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5週間の滞在を終えた姪も日本へ帰国しました。空港で姪が流した涙と「ありがとう」の一言で、苛立ちも怒りもいろんなことも 全部良い思い出に変わりました。英語で言うなら Nothing matters any more.そんな感じです。彼女なりに少しずつでもいろいろなことを学んでくれたのではないかと思います。将来、愛する人にめぐり合い自分の子供を持ったとき、私が話したことやアメリカで見たことを理解してくれたらそれで良いと今は思っています。家族のこと、自分のこと、今日を精一杯生きるということ、自分の周りにいる人たちの優しさ、アメリカで出会った人たちの笑顔と涙。空港から戻ったら倒れるように眠りに落ちていました。自分では気づかなかったけれど、夫は「いつも気持がぴんと張り詰めていたよ。ストレスもたくさんあったと思う。」と肩をそっと抱いてくれたとき、急に淋しさがこみ上げしばらく号泣しました。彼女が居た空間は思ったより大きく、閉まっていたドアが開きっぱなしになっているのさえ不思議に思え、また涙がこみ上げます。今は私のほうが来てくれてありがとうという気持です。また 近い将来「アメリカに行きたい」そう思ってくれるなら いつでも両手を広げて迎えるつもりです。イマドキの子供でも気持はたとえほんの少しでも、通じ合うことはできる。血のつながりは 本当に強いものだと実感しています。良い経験になりました。最後の週にみなで訪れたヒューストン郊外のキーマのボードウォークで、4歳の末っ子よりも ずっと無邪気に歓声を上げていた姪。私が一緒に過ごした2歳の頃と変わらぬ笑顔を見せた瞬間を私は見逃しませんでした。あの無邪気な心を周りの大人たちが大切にしてあげたいと思うのです。土曜には一日早くイースターディナーを囲み、笑い声が外まで響いていました。滞在を延長して良かった、そう思います。私も彼女も悔いのない時を一緒に過ごせたのではないかと思うからです。のろまな亀の歩きで、彼女なりに顔を上げて前を向いて歩いていって欲しいと願います。
2005.03.28
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いろいろな宗教背景を考慮して、学校でのパーティーをイースターパーティーと呼ぶことができない。だから 今回は「スプリングパーティー」。でも クラスは全員クリスチャンということで、かなりイースター関連のものを用意することができた。クリスマスはウィンターホリデーパーティーということになる。今回は一ヶ月前にバレンタインデイで「グディーバッグ」を全員に用意するという企画があったため、なかなかパーティーの準備に取り掛かる気分にならなかった。しかし、親友のDと二人で前日買い物に出かけ、ゲームの用意もできた。担任はクラスへのニュースレターの中に「パーティーフェイバーおよび パーティーフードの寄付大歓迎!」と書いてくださっていたので 今朝たくさん集まったと連絡が入った。これまで 殆ど無関心を装っていた父兄が多かったので、これは驚きであり うれしい誤算だ。そして早朝から 私はカップケーキの準備。バスケットを模ったケーキにジェリービーンズやロビンエッグという小さな卵の形のお菓子を乗せるデザイン。4歳の子供たち二人も手伝ってくれた。なかなか取っ手が立たなくて大変だったけれど、あっという間にラッピングも済ませ学校に移動。ゲームはまず ピクショナリー。二つのチームに分けてお題の絵が何かを当てるもの。私が混ぜておいたのは、「フラワーポット」「チョコレートバニー」「バードネスト」など。そして「MRS.○○」。そう担任の先生の名前!これは大うけして大成功。オシャレなショートカットの「はず」の先生が ぼさぼさ頭の髪にされて お目目ぱっちり お化粧ばっちり。このお題を描いたのは クラスで一番絵が上手いヘイリーだったので 絵の派手さも手伝って 見学に来ていた父兄も大爆笑。父兄差し入れのホットドッグ、チーズトレー、チップ、カップケーキ、ジュースなどをいただきながらの次のゲームは ジェリービーンビンゴ。隣のクラスのクラスマザーをしている友人が私たちのクラスの分までコピーしてくれていたお花のボードでゲーム。春の花、春のパステルカラーなどを次々読み上げていく。「ビンゴ!」賞品は 卵のプレイドーやおもちゃなど。準備していた賞品が無くなったところでお開きになり、みなにグディーバッグを渡して解散した。今回も成功に終ってクラスマザーの役割も一段落というところ。残るは 先生への感謝の週のための準備と 学年最後の担任への感謝ギフトだけとなる。結局 各家庭5ドルずつという寄付を募ったクラス費ではあるが3分の2しか集まらず、大半はクラスマザーのポケットからの出費になる。それでも ダラーストアやセールを上手く利用して運用したので 例年のクラスマザーよりは出費は抑えられている予想。今年も残るところあと2ヶ月。教師や学校側とも親しくなることができたし、顔なじみも増えたので クラスマザーを務めてよかったと思っている。アメリカにお住まいのお母さん達にも、ぜひお勧めしたい。クラスの子供たちとの接触も増えるし、学校の雰囲気、クラスの雰囲気もつかめるので良い経験になるはず。働くお母さんには時間的に無理があると思うけれど、今のところ子育てに専念しているというお母さん、下の子供たちを連れて行ってもOKという学校が多いアメリカなので ぜひ来年挑戦してみてね!ちなみに担任へのプレゼントは残高ゼロということもあり、Dと二人でディレクターズチェアを手染め&手描きして送る予定。
2005.03.18
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ちょっと雑務に追われて滞っています・・・日記。0度まで下がった今朝の気温でしたが、外はもう春。放置してあった 青梗菜がたくさん花をつけていました。大根のお花や小でまりも小さな白い花が一面咲き乱れています。青梗菜や大根は花をつけてしまうと本当は切るべきなのでしょうが、私はお野菜の花が大好きです。たとえ野菜のほうは食べられなくなっても、このまま綺麗なお花を咲かせてあげたいと思うのです。菜の花に寄せられて集まる蜂たち。真紅の鳥 カージナルもやってきて 知らず知らずの間に、裏庭はすでに生き物たちにとって、忙しい季節を迎えたようです。でも バッタとファイアーアントだけは、いや!
2005.03.17
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時々ふと思う。妻になって母親になって15年以上経ち、私は毎日朝から夜まで、いつも誰かのために動いている・・・きっと私と同じ思いの人がいるに違いない。でも、気分転換の上手い人、「誰かに何かをすることが本当に心から好きな人」、テキトーに軽い気持でこなせる人は ラッキーな人だ。私は、いつも全力で走りすぎて、全身で頑張りすぎて、たまに「がくっ」と来ることがある。たとえば、一生懸命誰かのためにと思ってやったことが裏目に出た時。誰かのためにやって「あげた」という気持がのぞいてしまった時。家庭の中では、子供との付き合いは、あちらも全身でぶつかってくるだけに あとでとても気持が整理できない重い気持になることがある。ティーンエージャーの女の子は、ムードスウィングも激しくて、我々のPMSを百倍にしたくらい気持にむらがある。最近上の子供が、私にYell(怒鳴る)することがでてきた。私も同じ強さで怒鳴り返してしまうので、気持がおさまったあとも、しばらくギクシャクしてしまう。いったい何を書いてるのかわからない「ちょっとブルー」な日曜の午後。今日も朝からお洗濯、お掃除、食事の用意と済ませ、家族の誰かのためによかれと思ってアレンジしたことが逆目に出て 子供と感情的にやりあった。だから ふと思う。私も 一日だけでも自分だけのために 自分の時間を過ごしてみたいと。でもこんなことは、たぶんとても贅沢なことなのだと思う自分が同時にいる。誰かのために 何かができることは もしかしたら本当はとても幸福なことなのだから。それでも、やっと椅子に座ったと思った瞬間、誰かが何かをして欲しいとやって来ると、「あー自分のために自分の時間が過ごしたい!」と思ってしまう、私だった。まるもちゃんの 恐るべし!PMS!! をトラックバックしてま~す♪
2005.03.13
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先月末から、姪が遊びに来ています。19歳の大学一年生。同じ日本人だし、うちにも同じくらいの子供がいるので比較的簡単に考えていたけれど、実際に日々過ごしてみて、「異星人」だってことを発見。きっとうちの姪だけ特別で違うの?と思うこともあるけれど、私はこれまで数人の日本人の子供たちの短期あるいは高校への1年間の留学をお手伝いしたことがあって、この子たちも姪とあまり変わらなかった。おのおの家庭の躾や 家庭でのルールには多少の違いはあるにしろ、往々にして「イエスとノーがあいまい」「ニコニコ笑ってわからない部分を補う」「最低限の自分のことが自分でできない」「感謝の気持ちが無い」「してもらえなかったとか ほおっておかれた」「悪いのはみんな他人、私は頑張ってあれもこれもしてるのにホストファミリーはこれもあれもしてくれない」。「自分がしたいことがわかっていないのに、してもらえないことへの文句は山積み」「将来への展望が希薄」きっと、みんながみんなそうではない!という人もいるでしょう。しかし、一概にこういう子供のほうが多いと私は思います。飽食の時代に育ち、親や社会が決めたルールの上を背中を押されて走る子供たち。そこでいまさらあらためて「好き嫌いなく何でも食べなさい。お百姓さんが一生懸命育てたお米よ。アフリカには食べるものが無くて・・うんぬん」と話しても 説得力が無い、それはそうかもしれません。遠くのどこかの国で起こっている内戦や飢餓を 食卓で話しても現実味は無く、実感することは無理だとは思います。それでも、自分の居る場所がどんなに心地よく、親の庇護の元、明日の心配をせずいられる温かい場所であることへの感謝は、当然するべきです。その子が今アメリカで自分のことだけ考えて毎日暮らしている、その状況を保つために、実際はどれだけ多くの人が厚意を持って動いてくれているのか、親がいったいどういう気持ちで送り出してくれているのか、そのために働いているのかなんて 全く考えの中にないのでしょう。当たり前なことって、ぜんぜん世の中には無くて、いつもどこかで誰かが努力しているから、あたかも自然に物事が前に進んでいるのです。今日ここに自分が在ることは、まわりの誰かの努力の上にやっと成り立っている、私はそう思います。こういった気持ちは、とりわけあの9・11以後強く感じるようになりました。明日のためにではなく、今日のために、今のために一生懸命全力で暮らしたい。そして、また健やかな一日が過ごせ、夜が迎えられることに感謝したい。明日の予定を人はあたり前のように立てるけれど、明日朝が迎えられることって もしかしたらとても贅沢なことなんじゃないかなって思います。イマドキの子供たちにどうやって「感謝の心」「人の気持ち」を教えることができるか、それがここ数日の課題です。誠意と愛情を持って接すれば、今はわからなくてもいずれ「あっ!」と気づいてくれるときが来ればそれで良いのかもしれません。誰かの心に小さな「感謝」の種を撒く事ができたら、それが本当に一番大切なことなのでしょう。太陽や土や空気だってそうなんだ・・・・あたり前なものなんて 世の中にひとつも無いのだから。それから最後に 私は語学というものは単なる人と人とのコミュニケーションの手段であり方法だと思っています。だから日本語もきちんと確立していない子供に「英語」を教え込んだり、日本語より何が何でも【英語】という動きに賛同することができません。同じ意味で語学留学というのも いったい何が目的なのかと首を傾げてしまいます。正しい日本語で、自分の考えを組み立て、言葉にできる日本人が増えて欲しいと思いますが、このままでは「日本語」は消えてしまうのではないかという不安にかられます。日本人が日本語で考え、日本語を正しく話すということを、もっと親も学校も力を入れ取り組むべきです。NYやロスで多くの自称「日本人留学生」たちを見るに付け、「せっせと何も知らず仕送りし続ける親御さん」が気の毒と余計なお世話ながらも思い、不快になります。"とりあえず"英語これこそ、今の日本の最も間違った動きだと思います。きちんとした日本語が話せる若い日本人に出会ったとき、安堵感を覚えるのは私だけではないのではないと思います。
2005.03.03
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