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「泣くな道真 太宰府の詩」澤田瞳子 集英社文庫 初めての作家。文庫書き下ろしではあるが、ラノベに近い時代小説が多い中で、しっかり時代考証をしていて好感を持った。ただ、キャラは現代によせている。そのせいか、十分エンタメ小説になっていた。買ったのは、ナツイチのブックバンドが欲しかったタメ。 菅原道真が左遷された太宰府での赴任先半年の日々がテーマ。 「半沢直樹」ではないけど、まるで社会人小説のように「左遷からどう立ち直るか」がテーマ。 思うに、奈良・平安時代は、まだまだ小説化されていない時代・人物・地域の宝庫だろう。さすれば、10世紀初頭失意のうちに太宰府で歿(なくな)ったと云われる道真を、実はそうではなく、その才能を活かして、密かに政敵の藤原時平に倍返しまでは行かずとも意趣返しをしていた、と作り替える本書は、充分に「スカッと」する平安時代版「半沢直樹」だろう。 江戸時代の東京はたかだか400-150年前の舞台に過ぎない。千年の都・京都も長いかもしれないが、実は福岡は更に1700年前から都だった。ということは、あまり知られていない。実は博多津の発掘が次々となされて、更には周辺地域の遺跡がどんどん掘られて、当然莫大な量の遺物が出てきて、最近になってやっと分かりかけてきていることが多い。澤田瞳子はよく読み込んでいると思う。博多津や太宰府東北の水城の景観などをよく説明している。私の興味はあくまでも弥生時代ではあるが、発掘成果を小説に反映させるという視点では、面白い。 小野恬子(てんこ)という名前が出てきた時点で、あの有名歌人と思い出さないのは、私の不徳の致すところ。彼女の出没地域は全国に及んでいて、岡山県総社市には墓まである。生涯は不明である。太宰府にいたとしても、全然不思議じゃなかった。 あと一作は、読んでみたい。
2020年07月31日
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「ビッグイシュー382号」 表紙はキーラ・ナイトレイ。未だ岡山には来ていないはず。イラク戦争当時の軍事機密を暴露した英国政府職員を演じた「オフシャル・シークレット」のプロモーション記事である。現代、英国人でさえこの職員のことをあまり知らないという。モデルの彼女は、生存していているが、発言には制限がかけられている。なのに、何故彼女を主人公にして映画が作れたのか、それ自体がかなりのミステリーだ。来たら、是非観てみたい。 特集は、虐待サバイバーたち。以下リード文。 「虐待」は今、子どもと保護者を巡る問題ばかりが注目されています。 その陰で、虐待を受けて大人になった「虐待サバイバーたち」のことはほとんど知られていません。彼・彼女らは現行の児童虐待防止法ができる2000年より前に子ども時代を送り、守られることがなく、虐待の後遺症と闘いながら生きてきた元・被虐待児たちです。 しかし、ここ数年、虐待サバイバー自身が、サバイバーのための仕事づくり、居場所づくりや相談事業、そして法律の整備など、当事者のサポートに取り組み始めています。 そんな、虐待サバイバー4人が「未来のためにできること」について話し合いました(座談会)。また、それぞれのサバイバーたちの活動、その展望を取材しました。 ここに出てくる4人は顔出し名前出しもして、かなり特殊な勇気ある人たちなのだと思う。それほどに虐待サバイバーたちは、社会の中に埋れている。彼らを窓口とする小説ができてもおかしくはない。 「青空文庫」の紹介記事があった。昨年のアクセスランキング1位から順番に。 「雨ニモマケズ」 「走れメロス」 「山月記」 あとは「たけくらべ」「変身」などが続くらしい。正に、私「変身」以外は去年、全部アクセスしていました。
2020年07月30日
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「ビッグイシュー380号」 表紙は、特集も兼ねて気候危機に闘う運動家の「顔」となった、現在17歳のグレタ・トゥーンベリさんである。インタビュー記事で少し彼女のことがわかった。 中学生の時、気候学習をきっかけにして鬱症状になり、ついた診断名はアスペルガー症候群、高機能自閉症、脅迫性障害だったという。そのことが、そのままアジテーターとしての彼女の強みに繋がってゆく。なんか、吉田松陰の役割に似ている気がする。だとすると、彼女の将来が心配だ。周りが気をつけてやってほしいと思う。 「自閉症じゃなかったら、こんな運動は起こせなかったと思う。私は世界を白と黒ではっきり見ますし、妥協が嫌い。アスペルガーは一種の授かりものだと思っています」 「(鬱の引き金は気候変動だったが)鬱から抜け出せてぐれたのも気候変動だったのです。何故なら、状況を改善するために自分にもできることがあったから」 学校をストライキするよりも、勉強して気候学者になってからやればいいじゃないか?という周りの声に対しては 「でもこの問題は既に解明されているのです。確固とした事実とその解決策は十分にわかっているのですから」 なるほど、新しい革命家の姿は、これなのかもしれない。 ダボス会議で世界のリーダーたちの目を真っ直ぐ見つめてグレタは言った。 「貴方達には希望を持って欲しくない。むしろパニック状態になって欲しい」 見て見ぬふりをするな! これはそのまま、パンデミックに陥っている世界のリーダーたちにそのまま届けるべき言葉だろう。特に日本のリーダーに! 今年の4月、この号から私は長い間ビッグイシューお休み期間に入ってしまった。理由は前号に書いたから繰り返さない。奇しくも、気候危機のために書かれたこの記事は、世界的なウイルス危機にも多くは通じることになった。 異常気象は温暖化のせいである。専門家の江守正多さんは「ミニ氷河期も来るから大丈夫なのでは?」という反論には、ちゃうよ、と明快に反論していた。 対策は、既に技術的な問題よりも、政治的な問題になっており、それは政策意思決定に携わる全世界の「民主主義の問題」になっているという。その通りなんだろうな、と思う。 さて、ほかの記事。 「オーストラリアのおばあちゃんたち、投票を呼びかける!」 日本の老人が主導する9条の会と似ているが、会が参考にするべき点が数多くある。 極右に反対するおばあちゃんたちが「余生の時間を活かして」戦っている。目標は、 「特定の政党に投票してください、ではなく、選挙に足を運び、よく考えて投票しようということだけ」 この活動で、なんと5年前の選挙よりも15%投票率が上がったという。 ・おばあちゃんたちは、全員赤い帽子(手作り)を被っている。 ・どこの組織にも政党にも縛られない。 ・映画化もされた。 ・月に一回ラジオ番組も持っている。 ・彼女達には時間がある。 ←帽子とか映画とかラジオとか、9条の会も「どれだけ市民権を得るか」戦略的に考えてゆく必要があるだろう。 「シェア本屋」 この記事も、物凄く魅力的! ・みつばち古書部 大阪市阿倍野区昭和町1-6-3 ・せんぱくBook base 千葉県松戸市河原塚408-1せんぱく工舎d号室
2020年07月29日
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「京都深掘りさんぽ」グレゴリ青山 小学館文庫 コロナ禍が一段落したら必ず京都に行くぞ!でもこのままだと2泊してしまいそうだな、と思わせる一冊。漫画版京都案内。文庫で携帯に便利なのはいいが、その分字が小さいので、目が悪い人には注意。文庫化したときに、情報は今年の最新に切り替えている。 私もいい加減、いつも京都を深掘り(マニアックに散歩)しているつもりだったけど、見方を変えるだけでまるきりかすっていなかったことに改めて気がつく。そういえば、マニアックな食べ物や伝統工芸にはあまり興味がなかった。 とりあえず、 ・今度行った時に道でひと息ついたならば、この本を広げて近くのお勧め品を買う。 ・京都二条城のかざり金具は、確かめてみる。 ・機会があれば千ブラ(千本中立売周辺散歩)をしてみる。 ・機会があれば旧五条楽園周辺散歩をしてみる。 ‥‥ぐらいを頭の隅に入れておこう。
2020年07月28日
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「ビッグイシュー387号」 約4ヶ月ぶりにビッグイシューが買えた。これはその最新号。他に5冊買った。販売者さんも、最近は販売に立つことが少なくなっているらしい。私も、この4ヶ月岡山市の街に出ることが劇的に減った。その関係で、こういうことが起きてしまったということだ。 「GWごろよりは天満屋前のこの通りは、人出は増えているものの、今も例年よりは減っている」 「(それでも2つのクラスターが起きたわりには)マスクの装着率は少ない」 と街中観察をしてきた彼は言う。岡山市の貴重な動態観察だと思う。 表紙は「少女時代」のユナ。最近韓国POPグループのパイオニアの彼女たちを見ないので、解散してしまったのかと思っていたら、しっかり個別活躍の「時期」に移っているようだ。ジャニーズと同じ戦略ですね。この時までユナがセンターだとは知らなかった。彼女は30歳。それでも、卒業する気配がない。何故日本のアイドルは、こういう形を作れないのか。インタビューは、韓国版ビッグイシューの転載。韓国版も欲しい、さぞかし写真満載なんだろうけど、無理だろうなあ。 「私の分岐点」は詩人・伊藤比呂美さん。摂食障害の過去を語っている。 特集「平和を照らす」では、3人の写真家に写真の持つ力を語ってもらっている。それと同時に幾つかの写真も掲載する。「DAYS JAPAN」が不幸な形で無くなった現在、彼らの主張を出せる場は限られていのではないか?写真には、他にはない、想像力を喚起する力、その他大きな力があると共通して語っている。その通りだと思う。 池内了さんが「ウイルスとの共生」の一例として「ヒト・ヘルペス・ウイルス(HHV)」を疲労度調査に転用出来ると提案している。人はほとんどの人が6種類ぐらいのHHVを子供の時から共生している。帯状発疹は免疫力が弱まった時に出てくる。そういうウイルスの戦略を利用して、疲労度を測るために、PCR検査をしようという提案である。非常に興味深い。 「パブリック 図書館の奇跡」(エミリオ・エステベス監督)も是非観てみたい。 世界一あたたかい人生レシピ、久しぶりだよー、読みたかったよー。喧嘩して5年もあっていない友だちとどう連絡とったらいいのか、という相談。Hさんの回答は、もう見事のひとことなんだけど、枝元なほみさんが、居酒屋でおもむろに大将に断って友だちに食べさせるブツを提案しています。それは「干し納豆」。 材料は、納豆ワンパック、塩小1/2、片栗粉小2-3、青紫蘇5枚とシンプル。 (1)納豆と塩(または添付のタレ)を混ぜる。片栗粉も半量混ぜて、ザルなどの上にオーブンペーパーを乗せて、そのまま天日で4ー5日、時々上下を返しながら干す。乾いたら片栗粉の残りをまぶす。 (2)青紫蘇も洗って水気を抑え、広げる。こちらも天日で1-2日パリパリになるまで干す。袋に入れて上から揉んで細かくして、納豆と混ぜる。 酒に合うこと請け合いだし、話のきっかけには確かに良いかもしれない。 久しぶりのビッグイシュー、読み応えあって、やっぱり素晴らしい!
2020年07月28日
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「風の谷のナウシカ2」宮崎駿 アニメメージュコミックス 2巻目からは、アニメと似ているようで、或いは正反対の物語が描かれ始める。 「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」 これを言ったのは、風の谷の老女ではなくて土鬼(トルク)軍の辺境のマニ族の僧正であった。漫画版ではナウシカは「死んで生き返る」ことはない。僧正は云う「(その者は)そなたたちを、青き清浄の地へみちびく」だろう。それは(その者=ナウシカ)が世界を救うという預言でもある。預言者の役割として、僧正は伝えた途端に殺される。ただし、ユパには伝えられ、ユパにはその者はナウシカであると直感的に判る。伝説の勇者ユパには、この預言を確かめる役割が与えられるだろう。アニメはここで終わるが、漫画版はここから本格的に始まるのである。つまり、僧正の預言がそのまま正しいわけではないことが、読者にも微かに伝わってきている。 風の谷の(100歳以上と言われる)大ババは、伝えられてきた「歴史」を語る役割が与えられる。 「大海嘯」の伝説である。 世界は、「火の7日間」のあと、一挙に文明の技術を失ったわけではなかった。この1000年間で3回大海嘯(腐海が津波のように押し寄せること)が、あったという。最後は300年前だった。その頃は砂漠にオアシスのように文明技術が保たれた都市があった。しかしその国は覇権を争う内乱を呼び起こし、王蟲を狩る方法を編み出し、その甲皮を使って武具を作った。やがて、王蟲の暴走が始まり、都市は飲み込まれ、技術も永久になくなり、王蟲の死骸から広大な腐海が広がっていったそうな。 今回の三つ折りポスターは、流石に主人公格2人のアップ画が使われている。1人は当然ナウシカである。武具を脱いでくつろぐ姿だ。もう1人は当然と思う人も多いと思うが、クシャナ姫である。トルメキア王位継承3番目の皇女にして、勇猛果敢、部下の信頼厚く、トルメキア戦役で腐海南下政策を事前に神聖皇帝側に漏らされて謀略を画された女性。「もののけ姫」におけるエボシ御前の役割である。何故「もののけ姫」のアシタカの役割を(この時点でまでは)持つペジテのアスベルが、ポスターに選ばれなかったのか?大河ファンタジーに少年少女の恋を入れ込んだ方が、絶対読者受けはいいはずなのだが、やがてアスベルは物語からフェイドアウトしてしまう。それは編集者にもどうにもならない、宮崎駿の強い意志があったと見るべきだろう。一方、クシャナ姫には、最後の最後になって、とてつもなく大きな役割があったことが知らされるのである。そのことについて書くのは、ずっとのちのことになる。 マンガ「映像研には手を出すな」を見た人なら分かると思うが、アニメにとって、設定と動画は、同等の、時には設定の方が重い位置づけになる。宮崎駿は、アニメ畑で鍛えられた人物だから、設定に拘る、拘る。大ババが言った300年前のオアシス都市の造形は、アトムや他作家の未来都市とは一線を画していた(強いて言えば諸星大二郎)。表紙のナウシカの着ている服は、土鬼軍マニ族の皇族の晴れ着が王蟲の血で青く染まったものだ。胸の標は公家の家紋だろうか。鳥を意匠としていて素晴らしいと思う。この意匠も全くのオリジナルである。表紙裏には、おまけとしてナウシカの戦闘服装備の解説を載せていた。ストーリーに活かされた設定もあれば、活かされなかったのもある。しかし宮崎駿は描かざるを得なかったのだろう。業といえば業だが、この語らざる設定が、このファンタジーを傑作としているのも事実だと思う。 今回のトルメキア侵略戦争がどういう構造になっているのか、うっすらと見えてきた。世界を二分している、トルメキア連合国と土鬼軍神聖皇帝国の世界の覇権をかけた戦争であり、腐海を越えてトルメキアが神聖皇帝国に侵攻しているのだが、兄弟の裏切りに遭い三女のクシャナ姫軍は待ち伏せの罠に遭い壊滅的な打撃を受けたところである。一方、二国の思惑とは別に、王蟲が全体で動き出して、大海嘯を始めたのではないか、とナウシカは見ている。 この世界は、一千年前の文明のお裾分けで保っているのに過ぎない。それなのに、なおかつ未だ覇権を争い、王蟲の培養さえ始めている。読者の我々は「愚かだなあ」と思うかもしれない。しかし、文字も失われ、インターネットもないこの時代で、それを突き止める人物が果たして現れることができるのだろうか。 長くなった。また、次号でいろいろ考えたい。
2020年07月27日
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「あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続」宮部みゆき 角川文庫 「三島屋変調百物語」は、語って語り捨て、聞いて聞き捨てが決め事でございます。でもホントの語り手は、実は宮部みゆき女史であろうことは、読者の皆様には暗黙の了解ごとだ、と推察致します。 そのご本人が公の場で言っていましたから、語らせて頂いてもお構いなしとさせてください。実は今回で聞き手は、三島屋の姪のおちかから次男坊の富次郎に交代致します。えっ、ご存知でしたか?それならば、 ‥‥全体で4人聞き手が立つことになっている。 えっ?そこまではご存知ありませんでしたか?現在27話ということになっておりますし、百物語だというと、やはりそうなるのでございましょう。絶対ではないでしょうが。 かつて某ラジオ番組で女史が話していたんです。 「百もの怪談って、こんなにもさまざまな物語、どうやって思いつくんですか?」 とMCが聞きました。実際は女史の時代モノは怪談かかっている事多いので百より多いとは思いますが、 女史は 「定番のパターンがあるので、話ネタ自体には困りません。ただ、構成は工夫します。ABCをCABにしようとか、小道具に何を使うか、というのを考えるのが楽しい」 とかおっしゃっていました。根っからのストーリーテラーですね。 今回個人的に1番怖かったのは冒頭の「開けずの間」でした。忌(いみ)がどんどん拡大、伝染していくさまが、女史は意識していなかったでしょうが、目に見えないウィルスだけでなくて、目に見えない悪意さえも伝染していく(自殺者さえ出たようですね)昨今のコロナ禍と重なり、たいへん恐ろしゅうございました。 実はここだけの話なんですが、わたし気がついてしまいました。「伍之続」の何処かで言及あるかな、と思いきやなかったので、これはどう処理するのか、わたし、おそらく20年後にドキドキしていると思うのです。何かと申しますと、今回女史は珍しく「文庫版あとがき」にこう書いています。 ‥‥百物語という趣向は、昔から、百話完結させてしまうと怪事が起こるので、99話で止めなければならないと戒められています。一方、99話まで到達せずに途中でやめると、足りない数話分の怪事が起きるという戒めもまた存在するのです。(640p) 書いて仕舞えば「言霊」が宿ります。女史は「とんでもないこと」を約束してしまったわけです。99話でピタリと止めなくてはなりません。女史の心配するように、「健康に留意」するのはもちろんのことですが、実はこの文庫本の巻末に「正式に」『現在までに語られた話』は「第二十七話」と書いています。これが問題です。実は26話目に付け足すように「同じ顔をした6人の男と結婚した老女の話」の「一話」があるのです。これが「数え」の中に入るか入らないか、ものすごく重要です。数えずに、百物語までいって怪事が起こるのか?それとも、数えて1話足りずに終了して怪事が起きるのか?そういうことに関係すると思うのです。20-25年後に悩むのではないでしょうか? いや、杞憂なら良いのですが‥‥。 ついつい気になったので長々と書いてしまいました。どちらにせよ、おちかの嫁ぎ先の話はこのままで終わらないので、もう一波乱あるのは必須です。 あと、おまけとしてトリビアな話を。(←話が長いぞ!) 袋物を売る三島屋は、神田三島町にある店です。「東京時代MAP大江戸編」(新創社)を広げて調べました。現在の神田東松下町辺りでした。おちかの嫁ぎ先は神田多町二丁目だそうですが、それはそのまま地名としてあります。神田駅から秋葉原駅に中央線に沿って歩いてゆくと、神田川手前の右手に三島町、左手に多町があります。おちかはホントに歩いて300メートルちょっとの処に嫁いだわけです。この辺りは、大江戸の一大商業地帯です。果たして庶民は密に密に寄せ合って住んでいたことでしょう。また、「面の家」冒頭で起きた火事は、秋葉原駅の東北出口の辺りです。神田川挟んで500メートルなかったので、三島屋さんも焦ったことでしょう。
2020年07月25日
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「火車 Helpless」 2012年作品。宮部みゆき「火車」が原作の韓国映画作品。宮部みゆき女史がロングインタビューで「映像化No.1」と言っているのを読んで、観た。 「作品に対するアプローチが原作と全然違いますし、映像も素晴らしく美しくて、悲しい。ヒロインも素敵です」と女史は言う。 確かに中居主演の「模倣犯」はひどかった。「理由」も、途中まではよかったんだけど。ただ、「ソロモンの偽証」は頑張っていたと思う。あれより良かったんだろうか。テレビドラマの「火車」も酷かった。 結果としては、悪くはないという感じだった。 「ヒロインが素敵です」もしかしたら、これが1番女史の眼鏡に適ったのかもしれない。如何に原作に忠実に描いても、小説と映画では作法が違う。だとしたら、原作では最後に出てくるヒロインを最初から出して、じっくりとヒロインの演技を観た方がいいだろう。キム・ミニ(映画「お嬢さん」主演)は、幸せな恋人も、惨めな人生も、非情な部分も、全て演じ切った。「ソロモンの偽証」の中学生演技ではやはり女史の満足を取れなかったのかもしれない。映像で見せる映画ならば役者の熱演を見せるのが1番である。そして、韓国映画は、原作にはない「ラスト」を付け足した。確かにこうならざるを得ない部分はあるのだけど、日本人は受け入れることができるかどうか、微妙。 私の行ったことのある堤川が、わりとそのまま出てきて嬉しかった。日本人はほとんど知らないと思いますが、昔ながらの日本式家屋が現役のまま未だ多く残っていて凄いところなんです。 (2012年ヒョン・ヨンジェ監督作品 キム・ミニ、イ・ソンギュン出演)
2020年07月25日
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「高精細画像で甦る150年前の幕末・明治初期日本」東京大学史料編纂所プロジェクト編 洋泉社 ブクログレビューで存在を知りました。ありがとうございます。今までの幕末写真集と一線を画していて凄い。(映画「相棒」などでよく見られる)デジタル技術を駆使した写真集でした。写真を拡大・加工して、写真の隅にある部分を一般写真まで大きく鮮明にすると、思わぬ情報がどんどん入ってくるという写真集。 結果的に、愛宕山から築地方面を望んだ一枚の写真から、当時の江戸の撮影者の意図しない情報を引き出すことができた。御茶ノ水から神田川下流を見た写真から秋葉原辺りの街並みも見えた。京都の清水寺山門から、はからずも当時の京都の街並みをハッキリと見えた。 他の発見としては、落書きも所々写っていて、おもしろいくらいに、みんな相合い傘を書いていた。江戸時代には、もうこれが一般的だったのかもしれない。ということは、昔も今も、政治とか暮らしのことよりも、男女がくっついた離れたということの方を世間様は知りたかった、知らせたかった、ということなのか。 その他、発見したところ。 人物写真やお寺などを写した所謂記念写真・観光写真も多いのだが、わたし的に最も面白かったのは、遠景写真。 ・武家屋敷には、所々2-3階建ての物見所があること。 ・多くは寄棟造。その次に切妻造が多い。入母屋造はない。 ・大通りや橋には、必ず番所があった。いったい何を見張っていたのか。橋では交通料を取っていたらしい。 ・また、要所要所に必ず半鐘があった。 ・隅田川両国橋・日本橋もあった。思ったより、狭くみすぼらしい。しかし、よく考えれば車は通らないのだから、あのぐらいの大きさでよかったのだ。 ・流石にこの頃は左官職は、絶滅危惧職種ではなく、ほとんどのお屋敷は左官の手が入っている。海鼠(なまこ)壁は、目路が縦横に入っているのはほとんどなくて、斜め格子模様がほとんど。愛宕山からの武家屋敷のそれは蒲鉾のようななまこではなくて、三角山の鋭い漆喰を盛り付けているが、武家屋敷は全部これなのか、確かめられなかった。横浜の洋館も、結局壁は海鼠壁を採用していて和洋折衷していた。 ・屋根は漆喰で固めている家が案外多い。台風対策だろうか? ・東京大空襲で焼け落ちる前(笑)の、浅草寺五重の塔、本堂の写真もあった。 ・無造作に置かれた大八車や、寺の前に置いている棺桶(ちょっと小さめの樽のように見える)も、興味深い。
2020年07月22日
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「地形図でたどる長野県の100年」長野県地理学会 信濃毎日新聞社 図書館の新着コーナーで見つけました。こんなのが我が県でも作られたら良いのだけど、残念ながら長野県独自企画らしい。是非、全県で作られることを願って紹介したい。 県民ならば発見は山ほどあるだろうけど、ほとんど長野県を訪ねたことない身では、「軽井沢の都会化は目を見張る」「信州ワインの産地は昔は桑畑だったんだ」「完全な荒地がレタス畑へ」「大正元年地図には有名な古墳も表記がない」という感想ぐらいしか出てこない。地図の本ではあるが、文章は半分ぐらい占める。皆さん語りたいことが山ほどあるらしい。 (内容紹介) 日本で近代的な測量に基づく地形図が誕生して100年。当時と現代の地形図とを見比べて、その変貌から長野県各地の歩みを読み解くユニークな近現代史。軽井沢の別荘地や志賀高原のスキー場、安曇野や八ヶ岳山麓の農業地帯、長野市街地の大変貌、千曲川流域の災害地帯まで、かつて何が、どこに、どのようにあったのか。そして今、どのような姿なのか、なぜそう変化したのか…。新旧紙地図から地形や地図記号を頼りに歴史の世界を案内する。 ●内容 【1章】開発 日本最初の高原リゾート誕生 スポーツのメッカになった高原 溶岩地形に築かれたスキー王国 世界へ飛躍したスキーの村 原野とため池が巨大観光地に 地元の熱意でロープウェイ実現 街道の難所 ルートの変遷 進化を重ねた急勾配への挑戦 千曲川の治水で豊かな田園に 出作りの村は観光へとシフト 地域に風穴開けた恵那山トンネル 豪雪の地は“魅惑の秘境”に 自然災害と共存している村 恐れと 恵みと 信仰の山 三六災害の「暴れ天竜」克服 【2章】発展 ワイン特区はかつて桑園だった ため池にみる水確保の歩み 山麓開発と観光の様変わり 扇状地に行きわたった命の水 長大な大地を潤す「西天竜」 「レタス王国」へと成長した村 日本有数の果樹生産地を実現 大地がブドウ、レタス大産地に 標高1,000m 高冷地農業地帯 先駆者が導いた「くだものの里」 丘陵地に立地する新工業団地 変化しながら地域をリード 「ものづくりのまち」は世界へ 「工業の安曇野」をけん引 初の多目的ダムとリフレッシュ 開発と保護 ビーナスラインの今 真田の城下町 復活にかける 悲願の温泉引湯でリゾート化 地形的ハンディ 乗り越え発展 五郎兵衛用水は今も息づく 製糸の街 蔵の街が迎えた転機 城下町から商都、文化都市へ 製糸時代の栄光に活路を探る 【3章】変容 人口減少が進む中山間地の今 ヒノキで栄えた木曽谷の集落 絶景の急傾斜地に根付いた暮らし 上田が私鉄のまちだったころ 城下町小諸が描く街の未来像 門前町から県都へ 進化の歩み 扇状地は商業集積の最前線 中信2都市間に拡大する街 交通の要地から発展した街 高速道と新幹線で大きく変貌 古代からの往来の要地は今 信州の交通革命を象徴する地 リニア新幹線が新たな転機に 麻づくりの里 往き交った峠道 湧水が育む特産ワサビと養魚
2020年07月21日
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「キラキラ共和国」小川糸 幻冬舎文庫 守景鳩子さま、はじめまして。 あなたからの手紙、確かに受け取りました。何故か、2冊の本の2巻目の最終章に、私宛のたよりが入り込むという形で。 神様が気を利かせたのか、鳩子さんと蜜郎さんとの初キッスも初えっちもなくて、2巻目の最初から入籍していたことになっていたのには、少し笑いました。わたし、そんなに弱くないです。 はるちゃんと、夫のこと、あなたならば任せることができると、真から思いました。安心して天から3人のことを見守ることができそうです。此処には万年筆も便せんもないので、こんな形で返事を書くことをお許しください。 はるちゃんのことを、こんなにも愛してくれて、蜜郎さんの強いところも弱いところもちゃんと理解してくれて、それでいて自立していて、ひとの気持ちを汲みとって代書するという力までお持ちで、とっても素敵な女性だったので、ホント嬉しいです。キラキラの法則、私も少しだけ、手を添えさせてください。 ご近所さんたち、バーバラ婦人、男爵さん、パンティーさん、も楽しい方たちで嬉しいです。天から見ると、男爵さんまだまだ此方に来そうにないので、代書書いてないのは正解だと思います。ナイショですけど。 本を読んでいると、美味しそうなものばかりが出てきて、無い腹がグゥと鳴りました。うらやましかったです。 新しい生命を授かることを祈っています。 美雪
2020年07月20日
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「対決!安倍改憲」高田健 梨の木舎 図書館の新着コーナーで見つけた本。よって後書きは4月8日であり、ギリギリ新型コロナウィルスについての国会対応への意見を入れている。この3年間の改憲策動へのまとめともなっていて紐解いた。 今回のコロナ禍は「今後の市民運動の重大な転機になるに違いない」とは書いているが、ざっと読んだところ、高田健さんは常に運動の最前線・ど真ん中に居て10年後を見通すことはできていない、と感じた。もっとも朝令暮改で明日のことも見通せない某首相と比べたらよっぽど世の中を見ているとは思う。それは「欲」がないからだ。純粋に、日本の将来を見て改憲させてはいけない、とそれだけで運動してきたからだろう。 高田健さんは、この3年間の情勢を「奇跡的なたたかいだ」と評価する。国会内の議席数の圧倒的な不利な状況下で、改憲発議をさせなかったのは、結局は地道な集会・署名・共闘組織の構築と、野党共闘と、世論の力なのだ。私も同意する。 しかし、基盤は弱い。21年の改悪発議タイムテーブルまで、まだまだ油断は出来ない。あと数年間は今までの運動を強くすること以外には無いのだろう。高田健さんは、東北アジアの平和・共生を見越して、韓国の市民運動との共闘に大きく力を入れている。 著者は戦争をさせない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表。 第一章に総論。 第二章ー三章、「週間金曜日」連載レポート。 資料として、 (1)自民党「改憲4項目」条文素案全文(2018年) (2)〈日本知識人の声明〉韓国は敵なのか(2019年) (3)〈韓国知識人の声明〉東アジアにおける平和の発展のために(2019年)
2020年07月19日
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今月の映画評です。「天気の子」 異常気象が続いています。パンデミックのコロナ禍も続いています。平成に育った若者は、生まれた時からずっと、バブル崩壊、大震災、就職超氷河期、原発問題等々と不安の中で過ごしてきました。私のような還暦にもなろうする世代には違う世界が見えているのかもしれません。 今回は、昨年の最大ヒット映画を紹介します。新海誠監督の前回アニメ「君の名は。」(250億円突破)は、私は若者受けする伏線回収方式を「あざとい」と思ってあまり評価しませんでした。監督は今回、その成功体験はバッサリやめて、ストレートに自分の世界観を出したようです。 私のアニメ・マイベストは現在も、宮崎駿監督の「もののけ姫」です。「このままでは世界は滅亡する」という宮崎監督の独特の文明観を、当時の技術をぶち込んで、奇跡的にもストーリー的にきちんと着地させた傑作でした。 新海監督の方は、既に文明は危機に溢れていて、その中でどう生きるのか、ということの方に関心があるのだな、と感じました。しかもその背後に、万葉集や柳田民俗学の教養が見え隠れします。その眼差しは、遠く過去から、そして宇宙にまで広がっていています。なんか、このままスクスク育っていって欲しいなと感じるアニメ作家です。そういうわけで、新海誠と言えば、絵の美しさや音楽の使い方に評価が集中しているようですが、その面があるから説得力があるのですが、私は別の見方をしました。 さて、物語は今年のように大雨が続く東京で、100%晴れ女の異名を持つ陽菜が、家出少年帆高と共にいっときだけ晴れ間を見せるアルバイトを始めます。やがて天気の巫女たる陽菜が、異常気象を止めるには「ひと柱」にならなければならないことが判明します。ひとりの命か、大災害か。若い2人の選択は如何に?という話でした。 新海監督は当然2年前の真備の大水害のことを知っていますから、「批判は当然」と思って公開に踏み切ったようです。画面には、東京都心の半分が水没しているような場面も出てきます。ある老女は言います。「東京のあの辺は元々は海だったんだよ。ほんの2百年前まではさ」。そう言えば、と私も思いました。古代吉備地域は元々は海か干潟でした。弥生時代から大雨が降って、それを克服して大きな都を作ったのです。この物語には、「もののけ姫」とはまた違う若者の未来があるのではないか、とも思ったのです。(2019年新海誠監督作品、レンタル可能)
2020年07月18日
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「万葉学者、墓をしまい母を送る」上野誠 講談社 上野誠さんについては「万葉集から古代を読み解く」で手に取ったことがある。その語り口の優しさで悪い印象はなかった。その御母堂が身罷り、葬儀を司ったという。さぞかし、古代から現代にかけての貴重な知見を得たに違いないと思い紐解いた。 実は上野誠が葬儀に関わったのは御母堂だけではなかった。1973年から、祖父、祖母、父、兄、母と見送っている。でもまあ一般家庭とほぼ同じペースかもしれない(私も考えればよく似ている)。著者と私は同じ歳。ただし、福岡の旧家と岡山の庶民とは格式が違う、ということもわかった。焼香の順番であんなにも頭を悩ますとは!しかも、墓は二階建て人が5ー6人立ったままで入れる大きさだ(1930年建立)。まるで巨大古墳の石室の如し。上野家の格式の高さ、如何ばかりか。 さて、数々の葬式に出た著者は、最初の祖父の葬式(13歳)が1番格式高く、後の万葉学者として大いに「学び」を持った。 ・死者に対して愛情と畏怖ふたつ持つのは何故なのか? ‥‥突き詰めれば、このひとつについて興味深いことを語っている(詳しくは本書を読んで欲しい)。これを深めたのは著者の「古事記」「日本書紀」の知識だろう。万事、業者に任せる現代では、なかなか体験できないこと(湯灌、衣服の焼却、茶碗割り)を解説する本書は、古代学・民俗学知識の開陳かのようだが、本人の体験に基づくこれらは、そうではなくて優れてエッセイ文学である。 ところが、格式あった巨大墓は、たった62年で墓終いをして霊園墓に移る(1992年)。ここで私は墓にも流行り廃りがあることを改めて思い知らされた。霊園墓は企画墓であり、案内図を見なければたどり着けない。墓のサラリーマン化。それは即ち戦後昭和の日本そのものだろう。だとすれば、令和の時代に、墓の姿はまた大きく違ってゆくだろう。何が変わって、何が変わらないのか。そういうことにも、私は想いを馳せた。 古代学・民俗学・墓学(?)も入っているが、やはりこれはエッセイであり、一介の学者の家族史なのである。だとすると、当然介護学(?)も入ってくる。本人は「自慢話」というが、私も多かれ少なかれ体験した「あるある話」である。 人によっては「お母さんの貯金が1000万円もあったのだから、施設の3ヶ月移転7年間の闘いなんて楽な話だろう。俺はもっと苦労している」「葬儀の外注化・簡素化は嘆かわしい」というかもしれない。もちろんもっと苦労している方は山ほどいる。未だにきちんとした葬儀をしている地方もあるだろう。しかし、著者の書きたかったのはそんなことではない。 学者らしく「私と葬儀の関わり方」一覧表を作っていて、5人の葬儀の移り変わりを見せている。葬儀だけでいえば、私は喪主を3回していて、彼は一回だ。家族葬は、私は遂に選択できなかった。あんなに格式あった彼の家族の葬儀は、兄上の時は一挙に都会風の家族葬になっている。これは良くも悪くも「社会のあり様の変化」のお陰である。と、著者は言う。ホントに良くも悪くも。 ひとつ気になったのは、危篤状態にも関わらず3ヶ月ルールで御母堂は転院させられている。私の父の時はなかった。著者はこれが普通だと思っている。私の場合が特別なのか? 最後の方で著者は万葉学者らしく「挽歌の心理」と一章を設ける。さらに最後の方では、「死と墓をめぐる心性の歴史」についても考えを回らす。東アジアには、薄葬と厚葬思想が交互に現れるという。そういえば、古代の薄葬令から現代の上皇の決断まで、薄葬の伝統は確かにあり、巨大古墳から庶民的石墓の厚葬だけの歴史ではなかった。大伴旅人は薄葬主義の竹林の七賢に学んで「この世にし楽しくあらば」の歌を遺している。この歌については機会があれば、また書きたい。
2020年07月17日
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「なにかが首のまわりに」チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ くぼたのぞみ訳 河出文庫 3月初めに小さな旅をしている途中、小川洋子の読書ラジオ番組を聴いていた。初めて聴く番組で、初めて知る作家の小説だった。アナウンサーの朗読と共に小川洋子さんが一冊の本を解説する番組だった。 1時間で、アルジェリアからアメリカに渡った女性の青春をすっかり知った気になり、私の知らない世界を垣間見た気になった。ちょっと気になって本を取り寄せたのだが、まさかあんな豊潤な世界が、こんな18ページほどの短編だったとは思いもしなかった。私は少なくとも、中編のよく練られた黒人女性のアメリカ留学の1年間を見せられたのだと思っていた。しかも、フィクションはあるかもしれないが、これは作家の経験したことだと確信していた。それほどまでに、ひとつひとつの「言葉」が立っていて、しかも無駄な「言葉」はひとつもなく、詩のように語られていた。 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ この舌を噛むような作家は、12の短編全てで、12の人生を切り取り、そして鮮やかに表現している。ホントに自分の経験を書いていないのか?と思ったが書いてないのだ。読んでいくと、現在のアメリカ黒人差別運動の現場に居合わせている気分になるような描写もある。 表題作に戻ると、朗読では気がつかなかったことに、3つ気がついた。ひとつ、会話には「」は使われていない。よって、まるで詩を読んでいる気分になる。ひとつ、ずっと(主人公の女性のことを)「きみは‥‥と思った」と過去形で語られている。朗読では女性の恋人になる白人男性からの呟きだと勘違いしていたが、白人男性は「彼」と語られていた。だからもう一つのことも、私は確信を持った。主人公女性はアルジェリアから留学して親戚のおじさん家に間借りするが、レイプを強要されそうになり、家を出てレストランで働き出す。そこでまるきり違う「アメリカという人間の世界」で生きることになる。その時「何かが首のまわりに絡みついている」のを感じるのである(この「なにか」は精霊なのかもしれない)。自分を理解してくれそうな白人男性と付き合うことで、その感触は薄れるのではあるが、父親の急死を聞いて彼女はいっとき故郷に帰ることになる。白人男性は「帰ってくるよな」と聞くが黙って彼女は別れるのである。 果たして彼女は帰ってくるのか? 小川洋子さんは「帰ってこない」派だった。実はこの文体そのものが、彼女と白人男性はうまくいかないことを証明していた。ということが読んでみてはっきりわかった。 こんな波乱万丈の物語を短編で見せて、なお、余白を感じさせるストーリーテラー。すごいと思うが、一編読むのに物凄く疲れて、この一冊でもういいや、という気になった。黒人文化に興味ある人には、必読文学だと思う。 アディーチェの文学が文庫化されたのは、これが初めてらしい。ただし高い。300ページちょっとで、1150円(税別)である。もちろん、内容の濃さはそれ以上だ。
2020年07月14日
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「〈完本〉初ものがたり」宮部みゆき PHP文庫 2年半前の正月休みに、深川辺りを1日かけて歩き通した。亀戸(駅)、大島、北砂、千石(大江戸高校)、平野、深川(深川江戸資料館)、福住(富岡橋)、富岡(八幡宮)と歩いた。そのあとタクシーで両国の回向院にも行った。だから、少しばかし土地勘もある。 1話目「お勢殺し」は、分刻みのアリバイ崩しだった。東永代町から御船蔵前町まで何分で歩けるか、がカギになる。30分では行けないが、1時間ならば余裕だ。納得いくものだった。当たり前だけど、宮部みゆきは地元深川のことを知り尽くしている。 ただ疑問なのは、最初茂七親分が稲荷寿司屋の親父に会いに行く時、回向院裏から富岡橋まで真夜中に「思いついて」行ったことになっている。行くだけで1時間半はかかる(と思う)。それにその後も、おかみさん連れて何回か食いに行ったりする。昔の55歳は、そんなにも元気なのか?まぁそうなのかもしれない。 本作は、回向院裏の茂七親分の活躍する、ちょっと霊感高い拝み屋の少年、謎の稲荷寿司屋などを配した、深川舞台の人情捕物帖である。〈完本〉では、わたしの読んだ新潮文庫版に3話を足している。話はたいへん面白く、結局全話を読んでしまった。 最新作「きたきた捕物帖」を読んだ後に、そうだ、〈完本〉は未だ読んでいない、ことに気がつき紐解いた。(以下は両方読んでないと、わかりにくい記述です)。 「〈完本〉のためのあとがき」で、宮部みゆきは、「稲荷寿司屋の親父の正体を明かさないまま、著者の勝手な都合で途絶したきり」のシリーズは、「今後は他のシリーズと合わせて」「ゆっくり語り広げていきたい」と約束している(平成25年7月吉日)。そうなんです。1話完結の「事件」はしっかり解決するのですが、シリーズ通しての「謎」は謎のまま、20数年が経っているのです。だとすれば、「あとがき」から7年経って、やっとその約束を果たし始めたのだと、わたしは思う。 両者を読み比べて、「わたしの分かったこと」を以下に整理しておきたい。あまり分かったことはないのだが、それでも見当違いもあるかもしれないので、あまり信用しないように。あくまでも自分用のメモです。 「きたきた捕物帖」は「初ものがたり」から数十年後の話である。新潮文庫版の最後の回で茂七は推測する。「稲荷寿司屋は火付盗賊改であろう」 ところが、「きたきた捕物帖」において明らかになったことは、茂七の推理が見当違いだったことを示唆する。 (1)「きたきた」の喜多さんのおじいさんの兄上が深川で稲荷寿司を売っていた。稲荷はキタさんの「国許」の名物だった。因みに稲荷寿司屋の昔住んでいた「屋敷」には、次郎柿の木があった。 ←つまり、喜多次は稲荷寿司屋の弟の孫で、一族は武家の出であることは間違いなさそうだ。しかし「火付盗賊改」は江戸の組織だから、江戸以外の稲荷寿司が名物の地方を探さなくてはならないだろう。 (2)雰囲気的にキタさんの国、或いは一族はもうない可能性がある。お国替え?或いは一族取り潰し? ←稲荷寿司屋は「糸吉の恋」において、「一度捨てた子供を探している」と重要なことを告白している。その子供が喜多次の叔父さんになるのか、それとももっと別な形で係るのか、それこそこれからゆっくりと展開する筈だ。 (3)茂七も推測している通り、稲荷寿司屋が午前を除いて、一日中真夜中さえも深川富岡橋のたもとでずっと屋台を出しているのは、「誰か」が目の前に現れるのをずっと見張っているためだろうと思われる。しかしそれが何故新開地である深川なのか、真夜中も必要なのかは、全然わからない。喜多次の能力が忍者的なのと、関係している可能性はあるだろう。 ←しかも偶然かもしれないが、この屋台のすぐそばに、その十数年後に「きたきた」主人公の北一が住んでいる富勘長屋が建てられている。これは何か関係あるのか?更に言えば、冨勘長屋入口にはお稲荷様が祀られている。 (4)〈完本〉では、町の顔役勝蔵は稲荷寿司屋の兄弟かもしれぬ、と茂七は当たりをつけたが、一切展開しないまま終わった。「きたきた」でも、それらしいヒントも現れていない。
2020年07月13日
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「土神と狐」宮沢賢治 青空文庫 みなさん、宮沢賢治の童話の中で「土神と狐」という作品をご存知でしょうか?賢治の三大童話といえば「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」でしょうか。その周りに一等星「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「よだかの星」などが居ます。後は綺羅星のような詩的な「やまなし」とか「水仙月の四日」「貝の火」などが配置されて、後はその先駆形やメモのような作品が無数にあるのです。わたくし的には、そのどれとも位置されない、形としては短い話だけど、とてもスケールの大きい、あるいっときだけ光る明けの明星のような物語が「土神と狐」だと思っています。 女性の樺の木を巡って、神様だけど乱暴者の土神と、上品で物知りな狐がアプローチをかける、いわゆる三角関係のお話です。最後に大きな悲劇が起こり、プツンとお話は切れます。 先ずは無料の青空文庫を読んでください。 これはいったいいつ書かれたのだろうか? 発表は賢治の死後です。遺された賢治のトランクの膨大な原稿の中にあったのでしょう。 3人は誰がモデルなのか、初稿・最終稿の詳しい比定は?それは無数にいる研究者に任せるとして、私の思ったことは2つ。 一つは、これがいわゆる「修羅を歩く賢治」の自画像だろうと言うことです。狐は科学的知識も豊富で美学にも通じている。ハイネ詩集も持っている。樺の木にも心底優しい。けれども、樺の木に「今度望遠鏡をもってくる」とウソをつき、外目を良く偽っている。土神は不思議な力を持っているし、樺の木を心底愛している。そもそも神様ではあるが、風貌は汚らしく言葉は乱暴で嫉妬深く、嫉妬のはけ口を木こりに悪戯をすることで紛らわすことさえしてしまう。かっとなると、自分を抑えられないと自覚している。樺の木は、美と慈悲の結晶のような存在ではあるが、動くことができない。だから、狐のウソを見抜けない。もしかしたら、3人が全員賢治の分身かもしれない。賢治の葛藤が何処にあったのかは、此処では語ることではない。 一つは、これを原作として長編ドラマ・映画が作れないか、ということです。明治の岩手県が舞台。樺の木に、村で唯一の美しい娘。狐は洋行帰りと言っている心優しい青年。土神は、土地の若き屋敷持ち地主として、リアルな人間として演じさせる。映画としては、実験的に東出昌大に土神と狐の二役、唐田えりかに樺の木を演らせる、というキャスティングもある。結構やってくれそうな気もする。テレビドラマならば、一般受けを狙う。土神に賀来賢人、狐に綾野剛、樺の木にまるきり新人女優はどうだろう。中に賢治作品のさまざまなオマージュをいれながら、大津波で生まれて大津波で亡くなっていった賢治の時代の岩手県を重層的に描く。そして最後の悲劇に向けて、じわりじわりと描いてゆく。脚本は野木亜紀子にお願いしたい(笑)。
2020年07月12日
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「「勤労青年」の教養文化史」本間良明 岩波新書 1950年代に20代だった「勤労青年」の叔母は、日本文学全集や百科事典などの蔵書を遺していた。戦争で学校に行けなかった彼女の心のうちを知れるかと思い紐解いた。 映画「キューポラのある街」(1962)において、ジュン(吉永小百合)は、最終盤、やっと全日制高校に行ける目処がついたのに敢えて夜間高校に行くことを決める。「これは家のためっていうんじゃなくて、自分のためなの。たとえ勉強する時間は少なくても、働くことが別の意味の勉強になると思うの。いろんなこと、社会のことや何だとか」 著者は、62年当時は、これが大衆に大いに支持されたことを指摘する(キネ旬二位、映画評論一位)。教養主義とは何か。著者の説明は以下のようなものである。 「さまざまな困難を乗り越えて、働きながら学び、実利を越えた何かを追求する」 「読書を通じた人格陶冶」 「文学・思想・哲学等の読書を通して人格を磨かなくてはならない」 つまり、試験でいい点をとったり、良い就職先にありつくことではなかった。 これは現代の学生には、全く支持されないと、著者はいう。特に小百合の言う「実利を超越した勉学・教養」という主題に共感した(著者の受講生の)学生は、皆無だったと指摘する。著者は、その背景に「格差と教養」をめぐる時代背景があるのだ、と論を進める。 悪い予感が当たった。 著者は肝心の「教養」を持ちあわせてはいない。或いは、誤った「教養」を持っている。 京大出身の社会学者である著者は、ホントに勤労青年の「人格陶冶」への渇望の意味がわかったのだろうか。社会現象として解説しただけではないか。もちろん、これを全面的に展開しようとしたならば、小熊英二の「1968」ならぬ「1958」が必要になるだろう。無名の個人の思想変遷にはまで筆を進めなくてはならない。そのボリュームを覚悟して欲しかった。 昔は若者は健気に頑張った。でも、困難や時代の推移で、今は完全に廃れている。寂しいよね。 そんな内容を書くのが、「教養」が求めていることではない。「教養」は、人は如何に生きるべきか、を求めているだろう。 今ホントに教養主義は、廃れているのか? 地方は昔と同じように疲弊している。 労働環境は昔と同じように展望がない。 世界の文明はますます危機に瀕している。 青年はホントに「実利を超えた勉学・教養」を求めていないのか?現代青年の教養に対する意識調査は、著者はひとつも紹介していない。 現在無数のサークルが日本に存在しているが、それは教養主義とリンクしていないのか? 全国的な「勤労青年」の学習組織も存在しているが、著者はなぜ完全無視したのか? 叔母さんは、結局花道と茶道で免許皆伝を取った。そうやって人生に折り合いをつけたのだと思うが、広く地域と結びつかなかった。その頃は既に、地域の組織は衰退を始めていたからである。
2020年07月11日
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「はしっこに、馬といる ウマと話そう2」河田桟 カディブックス 「ウマと話そう」の第二弾ということになっているし、前回の「馬語手帖」がウマ語入門だとしたら、コレは応用編ではないか、と思って手に取ると肩透かしを食うかもしれません。例文は一切ない。詩のようなエッセイと、数限りない愛馬カディの成長してゆくスケッチが載っているだけです。 でも、とっても腑に落ちる。ヒトとウマに限らず、相手と意思を通わせるのに、もはや文法や例文や特殊な単語は必要ありません。こんなありふれた書き方は嫌なんだけど、 愛さえあればいい。のかもしれません。 河田桟は、元々カディを乗り回すために仔馬を引き受けたわけじゃありません。 ‥‥暗闇のなかで、ゆいいつ、ウマのいる方向から風が吹いてくるのを感じた。のだそうです。 彼女は途中で死を意識するような病を患っているから、「ちから」では上位に立てません。 けれども、そんなことは無視してはしっこにずっと馬といる(お世話すること含む)と、やがて「身内」になったそうです。 ウマは「なにも起こらない」おだやかな状況に、 幸福を感じる生き物です。 その幸福な日常にあなたがいる。 というその事実が、ウマにとっての身内意識を つくってゆく気がします。 (略) あなたがウマを見ているあいだ、 ウマもあなたを見ています。 ウマにとっては「見る」こと、 「見られる」ことが、そのまま馬語なのです。 (82-86p) ヒトの赤ちゃんならば、こうはならないのかな、 と赤ちゃんを観察していて思いました。 なんとか言葉でコミニュケーションをとろうとする。 お母さんも、しょっちゅう話しかける。 こうやってヒトは幸福を学んでいくのでしょうか。 与那国馬は小さな種ですが、200キロはあるそうです。 油断するとケガします。 「ちから」への畏れを持つことは大切です。 でも「ちからの感触」を知ってはじめて、 わたしたちは、力の外にでることができるのだと、 河田さんは言います。しかも、 ‥‥それにしても、これだけ「ちから」がありながら、 ヒトに従うウマって、いったいどういう生き物なのか と言っています。ホントにそうですね。 ヒトが馬語を話すために 避けては通れないプロセスがあります。 ウマは常にこころとかたらだの言葉が一致しています。 残念ながら、ヒトはそうではありません。 自分のこころとからだの言葉を一致させること だから、 ウマと馬語で話す練習は 自分のこころとからだにとって 素晴らしいエクササイズになるはず、と河田さんは 提案します。答え合わせは簡単! 「ウマに通じない」イコール 「自分のこころとからだの言葉が一致していない」 半分のページは、河田さんが描いたウマのスケッチです。じっと見ていると、カディを見分けることができるようになるかもしれません。
2020年07月10日
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「なに食べた?」伊藤比呂美+枝元なほみ往復書簡集 中公文庫 毎日つくって食べて子育てして、男のことで悩んで、それなのに仕事をもってひとり立ちしている女性たちの日常を、親友へのFAX通信という形で見せている。完全ふだん使いの言葉なので、覗き見している感覚になる。あゝこういう「生活」もあるのか。 お2人のことは、よく知らないということがわかった。伊藤比呂美は、池澤夏樹編集「日本文学全集」の「日本霊異記」現代語訳を読んだことがある。奔放な性にまみれた説話集を見事に取り出していた。枝元なほみは、毎回買っている「ビッグイシュー」で悩み相談を受けながらオリジナル料理も提案するという連載を持っていて、明るいお母さんという印象を持っていた(←彼女は独身ということは今回初めて知った)。印象じゃ女性はわからないということがわかった。 「カンボジア、行きたいな、でも行けないな。ごめんね。あんなにその気になったのにさ。 今おなかすいて(うそだ、すいてなかった。口さびしかっただけ)すりゴマ食べた。おいしかった。(これはほんと)」(ひろみ73p) 伊藤比呂美の本音が続いているように見えるけど、これも彼女の一面だろう。そうでないと、九州でAさんと別れたあと、カリフォルニアでBさんと暮らしている事の説明がつかない。枝元なほみも、2人の男と仕事の間で右往左往しているようなんだけど、ずっと東京で料理を作り続けていて、行間から匂ってくるのは、やはり自立した女性でした。 かっこよくないけど、かっこいい。 あ、この本は「出会い系サイトで70人と実際に出会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」を読んで唯一読んでみたいと思った本でした。花田菜々子さんが、コーチングでお世話になったゆかりさんにお勧めした本。「ゆかりさんに感じた強さややさしさがこの本と似ている。大人になっても日々悩んだり苦しんだりする。けれども、ふたりで一緒に笑ったり泣いたりすることで、生きるっていいな、と思わせてくれる。」とコメントしている。働く女性は、美しい、ってことかな。 以下、つくってみたいと思った伊藤比呂美さんのレシピを紹介。 ・チキンの照り煮 鳥モモの皮を裏にして弱火でじっくり焼いて脂を出す。脂は捨てて、ざっとフライパンを洗って、改めてならべて、みりん、酒、醤油、八角、生姜、蓋をして煮込む。最後に蓋を取って、強火にして、照りかえらせる。 失敗をしたと思っても、あとから「いいにおい」かがして「いい色」になる。八角を入れるとぷんとにおいに乗って、日常から足を(ほんの半歩ですけど)踏み外せる気がします。生姜だけだと、馴染みすぎてそうはいかない。 ←この辺りの表現が詩人たる所以だろう。
2020年07月08日
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「健康で文化的な最低限度の生活9」柏木ハルコ 小学館コミックス 小説で生活保護問題を扱うと大抵は「貧困ビジネス」が出てくるから、生活保護費を不正に盗る貧困ビジネスはセットだと勘違いする読者を意識してか、9巻目にしてやっと出てきた。制度と貧困ビジネスは、決してセットではない。ということを前提にして読んで欲しい。どうも今回はその序章っぽい。 10年前、労働運動との関係で、ひとつの貧困ビジネスの現場を見た。目の前に、倉庫の2階を薄い板で仕分けしてひと部屋として住まわせていた鰻の寝床があった。 「すごい!こんな地方都市にもあるんだ」 と、思った。 いつもしっかり実地調査をして、生活保護制度の実態を描くこのシリーズは、そんなわかりやすい場面は、過去の一コマとしてでしか描かない。 ここに登場する角間さんは、埼玉の無料定額宿泊所から逃げてきた生保受給者だ。生保が切れていないので、埼玉に帰るように勧める主人公・義経えみるを、角間さんは無言で振り返る。無口な男ではあるが、このシリーズを読んできた読者には、いろんな反論、言い訳、訴えを語っている事を「想像」することができるだろう。結局彼は埼玉に帰らず、空腹で雨に濡れているところを、貧困ビジネスのブローカーらしき人物に拾われる。 角間さんが無言で思っていた事はいったい何なのか。おそらくこのマンガの中では全面的に明らかにならないと思う。生保受給者には、その受給者の数だけのいろんな人生があり、そのひとつひとつの事情は、育成環境だったり、色や欲からくる人生の間違いだったり、運の無さだったり、病気だったり、ホントに様々で、ケースワーカーの仕事は、それを解決することではないからだ。ただ「勘違い・思い違い」は正すことができる。それが、それだけでも、正しい知識や判断を知らされる事はもしかしたら男の人生にとってはとてつもない人生の岐路になるのかもしれない。というようなことを、貧困な私の経験から思ったりもする。このマンガは、その経験を少しだけ豊かにしてくれる。 だから、この作品は出版されると取り寄せて読むようにしている。毎度のことながら、巻末の「教えて半田さん 住まいの貧困編」は、肯(うなず)ける事ばかり書いていた。
2020年07月08日
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「きたきた捕物帖」宮部みゆき PHP出版社 きたきた、宮部みゆきの新しい捕物帖が! 捕物帖とは言いながら、 今回は主人公北一の捕物帖ではない。 伝説の親分で育ての親の千吉が フグに当たって亡くなった後に 十手は同心沢井様にお返ししたからである。 表紙を御覧じろ。 天秤棒を担いで物売りしている16歳が北一である。 売っているのは豆腐ではない。 本を入れたり小物入れにもなる文庫だ。 十手持ちは、副業を持つ。千吉親分はコレだった。 北一は、未だ子供で親分の跡を継ぐなんてできない。 一生懸命文庫を売る。 人が良くて少し利発(そうな)顔をしてるだろ。 女将さん風情の女性が、少女と橋を渡っている。 実は親分のおカミさんで目が見えない けどすごい。 この松葉の方が安楽椅子探偵で 多くの謎解きをするんです。 屋根の上には、謎の少年、喜多さんが居る。 このふんわりとした絵柄に隠された 人の世の心の綾と闇を解きほぐす 著者が馴染みの深川が舞台 地図まであるからとってもわかりやすい。 冒頭、欅屋敷から死際の親分の居宅まで 北一はひと息で走って行けたんだろな と想像できる。 それに掲載誌「文蔵」の縁だろか 「桜ほうさら」とまるまる舞台が被っている 北一は先の「笙さん」の住んでた長屋に住むんだ いつかはコラボもあるかな 誰が誰の謎を解くのか、 次第とわかる物語の謎解きも このシリーズの魅力だろう と思うよ。 きたきたは、北、喜多でもある。 やがては北一が十手持ちになるんだろうか ゆっくり構えているから、 三巻目か四巻目になるかもしんないね。
2020年07月06日
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「証言 沖縄スパイ戦史」三上智恵 集英社新書 2018年、私は映画館で97作を鑑賞し、年末にベスト10を選んだ。その第一位に選んだのが、三上智恵・大矢英代共同監督ドキュメンタリー作品の『沖縄スパイ戦史』だった。陸軍中野学校出身の工作員が、沖縄北部で15-6才の少年を集めてゲリラ部隊をつくった。1人百人を殺した少年兵もいる。その他スパイリストが作られて、住民同士の監視が行われて殺し合いがなされたことも語られた。関係者が少なくなった現在になって、ようやく口を開き始めた人たちがいた。 映画作品も大ショックだったが、本書もかなり貴重な証言があり、しかもいつでも参照できうるように記録されたことは重要である。日本人が日本人を殺す。この745頁にも渡る新書は、映画で語られた証言を補い、新たな証言者を加えている。ドキュメンタリーとこの新書、あい補い合うものだと思う。唯一の地上戦・沖縄で何が起きたのか、を知ることは、日本国民が「いまここにある危険」を知ることでもあるだろう。 どう紹介していいのかわからない。要約などできない。沖縄南部まぶいの丘の沖縄戦争祈念館には、異例ともいえる「証言だけが展示された部屋」がある。戦後の国民は一家全滅や集団自決の証言を読んで「戦争がやってくると、こんなことになるのか」と知るはずだ。かつて私はそうだった。けれども、沖縄県民でさえ知らされていなかったもう一つの沖縄の悲劇が、ギリギリのところで、その証言が間に合った。 三上智恵は「はじめに」で、「軍隊が来れば必ず情報機関が入り込み、住民を巻き込んだ「秘密戦」が始まる」と警笛を鳴らす。「2015年から与那国島・宮古島・石垣島などに新たな陸上自衛隊基地が作られる一連の流れの中で、あたかもこの黒いピースがあちこちでよみがえり、繋がりはじめているように感じている」とも書いた。なるほど!と思ったが、そのことを展開するのが、この本の仕事ではない。スパイ養成学校だった陸軍中野学校がつくった少年兵は、敗戦で中断されたけれども本土でも組織されていた。そのことの「意味」を、私たちは咀嚼しなくてはならない。圧倒的で膨大な事実の前に、私は消化不良を起こしながら、我慢して噛み締めた。
2020年07月04日
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「図書 2020年7月号」 7月号が届いた。私はコレ以外の雑誌も読んでいるが、紹介できないのは、ひとえにAmazonで取り扱っていないからである。私は読んだ本は基本的にメモ代わりに記録している。ただ、『図書』は自社本の宣伝記事はあまり載せていないことで特異な宣伝誌ではある。ホントは、他に紹介したいのは、集英社「青春と読書」丸善ジュンク堂書店「書標」フリー雑誌「縄文ZINE」そして「ビッグイシュー」と「通販生活」。 今月は、ほとんどの記事に「新型コロナ」がなんかの形で言及されている。生活の変化が、自分の中で咀嚼されて「言葉」になるまで2ヶ月以上要するということなのかもしれない。 文筆者・切通理作が古本屋を始めているらしい(「古本屋は、無限の世界とつながっている」)。長々と書いて最終段落に 「コロナ禍で古本屋が東京都の休業要請の対象となった。「不要不急」に古書が含まれるという行政の認識には異を唱える声が上がっているし、私もそれはまさに過去と現在の分断であると思う。しかしそれ以前に、こんな形で古本屋が注目されることに、驚いているというのが正直な気持ちだ。世の中の方からは相手にされなくても、ささやかな心の自由を得たつもりでいたのだが‥‥このうえは、「不要不急」呼ばわりされた側として、1日でも長くこの世に居座っていきたいという気持ちも芽生えつつある」 「異を唱える」ところで紹介を止めようと思ったのだが、そうすると、この批評家の咀嚼した中身から出てきた「言葉」を歪めてしまうと思い長く引用した。東京にはいろんな人がいる。 もちろん、岩波書店の本も紹介される。「孤塁 双葉郡消防士たちの3.11(吉田千亜著)」。金平茂紀は、コロナ禍の下、消防士たちの記録が意味を帯びてきていると書く。被曝し汚染されたことをもって、一部住民や社会から差別されたエピソードが記されているからだ。東電の所長や作業員をヒーロー扱いする映画が作られる一方で、こういう「事実」もある。 新連載もあった。コロナ禍のコの字もなかった。「あかちゃんトキメキ言行録」と題して、ホモ・サピエンスが最初に発する「言葉」は何か、を考察している。歴史的実験としては、ヘロドトス「歴史」にあるらしいが、それは置いておこう。筆者の子ども「智ちゃん」について4pかけて書いているのが興味深い。通例は赤ちゃんは母を意味する単語を最初に発するらしいが、智ちゃんは如何に?この連載を始めたのが、言語学者でも人類学者でも文学者でもないところがミソかもしれない。数学者・時枝正が書いていた。 文学者・高橋三千綱の「帰ってきたガン患者3」では、5週間で4回の手術をした71歳の「自業自得の(←失礼)」男の生活が語られる。去年の7月のことなのに、なんと明るく語ることか。 韓国語翻訳家・斎藤真理子は、連載4回目にして、やっと韓国の話に話題を振った。日本の2人の詩人(後藤郁子・茨木のり子)のつくった2つの詩について。さりげない言葉が生きている。 民俗学・赤坂憲雄の「コロナという災禍のなかでは、見えない棄民政策が推し進められています」「水俣から福島へ、そしてコロナ禍にあえぐ日本へと、まちがいなく見えない政治は繋がっています」という言葉は重い。 今号は読み応えあった。雑誌というものは、普通1-2読んだ記事があれば良しとする。1/3読めれば御の字だ。今号は1/2読めた。ライター・橋下麻里の「かざる日本 9」は今号はガラス特集で、前半は世界と日本のガラスの歴史。後半は薩摩切子について詳しく解説していた。勉強になった。 もう少し付き合ってもらう。俳人・長谷川櫂は、「人間はなぜ死後の世界を妄想するのだろうか」と問いを立てる。「死んだらどうなるのだろうか」ではない。こういう問いなら、なんとか自分なりの答えを出すことができる。私もなんとか納得いくものだった。 「人類で多彩で豊かな文化は死後の世界という幻想の上に築かれている」 「人間が死後の世界を妄想するのも、言葉の虚構の力によるのではないか」 「もし地獄がなければ地球がまだ残っていたかどうか、世界は今よりもっと陰惨だったにちがいない」 論理展開については省略する。是非読んでもらいたい。
2020年07月01日
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