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きょうは、何故此処に居るのかわからなくなる日。 空高く鳴いているひばりたちは、いつ生まれたのだろう? あの日の光景をあなたは知っているのだろうか? 東北では珍しく、温度の上がった日差しの強い日。 いつも通る、震災のあとに自然にできた、湿地も、 きょうは干上がっている箇所が多い。 でもそっと覗いてみると、めだかだろうか? 水面が一斉に同じ方向に波打った。 きょうの中学生には、 どれだけわたしの思いが伝わったのだろう? わたしが伝えたいのは、「命を大切に」ということだけれど、 先日の会議で、かたりべが集まりみんながどんなことを話しているか発表しあったけれど、 わたしの内容は「気の持ちよう」というひとことにまとめられた。 まとめたかたは聡明な方なので、 わたしが伝えたいことはわかっているのだと思うけれど、 とてもとてもひっかかった。 「気の持ちよう」・・・・・・・ そんなものを、わたしは伝え続けて良いのだろうか? もうそろそろ潮時だよ、と誰かが肩を叩いたのだろうか? もっと大きな会議では、 「もうお涙頂戴の体験記を伝えるだけではいけない。」 「明るく未来を見据えなければ。」 という意見も出た。 なおさら感じる。 こんなこと、伝えて良いのだろうか? なかったことなどにはできないし、 乗り越えることなんかできない。 乗り越えるつもりなんかない。 というか、できない。 それなら、もうそろそろ・・・・・・・ いやいや、そんなこと考えずにもう少し・・・・・・・ 石巻からの帰り道。 有料道路を使わずに、海沿いを南下した。 あちこちにできた堤防で、 ほとんど海が見えなくなっていた。 安全のためだという。 でも、見えないことがこんなに不安なのはわたしだけなのだろうか? 二つの川が海に流れ込む場所が見えた時に、 悲しいような 寂しいような 苦しいような 怒りのような 懐かしいような とても苦しい感情に包まれた。 きょうは涙が止まらない。 わたしは何故此処に居るのか。
2016年04月26日
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「思ったことをすべて言葉にすればよいというものではない」と言われたよ。じゃあ、何を言葉にすればよいのだろう?全くもってわからなくなってしまった。途方にくれるとはこのことなのかな。明日は朝から石巻でかたりべのお仕事。この仕事を始めての、キャンセルになるかもしれない。こんな気持ちじゃ、しゃべれない。あの人も、家と両親と故郷と近所の人とすべてを失った私と同じ思いをすればいいのに。そうすれば、わたしがどんな気持ちだったのか、どんな思いで生きているのか、わかってもらえるだろうから。
2016年04月24日
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3月11日には、東日本大震災から5年たちました。4月14日には、熊本地震のはじめの揺れが起きました。いろんなことを思いました。中越のことも、阪神大震災の時のことも思い出しました。自分はこうして安全な場所で猫をなでながらその状況をテレビで見ているけど、自分たちが東日本大震災に襲われた時にも、こうして、日本のどこかで、熊本のどこかで、テレビを見ていたのだろうな・・・・とか。「同じ立場にならなければわからない」というのは、熊本で被災した人はもちろんだけれど、逆に自分の生活する上で上記のテレビのことをはじめ、感じたことがたくさんあったのです。東日本大震災の時に、九州に住む友達が、「あまり悲惨で思わずテレビのチャンネルを変えたわ」という話をあとから聞いた時に、なんてひどい人なんだ、自分は実際にそこにいて苦しかったり寒かったり、食料飲料がなかったり、地面がなんども揺れたりして辛い思いをしているわけじゃないくせに、安全な場所でテレビを見るくらい、どうして共有できないんだ、と思いました。こちらは24時間ひとときも休みなしなのに、自分は夜は寝てるんでしょう?起きている時に思い出すだけでしょう?・・・・と。優しい人だからとても胸を痛めてくれているのはわかっているけれど。でも、今回わかりました。テレビ、見るのが辛いです。彼女とは違って、あの頃のフラッシュバックや、そうそう、なんども感じた、水の中で呼吸をとめてずっと我慢しているようなあの感じ。あれがなんども襲ってくるのです。うちの猫たちでさえ、テレビから流れる無線放送や、緊急地震速報の音で、びくびくそわそわしています。こんな小さな動物たちでさえ、あの日々のことを覚えているのです。それから、私は九州の友達を心配してよかれと思って発言したものを、まっこうから否定され嫌悪感を示されました。ひどく傷つきました。過呼吸に似た発作が起きて、頓服で出されている、精神安定剤の薬を飲みました。そこで、やっと気付きました。私は、大阪に住んでいた「弟」の奥さんを、当時責めたのです。なぜ来てくれないのだと。どうして一緒に父を探してくれないのだ、めちゃくちゃになった実家を片付けてくれないのだと。当時受験生だった息子をそうそうなんどもつきあわせてられず、ひとりで何度も実家に通いました。弟は、自分が一番大切な人間で、またその家族がその次に大切な人間。だからこそ、「原発」「窃盗団」そのことを気にして、男の自分ですら東北に長く滞在することを嫌い、仕事だと嘘をついて、震災の後、私が母を見つけたあとに石巻に来て、父親を探している最中に、大阪に戻って行きました。仙台市内に社長の自宅があって、「これらが落ち着くまで戻らなくていい」と言われて宮城に入ったと言っていたのに。そんな社長が、急ぎの用事を言いつけて大阪に戻るようになどと言いつけるでしょうか?うそ なんです。交通が混乱している中で、東京に住んでいるいとこが、自分の車で宮城に行くということを知ったので、そのスケジュールに合わせて、一緒に帰ってきただけで、そのいとこが(いとこの実家は家は流されたけれど、死んだ人はいなかった。すべて流されたので、片付けるところさえなかった)東京にもどるタイミングで、自分も仕事だとうそをついて戻って行ったのです。そんな彼を私は許せませんでいた。弟のお嫁さんはわかってれていると思いました。「こんな混乱した状態だからいいんだよ」とも伝えてくれたのです。それなのに・・・・・・私は彼女をひどく傷つけてしまったのだなと、今更ながらわかりました。災害とは、そんなところにも影響を及ぼすのですね。友達からの言葉で胸が苦しい今、薬が効くのを待ちながら、そんなことをぼんやり考えています。
2016年04月22日
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