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一時中断して・・。連休で大阪にいた時にサントリーのウイスキー工場の見学に出かけてきました。紹介するなら今なので先に載せてしまいます。サントリー山崎蒸留所 (天下分け目の天王山)国産第1号のウイスキー誕生天下分け目の天王山山崎の戦い天王山の南麓にある山崎蒸留所は大阪府三島郡島本町山崎にある。天王山自体は京都府に組み込まれているのだが、最寄りのJR山崎駅は大阪と京都にまたがり、阪急大山崎駅は京都府に所属している。つまり現在の山崎と言う場所は、大阪府山崎と、京都府大山崎とに区分けされてしまっている。黄の円がサントリー山崎蒸留所。その北側(裏山)が天王山である。因みに青い円が妙喜庵・・茶室(待庵)が国宝。サントリー山崎蒸留所後方に見えている山が天王山(標高270.4m)の一部。このウイスキー工場は国産1号のウイスキーを造り出した工場なのです国産1号のウイスキー「サントリー・ウイスキー白札」国産第1号のウイスキー造りはワイン事業の収益で造られたと言う。国産第1号のウイスキー誕生サントリーホールディングス株式会社(Suntory Holdings Limited)は鳥井信治郎氏(1879年~1962年)が、葡萄酒の製造販売を目的として起業した鳥井商店に始まる。創業1899年(明治32年)当時は酒類を扱うのは薬種問屋で、大阪の薬種問屋(小西儀助商店)を独立すると最初は日本人の味覚にあったワインの販売を始める。「赤玉ポートワイン」1907年(明治40年)発売がそれである。これは日本初の女性のヌード・ポスター(1922年)の効果もあり、当時驚異的な売り上げを記録したそうだ。(現在は「赤玉スイートワイン」に改名)鳥井信治郎氏は、今度はその資金を惜しみなくつぎ込み、不可能と言われていた国産ウイスキーの製造を始める。1921年(大正10年)株式会社寿屋を設立し、ウイスキー造りに適した土地を探し求めてこの山崎にたどりついた。山崎は万葉の昔から名水の里として知られる場所。竹林から湧き出る良質な水がウイスキー造りに適していてた事が一つ。また木津川と桂川と宇治川の温度の異なる川の合流場所で濃霧が発生しやすい地形的問題もウイスキーにとって理想の場所だったそうです。かくして1923年(大正12年)山崎にモルト・ウイスキー蒸留所が建設。1929年(昭和4年)には国産ウイスキー第1号の「サントリー・ウイスキー白札」が発売された。それは日本で初めて造られた本格的なウイスキーの誕生。ところでウイスキー造りが成功したのはそれだけではない。鳥井信治郎氏の嗅覚と味覚が人より抜きん出ていた事が成功につながっているようだ。(彼の生涯を舞台にした「大阪の鼻」ではきき酒コンクールの逸話が紹介されている。)館内には鳥井氏の寝室のサイドボードが展示されていて、毎晩寝室にグラスを並べて常にブレンドを試して自ら研究していた・・と言う事も紹介されている。ビールとウイスキーは原材料と仕込み発行まではほぼ一緒。ウイスキーはそれから2回蒸留して樽で寝かす。手間がずっとかけられている。原料仕込み部屋蒸留タンクのある部屋蒸留タンクはそれぞれ形が微妙に異なる。たったそれだけで味に違いが出るのだそうだ。貯蔵・熟成室熟成4年物のウイスキーの色年とともに色はくすんで行く。ここでは樽の素材にについても講義があった。樽に使われる木の材質だけでなく、以前バーボンを詰めていた樽やシェリーを詰めていた樽に入れて熟成させると芳香の異なるウイスキーが生まれるそうだ。ウイスキーは樽も命。寝かした年代だけでない香りと味わいが生まれる。それらウイスキーをより美味しくブレンドして、山崎は造られている。ワインのようにただ何年物・・と言うだけでなく、異なる年代のウイスキーをブレンドした格別の一杯を見学の後に試飲させてくれた。(他では飲めないウイスキーだそうだ。)試飲はブレンドの山崎と白州(はくしゅう)の一杯ずつ。本当に美味しかった。特に山崎は最高でした(オリジナルのナッツとチョコレート付き)土産コーナーではここでしか買えない逸品がある。また、もっと飲みたい人には1人1000円であれこれ飲めるサービスがあったような・・。1階、ウイスキーのライブラリーところで初のワインの「赤玉」を太陽(SUN)にみたて、名前の「鳥井(とりい)」を合体。ウイスキーの「サントリー」は SUN + 鳥井 のダジャレから生まれている。1963年(昭和38年)には社名もサントリー株式会社に変更。見学は前日までの事前予約制 。天下分け目の天王山天王山にはかつて秀吉の城であった山崎城が建っていた。古来山崎は交通や経済、軍事の要所であり、何度も戦場になった土地である。山崎城は大坂城が築城するまで秀吉が本拠地としていた城でもあるそうだ。彼は信長の弔い合戦の時にここを奪取した。故事(こじ)にある「天下分け目の天王山」がここ山崎なのである。つまりここは羽柴秀吉VS明智光秀の合戦の場所。山崎を制した羽柴秀吉が天下を取り、豊臣秀吉になった場所。だから天下分け目の合戦の場所であり、勝敗や運命の重大な分かれ目の事を指す言葉として現在に残っている。天王山地図赤い星がサントリー山崎青い五角形が天王山山頂、山崎城跡ピンクの円が山崎の合戦場所山崎の戦い(1582年6月13日)明智光秀が主君、織田信長に対して謀反を起こした本能寺の変(1582年6月2日)後、最初に陣取った場所は男山城と山崎城だったそうだ。しかし秀吉が疾風のように打倒光秀を掲げて中国地方から戻って来ると(中国大返し)光秀は慌てた。秀吉が摂津富田(山崎のすぐ近く)で軍政を整え総大将となる頃には、情報を知った光秀は男山の布陣を撤収させて淀古城、勝竜寺城へ退散する準備を始めている。この時点で光秀は天下人になる為の必要な手立てが整えられず、ふくれあがる秀吉軍にすでに負けていたのである。秀吉の軍は2万を超え主戦場を山崎に想定して進軍。12日対峙が始まると、光秀の所からは逃亡者も続出。挟み撃ちになり、主力部隊も戦いで敗れ総崩れになる中、光秀は淀古城、勝竜寺城へ退却。秀吉が山崎城を陣取る頃、勝竜寺城からは光秀の兵の脱走は続き兵は減少。すでに勝敗は決まっていた。天は秀吉に味方した。光秀は坂本城を目指して落ち延びる途中土民の落ち武者狩りに遭い、竹槍に刺され最後は家臣の介錯により自刃したと伝えられている。一方、秀吉はこの信長の弔い合戦に勝利した結果、清洲会議を経て信長の後継者としての地位を固めた。最初の地図で紹介した「妙喜庵・・茶室(待庵)」は天王山の戦いで天下を平定した秀吉をねぎらって千利休が秀吉の為にお茶を点てた場所だそうだ。もうすぐ信長様の命日なのですね。・・・山崎おわり。
2014年05月30日
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「ハワイにも焼酎があるんだよ。」義兄は自慢げに言って1本のボトルを出してきた。それが今年初めて完成出荷されたハワイ初の芋焼酎「波花」」だった。ハワイ初の芋焼酎「波花」ハワイ初の芋焼酎黒瀬杜氏(くろせとうじ)オアフ島の北、ノースショア のハレイワで育てられた芋で仕込まれた焼酎は鹿児島に伝わる黒瀬杜氏(くろせとうじ)の伝統技法を忠実に踏襲して作られた本物の芋焼酎なのだそうだ。製造元はHawaiian Shochu Company(ハワイアン焼酎カンパニー)初回の出荷は3000本だけ。小売価格は1本(750ml) $39+tax若干のホノルルのレストランや居酒屋で提供されてはいるが、個人で手に入れるなら直接ハレイワの会社まで買いに行かなければならないそうです。(行く前に予約電話必要)義兄は誰かからプレゼントされたようだ。ラベルにはノースショア・・と日本語で書いてある。芋焼酎「波花」を造ったのはまだ若い平田さんご夫妻だそうだ。最初ハワイアンにポピュラーなタロイモで焼酎が造れないか? と思ったのが発端だとか・・。一念発起して脱サラした平田さんは焼酎の技法を学ぶ為に3年間鹿児島の酒造会社に弟子入り。芋は結局ハワイで造られている甘さに定評のある沖縄芋(紫芋)が選ばれた。そして火山性の土壌で鹿児島に似た環境があるノースショアで焼酎造りが可能になったそうだ。しかし決して順風満帆に事が運んだわけではなく、蒸留所建設では建築業者にだまされ、お金を失い。電気も未だひかれていない・・と言う予想外のトラブルに見舞われながら生み出された焼酎なのだそうだ。今年師匠からお墨付きをもらい、初出荷。しかし、初回の出荷の3000本。これが全部売れたら次の仕込みの資金になるとか・・芋は前述の沖縄芋(紫芋)米はカルフォルニア産の高級米「国宝ローズ」麹菌は日本から輸入した黒麹(クロコウジ)全体の82%がムラサキ芋で、18%が米麹アルコール度数30木樽蒸留器で蒸留。カメ壷は弟子入りした万膳酒造の師匠から譲られた100年物を使用。ボトルも日本から輸入。今年2月に仕込み、6ヶ月間タンクにいれて熟成。9月、今回出荷されたものが初ハワイ産の芋焼酎「波花」なのだそうです。兄が晩酌。私は一口だけ味見。新鮮な芋の香りがプーンとして、芋焼酎だと言うのはすぐわかる。しかし、私に焼酎の味はわからない。通の義兄によれば、この焼酎は沖縄の泡盛に近い味だそうだ。もちろん美味しい・・との事。因みに義兄は沖縄出身。そして調べて見ると平田さんの弟子入りした鹿児島の万膳酒造は、「手造り麹」「かめ壷仕込み」「木樽蒸留」と、黒瀬杜氏(くろせとうじ)の名匠が初代杜氏として技を伝承した酒造会社。(初代杜氏は故・宿里利幸氏。)黒瀬杜氏(くろせとうじ)鹿児島県の笠沙町(2005年南さつま市に)にかつて黒瀬という集落があり、そこが焼酎造りの技術を伝える里として知られたそうだ。黒瀬で技術を身に付けた彼らは、九州一円の酒造場におもむき、杜氏、蔵子として酒造りを手伝った。そんな酒造りを伝承した黒瀬からの杜氏を総して「黒瀬杜氏」と呼ぶそうだ。ところで、そもそも黒瀬に酒造技術があったわけではない。黒瀬出身の3人の若者が酒造技術を身に付けて里に帰った事がそもそも・・だと言う。時は明治。実はそんなに古い話ではなかった。焼酎造りの技を所得するため、3人が向かったのは琉球(沖縄)。黒瀬杜氏の酒造りの原点は沖縄の泡盛にあった・・と言う訳だ。義兄が「泡盛に近い味」と言ったのは「波花」が黒麹菌を使っていた事からなのだろう。(因みに泡盛はインディカ米を使用し、芋は使わない。)「波花」を飲みたい方はホノルル市内のレストラン(和田、ジャペンゴ、ロイズ、アラン・ウォンズ、とっくり亭など)で飲めるかもしれません。
2013年12月16日
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取り寄せていた本が届いたのですが、私の構想するテーマで紹介するには全然写真が足りない事に気が付きましたと言って日本人にはマイナーな場所ゆえ追加の写真の入手は不可能なのです。設定を変えて部分部分紹介するか悩み中です。あれこれ考えながら、そろそろボジョレーヌーボーの解禁(11月18日)・・と言う新ワインの時期なので、スイスの畑をちょこっと紹介。スイス・レマン湖畔のワイン畑昨年ボルドーを紹介しましたが・・。スイスは気温も低く、傾斜地がほとんどなので畑も限られ、栽培や収穫が全て手作業となり手間がかかる・・。もともとワインの環境には適している土地と言うわけではないようです。(国のほとんどがアルプスだし・・)しかし、「品質を保つ為に国や地方により生産量の上限を決めて生産している。」と言うことで収穫は少ないながらも良質なワイン生産をしているようです。特にここレマン湖畔は良質のワインが出来る産地として有名で、今回紹介するジュネーブ近郊はローザンヌと共に有名な産地なのだそうです。レマン湖畔のブドウ畑レマン湖(Lac Léman)レマン湖は約2/5がフランス、約3/5がスイスとまたがっている淡水湖で、15000年前の氷河が削られて作られてできた氷河湖なのだそうです。面積582 km² 最大水深310mジュネーブは左の下突端。地図のピンクがスイス領で下のベージュがフランス。湖にはフランスからスイスとを結ぶ船も運航しています。英語ではジュネーヴ湖(Lake Geneva)と表記されるそうですが、日本ではフランス式に定着したレマン湖と呼ぶようです。そもそもレマン湖の名のルーツはカエサル(ジュリアス・シーサー)のガリア戦記の中でラテン語でレマンヌス湖(lacus Lemannus)と最初に記されていたからだそうです。英、伊、独ではジュネーブ湖が一般のようです。フランス式で呼ぶのに反発があるのかもしれませんね。湖面のキラキラが反射鏡となって湖畔は暖かいのだそうです。スイスでは他にも湖畔にブドウ畑がよく見られるそうです。先に紹介した湖面が反射する事による熱エネルギーが得られるからのようです。地理的にはジュネーブは3方がフランスに囲まれ、特に近隣にはフランス、サヴォワ地区があるのでワイン的にはサヴォワ・ワインと似た感じのワインだそうです。生き残る為にスイスの生産者は品質にこだわって生産。AOC法は、ジュネーブ州が初めてでスイスの先駆けて1988年に制定。(スイスでは各州単位)畑の様子を見ると確かに整然としていて管理を感じますが、ボルドーそれとは違います。昨年10月から11月にかけてボルドーを紹介しています。「DIARY」の「一覧」から入って「もっと見る」を選択すると過去月の一覧が出るので見てみてね「ボルドー 1 (シャトー・マルゴー) 」「ボルドー 2 (メドックのブドウ畑) 」「ボルドー 3 (サンテミリオン) 」「ボルドー 6 (サンテミリオンの街とワインショップ)」「シャトー・ラフィット・ロートシルトのボトル...」ジュネーブでは25種類以上ものブドウ品種が栽培。特に白では、シャルドネやソーヴィニョン・ブラン。赤ではピノ・ノワー、メルローなど。自国消費がまかないきれないので自国生産の3倍くらいが輸入にたよっているそうです。それも「スイスワインは希少性が高い」と言われる要因のようです。地元のワイナリーの倉庫ジュネーブには3つの地域があるそうです。マンデュモン地域、ローヌ川・アルヴ川地域、アルヴ川・レマン湖地域写真の畑はたぶんアルヴ川・レマン湖地域でしょう。ワイナリーの名前がわかりません樽は一つ一つ絵が描かれていて美しい。・・と言うより全然カビ気がなくて樽もツヤツヤ。こういうのも伝統的なものなのでしょう。おまけレマン湖名物の大噴水(Jet d'Eau)・・・ローヌ川のモンブラン橋の上から撮影風のない時は140mにも達すると言われる夏の風物詩。噴水の起源は、水の送水ポンプの余剰能力で、近隣の工場の職人が休日に水道栓を閉めると起きていた物理現象だったようです。休日も送水ポンプを停止せず、余剰の水を噴水にまわしたのが定着。100年の歴史があるそうです。おわり
2010年10月21日
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Break Time (一休み)ちょっと珍しいボトルを発見。ワインの味に関しては語れないので、ボトルだけ紹介。シャトー・ラフィット・ロートシルトのボトルラフィットの歴史1999年シャトー・ラフィット・ロートシルト2005年シャトー・ラフィット・ロートシルトシャトー・ラフィット・ロートシルト(Chateau Lafite Rothschild)ボルドー地方(Bordeaux)村名AOC、シャトー1級 メドック(Medoc)5大シャトーの1つ1855年のパリ万国博覧会でのメドック(Medoc)公式格付け、シャトー第1級格付けの筆頭として最高評価のワイン。すべて樫の新樽を使って醸造。ポーイヤック村の北端に位置する。シャトーの敷地面積は123ヘクタール。石灰質を基盤とする砂利質のテロワール(土壌)はメドックでも最上とされるそうです。ラフィットの歴史当初は「ボルドーのワインの王」と言われたセギュール侯爵の所有だったそうで、当時はボルドー・ワインの需要の中心地は、歴史的経緯(12世紀~15世紀はイングランドの支配)もあってイングランドが主だったそうです。が・・・。ロマネ・コンティの畑の争奪戦でルイ14世の宰相コンティに負けた事で、ポンパドール夫人(1721~1764)が、ブルゴーニュ・ワインの代わりにひいきにしたのがラフィットだそうです。夫人はヴェルサイユ宮殿の晩餐会で必ず使った事からボルドー・ワインが宮廷で脚光を浴び、フランス革命前にはラフィットの名声は既に揺るぎのないものに確立。当時アメリカ合衆国大使として赴任していたトーマス・ジェファーソン(1743~1826)も生涯の愛好者となり、アメリカ大陸でのワイン造りを思い立ったとされています。18世紀半ば、セギュール侯爵には男子がいなかったためブドウ園は分割されラフィットとラトゥールは再度分離。数人の所有者を経て1868年、ロスチャイルド財閥創始者マイヤー・アムシェルの5男が買収し、ロスチャイルド家に引き継がれます。第二次世界大戦でフランスがドイツ軍によって占領され、ラフィットはロスチャイルド財閥の財産であるこを理由に解散され、セラーも略奪をうけますが、戦後所有権を取り戻し、シャトーは再生。1999年シャトー・ラフィット・ロートシルト(赤フルボディ)1999年、ヴィンテージは、20世紀最後の皆既日食を記念して「ECLIPSE(エクリプス)太陽・月の食」のデザインがボトルに描かれ、85年の彗星以来の記念ボトルだそうです。(1985年は、ボトルの上にハレー彗星が浮き彫りに)グラン・ヴァンになったのは収穫のわずか3分の1だった希少な年。飲み頃予想:2007年~2030年 最終試飲月:2002年9月 ポイント952005年シャトー・ラフィット・ロートシルト(赤フルボディ)2005年は日照量や降雨量など奇跡的な調和を生んだ年だったとのことで、調和の象徴、太陽と雨雲の天秤がボトルに記されたそうです。飲み頃:2015-2050+年 こうした特殊なボトルは滅多に造らないようで、見つけたのは3本のみ。ラフィットのこだわりボトルですかね。ボルドーのワイン・スクールの看板本場ボルドーで勉強できたら凄いですね。でも、・・その前にフランス語ができないと駄目か・・・。関連リンク シャトー・ラトゥール(Château Latour)リンク エチケット(シャトー・ムートン・ロートシルト)リンク ボルドー 1 (シャトー・マルゴー)リンク ボルドー 2 (メドックのブドウ畑)リンク ボルドー 3 (サンテミリオン)他
2009年11月07日
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Break Time (一休み)シャトー・ラトゥール(Château Latour)ボルドー地方(Bordeaux)メドック(Medoc)1級格付けワインフィネス(Finesse)メドック(Medoc)のワインは第1~5級までに分類されています。AOCが土地そのものを図るのに対して、格付けは作り手を図るものだそうです。メドック(Medoc)1級格付けワインシャトー・ラフィット・ロートシルトシャトー・マルゴーシャトー・ラトゥールシャトー・オー・ブリオンシャトー・ムートン・ロートシルト第1級に格付けされているワインは、5銘柄あり、今回紹介するのはシャトー・ラトゥール&ラフィット・ロートシルトです。シャトー・ラトゥール(Château Latour)村名AOC、シャトー1級(1855年のボルドーワインの格付けでは、第1級を獲得)オーメドック地区ポーイヤック村、ラトゥールぶどう園は、ジロンド川に程近い小高い砂利質の丘にある畑「ランクロ」が拠点です。農園の赤ワインは3種畑にはカベルネ・ソーヴィニヨン種が80%、メルロー種18%、カベルネ・フラン種とプチ・ヴェルド種が植ええられているそうです。1.グラン・クリュ(Grand Curs) カベルネ・ソーヴィニヨン75%、メルロー20%、残りがプチ・ヴェルドとカベルネ・フラン2.レ・フォール・ド・ラトゥール (Les Forts de Latour) カベルネ・ソーヴィニヨン70%、メルロー30%というブレンド3.ポーイヤック( Pauillac )すべて樫の新樽で醸造。フィネス(Finesse)ラトゥールのような30~60年をかけて瓶熟する長期熟成タイプのワインにのみ使われる言葉で、傑出した優雅さを備えた年のワインを「フィネスがある。」と言うそうです。超熟なラトゥールのワインは、完璧なフイネスを追求して造られたワインなのだそうです。だからフィネスと言う言葉はラトゥールのワインを形容する為にあるみたいですね。ワインのエチケトの絵は、農園のシンボル、サン・ランベールの塔元は、14世紀後半に建てられた要塞だったそうです。現在の1620年代に再建された丸い塔(サン・ランベールの塔)は要塞ではなく、鳩小屋? らしいです。1714年、ラトゥール1樽の値段は通常のボルドーワインの4~5倍だったそうですが、1729年には13倍、1767年には20倍となり、それに伴いシャトー・ラトゥールの敷地は、1759年には38ヘクタール、1794年には47ヘクタールと広がっていったそうです。1842年、法人組織となり、現在は、1993年6月よりプランタン・グループのピノー家の所有。関連リンクですが、 2009,10.28 ボルドー(Bordeaux) 3 (サンテミリオン)のみ写真入れ替えをしました。他に関して正月以降をめどに写真の入れ替えと編集しなおし予定です。一応リンク先のせましたが・・。リンク エチケット(シャトー・ムートン・ロートシルト) リンク シャトー・ラフィット・ロートシルトのボトルリンク ボルドー 1 (シャトー・マルゴー)リンク ボルドー 2 (メドックのブドウ畑)リンク ボルドー 3 (サンテミリオン)他
2009年11月04日
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ここだけ写真入れ替えました。ボルドーはまだ写真入れ替え中です。今はベルサイユで忙しいので正月すぎに編集予定。ボルドー(Bordeaux) 3 (サンテミリオン)ボルドー 3 (サンテミリオン)ボルドー(Bordeaux)サンテミリオン(Saint-Emillion)サンテミリオンの街の外(城壁の外)の畑ボルドー地区にはAOC(Appellation d'Origine Contrôlée)を名乗る地区が21あるそうです。※ AOCの説明は「ポルドー2」を見てね。有名なAOCの地区は、5地区メドック (Médoc)クラーヴ(Graves)ソーテルヌ (Sauternes)サンテミリオン (Saint-Émilion)ポムロール (Pomerol)下に主なボルドー・ワインの生産地の地図を載せました。その中でも、メドック、クラーヴ、ソーテルヌ、サンテミリオンの4地区は独自のシャトーの格付けを行っているそうです。今回は、サンテミリオンを紹介サンテミリオン(Saint-Emillion)ドルドーニュ川右岸にあるサンテミリオンは、ジロンド川左岸のメドック地区と双璧をなすボルドーの高級赤ワイン産地です。そして、ワインのみならず、この地域は、「サンテミリオン地域」の名でサン=テミリオンのコミューン共同体になっている8つの市町村とブドウ畑も登録の対象とされ、1999年に世界文化遺産に登録されています。サンテミリオンの街の中心から撮影街は少し小高い山に集落を作っていて、山の頂の教会を中心に広がっています。サンテミリオン (Saint-Émilion)は、中世に盛んになったサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼コースの札所にあたる。巡礼者の間でここのワインは大変評判となった。サンテミリオン城壁のすぐ外のブドウ畑教会のブドウ畑でしょうか?もともとサンテミリオンの村の名は、8世紀にこの地の洞窟に隠遁した僧侶聖エミリオ (Saint Emilion) から由来。この地の土壌がワイン醸造に適していた事から、エミリオに付き従った僧侶たちによって、ワインが作られ始めたと言う。先にも紹介したが、サンテミリオン(Saint-Emillion)はキリスト教の三大巡礼地に数えられるサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)の巡礼路に位置する。サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)の巡礼路を示すマーク。巡礼札所の教会の近くに必ずある聖ヤコブのホタテ貝モチーフにしたマーク。中世に高まった巡礼地めぐり。巡礼者の数は半端なかったはず。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼は、巡礼地に至るコースにも意味があったからだ。現在も巡礼者は非常に多い。実際、この撮影もサンティアゴ・デ・コンポステーラに行く為にわざわざフランスから入ったコースなのである。聖ヤコブ(十二使徒)の聖地巡礼途上に立ち寄った巡礼者によって優れたワインの一つとしてサンテミリオン(Saint-Emillion)の名が広まったのである。リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 1 (巡礼)サンテミリオン城壁の外のブドウ畑ブドウの畑の植え付け方がメドックのシャトーと違って密集している気がしますし、ブドウの樹形も違うようです。土壌主要品種はメルロ種とカベルネ・フラン種。この地域の土壌は、表土が粘土質ですぐ下に石灰の分厚い白亜質の層があり、石灰の分厚い層が余分な雨水などの水分を吸収し、ブドウに水が少なくなるとその石灰層が逆に水分を与えてくれるのだそうです。この石灰の古い層の中にミネラル質が多く含まれていて健康で、味のある良質なブドウを育てるようです。また、畑によって土壌の違いを作り出す栄養も異なり、風味が違うのだそうです。土壌は、メルロにはふくよかな豊かな果実味を与え、カベルネフランには繊細で上品な華やかさを与える。このブドウの絶妙なブレンド、バランスの良さがサンテミリオンなのだとか・・・。たくましさと、きめの細かさ、複雑な風味を兼ね備えた長期保存に向くワインになるそうですが、メドックのワインよりはアロマの変化が速いそうです。ブドウの実のなり方もほぼ同じ高さに横に並んで実が付いています。メルロ(Merlot)かな?なんとなく素人でもメドックと畑が違うのが解りますね。最も、土壌も品種も苗木も違うのですから同じわけないですね・・・。サンテミリオン街につづく。以下はまだ未編集です。m(_ _)mリンク ボルドー 4 ( サンテミリオン、モノリス教会)
2009年10月28日
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Break Time (一休み)エチケット(シャトー・ムートン・ロートシルト)シャトー・ムートン・ロートシルト(Chateau Mouton Rothschild)ボルドー地方(Bordeaux)メドック(Medoc)ワインは第1~5級までに分類されています。AOCが土地そのものを図るのに対して、格付けは作り手を図るものだそうです。メドック(Medoc)1級格付けワインシャトー・ラフィット・ロートシルトシャトー・マルゴーシャトー・ラトゥールシャトー・オー・ブリオンシャトー・ムートン・ロートシルト第1級に格付けされているワインは、5銘柄あり、今回紹介するシャトー・ムートン・ロートシルトはその一つのシャトーです。シャトー・ムートン・ロートシルト(Chateau Mouton Rothschild)村名AOC、シャトー第1級(1973年に2級から1級に昇格)メドックのポイヤック(Pauillac)村にあるワイナリーで、所有者はロンドンのロスチャイルド家。「ロートシルト」は「ロスチャイルド」のドイツ語読み。「 Mouton 」はフランス語で「羊」。1924年までムートン・ロートシルトの各ヴィンテージは、メドックの他のシャトーと同じように、樽のままボルドーのワイン商人に販売され、彼らの手で熟成、瓶詰、販売されていた。それをいち早く自らのシャトーで瓶詰まですると言う、革新を行ったそうです。1946年以降、シャトー・ムートン・ロートシルトのエチケットは世界の偉大な画家や彫刻家、ミロ、ピカソ、シャガール、コクトーなど毎年異なる画家によってデザインされ、ムートンの商品管理とイメージを意義深くさせているそうです。(それが別のアート・ラベル・コレクターを呼んでいます。)今回は、何本か紹介。左からA.1985年、B.1985年、C.1988年A.1985年、エチケットの絵は、おそらくB.同じポール・デルヴォーの別バージョン?B.1985年、エチケットの絵はポール・デルヴォー 二人の少女と一房のブドウの魅力(目で見て、触れて、味わえる)が、別々に 分けて、水彩で描かれています。C.1988年、エチケットの絵はキース・ヘリング。左からD.1989年、E.1990年、F.1995年、G.1996年D.1989年、エチケットの絵はゲオルグ・バゼリッツ 伝統的なムートンの紋章がその年の最大の歴史的な衝撃「ベルリンの壁の崩壊」と 一緒にバゼリッツの逆さまの雄羊が描かれています。 さらに、バゼリッツは「向こう側がついに帰ってきた!」の一言を書き加えています。E.1990年、エチケットの絵はフランシス・ベーコン ワインを愛した一人として、ムートン1990年ラベルのために油彩で、ワイングラスを 取り巻くように、ボトルの曲線に沿って曲げられた奇妙な型の踊りを製作。F.1995年、エチケットの絵はアントニー・タピエ アクリル性のクレヨンで描かれたデザインは、「カタロニアで」と題がつけられ、 大地の血と人間のセンスとの、かつてない結婚が祝われ、そこに2つの ハート(心臓)、ひとつの鼻と口と耳が描かれている。G.1996年、エチケットの絵はグ・ガンエチケットの絵の希少性により、熟成具合の評価とは噛み合っていないようです。CとDのエチケットを拡大しました。Cは、キース・ヘリングの羊。Dは、1989年11月9日「ベルリンの壁の崩壊」の年なのですね・・・。感慨深いです。因みにキース・ヘリングもベルリンで、ベルリンの壁の有名なチャーリー検問所(国境検問所)の壁に絵を書いているそうです。シャトー・ムートン・ロートシルトのエチケットは、決して飲まなくても、視覚的な意味においても、それぞれに想いの詰まったワイン? 作品? になっているようです。派手で軽いと思っていた印象を覆すエチケットでした。関連リンク シャトー・ラトゥール(Château Latour )リンク シャトー・ラフィット・ロートシルトのボトル
2009年10月28日
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ボルドー 2 (メドックのブドウ畑)ボルドー地方(Bordeaux)メドック(Medoc)AOC(Appellation d'Origine Contrôlée)原産地呼称統制AOC表示メドック(Medoc)の8つのAOCメドック(Medoc)・・・15000ヘクタールメドックのブドウ畑の特徴は、河口を見下ろクループ(丸い頂き)と呼ばれる砂利まじりの小高い丘(小石、砂、砂利の混合土)の連なりだそうです。痩せて水はけの良いこの土地のワインは、こしがしっかりした赤ワインで、長期保存ができるそうです。前回紹介したシャトー・マルゴーに向かう並木道です。シャトーは後ろ側です。視界をじゃまする物があったので、反対側を撮影・・残念。近隣のシャトーボルドーワインの98%がAOCと言う、ボルドー地方は、フランス最大のAOCワインの産地です。AOC(Appellation d'Origine Contrôlée)原産地呼称統制フランスの農業製品、ワイン、チーズ、バターなどに与えられる認証で、製造過程と最終的な品質評価で、特定の条件を満たしたものに与えられる品質保証です。フランスの法律では、AOCの基準を満たさないものは、AOCで規制された名称(原産地表示)で製品を製造または販売することは違法なのだそうです。AOC表示AOCの付いた製品は、ラベルや製品そのものに印刷された証印によって識別出来るそうです。ワインのAOC製品のマークとしては、印として、ワインのエチケットには必ず「Appellation Contrôlée」または「Applacion d'Origine(生産地)Contrôlée」の表示が入り、生産地の部分には、「Bordeaux(ボルドー)」などの地方名、「Médoc(メドック)」などの地区名、「Margaux(マルゴー)」などの村名が入るそうです。メドック(Medoc)の8つのAOC2つの地区名付きAOC・・メドック、 オー・メドック6つの村名付きAOC・・・・サン・テステフ、 ポイヤック、 サン・ジュリアン、 リストラック・メドック、 ムーリ、 マルゴー。他にもいくつかの格付けがあるそうです。ブドウの木ボルドーのワイは、数種のブドウを混醸して作られます。ブレンドの比率は、その年のブドウの出来具合や、8000近くあるシャトー(醸造所を持つブドウ園)によってそれぞれ異なるので、ワインの種類が豊富になります。ボルドー産の赤ワインに使用されるブドウは、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、メルローといった品種が中心になりますが、特にこのメドック(Medoc)では、カベルネ・ソーヴィニヨンが主で、まろみを出す為にメルロ種を補っているそうです。そういえば、シャトー・マルゴーもカベルネ・ソーヴィニヨンを主体とし、メルロとアッサンブラージュしているそうです。おいしそうなブドウです。おいしいワインがもうすぐ出来ますね。今年のできはどうかな?メドックは終わりですが、つづく。リンク ボルドー 3 (サンテミリオン)
2009年10月27日
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11月第3木曜日がボジョレー・ヌーボーの解禁日と言う事で、ワインのオーダー合戦が始まっているこの頃です・・・。今タイムリー? これ以上遅くなるとチャンスを逃すので、紹介しておきます。あまりワインには詳しくないので、下手な説明を載せると通の方に何だ? と思われるといけないので、ほとんどコメントは載せませんので・・・。ボルドー 1 (シャトー・マルゴー)ボルドー地方(Bordeaux)フランス南西部、3つの川(ジロンド川、ガロンヌ川、ドルドーニュ川)の流域に広がるボルドー地方は温暖な海洋性気候に恵まれて、ブルゴーニュと並ぶワインの一大名産地です。シャトー・マルゴー(CHATEAU MARGAUX)ボルドーのメドック地区ジロンド川沿いにあります。行った事のない人でも知っているこの館は・・・。どこで見た?ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人がシャトー・マルゴーをフランス宮廷に持ち込み愛飲したとか・・・。ギリシア神殿風のシャトーの建物は1810年に完成。ワインのエチケットでした。左から1993年、1999年、2002年、2005年。一番古いのが高いのか? と素人は考えがちですが、この中で一番高いのは2005年物です。左3本のほぼ4倍の値が付いています。2005年は日照が良く、近年最高のワインの当たり年だったからです。文豪ヘミングウェイが愛して「シャトー・マルゴーのように女性らしく魅力的に育つように。」と、孫娘の名前にしてしまったと言われるワインです。シャトー近くのブドウ畑メドック地方は「真ん中の土地」を意味するそうです。それは、大西洋とジロンド川の中間に位置するからなのだそうです。シャトーの近くの畑痩せた小石と砂まじりで、暖かい土地は、水はけが良くカベルネ・ソーヴィニヨン(赤のブドウの品種)にとりわけ適していると言われています。カベルネ・ソーヴイニヨンかもしれない・・・。、マルゴーは「女王」の異名を取るワイナリー。1855年のパリ万国博覧会の際に皇帝ナポレオン3世の指示でメドックのワイン格付けが実施され、シャトー・マルゴーはブラインドテイスティングで唯一20/20点を獲得し、シャトー・ラフィット、シャトー・ラトゥールに次いで第1級第3位にランクされたそうです。以降ボルドー・ワインの黄金期と共にシャトー・マルゴーの名声はよりいっそう高まったそうですが、60~70年代に名声にかげりが・・・。ギリシャの財閥メンツェロプロス家が1977年に買収して多大な投資を行い1978年のヴィンテージから奇跡の復活を果たしたそうです。メドックの畑・・・つづく。リンク ボルドー 2 (メドックのブドウ畑)
2009年10月26日
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珍しいパイパーのロゼとヴーヴ・クリコのローズラベル ノンヴィンテージですが・・写真の容量いっぱいで解像度を落としたので画像悪いかも左から、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン・ブリュットのローズラベル中、ピペ・エドシック・ブリュット・ロゼ・ソヴァージュ右、ピペ・エドシック(パイパー・エドシック) たまたまそろったので並べて撮影。パイパーは私の好きなシャンパンです。マリリン・モンローの愛したシャンパンであり、カンヌ国際映画祭の公式シャンパンでもあります。映画にも数多く出演? 「The Movie Champagne」(映画のシャンパーニュ)と呼ばれているそうです。赤ラベルはドン・ペリニヨンよりフルーティーで確かに女性向きだと思います。ロゼはまだ未経験です。ヴーヴ・クリコはクリコ未亡人と言う意味で、2代目を継いだ夫に先立たれ若くして未亡人になった彼女は自らヴーヴと名乗ったそうです。社名のポンサルダンは彼女の旧姓。また彼女はシャンパンを透明にするのに成功した最初の人でもあります。たまった澱(おり)を回転させて集め、それを凍結して取り除きクリアーにする手法です。早く飲みたいです。
2009年04月11日
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