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父のことがあってからしばらく実家へ帰っています。私一人ならば何でもいいのです。夕食は。今は母と・・上の姪が居ることが多く、姪が居ない時は特に何でもいいかな~と思います。スーパーのお寿司とかでも全然。(お味噌汁くらいは作りますが。)今日も何も作る気になれないな~と思ったので「お寿司でも買う?でもやっぱり温かい食事がいいよね?」と尋ねると「うん。」(寿司は嫌という意味)と答える母。「お母さんが温かい食事が食べたいな、って思うようにお父さんも毎日、温かい食事が食べたかったんじゃないの?」と言うと母は黙ってしまいました。少しは自分の至らなさを反省してくれているんでしょうか?(母には至らなさしかないけれども)しかしもうそれを悔い改めることも相手に謝ることも温かい食事を作ってあげることも出来ません。後々後悔しないためには?誰が見ている訳でもないけれど日々、自分のすべきことを出来れば心を込めてやることです。本当に・・・ね。
2018.06.30
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姉と一緒に墓参りに行った。(勿論、まだ父は墓には入っていない。)いつも一緒にお墓の掃除をしていたのに何故父はここに居ないのか?と堰を切ったように姉が泣き出した。姉が..本当に子供のようにワンワン泣き出したので私も本当に悲しくなり、土砂降りの中、姉と泣きながら掃除をし、花を飾って帰りました。今日でひと月。もう半年くらい父に会っていない感じです。もう会えないんですけどね。この頃..多方面からいろんなメッセージを受け取り、私自身、変わらなければいけないんだな、と感じています。恨みや負の感情を手放さなくてはいけないと。自分自身の人生をより良く生きるためにも生き方や考え方を変えなければいけないようです。
2018.06.30
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お店にも実家にも花は欠かせない存在になっている。父の仏壇の廻りにも花瓶が三個置いてあり、仏の花に拘らず、色とりどりに活けている。薔薇の花でも(仏壇には薔薇は挿さないが)飾っている。父の魂を美しい花々で癒してあげたいから。家から車で10分くらいのところに地元の人がお庭で栽培したお花を良心的な価格で出している場所があって、そこで買い求めることが多い。お花屋さんみたいな華美な花はないけれどそれでも十分に綺麗なので、少しくたびれたと思ったらこまめに活け替えている。仏壇も常に綺麗にして、父にとって居心地の良い場所であるようにこれからもずっと花を飾り、心を込めて掃除をしたいと思う。姿形はないけれど心の中に父は居る。これからも変わらずずっと父を愛してゆく。
2018.06.29
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雨が降っていても空が晴れていても無性に悲しくなるのです。明日は大雨の予報ですが、お墓参りにいきます。お骨はまだ自宅にあるから、父を参ることにはならないでしょうけれど。
2018.06.28
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母や姉のところには来てくれているらしい父。肩をポンッと叩かれたり(生前の父特有の挨拶の仕方で独特なんです。)頬っぺたを顔にくっつけに来てくれたりする感覚があるそうなんですが、私のところにはサッパリ来てくれません。ガッカリなのですが姪たちのところにも現れないそうです。幽霊でもいいから会いに来て欲しいなぁ。それはそうと今日、またアポなし焼香がありました。遠方から来ていただいたのですがもしも誰も家に居なかったらどうするつもりだったのかな。どうして電話一本して来てくれないんだろう。父の部下だった方々ですが、父の現役時代は相当ご馳走したり、飲みに連れて行ったりしていたようで。(格好つけの父でした。)「本当に私たちに良くしてくださって・・可愛がっていただいて、私たちが今日あるのは〇〇さんのお陰です。」と言ってくださり、温かい気持ちになりました。でもやっぱり電話してきて欲しかったです・・・^^;
2018.06.28
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有名人の離婚理由で一番多く聞く台詞「価値観の違い」これを身をもって感じている今日この頃。父が亡くなってから今の現状・・・ものすごくそれを感じるようになった。主人にはいつまでも悲しみから抜け出せない私が不満に映るらしく。また私も理解不能な設備投資でお金を散財する主人を苦々しく思う気持ちが一番に来てしまい、双方が噛み合わないまま話もしたくない感じ。そして私が悲しんで何も手につかないのに他人(主人の友人)が夜の九時過ぎまで入り浸り、夕飯を食べて行くので本当に疲れている。作業を手伝ってくれるのは有難いし、謝礼もしたいのですが、やはり昼も夜も食事をしていくのは流石に厚かましいと思うのです。まぁ色々書くとあれなんですが・・今私は本当に悲しいけれどそれを共有してくれずに自分のしたいことを押し通そうとする主人がこれまた悲しいのです。夫婦とはいえ他人だから仕方がないんでしょうか。
2018.06.27
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父が一番苦しい夜、(モルヒネを打つ前夜)夜勤だった看護師さん。呼吸を整えるマッサージや父への声掛けや・・本当に良くしてくださり、違反なのかもしれないけど勤務時間外にも看護してくださり、私たち家族にも最後まで希望の光を与えてくれた。美しくて心も綺麗な看護師さんでした。父もその看護師さんを心の拠り所としていたと思います。父の死後、入院費を清算するために訪れた病院。主治医の先生と看護師さんにお礼を伝えに行ったが、事前に問い合わせたところ、その看護師さんはお休みと聞いていたので、ナースステーションにお礼の手紙を託けて帰った。その看護師さんから私たち宛にお礼の手紙が届いた。返事が来るとは思っても居なかったので驚きました。その文字の美しさと私たち遺族を思いやる優しくて染み入る文章に涙が止まらなかった。
2018.06.26
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お店をしているとお客様の数だけ様々な人生があり、皆辛いことや悲しいことがあり、人それぞれに思いを抱えて生きていることが分かります。今は父が亡くなって悲しいばかりですが..皆さん、大切な人を亡くされたり、ご自分が大病を患ったり・・子供さんのことでとても悩んでおられたり。本当に何も悩みがない人なんて少なくて・・でも何が一番重要かというとそれは「健康」なんですよね。特に重要なのは「足腰」だと思う。それにはやっぱり日々、歩くこと・・そして体に良いものを摂取すること。食事は出来るだけ手作りすることが大切です。父も母もそれを軽んじていたように思います。私の周囲の高齢で健康な人を見てみると元気で健康な人というのは早朝の運動と手作りの食事をきちんと取っておられます。傾向として、旦那さんが厳格で奥さんがそれに応えるべく家事をきちんとしている感じですね。今更、悔やんでも仕方ないのですが、そういったことを父も母も二人でそれを心がけていたら(特に母が意識を持って父を主導してくれていたら・・・)もう少し父も頑張って生きてくれていたのかな・・とそう思う。まだまだ私も残された人生のほうが長い。人生、ほぼ折り返し地点。体を労り、病気をしないように意識を変えていこうと思います。健康で長生きしないと意味がないですから。(別に私自身は長生きはしなくてもいいのですが。)
2018.06.24
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小さい頃にあったっきり・・・約40年ぶりに会う父の友人。私は酷い恰好をしており、スッピンに伸ばしっぱなしの髪・・・バイクで来られたので、宅配の人かとドアを開けたら父の友人でした。小さい頃によく自宅へ遊びに来ていたので直ぐに分かりました。ご焼香に来てくださるのは大変ありがたいのですが・・前日とは言わないまでもせめて午前中に連絡して欲しかったです。
2018.06.23
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自分が死んだときあの世で再会出来るのでしょうか?臨終の際はあちらの世界から一人・・縁があった誰かがお迎えに来てくれるそうです。(それはネガティブなものでなく、天界へ..光の世界へ導いてくれているというイメージ。)父は誰が迎えに来てくれたのかな~?私は父に迎えに来て欲しいな。姉もそう言っていました。でもまだ・・・父の死が現実に受け止められないのです。
2018.06.23
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父が居なくなって気が付いたこと。そこに居てくれるだけで良かった。必然的に交わされる女同士のかしましい話。口を挟む訳でもなくただそこに居た父。でもきっと参加していたんでしょう。聞き役として。亡くなったあとでそれに気が付かされるなんてね。馬鹿な自分。姉と仏壇の前で涙し、泣き過ぎて頭が痛くなり・・・その感覚が少しずつでも薄らいでいけばいいな。
2018.06.22
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父の葬儀の打ち合わせをしているときに義兄の態度に私がブチ切れし、本当に最悪になりました。後で(多分)仕方なく詫びを入れてきましたが、正直、四十九日も来て欲しくないですし、身内として付き合いたくありません。父の生前、義兄のせいで金銭的に散々迷惑を掛けられたこと、姉一家が父の心労になっていたであろうこと。全てが許せない。母のことも許せない。多分、父と母が普通に・・・穏やかに生活していて、急に倒れて亡くなったというんだったら悲しみ方も違ってたと思う。ここ一年半の父と母の食生活、父が入院してからの母の態度、また一番父のことを注視していなければいけなかったのに母の怠慢でそれを怠ったこと。母のせいで病院に運ぶのが遅れたこと。あまりにも可哀想な最期だったので私は恨みの感情を手放せないでいるんです。しかも保険の事も何もぜーんぶ父任せで「知らない。分からない」と何ひとつ分かっていない母。それなのに口座の名義変更とか微々たる保険金の振り込みが何時になるのか?自分の口座に何時入るのか?そういうことにものすごく執着しています。そして私の主人のことですが、父の死後の手続きもあり、母のこともあり、申し訳ないのですが、今は主人は放置で一人で生活してもらっています。しかしお店のこともありますし、今週末あたりから生活を元に戻そうと思っています。ここひと月近く、主人は主人でお店の改装とかやっていて、そこにお金がない主人の知人が加勢に来てくれているのですが、事情があって自宅へ帰りたくないらしく、夜の十時まで主人と一緒に居るというのです。昼、晩と食事代も負担してあげなくてはならず、私はこの前も足りない分を主人の口座に送金したりして、気分は良くないです。基本は自分で自分の生活が出来ていない人間が大嫌いなので、人柄の良し悪しは別として私はそういう人とは付き合いたくありません。昨日、主人と電話で話していたらその知人の身の上(同情すべき点は多々ありますが、全て自己責任です。)を滔々と語ってくるので、「そんなこと私には関係ない。」って言ったんです。主人はその言葉が気に入らなかったようで、「じゃあ今から、一切その人に関しては話をしない。」と喧嘩になりました。父の死が悲しいのですがその他も色々あるので心の整理が出来ない。これも時間が解決してくれるのでしょうか?どうしたものでしょうね・・・・。
2018.06.21
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沸々とわいてきて大変です。消えてしまいたくなる。
2018.06.21
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もういいや・・・。食べれないから当たり前なのだが体重が激減した。本当に量が入らない。今は母と上の姪と3人で生活しているのでそんな気になれないが仕方なく料理をしている。父の死は例えようもなく辛くて重い・・・他の悩みが吹っ飛んでいった。
2018.06.21
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父が亡くなってビックリしたのですが、終身保険に入っていなかったんです。本人は大昔に契約したものが有効だと信じていたようで、それがゼロだった訳で。悲しいやら呆れるやら・・・。母は残された父の預金などを全て自分名義にしたがるし本当にこういうときって本性が垣間見えて客観的に見ると面白いです。それなのに自分はお金には執着がないと言う母。それを以てして何を執着と呼ぶのだろう。母も高齢なので残してくれた父の預貯金と遺族年金を合わせば心配も要らないと思うのですがやっぱり残高が多ければ多いほど安心するんでしょうね。本当にこういうことを言ってはいけませんが、この期に及んで親子も何もないと思います。ただ義務感で親の面倒をみるつもりでいます。
2018.06.20
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愛する人たちよりも少し早く逝きたいと思う自分。悲しい思いをしたくないという自分のエゴにしか過ぎないのだけれど。愛する人を失った悲しみはこんなにも深いのかと・・・もう悲しすぎて訳が分からない。
2018.06.19
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大切に生きる。今日と同じ明日はもう来ない。後悔しないように相手に何かしてあげたいときは直ぐに行動で示してあげよう。明日もあるから・・・そう思って先延ばしにしてもその明日がやってこない時もあるのだから。
2018.06.18
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織り込まれてくるチラシやネットの広告の父の日特集が辛い。もう何をプレゼントすることも出来ない。何かにつけてプレゼントしていたシャネルの香水も半分以上が残ったままになっている。湯灌をしてもらって死に化粧を施してもらった際に耳元へ吹きかけてあげた。湯灌師の方は「お洒落なお父様だったんですね。」と仰った。私が20代のころ、展示会前にお客様に動員の電話をしなくてはならなかった。その頃も今も電話で話すのは超絶苦手だったが一社員が嫌と言える筈もなく、顧客名簿を見て電話をかけていました。するとお電話に出られたのは年配の男性。奥様のお名前を言い、〇〇様はいらっしゃいますか?とお尋ねした。旦那様が「用件はなんだ?」と仰るので秋冬の展示会のご案内のお電話なのですが・・・と言いかけると「家内は数か月前に亡くなりました!!こんな電話、してこないでください。」と怒気を含んだ声で言われました。そのときは電話した失礼をお詫びして電話を切りましたが、そのときの旦那様の気持ちが今では本当に理解出来ます。亡くなったのが半年前だろうが一年前だろうと故人宛に電話があり、その応対をするのはやるせない筈ですものね。今日は快晴。だけれど暑いのか寒いのかよく分からない天候で私もお腹が空いているのか空いていないのか自分でも良く分かりません。生きているのが不思議な気すらします。
2018.06.17
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日々悲しみが薄らぐどころか日に日に悲しさが募る毎日。仕方ないですね。泣けるときは泣きます。今日は午前中に父の友人から電話がありました。来週、関東からお参りに来てくださるとのことなのですが、それに関しておもてなしは不要とのこと・・(丁度、昼食時に来られることになっているので)そして平服で来ることをお許しください、とのことでした。この父の友人はすごい教授でいらっしゃるのですが、本当に温和な方で、一年に一度の頻度で帰省した際に父と食事に行ったりしていました。こんな形で父と会うことになるとは夢にも思わなかったことでしょう。これから書く内容はその電話の話と繋がっていくのですが・・・父の仏壇の横の床の間にお茶やタオルといった返礼の品を紙袋に入れて並べて置いています。いつ誰がお参りに来てもお渡し出来るように。今日の夕方、実家へ姉が来た際に「今日、お父さんの夢を見た。午前中、5分くらいうたた寝してて。お父さんが出てきてね、お仏壇の横に返礼の品を並べているじゃない?それを指さして何度もうなづくの。何?これがどうしたの?って聞いてもやっぱり返礼の品を指さしてうなづいててね。又、これがどうかしたの?って問いかけても何も答えてくれないの。ひたすらその紙袋を指さしてただ首を縦に振って。お父さん、何を言いたかったのかな。」そう言うので午前中に父の友人から電話があったことを伝え、そのお友達がお参りに来たら、「ちゃんと返礼の品を渡してくれよ!」って頼みたかったんだね、と二人で又、涙しました。お父さん・・・そんなこと心配しなくてもちゃんとそれくらい分かってるから大丈夫よ~。お父さんに恥をかかせるようなことしないよ。心配性な父です・・・(笑)
2018.06.17
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気力がなく、自分の部屋の掃除は出来ていませんが、仏壇の掃除を念入りにやりました。父は綺麗好きだったので。でもやっぱり亡くなった人間に対してではなく、生きている内に・・今生に姿あるうちに感謝を込めて何かをやってあげないと意味がないですよね。。。お父さん、ゴメンね、って思っています。
2018.06.16
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砂を噛むような思いで食事をしている。残された大きな古い家。今後を考える。母は父の死後、腰の調子も良く誰よりも元気になった。思えば・・・至らない母とそれを正す父。共依存の関係だったのかもしれない。大切な存在だったのかもしれないけれど母にとっては煙たくて煩い教師のような存在でもあった父。精神的負担でもあった父が亡くなって、母は解放されているかのようだ。時に煩いことを言われて負担を感じ..足が不自由で手間もかかり、肺も悪かった父は居ない。(私はそんなことは思っていない。父は大切な存在でした。)私は心の電池が切れ、虚しく、悲しい気持ちしか湧いてこない。書いていても父が可哀想で涙が出てきます。父は今、天国の階段を登りながら何を思っているのだろう。静かに微笑む遺影の父は何も答えてはくれない。
2018.06.15
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姪の至らなさについて思うところがあり、今日姉に親戚のことを含めて話した。親戚は「お祝いをあげてもお礼の一言も無かった」と言うことだったので、やはりそれは失礼にあたると思い、姉に話をした。すると驚くべきことにその親戚からは姪に対して何らお祝いをいただいた事実がないことが分かった。詳しく聞いてみるとその親戚は向精神薬を大量に飲んでいるらしく、勘違いしているかそう思い込んでいるかどちらかのようです。嫌な話を切り出した私が一番馬鹿みたいで本当に疲れました。人騒がせな親戚です。
2018.06.14
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二度目の入院のときだったかな。数年前だけど・・お見舞いに行ったときに主人が父に「これ、御守りにどうぞ。」と握れるくらいのツルンとした綺麗な水晶を渡した。別段父はそれを持ち歩くこともなく・・(笑)父亡き後、それを思い出し、私が持っておこうと引き出しから取り出した。握った水晶はひんやりと冷たくてそれは父の死に顔を手のひらで覆ったときの冷たさを思い起こさせ・・やっぱり泣いてしまった。時間の経過とともに悲しみも薄らいでいくのだろうけど本当に心にポッカリと大きな穴が開いている。
2018.06.14
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父の葬儀は家族葬にしました。父もそう望んでいたし、私と家族もそうでした。父の弟夫婦は呼ぶつもりでしたが、母が自分の兄弟を呼びたがったので仕方なく母方の親戚も呼びました。会いたくもない親戚が来ました。その後、お礼の電話などのやりとりをしていると上の姪の態度が悪いとお叱りを受けました。私は娘のように可愛がっていますが、もう大人なのに親戚に対しての挨拶や気遣いが出来ていないという風なことを言われました。義兄のことも気遣いも常識もないね、と。これは客観的に見てもそうで、私の主人からも義兄は勿論のこと姪に対してもお礼の言葉が足らず、挨拶もちゃんと出来ていないと指摘を受けたこともあるので受け止めなければなりません。まぁ私も社会人になりたての頃は穴があったら入りたいくらいの酷い有様でした。。。社会人として年数を経てようやく人並み以上に気遣いや社交辞令も言えるようになりましたが。やっぱりそういったことを本人に伝えるのはとても難しい。しかも大学を卒業したてのまだまだ半人前の人間にそれを分からせるのは無理があるんですよね。そういうのは社会の中で・・人にもまれて徐々に出来るようになっていく部分も大いにあると思うので。私は姪にうまく伝える自信がありません。姉が私以上に父の死にショックを受けている状態ですので、落ち着いたら姉から娘へ..母親として注意してもらおうと思います。嫌なこと、耳が痛くなるような内容ですが、本人のためにも姉からきちんと伝えてもらおうと思います。
2018.06.13
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疲れて疲れて眠っても眠った気がしなくてもう本当に目覚めなくてもいい感じがします。恨みの感情を持ち続けて生きるのは本当にしんどいことです。母へ義兄へこの人たちと縁を切るまではそれはずっと燻っていくのでしょう。辛いです。
2018.06.12
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お洒落をして、ルビーの指輪をはめ、買ったばかりのスキニーを穿いて点滴に出掛けました。食は細くなったものの、ほぼ食事は摂っています。なのに看護婦さんには「ショックで何も食べてません。」と話しているそうです。(笑)父が亡くなって看護婦さんに同情してもらえるのが嬉しいようで典型的でありがちな年よりといった感じです。まぁそれはそれで良いのです。数年前から嫌悪しきっているので母に対しての感覚はもう麻痺というか今は腹が立つこともなく・・・夫を亡くして憔悴しきった可哀想なおばあちゃんを演じている母が滑稽な気すらして客観的に眺めている本日のワタシです。意地悪でも何でもなく。そうそう、紀州のドンファンと呼ばれる男性もそうですが、お金だけあってもあんな最期を迎えるなんて寂しい人生ですね。お金は無くてもたった一人でも「自分」という人間を心から愛してくれる人の存在は何よりもかけがえのない宝物だと感じますし、それは絶対にお金で買えるようなものではない。愛とは?心を通わせて長年、育んでいくものでしょう。苦労や喜びを共にしてね。金で買えるような関係は簡単に壊れます。女性を年齢や外見で選び、肉体や時間を金で買ってきたけれど愛はお金で買えなかった・・・ドンファンを慕ってくれていたのは飼っていたワンコだけでしょうね。多分。例え何億の遺産があろうとも天国に金を持っていける訳でもなし・・心から悲しむ人も居ないなんて憐れです。全国区で名を知られる有名人でありながら弔問客も40人も居なかったとか。そういう人生を歩んできた自分自身に責任があり、自業自得ですけれどね。
2018.06.11
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起こったことに対処し、また置かれた環境に順応していける生き物です。そして悲しみに暮れても、悲しみを乗り越えて生きて行ける生き物です。壊れずにそれが出来ている自分はやっぱり人間です。
2018.06.10
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下の姪っ子が半年以上前に予知夢を見ていたことが分かった。でも不吉な夢なので、誰にも言えなかったと今日、泣きながら私だけに教えてくれました。二人で泣きました。そして私なりに理解したことは父は家族に迷惑を掛けたくなく、望んで旅立ったのではないかということ。奇跡的に今回、退院出来ていたとしても多分、普通通りに歩くことは出来なかったと思うのです。持病に加えて脊椎管狭窄症もあって歩行困難でしたから。だから退院して..不自由な体で皆の手間を取らせて迷惑を掛けたくなかったんじゃないかとそう感じました。そういう繊細な優しさを持った父でした。
2018.06.09
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父の初七日も過ぎ、役所関連の手続きも大体が終わった。一番、父の廻りのことをしていた姉は毎日、泣いて暮らし..私も勿論、悲しくて仕方ない。心配していた母だが、思いの外元気であんなに痛がっていた腰痛も治まっているようで私と姉は驚いている。結論は父が亡くなり、全てのことから解放されて安堵しているのだと思う。もう父の世話をしなくていいし、(世話もしていなかったけど)だらしない生活を咎める人(父)が居なくなった。何もしなくても自分の世話も何もかも姉と私がやってくれる・・・掃除も洗濯も食事も全て娘がしてくれるから心配要らない。そういう感じです。親だから最後まで面倒を見ますがこの女は一体、何なんだろうと思う。父が可哀想でならない。父が亡くなって悲しくて涙が出てくるのもあるけれどそれは同時に薄情で最低な母に対しての悔し涙でもあるのです。こんな人でも父は心から母を愛し、最後まで母のことを心配しながら逝きました。辛い。
2018.06.09
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こんなにも早く父が召されなければならなかったのかと思います。あと三年は生きれた命。誰かのせいにしたってしょうがないけど。主人は一番悪いのは父だという。いつもと違う苦しさがあったのだろうから我慢せずに早く病院に連れて行ってくれ、と言えば良かったと。迷惑かけまいとして我慢した結果、一番最悪なことになったと。早く病院に行っていたら結果は変わっていたのかな。父の死後も何にも書き残してくれていなかったため、保険の証書や年金手帳など大事なものがどこにあるのか分からず、本当に大変でした。やはり元気なうちにある程度の身辺整理なり、自分亡きあとの指示をしっかり書き残していないと周囲が大変迷惑することになりますね。一年ほど前に一応、何かあったときのために父にエンディングノートを書いて欲しいと頼んだことがあったのですが、「まだそんなことしなくて大丈夫。」と聞いてもらえませんでした。やっと役所関連の手続きがひと段落し少し落いてきましたがでも喪失感は半端なく..残された母のことを考えるとため息が出てきます。とにかくこれを切欠に母がボケたりしないように周囲がフォローしてくしかないですね。
2018.06.07
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先日、闘病中だった父が天国へと旅立ちました。今でも夢を見ているようです。半世紀近く生きてきてこんなに悲しかったことはありません。心残りは多々ありますが、父の入院中はずっと傍で看病することが出来、最期も看取ることが出来ました。入院してから亡くなるまで・・・また葬儀に至るまで書ききれないことが山とありますが、父が旅立った翌日から泣いている暇もないくらいに実務的なことが沢山ありすぎて悲しむ暇がありません。父の死が切欠で実母とも修復しがたい関係になり、心が追い付いていきません。本当は絶縁したい気持ちなのですが、母が高齢ということもあり、また姉が私に泣きながら懇願するので母への最終通告を出来ずに踏みとどまっている状況です。私は死ぬまで母を許せないでしょうし、許すつもりもないですが、父の死を切欠に色んなものが崩壊したことが残念ですし虚しいし悲しい。父の死後、やはり愛情の度合いのバランスが両親共に著しく姉に傾いていたことを知り・・思っていた通りだったな、と苦笑いしています。まぁ私はこんな性格ですし、損な役回りだなと。。。少しゆっくり休みたいけれど来週は役所廻りと保険会社への応対とバタバタしそうです。そういうときばかり・・・やっぱり損な役回りです。
2018.06.02
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