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《染人百話》より《老山居士》
老山居士は山形県の人、真解院秀恩寮司の季子で幼名を俊丸と云うた。
深く内外の典籍に通達され、識見徳望兼ね備わった近頃稀なる高徳であった。
明治初年頃しばしば官から召されたが勿論応ぜられず。
後、五老山に隠れて三十余年は山を下らず。終身独身で
専ら自己の出離の大事に心懸けひたすら念仏された。
その傍ら格知学舎を設けて道俗の訓育に尽くされた。
当時、禅宗真言その他諸宗派の人々が、その感化を受けて真宗に帰したことは
実数知れぬ位であったが、跡を眩まし名をつつまれ、師はあまり世間には知られてない。
今その法語の二三を抄出する。
・
○顛倒の妄見に狂わされ、見当違いに涎を流し、煩悩を見方に思う心にては、
いかに仏法を聴聞したりとて聞こえよう道理はなきことなり。
彼の二河白道の御喩えは見当が順になりたる相なり。
見当が順になってみれば、目に見るほどのものは皆恐ろしきものばかりにて
娑婆に執着すべき筈もなく、煩悩を味方に思う道理なし。
二尊遣喚の勅命がただ嬉しいばかりなり。
それに見当が逆になって居るままにて、安心の信心のと沙汰しても、
オウムの口真似にて一大事の後生も、そのままながらの御助けも心の底より、
尊くいただける道理なし。
・
○羊頭をかけて狗肉を売るということがある、これは立派な看板を掛けて、
粗末なるものを売り出すことをいう。今日浄土真宗の僧分と同行も、
念仏成仏是真宗と云う立派な看板かけたる念仏門にありながら、
多くはろくろく念仏も申さず後生も願わず。
ただ信心安心の理屈ばかり云い立てて、こうじゃ、ああじゃと信心を
拵える事にのみ首はめている。是では既に真宗の人ではない、
折角御流汲みたる印には、たとい有り難かろうが、有り難たかるまいが、
なんでもかでも念仏に懈怠なきようにして聞法に力をつくすべきじゃ。
・
○仏法聴聞ばかりは何ほど聞いても、これまでと云うことはない、
聞けば聞くほど聞かねばならぬようになる。是広大の仏法なるが故じゃ。
然るに少しばかりわかるようになると、早や心得顔になる。
この心得顔になるものほど仕様のなきものはない。
よって御一代聞書には「一向に不信のよし申し候人はよく候」と仰せられた。
これ不信はよいではなけれども、信ぜられぬ疑い晴れませぬと云うものなれば、
よく聞く機にもなり。善知識の御聞かせもあり。また友同行の意見もあれば、
聞き得らるることもあれども、口に安心の通り立派に述べて、
紛れまわるものばかりはしかたがない。
「疑いの出ぬを晴れたと気ずまして、口に立派にのぶるはかなさ」。
・
○宿善の厚い者はとかくすなおなもので、善知識の仰せのそのまま計らいなしに
御慈悲に振り向くものじゃが、宿善の薄いものは、法にかたより機にかたより、
とかく計らいのみで理屈ばかり云うている。又宿善薄いものは、喩えて云うと、
夏まけした猫が日なたぼこりするように、好んで雑縁に近づき我と後生の障りを
招くようなが多い。
・
○独り按摩は無用である。手の先や足の先位なら独り手でも揉まれるけれど、
肩や背中などは手が届かぬから揉むことは出来ぬ。人にしてもらえば何も訳はない。今もその通りで我が身のことは自分には一向にわからぬものじゃから、
我分別は差し置いて人に意見してもらわねばならぬ。
・
○異安心に付いて信心安心の争いがあるべき道理はない。例えて云うと、
水の冷たいのと火の熱いのとに論のないようなわけじゃ。
ところが彼方にも此方にも争いのあるのは、凡夫妄情の上に思い浮かべる
道理理屈をもって拵えたてる安心じゃから、種々の違い目が出来て争うのじゃ。
如何ほど争うてみても水掛論で果てしはない。これみな後生大事の思いもなく、
仏法を尊く思う心もなく、ただ世間の我慢名利の心で仏法を取り扱うからである。
「名聞と利養が胸をふさぎては、聞けども聞こえぬみのりなりけり」
「真実の仏法しらぬしるしには、名利勝他のなぐさみにする」
とかく愚者は愚者ほど我は智者と思い、悪人は悪人ほど我は善人じゃと
口には云わぬが臍の下に堅めて置く。その証拠は同行知識にうち明かして
示談することは大嫌いである。然るに実の智者善人ほど我は愚痴じゃ。
我は悪人じゃと思い、智慧が進み善が盛んになるほどこの思いが
益々盛んになるものじゃ、菩薩初発心より勝解と慚愧との心が、
等覚無間道の位まで強く相続し給うとある。その勝解とは仏法をむずと信ずる心、
慚愧とは愚痴と悪とを深く恥じ入るを云うのである。
真宗は王法仏法真諦俗諦互いに相離れぬ御教えで在すから、例えてみると
真諦門は金銭のようで、俗諦門は財布のようである。財布が破れると金銭は
みな落ちてしまう。それじゃから金銭が大事なるにつけても財布も大事に
せねばならぬ。今もそれで御法義相続肝要なるにつけても、王法仁義を
大切に守らねばならぬ。王法仁義が破れては御法義相続がみな廃れてしまう。
よって友同行の意見を乞い、王法仁義をかたく守るようにせねばならぬ。
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