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「匈奴列伝」(「史記列伝3」より)司馬遷 野口定男訳 平凡社ライブラリー 太史公曰く (略)いま、匈奴についての世俗の意見は、一時に好都合な点を求めて、天子に諂って自説が採用されるようにつとめ、ただ一時の利害のみにとらわれて、我彼の情勢を考えあわせないきらいがある。将師は中国の広大をたのんで気をふるいたて、天子はその影響を受けて方策を決定している。それ故に、深大の功業を建てることができないのである。尭は聖賢であったが、独力では事業を興しても成就できず、禹という賢臣を配下に得てこそ、中国全土は安寧であったのである。ともあれ、聖天子の統業を興隆させようとするならば、ただ将軍・大臣の選任にこそ問題があるのである。ただ、将軍・大臣の選任にこそ問題があるのである。(50p) ここまでハッキリと、「現代の政治」ひいては独裁者武帝を批判した文章は、他の列伝と比べても空前絶後なのではないか。 司馬遷が描いた匈奴の歴史は、匈奴の王の性格までは描けない。ひとえに、漢の側の資料を元に交戦と和睦の事実を描くのみ。(司馬遷の書いたのは、北方謙三「史記」の四巻の前101年まで)李陵や李広利については、一言も書いていない。しかし、ここにある「将軍」は李広利以外の何者でもないだろう。 匈奴戦は、武帝が権力を持つことが出来た源泉であり、なおかつ晩年において政治を誤り、司馬遷に屈辱を与えた、1番の「歴史」だった。 この文を書く時に司馬遷は死を覚悟しただろうか。「いや、当たり前のことを書いただけだ」と、そんなことを意にも止めなかっただろうか。私には、わからない。 2013年11月14日読了
2013年11月30日
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「史記 武帝紀4」北方謙三 ハルキ文庫 帝に即位しても、制約を受け続けた。その制約にはじっと耐えた。耐えている間に、帝の心の中には、何か暗いものが醸成されていった、と桑弘羊は見ていた。 帝が成長するにしたがって、制約は少しずつなくなっていった。その間、じっと耐えていただけでなく、帝は衛青という武人を見つけ、苛酷な試練の中で、大きく育てあげていったのだ。 帝の非凡さがなければ、衛青という非凡な軍人は育たなかっただろう。 自らの非凡さで未来を切り拓き、匈奴戦に勝利という、輝かしい結果を出したのだ。明るい光に、満ちていた。しかしその明るさの底から、時折、暗いものが頭をもたげるのを、桑弘羊は何度か感じた。 陳皇后が廃されたときがそうであったし、張湯が自裁に追い込まれたのもそうだった。 それでも、泰山封禅という、漢の帝の誰一人もなし得なかったことを、実行したところまで、暗いものは輝きで消されていた。 泰山封禅を終えたころから、帝は、自分が死なないと思いこみはじめた、と桑弘羊はしばしば感じた。天の子なるがゆえに、不死である。いくら思い込もうとしても、死ぬだろうという、自覚は別のところにある。死なないというのは、死の恐怖の裏返しでもあったのだろう。 ほぼ全てのものを手にいれても、それは一瞬で死が持ち去ってしまう。その理不尽を、天の子であろうと受け入れなければならない。 そこから、なにかが曇りはじめている。ただ光に満ちていた人生に、霧のようなものがたちこめてきている。(382p) 大司農になってしまった桑弘羊は、今のところ1人のみ処罰もされないでずっと帝の側にいる。その桑弘羊から観た劉徹論である。実は桑弘羊は、司馬遷「史記」には記述されていない。司馬遷の亡くなったのちに死んだからである。しかし、一巻目からずっと桑弘羊から見た世界がこの「史記 武帝紀」を彩っている。よって私は、桑弘羊こそが筆者(北方謙三)の分身かもしれないとさえ思うのである。 全七巻のちょうど真ん中。遂に北方版「史記」の主要人物が、歴史の舞台で活躍を始める。 司馬遷は、父親司馬談の「私の仕事を受け継ぎ、歴史を書きあげてくれ」という遺言ともいえる言葉に出会う。しかし、「史記」にある「憤死」は、司馬遷の主観であったという描き方になっていた。 李陵は「霍去病に並ぶ軍才がある」と衛青に認められていた。しかしこの巻では戦は起きない。 蘇武が終に匈奴の囚われの身となる。 ずっと北方謙三版中国歴史物語を読んで来て、桑弘羊にしろ、司馬遷にしろ、蘇武にしろ、ここまで文官が主要人物として登場して来た物語はない。しかし、当たり前といえば当たり前、歴史は戦争によって紡がれるものではない、むしろ政治の延長の上に戦争があるに過ぎない。これは北方謙三の新たなる「挑戦」というべきなのだろう。 2013年11月13日読了
2013年11月29日
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【送料無料】 うその楽しみ 中学生までに読んでおきたい哲学 / 松田哲夫 【全集・双書】 ただ今、ある都知事の借用書に対する「言い訳」が、巷の話題になっているらしい。詳しいことは知らないけれど、小学生が書く様な借用書を振り回して「私の言うことはホントだ」と言っているらしい。 テレビは「この書式は法律的には云々」「なお残る三つの謎」とかはしゃいでいる。楽しんでいる、と言っていい。その事態を見ていて、最近読んだ柳田国男の「ウソと子供」という文章を思い出した。それを読むと、つくづく日本人はウソを楽しむ民族だったらしい。 鷽(うそ)という鳥がある。鶯(ウグイス)ではない。「醒睡笑」という本に「鷽という鳥は木のそら(てっぺん)にて琴を弾く(足を踏み変える)ゆえに、うそをそらごとというなり」と書いているらしい。 「町の女たちは何かというと「ウソよ」とか「ウソおっしゃいよ」などと、平気でいう人がたくさんあるのである。これをうっかり英語などに直訳して、you lieだのlierだのと言おうものなら、それこそ大変な騒ぎになるだろう」 ウソは娯楽の一種だった。または、人生の中ではどうしても敵を欺く必要があった時のための「実習」でもあった。 やがては、ウソの競技も出てくる。専門家も出てくる。柳田国男は秀吉の寵を受けた曽呂利新左衛門を例に上げている。私は「そうか、落語家はこうやって出て来たのだ」と思った。 柳田は世の母親に「子供がウッカリうそをついた場合」のことをこうアドバイスしている。「すぐ叱ることは有害である。そうかと言って信じた顔をするのもよくない。また興ざめた心持を示すのもどうかと思う。やはり自分の感情のままに、存分に笑うのがよいかと考えられる。そうすると彼等は次第に人を楽しませる愉快を感じて、末ずえ明るい元気のよい、また想像力の豊かな文章家になるかもしれぬからである。」 多分某都知事は親からその様に笑われたことはなかったのだろう。もちろん、柳田は「ウソ」と「欺く」をきちんと区別している。「自分勝手なウソをつくのが「欺」くであって、アザムクはアザ笑うなどと同じく相手を愚と認めること、すなわち仇敵を意味するアダと、もとは一つの語だったらしいのである。こういうことをすれば、すなわち悪人で、これと曽呂利との境目はほんの紙一重であった。」 某都知事は「相手を愚と認めて」いるのだろう。日本人は優しいから、彼を笑ったりしていつか「いい大人」になることを期待しているけど、決して悪人から立ち直ることはない。都知事の間は。
2013年11月28日
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秘密保護法案が26日衆議院で強行採決されました。抗議の意を込めて27日の朝にコンビニに寄って、岡山県出身の国会議員10名にFAXを送りました。おくったのは、衆議院議員の逢沢一郎、津村啓介、阿倍俊子、橋本岳、加藤勝信、参議院議員の江田五月、片山虎之助、石井正弘、山下貴司、平沼赳夫です。舞台は参議院に移っていますが、衆議院の先生方も党議には影響があるはずです。 特定秘密保護法案の危険性については、このブログを読んでいる人には細かくいう必要はないと思います。 憲法の基本原則を踏みにじり、戦争する国づくりに道を開き、国民の知る権利を侵害し、外交、原発、TPPなども更に秘密裡に進められる、希代の悪法です。 しかし、あまり強くは書きませんでした。平和大会で聞いた様に、継続審議になれば、年明けでは予算審議で審議は四月にずれて、その時には消費税があるので強行採決は出来ない、半年の猶予が与えられるのです。この法律は、時間があればあるほど、国民世論は反対が多くなります。そうさせます。 だからこそ、彼らは強行採決をして来た。ギリギリの闘いです。 (追記) 恥ずかしながら、指摘がありました。「廃案」と「抗議」の字が間違っておりました。慎んで訂正いたします(^_^;)。
2013年11月27日
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「ビックイシュー」227号をゲットしました。今回のインタビューはザ・エックス・エックスとか、伊武雅刀さんとか、加藤登紀子さんとかだったのですが、注目したのは、特集「原発閉鎖をチャンスに」で巻頭投稿をしてくれた「もんじゅ君」の文章でした。 知っている人は知っているとは思いますが、もんじゅ君とは、3.11のあとに高速増殖炉もんじゅが突然自らの廃炉を訴えてカミングアウトを始めた「キャラクター」です。私は「高速増殖炉もんじゅは、なぜ欠陥だらけなのに政策からリタイアされないかのか」に、もんじゅ君が分かりやすく答えてくれていて、目から鱗でした。 (以下一部書写し) どうして日本がすなおに「高速増殖炉なんてやめる!」っていえないかというと、「原発から出た使用済み核燃料は、六カ所村再処理工場でリサイクルして、それを高速増殖炉で使いますよ。だから、ゴミ処理もバッチリ」という建前があるから。 だけど六カ所村だって全然完成していないし、この核燃料サイクル計画はとっくに破綻しているんだ。 でもそれを認めたら、日本中にある使用済み核燃料の処分方法を本気で考えなくちゃいけなくなるし、ゴミの行き場がなくなって、原発も動かせなくなっちゃう。それでウソの建前を守り続けるために、ボクもんじゅのことも「あきらめないフリ」をしてるの。 ‥‥そうか、そうだったのか!てっきりゼネコンの利権とかの大人の事情とかと思っていたけど、全然違うじゃん。これはまるで「ウソがばれていても、ばれていないと言い張っている中学生」そのものじゃないか。けれども悪いことに、この中学生には叱ってくれる親も先生もいないのだ。
2013年11月25日
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「兄のトランク」宮沢清六 ちくま書房 死の10日前に教え子に出した手紙には「私の惨めな失敗は、まだまだ慢心という気分が残っていたため」と深く反省して書いている。 9月17日から19日までは、花巻の氏神の祭りで、この年は津波はあったが大変な豊作で、天気も良かったので町には山車も沢山通っていた。最後の祭りの晩には、賢治も門の前に出て御輿の渡御をおがみ、その後で肥料の相談にきた農家の人と長く話しこんでいたが、そのためか次の日はひどい熱が出たのである。 あまり苦しそうなので、私はその晩二階の兄のそばで寝むことにしたのだが「こんやの電燈は暗いなあ」と言ったり、「この原稿はみなおまえにやるから、もし小さな本屋からでも出したいところがあったら発表してもいい」と言ったり、悲しいことを話したのであった。 翌日の21日の昼ちかく、二階で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」という高い兄の声がするので、家中の人たちが驚いて二階に集まると、喀血して顔は青ざめていたが合掌して御題目をとなえていた。 父は「遺言することはないか」と言い、賢治は方言で「国訳妙法蓮華経を一千部おつくりください。表紙は朱色、校正は北向氏、お経のうしろには「私の生涯の仕事はこの経をあなたのお手もとに届け、そしてその中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られますことを」ということを書いて知己の方々にあげてください」と言った。 父はその通りに紙に書いてそれを読んで聞かせてから「おまえも大した偉いものだ。あとはなにも言うことはないか」と聞き、兄は「あとはまた起きてから書きます」と言ってから、私どもの方をむいて「おれもとうとうお父さんにほめられた」とうれしそうに笑ったのであった。 それからすこし水を呑み、からだ中を自分でオキシフルをつけた脱脂綿でふいて、その綿をぽろっと落としたときには、息をひきとっていた。9月21日午後1時30分であった。(初出1969「宮澤賢治全集」別巻) ふと賢治の今際の際の言葉が気になって、久しぶりに弟さんの「兄のトランク」を紐解いてみた。私の生涯に大きな影響を与えた小学校の時のクリスマスプレゼント「伝記宮沢賢治」では、最期の時にお父さんに法華経を配ることを頼んだあとに「ほかに無いか」と聞かれて「(原稿については)あれは私の迷いの産物ですから、処分はお任せします」と述べたことになっていた。そのことを思い出したのである。私がいますぐに死ぬとしたなら、おそらく書物にしたならどんなに頑張っても1000ページは超えるであろう、このブログの中味を「私の迷いの産物ですからちゃっちゃと消してください」と言えるだろうか。と考えたのである。賢治の作品群は、そうは言っても幾つかは出版を考えたモノがたくさん残っていた。客観的には日本文学の宝物であるが、賢治の主観的にも思い入れのあるモノであったことは間違いないのである。それであるにも関わらず、賢治は死ぬ間際に「捨ててくれ」と言ったのだ。と、私はずっと信じていた。 ところが、この本を読むと清六さんに遠慮がちながら、出版を頼んでいたのである。私が伝記を読んだのは1970年ごろ。この略伝のホントの初出は1964年とある。その後1979年版は加筆したそうだから、最初の時には違うように書いていたかもしれない。しかし、ちょっとホッとした。 でも、このブログの中味、放って置いたら消されるのは明らかであるが、果たしてそれでいいのかは一度考えなければならない。客観的には「迷いの産物ですから」になるのは明らかである。 賢治の最期は、しかし「大した偉いもの」だった。こういう死に方を、私もしたい。 久しぶりに清六さんの文章を読んだ。文章は決して大気圏を飛び出さない。地に足のついたかっちりとした文を書く。1990年代の初め、岩手県を旅した時に、私は賢治の生家の玄関を写真に撮っていた。その時にちょうど玄関に現れて一言ふた言交わしたのが、清六さんだった。岡山から来たのだ、と言うと玄関の写真を撮ることを許してくれた。それ以上は緊張して何も喋れなかった。背が真っ直ぐで大きな男性だった。その後数年後に亡くなったのである。思えば、あの玄関先に9月19日賢治が病を押して御輿を観に出たのだ。家の前に小川が流れていた。 この本で、清六さんはイギリス海岸に想いを馳せていろいろ書いている。200万年前の新第三紀の泥岩層で、賢治の頃には100万年以前には絶対人類はいなかったと信じられていたし、恐竜の証拠もなかった。しかし賢治は詩の中で「尖れるくるみ 巨獣のあの痕/磐うちわたるわが影を」などと描いていたらしい。そのあと、巨獣「ハナイズミモリウシ」や「ワカトクナガ象」や「キンリュウ大角鹿」などの化石が見つかったのだという。「どうして今後、イギリス海岸付近からも先行人類や巨獣の骨が見つからないと断言できようか」と清六さんは書いていた。まさに「あまちゃん」で出て来たように、恐竜の化石はその近くから出て来たのである。今後賢治や清六さんの予言通り、人類の骨が出て来ても決しておかしくはない。実際、清六さんはイギリス海岸でくるみの化石を50個も見つけたらしい。その時代の人類はパラントロプスだったらしい。清六さんは菜食の人類だったと考えている。そしてやがて、オーストラロピテクスという肉食人類に追われた、と考えている。まるで賢治のように。 2013年11月13日読了
2013年11月24日
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「獣の奏者外伝 刹那」上橋菜穂子 講談社文庫 恋をしたとかなんとかは親の身勝手にすぎない。生まれてくる子の幸せを考えるなら、エリンのような立場にある者は、親になどになってはいけないのだ、と。 皿の底に残った透明な汁をすくいながら、わたしは小さくため息をついた。 (そう考える人には‥‥) エリンの気持ちはけっしてわかるまい。 あの子はよしとしなかったのだ。ー飼われた王獣のように、去勢された生を生きることを。国政に押しつぶされ、生き物としてあたりまえに生きることをあきらめる‥‥そういうことを、よしとしなかったのだ。 それでも、心を支えているのがそういう「思想」だけだったなら、彼女は子を産もうとは思わなかっただろう。ー惨い仕打ちを受ける母を見なければならないことが、子どもにとってどんなことか、彼女は誰よりもよく知っているのだから。 それでもなお、エリンが子どもを産む気になったのは、彼女の心のもっと深いところで、これまでの暮らしを幸せだったと感じているからなのだ。 ‥‥生まれてきて、よかった。 ジェシに乳をやりながら、エリンがそうつぶやいたことがある。(274p) 上橋菜穂子の作品を読んでいると、架空の物語の中の話というよりも、人類史の中で女性の思ってきた想いを代弁しているという気が時々する。共同体の中で、産むということに制限をかけられた無数の女性たちの、それでも産むことを決意する女性たちの代弁者である。(単なるストーリーテラーとしてではなく)女性の産むという行為を根源の処で描こうとするのは、彼女の出身が人類学者だったことと無関係ではないだろう。 「獣の奏者」本伝は、「人類は自然への介入をどこまで為すことができるのか」という壮大なテーマを扱って見事に完結した。その一方で外伝は、女性の人生と性を扱ってブレがなかった。 そのとき、父が言った言葉は、いまも胸に深く刻まれている。 ー雌雄が交わって実を結び、次代を育む花もあれば、自身が養分をしっかり蓄えて根を伸ばし、その根から芽を伸ばして、また美しい花を咲かせる植物もあるのだ。(364p) 若い時の恋を封印し一生独身を通したエサル師を、著者はそのように励ます。それもまた、人類史的な励ましである。そしてまた、私をも励ましてくれた。 2013年11月10日読了
2013年11月23日
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「里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く」藻谷浩介 NHK広島取材班 角川ONEテーマ21 . 木屑で発電し、石油・石炭の値段に左右されない地域経済を営もうとしている地域がある。この秋私は真庭市を訪れ、そこの「バイオマス政策課」で担当者からほんの少しだけ説明を聞いた。その時に彼は「こういうことが出来るのは、この地域にたまたま製材産業があったためや、他の条件が重なったためです」と、わざわざ断りを入れたものである。石油よりもコストが安く、CO2も出さないこのエネルギーが日本の未来を救うのではないかという顔を私がしたためだろうと思う。この本によれば、真庭市のエネルギーは11%を木のエネルギーで賄っていると書いているが、実はこの数字、既に古い。私が見たのは13%だった(と言うことは、約1年で2%増えたということだ)。再来年四月には、市の全世帯の半分の電力がまかなえる発電施設が稼働するという。確かに、それもこれも、豊かな森林とそれだけの木屑を産み出す製材が製品化されなければ、出来ないことなのではある。その意味では、担当者の言うことは正しい。だがしかし‥‥。 私の住んでいるのは、岡山県なので、この本の元になったNHK広島の「里山資本主義シリーズ」は何本かを観ている。テレビの映像でイメージはわかっていたのであるが、世界経済として自立発展している様子は、やはり活字で読んで初めて知ったことが多かった。 現在アメリカを中心に世界を覆う「マネー資本主義」。それに盲目的に従う日本政府と財界。この動きに大いなる「不安」を感じているのは、私だけではないだろう。 著者は里山資本主義をマネー資本主義の歪みを補うサブシステムである、と一概に控えめに書いている。しかし私は、マネー資本主義のカウンターシステムとして、その主張をするべきであると思うし、本を読んで十分にその資格があると思う。もちろん、バイオマスは再生可能エネルギーの一翼でしかないし、直ぐにということではなく、50年後ぐらいが目安だとは思うのではあるが。 現在、マネー資本主義は弱肉強食がもたらす「奈落の底」へとズルズルズルズルと国民を引き込んで行こうとしている。それは、3.11という究極の黒船でも変わらなかった。結局は国民が自らの手でそのトビラを開けなくてはならないのだ。里山資本主義という、一つのアンチテーゼを携えて。 2013年11月2日読了
2013年11月22日
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「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」在中日本人108人プロジェクト編 阪急コミュニケーションズ 予想以上にキチンと作られた本だった。編集意図はもちろん「2012年9月に反日デモが発生したが、そのニュースの裏側で中国の素顔はどうだったのか」というものである。この本はそれにも答えてはいるが、図らずも様々な職種の日本人を登場させて、キチンと原稿を回収していることで、在中日本人の文化体験記録にもなっている。 私はデモの発生当初から日本のニュースと在日日本人の反応に偏りがあると感じていた。というのも、その半月前に韓国に対する日本人の反応にウンザリするような偏りを感じていたからである。半月前に私は一ヶ月の長期韓国旅行をしていた。当時当の韓国内では、竹島に韓国大統領が渡っていて日本で大ニュースとして扱われていたらしいが、オリンピックサッカーで韓国が日本を破ったニュースよりも小さく扱われていたのである。8.15に私は従軍慰安婦集会に参加したが、何の危険も感じなかった。それよりも韓国の田舎町を旅して自分が日本人と知られても、親切は受けたが嫌な思いは一切しなかったのである。ところが、帰国するとみんな一様に「大丈夫だった?」と言うのである。 この本を読んで、韓国の事情と中国のそれとはやはり少し違っていて、中国で全て安全とは言えないとは思った。しかし、大まかでは、在日日本人はやはり色のついたマスコミの眼鏡でしか、中国を見ていないと思ったのである。 現在中国には14万人以上の日本人が住んでいるそうだ。日系企業は22000社。日本の対中直接投資額は国別で一位(全体の約6.6%)、日本の貿易総額に占める中国の割合も約2割に達し、米国を抜いて最大の貿易相手国である。 我々はこの巨大な国と付き合っていかざるを得ない。それなのに、相手の目を見てモノを言わない昨今のコミュニケーション下手の若者のような付き合い下手を、我が日本国首相は晒しているのではないか。この本の誰かが言っていたが、「相手は顔かたちは似ているが、外国人なのである。生い立ちや習慣や性格が違うのは、当たり前」なのである。日本人は「中国人は「はい」と言っておきながら、なぜ指示に従わず仕事をしてしまうのか」と思っているだろうが、中国人も「日本人はなぜあんなに細かいのか」と思っているだろう。 大変刺激に富んだ本だった。 その他、記録メモを幾つか。 ●「寿司緑川」料理長の好きな中国語は「不客気(どういたしまして)」。「謝謝!」と言うと、みんなこの言葉を返す。日本では死語になりつつあるのに。 ●俳優矢野浩二が、最近抗日ドラマにも人間味のある軍人とかが出てくる様になったと言っている。彼は現在抗日戦争期に八路軍に入隊した元日本軍人の役で長期ロケに入っているらしい。 ●原田燎太郎(35)は、在中10年、ハンセン病支援NGO「家JIA」代表として、中国人にボランティアの裾野を広げている。 ●藤田康介(39)在中17年は、台湾系のクリニックで、中国伝統医学の医師として日々上海で診察している。 ●在中10年の高校生天野端月さん(15)は言う。「(お互いいい感情を持てないのはなぜか)それは、多くの人が国と国との関係にとらわれ、不安や恐怖を必要以上に感じているからではないでしょうか」 2013年10月26日読了
2013年11月21日
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日本平和大会in岩国レポート4日本平和大会in岩国の閉会集会です。最初に北海道矢臼別演習場での場外着弾事件を、歌と語りと踊りで2人で10数人を演じ分けながら、分かりやすく説明してくれました。反戦地主や青年、主婦、自衛隊員、防衛局、米軍等々が入り乱れての力作です。ニュース「能」とでも言うべき見事な作品でした。米兵横須賀殺人事件の原告、山崎さんが最高裁で控訴棄却されたことの報告に立ちました。2006年の岩国大会の時に、原告として決意表明していたのが昨日のようです。高裁は「米兵の管理は、日本人の生命を守るためのものではない」と述べたそうです。「日米安保は日本人を守らない」ことの証明がここにあります。7年の闘い、ご苦労様でした。自衛隊の国民監視差止訴訟を支援するみやぎの会より、仙台地裁で「監視は違法」の判決を勝ち取った報告がありました。高裁でも、証人尋問によって、一般人のすべてのプライバシーが監視の対象になることを明らかにしています。秘密保護法が出来た時には、空恐ろしくなります。東京自衛隊ウオッチング9条の会から、自衛隊練馬駐屯地の祭で子供に銃を触らせていたのを訴えた経験の報告がありました。とりあえず、捜査中は銃の体験展示は中止になったそうです。これは全国の自衛隊に広がっています。また、米軍でも抗議したら、止めたそうです。「自衛隊が国防軍として、勇み足で出て来ている。その出鼻を挫く闘いをしていきたい」大会は1200人の参加で、成功しました。終わったあとに、岩国駅まで、「オスプレイ反対」「ストップ秘密保護法」と参加者全員でパレードをしたのでした。
2013年11月19日
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日本平和大会in岩国分科会報告 3 引き続き、一日目の平和大会レポートです。 分科会の発言では、主に秘密保護法案に対する闘いの報告が相次ぎました。 埼玉からは、9月の藤原紀香さんのパブリックコメントへの訴えで、ビックリして動き出したとのこと。10.16に内藤功氏を呼んで学習会、その場で「制定を許さない会」を結成、精力的にデモをしている。また、リーフを作って、非常に好評。あっという間に7ー8万枚まいている。 愛知の学生、11月「秘密保護法を阻止する学生の会」結成、週2-3回会議。学生も知らないけど、先生も危機感がない。この前講義棟に置きビラをしたら、1/4しか余らなかった。聞くと、先生がビラを評価してくれたらしい。少しづつ広まっている。 長野県。12月議会に全自治体に対して請願を出す。9条の会や民主団体、平和委員会と一緒に出すように準備。12月で、たとえ手遅れになっても自治体としては決めてくれ、とお願いする予定。内藤功さんは「破防法は制定されたけど、発動をほぼさせなかった。運動をすれば、発動させないことも可能だ」と言われた。 広島の男性は、米軍戦闘機の騒音の学習会の時、制服が誰がどんな発言をしていたかチェックしていた。彼らは常に私をチェックしていて、スパイ工作もして来る。秘密保護法はそれを公然と認める法律だ。 山口。秘密保護法案の阻止のために座り込みやデモをした。 茨城。11月7日20団体で結成総会、14日に水戸市内で20年ぶりの昼デモ。この二つとも、地元新聞で報道された。 広島。国会で議員回り。維新の会のみ、秘書なのに受け取らなかった。 新婦人。全国からの報告が届く。10月は署名行動をしても、失敗例が多かった。次第に「私たちの問題だ。」と署名が取れ出した。ここ2日間は、「40筆取れた」という報告ばかり。ここ数日で、急速に広まっている。議員要請や昼デモ重要。 最後に井上正信氏のまとめ。 草の根からの反撃が広がっている。野党が修正協議で通そうとしているが、廃案しかない。今は雰囲気が大切、わけのわかってない議員も多い。地元からの議員要請は大切。当初政府は、15日に衆議院を通そうとしていた。これが既にずれている。これからの闘いが重要。 報道では、21日にも再度強行採決をしようとしているらしい。なんとしてでも阻止しましょう。
2013年11月18日
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日本平和大会in岩国分科会報告 2 特別報告では、高江で「スラップ訴訟」を闘っている伊佐真次さんが発言しました。ヤンバルクイナの森、高江にヘリパッド基地を作ろうとする政府と米軍に対して2007年から6年間も闘っている住民たちのことは聞いていました。けれども、その彼らに対して理不尽な裁判が起こされていることは、あまりよく知らなかったのです。伊佐さんは云います。 「北部訓練場の半分が返還されることになった。その代わりに、ヘリパッドを高江に移設するという。それに抗議して、高江の住民は二度に渡って反対決議をあげました。けれども「国策だから」作るという。2007年に工事再開宣言。私たちは座り込みを始めた。どんな基地にするのか、それがわからないままでは私たちは納得出来ないのです。けれども防衛局は「米軍の運用上の問題だから」答えない。2008年12月、突然那覇地方裁判所から防衛局による通行妨害の仮処分訴えが来ました。これは想定外の攻撃でした。見ると、証拠として、ブログ、新聞へのコメント、近所のパイナップルの差し入れ、座り込みの写真や動画、果ては7才の女の子まで訴えられたのです。よく見ると、名前を間違っていたり、非常に杜撰なものでした。裁判の途中で、私(伊佐さん)1人が妨害者として残りました。ホントは誰でも良かったのでしょうが、狙い打ちされたのだと思います。今は最高裁に上告中です。証拠を見ると、職員やダンプカーが中に入れないというけど、入ったことは明らか。「立ち話もなんだから座ろう」と話をしていたのを「妨害を指揮した」となっている。私がダンプカーを止めた?手を上げた?そんなことはしていない。人からは「伊佐さん、暴れてないじゃない。どうして呼ばれているの?」と言われる。これが通ったら、なんの運動も出来ない。原発運動もマンション建設阻止運動なんかにも影響がでます。国や企業などの公権力がこういう「イジメ裁判」を起こすことを「スラップ訴訟」と言います。これらは、国際的には無効です。それを訴える署名を回していますので、是非御協力ください。裁判になれば、仕事を休まないといけないし、労力もいる。私はまだいい。けれどもこれが通れば、住民運動には打撃です。そして、私たちは、ヘリパッド基地にはどんな機種が来るのか、どんな訓練をするのか、騒音はどれくらいか知りたいと運動しているのです。秘密保護法案ができれば、これを聞くのも罪になる。大きな不安があります。」 また、1月19日の名護市長選の訴えもされていました。これに勝利すれば、政府は次の手が打てなくなる。そうなれば、アメリカから見放される。そういう意味でも重要な選挙です。 森住卓さんが分科会に来られていて、サイン入りカレンダーをゲットしたのですが、発言はありませんでした。けれども、証拠になったという伊佐さんのでている動画を見させてもらったのですが、雰囲気としては、私がフラフラと座り込みに参加しているのと同じようにしか見えませんでした。ということは、普通に集会に参加しても、訴えようとしたら訴えることが出来るということです。怖いです。 左が伊佐さん、右が森住卓さんです。
2013年11月17日
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ただいま岩国に来ています。日本平和大会in岩国への参加です。諸事情より2日目からの参加になりました。 今日は「日本国憲法を守り、生かして平和な日本を STOP秘密保護法 戦争する国づくりにNO!」という分科会に参加しました。 午前中の報告者は弁護士の井上正信氏。いま、次々と繰り出される悪法は明確に自民党改憲案の実現を目指している、として国家改造基本法案としての「国家安全保障基本法案」、日本版CIAを目指す「日本版NSC設置法案」、そしてその二つを結びつける秘密保護法案の三点セットについて解説してくれました。 この三点セットは要するに「日本の国のあり方」をめぐるせめぎ合い。短い時間でそこまで語ってくれました。刺激的でした。 氏は、安倍政府は「見捨てられる恐怖にとりつかれて日米同盟基軸論にしがみついている」そこが最大の弱点だという。アメリカが中国を取り込もうとして、それで見捨てられないように一生懸命自分を高く売っているのだ、と。実際改憲して、どのように外交政策を作ってゆくか政策がない。日中紛争になれば、在中日本資産は凍結される。出来ないことを考えている。アメリカは軍事費削減のために、海兵隊の肩代わりや集団的自衛権は歓迎するだろうが、日中、日韓関係の悪化にはハッキリ懸念している。多分安倍はこれでつまづくのではないか。と井上氏は言っていました。 また、「秘密保護法案は継続審議にすれば半年の猶予が与えられる。その間に運動を高めて廃案に出来る」とも。とゆうのは、来年になれば予算審議でこれは審議出来ない。そして四月からは消費税増税があるので、強行採決は出来なくなる、という読みだそうです(以上文責はもちろん私です)。 私は希望を持ちました。 昼休みに森住卓さんのサイン入りカレンダーゲット! 沖縄高江支援カレンダーです。 続きは明日。
2013年11月16日
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「マンモス・ハンター (下)エイラ地上の旅人」ジーン・アウル 白石朗訳 集英社 エイラシリーズはここに至って、クロマニヨン人の部族の集いが描かれる。たった10数人ほどでひとつの廬(いおり)を立ち上げていた彼らは何百キロと旅をして、夏の間に部族同士の交流を欠かさない。何百人という同族たちが集まるのだ。50人ほどで協力しながら、マンモスを狩ってゆく。ネアンデルタール人が一頭を狩るのに四苦八苦していた一方、彼らは一挙に数頭の群れをそのまま狩るのである。 ひとつの共同体の萌芽がここにある。その準備も次第と作られていたようだ。 子供同士の喧嘩に対して、女長会と男たちの采配が描かれる。二つが全く違っていたのは興味深い描き方だった。女長会は子どもの喧嘩の原因を問わない、怪我が起きるような喧嘩は両方を罰するのである。一方、男たちの族長会の裁きは「立派な心がけが理由の喧嘩」となれば赦すのである。 ひとつの喧嘩が他の喧嘩の火種になるから、あらゆる喧嘩は罰するべきか。それとも、人の勇気は讃えるべきだから、少々の喧嘩はむしろ奨励するべきか。しかし、何れの場合も「話し合い」で良否を決めていて、1人の人間が裁きをするようにはなっていない。 人間は「言葉」によって多くのものを獲得したが、「言葉」によって人と人との「争い」も生じるようになった。しかし、それは長い長い間は「話し合い」により解決して来たのではないだろうか。 「言葉」ではなく「全身」で意味を伝えるネアンデルタール人は、ウソと思い違いによる争いは生まれなかった。しかし、それは族長による独裁を許すことにもなった。クロマニヨン人の「言葉」は、新しいことを受け入れ、類推し、発見する機能があったのではないか。だとすれば、いっときの気の迷いから始めた「戦争」も、止める機能を発見する時がくるのかもしれない。 うじうじ長引いたアエラとジョンダラーの恋愛話には一段落がつき、これから新しい舞台での新人類たちの物語が始まる。 2013年11月8日読了
2013年11月16日
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「マンモス・ハンター (中)エイラ地上の旅人」ジーン・アウル 白石朗訳 集英社 あいかわらずゆっくりと進む。エイラ18歳の冬から春の冬解けまでのお話である。 (あらすじ) 旅の途中、思いがけぬ愛の相克に悩むエイラ。 マンモスを狩る一族のもとでの暮らしが始まるが、エイラの心は一族の彫り師ラネクとジョンダラーとの間で揺れ動く。嫉妬でひびの入ったジョンダラーとの絆をどうするか、エイラは決断を迫られる。 Amazonの説明は以上。この三角関係の描写はまるで韓国のメロドラマなので、飛ばして読んでOK。魅力的なのは、あいかわらずクロマニヨン人の一族の描写である。エイラはいったんライオン族の一員となる。そのための儀式が終わったあと、ひと冬を過ごす間に、エイラは親を亡くした子狼を一族に迎え入れる。 その間に、蒸風呂や複雑な毛皮の洋服の作り方、エイラの縫い針の発明、骨で作る鍬や鋤など様々な驚くべき「技術」が紹介される。 それよりも、興味深いのはときおり起こる諍いに対するこの一族の解決法である。 「ここに〈話の杖〉がある」タルートはそう言って杖を高くかかげ、自分の言葉をさらに強調した。「これよりこの問題をなごやかに話し合い、誰にも公平な解決をはかろうではないか」 「母なる女神の名において、誰であろうと〈話の杖〉の名誉をけがさぬように」トゥリーがそう言い添えた。「さて、最初に発言したい者はだれ?」(328p) マンモスの骨で出来たテントの中で約20人ぐらいが生活している一族。村の決め事や諍いは全員一致が原則でこのように徹底的話し合われる。 エイラが元いたネアンデルタール人の氏族では、意見を主張し合う場はあったが、最終的にリーダーの決定に、意に沿おうと沿わまいとみんな従わねばならなかった。エイラはその方がいいと思っていたし、クロマニヨン人のリーダーのタルートには人々を抑える力を持っていないと疑っていた。しかし、実際はタルートは騒ぎが一線を越えてまで大きくなることを許しはしない。自らの意思を押し付けるだけの力はあるが、タルートはそんなことはせずに、人々の合意を取り付け、意見の歩み寄りと擦り合わせをうながすことで族を束ねているのである。タルートは人々を重んじることで、人々から重んじられているのである。エイラは次第とそのことに気がついてゆく。 これは、「言葉」によって社会生活のあらゆる革新を成し遂げて来た我々の祖先(クロマニョン人)が、必然的に身につけた「知恵」だろう。 かのヒトラーは「人間が生きたり動物界の上に君臨したりするのは、人間性という原理のおかげではなく、ひとえにもっとも残忍な闘争のためだ。」と主張したという。 しかし、そうではない。「エイラ地上の旅人シリーズ」を読めば読むほど、闘争ではなく、話し合いと助け合いこそ、人間を他の動物と違うものにしたのだと思い知る。 2013年11月1日読了
2013年11月15日
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「マンモス・ハンター(上) エイラ地上の旅人」ジーン・アウル 白石朗訳 集英社 エイラシリーズの第三部の再開である。ジョンダラーという初めての同種族に出会ったエイラは、今度は初めての同種族の一族に出会う。エイラの目を通して、我々はクロマニヨン人の日常生活を垣間見るだろう。 亜北極の草原地帯で「マンモスを狩る者」の異名をとるマムトイ族は、空気を送り込むことの出来る炉を作っていた。それで骨をも燃料に使っていた。 或いは、熱を加えることで縦横に加工して出来た芸術的な穂先。時々にある宴で披露される即興的な歌や、伝説を歌い継ぐ歌詞。或いは花嫁料という制度。毛皮を上手く使ってシチューを作る。香辛料を腸に詰めて肉を料理するなど、既にさまざまな料理のバリエーションが考えられていたのである。 物語はゆっくりとしか進まない。エイラの目にするものは、全て我々にも驚き以外の何物でもないし、エイラとジョンダラーと黒い肌のラネクとの三角関係は、著者の趣味なのかもしれないが、微に渡り細に渡り描かれているからである。 2013年10月23日読了
2013年11月14日
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「小暮写眞館(下)」宮部みゆき 講談社文庫 宮部みゆきの文庫本化作品はパーフェクトに読んでいる。よってこれも即効で読みました。なぜそこまでこだわるのか。彼女が私と同い年だからである。しかも、独身を通している処も似ている。私は彼女の作品を通して、自分の体験することのなかったもう一つの人生を体験している気になっているのかもしれない。彼女のカメラアイとも言える描写力を通して、私の世界は何倍にも広がる。少しづつ変わってゆく作風が、人生の綾を教えてくれる。例えば、昔は中年男と少年しか生き生きと描けなかったのに、ここに至って高校生の男の子をここまで描ける。垣本順子さんみたいな年頃の女性も魅力的に描けている。人生53年も生きていれば、幾つかの近親の葬式にも参列しただろうし、どうしようもない後悔や、それをくぐり抜ける体験もしただろう。それを彼女は多分小出しに出している途中なのだろう。 英一はなぜ、インスタントカメラの中の写真を現像に出さなかったんだろうか。最初は「あれれ」と思ったけど、今は「青春だなあ」と思っている。 2013年10月24日読了
2013年11月13日
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「小暮写眞館(上)」宮部みゆき 講談社文庫 「君、いくつ?」 「誕生日がきたら、十七です」 そっか、と微笑む。「先、長いよ」 「はあ」 「もしかしたらあの子かもしれないし、別の子かもしれないけど」 君がこれから、結婚しようと思うほど好きになる女性。 「泣かせようなんて、これっぽっちも思わないんだよ。幸せにしようって、いつも本気で思っているんだよ。だけどね、何でか泣かせちゃうことがあるんだ」 男って、そんなふうになっちゃうことがあるんだ。 「だから、あほんだらなんだよね」(387p) これが、誰が誰に対して言った言葉か、どのようなシチュエーションで出された言葉か、328pぐらいの段階で推理出来たならば、その推理力は少なくとも私よりは優れているということになる。おめでとう(←嬉しくない?)! 宮部みゆきの作品は文庫本になった段階で全て読むことにしているので、義務として読んだのであるが、最近には珍しく明るい基調で、読後感は良かった。とは言え、まだ半分しか読んでない。 第一章と第ニ章はどちらも「不思議な写真」を巡るミステリー仕立てである。 このまま、最後まで行くのか? 小暮写眞館のお爺ちゃんの幽霊話はどうなるのか? それは後半で出てくるのか? さて、続きを読もう! 2013年10月19日読了
2013年11月12日
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「太白山脈4トラジの歌」趙廷来 集英社 「‥‥ところで、この世の中の出来事を見通すにはそれなりの眼力がなけりゃならん。水溜りにも流れがあるように、この世の中の出来事にもそれなりの根っこがあり、脈絡があるんじゃ。どんな出来事もある日突然起こるわけじゃなく、みんな互いに関連しているんだから、その根っこを探り当てられなけりゃ、世の中をきちんとみることはできねえ。今度のこともただなんとなく起こったわけじゃなく、済州島での戦いと関連あるし、済州島の戦いは南だけの単独選挙と関連あるんじゃ。それから単独選挙に反対して立ち上がったのは一昨年の騒ぎと関連し、一昨年の騒ぎは、解放になって国が二つに分けられたことに始まるんじゃねえのか。わしが言うことが分かるかのう」(68p) 知識人だけがこの国の矛盾を理解していたわけではなかった。東学党の乱で伝令係を担って、日本軍の虐殺から生き残ったというこの村の長寿老人も、大まかな処で朝鮮戦争に向かい、そして現代に至るまで大きな「恨」を抱えようとしているこの国の姿を観ていた。 馬三洙が突然、声を張り上げた。 「じゃあ、どうするんだよ。目の前に差し迫った小作問題だって解決できねえのに、世の中の流れにあれこれ言ってみたところでどうにもならねえ。何を言ってもどうせ雲をつかむようなたわごとなんだし、粥腹から力がぬけるだけさ」 「のう徳甫、お前のいうことももっともだが、わしらの話がかならずしもたわごとだとばかりは言えねえぞ。甲午の乱の時にしろ今回のことにしろ、先頭に立って戦い、死んでいったものたちは、自分だけいい暮らしをしようと思ってやったわけじゃねえ。間違った世の中を正し、みんながいい暮らしをするためじゃねえか。その者たちが信じていたのは何だ。自分たちの体か、手に持った銃か。いや、いや、そんなものは取るに足らねえ。自分たちの後ろにいるたくさんの者たちの気持ちも自分たちと同じだと信じる、その気持ちに支えられて戦いもし、死にもしたんじゃ。その気持ちがなけりゃどうやって戦う力を振り絞り、死ぬ覚悟ができるちゅうんじゃ。命が惜しくねえ者がどこにいる」(70p) 韓国の人たちにどうしてもかなわない、と感じるのはこういう描写である。日本人も確かに闘ってきた。しかし、何十万人も命を賭して闘ってきた経験が我々にはない。東学党の乱にしろ、光州にある記念館でちゃんと顕彰しているし、3.1独立運動には至る処に記念館があり、そして碑が建てられている。光州事件には国立墓地がある。韓国の人たちはそれらの「歴史」の上に育ってきているのである。 よく韓国の反日運動は激し過ぎると言われる。偏向教育のせいだと云う。確かに、偏向していると私も思う。事実の間違いがあれば正さなくてはならないとも思う。しかし、「激しい」のは当然だと私は思う。彼らはそれだけの犠牲を払ってきているし、それを忘れないのは当たり前なのだ。むしろ、日本人の方が羊のように大人し過ぎるのである。日章旗が焼かれているのならば、その場に行って堂々と口げんかをしてくればいい。それぐらいのリスクを負わないと彼らの「歴史」と対等に闘えないのではないか。 彼等の「命の賭し方」はここでは問わない、問えないし、わからない。廉相鎮のゲリラ戦は、ついには本格的な戦争に変化している。これから朝鮮戦争に突入するはずだが、近親憎悪のような時代に人々はどうなってゆくのか。 内容(「BOOK」データベースより) 廉相鎮率いる左翼勢力は栗於地域を解放区として掌握、農地改革を実施し、農民の支持を得ていた。解放区の噂が流れる中、筏橋では農地改革をめぐって地主と小作人たちの対立が深刻化し、地主たちが左翼に加担した者に小作をさせないことを決めたため、さらに不穏な空気が漂い始めた。一方、“アカ”の追及に執念を燃やす青年団長廉相九による拷問を受け鄭河燮の子を流産した素花、アカの夫を持ったために廉相九に犯され身ごもって自殺を図る外西宅…苛酷な運命に翻弄される女たちの愛の行方は…。 2013年10月19日読了
2013年11月11日
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「無私の日本人」磯田道史 文藝春秋 著者は現在43歳である。あとがきによると、特に一章目の「穀田屋十三郎」を書いたのは、自分に子どもが生まれたのが契機になったという。 「(今度また大震災が起きれば)国の借金は国内では消化しきれなくなるだろう。高い利子で多国から資金を借りてこなければならなくなるだろう。そうなれば、大陸よりも貧しい日本が、室町時代以来、五百年ぶりにふたたび現れる。(略)いま東アジアを席巻しているものは、自他を峻別し、他人と競争する社会経済のあり方である。(略)この国にはそれとはもっと違った深い哲学がある。 しかも、無名のふつうの江戸人に、その哲学が宿っていた。それがこの国に数々の奇跡を起こした。(略)地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと戻ってくるこの国。ほんの小さなことのように思えるが、こういうことはGDPの競争よりも、なによりも大切なことではないかと思う。古文書のままでは、きっと私の子どもにはわからないから、わたしは史伝を書くことにした。」(329p) この著者の視点には大いに共感する。子どもにむけたプレゼントだからなのか、どちらかというと史伝というよりも史料を駆使した司馬遼太郎風の小説という感じでとても読みやすい。一方ては史料批判がどこまでできているのかは、不安を感じた。 私は、特に一章目の「穀田屋十三郎」に書かれた人々の知恵と勇気と倫理観の強さには、大きく撃たれるものがあった。ここに登場する人々は、自分のためではなく、郷里のために時の権力者から「武士にお金を貸し、利子で税を免除してもらう」という仕組みを作った「弱くて小さな者たち」である。その「小さな者たち」に私は希望を見出す。 江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民は、 ー親切、やさしさ ということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさをみせた。倫理道徳において、一般人が、これほどまでに、端然としていた時代もめずらしい。(77p) 著者はここでは「体面」を大切にすること、と言っている。これをしないと「一分が立たない」ということを寺男が話し、金集めに奔走する。言い換えれば「恥の文化」とでもいうのか。キリスト教や儒教文化のない日本に独特に発達した社会規範である。 もちろんそのことを持って、日本文化が他国よりも優れているとかの証左にはならない。監視社会になりやすさ、大勢順応主義などはどこかで気をつけなければ、日清日露から日中戦争に向かった日本の再来を呼び起こすだろう。そうではなくて、「自ら積極的に英雄視されることを避ける」日本人の倫理観の高さにどこか「可能性」を、私も見つけたいとは思うのである。 2013年10月13日読了
2013年11月10日
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10月に観た映画は6本でした。私としては少ない。叔父の不幸とか、映画サークルの会報当番とか、いろいろ忙しかったからな~。 「そして父になる」 親子関係にしろ、兄弟にしろ、親戚にしろ、その関係に「なる」ために必要なのは、「血」なのだろうか、「時間」なのだろうか。 私にも子どもはいないのでわからないかもしれないが、親子関係としては、私の体験としてはやはり「時間」だと思う。 どっちかを、作品は描いているわけではない。淡々とした映像が、ウソを見出すことの出来ない映像が、その重要なことを静かに考えさせる。 あとからじわじわくるタイプの作品でした。 (解説) 『誰も知らない』などの是枝裕和監督が子どもの取り違えという出来事に遭遇した2組の家族を通して、愛や絆、家族といったテーマを感動的に描くドラマ。順調で幸せな人生を送ってきたものの、運命的な出来事をきっかけに苦悩し成長する主人公を、大河ドラマ「龍馬伝」や『ガリレオ』シリーズの福山雅治が演じる。共演は、尾野真千子や真木よう子をはじめ、リリー・フランキー、樹木希林、夏八木勲ら個性派が集結。予期しない巡り合わせに家族が何を思い、選択するのか注目。 in movix倉敷 2013年10月1日 ★★★★☆ 「凶悪」 「あまちゃん」の梅さんが冒頭から3人も人を殺して、「そして父になる」の気のいい電気屋さんが、爺さんの死にざまを嬉々としてお膳立てする。人間はこんなに変われるんだ(別の作品だから当たり前だけど)、と人間不信に陥りそうな作品です。 若松孝二監督の助監督を長い間やって来た白石和彌監督が初めて商業映画に臨む。主要人物以外は、商業的には無名の(しかし達者な)役者ばかりで、それがリアル感を出していた。しかし、若松孝二監督ほどには話の展開に破綻はなかったが、その代わりに熱量もなかった。 目を背けたくなるような殺人ばかりが続いて、ピエール瀧もリリーフランキーもまるで人でなしなのは、当たり前なんだけど、殺人者の内面に迫る作品ではない。それを追う雑誌記者の内面を追う作品なのである。しかし、何が言いたかったのか、記者の凶悪な部分が少ししか出ていなくて、面白味がないのである。 記者の妻(池脇千鶴)が、介護しているお母さんを虐待し出して「もう良心の呵責も感じなくなった。こんな人間になるとは思いもしなかったのにね」と言った時には、「おお~これか!」と思ったのだが、その後に「切れ」が全くないのである。もっとキチンとしたドラマを作って欲しかった。 若松孝二亡き後、頑張って欲しい。 (解説) 『ロストパラダイス・イン・トーキョー』の白石和彌が、ベストセラーノンフィクション「凶悪-ある死刑囚の告発-」を映画化した衝撃作。ある死刑囚の告白を受け、身の毛もよだつ事件のてん末を追うジャーナリストが奔走する姿を描く。主人公を『闇金ウシジマくん』シリーズなどの山田孝之が演じ、受刑者にピエール瀧、冷血な先生をリリー・フランキーが熱演する。それぞれの男たちの思惑が複雑に絡み合う、見応えたっぷりの展開に引き込まれる。 in movix倉敷 2013年10月6日 ★★★☆☆ 「最愛の大地」 戦争は人間を手段として扱う。軍隊の方針として、女性をレイプして妊娠させて子どもを産ませることで「民族浄化」が出来たという主張。女性を戦闘の盾として扱うという非道。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の中で起きたそれらの事実を、寡聞にして私は知らなかった。映画はそれらを淡々と映し出す。アンジェの監督第一作は思いもかけずに「骨太」な作品だった。 アンジェは、ムスリムの女性の側に一方的には立たない。非道を声高に叫ばない。二つの民族の間に立ちはだかる、矛盾した愛憎の河を、むしろわかりやすいように、一組のカップルに託して我々に見せたのだと思う。 それを劇的に見せたのが、あのラストの三分間だったのだろう。この映画の宣伝に、アンジェは一切全面に出なかったらしい。作品の質で勝負したいということだったのだろう。その是非は私には判断し難い。世界の常識から遮断されている日本人には、「民族浄化」は解説されなかったら、絶対わからなかっただろうし、「女性の盾」も下手をすると単なる前線の一コマのように見たかもしれない。そういう「わかりやすさ」と「社会性」を同時に達成することはできなかった。しかし、単なる女性活動家ではなくて、ましてやハリウッド女優のボランティアなどではなくて、しっかりした社会派監督の誕生はしっかりと見届けたと思う。 (解説) 著名なハリウッド女優であり人道支援家としても活躍するアンジェリーナ・ジョリーが、長編初監督を果たした社会派人間ドラマ。1990年代に泥沼化したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を舞台に、恋人でありながら内戦により敵になってしまったボスニア人女性とセルビア人男性の愛の行方を描く。同紛争で人間の盾として使われ虐げられた女性たちの悲劇に基づく物語は、女性団体から抗議を受けアンジー自ら説明しに行くなど、多方面で論争を巻き起こした。 (あらすじ) ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下の1992年、セルビア兵に捕まり収容所に送られたアイラ(ジャーナ・マリアノヴィッチ)は、女性としてのプライドをズタズタにされるような日々を送っていた。そんな中、以前付き合っていた将校ダニエル(ゴラン・コスティッチ)から、肖像画の制作を依頼される。やがて二人の間に愛が再燃するが、一方で戦況はさらに悪化していき……。 in movix倉敷 2013年10月14日 ★★★★☆ 「謝罪の王様」 クドカンとの相性はよくない。「あまちゃん」という例外もあったので、万が一ということも考えて観て見たが、やっぱりダメだった。 終わってみんな劇場を出るとき、みんな苦笑いの表情だったように感じたのは私の偏見か? エンドロールにE-girlやEXILEなどを出して来て、あんなに力入れて関係ない映像を延々と撮る必要はあったのか? 時系列を思いっきり弄って、つじつまを合わせて、誰か感動するとでも思ったのか? あゝだんだん頭に来てきた。 (解説) 『舞妓 Haaaan!!!』『なくもんか』に続いて、水田伸生、宮藤官九郎、阿部サダヲの監督・脚本・主演トリオが放つ異色のコメディー。あらゆる相手、いかなる状況であろうとも依頼者の代わりに謝って事態を収束する謝罪師が巻き起こす騒動の数々を描く。井上真央、竹野内豊、尾野真千子、松雪泰子など、豪華な面々が集結してクセのあるキャラクターを快演。全編を貫くにぎやかなタッチもさることながら、社会風刺の利いたブラックな笑いも楽しめる。 in movix倉敷 2013年10月17日 ★★☆☆☆ 「共喰い」 文学青年の作文だった作品をどのように映画化するのか、期待せずに観た。暴力とセックスをテーマにしているようで、実は父親殺しと母親探しをホントのテーマにしているのが原作である。映画はそれをなぞりながら、実はホントの主人公は周りの三人の女なんだと作り替えた。仕方ない改変ではある。しかし、そうしてもなお、この作品の「わざとらしさ」はどうしようも無かった。 変な気取りは止めにした方がいい。 (解説) 世界的映画監督・青山真治×芥川賞作家・田中慎弥、奇跡&衝撃のコラボレーション 「原作もの」を超越した、脚本家・荒井晴彦によるオリジナルエンディング 『EUREKA ユリイカ』でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞、『東京公園』でロカルノ国際映画祭金豹賞審査員特別賞を受賞し、日本を代表する映画監督として世界的評価の高い青山真治。彼の最新作は第146回芥川賞を受賞した田中慎弥の同名原作を映画化する衝撃作『共喰い』だ。 劇場用映画デビュー作『Helpless』から『EUREKA』、『サッド ヴァケイション』に至る「北九州サーガ」3部作で、青山真治は北九州の街を舞台に、濃密な血と暴力の物語を映し出した。海峡一つ隔てた下関を舞台に、血と性の物語を鮮烈に描き出す田中慎弥の原作は、まるで合わせ鏡のようにして両者に共通する世界観を浮き彫りにする。 脚本は、『赫い髪の女』から『大鹿村騒動記』まで、日本の映画史に残る傑作を数多く手掛けてきた荒井晴彦。人間の奥底に潜む深い闇をあぶりだす濃厚な物語にオリジナルのエンディングを用意し、人気小説を映画化する凡百の「原作もの」を超越した、奇跡のコラボレーションが実現している。 映画化の決定に際し、原作者の田中慎弥はこうコメントして話題を呼んだ。「小説の『共喰い』こそが一番だと私は思っています。映画に携わる人たちは、『共喰い』は映画のための物語じゃないか、と考えていることでしょう。勝負です」だが、完成した作品を観た彼は映画の出来を手放しで絶賛している。性描写など数々のタブーにも挑んだ、近年まれに見る本物の映画がここに誕生した。 主人公の遠馬を演じたのは、「仮面ライダーW」で史上最年少の仮面ライダーとしてデビューし、ドラマ「泣くな、はらちゃん」「35歳の高校生」や映画『王様とボク』で注目を集める菅田将暉。性に葛藤し血に苦悩する高校生の心情を鮮やかに表現し、日本映画の将来を担う俳優として、その類まれな存在感をまざまざと見せつけている。 遠馬の父、円に扮するのは『Helpless』以来、青山作品の常連として味わい深い演技を披露してきた光石研。母の仁子にはドラマ「蒼穹の昴」や映画『いつか読書する日』の田中裕子が扮し、圧倒的な芝居で観客を魅了する。また、遠馬の恋人である千種を演じた木下美咲、父の愛人である琴子を演じた篠原友希子、二人の若手女優は濡れ場にも大胆に挑戦し、その瑞々しさ溢れる演技で観る者に強烈な印象を残すだろう。 inシネマクレール 2013年10月20日 ★★★☆☆ 「人類資金」 予想したよりは良かった。近代資本主義が金の担保を忘れて暴走を始めているのに対するアンチテーゼを示そうとした野心作である。 M資金という都市伝説のような戦前の隠し遺産を使って、カペラ共和国という架空の小国の教育水準を上げることにカネを回すべきだと指摘する笹倉雅美の孫の信人。 「人類の7割はまだ電話さえかけたことがない」という事実を象徴的に使い、共和国の人々に一挙にPDA(携帯の丈夫な機種)を供給する。そうすることで、信人が拾ってきた石優樹のように優秀な人間が育つことを期待しようというのである。 モノに投資するのではなく、ヒトに投資をしよう。そのメッセージが伝わる「作り話」である。 エコノミックミステリーなので、所々ついていけない処があったり、かなり強引な展開があったりするのであるが、ロケ地もロシア、タイ、ニューヨークとかなり「カネ」を使った大作になっている。役者も仲代達矢が予想よりもかなり元気に演っていたり、ヴィンセント・ギャロやユ・ジテが出ていたり、キチンと国際色豊かに作っている。 (解説) 『亡国のイージス』『大鹿村騒動記』などの阪本順治が監督を務め、原作の福井晴敏と共に脚本も担当したサスペンス。いまだ、その存在が議論されている旧日本軍の秘密資金、M資金をめぐる陰謀と戦いに巻き込まれていく男の姿を活写する。佐藤浩市、香取慎吾、森山未來をはじめユ・ジテやヴィンセント・ギャロら、海外からのキャスト陣を含む豪華な顔ぶれが結集。彼らが見せる演技合戦はもちろん、壮大で緻密な展開のストーリーも見もの。 in movix倉敷 2013年10月23日 ★★★★☆
2013年11月08日
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「マリアビートル」伊坂幸太郎 角川文庫 「『国ってひどいね、恐ろしいね。政治家って駄目だね』って言いたいのか。ありがちな意見だな」 「そうじゃないよ。ようするに、『ぜんぜん正しくないこと』を『正しい』と思わせることは簡単だって話だよ。だいたい、国や政治家だって、その時は、『正しい』って思い込んでいて、騙すつもりなんてないのかもしれない」 「だからどうした」 「大事なのは『信じさせる側』に自分が回ることなんだ」(270p) 「グラスホッパー」から数年後の、殺し屋ばかり出てくる小説である。 (あらすじ) 酒浸りの元殺し屋「木村」は、幼い息子に重傷を負わせた悪魔のような中学生「王子」に復讐するため、東京発盛岡行きの東北新幹線〈はやて〉に乗り込む。 取り返した人質と身代金を盛岡まで護送する二人組の殺し屋「蜜柑」と「檸檬」は、車中で人質を何者かに殺され、また身代金の入ったトランクも紛失してしまう。 そして、その身代金強奪を指示された、ことごとくツキのない殺し屋「七尾」は、奪った身代金を手に上野駅で新幹線を降りるはずだったのだが……。 こんなにも胸くそ悪いやつばかり出てくる小説は久しぶりだ。最初はなかなか進まなかった。ところが、終わりの80pになった頃でやっと面白くなって来た。この悪魔のような「王子」が「悪の教典」のハスミンのように、生きてゆく話なんだ。そういう話なのだとやっと分かってきたからである。最近偶然にもこういう頭のいいサイコパス(人間への共感性を欠いた人格異常者)の話を何度も聞くようになった。「悪の教典」もそうだが、この前観た映画「凶悪」の「先生」もそう。それどころか、現実に女をつぎつぎと「コントロール」して、バラバラ殺人をしていた元ホストがこの前捕まったばかりである。だとしたら、最後は? 映画や現実では、犯人は最後には捕まる。「王子」はどうなるだろう。 ところで、ここに出てくる「鈴木さん」、私の中のイメージとまったく変わってしまっていた。 ところで、この「王子さま」のような悪魔が、現実に政界を握っている気がしてならない。 2013年10月5日読了
2013年11月07日
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ビックイシュー226号(11.1発行)ゲット。今回の表紙はポール・マッカートニーですが、私の琴線に触れたのは堤未果氏の「貧困大陸アメリカシリーズ」完結記念連続三回インタビューの第一回目。 アメリカはフードスタンプ(低所得者や高齢者、障害者、失業者に提供する食料支援ブログラム)受給者が、ついに労働者の3人に1人になったそうだ。 詳しいことは最新刊の「(株)貧困大陸アメリカ」に書かれていたがこのインタビューにはそのエッセンスが載っている。 「フードスタンプを増やすということは、国民を死なないギリギリのところでキープしておくこと(1人約1万円前後らしい)。貧困状態にある人びとは生きるのに精いっぱいになり、政治に口を出す余裕がなくなってゆく。そして業界も潤うという構図です。食というライフラインに依存する国民が増えれば増えるほど、削減されないためには政府の出すどんな条件でも黙認してしまう空気すら出る。」 もしかして、日本政府もそれを狙っているのだろうか。 堤氏の話の定番なのですが、「希望の芽」について語ることを忘れない。 「企業は政治家には強いけど、消費者には弱い。企業という巨人にも必ずアキレス腱があるんです。たとえば13年5月、EU議会は、260万人の署名を受けて、農薬ネオニコチノイドの使用を禁止した。GM作物(遺伝子操作種子作物)のラベル表示が一切ない米国でも、オーガニックスーパー「ホールフーズ」が実はGM作物を販売していた事実について市民団体が店員の証言をネットで拡散、その後ホールフーズ社は18年までにGM作物の仕入れを全廃する宣言を出しました」 ブラック企業の告発も、そういう意味では世界的に試された「希望の芽」だと思いました。
2013年11月06日
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文化の日の憲法講演会に参加する前に、岡山市立オリエント美術館で開かれている「平山郁夫と古代メソポタミア文明展」を観て来ました。 現在読みかけの「エイラ地上の旅人シリーズ」は黒海のちよっと北に住んでいた3万5千年前のクロマニヨン人たちの話です。メソポタミア文明は、約5000年〜2500年前ぐらいの黒海の南に展開された農耕民族たちの世界です。人類最古の文明です。けれども、私にはエイラやライオン族の子孫たちの世界に思えて仕方なかったのでした。 楔文字が発明されたのが、この文明である。有名なのはハンムラビ法典である。しかし、平山郁夫さんの個人的な美術館からこんなにも多くの文字版が展示されているとは、全く想像していなかった。ここだけでも、数十の粘土版がある。ということは、山のようにそれらが出土しているということだ。 飛鳥・奈良時代で出土している文字は非常に限られている。弥生時代ならば、数十文字ぐらいだ。一方、メソポタミア文明についての情報量は、比較出来ないほどに巨大だということだ。私は圧倒された。 事実、メソポタミア文明には人類最古の文学にして、大冒険叙事詩「ギルガメッシュ物語」さえあるのである。 これはBC1300年の「医術文書」。皮膚病についてさまざまなことが書かれているらしい。エイラは薬師として実に豊富な知識を持っていたということになっている。その3万年後の薬師の頭も、どうやら豊富な知識があったようだ。しかし、呪術的な知識も付随的に付いている。そしてこのように文書として残り出すと、医学は大きな「飛躍」をするだろう。ホントは写真を撮ってはいけないんだけど、許してください。 その他、BC24の人物定礎釘、円筒印章など興味深い遺物がたくさんあった。 私の興味はあくまでもそれからさらに約1000年後、アジア大陸の東の果ての列島に住んでいた弥生から古墳時代に移る人々の物語ではある。しかし、文明のあけぼのの世界を見ていると、弥生時代の人々の意識が見えてくる気がする。 (ウェブより) 平山郁夫と古代メソポタミア文明展 9月14日(土)〜11月24日(日) 人類最古の文明メソポタミア文明は、いまからおよそ5000年前、現在のイラクを流れる2つの大河、ティグリス川とユーフラテス川のあいだで育まれました。豊かな生産力を背景に巨大な都市が生まれ、遠隔地から貴重な鉱物や木材、貴石を入手する交易システムや社会、そしてそのシステムを記録するための文字=楔形文字が発明されました。現代社会の基礎となる仕組みや技術の多くがすでにこのときに生み出されたのです。 平山郁夫シルクロード美術館はメソポタミア地域から出土した資料を多数所蔵しています。まさにメソポタミアの中核から出土する資料は国内ではほとんど見ることができません。実は当館においても狭義のメソポタミア地域の資料はわずかしかないのです。平山郁夫シルクロード美術館の収蔵品から典型的な古代メソポタミア文明の資料を揃えた本展は大変に貴重な機会です。 また2009年になくなった日本画家・平山郁夫画伯はシルクロードをテーマとした優れた作品を多数遺しました。本展ではメソポタミアを題材とした平山郁夫画伯の絵画作品も展示し、メソポタミアの風景、空気をイメージしていただこうと思います。
2013年11月05日
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昨日、いつも文化の日に合わせて行われる「憲法公布記念のつどい」。なかなか休みと合わなくて参加できなかったのですが、今回は日曜日、5年ぶりに参加しました。今年は名古屋大学名誉教授の森秀樹氏の「改憲勢力の拡大でどうなる憲法、どうする憲法」。初めて話を聞いたけど、ダジャレ大好きで、案外講演向きの話をしてくれました。 67年前の憲法公布の時、4日の朝日新聞で尾崎行雄氏はこういう懸念を書いていたという。「(国民がこの憲法を運用するには)頭をつくりかえることはなかなか難しい問題で、本気になってやっても、三代くらいはかかると思わなければならぬ」。氏の慧眼は当りました。しかしながら、一代30年とすると、あと23年はある。 山本太郎天皇手紙事件にも触れた。初めて知ったのは、田中正造の天皇直訴の顛末。現代とは違い不敬罪の可能性があったあの時でさえ、処罰されないで翌日釈放されたということである。自民党の喧しい議員たちはそのことは御存知なのかな? 自民党改憲草案の恐ろしい内容も条文に沿って解説してくれました。詳しい内容は省略します。ひとつ強調していたのは「この憲法草案は本気で近代憲法を否定しようとしている(13条、97条の削除、99条)」ということ。ああだから、自民党の議員さんたちに「憲法が規制するのは、国民ではなく政府なのだ」といくら言っても馬耳東風なわけだ。 参院選後の情勢の特徴はふたつ。ひとつは、明文「改憲」はとりあえず足踏みしているということ。 ひとつ、その一方で軍事増強・集団的自衛権行使に向けて「壊憲」路線まっしぐらだということ。驚いたのは、来年度概算要求で軍事費4兆8928億円(今年度比2.9%増)を要求しているその内容である。「海兵隊化」のための米国製水陸両用車AAV7購入、「オスプレイ導入」のための調査費、「ステルス戦闘機F35」購入、「高高度無人偵察機導入」のための調査費。これらは全て「専守防衛」から逸脱したものばかり。 また、集団的自衛権有識者会議が9月17日に発足して、既にとりまとめをしているらしい。石破が「国益上必要があれば遠くまでも行く」と言っていたのは知っていたけど、10月16日北岡伸一座長代理はもっといい気になっていて「論理的には地球の裏側も、地球外の宇宙にだって行く」とまで言っていたのは知らなかった。 その他、ホントに雪崩をうつように「壊憲」の情勢を話してくれたけど、省略。 じゃあ、どうする憲法。氏は三点を提案。 ひとつ、現在国会の議員数は違憲状態。違憲の国会に改憲論議などは出来ない!と言おう。 ひとつ、自主憲法制定を目指す「押し付け憲法」観は、「自主性なき対米追随」の集団的自衛権行使に矛盾するのではないか。 ひとつ、米国から注意されてもされても直らない、靖国参拝、従軍慰安婦否定志向は、米・韓・豪の「同盟」志向と矛盾する。 なるほど、確かにこれらの矛盾を抉り、衝き、追い込むのはひとつの戦術だとは思う。しかし、これは明文改憲の戦術なのではないか。 私は集団的自衛権解釈改憲の向こうが言い張るであろう「理論」を学者らしく理論で論破して欲しかったのであるが、残念ながら、一切質疑応答がないまま帰ってしまったのであった。
2013年11月04日
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「9条どうでしょう」内田樹、小田島隆、平川克美、町山智浩 ちくま文庫 前回図書館から借りて単行本の本書(2006年刊行)を読んで、手元に置きたくなったので買ってみました。前回の時は安倍が「戦後レジュームの転換」を言って、国民投票法を通そう(実際通した)とした時だったが、今回の刊行は2012年の10月である。安倍のアベノミクスが全面に出てくる直前である。よって、まだ民主党政権ということもあり改憲に対する危機意識はあまり高くはない。しかし、特筆すべきは四人とも、2006年も2012年も情勢にほとんど変化はなくて、ここで行われた議論は訂正の必要がないと言っている。驚くべき自信である。よって、彼らは本文には手を加えていない。まえがきとあとがきはあるが、目新しいことはまったく述べられていない。 もちろん、一方で現実の情勢は緊迫度を増している。安倍は通常の改憲がむつかしいと見るや、96条改憲を言い出し、それも無理と見るや、集団的自衛権の解釈改憲を日程に組み込んだ。しかし、ここで展開されている、「言葉のアクロバットで護憲を言ってみる」という試み自体にに訂正がいらないのはその通りだろう。 この本の価値は「ああ言えばこうゆう」タイプのネットウヨに「ああ言えばこうゆう」ネットサヨクを対置する武器になり得る、ということだけだろう。 最初は四人の理論展開を整理しようと思っていたのだが、途中で意味のないことだと気がついた。言葉のアクロバットで攻撃してみても言葉のアクロバットが返ってくるだけと気がついたのである。 それに実は生産的な議論は、奇しくも内田樹先生推薦文付きで松竹伸幸氏が「憲法9条の軍事戦略」で始めてしまった。 ただ、ひとつだけ気がついたこと。 内田樹氏は「自衛隊は憲法制定とほぼ同時に、憲法と同じくGHQの強い指導の元に発足した。つまり、この二つの制度は本質的に双子なのである。」(33p)と言う論理で憲法と自衛隊の両立について述べているのである。これは違うと思う。 少し自衛隊の歴史をみると 1950年に「米国の軍事的利益は最大限早い時期に(米国に)提供できるよう日本の(防衛)能力を向上させること」だとし、そのためには「日本国憲法の変更は避けがたい」(米国統合参謀本部への戦略調査委員会報告)という報告を受けて、警察予備隊(1950)→安保隊(1952)→自衛隊(1954)と整備されてきたわけです。 1952年が旧安保条約の成立であり、むしろ自衛隊は本質的に安保と双子関係にあるというのが正しい見方だと思う。 「言葉のアクロバット」で憲法と自衛隊を双子関係にするのはいいけど、この文章を見る限り肝心の安保条約を頭から抜かしている。それは大変な情勢認識の誤り(敵を見誤る)なのだと私は思うのです。 2013年10月9日読了
2013年11月02日
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「天狗争乱」吉村昭 朝日新聞社 朝井まかて著の「恋歌」で、水戸天狗党のことが出て来て興味を覚えたので、読んでみた。 「恋歌」では、藤田東湖の息子小四郎が天狗党を率いて出奔して以降は、伝え聞いた以上の天狗党の顛末を書いていなかった。この本をよんで、かなり複雑な様相を呈したのだということが初めて分かった。 作品は、突然天狗党の日光からの山下りから始まる。激派と言われる天狗党の中でも若衆ばかりの過激派田中げん蔵の栃木町焼き打ち事件から一挙に物語を始めるためであったからだろう。あとは淡々と吉村昭らしく事実を組み立てて、この幕末悲劇物語を構成していた。 水戸尊皇攘夷派の中には、藤田小四郎たちのの激派、榊原新左衛門たちの鎮派、そして田中たちの過激派に分かれていた。そして、その思想と決定的に意をことにする門閥派が、幕末瓦解の危機にあった水戸藩最終段階で顕然化する。 残念なことに、この詳細な天狗党始末記を読んだあとでも、水戸尊皇攘夷運動とは何だったのか。尊皇思想のメッカである水戸が、なぜ明治維新「革命」の中で役割を果たすことができなかったのか。全然わからなかった。その意味では、「恋歌」の方がよっぽどすんなり心に落ちた。 水戸天狗党の最初の目的は、幕府に横浜港閉鎖をふくむ攘夷決行を促すことにあったという。それを一師団ともいえる軍勢で、力づくで成そうとしたらしい。その最初の発想自体に、私はついていけない。その背後にどういう戦略構想があったのか、この作品では全然明らかにしていないからである。その「理想」のために武力を背景とした脅しで商人から何百両何万両という軍資金を獲る。過激派田中のように無法を働くか働かないかの違いはあるが、藤田小四郎たちもやっていることは同じ、だと私には思えた。 田中の顛末は、70年代の過激派を見るようで、これだけを取り出して映画化すれば面白い。 幕府や一橋慶喜のマヌーバーぶりに辟易した。いつの時代でも出てくる「政治家の苦渋の決断」(そう言えば、安倍という人も消費税増税の時にそう言った)をするのである。 力作なだけに、もう一歩突っ込んで描いて欲しかった。 2013年10月6日読了
2013年11月01日
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