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昨夜は綺麗な夜景。ここ最近、雨が振ったりやんだりのお天気。空気がきれいなんでしょう。珍しく澄んだ空気の中で月の明かりも一段と輝いて見えます。窓辺に座りながら考え事。それは香港での仕事の事。シドニーでは子供がいなかったので語学学校卒業後旅行関係の仕事をしていました。東京では保育所に預けてオペ室でした。夜間緊急用のポケベルも持ちました。ロンドンではメイドさんもいなく夫も帰ってくるのが遅く子供も小さくナーサリーも高かったので私が専業主婦となり家事,育児。12月のい香港へ来てからもロンドン同様専業主婦。しかし4月からはジョセフィンがきてくれているので家事がない。始めの1.2ヶ月はその暮らしも楽しめた。時折考える事。いつかは海外で働きたいなあ。。。しかしいくら働きたくても沢山の壁がある。1、語学の壁(これが一番大きい)2、免許の壁3、子供の壁4、ナーサリーの壁そう,昨夜もそれを考えました。ランチであったTさんの仕事を探しているというのに触発もされたせいかな。子供達は20時に就寝したし夫君は珍しく仕事が忙しく帰って来ていない。ネットサーフィン。すると1つ理想に近い仕事が出てきました。育児中の私の理想は9時~12時(午前中三時間)のパートタイム。近所でなにかあったら直ぐに帰れる。日本で主婦の方が仕事をパートタイマーで探されるのとよく似た条件かな。昨日見つけたのは近所(バスで10分)で9時~13時(月ー土)ここで働きた~いだけどよく考えてみると13時、これがまず引っかかる。そう4歳児君のローカルナーサリー送りの時間。12時半に帰ってくる4歳児君のご飯&送りをジョセフィンにまだまかせていない。(プリンセスがいるから)終わるのが12時とかだったら良かったのにな。。。来年4歳児君が小学校が始まったら8時半から14時半とお留守。そしたらジョセフィンにプリンセスを預けて働ける。あと一年。そしたらプリンセスも2歳。ナーサリーはまだないけれど午前中だけ家で面倒を見てもらえる。(プレイグループなども連れて行ってもらえる)2歳半になったらナーサリーもあるし。私の母は子供が小さい時は家にいてあげなさいとよく言う。だけど私は働きたい性分。だったら家事すればと言われますが家事は昔から嫌いなのです。(共働きの時は半々でした)折角両親に取らせてもらった免許。昔取った杵つかにしたくないしなにより外に出て働くのが好き。働いていた時は文句ばかりの時もあったけどでも自分でお金を稼ぐのッて爽快。(いちいち夫に気兼ねしたくないってのもあります)きっと私の性格なのでしょう。海外に住んでいるからと言う理由で働かないという風にはしたくないのです。(あくまで私の考えですので気になさらないでくださいね)特に私の場合は何年ここにいるかすら分からない身。プリンセスがナーサリーに通いだして暇な時間も出来る訳です。そう無期限専業主婦にはなりたくないのです。そして合間を縫ってお友達とお茶したり趣味を見つけて没頭したりしたり、子供達と新鮮な気持ちで関わりたい。ものすごく理想的。なので昨夜は何だか香港での方向性が少し見えて来たような気がして嬉しかった。早速仕事から帰って来た夫君に話してみた。『YUKARIがしたいならしていいよ』という返事だった。ありがとう,夫君。どんな事も理解してくれる。1年後、小学校に上がってくれてからに向けますます今の時間を大切に出来そうな気がします。
2007年08月31日
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詰め込み過ぎ何の事かと言いますとお菓子の袋詰めではなく私の本日の予定4歳児君の夏休みも残り少なくなってくると『普段あえないお友達と一緒に遊ばせたい』という欲求が高くなっている。(私だけ?)なぜならナーサリーが始まると朝から昼からと幼稚園を掛け持ちをさせられている4歳児君には時間がないからだまあ、かけもちはしていてもマンション内のお友達とは16時以降に遊べるからいいんだけど他の所に住んでいる子達とはほとんどあえなくなる。なのでこの1週間ほんとうに予定を入れている。(昨日も一昨日も友人が来ていました。)今日なんか遊び以外の予定も入れるとトータル3つまず午前中10時~11時。3日から始まるインターのオリエンテーションへ向かうべく朝9時に家を出発。新しいクラスや友人,先生の説明を受ける。タクシーの中では『僕はもうK3、だからナーサリーではなかないよ』なんて粋がっていた4歳児君実際は。。。。。クラスの中ではベッタリ大将先が思いやられる。。。そして12時に帰宅後子供達のランチをチャチャっとすませジョセフィンに子供達を預けて(最近では4歳児君もお留守番は自由に遊んでもらえるのでお気に入り)12時半から大人ランチをで5分のテインハウで。タイレストランでかなりお手軽なランチ。ご一緒したのは気さくなTさん&Mさん。まだ数回しか会った事ないんだけど話が弾む弾むそしてテインハウって暑いのよね、ランチ事情が(クーラーは涼しすぎたけど)かなりお特でおいしいランチの穴場ッて感じまたTさんにお願いしてセッセと連れて行ってもらわなきゃ~。そしてランチをさくっととすませた後(ほとんど食い逃げ?)14時半からは4歳児君の大好きなK&Mの双子BOYSが遊びに来た。家の中で遊び、プレイエリアで遊び、プレイグランドで遊び、朝五時半起きの4歳児君、汗だくになって遊んだおかげでK&Mが帰った後にバタンキュ~。ナーサリー始まっちゃったらなかなかあえないけどまた夕暮れBOYSの会開催したいなあ。(その時は他の男の子誘ってもいいかもね~)一日に3件の予定は子抜きでも忙しい。だけど楽しくあっという間に一日が終わる。この忙しさ嫌いじゃないお兄ちゃんの予定ばかりで振り回されるプリンセス。ちょっと可哀想。明日はプリンセス関連のプールパーテイーをうちでする予定明日はいっぱい遊んであげるからね。(4歳児君もいるけれど)来週からは4歳児君のナーサリー始まるからプレイグループも捜してあげるからね、許してちょうだい。夏休みって子供が一緒だと本当に早かった。BACK TO SCHOOL。色んな意味で待ちに待ってます。
2007年08月30日
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ハーフ?ダブル?、、、それともミックス?これお酒でもジュースでもありません。そう国際結婚しているカップルの子供達の日本での呼ばれ方。まず何も考えず振り返ってみてください。あなたは国際結婚の親の子供達をなんと呼んでいますか(名前以外で)そしてついでにあなたは外国人の事を『ガイジン』と呼んでいませんかうちは夫君が外国人(フランス×オーストラリア)。その夫君が先日こんなHPを見つけてきました(クリックで飛べます。)最近ではハーフと呼ばない傾向があります。外国人の事を『ガイジン』と呼ばなくなっています。それはハーフという言葉が『半分』と直訳するから。ガイジンに関してはまだ浸透はしていませんが漢字をかえると『害人』になるから。ハーフ。2人の血を分けたという意味では良いかもしれませんが文化が混ざったという意味ではハーフというよりW、もしくはミックスと言った呼び方になってきているそうです。私自身、結婚するまでは外国人には『ガイジン』その血の混ざる子供には『ハーフちゃん』と呼んでいました。今はあえて言うとミックスと呼んでいます。なぜならやはりミックスという言葉がいいかなと思うから。Wていうのはなんかオーバー過ぎと感じるから。ガイジンに至っては日本人からしたら外国人である夫君に言われて初めて気がついて『外国人』と直すようになりもう7年。だけど実際は使い分けているのが実情。どういう時に使い分けているか。それは日本へ帰った時や日本人の方と接するとき。やはり日本の方はいまだ『ハーフ』という言葉が主流。(決して悪い訳ではありません)なのでそういう呼び方をされる時はミックスではなくあえてハーフと使っています。ハーフと言われて嫌な事は感じた事がないし。(自分自身が昔そう呼んでいたので)ではミックスと使う時、それはいつでしょう。そう、国際結婚している人の前のみ。自分でも知らないうちに使い分けていました。でもこうやって実際は使い分けて入るけれどハーフ、ダブル、ミックス、要は何でもいいんです。だって自分の可愛い子供だもん。そして自分の子供は国関係なく羽ばたいて欲しいから。でもそれは私一人の考え。中には『絶対ハーフって呼んで欲しくない』ってママもいらっしゃいます。(お気をつけて)『ガイジン』、これに至っては日本人の私がいちいち訂正するのも大変なので聞き流してます。しかし、、、、この呼び名を嫌う日本語堪能な外国人のかたもいらっしゃいます。日本に住んでいる外国人の中には最近の若者より日本語が堪能な方が沢山すんでいらっしゃるのです。なのでガイジンに至ってはもし誰か外国人と接する機会があった時、ガイジンと後から呼ぶのではなく『今日はこんな外国人と~~』『(例)オーストラリア人と~』と誰かに伝えてもらいたいなあ。自分も一歩国を出たら外国人だもの。ガイジンはここで一段落させておいて、では日本でハーフ、ミックスと呼ばれる子供達ッてどうなんでしょう?そこでさっきのHPが私は勉強になりました。そう、ミックスの子供達。(ここではあえてミックスと呼ばせて頂きますね)海外に住んでいる場合。ハーフ、ダブル、ミックス。こんな呼び方はあまりしていませんよね?変わりにルーツは聞かれます。『どこの国の両親?』それは日本でも一緒。日本で私が経験した事。先日ですが4歳児君を夏祭りに連れて行きました。田舎なのでミックスは目立ちます。すると子供達が集まって来てまず一言。1、『何人?』2、『何語しゃべるん?』3、『お父さんはアメリカ人?』ミックスのお子さんをお持ちのお母さんなら1度は経験はあるのではないでしょうか?ここでもう一つ質問。国際結婚された日本人の方。4、『あなたは所でナニ人なの?』て聞かれた事ないですか?まず1は分かります。見た目、肌の色が黄色人種以外との国際結婚だったらまず違ってくるから。子供達の素直な反応、きっと悪気はない物でしょう。2、これも上に付随して来る反応と思います。でも3、、、、なんでアメリカ人やねん(でもこのアメリカ率、かなり高いんです)確かに戦後日本をここまで成長させてくれたのはアメリカ。学校で習っている英語だってアメリカンイングリッシュ。でもこんなに国際化されている日本なのにまだアメリカが一番に出てくるのって昔からのアメリカコンプレックスが自然と引き続かれているのでしょうか?(あくまで私の考えなのですみません)4にいたっては外国人と結婚しようが日本人は日本人ですからそんな質問せんとってくださいどうみたって私日本人でしょ!?確かに戸籍上名前はカタカナにはなるけどさ~国籍捨てない限りはどう転んでも日本人ですから話が脱線しかけているので戻します。そうミックスの子供達&親が必ずと言っていいほど日本では聞かれる質問なんです。私もこれまで何回も夫の国籍を説明しました。きっと4歳児君も私達の夫婦の間に生まれて来た限りには一生、いや死ぬまで問われ続けることなんでしょう。そして彼はなんて答えるのか。日本人?オーストラリア人?フランス人?面白い事に4歳児君はそのどの国にも2年以上済んだ事がありません。フランスは行った事すらないしオーストラリアは旅行だけ。日本は2歳まで育ったと言うだけなんです。プリンセスに至ってはどの国も住んだ事がありませんなんせロンドン生まれの香港育ち(日本もオーストラリアも旅行だけ!)そして夫君に至っては30年生きてきて香港はなんと生活するのが9カ国目の国フランス生まれの(イギリス人母、フランス人父)イギリス、スーダン、パキスタン、グアム、オーストラリア、アメリカ(ヒューストン、シカゴ)、日本、香港育ち(その中で最も長い国は日本10年)夫君の国籍はイギリス国籍はなく皆さんがご存知の通りフランス&オーストラリアとややこしいもの。夫君は自分には故郷と呼べる国がないと言います。なぜなら両親の引っ越しに点々とついて行ったせいです。(まるで今の私達のようです)そんな悩める夫君を持つ子供達に私はルーツを残してあげたくて名前に私が考える日本を組み込みました。4歳児君には『京』、プリンセスには『紫』。いつか自分のルーツを語る時に名前を使って欲しいなと思って。(以前ルーツについて書いたブログがあります)将来子供達は国籍を聞かれるとききっと葛藤があると思います。その時その場に応じた回答を自分で考えだしてしてくれたらいい。でも心の中では『地球人』、いやそれだとなんだか宇宙人みたいに笑えちゃうので『国際人』と思っていて欲しい。母はそのHPをみて強く思いました。ロンドンで住んでいた時にこんな話を聞いた事があります。日本人の国籍を持つ子供がロンドンの現地小学校にお母さんが作ってくれたおにぎりをお弁当として持って行ったそうです。しかしある日お母さんに言いました。臭いッて言われるからオニギリはもう持って行きたくない、海苔を巻いていると臭いんだ、何だその黒い食べ物はッて。そしてお箸は野蛮だって言われる。と。。。。。おにぎりにお箸。日本の立派な文化の一つ。これは日本人に対する差別ではなくいわゆる欧米人のアジア人に対する差別です。日本人、いかに世界の中での先進国ッて言ったって差別を受けるんです。『欧米か!』若手芸人さんのギャグ、初めて見たとき笑えました。しかし笑っている場合じゃあない子もいるんですよね。日本に住んでいたら子供の時『ハーフだ』『ガイジンだ』と差別を受ける事がきっとあると思います。(その逆に鼻高々になっている子もいますが)しかし海外に住んでいたらいかに先進国、ニッポンから来ていても一介のアジア人として差別を受ける事もあるのです。こんな差別や高慢は吹き飛ばしてもらいたいです。今日はブログが長くなりました。もし私のブログを見て、先ほどのHPをよんでどんな風に感じたか、参考までに今までなんと呼んでいたか、これから呼び方を変わるか、私はこんな風に考えるよ、等の意見を教えて頂けると嬉しいです。同じ地球に住む人間。宗教は今の現状で越えれないかもしれません。しかしせめて肌の色、言葉、習慣などをハーフやミックスなど呼び方関係なくお互いを理解しあえる地球人(いや、国際人)になりたい、そしてこれからの子供達には国籍なんか関係ない母と父の血が融合された素晴らしい子供達にはなってもらいたいものです。
2007年08月28日
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それは実家の道ばたで遊んでいたときの事。軽快な音楽が聞こえてきました『マイニチ,マイニチ,ボクらはてっぱんの~』そう、このフレーズ。移動たいやき屋さんです。ワンボックスカーの後ろをあけ軽快な音楽をならしながらスローで走るたいやき屋さん。子供達が興味を示さない訳がありませんもちろん車好きの4歳児君。たいやきやさんに釘付け。直ぐに走りよります。この夏、4歳児君ははじめてたいやきを口にしました。きっと印象深かったのでしょう。香港へ帰って来てからもたいやきやさんの音楽を私に歌えとリクエストをしますしかしメロデイーは知っていても歌詞は全然覚えていない。なのでこういう時こそYou tube とおもっておよげ!たいやき君を検索してみましたすると出てきました。まず視聴してみてください。(ここをクリックで無料視聴)なんだか私が歌っている歌とテンポがまるで違う。しかも本物が見当たらないあんなに有名な歌なのに。4歳児君はてっきりこの田辺マモルさんという歌手のかなり哀愁漂うテンポで4分間歌ってしまっているここまで哀愁漂わなくってもいいのに。本物のアップテンポを伝えるにはわたしが歌うしかないかたいやき、昔は主流はあんこ、あってもクリームくらいでしたがいまではカレーなんて物もあるんですね。なんだかたいやき君の歌詞の『お腹のアンコが重いけど~』今はそうじゃないのよ。時代がかわって来てるんだよ。父からは『たいやきは頭から食べるもんだ』と教わって未だに自然とそうしている私。なんで頭からなんだろう?素朴な疑問がうかぶ。なんだか4歳児君と繰り返し哀愁漂うたいやきソングを歌を聴いていると明るい本物も恋しいけれど時代が流れて哀愁漂うのもいいかな、なんて思いました。すみません、なんだか今日はヘンテコです。
2007年08月27日
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いつからだろうか、4歳児君がこんな事を言うようになったのは。『BoysだからGirlsは向こうへ行って』『Girlsが見ている所で着替えたくない』『トイレみないで!!!』去年の今頃を振り返ってみる。ロンドン。仲良しのお友達と喜んでお風呂に入っていた。ほとんど毎日友人のお家、もしくは自分のうちでお風呂に一緒に入れていた。お互い長い育児時間をカバーしあうようにして。あの時は全く問題がなかった。香港へ引っ越してすぐの一時帰国の冬の日本。あの時も問題はなかった。『おばあちゃんと一緒に入る!』なんてよくいって二人の姪っ子達とも一緒にお風呂に入っていたもんだ。しかしこの夏の帰国は違った。『お母さんとお風呂入る』『(姪っ子にもおばあちゃんにも)着替えるの見ないで欲しい』『プール、裸で入るの恥ずかしい』(姪っ子はパンツ一丁)『パジャマが恥ずかしいから着替えたい』『みんなの見てない所で着替えたい』『お母さん,見えないように隠して』こんな事を言うようになった。そして田舎で過ごしていたほぼ一ヶ月の間彼は有言実行で朝起きたらおばあちゃんより先に起きてナッピーを脱ぎ、そして着替えを済ませそしておばあちゃんを起こしに行っていたのだそんな彼が二日前からこんな事を言うようになった。それはいつもの就寝タイム。読み聞かせを済ませて何時もの通り隣で一緒に寝ようとすると『Boysで寝るから向こうへ行って』といって夫君と寝るようになったのだ。しかもナッピー装着せずに。ナッピーは分かる。4歳の誕生日前に少しお姉ちゃんの女の子から何気ない言われた一言。『赤ちゃんみたい』悪気がない言葉なのだけど彼はあの日から夜のおむつを嫌がるようになった。しかし就寝時間が19時と早い4歳児君は朝の6時起床までの間に2~3回は少なくともおしっこをしている。なので夜中にコッソリとナっピーを私が付けているのだが自尊心を傷つけないように『ナッピーモンスター』なるものがやって来て勝手にナッピーをつけている事になっているそう、それはそれでいいんだ。しかし生まれてからニギニギ握って寝ていた私の親指を二日前から急に必要としなくなった。時折ニギニギしない日もあったけど私はそばに必要だった。しかし二日前から私すらいらなくなってしまったのだそうBoys意識がすごく高くなった。なにかにつけboysという。『僕は男の子だから』という意識。(私は植え付けた覚えはありません)それはいい事なんだけど先日こんな珍事があった。それはこないだの空港。最近男子トイレに入りたがる4歳児君。しかし私はできれば女子トイレ、もしくはファミリー(車いす)トイレに一緒に入りたい。なぜなら海外、どこで何が幼児に起こるか分からない。(最近では日本でもそうですね)なので知らない場所で人気のない場所で男子トイレに入りたいなんて言われたら『ノー』と返事をするしたとえ入っても出てくるまでピリピリする。その時は空港のトイレだから人の出入りも多いし明るいしとおもって渋々許可を出した。しかし『終わった~?』という声かけは頻回に行った。返事がなかったら怖いから。すると私の問いかけに4歳児君がこんなことを言った。『お母さん、プープー(大)終わったよ~』ガ~~ン油断してた。おしっこだと思ってたまだ一人でお尻がふけない4歳児君。ここで人気が多い男子トイレに入る勇気はない入ったら間違いなく痴漢じゃないなので大きな声であえて日本語で『出て着なさ~い』と叫んだ。ズボンを履いて出てくる4歳児君。後の処理は、、、、、、女子トイレで(汚い話で済みません)そう、空港でこんな珍事事件あったのだ。男子トイレに入りたがるけどお尻はふけない。なんと中途半端な少年への階段。ま、、こんな事は滅多にないので話は戻ります。そうboysとgirlsでの区別をきっちりするようになってしまいました。4歳だったらまだこんなにキッチリしないはずなのにってくらい。そしてとうとう寝る前も夫君と寝るようになってしまったのです。何だか嬉しいような,,,いや嬉しいよりも寂しい一時期は親指ニギニギして眠るのにイライラして他の物で代償も考えたりした時期もありました。1人寝作戦もたてていた時もありました。だけど結局は香港へ引っ越して来てから精神的に安定させる為に復活させていた私の親指。こうもあっさり『いらない』と言われる日が来るなんて。この夏、急に幼児から男の子に変身してしまったかのよう。ぐずる事もまだある、泣き叫ぶ事もまだある、聞き分けが悪い事もまだある、だけど何かが違う。何かが変わった。夏の前に誰かから聞いた話。『幼稚園の先生がね、言ってたんだけど子供は夏で急に成長するんだって』本当にその通り。確かに背も伸びた、107センチ。トイレの電気だって夏の前は台無しで付けれなかったのが一人で付けれるようになったもんだけど精神面がこんなに成長するとは思わなかったの、お母さんは。確かにぐずってる様子を見たら何がどうかわったか他の人には分からないかもしれない。だけど母は感じるんです。いつまでもいつまでも手は握って歩いてくれないんだろうな。生まれた時、紅葉と同じ大きさだった手。今ではすっかり大きな男の子の手に変わってしまった。来週から幼稚園、学年が一つあがるのを楽しみにしている。来年からは小学校(予定)。ますます成長するんだ。夫君と日本語より上手な英語で男同士会話をしているのを見ると嬉しいのだけど時折ものすごく寂しくなる。日本語、あんなに子供っぽいのにな。英語ではすっかりもう男の子だもん。対等に話しているのが不思議。今日エレベーターの中で知り合いの息子さんが一人で塾へ行く姿を見た。4歳児君もいつか私なしで道を歩く日がくるんだ。一緒に乗ったエレベーターでギュっと手を握ってしまった。寝顔も背が伸びてほっそりしたせいか幼児というより少年にかわってきた。いつまで『お母さん大好き』ていってくれるのかな。4歳児君の成長日記を書くつもりがなんだか私の寂しい気持ち日記になってしまった。子離れ、昔は簡単だと思っていたけど年月を重ねるほど難しくなってる。大きくなって出来る事が増え楽しい事もたくさん。でも成長とともになくなって行くものもたくさん。私はそれらを忘れないように記録しておかないといけない。
2007年08月26日
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明日で11ヶ月になるプリンセス。日曜日のお昼すぎ、プリンセスはお昼寝、4歳児君は一人遊び、夫君はハリーポッタ-完結編を読みあさっているうちに書いてしまっておこう。まず大きな成長として。。。。そう、歩けるようになりましたしかもかなりの距離ちょっと行ってはUターンも可能、そして物を持って立ち上がる事も可能。嬉しいときはちょっと小走り(3歩ほど)すらしてしまう。そう、11ヶ月目にしてもう家の中を直立歩行で歩き回っています。なので目が離せませんそして名前が分かっている様子。『Sophie』と呼ぶとにっこり笑って振り返ってくれます。それからジエラシーも知っていて4歳児君が私や夫君に抱っこされていると怒ってます。私もだっこしろと言わんばかりに『あ~あ~』推定ですが夫君の事は『ダダ』4歳児君の事は『ナナ』私の事は『マ、マ』と呼んでいる気すらします。そして壁に貼ってある『アイウエオ』表。ひたすら指を指しています。そう人差し指でポイントできちゃってます。まだ11ヶ月。1歳になっていないのにさすが二人目ですそして食べる物。ほとんど私達と同じ物を小さくして食べています。昨日はパスタでした。今日はおそうめん。日本帰国でおばあちゃんパワー炸裂したのでしょう。一気に離乳食が進みました。歯はまだ2本だけなのですが体重は7.9キロと少し小さめ(4歳児君は委細の時13キロ近くありました)小さい体だから動き回りやすいんでしょうね。頭の毛はまだひよこの毛みたいでフワフワ私よりジョセフィンが髪の毛の事を気にしてくれているくらい。ま、、そのうち濃くなるでしょうお昼寝は一日2回、各1時間半ずつ。夜は22時頃に寝て朝までに1度起きるかどうか随分楽になってきましたがなんといってもプリンセスはオッパイbaby。なしでは眠れないので外すのが大変そうですこの夏でグンと成長したプリンセス。いつまでも赤ちゃんではないんだなあって思うと嬉しいはずの成長が少し寂しい気分です。来月一歳。ロンドンでの日々が記憶に新しすぎて生まれた日のぬくもり、暖かさを手に取るように覚えているだけにもうすぐ1歳というのがまだ信じられません。
2007年08月26日
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土曜日、待ちに待った週末。今日はジョセフィンは9時出勤。なので私がかなり珍しく早く起きた(といっても7時ですが)久しぶりの香港での休日。夫君を寝かせてあげようという試み(まあ、珍しいって母に言われそう)ジョセフィンが来る前にプリンセスの朝食を済ませた。そして夫君8時半起床。(珍しいのだからもっといっぱい寝ればいいのに)起きて4歳児君にパンケーキをせがまれる。4歳児君にとっては週末はスペシャルブレックファーストだから『なぜ、私にせがまないんだ?』なんて心に思いながらもいつものごとく夫君に作ってもらい4歳児君&私達も朝食をパンケーキで済ませるジョセフィン週末なのでゆっくり登場。なので外は暑くなりそう。なのでプリンセスをジョセフィンに預けて三人でオーシャンパークへ行く事にしたこのオーシャンパーク。我が家はよく登場するのだけど年間パスを買ったら4回目で元がとれるという素晴らしい年パスがある。もちろん我が家は年パスホルダーしかも年パス、デイズニーに比べたら激安中国様様プライス我が家は購入後月1~2回は行っているのでもうすでに元は取れてますそして今、オーシャンパークではサマーホリデー限定の催し物を開催中それはバブルパーク(勝手に命名)どんなかと申しますと。。。写真で見てもらいますね。パンダの持っている竹の所からバブル!泡だらけ~中国っぽい建物,外は泡の雪なかなか楽しそうでしょこの他にもスライダー等あります。終わった後はシャワーを爽快に浴びます水着を持って行って大正解このバブル祭り、9月1日まで開催中。香港在住の方、是非水着持参でどうぞ(大樹エントランス側で~す)お昼にさくっと切り上げて帰ってからは4歳児君は窓際でお魚鑑賞このお魚L夫婦に4歳のお誕生日にもらったもの。インスタントみたいなもんで土に水をかけてここまで大きくしましたこんなに大きく、そして長生きするなんて予想もしなかっただけに驚きですお魚鑑賞の後はboysはプール、Girlsはお昼寝のんびりとした午後でした。
2007年08月25日
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金曜日。今日を乗り越えれば週末が来る。実家を出発してはや1週間。子供と遊んでばかりの毎日。そろそろネタもつきて来た頃MixiフレンズのSさんから電話をもらった。『過ごしやすい天気だしQuarry Bay Parkいかない?』答えはもちろん。13時に待ち合わせて行ってきました。Quarry Bay Park、名前はQuarry Bayだけど最寄りの駅はQuarry Bay でなくTaikoo。いや、、、Quarry Bay Park、大きいからまたがっているのかな。約束の時間に遅れそうになったのでで出発。わたしが到着したのはQuarry Bay駅側。子供のプレイエリアがある場所から離れている。プラプラと散歩しているとバスケットコートやテニスコート、ジョギングコース、サイクリングコース。設備が整っているのがよく分かる。緑も沢山あって木々の合間からは海を行き交う船が見えとても気持ちがいいしかし広すぎる公園。Sさんと直ぐにあえる訳でもないのできっと子供のプレイエリアニいるだろうと読んで足をそちらへ向かわせる。無事にSさんと合流。このプレイグラウンド、香港にしてはなかなか素敵でしょ?私が今までいった香港島内プレイグラウンドの3本指に入ってますここの他にも同じ規模の物がもう一カ所あってそちらは日陰になっていて過ごしやすかったです約一時間半子供達を放し飼いにし私はSさんと談笑。子供3人抱えての飛行機&日本旅やバイリンガルの子供の言葉の発達について(Sさんちはトリリンガルですが)香港での子育て事情を話しました。そして少し暑くなって来たのでサイワンホーの室内プレイエリアへ移動。そこでも小一時間子供達を遊ばせました。時間はあっという間に16時。6時前に起きた4歳児君の体力の限界が迫って来ていたのでおいとましました。なかなかいい公園。暑い季節が終わったら大活躍してくれそうな予感来週は楽しい予定がてんこ盛り。あっという間に夏休みも終わる。そしたら学校プリンセスとの穏やかな時間がやってきます
2007年08月25日
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今日も香港は涼しい日時折もあり。朝起きて『さて、どうすごそうか』と考える。ジョセフィンの活躍のおかげで香港では私は育児担当者。夏休みの有り余る時間をいかに楽しくハッピーに過ごすか考えるのが仕事みたいなもん。とりあえず今日はサッカー最終日。ということでまずは4歳児君をサッカーに連れて行った。サッカー。やっぱり苦手みたい。始めのエクササイズは全く持ってモウマンタイしかし、、、が出てくると私を遠くから指さして『こっちへ来い』とアピール。ここで本当なら行かないでいいのだろうけど団体行動に参加できているだけ素晴らしいので大目に見て私も一緒にを蹴るま、、、この夏はこれがゴール。サッカーのコーチとハイ5をしてお別れその後に乗り込むけどまっすぐ帰りたくない私。だって昼からが長いんだもの。で、、、向かった先はパシフィックプレイス3。夫君のオフィスがあるビル一緒にランチ作戦だ夫君に突撃電話をかける。有無を言わさないんだけど暇なのを知っていたからね、なんとかなった。3人で向かった先はヤムチャ、、、ではなくマッカーズ日本でもマクドには相当通ったのに4歳児君のリクエスト夏休みだけだもんね、DADDYとランチ。私もあきらめてポテトを食べる。ランチをすませたら今度はDADDYの会社に行きたいとおねだりが始まった。さらっと立ち寄って会社の人に私も一緒にご挨拶。夏休みの社会見学ってところです。それから夫君とお別れしてまだ帰りたくない私は4歳児君とバスに乗り込みガムチョンへ向かった先は久しぶりのH&M秋物の子供服をゲットそして家に帰ってプール&プレイエリア朝からフル活動。ど~っと疲れが出ました。でも夏休みも後少し。香港では家事がないしいっぱいいっぱい時間があるから遊んであげたい。明日はクオリーベイパークへ行く予定今夜は体力ためるために飲んで寝るぞ~
2007年08月23日
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日本で流行っていると聞き早速やってきました脳内メーカー(クリックで飛べます,無料です)結婚後悲しい事にカタカナとひらがなになってしまった私の名前。結果は当たってるような気がしてなりません。笑わないでくださいね。そしてプリンセス。10ヶ月の頭の中、これきっと当たってます。皆さんお暇でしたらお試しくださいまし
2007年08月22日
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ぐずぐずした空模様の香港気温は30度越えていない。日本よりぜんぜん涼しい。今日はクーラーいらない。そんなことを考えながら今日の予定を確認しようとパソコンへ向かった今日はJさんから昨日電話をもらい息子のK君のバリカンを午前中我が家でする予定だけそう思っていたらMixiの方にが。そう私のマイミク、Mさんから。Mさんは一時帰国の少し前にメッセージを頂き香港で同じように育児をされていて私のブログを共感して頂きながら読んでくれていた方の一人。来週27日に中国は広州に引っ越しされる前に1度会いたいなあと以前無理なお願いしたら引っ越し前で忙しい合間を縫って我が家まであいにきてくれるとのメッセージ。初対面にしてしばしのお別れのmさんにちょっとドキドキ。ここで一旦話を戻してK君はうちのプリンセスと10日違いの男の子。なんでも香港では生後100日目に髪を一度切るのが風習だとか。ちょっと(いやかなり?)遅いけれど坊主にしたい、とJさん旦那様の要望もありバリカンする事に。10時。チャイムガなって玄関をあけたらK君とJさん、そして旦那様も登場。写真好きな旦那様。初めてのバリカンをたくさんたくさん撮影されてましたたかが髪の毛なんだけどこの子に取って初めての髪の毛。表現は大げさなんだけど薄い髪の毛すら愛おしいんですよね日本では初めての毛を切ったら筆にする習わしがありますがそうやって取っておきたい気持ち、すごくわかります。(て私の気持ち優先で毛は一部お持ち帰り)旦那様がカメラマン、jさんがk君抱っこ、トいう事で必然的にバリカンは私の手にゆだねられ初の坊主(しかも3ミリ)に私も参加させて頂きました始めはどうなるか心配でしたがいや~何とかなるもんですね。Bar bar Yukariでも開こうかしらなんて調子に乗って話しているとピンポーンとチャイムMさんです。おにいちゃん、娘ちゃんと一緒にで遊びに来てくれました。Mさんは予想していた以上に明るくって気さくで行動力があってしかも美人初対面にも関わらず色んな話をしました引っ越し先の広州が香港に比べ危険地帯なこと。これには驚きです。日本人小学校のバスのピックアップ時間。これ親以外は内密らしいです。なぜなら誘拐されるからしかも町中も1人以上の子連れで歩いていたら狙われる。なぜなら一人っ子対策だから裕福な人もしくは外国人しか子供は2人以上連れてない世の中。中国、恐ろしすぎですでも家族が一緒に住むためには仕方ない選択。『駐在』日本在住の方からしたら駐在員って憧れる部分が沢山あると思います。しかし華やかな部分(習い事やお買い物,旅行など)もあれば苦労をする部分はそれ以上にあるんです。私自身も『専業主婦?うらやまし~い』って言われた事、多々あります。にこっと笑ってますが心の中では『本当は働きたいのよ。でも働けないの』とジレンマを感じることがしばしば。もちろん働かずに海外生活を満喫されている方もいらっしゃいます。だけど私は旅行やお買い物グルメなど満喫は普段の不自由さ、不便さ、寂しさの我慢等のご褒美(言い過ぎ?)だと思います。テレビを見たくても新聞を読みたくても日本語じゃない、いわゆる日本の情報がない。心許せる友達がいない。日用雑貨を欲しくても思った物が手に入らない、食品類が安全かどうかすら不明、水道水が安全じゃない、中国だと外食しても安全かどうか分からない、鞄は常に小脇に抱えて歩いている、(私だけ?)子供の送り迎えは誘拐が頻繁にあるから自身でやる、(日本だと子供はある程度の年齢だと一人で帰ってきますよね)親族がいないから自分が倒れても預けれない、病院は言葉が通じない、999(救急)に電話しても日本語が通じない、夫が仕事が忙しく帰ってこない,もしくは同じ中国でも別の所に単身赴任している、(安全のため家族は香港に残して)妻は転勤で自分の今までのキャリアを捨てないと行けない。などなど私が聞いているだけでも苦労は多々あり中にはもっともっと大変な方もいらっしゃると思います。しかしみなさん(私が知っているロンドン&香港の駐在の方々)は苦労なんて顔に出さず、笑顔で海外で子育てをされてるんですよね。日本で子育てするだけでも大変なのに。私自身、泣いて過ごす日々が多かったロンドン。沢山の駐在さんからパワーをもらい現在に至ります。話がそれてしまいました。そう今日お会いしたMさんもメイドさんなしで香港で育児をされていました。このせわしい香港で第2子出産までされてすごいです。たった1時間半ほどしかお話できずだったのですが本当はもっと早くにお会いしたかったなあ。ブログを介して色んな方とメッセージ交換したりお互いのブログを行き来するようになってますがこうやって直接出会うに至るまではなかなか勇気がいるしパワーもいる事です。だけど素敵な出会いがあるからこそ続けて行こうとも思います。Mさん、今日はご足労頂きありがとうございました初対面にしてお別れですがとても親しみを持てた時間でした。広州での新しい生活、予想以上に大変だと思います。Mさんご家族に素晴らしい家族の時間が持てる事、遠くからですが祈ってますね。YUKARI
2007年08月22日
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香港恐怖体験。それは心霊とかそんなもんじゃない。その方がまし。。。。。何があったかと言いますと。。。今日の夕食のお好み焼きのソースを買いに4歳児君を連れてタイムズスクエアーに行った帰り道の事。行きはミニバスを満喫した4歳児君に『帰りは何で帰りたい?』と聞いてみた。答えはタクシー。本当はケチッてバスで帰りたい所だったのだけど(バスだと60円,タクシーは450円)買い込んだ荷物もあるしお天気も斜めだしタクシーで帰る事に決めた。列に並んでタクシーへ乗り込む。そこまではよかった。行き先を広東語で伝え一発で通じる。ほっと一安心。車が動きだす。そしてすぐ赤信号で止まった。4歳児君と会話をする。『クレーンが見えるね』『空港バスが見えるね』等など。。。前を見ると信号は青に変わっていた。んタクシーが動かない。ふと見るとなんとタクシー運ちゃん、眠りこけているオ~イ日本語で言いかけたけど『excuse me 』と大きな声を出す。前の車との距離50メートル近く。慌てて運転する運ちゃん。時刻は15時過ぎ。お昼ご飯を食べて眠たいッて所かわかるけどさ、運転してるんだよ,あなた。なんておもっていたらアクビ連発そして混雑している香港の道。勿論、停車。バックミラーで見ているとやっぱりウツラウツラ。しかも私と目が合うとパッチリ目を開ける。しかし運転中も目は半分しか空いていない思わず4歳児君に『シートベルトをしなさい』と言った。あやふやな運転が続く。海沿いの道、北角方面への分岐点。ぶつかるんじゃないかと思った。そして通り過ぎたバイクのナンバーにこんな文字が。God loves U。いや、、、、私そんな言葉、今見たくない。必死の形相で前を向き4歳児君の手を握りしめる。たかがお好み焼きソース買いにいって死にたくない。(でもお好み焼きにはソースが必要)無事に家に着いたときは冷や汗タラタラ。無事に帰れてよかった。Thanks God...We love u too.香港、恐怖体験でした。
2007年08月21日
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8月19日、香港へ帰って参りました。予想していた香港は酷暑でしたが実際は涼しい!!!うん、かなり涼しい。やっぱり日本の夏がおかしいんだわ。帰りの飛行機は台湾近辺の台風のせいで大揺れ。シートベルトサインが出る前にかなり揺れたので子供を両脇に抱えて通路を必死で自分のシートまでよろけながら戻る始末。(夫君はいたけれど映画に没頭していたので気がつかず)でもまあ3時間のフライト、以外にいける。4歳児君は全くのモウマンタイ。プリンセスが頭が痛くなりそうだけど今度から日本くらいなら一人でいって帰っても出来ちゃうかも。今度の海外旅行は2月のNZ。飛行時間は11時間。行くしかない。香港空港からの帰り道、タクシーの中で見た香港の夜景は初めて香港へ到着した夜の夜景とは違って見えた。ロンドンから来た初めての夜。なんて建物が高いんだって思った。(60F以上の建物が沢山)子供を連れてこんな大都会でやってけるのかしらッて思った。今はなんとかなってる。今回思った事。空気が汚い。空港がある島から高速を走りながら見る夜景。煙った空気にオレンジの光が反射している。空気のきれいな実家から帰って来たからだろうな。空を見上げても星が見える訳がない。やっぱり日本がいい。里心がついたというのかな。そんな私の横で4歳児君はすっかり香港モードに切り替わっていた。何が切り替わったかっていうと言葉。空港ついたらすっかり英語。子供って早い。日本に着いたときも二日後には関西弁だった。順応性があるなあ。玄関を開けるといい香りがした。テーブルの上に『welcome back everyone』と書かれたメッセージと大輪の百合の花が飾ってあった。ジョセフィンからだ。空気や食べ物、家族がいる日本はいいけどやっぱり自分の家は落ち着く。空気の悪い香港でも住めば都になっているんだなあ。ベッドに入ったら気を失ったように眠りに落ちた。明日からまたがんばろう。いい息抜きが出来た。
2007年08月21日
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昨日8月16日は毎年宮津で行われる灯籠流し花火大会。この夏の帰国は花火が大好きな4歳児君にこの花火大会を見せにかえってきたようなもの。ということで朝さくっとクアハウスでプール&温泉を済ませその後に家族そろって行ってきました。宮津の花火と灯籠流しは風情があってとてもいい。海まで落ちる柳花火、紫陽花のような花火達、頭の真上から降ってくるような大きな丸い花火、金色銀色の滝が爆発したかのようなスターマイン、海上から打ち上げられる花火達はシドニーや香港、ロンドンでみたどんな大きな花火大会を見てもここのが一番って思う。(規模は全然小さいのだけど)これは私の田舎贔屓だからだろう。しかし寂しいのは夜店や周りの人たちは全く変わっていること。見た事もないような夜店、(しかも高かった~)歩いている女の子は茶髪を卸したような髪型、浴衣は紺色とかじゃなくカラフルなピンクや黄色。頭にはかんざし等ではなく大きな造花のお花を頭につけていたり足下は草履でなくウエッジサンダルだったりする。昔からこんなだったっけ?いや、、、私がニッポンのファッションについていってないだけ??(そう言われたしね~I先輩にも)なんだか取り残された気分。いや、、、、一気に年を感じた。確かに私の横にいるのは若くってかっこいい彼氏ではなく4歳児君にプリンセス。2児の母親になったんだもの。(それから夫君に姪っ子達)時はしっかり流れている。私が花火大会に行っていた頃ってどうだったかしら?なんて回想してみた。まだカラフルな浴衣は出てなかったし(紺色とかが主流)髪型はアップする程度だった。足下は浴衣にあった下駄だったな。一緒にいっていた人は高校生の時はその当時おつきあいをしていた人。20代前半は仕事の合間をうまくぬって西宮から連れてきてもらった。その当時、家族で来るなんてそのとき夢にも思ってなかった。格好なんかは古くさくってもやってる事は今の子達と一緒か~。(なぜか納得)花火のあがる空を見て4歳児君が『お母さん、やなぎだねえ~』って言ってた。プリンセスは怖がらないでただじっと見ていた。私達一家は今は香港だけれどいつまで香港に居るかも決まっていないし次どこに行くかも決まっていない。シンガポール、東京、上海、NY、ヨーロッパ。夫君の『人生はアドベンチャーでしょ』の言葉を信じてついて行っているだけに定住地が決まらない。住めば都にするしかないんだ。(愚痴ではなく実際そうしてますが)そんな根なし一家にとってこうやって田舎と呼べる場所があって帰ってきて見上げれる花火があるという事はすばらしい事だと思う。『来年も家族みんなで来たいなあ』大事にしたい季節の行事のひとつになった。今日が最後の田舎で過ごす夜。来年の夏まで(きっと)帰ってこない。明日から大阪。明後日には香港。4歳児君とプリンセスの田舎での夏も花火とともに終わり。今日は両親と兄夫婦と夏の晩餐を楽しもう。
2007年08月17日
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8月15日、今日は言わずと知れた終戦の日。テレビ等のメデイアでは戦争関連のドキュメンタリーが沢山流れている。それらをみながらお昼を父と食べた。私の父は昭和10年生まれ。終戦の時8歳。父の父、いわゆる祖父は戦地(中国)へいった。お昼にその話になった。こうやって話を聞くのは子供のとき何回か会ったけれど大人になってからは初めて。父の実家が近い伊根は当時、軍艦が沢山とまっていた舞鶴港に地理的に近い。なので空襲を逃れた戦艦が伊根へ逃れてきていてそれを狙った飛行機、いわゆるB29による爆撃をみたことがあるそうだ。空襲をつげるサイレンが鳴ったら家の後ろの山に掘ってある防空壕に逃げ込んだ。その逃げ込むとき空を見上げたらB29が低く飛んでいた。子供だったけどその光景を良く覚えているとのこと。そして62年前の終戦の日、隣の家のラジオで終戦をつげる放送を家族みんなで聞いた。周りの大人は首をうなだれていたそうだ。そしてその話をしていたら母も語ってくれた。母は終戦を迎えた当時はまだ4歳児君と変わらない年だった。それなのに鮮明に記憶に覚えている事がある。それは空襲を知らせるサイレンが鳴ったとき家の床をあげて中の防空壕で一夜を兄妹5人と笠屋をしていた両親と過ごした事。私には4歳の記憶がない。なのでよほど印象に残ったんだろうと母も話している。先日亡くなった祖母の家にはとても貴重な写真があるそうだ。宮津の波止場で赤札で招集された若者達をみなで旗を振って送り出す写真。私はまだ見た事がない。勿論夫君も見た事がない。機会があったら一度見てみたいと思う。こうやって父や母のように戦争当時、そして戦後を生き抜いた人がいる間にもっと聞いておかないといけない。
2007年08月15日
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猛暑&熱帯夜の日本。涼しくなるのは夕暮れ時のみ。なので子連れで日中連れですごすならやっぱり海水浴。ということで朝の8時半からまたもや天の橋立へ。小一時間ほどさらっと泳いで引き上げてきた。帰りしなに寄った知恵の餅のお店で夏限定の知恵の餅つき抹茶のかき氷を食べた。ひやっとして美味しかった。ランチを家ですませてみんなで昼寝。(とはいっても4歳児君はゲームしてましたが)それから温泉でお風呂をすませました。夕方涼しくなったら虫かご持って近所のお宮さんへ虫取り。小学校の同級生のN君夫婦に道ばたで会いました。『お宮さんにはクワガタやカブトムシがおるで~』とN君に聞いたので行ってみたけれどとれたのはカマキリのみ。ま、、、、朝じゃないからね。でも夫君も4歳児君も満足気。日本滞在も残す所1週間を切ってしまった。1週間後には酷暑の香港。そう考えると寂しいような夕暮れ。明日は姪っ子達とまたもや海水浴で天の橋立へ行く予定。スイカをもって行こう。
2007年08月14日
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10日金曜日、香港の台風の合間を縫って(金曜日午後からシグナル8発令したとききました~)日本へ無事帰国してきてくれた夫君。ほんと台風危機一髪です(黒ひげ危機一髪古すぎ?)関西空港到着後、本来なら私の実家京都府北部まで高速で一本なのですがナビの設定を間違え『一般道』で宝塚まできちゃってました。あんなに言ったのに。。。。事故なく到着しただけありがたい。8時半香港の家出発、10時飛行機離陸。15時関西空港到着(時差1時間あり)16時レンタカーにて空港出発実家21時到着した。(ナビの問題がなかったら2時間ほど早かったかも。)でもその日のうちに丹後まで帰って来れるなんてロンドンから比べたら天国です。ま、夫君のナビ珍道中はさておき今週末は忙しかった。まず土曜日。大阪からあそびにきてくれた I先輩&ご家族。お盆なので渋滞を避けて朝8時に我が家へ到着。朝9時から天の橋立に海水浴へ。(砂遊びする夫君&4歳児君)打ち上げられる4歳児君。砂のお城、夫君曰く『サンドアート』1時間半ほど遊んで先日行った小学校の同級生夫婦のボート屋さんへ。みんなでボートで外海へ。奥さんのA ちゃんのお進めのボート、早かった~。バリバリ地元のくせに観光地気分。気持ちいい~又15日に乗りにこようっと。そしてお昼ご飯はこれまた先日偶然ウオッチ館で再会したM香ちゃんの食堂へ。懐かしいお味の親子丼、頂きました(Mちゃん、クーラー治った?)そしてそのまま天の橋立ビューランドへ。子供達のまたのぞき、こっち向いてますから天の橋立は股のぞきする事によって龍(天の橋立)が空(海)に上って行くように見えるそうです。なのでこんな名称が書いてありました。飛龍観。ビューランドで子供達は乗り物を満喫したあと向かった先はこれまた先日行った同級生のO君所のお土産物屋さん。I先輩がお土産をたんまりとかって帰られておりました天の橋立観光を終えたら15時半。家に帰って温泉準備。子供達を引き連れて与謝野町加悦にある『リフレ加悦の里』へ。ここはハーブのお湯があるので私のお気に入り。しかもそんなに有名ではないので混雑知らずですそして夜はお互い小さな子供達がいるのでオードブルやお刺身をとって家でゆっくりして線香花火で締めくくりました。日曜日、朝から熱があるI先輩息子をいたわって予定をキャンセル。先日の向日葵畑だけ一緒にいってきました。青い空、緑の田畑、田園風景。朝から清々しいです。(向日葵迷路に入る夫君&4歳児君)向日葵畑でIさん達とはお別れ。(って今週末大阪に遊びに行きますが)その足で私達はウオッチ館へ。夫君&4歳児君、虫に魚に満喫そして帰ってきてから家でプール夜はとなり町の納涼花火大会へ。そこで中学校の同級生K君夫妻に偶然会いMIXIを勧めてしまいました花火も人手も予想していたより多くイルミネーションも和風で素敵でした。たった2日、やることてんこ盛り。楽しくって大忙しの週末でした明日からはお墓参りも加わってもっと忙しくなりそうです。
2007年08月12日
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今日NHKを見ていたらかかって曲。蘇州夜曲(クリックで聞けます)十数年ぶりに聞きました。ものすごく懐かしいメロデイーです。ご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?蘇州夜曲作詞:西条 八十 作曲:服部 良一一、 君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の船歌 恋の唄 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く二、 花を浮かべて流れる水の 明日の行方(ゆくえ)は知らねども 水に映した二人の姿 消えてくれるな何時迄も三、 髪にかざろか接吻(くちづけ)しよか 君が手折(たお)りし桃の花 涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺(かんざんじ)
2007年08月11日
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8月10日金曜日、今日は夫君が香港からやってくる。朝から興奮気味の4歳児君、興奮あいまって反抗期ぶり返し傾向。その体力を発散すべく炎天下の中朝からザリガニ取りの散歩へ姪っ子と出かけた。晴天、見渡す限り田舎。歩く事約20分(子供の足ですが)そこには蓮の花が一面に咲いていました。蓮の花は10時頃に開花するそうですなので到着時刻はちょうど咲いている時間でした。蓮の花をこんなに近くでこんなに沢山見たのは初めて。アジアンテイストでとても好きな花。薄桃色の蓮の花、そこにたっているだけで体に絡んでくるように周りに漂うように甘いよい香りが漂ってきます。(表現が下手ですみません)晴天の水色の空をバックにして一枚。桃色が濃いつぼみ、今から花開きます。蓮の花畑の持ち主が句を詠んでいらっしゃいました。『蓮の花、見に来るたびに 花がふえ』うきうきするような素敵な歌ですね。もう少し家から近かったら毎日でも見にきたいなあ。正面から見た蓮の花。真ん中の部分、何かに似ていませんか?4歳児君&姪っ子は『シャワーみたいだね~』と大喜び。可愛い感性です。そしてその田んぼでザリガニ&メダカ取り。アメリカザリガニのかなり大きなのをゲットしました家に帰ったら12時前。おばあちゃんが作ってくれた冷たいおそうめんが待ってくれていました。昨日は沢山向日葵のコメントを頂きました。お花を好きでない女性っていらっしゃらないですもんね。元気がもらえる向日葵も人気ですが涼しげな薄桃色の蓮の花も好きな女性は多いのではないでしょうか?私はロータスの甘い香りに1票です。
2007年08月10日
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私の実家の町は向日葵が有名。なんとその数15万本の向日葵が咲いている。だけど悲しいかな、その向日葵畑が始まったのは6、7年前。一度も見にいった事がなかったので子供二人つれて母と叔母といってきたゲート。入場料は大人一人200円。とうもろこしも1本50円で自分でゲットできる。見渡す限りのヒマワリ畑。背も高い。ほとんどの向日葵が同じ方向を向いていた。向日葵が太陽の方を向くのをナーサリーでならったのか4歳児君は『おかあさん、どうしてサンフラワーは太陽を見ていないの?』と聞いてくる。『みているよ、ただちょっと顔が重たいのかな』と答えておいた。背の高い向日葵、さんさんと太陽を受けています。見ていて本当に気持ちがいい。中には趣向がこらしてあり向日葵迷路なる物がありました。その中を走り回る4歳児君そして案山子(かかし)のグランプリ受賞作品。ろくろ首が色っぽいです。ここは休田しているたんぼを使用しているそうです。そのせいでかはわからないのですが道横の小川をみると沢山のドジョウやメダカもいます。ドジョウなんてみるのは小学生ぶり。トンボも沢山飛んでいます。デスクトップにしました太陽をさんさんとうけ元気に咲く向日葵を見ていたら元気があふれてきます。向日葵鑑賞をすませた後に駐車場でスーパーボールすくい。そのあとお食事処『山味』へ。入り口には麻の涼しげな暖簾がかけてあります。ここは田舎の隠れがみたいなレストラン。いつきてもジャズや琴が流れていて野や山の花を生けてあり癒されます日替わりランチ980円を頂きました。ズイキのごま和え(これ、かなり美味しかったです)豚肉のスタミナ炒め歯ごたえのある冷やしうどんごはん季節のフルーツ見た目も綺麗な和の器と地元でとれた野菜達。美味し~い量もたくさんで大満足の980円心もお腹も満たされて家路につきました。田舎にいたら見つけれなかった田舎の素敵さ。離れてみたらこんなに素敵な所を沢山見つける事が出来る。香港は近いのだからもっと帰ってこよう。子供と田舎の四季を満喫したいです。
2007年08月09日
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今日から酷暑の日本です。そんな酷暑の中、冬に日本へ帰ってきた時に再会した中高の同級生Mちゃんと遊びに行きましたお互い年の微妙に違う子供がいるので暑い夏の遊ぶ場所を決めるのが思いつかなかったのですがMちゃんの旦那様のお勤め先にお誘いを受け行って参りましたお誘いを受けるきっかけになったのは4歳児君の車好き。そう、旦那様の会社にはユンボやダンプ、ショベルカーなどがあるのです朝から『boys がすきなところにいくんでしょ』『どこなん、どこなん?』と大興奮の4歳児君。『カレーをちゃんと自分で食べたら教えてあげるよ』というと『一人で食べたよ~!』とにっこり『ユンボやショベルカーが沢山ある所に行くんだよ』と説明するとそれはそれは大興奮Mちゃんが来るのを窓から眺めて待ち受けます。Mちゃん到着車に乗り込み旦那様の会社へ旦那様も中学校の同級生です。中学校卒業以来お会いしていなかったのですが優しい雰囲気は変わらないです。到着後、なぜか人見知りを始め黙り込む4歳児君。いつもとキャラが違う。静か。だけど『車に乗せてあげるよ』と旦那様に連れられて働く車達のところへ行くと抱き上げてもらって色々とのせてもらいます。(オイ、さっきまでの人見知りはどうした?!)大きいショベルカー、ちょっと小さいショベルカー、一緒に乗って動かしてもらいます。小さいブルトーザー(あってる?)、これも運転させてもらいます。不明の乗り物。その他にダンプやフォークリフトなどボブザビルダーに出てくる車に次々とのせてもらえました。工事現場の車って町中で近くで見る事は出来ても実際乗る事なんてまずない。まして香港でなんて絶対もってありえない。(言葉わからないしね)なので今日は4歳児君にとってはまさに夢のような時間だったとおもいますMちゃん旦那様、本当にありがとうございました~。(また帰国のときに是非遊びに行かせてください)そして旦那さんの元を去って向かった先は先日行ったウオッチ館。4歳児君とSちゃん(K家のお姫様)は年が離れているけれど微妙にいい感じに絡んで遊んでました。4歳児君の動きにケラケラ笑ってくれるSちゃん。私、貴女は大物になるわ~と感じました。(普通あの年だと泣くかお母さん所に逃げるもんね)Mちゃんの育てかたがおおらかだからだろうなあ。そしてタッチングプールへ今日は水中眼鏡持参見えた大喜びそんなこんなで時間をつぶしているとある女性が声をかけてくれました。『』だったのですがよ~く見てみるとなんと小学校の同級生『M香ちゃん』色白くって私と誕生日が一日違い女の子。今では2歳と1歳の男の子のママ高校卒業して以来だったので沢山沢山話しました。田舎って同級生って本当に素敵メールアドレスを渡して家路についたので今度帰ってきた時はM香ちゃんにも会えるなあ今日の午後は私にとっても4歳児君にとっても本当に充実した一日Mちゃん&Sちゃん、暑い中お付き合いいただきありがとう。次回はプリンセスも含めて一緒に遊んでください
2007年08月08日
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先日Amazonから愛の流刑地が届きました。(クリックでamazonへ飛びます)話題をかっさらっていた映画のDVD。とても楽しみにしていて昨夜見ました。原作を読んでいたのですが映画は噂に聞いていたほど過激ではなく(原作の方が全然過激です)原作からストーリーもそうかわらず予想していた以上に豊川悦治さんと寺島忍さんの演技が30代からの恋愛の初々しさを表現されていて素敵。二人が早く会いたくって空港や駅でかけて行くシーン。でも駆け寄っても不倫だから抱き合う事がない。みていてこちらまで豊川悦治さんにドキドキです。浴衣も涼しげ、窓辺から見える神宮外苑の花火も日本の夏を感じられます。大人の恋愛、日本の夏、いいですね~。音楽も平井堅さんの哀歌。(クリックで無料視聴できます)ぴったり。同じ渡辺さん作の有名な失楽園より私は好きです。あつ~い夏の夜におすすめのDVDです。
2007年08月08日
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実家に帰ってから記憶を辿る事がすごく増えた。さっきもMixiで足跡を残していた中学校の同級生にメールを頂いた。ほんとmixiってすごいなあ。mixiの話はさておき、記憶の回想。先日同級生のお土産物屋さん&ボート屋さんに寄った話は書いたのだけどそれ以外に日曜日に行った海水浴の帰り道お寺の一人娘のFちゃんに偶然会った。それこそ話すのは小学校ぶり。『Fちゃん』って声をかけたけど私が名乗るまで気がついてもらえかった。(そんなに私って変わっちゃったかしら?)子供&兄家族もいたので3分ほどの立ち話。でも小学校の時の記憶が沢山戻った。バスに乗って天の橋立の海に行った事、回転橋の下でタツノオトシゴを捕ったこと、プールに毎日に通った事、ラジオ体操に通った事、バレーボールクラブに入っていたこと、バレーボールの大会に出た事。もう20年以上昔の事なんだけど頭の中でしまい込まれていた扉が開いたよう。記憶の中に残っている同級生は小学校のまま。なので年を取った姿を見たらものすごく不思議。向こうもそうなんだろうけど。そして夜、子供達を寝かしつけている時、私の母が4歳児君の背中に手でなぞって文字を書き出した。母『これはなんだ?』孫『アルファベットのA』母『これはなんだ』孫『3』また記憶がビビッと戻った。私が子供の時も母にこうやって背中に字を書いてもらっていた。きっと昔の私が4歳児君なんだ。変わらない光景を客観的に見る事が出来た。眺めていて微笑ましかった。4歳児君の反抗期もすっかり落ち着いた。母の力って偉大。どうしようもない反抗期の時期に実家に帰ってきてよかったなあって思う。
2007年08月06日
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昨夜はお見舞いコメント沢山ありがとうございました一晩寝たら鼻水はたれてますが熱はすっかり下がり元気取り戻しました朝は私抜きでとっとと朝マクドにハッピーミールを姪っ子達と食べに行った4歳児君私の兄とお昼から天の橋立に海水浴に行く約束を取り付けてきましたということでお昼から天の橋立へ。今日は偶然『桃まき』というイベントと重なりました。8月の日曜日&イベントということもあって先日二人で出かけたときとは大違いの大盛況ぶり。活気があって素敵です海で本格的に泳ぐのは初めての4歳児君。夫君譲りの日焼けしやすい肌なのでたっぷり日焼け止めを塗りたくります。そして香港で浮き輪を持っているのですが、あらたにもう一つ日本用という事で1300円のを買わされました初めての波、塩辛い味の水。浮き輪で兄にぴったりくっついてます。そして気がついたら沖へ兄といってしまいました。黄色い台の上から手を振ってくれてます夫君にプールで鍛えられて水が全く怖くないんだね。私は中学校の時一度溺れたことがあります。なので水泳は得意ではありません。ちょっとうらやましいな。そして桃まきイベントが始まりました飛び込み台からハッピを着たおじさんが桃をばらまきます。すごい人ごみ。山ほどある桃もあっという間に無くなります。子供が居るので波打ち際に居てゲットできずに居ると波打ち際で小さな子供向けの桃まき開始これで姪っ子二人と4歳児君もゲット食わず嫌いな4歳児君、初めて桃を食べました(ロンドンで白桃は手に入りずらかったのもありますが)ようは雰囲気なんですねスイカももしかしたらスイカ割でもしたら食べるかもね。来週、先輩達とまた海へ行くからしてみようかあ約1時間半ほど海で遊びました海水浴って私が自分で行ったのって最後は高校生の時だったかなあ?いや、、、20代でいってる?覚えていないくらい遠い昔のよう。でも子供のとき住んでいた地区でいった海水浴や中学校のとき友人と自転車で行った海水浴、父に連れて行ってもらった海水浴の記憶は残っている。4歳児君も姪っ子や兄と海水浴に行った記憶残してくれるのかしら。香港では経験できない楽しい夏。色々と経験させてあげたい物です。天の橋立の桃まきイベント、次回は8月10日だそうです。
2007年08月05日
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週末。夫君が居ないのでなんらかわりがない夏の1日。4歳児君と散歩に出かけ汗だくになりながら網を片手にカマキリを捕まえ、(がんばったでしょ私?)線路沿いの遊歩道をを散歩し(つゆ草?って名前だったかな、このお花。)向日葵の花を見に行った。(蜂がとまってるの見えますか?)小1時間の散歩を終えお昼前に帰ってきてきていた姪っ子達とかき氷を作って食べた。かき氷を家で作るなんてなんて日本。懐かしい気持ちがよみがえる。かき氷を食べてお昼からは叔母にお願いして4歳児君をウオッチ館(水族館)へ連れて行ってもらう。このウオッチ館。小さな水族館の後にタッチングプールがあって池の中には海の魚がはなしてあり子供達が触れるというもの。これ、海へ連れて行くよりいいかもそして帰り道に地元で有名なソフトクリームを買い家路に着いた。この頃から私の体は熱かった。ついでに鼻水もたれていた。クタクタに疲れながらもお風呂にいれご飯を食べさせた。もう限界。母に4歳児君とプリンセスを任せて先にお布団に滑り込んだ、時間は18時。あつさで目が覚めたのが20時。横にはいつの間にかプリンセスと4歳児君。囲まれていてあついのかな?なんて思ったけどどうも違う。熱を測ったら8度近くあった。夏風邪。咳もひどくなってきてる。プリンセスが居るから薬も飲めないし。夕方から中途半端に寝ちゃったから寝れない。夫君にもテレビチャットでそんな顔色でパソコンさわってる場合じゃないんじゃないって言われた。その通り。明日は天気が回復したら朝マックにいって海水浴に姪っ子達といく予定。早く回復しますように。
2007年08月04日
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ママ友達。子供を通してのおつきあいって感じであまり好きな言葉ではないのですが子供を通してだけではない尊敬できる友人が一人田舎に居ます。一昨日、その彼女が私が住む町の隣の京丹後市から子供を2人連れて車で遊びにきてくれました。彼女は富山県出身。旦那様と仕事をしていた京都で出会い丹後に嫁いでこられました。そして旦那様と総菜屋さんを数年前にオープンされたのです。地元出身者ではない彼女との出会いは2003年の6月。出産のときに同じ部屋だったことがきっかけです。4人部屋で天の橋立が見える病室でした。お互いの子供が同じ京都生まれの『京』という字を名前の人文字に使っていています。物静かなのだけど芯がしっかりしていてそして気が利いて静かなりに明るくて人なつっこい笑顔のYさん。そんなこんなで彼女と気があいおつきあいが始まりました。おつきあいと言っても私は産後東京に帰って仕事をしたりロンドンや香港へ引っ越すので会える時といったら帰省時のみ。でもこうやって実家に帰ってくる旅に連絡を取り合い毎回忙しいお店の合間を縫っては顔を見せにきてくれます。お互いの子供の成長も帰省時の楽しみの一つなのですがもう一つ彼女と会う楽しみがあります。それは彼女のお店で作っているお惣菜のお弁当これ、かなり美味しいのです。さすが京都の料亭仕込み大きな地元バイ貝の煮付けサワラの南蛮付け地元でとれたお刺身の盛り合わせおおきな海老と地元お野菜の天ぷら地元でとれたもずくの酢の物茄子の自家製みその田楽Yum写真を撮る暇なく食べ尽くしてしまいました(今度はかならず取ります)私がロンドンヘ行く前に開業したお惣菜屋さん。初めて泊まりに行った時、『お店が繁盛しなかったら首をつるしかないわあ』なんて事を旦那様を含めて飲みながら話しました。今では人手が足りないほど忙しい繁盛店朝も5時起き、夜は20時頃まで子供を背負って仕事をこなしているそうです。そんな彼女とてもキラキラしていますパワーをもらってばかり。私も見習わないといけない。上の子も下の子も近い月齢。後10年したら一緒に美味しいコーヒー飲みに行ったり地元の温泉に行きたいねと語り合いました。なんだろう、この関係。育児の戦友みたいなかんじなのかしら。地元に帰ってくる度にほっとできる時間をくれる一人です。来年も会おうね。今度は旦那つれてお邪魔させてくださいな
2007年08月04日
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実家の役場で行われる10ヶ月検診へいってきました。台風が接近していたので開催されるかどうか心配だったのですが朝には暴風域を脱していたので開催される事に。場所は元I町保健センター。私が通っていたやたらと長い名前の中学校のすぐ近く。本当は3、4ヶ月検診なのですが海外から一時帰国ということで特別参加させていただけました。まわりはねんねちゃんばかり。プリンセスはハイハイ&歩きますので注目の的です。そんな中、検診開始。プリンセスは体重は7.9キロのこぶりちゃん。今10ヶ月なのですが先週から歩行を開始し今では3メートルほど歩きます。しかも方向転換可能さすが小さめ小回りきいているプリンセス。そして発達の検査で1、小さな物をつまむ2、玩具を二つもってカチカチならす3、玩具を入れ物から出すというのをチェックされ1&2はクリア~。体は小さめだけど発達面は問題はないそうですプリンセス、眠りが浅い事以外はモウマンタイですそして保健婦さんとの会話は4歳児君の事へ。帰国まで激しかった反抗期の事。保健婦さんからのアドバイスは1、反抗する事でふりむいてもらいたい。 興味を持ってもらいたいと思っている。対応、、、反抗するのに対しては無視するのが一番でしょう。 そして悪循環を繰り返していた理由は10ヶ月、1歳半、3歳半で迎える精神発達の節目に引っ越しやプリンセスの誕生があったことで発達にある程度の影響を与えられそれを発散する場所としてプリンセスにあたるのではなく親や友達に発散しているのでしょう。発散する場所はある程度大切です、反抗期を受け止めてあげたら落ち着くと思います。というアドバイスを受けました。薄々わかってはいたけれど改めてこういう指導を受けると心にしみます。しつけをするというより、最近ではする事なす事すべてに叱ってばかりいました。実家に居る事で私のココロに余裕ができているので母を見習ってもっと甘えさせてあげようと思いました。そして精神発達の節目ってものがあるんですね。まさに3歳半、彼は節目をプリンセス&引っ越しで振り回されていたのです。原因の一つがわかってすっきりしました。そして検診後。。。。父に迎えの電話をしました。迎えが来るまでの時間約20分。懐かしい中学校の周辺をプリンセスを首からぶら下げて散歩しました元I町は丹後ちりめんで有名な町。町中を歩いていたらハタ織りのカタン、カタンという音がしていました。昔に比べたら随分減ったそうですが心地が良い懐かしい音でした。そう言えばもう辞めてしまわれたのですが父方のおば2人もハタ織りをなさっていました。遊びに幾たびに感じた音と匂いが好きだったのにな。そして天の橋立を眺めようとそして海の方へ歩きましたものすごく変わってました私の心の中にあるはずの海の風景が埋め立て地になってました。中学校卒業してからきてなかった。小雨が降る中しばらく変わってしまった海を眺めていました。先日汽船から見たらわからなかったのにな。しばらくこないだけで変わってしまうものがこんなにたくさんあるんですね。時間て色んな形で流れているんだなあ。子供の成長もそうだけれど自分や両親が年を取るのも当然だな。景色が変わったように自分もきっとここに居た頃とは変わっているのでしょうね。変わってしまった景色を見て年を感じました。
2007年08月03日
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先日、実家のある地区で納涼大会が開催されたのでいってきました。大きな祭りとはまた違った懐かしい雰囲気の会場。子供向けのかき氷、ヨーヨー、輪投げ、あてもんのコーナー。大人向けには抽選、焼き鳥やビールのお店も出ていました。姪っ子達と歩いていると同じ小学校の子達が集まってきました。田舎にはミックスの子が珍しいのか『なにじん?』『何語しゃべるん?』など4歳児君質問攻め。姪っ子達は『フランスとオーストラリアと日本人やで』と慣れたように答えてくれますがやっぱり見慣れない子、見慣れない肌の色に子供達は正直な反応を示します。香港や東京に居ると当たり前のように居るミックスの子供達。ああ、ここは田舎なんだと再認識。しかし日本語を話す4歳児君はすぐに打ち解けお兄ちゃん達とじゃんけん大会へ参加。なかなか強くって景品の花火を頂きました。私抜きで壇上に上って花火をもらう度胸。私の小さいときとは大違いです。輪投げ、私の兄と一緒に参加。一番遠くにある車がどうしても欲しかったのでウSがゲットできず。。。悔しそうな顔で私の所に戻ってきて『もう一度したい』と言います。反泣きの顔に私も同情し100円玉握りしめて再チャレンジ。やっぱりゲットならず。子供の腕では無理です。そして泣き顔になる4歳児君。でも人生にはどうしても手に入らない物があるんだからと泣く泣くあきらめさせました。かき氷を食べてビンゴ大会へも参加。会場で小学校の同級生でご近所さんのN君にあいました。N君は子供とお姉さん、お姉さんの子供ときていたのですがお姉さんの子供がモデルさんらしくお洒落でむっちゃかわいい!!4歳児君、クッキーモンスターなんか着ている場合じゃないわ~そんなこんなで地元の納涼大会満喫してきました。日本の夏っていいです。今度からかならず夏に帰国しよう。
2007年08月03日
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虫が触れない4歳児君へのおばあちゃんの特訓は続いています。しかしとうとうおばあちゃんの特訓は功をなして虫を触れるようになってきましたまずはカブトムシ。家の網戸にくっついてたのをゲット。一晩お泊まりしてもらい木へ返してあげました。なかなか立派なカブトムシでしょ?バッタに至っては捕まえられるようになりました。おばあちゃんの夏の野望、達成かその他にも庭には揚羽蝶ひらひらと綺麗です。そして大きな蜘蛛の巣とても綺麗なウエブを作っています。そしてトケイソウ(本当のお名前は不明です)が咲いています。ご質問があったユンボ。ミニショベルカーの事でした。家の前を車に乗って朝の8児から走り回る4歳児君色白のお肌が日焼けをして黒くなりつつあります。おばあちゃんや姪っ子達とたくさん遊んでいるのでもうすっかり言葉は田舎の言葉。『おかあさ~ん、バッタ捕まえてきたで』『あそこにカマキリがおんなる』『ばったさん、N君所にお泊まりにきてえよ』香港では英語と日本語がすっかり形勢逆転していただけに母はとても嬉しいです。もう8月。香港へ帰る日にちが近くなってきています。蝉の声、虫の声、汽車の音、ハタ織りの音、姪っ子達との歓声。このまま帰りたくないなあ。同じ国に住んでいたらピューと来れるのが本当にうらやましい。すっかり里心が定着してしまいましたなんだか明るいはずの日記なのに寂しくなった。それじゃ、イカン。気を取り直して今日はお昼からお友達が会いにきてくれます。後少しの夏休み、もっともっと満喫するぞ~
2007年08月02日
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晴天の京都府北部。朝8時からどこかへ散歩に行きたいという4歳児君のリクエストに応え特急(普通電車と総到着時刻は変わらないの)に乗って天の橋立へいく事にしました。うちの近所の駅、田舎でしょ1時間に一本くらいしか電車がないので230円の運賃に特急料金320円加えて出発です電車からはのんびりとした田園風景自分の田舎なのだけど癒されます。駅に到着。お土産物屋さんをふらふらしながら船着き場へ向かいます。道中でふぐの飾り物にあいました。懐かしい~そして小学校の同級生のS君のモーターボート屋さんへ。小学校のときの面影しかなかったのですがすぐにわかりました。少しの間、立ち話。S君は上手な年の取り方だなあ。そして片道500円のモーターボートへのせてもらいます。さすがモーターボート、スピードはやくって4歳児君もご機嫌あっという間に橋立の反対側へ。成相山の元伊勢神社へお参り。お参りを済ませたら帰りは汽船へ乗船ゆっくりと進む汽船から見える景色は懐かしい景色ばかり。内海の向こう側、山の麓にに私が通っていた中学校が見えます。もう卒業して十数年。かわらない景色を見るとなんだか自分だけがたくさん年を取った不思議な気がします。汽船を降りる近くには赤い色の回転橋。船が通っているのでちょうど回転していました。この景色も小学校のときは何とも思わなかった。でも橋が回るってすごいことだよねえ。。そして小学校の時、水曜日にバスに乗って同級生のの家へグループ学習で来ていた当時を思い出しました。橋の下で魚を見たっけなあ。。。まだ当時の夏の記憶を鮮明に覚えています。回転橋をわたって海へ向かいます。途中にある海の店、昔から変わりません。松並木。10時半頃なのでぼちぼち観光客がめだってきます。私は高校生の時、自転車で家から高校へ通っていました。よく1時限目をさぼって海へ一人できていた頃のことを思い出しました。(しかしなんで一人できてたんだろう。。。)海、とても透き通っていました。子供の時、父や母、児童会で夏にはよく泳ぎにきた場所です。スイカ割り、海の後のカップラーメン美味しかったなあ。高校生のときの彼ともよくきました。それからランチタイムになったので食堂へいって地元の海の幸ふんだんな海鮮丼を頂きました。(現物は食べてしまったのでポスターで済みません)そして駅へ帰る途中に思い出したのが最近MIXIで発見された小学校の同級生K君の言葉。『お店にO君がおるで』同級生のO君が跡を継いでいるという駅前のお土産物屋さん。ちょっとよって見ようかなと思い立ち寄ってみました。もう10数年ぶり。(いや。もっと?)私の事を覚えていてくれる自信はなかったのですが勇気を出して店員さんへ声をかけました。するとO君、仕事中にも関わらず中から出てきてくれました小学校の時の色白い、半袖を着ていた大人しい可愛い男の子のイメージしか残っていなかったのですがしっかり年相応の男前になってました電車までの時間だったので10分ほど田舎の話や小学校の同級生の話をしました。いや~30代になって会う同級生はいいですね。みんな素敵な大人になってます。今日は4歳児君の散歩といいながら私のココロの記憶を呼び覚ます素敵な散歩でした。
2007年08月01日
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