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昔、ビデオで見た映画のDVDを探していました。
タイトルは「幻の城 バイロンとシェリー(1988)」
詩人のバイロン卿の別荘でメアリー・シェリーは「フランケンシュタイン」を創作する。
そしてそれに伴う怪奇が起こる・・と言うストーリーだったと思う。
何となく借りて見ていただけで、出演者など気にも止めなかったけどバイロン卿を演じたのが若き日のヒュー・グラントだったと知ったのは最近の事 ![]()
そしてヒュー・グラントの他の作品リストを見て再びビックリ。
やはり昔見て今も記憶に残った映画「モーリス(1987)」。
そのモーリスで彼に愛を告白した美少年クライヴ・ダーハムがやはりヒュー・グラントだったのだ。
その2作品はストーリーが特殊であるが故に記憶に残っていたと、思っていたが・・。
もしかしたら当時のヒュー・グラントが非常に美しかったから記憶の隅に残ったのかもしれない。
ヒュー・グラントと言えば今や「ノッティングヒルの恋人(1999)」で有名な役者さんだが、その昔の彼は確かに少女マンガ級の美貌だったような気がするのだ。
モーリスの方はビデオをレストアしたDVDが出ているようですよ ![]()
さて、今回写真は映画つながりで「真実の口」から。
真実の口 (Bocca della Verita)
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Basilica di Santa Maria in Cosmedin)
バシリカ(basilica)様式の教会
真実の口 (Bocca della Verita)はオードリー・ヘップバーン主演の世界的人気映画「ローマの休日」で一躍有名になったなぞの石版です。
以前も取り上げた事がありましたが、「真実の口」はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Basilica di Santa Maria in Cosmedin)の外の壁に掛けられています。
この教会の場所はローマを流れるテレベ川のほとり。
古代ローマ時代の史跡が近くにたくさんある地区にあります。
せっかくなので地図から位置確認です。
川はテレベ川(Tereve)
A・・バチカン(Vaticano)
B・・コロッセオ(Colosseo)
C・・サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Basilica di Santa Maria in Cosmedin)
下の地図はさらに拡大
黄色の位置が教会。
コロッセオから見るとパラティーノの丘の向こう側になります。
コロッセオ前を走り教会に、アン王女の乗ったベスパも走ったのでは?
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Basilica di Santa Maria in Cosmedin)
このあたり 6世
紀には食料市場だったそうで、教会はその頃小麦をあつかっていた役所の倉庫を利用して建設されたと言います
。

8世紀と12世紀に増改築されていますが、「Basilica di Santa Maria in Cosmedin」名前にも付いていますが、 教会内部は典型的なバシリカ様式
になっています。
教会創設当初の様式で言えば、ここはビザンティン(Byzantine)スタイルの教会です。
7層の鐘楼は12世紀の建造。
教会自体の正面写真がありません(×_×;)
真実の口 (Bocca della Verita)
教会左に真実の口 が置かれている。
観光客は教会ではなく、こちらの石版だけを見て、記念写真を撮っていく人が大半。
「ローマの休日」のアン王女を真似をして口に手を入れて撮影するのだ。
直径1メートル以上厚さ15センチ以上
なぜ「真実の口」?
ウソをついているものの手に噛みつく・・と言う伝説のある石版
。
しかし、なぜ「真実の口」・・と言われるようになったのか? の 伝説の出所は不明
。
「真実の口」の石版の出所・・・不明
諸説あり、ローマ時代の大きなの神殿or何か建造物の排水溝のフタだった。とか、この教会の柱廊玄関にあった下水道のマンホールのフタ? などとも言われている。
私はどちらにも疑問が残る。
おそらく長い間に転々としていた可能性があるからだ。。
顔の大きな角はローマ神話の海神ネプチューン(neptune)か?
とも思える。
そうであるなら、もしかしたら、もともとは破壊されたローマ浴場の湯口だったかもしれない。
何しろ皇帝が変わると浴場もリニューアルされていたからだ。
真実の口・・の伝説からすればローマ神話の巨人サトゥルヌス(Saturnus)の可能性もある。
ゴヤの絵画でも知られるサトゥルヌスは、自分の子に殺される・・と言う預言から自分の子供を次々に飲み込んだ神様だ。
ユピテル(ギリシャ神話のゼウス)やネプチューンの父親である。
この近くにちょうどサトゥルヌスの神殿があったし、彼は農耕の神様だと言われている。
実際ここは古代ローマ時代に市場と食料庫であり、土地柄サトゥルヌス(Saturnus)に縁があるからそうした関連の遺跡から出た可能性もある。
解らないからこそ尚、人気があるのかもしれないが・・。
顔には2本の角
もともとネプチューン(neptune)の顔だったのかもしれないけど、子を食らうサトゥルヌス(Saturnus)の顔に見えた事から「食いちぎる」・・と言う発想、伝説が生まれた可能性もあるかも・・。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会聖堂内部
バシリカ(basilica)様式の教会
古代ローマではもともと 多目的集会場として建築されたスタイル
だそうです。
キリスト教徒の典礼用建築としてバシリカがいつ頃から採用されはじめたのかは不明だそうですが、 木造天井で覆われたホールと、列柱廊による構造がバシリカ様式の特徴
です。
ここでは、古代遺跡から集めてきた・・とも言われる列柱で側廊ができている。
何しろバシリカはギリシア語で「王の列柱廊」を意味するバシリケーに由来。
4世紀~7世紀の 初期キリスト教建築スタイル、と言うよりビザンティンの正教会のイメージ色が強い教会
です。
聖障(イコノスタシス)があったと思われる柱が身廊を仕切って至聖所(しせいじょ)を作り出してい
る
からだ。
その不思議な構造は2回にわたる聖像(イコン)の崇敬の禁止令のせいかもしれない。
床は大理石モザイク
バシリカの聖堂は、一般の教会堂より格式が高い。
テンプロンか? 聖障(イコノスタシス)か?

至聖所と聖所を区切る仕切りであるが、かつては正教会のようにここでも内陣と至聖所がはっきり分かれていた。
そして、写真にあるようなキリストや聖母などの聖像画がここにもかつてはたくさんかけられていたのだろうか?
ところで、聖像画(イコン)の崇敬の禁止令は730年に東ローマ皇帝レオーン3世が出した勅令で、、その後撤回されたものの、東ローマのローマ・カトリックと西ローマの正教会の亀裂と分離は政治だけでなく、そこらへんの事情にもあったと言う。
教会身廊の天井
バシリカの特徴である木造天井は、ほぼ当時のまま残る貴重な屋根だそうです。
確かに屋根裏だけ眺めていると、教会というよりは倉庫かな? と言う印象はうけますね。
それにしても「真実の口」などより、教会本体の方が貴重品です。
初期キリスト教時代にさかのぼる教会なので、一言で言えない複雑な歴史を持つ教会だった
ようです。
最後が地味な写真になってしまいましたが、これでおわります。
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