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蔡東鮮記念館で、思わず歓待を受けたあと、昭和橋を渡って突き当たりを少し右にいった処の食堂に入る。メニューに白飯(ペッパン)があったからである。コマク貝定食13,000wもあったが、例によって独りではペケだといわれたと思う。出た。今までで最大のオカズの大さ。14皿もある。大根の白和え。上品な甘さがある。竹の子の白和え。蕗のとうの白和えもあった。当然キムチ和えもある。ここは同じ材料をキムチ和えと白和えと同時に出していた。白和えは淡白な味で私の好みである。卵焼きもたいへん美味しく、完食した。靴もびしょ濡れになったので、第一モーテルに帰り、もう一泊する手続きをして、着替えをして、扇風機で靴を乾かすことにした。その間、カメラの充電をする。履物は(ソウルで買った)サンダルに履き替えた。すぐ近くの太白山脈文学館に行く。
2013年02月28日
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この方が、蔡東鮮氏である。村事務所の一階には韓国の近代音楽のパイオニア蔡東鮮記念館があると思って、入ってみたのはいいのだが、部屋が真っ暗だった。あまりにも人が来ないので、電気を消しているのだ。一階には当然普通の役場の部屋がある。そこへ言って軽い気持ちで「蔡東鮮記念館を見たいのですが、電気をつけて欲しい」と言った。受け付けは無いから、入った処の1番近い役人に言ったのである。そしたら、いかにも係長みたいな男の人が反応した。何度も何度も「電気をつけて欲しい」と言ってやっと通じたと思ったら、そのお役人は私をある部屋に連れて行ったのでした。私はてっきり、お役人は事なかれ主義だから自分で電気は付けれずに設備室に連れて行かれるのかと思った。「日本人が東鮮記念館を見たいそうです(と言ったのだと思う)」そこは、ママさんコーラスの練習場だった。1人のアジュンマ(おばさん)が手を挙げた。「私、少し日本語が出来る」「あの‥‥そうじゃない、電気を付けて欲しいだけなんです」と言いたいのだけど、「ライト、ライト‥‥チョンギ(電気)チョンギマン‥‥」と呟くだけの私でした。今これを書いていて、初めて「ガッテン」いったのですが、係長(と、便宜上名付けます)は「電気を付けて」が全く通じていなかったのだろう。「記念館を見たい」だけが通じていて、部屋が暗いのはあとで気がついたが、もう「記念館の説明が出来る人」しか頭になかったのだ。そう気がついて今初めて辞書を引くと「電気を付ける」は「전기를 겨다 チョンギルキョダ」ではなく「전등을 겨다チョンドゥグル キョダ」だった。電気ではなく、電燈でした(^_^;)。「電気をつけて欲しい」という言葉が通じるはずはなかったのだ。このアジュンマがまた、仕切り好き‥‥もとえ、世話好きで元気な女性でした。記念館を急遽案内することになった女性のあとを私と係長が行く。ひとしきり、私の出身とか、名前とか、旅の目的とか、東鮮先生を知っているのか等々の質問を終えてから、係長に電燈を付けさせ、記念写真などを撮る。「日本語が出来る」と言いながら、私のハングルより怪しい彼女でした。係長がそろそろ帰ろうとする(当然ですね!)と、アジュンマの一喝で一緒に居ることになってしまいました ‼ なんともヒトのいいというか、可哀想な係長でした。アジュンマのお名前はチョ氏と言います。「郷愁」の曲の説明のところでは、突然歌を歌い出した。私はどんな歌なのか知りたかったので、とても嬉しかった。哀切な歌でした。思わず係長と一緒に拍手。もう一つの代表曲「故郷」も聞きたい。「コヒャンを歌ってください」とチョ氏に言ったら、(苦手な歌だったからか)彼女はその場では歌わず、私をママさんコーラスの部屋に連れていったのでした。コーヒーも淹れてくれて、私は係長と一緒にママさんコーラスの「故郷」を聞くことに。「ちょうど練習していたんだよ」と言ってくれたかもしれない。私が「故郷」を聞きたかったのは、「ふるさと」という曲は映画「冬の小鳥」の中で何度も歌われた曲で、私が唯一口ずさむことの出来る曲だったからである。それで、もしかしたらその曲かと思ったのだが、違った。やはりどこか哀愁を帯びていて、故郷を想う気持ちが伝わるような曲でした。熱いコーヒーを素早く飲んで、係長と一緒に拍手をすると、ママさんたちは「ありがとうございます」と。私も、「カムサハムニダ」とお礼を言ってあとにしたのでした。その後、夕方もう一回此処を通った時に初めて気がついたのですが、村役場にしては大きな施設だなあと思ったら、ここは東鮮先生を記念する音楽ホールになっていたのでした。しかも、8月29日に記念音楽祭が計画されていました。彼女たちは、そのための練習をしていたのでしょう。赤丸のところが音楽ホールである。
2013年02月27日
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虹橋を通り過ぎ、三叉路を右に曲がる。これも個人宅。一人で住むならこんな家がいいな。風も通るし。その近くにあった蔡東鮮(チェ・トンソン)生家に入る。蔡東鮮(1901〜1953)は筏橋出身の近代音楽の先駆者と呼ばれる人だそうだ。日本でいう滝廉太郎?石を積んだ立派な井戸が傍らにある。昔はこの母屋の他に小部屋の部屋で四方を囲んでいたと思う。この母屋には四つの部屋があり、やはり縁側が玄関になっている。総木材造である。いい仕事をしている。縁側に座り雨宿りをする。柘榴がたくさん成っていた。縁側に座っていると、この小石が目についた。白い筋は、屋根から落ちる雨水である。この家を改修して数年しか経っていないと思うが、その間の雨水でこの小石がこれだけ削られていたのだな、と思った。小さな「継続」は、この様にして岩をも通すのだな、と思ったのでした。裏山に登る道があった。高い処に登るのは、私の旅の鉄則である。途中、豊作のナツメに出会う。下の白い建物が筏橋村の事務所(町役場?)だ。その向こうに昭和橋が見える。今来た道を振り返ると、虹橋の向こうへ楽安平野が広がる。筏橋駅方面を眺める。さて、村の事務所の一階には、蔡東鮮記念館があるはずだ。博物館フェチとしてはチェックしておこう、と思い降りて行く。思いがけない出会いがあるとは知らずに
2013年02月26日
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虹橋である。川筋に6ケの碑石がある。この河は近隣の大きな山の水を一カ所に集めているせいか、よく溢れるらしい。つい最近も、80年代たまたま自転車で訪れた日本人青年が洪水で足止めを食らった時のサイトを見た。これは今までの洪水で虹橋が切れた時に修復した記念碑らしい。碑の説明文には少なくとも1737年.1844年.1899年の年が書かれていた。右側の丸いアーチが古い橋である。19世紀の匂いがする。真ん中あたりで、色が少し変わっていると思うが、それが新しく造られた虹橋だ。この橋を流した急流は津波なみの力があったようだ。古い橋の下には、野生の鴨が群れを成している。橋から下へ少しのぞいている黒いモノは龍頭だそうだ。治水の願いが込められていたのだろう。ここでも公共事業が進んでいる。3ヶ年計画で河の河川敷を整備して散策路を造るらしい。龍の頭を下から眺めようなどと何処かの政治家が音頭を取っているのだろうか。ハルモニ(おばあちゃん)が雨の中、虹橋のたもとにずっと座っていた。何か思い出があるのだろうか、と思っていたら、バスをずっと待っていたのでした。「太白山脈第三巻」で共産主義者のパルチザンを潰すために派遣された軍事司令官沈宰模(シムジェモ)に、新警察所長の権炳済(クオンピョンジェ)が筏橋の山々のどこに彼らが潜んでいるか説明しようとして、立っていたのがこの虹橋であった。手前の山が玉山だと思う。この時歩いたのは、赤いマーカーの処です。
2013年02月25日
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雨足が速くなり、遂にはざん降りになった。韓国の道沿いによくある屋根のある休憩所に避難。隣では、雨が降っているにもかかわらず、花壇で定年後くらいの男女が10人ほど草抜きをしている。終わって、休憩所に休みに来た。長くつの中までびしょ濡れになったようだ。「雨が降って、嫌です」となりのおばさんに話しかけてみる。「日本人か?」「そうです」「何をしに来たの?」「観光です」「ふーん」私も聞いてみる。「これはボランティア(奉仕作業)だったんですか?」「そうよ」韓国はキリスト教信者が多い。定年後の生活で、奉仕作業は盛んなのかもしれない。そう言えば、昨日和順支石墓公園で、初老の人がたくさん花畑で草を刈っていた。アルバイトかと思ったが、あれもボランティアなのだろう。日本でもどぶさらいはあるが、この様な細かい地域ボランティアはあまりないと思う。雨足が少し緩くなった。「行きます」と言って失礼する。一方で、つくづく韓国の道路はデコボコしている。日本の道路にはデコボコが無いのはもちろん、よくみると両端か片方をわざと少し傾けて雨を逃がすように作っている。最終的に川に雨水が向かう様に全ての溝は水平と垂直を取って傾きを計算している。韓国にそんな繊細さは多分無い。どの道も「必ず」水溜りが出来ているのだ。昨日苦労して乾かして来た靴で来たのを後悔した。既に私のボロの運動靴の中に水が入ってきつつあったのである。ここで今日一日の筏橋の天気を調べたら、一日中約80%の雨だった。午前中に筏橋見物を終えて他の地域に行こうという目論見をこの時点で変えることにした。そう思うと、急に気が楽になった。至る所で雨宿りをしながら、モーテルには宿泊延長申請のために12時ごろまでに帰ればいいのだ。1番町の端にある奉林橋から遠く虹橋を眺める。河を渡ると川沿いに町方面に行く。道沿いに、新築だけど韓国風と日本風の折衷みたいな家があった。韓国では、たまにこんな形の屋根をみる。この古い韓屋は、1950年代李承晩大統領の時に国会議員が住んでいた処らしい。今は住居人も代わり壁を新しくしている。中の様子を覗こうと思ったが、何処からも絶対覗かれない様に作っていた。小説「太白山脈」では、日本帝国の時には日本に寄り添い、戦後にいち早く大インフレ前に全羅南道平野の米を買い占めて、それを元手に政界に入って行った国会議員が出てくる。こんな家だったと思えばイメージはピッタリだ。歩いた処は赤くマークしています。
2013年02月24日
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8月23日(木)雨 筏橋(벌교)7時半にモーテルを出て筏橋(ボルギョ벌교)散策を始める。私はハンギョレ新聞の文化記事でこの筏橋の事を知った。主には、日本人街の雰囲気を残した町として来たのである。しかし、あとで述べるが小説「太白山脈」の舞台モデルとして使われていることを知り、昭和20年代の南朝鮮の「現実」をまざまざと知るキッカケを与えてくれた町になった。ただ、それは帰国後のことなので旅の間はあまりよく見ることが出来ていない。それよりも、もっと収穫だったのは、ここの市民と今まで以上に交流出来たことだろう。閑話休題、出がけはまだ小雨だった。私が朝出発したのは、この地図の右端のバスがあるすぐ下にあるモーテルからである。そこから山際に沿って細い道を通る。やがて川沿いの道を通り、左端の1番左にある橋を渡るのである。今日は金範佑の家まで。この地図は太白山脈文学館ホームページから拝借した。これから23日の一日を10回に分けて書くことになると思うが、イメージをつけるためにその日の記事の歩いた処は、赤くマーカーを引くことにします。さて、山際に個人宅の韓屋がある。この辺り、裕福そうな家が多い。いい屋根の造りをしている。その上に旧回亭里教会があった。1939年築造だと云う。小雨降る村の小径。しばらく歩いて川沿いの昭和橋の端にぶち当たる。橋を渡らずに、右に歩いてしばらくすると、「金範佑(キムボム)の家→」の看板があった。それに沿って山際に上って行くと、古い韓屋があった。金範佑は群像小説「太白山脈」の中でもベスト3に入る代表的人物。両班の格式ある家系で、コミュニストとは一線を画しているが、左翼思想にも理解がある知識人の代表である。映画では、主役として扱われアン・ソンギが演じているらしい。両班らしい凝った造りになっている。贅沢では無いが、品がある。玄関がいやに長い。個人の家ということでちょっとひるむ。外にいた近所のおばさんらしき人がピンポンを押せという。押したが、反応が無い。中に入ってしまった。これは中から玄関を撮ったところ。玄関を出た処。人は住んでいるのだろうか?昔の邸宅の様子がよく分かる。いかにも権力を振りかざさないタイプの両班の家の質素さが出ている。小説は空想ではあるが、モデルの人物や家は綿密に取材したのだろう。玄関の裏側。多分、門の中に使用人の部屋があったのだろう。今は荒れている。これは、あとで向かいの丘からこの山際を撮った。緑の屋根の右上が金範佑の家だと思う。さて、また川沿いに戻って筏橋散策だ。筏橋(ボルギョ)の昭和橋の上で 「太白山脈 第一巻」 「太白山脈 第二巻」日米がもたらした〈恨〉「太白山脈 第3巻 全羅道の悲しみ」筏橋から眺める悲しみ
2013年02月23日
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和順駅にて。宝城(ポソン)市内の筏橋の町歩きをするつもりで宝城のチケットを買う。ところが、宝城に着いて気がついたのだが、宝城市内に筏橋の地区があるのではくて、筏橋はもう一つ隣の駅だったのである。バカだね〜。筏橋行の電車は3時間後だ。迷った末に、2キロほど歩いてバスターミナルまで行き、そこで筏橋行のチケットを買う。雨がやっと止んだ。バスが飛ぶ様に走る。筏橋(ボルギョ)のバスターミナルは市庁のある宝城のターミナルより、はるかに立派で広かった。しかも古くて、雰囲気がいい。このターミナル、文化財登録じゃないのか?(←違っていた)宿はバスターミナル前のヂェイル(第一)モーテル3万wにした。値段よりも使い勝手を考えた。びしょ濡れの靴やら靴下やらを乾かしたかった。筏橋の町歩きは明日するとして、先ずはソウルで買ったサンダルをつっかけて少しだけ散歩。鉄橋そばの橋を渡る。この鉄橋にも「物語」があることをその時は全く気がつくことなく、駅方面に歩く。駅前は、コマク(灰貝)を売る店が連なっている。魚を売る店ばっかりだ。駅前のコーヒー屋で一息。夕食にこの町の名産であるコマクを食べたかったのであるが、例によってコマク定食は全部二人前からだった。この魚家(어가)という食堂で、コマクビビンバを見つけた。やっぱり全羅南道、オカズが7つ出た。まあ、4つくらいは美味しかった。ビビンバはこれにご飯を混ぜて食べるのである。貝が見えるだろうか?確かに灰貝は日本では珍しい(日本では絶滅危惧種だそうだ)が、普通の貝だ。でもビビンバは美味しかった。明日は、この旅で最も印象に残る一日になるとはこの時は想像だにせずにモーテルに帰ったのでした(^-^)/。朝飯1400 バス3600 タクシー5400 和順→宝城2700 宝城→筏橋3600 昼食6000 コンビニ3900 宿代30000 コーヒー2500 夕食7000 夜食3000 Wi-Fi5500 合計 74600w歩数 23853歩
2013年02月21日
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キム氏のアトリエを辞したあと、バスはほぼ時間通りにやって来て、50分ほどで和順バスターミナルに着いた。東京荘に1時前に戻ることが出来た。びしょ濡れになった靴下を着替えて(主人は留守だったので)「カムサニダ!」のメモを置いて部屋にそのままになっていた荷物を持ってモーテルを出た。歩いて和順駅まで行くか、タクシーで行くか迷ったけれど、行ける処まで行こうと歩き出す。途中でこの店に入り昼食。オリ(鴨)料理の店である。オカズが7つも出た。やっぱりここは全州の近くだ。美味しかった。特に左の真ん中の海苔を少し乾燥させたのが美味しかった。鴨汁飯も、以前光州で食べた様に鴨肉が申し訳程度に入っているのではなく骨付の肉がどっさり入っていた。あまり肉はついてなかったけど、いい出汁がとれて美味しかった。この店は当たりです。遂に日記様のノートのページが全部埋まったので、ファミリーマートに入って新しいノートを探した。B5のノートでないと持ち運べないのだが、案外見つからない。結局この小さなメモ帳を買って日記代わりにすることにした。ついでにコンビニの中に椅子と机があったので、コーヒーも買って暫く日記を書いていた。私が喫茶店に求めるのは、ひとえに日記が書ける空間である。電源があればなおいいのだが、韓国ではその発想はまだないようだ。ともかく、コンビニでこんなにくつろげるのは、新発見だった。駅に向かう途中、また雨が降って来たので、仕方なくタクシーに乗る。距離的に絶対ワンメーターだろうと思っていたのに5400wも取られた。メーターに細工をしたのではないか?ともかくタクシーに乗ると、嫌なことが多い。和順駅である。麗だ。特に、トイレは無駄に大きく立派だ。時間割を見ると、一日に数本しか電車は来ないから、ほとんど客はいないのにこんなに綺麗なのは、何処かが歪だからだに違いない!
2013年02月20日
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休憩所があった。雨宿りをする。外は豪雨と言っていい。靴はずぶ濡れ、ズボンも半分濡れた。30分くらい経っただろうか、ともかく雷は去った。被雷の心配だけはなくなった。雨宿りしても止みそうにないので、道を急ぐことにした。休憩所から見えていた支石墓を見上げる。この投石支石墓(全長7m高さ4m重さ200t、世界最大規模の支石墓)、遺跡に彫り物をする感覚が私には信じられない。上には小石が投げられている。神聖なものに対するこの習慣は、日韓共通なのか。それとも、どちらかが輸入したものなのか。まだ支石墓群は続いているが「見るべきものは見つ」ということで先を急ぐ。突然韓屋の村にたどり着く。驚いたことに人が住んでいる。ここが대신の村なのか。なんか上品な村だ。それでもやはり廃屋はあった。遂にバスの대신停留所に着いた。けれども、いつバスが来るのかわからない。意を決して停留所に1番近い一軒の家のドアを叩く。バスの時間を聞くためである。ドアを開けたおじさんの後ろは作業場みたいになっている。「すみません、和順バスターミナルに行きたいのですが、次のバス時間は何ですか?」ちよっと不信に思ったみたいだけど、訪問意図を理解してくれたあとはとっても親切になった。「次は12時だよ」あと30分だ。バスはめったにこないということだったので、最悪のことも考えていたけど、これはラッキーだった。あとで聞くと、この停留所にバスが来るのは一日二回だけだと言う。ホントにうまく当たったのだ。「日本人か」「日本人です」(日本人パッシングは少しも警戒しなかった)「あと30分あるから、中に入って待ちなさい」「!ありがとうございます」濡れて寒かったので、とても嬉しい申し出だった。中に入ると、なんと版画を作っていた。作品もある。アーティストだったんだ!「中に入ってコーヒーでも飲みなさい」アトリエみたいな処で、コーヒーをご馳走になった。自分を紹介している本も頂いてしまった。自分の作品が載っている本も見せて頂いた。正直、現代版画はさっぱりわからない。けれど、作品の題名が「心の故郷」や「平和」となっていることに感銘を覚えた。「これは日本語で平和と言います」そうすると、何を勘違いしたのか何処で買ったのやら「日本版画変遷史」なる本を見せてくれた。それにしても、こんな本に18000円は高い。だって、浮世絵の口絵ページが全部白黒なんです。日本の古本屋で105円で売っている本でももっと良いのがある。(←と、ここまで書いて住所を聞いていれば、いい本を送れたかもしれないことに気がついた)キムヨンマン(金永晩김영만)氏である。快く撮影に応じてくれた。嬉しい30分の出逢いだった。キム氏のアトリエ全景である。感謝して和順に向けてバスに乗った。
2013年02月19日
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さて、和順支石墓公園入口は非常に寂れた野外展示場になっている。支石墓の小さい石はこのように運んだのだろうという展示もある。大きな石はこのように運んだのだろう、とのこと。百済時代の古墳もあった。これは竪穴式石槨墓か。ついに支石墓に出会う。なかなかデカイ。花畑では、作業員がいっせいに草刈りをしていた。アルバイトかな、と思ったが、あとで考えるとボランティアの可能性が高い。というのも、この次の日の筏橋で同じ光景に出会うからである。猫岩支石墓という。超デカイ。どうやって運んだのか。2-3千人は必要だったのではないか。この辺りは草の中に埋もれる支石墓も多い。支石墓群である。支石墓群である。採石場があるというので、登ってみる。下を見ると、池にこんな仕掛けが。「支石墓遺跡」と芝を刈って浮き上がらせている。ご苦労様。さらに登る。切りが無い。明確に石を切った処を見つけ切らなかった。こういう石を切ったのかもしれない。退却することにした。というのも、ついさっきから雨雲が近づいて来ていて、遠雷が鳴っているのである。水飲み場で少し喉を潤す。ものすごく蒸し暑いのだ。支石墓群に出会う。確かにものすごい数だ。遂に振り出した。天気予報は時々雨だったので、折りたたみ傘は持って来たが、すぐに靴の中が濡れ出した。さらに雨は強くなる。雷がなる。これは危ない。一瞬「ここで被雷したらどうなるんだろ」と考えた。
2013年02月18日
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8月22日(水)雲 和順→宝城→筏橋7時に出る。昨晩なぜかコーフンしてほとんど眠れなかった。テレビをえんえん見ていた。昔の映画をしていて、韓国の売春宿に勤めた女性の一代記である。70年代からほぼ現代にかけての売春宿の歴史がなんとなくわかった。いやらしい場面は殆どない。名作だと思う。オートバイを乗り回す青年とのプラトニックラブが縦糸にある。題名が最後までわからなかった。誰かご存知ないだろうか。(←後で調べると巨匠イム・グォンテク監督(「風の丘を越えて」「祝祭」「酔画仙」)の「娼 창」(1997)だった。シン・ウンギョン主演。偶然にも監督は、この旅で私に大きな印象を与えた筏橋を舞台にした映画「太白山脈」も作っていた)昨日日本語講師の娘さんの電話通訳で、荷物を預かってもらう約束をかわしたのだけど、何回か宿の主人のドアをノックしたが全然出てこない。自分の部屋に荷物を置いて出て行く。分かってくれるだろう。でも、昼過ぎには帰らなくっちゃ。7時過ぎから昨晩NAVER地図で調べたバス停で、218番バスを待つ。普通の店の前がバス停である。내신(ネシン)という処で降りてそこから一キロぐらい歩いた処が支石墓公園の入口なのである。ところが、一時間待って218番バスは二回来たのだが、どちらとも 내신では降りないという。お店の人に聞いても「わからん」という。これは「乗り場を間違えた」と思った私は、昨日のバスセンターまで戻り218番バスを待ってみた。根拠はない。もう一度言って見る。「支石墓公園に行きたいんですが、このバスは내신に行きますか?」「네신 じゃなくて、대신(テシン)だろ?支石墓公園ならば、ここだ」他の乗客もうなづいた。私は、不思議に思いながら乗る。(←後で検討すると대신の間違いだったみたい。ならば、最初に대신と言って乗ればこんなに苦労はしなかった?)ところが、バスはNAVER地図とは少し違う路線を通る。不安がMAXに達したころ、バスの運転手も不安になったのか途中で停留所になっている店の中に入り3分ぐらい経っても出てこない。やおら出て来たら「ここで降りろ」という。どうやら乗り換えが必要で、店の主人が説明してくれるらしい。そんなんだったら、自信ありげに大丈夫と言って乗せるなよな、と思ったが、素直に降りる。(路線バスの運転手がここまで乗客の世話をするのも韓国ならば、このケンチャナヨ精神も韓国らしい、とは後で思った)ここに載せているのは、本来行くはずだったバスのルート。どうしてバスの運転手が自信がなくなったかは、未だ不明である(←公園入口まで行かずに途中まで行くコースだったのかもしれない。それならそれでも良かったのだけど)。左下の화순고인들と書いているのが和順支石墓のことである。そして、この地図が結局私の行ったルートになる。多分綾州삼충각がある辺りでバスを乗り換えたと思う。雑貨屋の停留所の店の主人が説明してくれたのだが、どうやらここから出るバスは支石墓公園入口までは行かずに、近くまで行き、そこからタクシーで行くらしい。不正確な観光地図を見せながら一生懸命説明してくれる。世界遺産和順支石墓は細長い遺跡で、入口と出口を別々にしないと、歩いて回るにはとても効率が悪いのである。朝起きてから2時間後、9時に無事に道路沿いの도곡면の停留所に降りる。すぐそばにタクシーの発着所があったけど、当然のように「歩き」を選ぶ。店の主人はここから約4キロ先だと言っていた。お金ももったいなかったが、こういう処を歩くのが「旅」の醍醐味ではある。農協があった。こういう処にはだいたい農協がある。いかにも田舎然とした食堂とハルモニ。この辺りの練り壁は、均等に石が並んでいる。少し中を覗かせてもらう。この平野一帯が2000基もあるという支石墓の主が暮らしていた処だったのか。可愛い花が咲いていた。入口に着いた。4キロも歩かなかったと思う。
2013年02月17日
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今日は西大寺会陽です。 とっても寒い日ですが、この日を過ぎるとなぜか岡山が暖かくなる。 まさに「陽(春)」に会うのです。 倉敷のケーブルテレビでは2時間遅れの実況中継をしている。一升に一人の裸がせめぎ合い、宝木を奪いあう祭です。 去年は現場にいたけど今年はテレビで見守ります。誰が福男となろうと、明日からは 春です(^-^)/。
2013年02月16日
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一月は最初の一週間は韓国旅行、最後の一週間は例年の会報作りがいっこうに手につかずに「死んだも同然」状態(実質2.13までかかった)になった。それでも合計7本も観たのは、我ながらこの執念は凄いと想う。 「타워 タワー」 1月1日に、釜山の映画館で観ました。ソル・ギョングとソン・イェジン主演で、オールスターキャストで、金をかけたスペクタクル巨篇ということで、つまりはお正月映画です。劇場は久しぶりに9割が埋まっていたと思う。 韓国版「タワーリングインフェルノ」と言えば分かりが早いかな。江南に出来たツインタワーで突然の大火災。取り残された人々の命の行方、消防士の決断が描かれます。アメリカ3.11を想起させる映像は、どうなんだろうとも思うけど、ともかく韓国内では成功のようです。作品的には可もなく不可もなしという感じ。 ★★★ 「トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part 2」 Part1は新婚旅行のいちゃいちゃと、妊娠騒動だけで終あわってしまったが、Part2は見事に壮大に終わらしてくれました。吸血鬼映画というよりも、超能力戦争といった感じです。 それと、千年変わらない愛を誓う花畑の2人。完全に少女マンガファンタジーであり、それを堂々と描いたのがこの作品の成功の秘訣です。悲劇をちらつかせながら、期待を裏切らない展開というのも凄い処です。 (解説) ステファニー・メイヤー原作の人気小説を映画化し、人間の少女と美形ヴァンパイアの許されぬ恋を描いたシリーズの完結編。ヴァンパイアになったヒロインの娘をめぐるカレン家とヴァンパイアの王族との決死の戦いを臨場感たっぷりに描き出す。主人公を演じるのは、実生活でも話題を振りまいてきたクリステン・スチュワートとロバート・パティンソン。ついに最終章を迎える人気作の動向に目がくぎ付け。 監督:ビル・コンドン 原作:ステファニー・メイヤー 脚本:メリッサ・ローゼンバーグ キャスト クリステン・スチュワート ロバート・パティンソン テイラー・ロートナー ダコタ・ファニング ビリー・バーク ピーター・ファシネリ エリザベス・リーサー ケラン・ラッツ ニッキー・リード ジャクソン・ラスボーン アシュリー・グリーン マイケル・シーン in movix倉敷 2013年1月10日 ★★★☆☆ 「渾身」 主人公は青年とその家族というよりは、20年に一度、生涯に一度かけて行われる古典相撲そのものなのだと思う。以前、テレビのCMで「必ず一勝一敗にする」と紹介していたのでき、儀式化された神前相撲なのだとばかり思っていたが、とんでもない間違いだった(あの公共CMはろくなものがない)。最初の勝負に、選出された地域と人生をかけて、正真正銘の真剣勝負があるのである。それでも、勝ち負けが本当の目的ではないことも、みんな知っている。夜を徹して塩まみれになりながら、ぶつかり合う男と男。それはやはり、見応えのある映像だった。次はこの相撲のドキュメンタリーを見たいと思う。 (解説) 川上健一原作の小説をベースに、『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』などで知られる錦織良成監督が映画化した感動作。隠岐諸島に伝わる古典相撲を通して、家族のきずなやこまやかな心情を美しい風景と共に映し出す。島でたくましく生きる女性を『歌謡曲だよ、人生は』の伊藤歩が演じ、その夫を『メンゲキ!』などで俳優として活躍中の劇団EXILEの青柳翔が演じている。隠岐古典相撲を再現した迫力の取り組みと、家族のドラマに心が震える。 伊藤歩、青柳翔、井上華月、甲本雅裕、宮崎美子、笹野高史、中村嘉葎雄、財前直見、隆大介、中村麻美 in movix倉敷 2013年1月17日 ★★★★☆ 「96時間/リベンジ」 目当ての映画が見れなくなり、急遽予定を変更してこれを鑑賞。前作は観ていない。 世のマッチョお父さんの心情を代弁する作品。「娘よ、こんなお父さんがいたらいいだろ?こんなことは出来ないけど、気持ちはブライアンと同じなんだよ」というしがない中年男の指示を得ているんだろ。でも、良く考えて欲しい。復讐の連鎖はこれからも続くわけで、こんなお父さんがいたら、普通の母娘ならば一日たりとも怖くて外を出歩けないだろうと思う。 ハリウッド映画はいつもタカ派とハト派の作品が凌ぎを削っているのであるが、これは典型的なタカ派映画。正義のためならば、超法規的措置は必要ということがまかり通る作品(無実の地元警察を撃ち、パトカーを何台も壊しても仕方ないで済んでいる)。 前回死線を潜り抜けたらしい娘は、CIA顔負けの事をやり抜く。「24」の娘の名前もキムだった。彼女もあとあとお父さんの後を追うのだろうか。 (解説) 『シンドラーのリスト』などのリーアム・ニーソンが、すご腕の元CIA工作員ブライアンを快演したヒット・アクション『96時間』の続編。前作で壊滅寸前にした犯罪組織にとらわれたブライアンが、自分と同様に命を狙われる元妻とまな娘を守ろうとする姿を活写していく。メガホンを取るのは、『トランスポーター3 アンリミテッド』のオリヴィエ・メガトン。前作に続きマギー・グレイス、ファムケ・ヤンセンが共演。リーアムの無敵オヤジぶりもさることながら、疾走感あふれる描写やクールなアクションにも期待。 in movix倉敷 2013年1月20日 ★★★☆☆ 「 桃(タオ)さんのしあわせ」 「観たら、身につまされそうだな〜」というのが見る前の予想だった。結果的に言葉は当たっていたのであるが、内容は全く違ったものになった。私は四年前に亡くなった父の看病の事や、自分の老後の事を考えてしまうのではないかと思っていたのである。もちろん、その事も思った。しかし、それ以外に、私には世話をしなければならない身寄りの無い親戚がいるのである。彼ら夫婦の事を忘れようとしていた事に気が付いてしまった。彼らとの貴重な過去、彼らのプライド、そして忍び寄る最期の秋。今度誘って一緒に食事をしてみよう。もう何十年もレストランで食事をしていないはずだ。 ディニー・イップが凄い。彼女の感情がビンビンと伝わる。アンディ•ラウが修理工が似合う普通の男になっていて素晴らしかった。 香港の老人ホームの実態は、多かれ少なかれ日本の実態でもある。 (解説) 香港で暮らす市井の人々の生活を描き続ける女性監督アン・ホイ。昨年のヴェネチア国際映画祭で主人公“桃さん”を演じたベテラン女優、ディニー・イップが主演女優賞を獲得した事も追い風となり、中国、香港ほかで興収15億円以上の大ヒットを記録した本作は、誰にでも訪れる“老い”の現実を優しく、温かく描いた人間ドラマだ。企画に賛同し、共同プロデューサーにも名を連ねるアンディ・ラウがノーギャラで出演、アジアの大スターと往年の名女優、アジアを代表する女性監督の見事なコラボレーションと話題になった。人生の黄昏期を迎えた時、そばに誰かがいてくれる幸福がストレートに伝わり、親孝行の大切さに気付く感動作だ。 inシネマクレール 2013年1月23日 ★★★★☆ 「ストロベリーナイト」 ミステリーとしては、だいたい予測がつくし、ありふれた話。 肝は、美人を絵に描いたような姫川玲子主任刑事の抱える闇を彼女はどう決着つけるのか、ということになる。それもまあまあのありふれかた決着。 テレビシリーズで十分だと思える。プロデューサーの亀川千広さん、日本映画の未来にこんなのもありというのだろうか。98%ぐらい状況設定は雨。でも、それが映画の何になるのだろう。 (解説) 竹内結子がノンキャリアから警視庁捜査一課の刑事にのし上がったヒロインを熱演したテレビドラマ「ストロベリーナイト」の映画版。誉田哲也原作の人気ミステリー小説「インビジブルレイン」を基に、ある連続殺人事件に絡んだ思いがけない出来事のてん末を描き出す。主人公の腕利き女性刑事と道ならぬ恋に落ちる暴力団幹部を大沢たかおが好演。彼らの禁断の恋の行方はもとより、複雑に交錯してもつれ合う事件の真相に衝撃が走る。 監督:佐藤祐市 原作:誉田哲也 脚本:龍居由佳里 / 林誠人 キャスト 竹内結子、西島秀俊、大沢たかお、小出恵介、宇梶剛士、丸山隆平、津川雅彦、渡辺いっけい、遠藤憲一、高嶋政宏、生瀬勝久、武田鉄矢 in movix倉敷 2013年1月26日 ★★☆☆☆ 「東京家族」 最後に「この作品を小津安二郎監督に捧げる」とテロップが付く。原節子の未亡人はこの作品には出て来ない。その代わり、お母さんは末っ子の部屋に泊まり嫁さんになってくれる娘に出逢う。大きな変更はそれくらいで、後は「東京物語」のリメイクと言っていい。 震災で撮影を一年延ばしたそうだが、橋爪功のこの先の日本の未来を憂うる台詞が浮いて聞こえるのは私だけだろうか。それは、橋爪功が悪いのか、脚本が悪いのか、わからないが、結果責任は全て監督に帰結するのだから、山田洋次監督の責任だと言っていい。 しかし、丁寧に作られていることは間違いない。単なる目配せひとつが全て意味がある。 何度も「かんじのいい人」という台詞がいろんな人から発せられる。たとえ、親兄弟でもそういう言葉で常に相手を評価している。やがて家族になる人も、家族も、そういう風に確認しながら絆を作って行くのだろうか。 大きな所で「東京物語」と変わっていない。しかし、いろんな所は変わっているのだろう。一度見比べはしてみたい。 (解説) 『男はつらいよ』シリーズや『たそがれ清兵衛』『おとうと』などで知られる、山田洋次の監督81作目となるファミリー・ドラマ。瀬戸内の小島から上京し、自分の子どもたちと久々の対面を果たした老夫婦の姿を通して、現代日本における家族の在り方や絆などを見つめていく。『奇跡』の橋爪功、『人生、いろどり』の吉行和子、「古畑任三郎」シリーズの西村雅彦、『悪人』の妻夫木聡などの実力派が集結し、いつの間にか生じた隙間を埋めようとする家族を熱演する。随所にちりばめられた、山田監督による巨匠・小津安二郎の『東京物語』へのオマージュも見逃せない。 in movix倉敷 2013年1月27日 ★★★☆☆
2013年02月15日
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観光パンフをもらいに郡庁(市庁の様なもの)に行くと、ちょうど避難訓練をしていた。火災訓練かと思いきや、もしかしたら爆弾テロ訓練だったのかもしれない。煙が赤いのである。日本とは大きく違のである。韓国軍が登場し警察も銃を携行していた。いやあ、韓国ですね〜。パンフは四階の観光課まで行き、綺麗なお姉さんから三種類くらいもらいました。しかし、日本語パンフは無く、支石墓の行き方もわからなかったので、結局公衆電話の1330(無料観光案内)で聞いたのでした。その結果、なんとここから行くのは電話では上手く説明できないので止めたほうがいいという結論に達したのでした。茶店「カフェ・バンバン」があったので、入る。明日の計画を立てる。支石墓の行き方は、諦めかけていたが、ここでアイフォンでNAVER地図を見ていると、「行ける」と確信した。この喫茶店で日記もつけた。2時間ほど居たと思う。こういう田舎町にしては(田舎町だから、かな)、粋な小物をたくさん置いてあるコーヒー屋さんだった。「長居してすみませんでした」と言うと、これは何故か通じた。夕食は和城食肉食堂にした。この辺りは牛肉の産地なのである。だとしたら、久しぶりにソモリクッパ(牛の頭の雑炊)でしょう。私が写真に撮っていると、店の人が何故撮っているのかと聞くので「食べた料理は全部撮っている」と言うと納得してくれた。オカズもこの辺りになると全州式に少し多くなるのか、こんな感じ。ソモリクッパは正解だった。良い味出している。ビールも頼んだからか、話が出来たからか、もやしナムルをお代わりしてくれてニラキムチのオカズをおまけしてくれた。「コレ、美味い」とアジュンマに言うと「おや、そうかい」と胸を張った。気持ちよく店を出た。バスターミナルすぐ隣の店です。バスターミナルの規模で和順は田舎だと判断したけど、本当は違うかもしれない。宿の前にはこんなフレンチレストランもあって、客も入っていた。この日は全く思いつきで旅をしたけど、充実した一日だった。そして、明日も激動の一日になることをその時は予想だにせずに東京荘に帰って行ったのでした。朝飯2500 ジュース1000 昼飯5000 江景→西光州8000 西光州→和順 2600 宿代25000 コーヒー2500 夕食9000 Wi-Fi5500計 61100w歩数 24871歩次の準備が出来ていません。ちょっとだけ休みます。
2013年02月11日
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へジャンク(牛の内臓汁)を食べて大通りに出ると、何故か人だかり。みんな国旗の小旗を持って誰かを待っている。どうやら金メダルを獲ったアーチェリーのオ•チンヒョク選手の凱旋パレードらしい。真ん中の黒い服がチンヒョク選手です。決して右隣の大きく手を振っている人ではありません。この田舎町、全然群集にはなっていないけど、老若男女が集まり彼に声をかける人も多く、ホントに郷里が生んだヒーロー誕生なのかもしれない。電車でとりあえず西光州まで行くことにした。光州ではないのがよくわからなかったが、とりあえず大きな町に行けばそこからいろんなルートがあるだろう、という無計画な発想である。もしかしたら、観光案内所くらいは駅前にあるかもしれない。などと思っていた。大きな考えの甘さがあった。この電車には食堂車とまではいかないが、休憩車みたいな部屋があった。インターネットが出来るイスと小さな売店と簡便椅子がある部屋だった。西光州駅に着いた。なんなんだ、この荒涼とした風景は。人が全くいなくて、電車の連絡もほとんどない。一時間ほど逡巡し、全く情報は持っていなかったけど、ずいぶん前にむつかしいから止めろと言われて諦めた事のある世界遺産和順支石墓に行くことにした。スマホのNAVER地図を使ってバスルートを探す。バスを一回乗り継いで和順(ファスン)バスターミナルに着いた。物凄く小さなターミナルだった。なんと切符売り場が無い。バス二台分の発着場と猫の額の様な屋根のついた待合室があるのみだ。世界遺産があるとは思えない、パンフも地図もないバスセンター。バスの時間割も貼ってあるけど、支石墓の言葉はどこにもない。途方に暮れたが、先ずは宿探し。この町には江景とは違い、モーテルらしきものがちらほらある。東京荘という処に入ってみた。「部屋いくらですか」「25000wだよ」それで決めかけたけど、過去とんでもない汚い部屋にぶち当たったこともあったので「部屋を見ることはできますか?」と言ってみた。そんな簡単な言葉が通じないのか、女主人はやおら携帯を繋ぎ始めた。驚いたことに、私が日本人だと悟ると女主人は娘さんにかけたのであるが、彼女が日本語ペラペラなのである。聞くと、日本語の講師をやっているそうだ。通訳をしてもらった。おかげで電源の取り方(コンセントの場所)とか、明日の荷物を預かってもらうこととか、和順支石墓の行き方(これは彼女も分からなかったが)とか、細かい事で私の語学力では絶対通じなかったこともいろいろ便宜をはかってもらえて大変助かった。もちろん、部屋は借りた。綺麗でした。25000wクラスでした。
2013年02月10日
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他の家の欄間。飾りはよくある意匠のひとつ。市場にやって来た。塩辛だらけだ。アミエビの塩辛。基本ですね。市場は活発だった。モーテルに戻る。少し休んで、チェックアウト。駅で切符を買った。リュックを背負って、昼食に出かける。塩辛は買うとしたら、大きな入れ物に入れるしかなく、しかも高い。日本にはとうてい持って帰れないので、せめて何処かで食べたかった。ここは昨日夜でよく見えなかった日本式家屋である。外が開いていたので覗かせてもらう。木造の調度品に時代を感じる。後ろは障子だ。こういう家の造りは頑丈なのかもしれない。食堂を物色して、上手く見つけられない。ここぞという処に入って聞いてみる。「塩辛は食べることは出来ますか?」「食べれない」全く残念だ。ソンチへジャンクというのを頼んだ。オカズは何故かこれ。錦江流域もこのパターンになるのだろうか。へジャンクは美味しかったが、時間が無くて少し残した。アガシに「残してしまいました」と言ったが、伝わらなくてがっかり。
2013年02月09日
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江景が港として栄えたのは、地の利もあったかもしれないが、この王女峯の特徴的な目標があったからかもしれない。ここは塩辛の産地である。今年も10月に祭りがある様だ。かなり栄えた港だった。あの異様な鉄のクレーン(?)がどう動いたのかはよくわからない。塩辛展示館も覗いてみた。いろんな塩辛があるということだけ分かった。17世紀の竹林書院を横目で見て、さてモーテル方向に向かう。廃屋を見つけた。廃屋見学は考古学の発掘に似ている。想像力が決めてなのである。普段は普通の家の中に入れないが、廃屋だと、家の構造がよく分かる。今回はじっくり見てみた。昔ながらの造りだ。奥の部屋の向こう側には障子の窓があった。この上り框(かまち)は台所だったのかな。その台所から外を眺める。朝鮮の家はだいたいこの様に外に大きく開かれている。
2013年02月08日
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そして錦江(クムガン)がついに見えた。 王女峯の頂上の狼煙(のろし)台があったという処まで登った。 此処から遠く扶余の都を眺める事が出来る。何処が扶余か。 大きな山を地図で確かめて、その左下の小さな山の下に扶余の都があると、私は比定した。(この写真では中央の水平線辺り) ずっと右側に目を転じると論山の街も見える。 此処から北に向かって錦江を眺めたかったのである。この景色は、この旅の目的のひとつだった。何故ならば、この景色こそが遠い昔倭国の人びとがまるで一昔前の日本人がニューヨークに赴くような感覚で、外国の最新地域に行った時に最初に見えるサビの都(プヨ)が見える最初の景色だからである。また、おそらく此処から河口付近が有名な白村江の戦いの戦場地域だと思われるからである。(←後で検討した結果、実際の戦闘は此処より更に河口の群山に近い辺りでは無いかと思われる。だとすると、唐の軍船がこの辺りには集結していたのかもしれない。)この錦江の支流の中島に簡単な防波堤を作っていた。いつの時代のモノだろうか。 以下豆知識としてwikiから白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)とは何だったのかを少しだけ。 663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍(羅唐同盟)との間の、海と陸の会戦のことである。 百済の再起に対して唐は増援の劉仁軌率いる水軍7,000名を派遣した。唐・新羅連合軍は、水陸併進して、倭国・百済連合軍を一挙に撃滅することに決めた。劉仁軌、杜爽及び元百済太子の扶余隆が率いる170余隻の水軍は、熊津江に沿って下り、陸上部隊と会合して倭国軍を挟撃した。 倭国・百済連合軍は、福信事件の影響により白村江への到着が10日遅れたため、唐・新羅連合軍のいる白村江河口に対して突撃し、海戦を行った。倭国軍は三軍編成をとり4度攻撃したと伝えられるが、多数の船を持っていたにもかかわらず、火計、干潮の時間差などにより、663年唐・新羅水軍に大敗した。 同時に陸上でも、唐・新羅の軍は倭国・百済の軍を破り、百済復興勢力は崩壊した。白村江に集結した1,000隻余りの倭船のうち400隻余りが炎上した。 遮二無二突っ込んで行った倭国百済連合軍の船は、玄界灘を渡るくらいだから一定の大きさを持っていただろうが、帆船ほどは大きくなかったろう。この広い川幅や潮の干満などを一切考えなかったのだろう。孫子の兵法を自分のものにしていた唐の将軍には、戦さ慣れしていない稚拙な部隊に見えただろう。倭国はこの時より400年前(弥生晩期)に漢や楽浪郡の滅亡を見て、話し合いによって国の統一を果たした伝統を持つ(というのが私の説)。その教えを無視して大陸への野望を持った時に、その出鼻が砕かれてしまった経験は、私は大きな目で観て僥倖だったのだと思うのである。 話が変な方向に行きました。閑話休題。 少し展望台から降りて雑貨屋でジュースを飲んだ。おじさんたちは、朝からマッコリを飲んでいる。店のおばさんに「美しい景色ですね。扶余が見える」 と言うと、 店の裏まで連れて言ってくれて 「此処から見えるよ」と教えてくれた。 「あっちは論山だよ」 「そうですね。綺麗な処です」 王女峯の下に降りて、河辺に佇む。錦江を真近に見る。広い川である。 この様な川幅が河口付近まで延々と続く。唐軍船は大きいだろうから、170隻の軍団は相当長く伸びただろう。 タデの花にその記憶はあるだろうか。
2013年02月06日
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江景小学校から王女峯に向かう大通りは、さながら活きた博物館みたいに解放前の朝鮮時代から60年代くらいまでの建物がそのまま残っていて、大変楽しかった。まっすぐ王女峯に行かずに少し回り道して通りの一本外れた処も通ってみる。これは、長屋式の建物。これは古くないかもしれないが、韓国は日本よりも窓枠に凝ると思う。中国の影響だろうか。これは、完全に日本式の屋根瓦。これはこのあと王女峯に上る途中にあった由緒ある韓式家屋の屋根瓦。反りかえっているし、瓦の積み方が違う。中央教会のそばに神社参拝拒否先導記念碑があった。なぜ「拒否運動」までしなくてはならなかったのか、経過は知らない。ただ「日本によって宗教を強制されていた」と此処の人びとが強く意識していた、という証拠である。ここに彫られている神社の鳥居は、神様の門ではなく「屈辱と弾圧」の象徴である。かつ、それはこの一地域の話ではなく韓国全土にあった事だろう。 この近くに国内最初の神父であるキム・デコン神父遺跡地があるという。遊亭。1793年に建てられた矢場だそうだ。この時は思わなかったが、この様な土地柄だからか、アーチェリーの金メダリストが出たのかな。王女峯に登る。この大河に面した小山は、昔から飲み水が出るという事で、重宝された。水飲み場は幾つか薬水として管理されて残っている。今さっき歩いて来た日本人街の辺りを見下ろす。そして大河錦江(クムガン)がついに見えた。
2013年02月05日
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小学校から錦江に向かって歩く。大通りには、日帝時代から1960年代までの建物が全てそのまま残っていると言われている。活きた博物館である。何でもない建物が昭和時代を髣髴させる。まるで映画のセット。隙間から少し家の中を覗かせてもらう。箪笥が古い。洋靴店だったんだ。昔の看板は削っているけど、かすかに残っている。現在はランドリー店になっているここもそうだ。これは見事に残っていて、電気商会だったようだ。じゃあ左側のショウウィンドウにはラジオとかが展示されていたのかな。昔の窓枠。この美容院も昔と佇まいを全然変えていないだろう。
2013年02月04日
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8月21日(火)雲 江景→和順朝7時にモーテルを出て江景散策だ。江景にコインロッカーは何処にも無いし、モーテルのおばさんは無愛想だったので荷物を預かってくれそうな雰囲気は無い(金堤の経験がトラウマになっている)。荷物を取りに10時までに帰らないといけない。そのための早朝散策である。でも小さな町なので、三時間で十分回れるだろう。先ずは近くの오잉粉食屋で朝飯。오잉(おいん)の字が可愛い!今日は値段高めの野菜海苔巻き(2500w 175円)を頼んだ。美味しかった。昨晩の散策で夜の9時まで開けていた饅頭屋は今朝も7時過ぎから開けていた。精が出るな〜。江景高校には1930年代に建てられた校舎があるのだけど、門番のおじさんがジロッと睨んだので退散。小学校はすんなり入れた。子どもが1人もいない。そうか、今は夏休みだ。この古い建物も1930年代の築造。こんな可愛い銅像もある。日本の二宮金次郎よりよっぽど良い。「読書は心の糧」という名前がついている。今さっきの古い建物は今は体育館で使われている。朝鮮戦争の時に被弾した跡がある。植民地時代の日本が鍛えた職人さんはきっちりとした仕事をしていると思う。何度もいうけど目地を綺麗に揃えている。綺麗に揃えているということは、寸法が合っているということなのだ。
2013年02月03日
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電車がやって来た。江景(カンギョン)に着いた。駅前の道は少しさみしい。モーテルがなんと一軒しか無い。こんなに宿が無い町に来たのは初めてである。宿の受付で最初35000wと言われたが、渋ると直ぐに30000wに訂正された。実際部屋は3万w程度のものだった。まだ8時だ。せっかくなので、夜の江景に繰り出す。今日は20日だけど、解放記念日(8月15日)を祝う太極旗はまだ掲げられている。田舎の律儀さだろう。少し歩いて分かったのは、灯りが点いているのはなんと駅前一帯だけなのである。モーテルのあるこの辺り一帯がこの町のメインストリートなのか。少し外れると一気に灯りがなくなった。裏通りには、チャルチョッカル(魚の塩辛)の卸しみたいな店が軒を連ねていた。長屋通りに何軒か灯りが点いていて、人が涼んでいた。市場もあることはあったが、この時間当然閉まっていた。一軒開いていた市場の肉屋。あゝ今日は久しぶりに充実した一日だった(^-^)/。バス4800 お昼4000 SDカード 10000 電車7300 夕食6000 宿30000 Wi-Fi5500計 67600w歩数 20241歩
2013年02月01日
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