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1月20日に香港へ来てからというもの毎晩子供を寝かしつけた後、夜な夜な買い物に行く私。ほぼ毎晩。昨日は今週の金曜日から始めるヨガクラス(マンション内クラブハウスで4回350香港ドル=5500円)のためのウェアーを買いにタイクーシンまで。(スポーツはまずは『格好から』というところが私らしいでしょ?)その前は家の家具を探しにノースポイントの家具屋さんまで。その前は確かコーズウェイベイ。そして今日はワンチャイまで行くつもり。魔の三歳児君&プリンセスを16時にお風呂にいれ魔の三歳児君に17時半に夕食をとらせて19時に寝かせる。帰ってきた夫とともに夕食をすませ出発は20時。そして毎晩毎晩両手いっぱいの買い物袋を抱えて22時か23時頃タクシーでご帰宅。マンションの夜警さんも毎日の事でなれてきたみたい。すんなり鍵もあけてくれるようになった。そんな私を見て夫君は『Night Walker』と笑う。ロンドンで抑制されていた私の買い物熱を今まさに発散してるかのよう。(ま、買うものは生活用品ばかりですが)ロンドンからの荷物、クリスマス時期に重なっただけにまだ届いておらず香港への到着予定時期は20日。そこから約1~2週間かかって我が家にくるらしい。それまでは必要品もまだまだそろっていないので私の怪しい夜の行動は続くだろうなあ。そう、話は変わるけど今日の夜オーストラリアから英国人姑が来る。3泊4日、英語の漬け物になる私。そして明日からは魔の三歳児君、香港でのナーサリーデビュー。どうなることやら英国人姑&魔の三歳児君。がんばれ私。(プリンセスは寝ているだけなので関与なし)
2007年01月31日
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早くも生後4ヶ月になってしまったプリンセス。引っ越しの合間を縫って予防接種を受けないと行けないという事を思い出した。(一人目はあんなにきっちりしてたのになあ。。。)という事でご近所の方に聞いた近くの病院へ行く事に。香港の多分ハッピーバレーの上の方にあるであろう病院。(地理がよくわかってません)『アドベンテイスト病院』広東語で『港安医院』我が家からタクシーで600円ほど。漢字を書いた紙をタクシードライバーにみせすぐに通じた。この病院は私立。一応公立の病院では予防接種がただらしいんだけどなんせ広東語はわからないし、英語も通じる自信がないので初回は私立を選んでみた。感想。並ばなくてもいいしイメージしてたより綺麗!(いかにロンドンがひどかったかわかります)英語も香港英語ではなかった。要するに私の英語が通じたし私も理解できた。夫君なしでがんばったんじゃない?私。今日プリンセスは無事6in1を受けました。来月はBCGを接種予定。DRに『咳が出てるから薬はいるか?』と聞かれた。ロンドンのGPでは絶対出してくれない。そしてそれになれてる私は断った。日本のように薬付けにしたくないもの。自然治癒、自然治癒。ひどくなったら出直しますと言って予防接種だけ受けてきた。(この辺もかなり鍛えられてるでしょ?)今日の出費は2030香港ドル(約31700円)会社から出るといいんだけどなあ。期待はしないで次回は公立病院チャレンジしてみようかな。(英語が通じたのでチャレンジ精神旺盛)
2007年01月30日
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ロンドンにいたときから香港の育児事情を教えていただこうと思い数人の方とMIXIでメールやり取りするようになった私。今まで数人の日本人ママと既にあい色々と教えていただいてます。そして今日はJさんにお誘いを受けて陽明山荘と言うピーク頂上の超豪華マンション近辺のBBQ エリアまで急遽お出かけする事に。山をタクシーで登る事約12分、香港にこんなところがあるなんて!とうくらい緑いっぱいの場所。なんだかほっとしました。そしてJさんと待ち合わせ。私もロンドンでブログを通してサーモンケチャップさん、アップルさんにお声をかけていただいた。こちらからお声をかけるの初めてだったのでブログは読ませていただいていたもののかなりドキドキ。上の二人もそうだったのかなあ?(そうだった?)今日お会いしたJさんは気さくな方で子供二人ともが同級生。下の子に至っては数日違い。お話を色々聞いていて私も子供二人つれてより一層活発に行こう!と思いました。そしてBBQ エリアへ。私たちは日本人スタイルのBBQ。だけど少し先に興味深いものが! 『あんなの見た事ない!』と興味津々に近くへいってみました。BBQに参加していた日本人の女の子に通訳してもらい『これはいったいなんなのか?』と訪ねると『パン』との答え。そう、竹にパンを巻いて焼いてるんですね。香港人の子供たちもボーイスカウトでやっているとか。日本では絶対あり得ない風景。『やっぱりここは香港ダア!』とまたもや実感できました。周りにはあまさんと呼ばれるメイドさんたちもいて自分たちの国の音楽をかけたりして休日を楽しんでいました。魔の三歳児君と言えば、、、イノシシ?豚?とも言えないものにまたがって香港人の子供と遊んでいました。彼の適応能力にはいつも圧巻ですが今日はいつにもまして香港人の子供たちとまぎれて遊んでます。意外にも子供って英語話せる子が多いんですよね、香港。(大人は今一のような気がします)教育熱があるからでしょう。Jさん、今日は誘ってくれてありがとうございました~。
2007年01月28日
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香港へ来て1週間がたちました。専業主婦の私は毎日を子供とマンション内のプレイエリアで過ごす日々。ロンドンと違って面積が狭い香港島、マンションの下にこんなプレイエリアがあるんですよ。これは私たちが家を決めた理由の一つの大きな要素でした。ここで私は平日魔の三歳児君の体力を使うべく朝10時から1時間半、昼14時頃から1~2時間、暇をつぶしています。いくら施設が整っているとはいえ公園だけだと東京でも香港でも変わりがないという事で今週末、香港外出計画を夫君と練りました。やはり香港と言えば『山からの眺めでしょう』という事でビクトリアピークへ行く事に。そう、東京いったら東京タワー!みたいな感覚の『お上りさん状態』です。それも香港らしい移動手段『トラム』を使おう計画。(どこまで観光気分なの!?)という事で昨晩プリンセスをしょって動けるように抱っこホルダーを新たに購入。(香港はいくらマクラーレンのベビーカーでも厳しい坂道です)混雑を避けるため今朝9時に出発して参りました。トラム初体験なのですが感想は、、、、思ってたより細い!揺れる!古くさい!なんだか昭和初期の電車に乗ってるみたい。魔の三歳児君は前から向かってくるトラムに大喜び。そして香港の交通手段たち。タクシー(ワンメーター200円ほどです)ミニバス(乗り合いバス、まだ乗った事ありません)そしてピークに到着。いいお天気だけどやはり大陸から出る空気汚染で向こうの方までクリアーに見渡せるという景色ではありませんでした。(残念)魔の三歳児君は高所恐怖症なのか早く立ち去りたい様子。仕方なくさっさと退散。今度はこんな夜景を見にきたいなあ。(それも子抜きで)お家に帰ってきてからは夕食の準備。最近の魔の三歳児君夕食の準備を手伝ってくれるようになりました。それとともに食べるようにもなった!パスタはもちろんカレーなど子供の好きそうな料理が嫌いだった魔の三歳児君。いつの間にか克服です。食べるせいか遺伝のせいか身長もぐんぐん伸びとります。食育にかなり悩んでいた私、安心しました。子供って成長期に入ると何でも食べるんですね~。そして窓際で日向ボッコする私の大事な宝物たち。引っ越しや帰国などバタバタする状況にも関わらずお兄ちゃんらしい顔つきになってきました。このまますんなり母とともに香港生活になじめますように。
2007年01月27日
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ブログを日記代わりに付けている私、今日は必ず書き記しておきたい事を書こうと思う。それは頑固で田舎気質の父に対する思い。それは香港へ帰国する日の出来事だ。19日、午前中に町役場の3ヶ月検診があったので検診を受けたことがないプリンセスを夫君と私とで連れて行った。魔の三歳児君は検診へ一緒に連れて行ったらえらいことになるのはわかっているからおじいちゃん&おばあちゃんとお留守番してもらった。私の町は最近合併をしたということでベビーの数も田舎の検診の割に20人と多かった。予想以上の人数だったので検診に2時間とられた。そして今度は帰国前にプリンセスを学資保険に加入させておきたいと考えていたので郵便局へ。ここで約小一時間。それから町役場へ転出届を出しにいったりと慌ただしく過ごす。私たちが留守にしていた時間は計3時間。その間の出来事。『ただいま~』玄関をあけて入ってくるなり母が『おじいちゃん救急(QQ)へ運ばれた』と言った。QQと言われたらすぐに思いついたのは救急車。私の父は腎不全で透析をしている体、腎臓の関係で血圧も非常に高い。先日雪が降った時の事、目を疑う怖いことがあった。父がストーブの石油を入れようと暖かい部屋から外へ出たときのこと。フラッと揺れている父の後ろ姿があった。私はそれを偶然みてしまった。暖かいところから寒いところへ出るのは血圧を急に挙げる原因。その時私は父が倒れるのではないかと思った。心配して声をかけたら『大丈夫だ』とのこと。『今度から注意してね』でその時はすんだ。なので母からQQに運ばれたと聞き、思いついたのは血圧が上がって脳卒中、もしくは心筋梗塞を起こしたのではと考えた。母に状況を詳しく問いただすと『おじいちゃん、魔の三歳児君が自転車に乗るのを支えてい転倒して顔面からこけて顔を深く切って出血したの』『それを見ていた人に病院へ運んでもらってQQ外来に行った』『QQ車じゃないのね。QQ外来ね!?』外来と聞いて少し安心した。それと同時に深い恐怖を感じた。なぜなら。。。。。父親は透析をしているので右腕にシャントというものがある。一般の人には聞き慣れない言葉『シャント』。簡単に説明すると(普段は深くに隠れているはずの前腕の動脈を手術で表材化させ、 そこへ太い針をさして血液を体外に出し、 濾過器を通して体に戻す役割をしているもの。)(透析の機械)(シャント部位)利き腕の反対にシャントのある父は左手で重たいものを持てない。持つとそのシャントに血栓ができ詰まる原因になるからだ。シャントがつぶれると新しいシャントを作らないと行けない。何度も何度もつぶして作り直しにくる人がいる。もう作るところがなくなるくらい。痛い思いをして苦労して作るのを私はオペ場で何度も看てきた。作るところがなくなると命に関係する。腎臓不全の人間は透析を受けないとカリウムがあがり心臓を止めてしまい死んでしまうからだ。私の父は週3回、病院に一日4時間拘束され透析を受けている。透析で使うシャントは命の綱。つぶす訳にはいかない。なので自転車で17キロもある魔の三歳児君を押すなんて言語道断。本人も重々承知で生活していたはずだ。しかも普段から運動をしていない父。体力がある訳がない。支えきれず転倒しても当然なのだ。(私ですら支えて走れないんだもの)怖いのは先に書いた血栓による『シャント不全』もあるけど実はもっと怖いことがある。表在化しているに動脈をきってしまうこと。表在化。どこまでしているかと言えば父のは動脈の流れる音が聞こえるんです。前腕に動脈が脈々と動いているのが見えるんです。そんな浅いところにある動脈を傷つけるような行動なんて自殺行為。昼からも予定もあり、危ない事をした父に対してイライラしながらQQ外来へ迎えにいった私。仕事柄、シャントの重要性は人以上にわかっている。一度つぶれたシャントは再手術でもなおりにくい。利き腕に作り直す必要があったりまたほかの場所に作り直さないと行けないから。簡単な手術とはいえ患者にとっては今後の余生に負担が大きい。イライラも相まって父を厳しく叱ろうと思っていた。『お父さんには魔の三歳児君の相手は無理なんだから』と。外来で父は治療を受け終わったと聞き父の姿を探しに行った。父は電話ボックスから家へ電話をしようとしていた。その後ろ姿、老人のように見えた。高校時代、反抗期の私とよくけんかをしていた力強い父の姿はなかった。知らない間に年とったんだ。もう70だもの。そして声をかけ振り返った父の顔、忘れられない。左の頬に擦り傷を作り、唇を腫れ上がらせ、鼻の下をひと針塗っていた。あまりにも痛々しそうだった。怒ろうと思っていたのに涙が出そうになった。それを堪えながら父に話しかけた。私『、、、、、、迎えにきたよ。』父『迎えにきてくれたんか~』父『Nは怪我はしなかったか?』私『うん、Nは大丈夫、お父さんこそどう?どうしてこけたの?』父『自転車を押していてこけそうになって、 Nとシャントをかばおうとしたら顔からこけてしまった』私『透析してるから血が止まらなかったんでしょ?』(透析患者は透析に必要ば薬品のため血が一般の人より血が止まりにくいんです)父『うん』イライラも怒る気もなくなった。2年ぶりの孫。また海外に行ってしまう。しばらく会えなくなるので普段なら絶対しないことをしてしまった。元気いっぱいの孫と普通の祖父母のように遊びたい一心の事故。それが言葉にならずとも伝わってきた。祖父として自分の危険も試みず当然のように孫をかばってくれた、魔の三歳児君に擦り傷一つ作らなかった父。普段から薬の飲み忘れも多い、そして今日の無理な行動。医療者として『自己管理がなってない』と言いたかった。自転車のこけかたを間違えたら出血死だもの。だけど私は小さな父をみて『気をつけてね』としか言えなかった。薬をもらいにいった薬局で薬剤師さんに『名誉の負傷だわねえ』といわれ笑っていた父。普段から何かとやり合う娘と父の関係だったので『N君をかばってくれてありがとう』と素直に言えなかった。言えばよかった。代わりに『また夏に帰ってくるよ』とだけ言って父とわかれてきた。父にもっと素直にならなきゃなあ。ロンドンへ孫を見にきている人の姿を見るといつもうらやましかった。香港は海外だけど東京くらいに近い。(普通の人なら東京でも遠い?)いざとなれば夫君抜きで二人抱えてでも帰れる距離。(かなり強硬でだけど)父には言葉でうまく親孝行できないから行動に出そう。子供を産んでみてわかった事。親は無償の愛を子供と孫にくれる。私は限られた時間内でその恩返しをしないと行けない。
2007年01月25日
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THREE FINALISTS FOR MAN OF THE YEAR日本語で言い換えますと『2007年男らしさ、最優秀賞候補者』と言ったところでしょう。私のブログは女性が多いと思います。もしこの3人で旦那にするならどの方がベストでしょうか?写真の中の女性になったつもりで『男らしさ』を持つ男性選んでくださいね。男性の方はそうだなあ。。。『これこそ男だ!』を選ぶといいかな?とにかく男らしい人たちです。最初の有力候補、1、ビールを飲む男続きましては2、日光浴しながらくつろぐ男最後に3、自転車と寝る男この3名のファイナリスト、いい言い方をしますと『男らしさ』、かなり漂ってます。最優秀賞は誰だ!私は選ぶとしたら3番かなあ。
2007年01月24日
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ロンドンではナーサリー大好きだった魔の三歳児君。ナーサリーでは活発な男の子たちの中でもリーダー的存在だった。12月にロンドンから引っ越してからというもの実家で姪っ子や私と遊ぶしかなくなんだか味気なく過ごしている。3歳と言えば友達と遊びたいという気持ちが芽生える時期。友達を通して学ぶことも多い時期だ。そして英語環境キープの目的も大きい。ということで香港でもナーサリーを探そうと決意した。それも早急に。(私が二人抱えて育児が大変という意味もあるけど)そこで先月家が決まってすぐに見学へいってきた。一つ目は会社の人がお進めしていたナーサリー。Small World Christian Kindergartenミッドレベルにあり外に園庭があって程よい広さ。我が家からはバスで約20~30分。そして日本人は同じクラスに一人という少なさ。トップ先生はオーストラリアン、その他の先生もネイテイブ。香港には緑が見え庭がある学校は少ない、そしてネイテイブスピーカーの先生&生徒が多いナーサリーは少ないと聞いていただけになかなかいい感じ。一発で気に入った。でもネックは9-12時と保育時間が短いということ。お値段は3800香港ドル/月。(約6万円)ま、会社からある程度出るからインターとはいえ気にしなくてもいいお値段だ。次の日に見に行ったのは m Woodland Pre-Schools Wanchaiここは本当に町中。校舎の中に大きな行動はあるけれど思いっきり遊ばせれる園庭はなし。強いて作っている駐車場のひと区画と行ったところ。そしてイギリス形式の保育スタイル。悪くはないんだけど、、、、上の学校には負けるなあ、環境的に。そして今日見に行ってきたところ。北角聖彼得堂幼稚園。カトリック系ローカルナーサリー。我が家の真ん前。引っ越してきたときから気になっていたので今日いきなり訪問してみた。先生は香港人ばかり。生徒も一人インド人の子がいるだけで後は地元の子ばかり。でも雰囲気すごくいい!しかもお安い!1400香港ドル/月(21000円)、そのうち1000香港ドル政府の補助あり。なのでうちで払うのは6000円くらいかな。問題は言語。英語と日本語しかはなせない息子について英語で先生に聞いてみたら『インド人の子もまだはなせないけど理解できるようになってる』とのこと。言語面で日本語は家でキープ、ナーサリーで英語。遊びを通して言語を学ばせたかった私。バイリンガルでいいや~(十分か?!)と思ってたけどこのナーサリーをみてちょっと欲が出てしまった。そう、息子のトリリンガル化計画。どういうことかと言いますと、、、、、朝、上の緑いっぱいの英語のスモールワールドナーサリーにバスでいかせ、(9~12時)お昼から家の真ん前のローカルナーサリーへ。(13時~16時、先生遅れてきてもいいって言ってたし)午前中家に帰ってきてすぐにランチを食べて出かける、という慌ただしさはあるけれど私ががんばってやればできそう。16時にお迎えにいったらそのままマンションのプレイエリアなので私との時間をいっぱい作る。魔の三歳児君、どうかなあ。。。でも言語習得には今が絶対いい時期。難しいことは何も考えずプレイグループ感覚で入れてみようかなあ。。だめ元だけど広東語マスターしてくれたらうれしいもの。なんせ家の真ん前だから便利!始めるのは英語のナーサリーになれてから。そして私も長期間一緒に通える環境でアプライしてみて。よ~し、早速今晩夫君と相談してみようっと。魔の三歳児君、私の通訳として成長させてみよう。
2007年01月23日
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香港へ帰ってきました。帰ってきたというのが正しいのかどうかまだわからないけどとりあえずロンドンから何も荷物の届いていない我が家に帰ってきました。荷物が届いていないだけあって生活はかなり不便ですがこうやってネット環境を整えてくれた夫君(様)にまずは感謝。土曜日の夜に到着して日曜日の夜は子供たちを寝かせて19時半からコーズウェイベイのIKEAへキッチン製品&バスル-無製品を買い出し。コーズウェイベイまでは我が家からドアtoドアで15分。このコーズウェイベイ、日本で言い換えますと若者の街、渋谷。と行ったところでしょうか。IKEAではフライパンやお皿等々てんこ盛り買ったので帰りはタクシーで20ドル(約300円)。そして21時に帰宅後、まだいけると思った私。今度はタイクーシンのUNYへ食料品の買い出し。タイクーシンという所は日本人街という感じかなあ。とかく日本人が昔からおおいということで有名な場所。我が家から3駅、door to door20分です。ここはまさに日本のスーパーでした。ここでも安全な野菜やお肉を大量買い。宅配で送ってもらうことにしました。なので昨晩は帰ってきたら23時。そして今日は夫君はお仕事。朝は室内プレイエリアで魔の三歳児君と二人きりで遊び、お昼からは近所のセブンイレブンまでお散歩。町中を歩いていたら『あ~香港へ来たなあって思いました』人ごみの山。かき分けて歩くの大変でした。帰ってきたらフラットについている外のプレイエリアへ出陣。お外も寒いので誰もいませんでした。ロンドンで一人で公園にいることになれている私。寒くっても(といってもジャケットなしですが)小一時間すごしたかな。帰ってきてからプリンセスとお遊び。もうすぐ4ヶ月。こんなに足があがるようになってます。この調子だと寝返りも早いなあ。首もこんなにしっかりあがります。見つめる先の景色は海でもなく山でもなく香港ならではのneghbouhood veiw(ご近所ビュー)。そして18時に帰宅した夫君と夕食をすましまたもやコーズウェイベイヘ。今度の目的はCity Super。ここはまさに日本だけどそれも高級な日本でした。例えれば。。。そうだな、、、関東でいう広尾の高級スーパー。関西でいうイカリスーパーかな。ロンドンから引っ越してきた私にとって香港はまさにパラダイス。日本と全く同じ生活ができそうです。新生活スタート、まだ荷物届いてないから本格的ではありませんがこんな感じでやっております。
2007年01月22日
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今日は夫君が香港からお迎えにやってくる日。帰国して約1ヶ月が経過しました。今回の帰国は本当に良かった。二人目はイギリスで過酷な出産をしたので羽を伸ばせました。そして改めて日本文化の良さ、家族がそばに居る良さ(同じ国内に居るということのよさ)を実感しました。ことのほか友人に関してはすごい人数会いました。関西在住の友人の半数以上には会ったかなあ。その子供の数だけでも指折り数えて総勢20人(それも関西だけでだよ)会ってない子を入れたらもっとの数になる。みんな繁殖してるなあ~どこが少子化なんだ!?帰国してこうやって会いにきてくれたり電話してきてくれたりするとなんだか取り残されていた距離がぐっと近くなる。会いにきてくれたみんな、電話してきてくれた友達ありがとう。東京に居る友人達には今回会えなかったのがとても残念。でもまた東京にも絶対行く機会はあるから(出張とかで同伴しちゃいます)その時に会おうね。そして一緒に長い時間過ごしてくれた姪っ子達、あなた達がいなかったら私は魔の三歳児君とやってけなかったわ~。毎日毎日遊びにきてくれて魔の三歳児君に『丹後弁』を仕込んでくれてありがとう。ちょっとバタ臭い顔から出る『丹後弁』かなり笑えるよ。『それ、N君のやで。』『それ、しといてえ~なあ~』『N君、それは食べへんで~』そりゃあ面白いほど出てきます。こないだまで話していた英語&関西弁はどこへやら。今度夏にまとめて帰ってくるときは時間が許す限り長く滞在したいなあ。そしたらもっともっと丹後弁になるかも。そしてお母さん、子育て手伝ってくれてありがとう。毎日朝9時まで眠れたのはお母さんのおかげです。おかげで体調もすっかり良くなり、ストレスで魔の三歳児君に怒りをぶつける回数もほとんど無くなりました。そしておばあちゃんのお料理、美味しかったようで魔の三歳児君いつも食べてましたよ。母の味、見習わなきゃって事だなあ。ほんと母親の偉大さがわかりました。そして今日迎えにきてくれる夫君、香港で一人寂しかったと思います。家を決めてからすぐに出てきた私。本当だったら家具を買ったり、色んな手続きをしたりを私がしなきゃいけないのに全部ほおりだして任せっきりでした。ありがとう。夫君、関西空港からレンタカーで19時前に到着する予定。香港についたら目に見えて大変な生活が待っているから今日は子供を預けれる最後の日。子抜きで一緒においしい焼き肉を子抜きで食べに行こうね~。
2007年01月18日
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今日は中学校から同じ学校&高校が同じクラスだった友人が1歳の子供を連れて遊びにきてくれた。彼女と会うのは18歳か19歳の頃ぶり。MIXIで発見してメールを送ったのがきっかけだった。MIxiって本当にすごいなあ。小学校、中学校、高校、看護学校、就職先の病院までもコミュニテイーが出来ているんだもの。その彼女と帰国の間に時間を調整して会う事になった。今回の帰国では予定外も予定外だったんだけど会えたのがとても嬉しかった。昔から明るくて可愛くって素敵な人。子供を持ってなんだか輪をかけて素敵になってた。というか年齢を感じなかった~。高校生のときの彼女がお化粧してるみたいな感じって言うのかなあ。ほめまくってるけど本当の話。30も過ぎるとそれまでの人生がにじみ出だして来る時期。同級生で育児でかなり老けてしまっている人がいたり、外見が全く変わって気がつきもしない人がいたり、昔からは想像ができないほどあか抜けている人がいたり、すごく美人&かっこいい人になっている人がいたりする。私は一体どの部類に入るんだろう。もう三十路。そりゃ女性は出産して体型も変わるし男性はお酒を飲んで無精髭が生えておっちゃん体系にもなる。結婚して子供を産んで家を建てて中には離婚したりしている人もいる。皆が知らない所で色んな人生を歩んでいるんだ。外見だけでもなるべく関西のおばちゃんにならないように努力はしているけれどやはり二児の母にもなると『ウ~~ン、お肌が、、、』『ウ~ン、お腹のたるみが』となってくる。だけど気持ちはまだ20代なんだよね。今日のように懐かしい友人に会うと時間はタイムスリップして学生時代の事を思い出す。その当時に付き合っていた人の事とか一緒に過ごした友人とかを思い出す。思わず屋根裏から中学&高校時代のアルバムを取り出して見入ってしまった。懐かしいなあ。同窓会にもほとんど行ってないもんなあ。もう人生の半分くらい前の出来事。今でも鮮明に覚えている事があったり、写真を見る事によって思い出される出来事もあったりする。『あの人は今どうしてるんだろう?』『あの時はこうすれば良かったな~』『あの時こうしてれば今頃どうなってたんだろう』『あの時こうしたかった』『あの時これを伝えたかった』とかとか。。。もちろん時間は取り戻せない。時効成立。過去を振り返って反省する事は山積み。『若さゆえ』って間違えた道を行った事もあった。でも過去があって今の私がある。そうおもえば過去に感謝する事もいっぱい。話がずれてしまった。。1歳のまだまだ目を離せない時期、かなりCUTEな名前のSちゃんを連れてきてくれたMちゃん。遊びにきてくれてありがとう。今度は夏に帰ってくる予定なのでこれをきっかけにまた会えるといいなあ。田舎にはずっと居る事ができない私なのですが今後も色々と田舎の情報を教えてください。
2007年01月17日
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『その場にいるも同然』これが売り言葉のiChat。Macのパソコンに内蔵されているカメラでMACユーザー同士だったら無料でテレビ電話が出来るという優れもの。こんな感じでパソコン画面に表示され何人でも同時にチャット可能。(Macユーザーに限る)そして音声もかなりクリアー。今日香港のパソコンマニアの夫君の所に新しいMACが届いたという事で早速、香港ー京都間で試してみた。使い心地は抜群!なんだか本当に同じ部屋の中に居るような錯覚に陥る。実はこのブログを書いている最中も夫君の顔を見ながらかいている。別にラブラブだからという訳ではない。会話がなくても同じ部屋に居る感じがしてなんとなく落ち着くから。もしカメラ内蔵Macを持っている方いらしたら是非お試しあれ、iChat。明日の朝、魔の三歳児君が起きたら早速香港へテレビ電話しよう。こんなに長い期間Daddyと別れた事のない魔の三歳児君。かなり寂しがっているもの。毎晩寝る前に『Daddy、居なくて寂しい』とつぶやく姿はかわいそう。(居ない夜初日は涙も出てました)そんな彼の喜ぶ顔がみたいから。そしてプリンセスのすごい成長も見せてあげられる。頭の後ろにハゲが出来るくらいよく動くようになり、よく笑うようになったプリンセス。夫君もきっと喜ぶだろうな。明日の朝が楽しみだ~。
2007年01月16日
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帰国している間にどうしてもしたかった事。それは魔の三歳児君&私の歯科検診。魔の三歳児君に取っては初めての歯医者さんデビュー。幸い歯医者さんは怖い所というイメージはまだ持っていないので家で歯医者さんごっこを繰り返し練習した。『N君、お口をア~んしてください』『中にバイキンマンが居ないかどうか見てみるね』『はい、ピカピカ賞です!』これを数日前から繰り返しイメージトレーニング。そして今日が本番。歯医者さんまで二人で歩いて行って椅子に座る所までは100点満点。椅子に座った瞬間、口を閉ざしてしまいました。『あんなに練習したのに~』粘る事約10分、最終手段として魔の三歳児君の目の前におやつを出して作戦開始。歯医者さんの目の前でお菓子を出す。う~ん、私って最悪な母親だわ。。。でも最終兵器は功をなし歯をチェックさせてくれました。そして結果は『ピカピカ賞』=虫歯なし!やった~!魔の三歳児君より私が嬉しかった~歯科検診を今まで受けていなかったのでかなり心配してたの。回数は少ないけどケーキやチョコ、クッキーも食べてる。虫歯がないかどうかヒヤヒヤ物だったんです。先生曰く、、、子供を虫歯にしたくなかったらやはり子供にお菓子はあげないで下さいとのこと。『お菓子をあげて虫歯になったら親の責任ですよ』と言われてしまった。厳しい!特にダラダラ食いは絶対駄目。『はい、反省します』そして予防はキシリトールの入った歯磨き粉の使用、それから毎食後できなかったらせめてうがい。どうしても出来ない場合はキシリトール配合のガムやラムネを噛ますといいそう。先生の指導を聞いて反省しながら家に帰ると姪っ子たちがおばあちゃんとなんやら土手で火を燃やしていた。『yukariちゃ~ん、焼き芋焼けたよ~』あつあつを銀紙から取り出す姪っ子達。中からはホクホクのお芋が。焼き芋初体験の魔の三歳児君。姪っ子達の雰囲気にも流されてフウフウしながら食いついてました。普段なら好き嫌いが多いのにやっぱり焼き芋、美味しいんだね~完食!私も少し分けてもらいました。ホクホクな上、甘みが電子レンジで『チン』では出せない甘さ。そして何とも言えない香ばしいいい匂い。これならパーフェクトなおやつ。(もちろん食べた後は早速指導通りうがいしてもらいましたが)なんだか私まで懐かしい気分にさせてもらったおやつでした。おばあちゃん、いい経験させてくれてありがとう。
2007年01月15日
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『white collar exemption』久々に日本に帰ってきてニュースを見ていたらバラバラ殺人事件の他にこの話題が気になった。浦島太郎さん状態の私は早速white collar exemptionについて調べてみた。まずwhite collar とは『白い襟をつけて働いている人』要するにサラリーマンや公務員ってところ。そしてexemptionはexemptの適応免除らしい。自民党が陰に隠れて押し進めているこの法案、表立って書かれている内容読んでいると大変な事だ。労働基準法も何もかも覆す内容じゃない?もちろん言いたい事もわかる。欧米社会のように『残業した分他の日にフレキシブルにすればいい』そういう事なのかもしれない。だけど私達日本人でしょ?戦後『働き蜂』と言われてきた日本人。すぐさま『はい、そうですか』とは言えないんじゃない?残業して働いたって次の日には定時に来る。こなかったら『白い目』でみられちゃう。結局『フレキシブル』なんて言葉だけじゃない?こんなの当てはまって万々歳なの『公務員』の方じゃないかな。私は専門職なのでホワイトカラーには当てはまらないかもしれない。大きな手術中『17時です、はい手術辞めましょ』って言えないもん。それと同様、他の方も仕事を途中で投げ出して帰れないでしょ?それ常識でしょ?確かに10時間や12時間ぶっ通しの手術についてトイレ休憩すらとれない事もあった。だけどそれは人の命がかかってるんだもの。自分が休憩するために手術中断なんて出来やしない。そのかわりがんばったから残業手当でるんじゃないの?(ま、出してくれない病院だったけどね)だけど夫君は外資系会社に勤めているからもとからwhite collar exemptionに当てはまっている。月給制じゃない夫君。年棒という物を頂いている。だから毎日いくら働いても残業代はこの8年間出た事がない。朝6時半に出社して夜12時に帰ってこようともロンドンでテロがあった時は乱れる金融市場を予測して家に帰ってこずホテルで待機しそのまま出社した時も、子供と唯一関われる休日返上して家でパソコンに向かって働いているときも残業代は出た事がない。私達はwhite collar exemptionという物に知らないうちに適応されていた訳だ。だけどwhite collar exemption法案、文化が違う『働きバチ日本人』に当てはめると『過労死』や『五月病』『うつ』なんかを引き起こすとともにその家族に家族と一緒の時間をあげる事が出来ないんじゃないのかしら?『残業代0』ばかり目を向けられてニュースは報道しているけれど私は自分たちの経験上『家族と一緒の時間』が無くなる事を危惧しちゃう。何かのカードのコマーシャルでもいってるじゃない?家族との時間って『プライスレス』。フレキシブル、どこまで割り切れるんだろう、働きバチ日本人。もっと検討してもらいたいなあ。海外に住んでいる日本人の皆さん、海外ではなかなか取り上げていない日本のニュースです。海外駐在帰国後びっくりする事になるやも知れません。是非読んでみてください。ホワイトカラーエグゼンプション(white collar exemption、ホワイトカラー労働時間規制適用免除制度)は、いわゆるホワイトカラー労働者に対する労働時間規制を適用免除(exempt)すること、またはその制度。日本においては現状導入されていない制度であるが、2005年6月に日本経済団体連合会が提言を行い、2006年6月に厚生労働省(労働政策審議会労働条件分科会)が素案を示した。同省は2007年の通常国会に関連法案を提出する意向であり、早ければ2008年度にも立法し施行される可能性がある。日経連(当時、現日本経団連)は、1995年に「新時代の『日本的経営』という報告書において将来的な雇用関係のあり方について提案した。「ホワイトカラー」は、その働き方に裁量性が高く、労働時間の長さと成果が必ずしも比例しない部分があるとしており、このため、労働時間に対して賃金を支払うのではなく、成果に対して賃金を支払う仕組みが必要、というのが提案の要旨である。この提案には様々な団体や個人が反対を表明しており、「労働時間の長時間化、サービス残業の合法化を招き、特に中小零細企業での悪用が懸念される」といった趣旨の主張をしている。また、過重労働やサービス残業に対する行政の監督強化に反対し規制緩和をいっそう推し進めたいという財界側の意向もあると言われている。[1]適用対象者(年収条件は例示)適用対象者(年収条件は例示)現行の専門業務型裁量労働制の対象業務従事者(賃金要件を問わない)法令で定めた業務の従事者で、月給制か年俸制、年収が400万円か全労働者の平均給与所得以上の者労使委員会の決議により定めた業務で、月給制か年俸制、年収が400万円か全労働者の平均給与所得以上の者労使協定により定めた業務の従事者で、月給制か年俸制、年収が700万円か全労働者の給与所得上位20%以上の者除外内容労働時間・休憩・休日・深夜業の規制からの除外届出義務労使合意により対象業務とされた場合には、所轄の労働基準監督署に届出が必要賃金控除遅刻・早退・休憩時間に関する賃金控除は行わない。欠勤は賃金控除の対象労働者の健康への配慮企業の業種・業務・職種内容に応じ、産業医の活用方法・取り組みなどを自主的に労使で決定規定方法労働基準法第41条(労働時間規制の適用除外)に追加[編集]分科会素案・提出資料など企業側としては残業や休日出勤の割増賃金を払わなくて済み、試算では11兆5,851億円もの人件費が削減できるので競争が激化するグローバル資本主義化が進む未来においても競争力を維持することが可能になる。また達成すべき成果をもとに時間という概念を考えないで人員配置などの経営計画をたてやすくなるという点が挙げられる。残業の多寡による給与変動がなくなることも指摘できる。対象従業員の健康管理義務が無くなることも挙げられる。厚生労働省労働政策審議会労働条件分科会に提出された資料[8]では、使用者側からのものとして、広い裁量が認められるホワイトカラーは、労働時間が長いことではなく、成果による評価・処遇を行うべき労働者間の公平・意欲創出・生産性向上・企業の国際競争力の確保という効果があるといった意見が紹介されている。これ以外に、安倍晋三内閣総理大臣はホワイトカラーエグゼンプションについて、「残業代が出ないのだから従業員は帰宅する時間が早くなり、家族団らん増え少子化問題も解決する。」と述べている。[
2007年01月15日
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マリーアントワネットと愛ルケ。もしお時間があったら下の各映画宣伝クリックしてみてみてくださいね。you tubeから愛の流刑地画像はこちらから マリーアントワネットの画像はこちらから今から公開される映画でとても見たい映画。洋画のマリーアントワネットは大好きなソフィアコッポラ監督の作品。ソフィアコッポラ監督と言えば『ロスト イン トランスレーション』と言う映画。どなたか見られましたか?外国人の視点からとらえた摩訶不思議日本。夫君と見に行き摩訶不思議な感触を持ちました。少し大げさだけど日本へ訪れる観光客ってもしかしたらこういう風にとらえられてるのかな~って。そんな斬新な視点を持つ監督の最新作。『恋をした、朝まで遊んだ、全世界に見つめられながら』国民の税金を使って贅沢をしていたマリーの人生の裏側に視点をおいているらしい。そして映像が何より綺麗。『こんな素敵な暮らしを昔に出来たなんて~』とうっとりしちゃうくらい凝っている作り。ベルサイユ宮殿を撮影舞台にしたとか。美味しそうなsweets達。そしてお洒落な小物達。そしてキュートなキルステイン ダンスト。見たくてみたくてたまらないけどまだ1月20日公開。ということで香港で子供をなんとかしてみるしかない。もしくはDVD購入してゆっくり見る予定。それからもう一つの映画『愛の流刑地』日経で連載されていて大人気の小説。失楽園に続くかなり大人の映画。不倫相手の愛する冬香をベッドの中で殺めてしまう、その理由はなぜなのか?ロンドンに居たときから誰が主演を演じるかで話題になっていた。激しいベッドシーンがあるから誰もヒロインを断っていたらしい。最後に寺島忍さんで決定。寺島忍さんは『東京タワー』でも松本潤と不倫する人妻役にはまってたからいい人選。だけど私的には候補に挙がっていた大好きな女優石田ゆり子さんになってほしかったな~残念。で、気になる主演男優は豊川悦治。かっこ良すぎる~、文句なし。出ている俳優人も仲村トオル、陣内孝則、佐藤浩市と素敵な大物ばかり。そして主題歌は平井堅の『哀歌』こちらから無料で平井堅の上半身ヌードのセクシープロモ視聴できます。この歌がまた切ないメロデイーでテレビで流れるとつい振り返っちゃう。平井堅は日本に居たときから大好きで手術室で音楽流すようにMY CDまで作っちゃってたわ。あの時は『楽園』『瞳を閉じて』だったかな。彼のバラードの切なくなる感じがするメロデイーが大好き。『哀歌』の歌詞は平井堅しか表現できないような大人な歌。歌詞の一部で『その手で、その手で私を汚して~何度も何度も私を壊して~』彼だから表現できるセクシーな歌詞。絶対ヒットする歌だわ~(直感)これもまたすぐさま見たい映画なんだけどまだ公開されてないし、実家から映画館って遠いのよね~香港でDVD購入しようっと。マリーアントワネット公式ホームページはこちら愛の流刑地公式ホームページはこちら
2007年01月13日
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3年8ヶ月。何かと言えば魔の三歳児君の月齢。私は魔の三歳児君を3年8ヶ月前に東京から実家へ帰り里帰り分娩した。私の腎臓が悪かったので彼は6週間早く産まれた。そしてこの時に病院で同室だったという事で出会った人がいる。彼女は富山から丹後へ嫁いできた人。3年8ヶ月前、数日の入院生活で同室だったという事がきっかけで彼女とは仲良くしてもらっている。これまでの私の考え方では子供が出来てからの友人はなかなかお付き合いが難しい。育児を通しての考え方が違ったり、生活環境(例えば転勤族であるとか、ないとか)が大きく違ったり、職種が全然違ったり、共通点がないと話が合わなかったりするからだ。勿論彼女も上記に例外なく料亭で仕事をしていた、富山出身、子供は性別が違う、夫は日本人、などと私と共通点といえば月齢が近い子供がいる、くらいなのだ。一見『話題が合わないのでは?』という感じなのだが彼女はそれをくつがえしてくれた。それは彼女の素朴で明るい性格。とても話しやすくお互いの姑や家庭の愚痴を言い合える。共通点がなさすぎて反って言えるのかもしれない。そんなこんなで出産してからも数えるほどしか会っていない彼女なんだけど気が合うので東京からロンドンへ引っ越してもロンドンから香港へ引っ越してもメールを続けていた。そしてなんと二人目も1ヶ月半違いで出産。そんな彼女が今日、二人とも同級生になる子供を連れて遊びにきてくれた。家業で忙しい中、車で遊びにくれただけでも嬉しいのに彼女が持参してきてくれたものがある。それは彼女と嫁ぎ先のおうちで始めたお総菜屋さんで販売しているお弁当。ぱっとお弁当箱を開いたら大きなお弁当箱一杯に手作りの品々。あまりにも美味しそうで写真取る暇なくぺろっと食べちゃったので写真はないの、ごめんなさい。コッペがには丁寧に剥いて『内子』と『外子』と『身』までもが一緒に並べてある。(これってすごい手間が居る作業なんですよ)その他に自家製白和えや天ぷら、旦那様がさばいた地物お刺身、焼き物にお肉のたたき、スパゲテイーなど等。品数はかなり多い。最近は仕出しと言えば出来合いの品をつめるお店も多いんだけどここは1品1品手作り。最近では珍しいんじゃないかな。丹後の海の幸、山の幸が所狭しと詰まってる。美味しい。京都で夫婦で修行してやっとお店を持つ夢が叶ったのもわかる。2年前私がロンドンに立つ前に開店したお総菜屋さん。当時はまだ駆け出しで『どうなることか心配で、心配で』と言ってた彼女。だけど今は『忙しくて家族だけでは手が足りない』と言う日もあるとか。『嬉しい悲鳴』とはこの事。本当に美味しいから遠くからもお客さんがお店まで買いに来てくれるみたい。素朴で素直な彼女と旦那様のお店。味が伝わってくるから人気なんだね。まだ地元の人を中心にお総菜販売のみやってるといっていたけどいつかはお店を持って欲しいなあ。私はすっかり彼女のお惣菜屋さんのファン。彼女のお料理食べること、子供達の成長を見る事が帰国する度の楽しみとして増えました。今度会えるときはいつかなあ。下の子供達は歩いてるかな~今日は彼女の子供と魔の三歳児君&プリンセスで写真を撮りました。おつきあいはまだ浅いけど、こんな素敵な友人を持っている私、幸せものだ~これからもよろしくね!(そしてネット早くつなげてね~待ってるよ~)
2007年01月12日
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『3人そろえば文殊の知恵』聞いた事がある人も居るかもしれない。この文殊のお寺が私の実家からくるまで10分ほどの所にある。場所は天の橋立。お寺は私の小学校時代の同級生のおうち。昨日は1月10日ということもあって『十日戎』がそのお寺であった。十日戎と言えば私が大学病院で働いていた頃の西宮にもある。そこは福男を選ぶレースや阪神の選手がお参りするという事で有名な神社。毎年ニュースでその風景を見るたびに西宮で働いていた頃の事を思い出すなあ。話は昨日行った文殊の十日戎に戻ろう。えびすには宵戎、本戎、残り福がある。私達は本戎の夕方にいってきた。『商売繁盛、笹持って来い来い』あちらこちらからこの声が聞こえる境内。夏以外はにぎわいも少ない天の橋立だけどこの日は活気があった。お賽銭を入れてお参りしてと魔の三歳児君初体験の十日戎。買ってもらった笹をもって走り回ります。私は後を追いかけるので精一杯。すると境内の中に夜店が。。。『立ち寄りたくな~い』、私の本心。だけどおもちゃを見てしまった魔の三歳児君。私を通り越しジジババにお願いして電車を購入。やっぱりジジババは甘いなあ~なんて心の中で思いながら購入を見守る私。ま、海外から帰ってきた久しぶりの孫だもの、大目に見よう。境内を振り返るとそこには思い出がいっぱい。ここのお家には小学生時代、水曜日のグループ学習と言われる放課後学習でお宅訪問した事がある。そしてお寺の写生にも何度もきた事がある。それから中学生時代マラソンで練習したときも立ち寄ったし、高校生のときは一時間目をさぼって自転車で一人海に遊びに行った。思い出が沢山の場所。その風景を懐かしみながら今度は知恵の餅のお店へ。今回の帰国で2度目の知恵の餅。魔の三歳児君、お店をめがけてまっしぐらでした。また1つ、一時帰国の思い出が増えました。今度は海水浴と花火に連れて帰ってきてやりたいなあ。
2007年01月11日
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眠り姫、気がついたら3ヶ月半になっていました。ごめんね~引っ越しや帰国、魔の三歳児君の相手ばかりでプリンセスの事、書く機会がすごく少なかった~。9月27日に産まれたプリンセス、多分順調に育っています。ロンドンで最後に体重を量ったのが生後1ヶ月、4170グラム。その時から一度もはかってないし検診なんかもうけていません。(先日母子手帳はゲットしました!)今回帰国時に町の3ヶ月検診がちょうどあり行く予定なのでそれでちょっとは発達とか見てもらえるかな。二人目の余裕?それとも適当すぎ母?とにかく私的に異常は見受けられないのです。(言い訳?)最近のプリンセス、よく笑います。時折『きゃ~』と声を上げて嬉しそうに笑います。私は魔の三歳児君の相手で忙しいのですがじいちゃん&ばあちゃんにだっこしてもらっているといつもご機嫌。唯一の私との二人っきりタイムのお風呂も大好きです。魔の三歳児君は4ヶ月頃まで夜も2~3時間おきの授乳で大変だったけどプリンセスは夜は20時頃に寝て一回起きるかどうかで朝の7時まで寝てくれます。それも魔の三歳児君に起こされて。昼間も授乳回数少ないので起こして飲ませるのは産まれたときから変わらず。お昼寝もまとめて2~3時間。本当によく寝てくれます。どのくらい楽かというとこの子が一人目だったら私は世界一周に連れて行けちゃうくらい楽です。(魔の三歳児君は日本縦断も絶対無理)そして産まれたときは『う~ん??』と首をひねる可愛さだったのですが最近では見慣れた?それともプリンセス可愛くなってきたのか魔の三歳児君と同じ二重になって愛らしい顔になってきました。ロンドンの病院では周りがみな外国人で彫りの深い赤ちゃんばかりでプリンセスは『ド!!』がつくくらい日本人顔でした。親の私が言うのもなんなのですが本当に『?』でした。でも今はmixらしい顔になってきてとってもCute。最近では一人座りしたいみたいでコットでも首も持ち上げています。そのせいか頭の後ろには首が動き過ぎで出来るハゲもできてます。足は力強くもう立つ気満々、いつも突っ張ってます。女の子なのにかなり力強く育ってます。魔の三歳児君もプリンセスには相変わらずメロメロ。母親の私より可愛がっている様子。昨日は魔の三歳児君、プリンセスを肩車したいと言ってきかず私が支えてですがプリンセスは肩車させられてました。この調子で行ったらプリンセスも魔の三歳児君並みに強くなるかも?二人目はこうやって強くなるんだなあ~今月末で4ヶ月。こないだイギリスでの過酷な出産を経験したとは思えないくらいときが立つのは早いなあ。プリンセスSophie、すくすく成長中です。
2007年01月10日
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三連休は大荒れでした。雪下ろしは鳴るはわ、あられは降るわ、吹雪くわ、そりゃ家の中だけで過ごすのは大変でした。でも窓を開けたら銀世界。魔の三歳児君、『雪、綺麗だね~』とずっと言ってました。そして今日久しぶりの晴天。雪もまだ残っているという事でお昼で小学校をあがってくる姪っ子と魔の三歳児君とで雪遊びをする事に。私の両親は留守にしていたのでプリンセスも完全防備で出陣。スコップでブルトーザーごっこをする魔の三歳児君。綺麗な冬の青空が映る雪解けの水たまり。その雪解けの水たまりで魔の三歳児君雲を捕まえるためにジャンプジャンプ。さすが子供は風の子。少々ぬれても『寒い』なんて言葉は出てきません。姪っ子が作ったアイスケーキ。真っ赤な南天の実と添えたお花が可愛いでしょ?小1時間0度の気温の中お外遊びしました。大満足の二人。プリンセスも凍えるので冬遊びを満喫した後暖かいお家に帰りました。後何日こうやって冬遊びが出来るかな~。
2007年01月09日
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3連休、天気も大荒れの京都府北部。どうして田舎はこんなに寒いのか?今更帰ってきた事を恨んでも仕方がない。先日までは天気もよく暖かかったのでN川をよく散歩した。KTRという電車の時刻表をみて電車が通るのを魔の三歳児君と待つ。時刻表を見て電車を見に行くくらいだから田舎度、想像つくかな。お天気がよければN川の堤防沿いを散歩しているけどあられや雪や雨、暴風雨のこの連休は何も出来ずじまい。という事でお兄ちゃん夫婦の姪っ子達5歳&7歳の大活躍を期待する。何を期待するかって、、、もちろん魔の三歳児君のお守役。私だけだと狭い家の中ネタ切れだもん。あられや雪おこしの鳴り響くなか雪だるまはさすがに作れないわ。。電話してお昼から姪っ子達登場。お絵描きやDVD鑑賞、そしておじいちゃんとのカラオケタイム。楽しく過ごしているとお兄ちゃんがお迎えにきた。そう、お兄ちゃんは姪っ子達を実家にドロップオフだけして私に子守りをさせていた訳だ。(ま、その姪っ子達のおかげで助かってるんだけど。)お迎えにきたお兄ちゃんに冗談で『N君、姪っ子達と一緒に帰る?』『お兄ちゃんところでお泊まりしてくる?』『姪っ子達とお風呂入る?ご飯食べる?』と聞くと魔の三歳児君、大興奮。ノリよく『N君、いく~!!、準備するからお兄ちゃん、まってって~』私は冗談でいったんだけど『棚からぼたもち』子守りさせられた仕返しじゃあないけど『じゃ、お兄ちゃんよろしく~』と魔の三歳児君のお泊まりセットをさっさと準備して魔の三歳児君を姪っ子&兄の車に押し込んだ。車で5分の距離。帰ってこようと思えばいつでも帰れる距離だからできる事。内心送り出したものの『どうせご飯食べるか食べないかくらいで帰ってくるだろうな~』『でも昼寝してないから運が良かったら明日帰ってくるかも~』このかけは50%ー50%。出発時刻は16時、ところがなかなか電話がない。お昼寝してない魔の三歳児君、いつもなら19時には眠たいはず。もしかしてそのまま本当にお泊まり?って言う期待が高まる。(鬼母?)すると20時に電話が鳴った。兄から『今から送るよ』コール。やっぱりお母さんの親指がないと寝れないか。。。ま、でも私抜きでのアドベンチャー、よく出来ました。大雨が降る中、大好きな自分と同じ名前の車で送ってもらってきた三歳児君。ニコニコ笑顔で『お泊まりしなかったよ~』とご帰宅。『晩ご飯はホワイトシチューだったよ~』『おにいちゃんとお風呂に入って車(ミニカー)あらったよ~』など得意げに話しながら眠りに着きました。私抜きのアドベンチャー、楽しかったみたい、寝顔が物語ってます。N君、よかったね。確かに3歳半で一人でお泊まりできたらすごい。でも夫君はなんと5歳でフランスーイギリス間を一人で飛行機に乗って行き来していた強者。私も魔の三歳児君を京都ー香港間の1人旅が出来るように仕上げなきゃ。『かわいい子には旅させよ。』そんな言葉あったなあ~。初めてのお使いじゃないけど『初めてのお泊まり』練習。いい第一歩が踏み出せたかな。がんばれ、魔の三歳児君!
2007年01月07日
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香港ではオーダー家具という物がかなりお得な値段で出来る。オーダーメイド家具。いわゆるマイサイズ&マイデザイン家具という所。夫君は186センチと私に比べかなり背が高いからソファーやテーブルなど家具すべてに不満を持っている。日本に住んでいたときの家具はすべて小さいと文句を言っていた。香港で借りた家は家具はベッド以外なにもついていない。なのでこれがオーダーメイド家具を作るいい機会という訳。そしてマイ家具以外に必要な物達もいっぱい。今までは子供が居るからという事で何も家具や雑貨について購入しなかった。だって壊されたり汚されたりするのが目に見えているもの。特に魔の三歳児君、破壊魔ですから。ロンドンのお家は家具がすべてついていた家だった。という理由でインテリア、主にクッションやシーツ類はどうでもよかった。でも新しい場所、香港では家具はベッド以外は自分たちで購入しないといけない。正確に言うと『購入しないといけない』ではなく『新しいおうちだもの、どうせ買うなら自分の好きな物を買いそろえたい。』というのが女心なのではないだろうか?先日いった新築友人宅でかなり触発を受けてしまった私。珍しく購買意欲満々なんです。特にいま探しているのはベッドリネン類。日本のカタログや楽天等でお洒落なリネンを探しているんだけどなかなか好みの物がない。高い物はいくらでもあっても私の『つぼ』をつく物がない。私の『つぼ』は白いシーツ、コットン、そしてシンプルで可愛いデザイン。ということでイギリスのデパートJohn LewisのHpを見てみた。イギリスに住んでいる人は知っている少し高級な部類のデパートの一つ。ここの商品は本当にクオリテイーがいいから大好き。ロンドンに居た頃は少しお高めな値段だし上の理由でここはウィンドウショッピングを決め込んでいました。しか~し、HPには可愛いベッドリネンがいっぱい!(拡大図)そしてブルーのサテンリボン生地が可愛い(拡大図)そして大人っぽいベッドスプレッドそして子供のシーツは夢がいっぱいの妖精がいます。(拡大図)プリンセスのお部屋にはこんなリネンがいいなあ~。香港でこういう可愛いリネン類を購入できる所を知らないから今更ながら物価の高いイギリスのホームページ物色している私。そんなことなら向こうにいるときに買ってきたらよかったとかなり後悔。今、John Lewisに香港まで発送できるかどうか確認中。購入できるとなったら送料はどうせかかるから一気にまとめ買いしてやるぞ~愛しのJohn Lewis様、心よいお返事待ってま~す。それからオーダー家具のためにインテリアのお勉強もしなきゃなあ。センスのない私。明日、本でも買いに行こう。
2007年01月06日
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A happy new year!三が日も今日で終わろうとしていますね。皆さんはどんな年越しお正月でしたか?私はいつもと同じ年越し、要するに子供達と年も越さずに寝ちゃいました。そしてお正月は兄夫婦&姪っ子達とおいしいおせちを頂きました。やはり日本のお正月、いいです。そして2日から3日まで一泊二日で看護学校時代の友人宅へお泊まりしてきました。彼女達とは高校を卒業して18歳からのおつきあい。学生時代は3年間寮でともに過ごしました。(これが学校&寮。)兵庫県北部の雪深い山の中での3年間の青春時代。私達はこのできたてホヤホヤの看護学校の一期生でした。一期生という事もあり24人姉妹のようにみんなで過ごしました。先生達は娘のように時には可愛がって、時には心配してくれました。スイカを屋上の端で足を投げ出して種を飛ばして食べてるのを見つかり先生におこられたり、桜の咲く季節、近所の公園でどんちゃん騒ぎをして明かりを消されたり、沖縄に行くためにクラス委員長にまでなり色々決めたり、一緒にバイトをして貯めたお金でカラオケにいったり、大阪で合コンをするためにわざわざ特急で3時間もかけて出かけたり、寮の室内が臭くなるからと同じ子の部屋でばかりカニすきをしたり、(いい迷惑?でも今これはその部屋の本人も語る笑い話)授業中に微生物の先生の足下までリンゴを転がしちゃったり、一期生に男の子が居ないからといって男子トイレに入っていたら授業を教えてくれていた病院のお医者様が入っていたり、友人がスーパーのバイト先でもらってきた賞味期限切れの食べ物をみんなで夜中おそくまで待っていたりしたなあ。。(親の仕送りでやりくりしてたからみんな貧乏学生)勿論変な思い出ばかりでなく勉強もしっかりしました。(実習室の風景、私達が一期生で実習服を選びました)(解剖生理学授業中の風景)(看護婦さんによる授業)ナースキャップをもらう載帽式患者さんに付きっきりの実習、ターミナル実習はつらかった。ターミナルとは終末期。そう、人の終末期に学生として勉強としてついていた。その実習はがん患者さんがメインだったのだけどまだインフォームドコンセントが浸透していなかった時代。人が病気をどう受け止めているのか、死ぬという事がどういうことなのか20そこそこの小娘の私達には接する事が難しかった。実習が終わったら夜遅くまで実習記録を書き事前学習もした。指導者の外科のかなり怖い看護婦さんには事前学習に対し『どういう根拠でそう言う事を書くの?』と問いつめらて『的がずれているのよ』と言われたときは悔しくて涙が出たときもあった。それをきっかけに私は外科に入った。今から思えば彼女にいびられて今の私があるのかも。整形外科の下腿切断の手術について倒れた。(オペ室勤務だった私はもうなれちゃいました、なれって怖いですね)テスト勉強は欠点(60点以下が再試)をいかに取らないか考えて山掛けをしてた。集大成の国家試験は徹夜でお互いの部屋を行き来したりしてがんばった。就職先が決まっても阪神大震災で駄目になって落ち込んだりした。そう言う3年間を私は彼女達と一緒に過ごしていた。そして卒業し別れ別れになってからも時折連絡し病院での経験談を話したり、実習時代の思い出話、笑い話をしたり、沖縄旅行に行ったりしていた。仲良しは私を含め4人。一人が20代前半で結婚し子供を持ったときから又一人、又一人結婚して行き気がついたら私が最後になっていた。彼女達の結婚式では感極まっていつも涙が出た。幸せそうな姿を見て学生時代の思い出でいっぱいになった。帰りの電車では私は結婚できるか不安になった時もあった。(いましてるけど昔は出来ないかもって思ってました。)その彼女達と2年ぶりにあった。すでに私を含めみなに子供が居て子供は総勢10人。あの頃は結婚して母親になるて話しなかったし、想像もできなかった。結婚して、子供を持ち、家を建て、まだ仕事をして輝いている彼女達。仕事を辞めている私にはとても輝いて見えた。明るい会話はつきる事がない。学生時代にタイムスリップしたかのように思い出話がわいてくる。こうやって海外から帰ってくる時、行くときに遠くから集まってきてくれる彼女達。昨日は子供のうちの一人が中耳炎だったらしい。また別の子は大阪に帰省するのに帰省ラッシュも気にせず遠回りして会いに来てくれた。時がどれだけ経っても自然に会話できる。親友とはこういうものかな。時間や距離が離れていても、いざというときには駆けつけてきてくれる。今度集まれるのはいつだろう。でも変わらない会話が出来るんだろうな。学生時代に話していた事。『子供達が大きくなって巣立ったらみんなで沖縄旅行に行こう。』うちのプリンセスが一番下からあと20年もしたら実現するかな。今日は言わなかったんだけどみんな覚えていてくれてるかなあ。私のキャラクターでは面と向かって言いにくいんだけどこんな素敵な友人をたくさん、たくさん持っている私は幸せ物だな。どこに居ても一人じゃないもの。これからも家族ぐるみでよろしくね。
2007年01月03日
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