけど、こっちはまた上品な味である。豊島(てしま)は産廃処分で島が住めない一歩手前になってしまい、県と業者に責任を認めさせてゴミを撤去させた。今は見事に甦っている。歩いて、ぶらぶらしていた時に見つけた公園北口駅前の「こころ」に入った。ぶっかけ冷小と天ぷら盛り合わせ330円。手切りのせいか、非常にちぢれた中太麺、麺はたいへん美味しいがツユが負けている気がした。うー腹が苦しい。30分ぐらい歩いて、大円に到着。ぶっかけの元祖だそうだ。ぶっかけ小300円。つるりと入り、弾力がある。腹が苦しくなければ、美味しかったんだろうな。ついに雨が降って来た。岡山と違い、高松市は南の山から雨雲がやって来る。モスで二時間ほど雨宿りをした。四食で終わるのは不本意だが、遅くなったことだし高徳線に乗って高松まで戻り瀬戸大橋線で帰った。写真は高松のキヨスクで買った剣山の水を使ったペットボトルです。
2012年09月16日
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韓国の旅レポートは2日お休みして、残った青春切符で決行したミニ旅行の報告をしておきます。カメラ新しく買いました。同じようなデジカメですが、ウームやっぱり腕がない、ボケボケですね。9月4日(火)晴れ青春切符を消化しないといけないという事もあって、播磨古代を訪ねる旅に出かけた。三回乗り換えをしながら電車で二時間ちょっと揺られて兵庫県土山駅に降り立つ。考古学博物館までの道がふれあいの道として、こんな風に歴史の学習が出来る様になっている。県立考古学博物館に来た。この前来た時はゆっくりできなかったので、今回はゆっくりしよう。いわゆる日本では最新の部類に入る考古学博物館である。しかし、あまりデジタルは使われていない。ビジュアルてきには、とてもわかりやすい。石と鉄の差は八倍だったかなあ。四倍じゃなかったかしら?弥生時代でも、矢じりのこの様な「変革」があったのだ。武器が大幅に変わる時に戦争の「質」は変わる。飾りか付いた土器ということで、古墳時代後期の勝手野6号墳の装飾付須恵器が展示されていた。装飾部分が男の人生を表しているのだそうだ。真ん中は、女に言い寄って振られている処だそうだ。右側は狩りをしていて見事射止めている。左側は神事の相撲をしているのである。見事だったのは、古墳時代の準構造船の実物モデルである。釘を遣わず樹齢800年の大木を切り抜き、作っている。後でその経過のビデオを見たがたいへん参考になった。弥生時代には準構造船は無いと言われている。しかし、それが無いと朝鮮半島から倭国にはやって来れないという人もいる。木を切り抜く鉄は半島にあった。そして実際間違い無く朝鮮半島から来ているのだ。私は不完全ながらあったのではないかと「想像」を逞しくした。他にもいい展示物はいろいろあったけど、紹介する余裕が無い。この博物館には、展望台もある。そこから、弥生時代の大集落大中遺跡も見える。郷土博物館が近くにあって、大中遺跡の遺物を展示している。大中遺跡のなかを通って帰路につく。ゆっくりし過ぎて二時過ぎになったのだけど、駅前に行くまでの約二キロ、営業している食堂が一軒しかなかった(三軒は昼休み)。韓国では、いくら寂れた駅でもあり得ない光景である。この規模の駅ならモーテル街があってもおかしくない。日本は住宅地に店を持たなくなっている。車で移動するからだ。ならば、それが出来ない貧困層や老人はどうするのか。無機質な街が駅の周りに広がっていた。(韓国のごちゃごちゃした街もどうかと思うが)やっと一見のうどん屋を見つけてそぼろ定食を食べた。帰りに有年駅(此処こそ正真正銘駅前に何も無い。饅頭屋が一軒ある)に寄った。歩いて20分、有年原・田中墳丘墓に至る。吉備の楯築遺跡に次いで巨大な弥生墳丘墓である。私には、明確に支配層と他の層の墓が分かれていて「強権政治」の臭いがした。
2012年09月15日
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臨時首都記念館を探して東大新駅辺りをウロウロする。すると明らかに築70年ぐらいの大きな日本家屋があった。なんの説明書も無い。そうやって気をつけると、この辺りはまだ瓦屋根も残っていた。東亜大学博物館に到着、二度目の訪館。金海池内洞遺跡出土の三韓時代(1世紀)の大きな甕棺墓、勒島遺跡出土の弥生式土器、中国漢王朝の半両銭、そして勒島遺跡出土の丁寧に埋葬した犬の骨があった。たしか同じ様なモノが千葉県の加曽利貝塚にもあった。加曽利の方が古いけど。ペットを埋葬するのは、全世界共通の感情なのだろう。野天の小さな工事現場にウオーター機械を備えつけてあった。熱帯地域の様な日本こそ欲しい設備だ。日本の小さな工事現場には無い。韓国のこの機械の普及率はすごいと思う。博物館から一キロもいかない処に臨時首都記念館があった。この建物は1926年慶南道知事官舎として建てられ、朝鮮戦争当時釜山が臨時首都だった時期(1950-1953)、大統領の官邸として使われたらしい。昭和初期の日本の木造建築の最高の部分がある。丁寧に作った窓枠、階段、真っ直ぐに揃った屋根瓦。広く明るい浴室、おしゃれな便器、明るい食堂、ふんぞりかえる李承晩の人形。そこから南浦洞に帰り、映画のチケットを買った。見たのは「ヨンカシ(カマキリ)」である。カマキリが主人公ではなく、カマキリに付く寄生虫が何故か人間に寄生する突然変異の怪物になる話。ソウル市民が次々水を求めて川の中で溺死する。国中がパニックに陥る、という映画である。パニック映画としては、イマイチ。家族を救うために頑張るお父さんと裏で暗躍する汚職国会議員を交互に描くが、少しエンタメし過ぎていて批判精神に乏しい気がした。「グムエル漢江の怪物」の系統だが、三番煎じという感じ。ただ、見ている間中、甘川文化村で食べたスイカアイスのことが気になって仕方なかった(少し腹の調子がおかしくなった。気のせいだったけど)。マイ・夕食タイムの8時には少し時間があったので喫茶店でお茶をした。おしゃれな喫茶店なのだが、味は変わらず、マックとこちらで1000wから3600wに値段が跳ね上がるのは、不可解ではある。今日の夕食は愉しみにしていた真珠食堂。今日も人がいっぱい入っていてなんとか座らせてもらった。豆腐汁定食とマッコリを頼んだ。オカズが六品も出てきた。特にキューリキムチとズッキーニのキムチが美味しい。豆腐汁も単に豆腐が入っているだけでなく、たくさんの具が入っていて絶品だった。というような事を味わっていると、隣の女性がどうも気になる。珍しく女性一人で飲んでいる。いまさっき日本語で「食事するなら豆腐汁定食を」と進めてくれたのは彼女なのだが、その後主人と親しくお喋りしていて、日本語が上手な韓国人かな、と思いなかなか声をかけれずにいた。この時期、真珠食堂を基地にしているsuzuさん(たそがれちえぞーさんのブログのコメントで知っていた)が釜山入りしている情報は得ていたのだが、決め手を欠いていたのだ。「もしかして日本の方ですか?」「そうです」「もしかして、たそがれちえぞーさんはご存知ですか?」「ちえちゃんは友達だけど」「私、ちえぞーさんの処で時々おじゃましているくまというモノですが」「あゝあなただったの!」という事で、初対面にも関わらず一瞬にして旧知の仲になってしまったのでした。どうもお互いに相手を韓国人だと思っていたらしい。suzuさんは、不思議な女性で、その日のうちでも、韓国の人とプレゼントの交換があったり、見知らぬお客から差し入れがあったり、本人はほとんど韓国語は出来ないと言っているし、事実ペラペラでは無いのだが、そのコミュニケーション力の高さはすごいモノがあるのでした。気がつけば、釜山友達のハヨンさんも合流し、二次会のトースト屋という屋台に行ったのでした。そこでsuzuさんから「たそがれちえぞーさんにコメントを書け」と言われて書いたのが以下のコメントです(コメント時間にご注目ください)。今、スズさんと真珠食堂で出会って、飲んでいます。無理やり、トースト屋に連れていかれて飲んでいます。僕はいつ帰らせてくれるのでしょうか。助けて~。2012/08/10 01:20| くま| URL|文面はあくまでsuzuさんに言われて書いたので、私の意思では無いことをお断りしておきます。そしたら、暫くしてちえぞーさんから国際電話がsuzuさんに掛かって来ました。思いもかけずちえぞーさんともお話する事が出来たのでした。今まで一度も会った事の無い人と一瞬で親しくなれるブログの不思議さをつくづく感じた夜でした。(私、オフ会ってやった事無い人)で、お開きにして、タクシーで世宗荘に帰ったのは午前4時前になっていた。こんなに飲んだのは、私の旅人生で初めてでした。チャージ5000 朝食1900 アイス 500 バス900 ジュース1000 マック2800 映画 7500 コーヒー3600 真珠食堂7000 二次会10000 タクシー3800 Wi-Fi5500合計49500w歩数21884歩
2012年09月14日
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8月9日(木)晴れ 釜山今日は朝から身軽に世宗荘を飛び出した。韓国では電力不足で停電危機感が広がっていると聞いていたので、どれだけ暑いんだろ、と戦々恐々としていたのだが、下関の汗だくの環境と比べたら此処はまるで「秋」である。少し暑いけど、湿度が低いので、汗をかかない分涼しく感じる。雨さえ振らなければ、八月の韓国、快適に回れそうだ。(←ホント雨さえ振らなければね)釜山南浦の向こうの土城駅から甘川(カムチョン)文化村辺りを歩こうか、というのが私の計画である。朝飯はパン屋さんで売れ残り30%ひきの玉子焼きパンを買う。良いアイデア。2番バスで甘川小学校に行こうと思ったが、そのバス番号が無い。(あとで考えると停留所が違っていた)時間はある。歩いて行こう。カラーに塗っている階段、ぐねぐねした道、電柱にかけてある警官マークの入った袋、外付けのトイレ、アップダウン、釜山に来たなあという気がする。今回の旅では、レンガ、ブロック、屋根瓦等々の左官技に目が行った。写真が無くて申し訳ないが、少し言及する。レンガはとりあえず職人教育は出来ていると思う。表面をフラットに作るのと、角を垂直に立てるのは意識している様に感じた。しかし、レンガも目地が汚いので全体が綺麗ではない。綺麗に作っているのは大抵貼り付け型のレンガもどきである。そのレンガもどきも下手な職人が多いので、時々剥げている。甘川小学校玄関近くの壁に歴代外語先生なのか、色んな言語で別れの言葉が書かれていた。いわば公式の落書きである。日本の人も「この間がとっても楽しい時間だった」と書いていた。甘川小学校もカラフルに色がついている。全体のムラのカラーに合わせているのか、それともこれがこの釜山の精神性なのか。小学校から山の頂上に公園があると案内板に書いていた。ちよっと見晴らしの良い処ぐらいの気持ちで登りだす。しかしこれは登山であると、途中で気がついた。スマホで地図を見ると、立派な山なのである。頂上まで行ったら時間と体力が足りない。頂上近くで引き返すことにした。行きと違う道を選ぶのは、旅人の性質(さが)、下りの山路を選ぶ。近道かと思ったのだ。早く帰れるか。 途中、変な道になって不安に陥りながらも、なんとかチョネ路という処に出た。良かった。甘川小学校より少し南に下がったところみたいだ。眼下に甘川文化村がすり鉢の様に広がっている。レゴブロックの様にさまさまな色が不規則に並んでいる。とりあえず降りて見る。天馬村というらしい。おやおや、小径をモルタルで舗装しているのはいいけど、子犬が柔らかい時に通った跡があった。それはいい。しかしどうして人間の靴跡まであるんだ⁉完全に業者のミスだろ?日本ならばやり直しだぜ。ところが、そんな問題では無いという事に気がつく。なんと玄関の前に「2012.2.××、云々」という落書きを自らしていた。十数年歩く小径にそういう落書き(?)をしても苦にしない人々なのだ、この人たちは!駄菓子屋でスイカを小さく切った形のスイカアイスを買った。500w(35円)。一度食べてみたかった。甘さ控えめ、スイカの味はあまりしない。小豆が少し入っている。すり鉢の底に降りる。天極道村という。天極道という宗教みたいな事を始めた人の墓があった。正面に行って写真を撮ろうとしたら怒られた。家の中だったようだ。後て陰から撮ったけど、今はもう写真は無い(^_^;)。天極道村も迷路の様な小径である。「私たちの学び遊ぶ部屋」という小さな家もあった。日本にもある放課後の子どもを預かる施設だろうか。すり鉢の反対側に登った。へんな家があった。崖に向かってコーヒーカップの取手みたいなモノがついてる。よくあるへんな芸術家の家だろうか。ではなくて、この文化村のプロジェクトの一貫で作った徳川駅にもあった様なブックカフェらしい。中には100冊ほどの本と、椅子とソファとインターネットが出来るデスクと、冷水やお湯が使えるウオーター機械も着いていた。管理人のおばさんもいる。記帳ノートを見たら、今日は大邱からたくさん来ていたようだ。一軒家を改造して屋上が展望台になっている処があって、登ってみた。その近くに、文化村の散策マップがあった。どうやら私は散策ルートの反対側から歩いて来たようだ。バスでいったんもとに戻る。バスの運ちゃんに「土城駅に着いたら教えて」と言ったけど教えてくれずにチャガルチまで行く。あまり運ちゃんに頼り過ぎてはダメだなあと思う。
2012年09月13日
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この後地下鉄で寿安(スアン)駅に行って駅構内にある壬辰倭乱歴史博物館を見に行った。最近出来た博物館らしい。(写真はこの釜山を離れる最終日に撮り直しました)改札口の処にあるから絶対迷わない。この博物館は、今朝観光案内書で偶然見つけたのだけど、想像以上に良い博物館だった。駅を作る時に発掘した成果をそのまま無料で駅内に展示しているのである。東菜城の戦い(1592年4月13日)には小西行長がやって来たらしい。釜山鎮城を圧倒的な軍事力で占領した後、此処にやって来て降伏を進言したが、陸軍司令官は逃げたのに部下の宋某氏は住民と一緒に戦い「千人百人のうち一人二人しか生き残らない」壮絶な戦いになったという。それを裏付ける様に城の周りの堀から白骨がゴロゴロ出土していた。朝鮮側の武器は、矢や刀しか無かった。思うに負けるのも当然だろう。16世紀の矢じりを初めて見た。弥生時代のそれと少ししか変化していなくて、一度発達した武器はなかなか変わらないということが分かった。寿安駅から地下鉄を乗り継いで、徳川(トクチョン)駅に至る。此処で亀浦倭城に行くことが出来る。金海や簗山攻略の為に作られたらしい。洛東江を臨む小山頂上に建てられている。思った以上にしっかり作られていて、残りも良かった。占領したばかりの住民を使って数ヶ月でこれを作ったのだろうか。徳川駅に戻る途中、急勾配の屋根瓦、ガタガタのブロック積みが目についた。(結局この旅の間ずっと目についた)ブロックなどは目地が無い。糸を引いて「水平を取る」「線に合わせる」という意識が全く感じられない。だから最後は適当に誤魔化すから可笑しな形になる。これも地震が無いから出来ることなのだろう。ブロック職人は存在しないか、素人同然の者がしているのであろう。徳川駅から洛東江を渡り大猪駅に至り、そこで金海軽鉄道に乗り換えて、金海空港に向かう。釜山に来てショックだったのは、今回の旅で準備して来たオフラインでも使えるエバーノートのデータ読み取りが何故か出来なかったこと。仕方ないので、毎日5500w出して、Wi-Fiを持ち歩く手続きを空港で取ることにしたのだ。(←結果、これにはずいぶん助けられた)西面(ソミョン)に戻ってロッテデパートで映画を観ることにした。チケットを買って食事に出る。開店一周年でスユク定食が2000w安くなっていたのでそれを注文、でもスユクって煮た牛肉のことかと思いききや豚肉でした。オカズはキムチ、シシトウと玉ねぎ、ニンニクが付いた。洛東江流域にはこれが必らずつく、というのが私の「説」である(なお、釜山は都会過ぎてこの例外とする)。キムチは美味しかった。映画は前情報は全く持っていなかったが「私が王のイロソだ」(ジュ・チフン主演)。瓜二つの皇太子イロソと、奴僕の男の立場がヒョンなことから入れ替わる話。よくある話ではある。笑は後ろの女性がしきりに笑っていたが、人の入りはイマイチ。日本には来ないと思う。世宗荘でもう一泊することにした。明日の朝、荷物を動かすのがイヤだったからである。宿代(二泊)60000w 朝食3500w チャージ3000w Wi-Fi 5500w 映画8000w 夕食 6000w 夜食2200w合計88200w歩数 26652歩
2012年09月12日
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8月8日(水)雲 釜山朝三時半に起きた。フェリーの休憩広場のテレビの前では、やはり人だかり。しかし、日本VSメキシコ戦ではない。韓国VSブラジル戦である。韓国も善戦した様だが負けた。もう一つのテレビで、一生懸命NHKを探したのだが、既に韓国領土に入っているためなのか繋がらない。ニュースの情報だけで日本が1-3で負けた事を知る。次は日本VS韓国の三位決定戦だ。これなら見る事が出来る。フェリー船上から朝焼けの釜山港を見る事が出来た。夏の旅の特権だ。少し得した気分。昨晩は台風11号の影響か、そうとう揺れていた。いつもはターミナルから中央駅まで行き、南浦方面にいくのだが、今回は反対方向の釜山駅方面に歩いた。こちらで宿と朝食を探す事にしたのである。駅の操作場の壁にポンポン菓子を作っている処や日本にはない子供たちの遊びの風景画が書かれていた。韓国はいたるところにこういう絵が描かれている。フェリーで同室になった人が「いまは特に夏休みだから、モーテルの値段は高くなっていますよ」と言ったのが気になっている。25000wで泊まりたいと思ったけど、ムリか。試しに釜山駅前のモーテルで聞いてみる。「五万ウォンだよ」少ししかめ面をしたら、4.5万ウォンに落としたけど、問題外である。めったに来ることのない釜山駅を通り過ぎてさらに歩くと、なんとブロガーのたそがれちえぞーさん御用達の世宗荘があった。やはりモーテルと書いているけど、3.5万ウォン以上ならば諦めようと決めて入る。「三万ウォンよ」即決。隣の食堂でもやしラーメンを朝飯として食べた。3500wなので節約したのである。初めてのキムチ、まあ合格である。きちんと作っている。いわゆるラーメン鍋(小ぶりの黄色のアルミ鍋)で出てきた。いい感じである。先ずは釜山大学に行く。岡山大学考古学名誉教授の近藤義郎氏が退官の時に朝鮮考古学への贖罪と発展を願って、自分の蔵書を寄贈したという事をこの前知って、どんな本をどれだけ寄贈したのか、確かめたかったからである。今回の旅の最初のエポックである。しかし大学構内で迷いに迷った。案内板に図書館が無いのだ。男子学生に「図書館は何処だ」と聞いて行けば、そこは勉強ルームだったりした(←図書館とは勉強する処という意味なのか?)。いろいろ聞いてやっと探し当てた時は正午近くになっていた。処が、図書館はなんと学生カードが無ければ入れないシステムになっていたのである。仕方ないので、また釜山博物館に行く。前回は各地の遺跡の位置を知るために此処に来たのであるが、今回実際遺跡を回った目で遺物を見ると、また感慨が違った。泗川の勒島遺跡を発掘した大学なので、その遺物がたくさんある。また、釜山福泉古墳群の遺物も多かった。蔚山下垈遺跡は、4-5世紀の古墳群だと紹介していた。豊富な鉄の遺物が出土していたらしい。検丹里遺跡の近くなので、青銅器時代のイメージだったのであるが、大きく印象が変わった。このまま帰ろうかと逡巡したが、意を決して近藤文庫の事を助手らしき男性に尋ねてみた。「ああ、近藤先生の寄贈本!」直ぐに分かって呉れて、別館の考古学の事務室に連れて行って呉れた。そこで若い女学生(?)に案内を引き継いで別館の書庫に連れて行って呉れた。(←要は最初からこっちへ来れば良かったんです)もっと学者が書いた著名入りの専門書が並んでいるかと思いきや、想像と違った。書庫の約1/4を占めて、本棚10箱が近藤文庫であったのであるが、なんとその9.5割は各地域の発掘報告書だったのである。公共図書館では無く、個人がそこまで報告書を集めるものなのか。日本を代表する考古学者とはこういうものなのか。改めて尊敬の念が湧く。昭和8年(題名失念)発行の報告書には、流石に教授の書いた線がたくさん入っていた。お互い言葉が良く分からなくて、私が何者か、何故この文庫を見に来たか、説明出来ないまま、岡山から来たというだけで案内してくれた釜山大学の方たちに感謝します。この膨大な報告書を活かして下さる様に切に願います。近藤義郎の名前を言った時に即座に反応して呉れた(寄贈は20年近く前)ので、安心はしています。
2012年09月11日
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今年8月の26日間に渡った私の生涯最長の旅の記録レポートを始めます。但し、最初は、いつものレポートとは違います。写真がほとんどつきません。実は、旅の4日目に史上最大の失敗をしてしまったのです。カメラを失くしてしまいました。幸い、今回の旅で出会ったブロガーのsuzuさんの御好意でカメラを12日に貸して貰いそれ以降は映像があるのですが、以前はちょっとわかりにくいモノになっています。しかし、日記だけはつけていた為に、記憶は鮮明です。写真を前提にした記述も見受けられるかもしれませんが、ご了承ください。8月7日(火)晴れ朝、結局一時間ほどウトウトしただけだった。旅の準備が整わないまま、なでしこ観戦(準決勝死闘の末、フランスに勝つ)、その後アメリカVSカナダ戦に突入してしまって眠れなかったのである。6時半出発、倉敷駅から鈍行で下関へ向かう。夏らしくバックパッカーらしき人が寝ていた。車窓から外の景色を見ていて、今回気がついたのは、太陽光発電が少しづつ始まっているということ。20ー30軒に2-3軒ぐらいの割合で、屋根にあの四角い黒いガラスが取り付けられているのである。岩国駅でビールを買い、昨日作った野菜炒めをツマミにして昼ごはん。今回の旅は、テーマとしてではなく、必要に駆られて貧乏旅になる。計算では、一ヶ月の全ての生活費プラス5万円でこの旅が出来る予定である。それならば、例え成果か無くても旅に出た方がいいだろう。しかし、やってみなくてはわからない。今朝、早めに出たのは、去年の旅のとき風邪気味で断念した下関古墳巡りをやってみようかな、と思ったためだ。新下関駅で降りる。歩いて五分くらいの所に秋根古墳が移築されている。六世紀後半の古墳で、玄室のみこのされていたらしい。此処を起点に6キロ程度の古墳巡り地図がある。川を渡って仁馬古墳の所へ行く所で道を間違えたことに気がつく。歩いてみて気がついたのは、このままだと5時過ぎのフェリーチケット購入までギリギリか間に合わない可能性があるということ。そう思った途端、腹の調子が悪くなった。「撤収!」私は決めた。帰りの時にリベンジしよう。ペットショップでトイレを借りて、スッキリすると新下関駅に戻り、下関駅に降りた。下関の観光資源は金子みすずなのである。(この写真は帰りの時に写しました。)一時間半の時間が出来たので下関シーモールに初めて入って少しお買い物。ダイソーがあったので入る。少し歩いただけで身体が汗ビッショリになった。身体をフェリー内でシャワーするためにタオルを買った。石鹸は持ってきたけど、入れ物がなかったのでそれも買った。あと、一つしかなかった韓国の電源アダプターも手にいれた。ホント日本のダイソーは優秀、何でもある。ロッテリアでジンジャエールをのみながら、スマホの充電並びに日記をつける。スマホの電池が直ぐに切れるのが悩みのタネだ。便利だけど、あまり使わない様に努力しよう。フェリーチケットは、実は9000円ではない。これにターミナル使用料600円と燃油付加運賃1200円がつくのである。片道しか買わない。釜山で買う方がよっぽど安くつくからである。(釜山では110200wだった。約3000円安い事になる)19時出港、夏は港がまだ明るいので、関門橋がきちんと見えた。フェリーはまゆうのレストランの食事は酷いことはわかっていたが、やはり酷かった。なんか生焼けのチジミって初めて食べた気がする。バス340円 電車2300円 ビール220円 ダイソー420円 ロッテ100円 フェリー10800円 夕食500円 ビール220円合計14900円歩数 12103歩
2012年09月10日
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「ソウルで新婚生活」たがみようこ だいわ文庫時々思い出した様に買う「楽して覚えるハングル」本の一冊である。確かに印象的な漫画にハングルも日本語も書いている。しかし、何事も意識して覚えようとしない限りは、覚える事は出来ないという事も、覚えるのであった。「一ヶ月も韓国にいればもう韓国語ペラペラでしょう」と人は言う。いやあ、結局なんも覚えれんかった(^_^;)。 韓国「通」初心者にとって、共感出来るところは多く、漫画と文章のツボは抑えている。2012年7月26日読了とりあえず、数日の日記を書き写したぶんだけは韓国旅行記そろそろ始めなくちゃ。
2012年09月09日
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「困っている人」大野更紗 ポプラ社ひとが、病や死に直面するというのは、ドラマや小説のようなものじゃない。(略)医療や障害、難病、福祉、介護、社会保障、あらゆる膨大で煩雑な、延々の制度との格闘。ある日突然「奇襲」される、ビルマのジャングルでもなかなか出会わないような、手強い「モンスター」。(143p)最も周辺化され、最も援助を必要とされている人々にとっての最良の支援は、政治的な構造を変革することなしには実現しない場合が多いのではないだろうか。(211p)この「モンスター」を少しでも「ハムスター」に近づけようと、大野更紗さんは、一度読んでも二度読んででも理解出来ない「難病」と闘いながらもこの様な本を出して、社会に訴える闘いを始めた。文体はあくまで明るく、内容はリアルに悲惨に。例えば、身体障害者手帳の申請でも、難病の内容などは関係ない、手足があるかないか、機能しているか、それだけを測るのである。難病患者がどんなに苦しくても耐え続けなくてはならないワケがこんな処にもあると云う。障害者のためのサービスは自治体によって「千差万別」らしい。また、私も親類の介護認定で怒りを感じ得なかったが、必要不可欠の「主治医の意見書」、頼りの医師がホントにいない、という事実がある。大野更紗さんも頼りにしていたクマさん医師にほとんどの支援項目に「必要ない」とされていて、医局に怒鳴り込む。すると医師は「今忙しい!医学的に正しい事を書いた!本人に聞く必要ない!」と答えたのである。確かに、本人に聞く必要はない。しかし、医師は患者の「生活の苦しみ」を「知らない」人種なのである。その人種に、命の綱の「介護認定」に関わらせる事の矛盾‼あゝ思い出しただけで頭にくる!…とか、なんやかんやの「良書」でした。
2012年09月08日
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去年スマホを洗濯機に落として多くのデータを一瞬にしてなくした私は、そんなときでもデータがなくならない道を模索した。そうしてであったのが、「エバーノート」というものである。以後何冊か読んできた。まとめて紹介する。「出来るポケット+evernote改訂版」evernoteの使い方が分かりやすく書かれている。初心者向け。2/3がPC用なので、主にiPhoneで使っている私には、物足りない処が多い。安価であるところがいい。【送料無料】 EVERNOTE「超」仕事術 / 倉下忠憲 【単行本】前半は、普通の事しか書いていない。後半のストレスフリーのタスク管理については少し参考になった。【送料無料】EVERNOTE情報整理術 [ 北真也 ]まあまあの詳しさ。知らないiPhoneアプリがあったので、早速使っている。しかし、まだよくわからない。私は主にiPhoneを使ってのevernote利用なので、iPhoneでサイト保存をする方法を模索していた。そういう意味では、はてなブックマークに登録したウェブページをevernoteに転送すると云うアイデアは頂きでした。ツイッター転送は、ここで紹介されているtwtr2srcのサービスは既に停止されているので、注意が必要。この本の刊行は去年の3月、一年経ってこういう変更がある処がこの世界の有為変転を象徴しているだろう。読書ノートの作り方(「書籍名タグ」というアイデアは貰い)、オアシスノート、「見返す」ノート等々のアイデアは頂く事にした。「evernoteHACK」篠塚充 C&R研究所evernoteの決定版という話だったのだけど、あまり使えるアイテムはなかった。私には相性良くなかったようです。でも、iPhoneでWeb保存する幾つかの方法が分かり、重宝しています。
2012年09月06日
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「ロング・ロング・アゴー」重松清 新潮文庫ねえ、運が悪くても幸せなことって、あるよね…」ぽつりと言った私に、母は「幸せに運の良し悪しなんて関係ないわよ。ラッキーとハッピーは違うんだから」と笑ってテーブルから離れました。今気が付いたけど、新潮文庫の重松清の品揃えは大部分が短編集なのだ。しかも、「舞姫通信」「見張り塔からずっと」から始まっており、重松清の実質上デビューからの付き合いだった。「ナイフ」「ビタミンF」「エイジ」文学賞を獲った初期の作品群、鳴かず飛ばずの最近の短編、しかし常に家族にこだわり、テーマも新しいことに挑戦し、やって来たのだということが、この品揃えを見てわかる。今回のテーマは「再会」だと云う。しかし、裏のテーマがある。重松清はいつもそうだ。それは、冒頭に有る様に「運」と「幸せ」の関係である。話は変わるが、(今さらですが)卓球女子の銀メダル本当におめでとう。韓国の地で祝っていました。最高の笑顔ですよね。「しあわせ」な笑顔とはこれだと思います。特に石川佳純ちゃんの今後が楽しみです。
2012年09月06日
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9月1日に26日間の韓国旅行から帰ってきました。今回は途中でカメラは失くすは、二回も台風が来るわで大変でしたが、とても楽しく旅を終わらすことが出来ました。韓国の新たな地平を見た想いです。レポートを始める前に出発前に読んだ本のレポートを済ませておきます。「英雄の書」宮部みゆき 光文社「気をつけろ。〈英雄〉は"輪"に居る。諍いの時代が到来するぞ」宮部みゆきのファンタジーである。基本的に、彼女がこの20年間嵌っているロールプレイングゲームの世界の小説版といっていいのかもしれない。「物語を紡ぐ」とは、どういうことなのか。彼女は、自分の小説世界に分け入って帰れなくなったことがあったのではないか。物語が現実か。現実が物語か。現実には、現実を凌駕する様な陰惨で非現実的な事件も起きる。毎日新聞連載が07年からだそうだが、小泉というエセ〈英雄〉も跋扈していた。「物語とは何だ、ユーリ」と、アッシュは逆に尋ねてきた。「"紡ぐ者"が創るお話。嘘でしょう」「"紡ぐ者"ばかりが作り手ではない。人間はみな、生きることで物語を綴る」ラトル先生も同じことを言っていた。人間は他に生きる術がない、と。「だから物語は、人の生きる歩みの後ろからついてくるべきものなのだ。人が通った後に道ができるように」だが、しかし。「時に人間は、"輪"を循環する物語の中から、己の目に眩しく映るものを選びとり、その物語を先にたてて、それをなぞって生きようとする愚に陥る。〈あるべき物語〉を真似ようとするのだよ」その〈あるべき物語〉は、様ざまな名前で呼ばれる。あるいは正義。あるいは勝利。あるいは征服。あるいは成功。(略)"紡ぐ者"どもは、己の罪を自覚しようがしまいが、一方で希望を、善を、美を温もりを、命を寿ぎ、人に安らぎを与える物語を紡ぐことで、かろうじて業と共に生きることを許されている。この地で"咎の大輪"を回す無名僧どもと、"輪"に生きる"紡ぐ者"どもは、〈英雄〉と〈黄衣の王〉がそうである様に、ひとつの盾の裏表なのだ。(537p)迷宮から戻って来た宮部みゆきは、「かろうじて業とともに生きる」ために、こういう"物語"を紡がざるを得ない。宮部みゆきの、50歳を前にした、一つの作家宣言だったのだろう。しかしこれは一冊で終わらすべきだ。「ドリームバスターズ」でも同じことをやろうとしている気がしてならない。
2012年09月05日
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