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《香樹院語録》より《二三二。心のふりむき》
一。 古語に寸も長き所あり、尺も短き所ありと云いしは、一寸のものでも、二分か三分にくらぶれば長しと云われ、一尺のものでも、一丈三丈のものにくらぶれば短しと云わる。比べやうによりて、長くもなり短くもなる。各々後生を願い御報謝をつとむるにも、平生いろいろに御法を聞かぬものに比ぶれば、余程志もあつく仏恩の報ぜらるるようなれども、如来大悲の御恩の大きさに比ぶれば、中々仏恩を報ずるとも云わるることではなし。それをば地獄え堕ちるものに比べて、よほど長いつもりで、広大なる御恩の方をば背にする故に?慢も起るなり。それは心のふり向けようが相違せり。たとい身命を抛げすてて御報謝をつとむとも、千須弥山の骨をくだいて下された程の御恩に比ぶれば、ものの数でもなし。とかく傍をば随分見ぬように、御慈悲の方え心をむけて、日月を送るべき也。
二。 十人一所に船に乗りて、その舟が覆りたるとき、人があがらば我もあがらんとて、右や左を見合しているものはあるまい。残る九人は皆沈まんとも、我身一人は藤の根にとりついてなりとも、助かりたいが腹一ぱいなり。今もその如く、ほんに後生が大事ならば、日本中のものは皆地獄え落つるとも、我が身一つは助かりたいと思う筈也。日々夜々、地獄え堕つるものは大雨の如くなりとある。堕ちまい堕ちまいと思うている人が大概はみな堕ちると見ゆる也。其の地獄え堕ちる人を見くらべて居よう筈はなし。一人一人の後生なれば、一人一人が御慈悲に向わねばならぬなり。御慈悲に向うて行くならば、たとい手足は立たずとも、かかる雨山の御恩をは、如何して報じ奉るべきぞやの心、またなにほど御報謝がつとまりても、たらぬたらぬの思いより外はあるまじ。このふり向きが違うていると、勤まらぬものは邪見をつのりて、凡夫じゃもの当りまえ、つとめて参る浄土でもなしなど云い、また勤まるものは?慢を起して、金でも出せば御恩を報じてしもうたような顔をせり。五十歩百歩、どちらも誤り也。
三。 それについて、此の心のふり向けようが、甚だ大切なるものにて、日々に三たび我身を省みよと云うたも、 このふり向けようを教うる計りなり。道を行うと云うは甚だ大切なる事にて、言葉で云えば日々の百千言、行いで云えば行往座臥、親に向い子に向い世間の人に向い、よきにつけ悪しきにつけ、こまかに心を用いて己が心の向き所を見るべき也。先づ一を挙げて云わば、親に孝なるものは、一足一足を挙ぐるにも其の親を忘るるなとあれば、一寸門え出るときも、我は何の為めに出で行くか、親の心に叶うべき事か、そむくべき事か、親が腹立てそうな事か、喜びそうな事かと、我が心の振りむけようを見て行くときは、滅多の処へは行かぬ故に、自ら孝行にもなるなり。とに角一寸さきは闇の凡夫故に、事終りてより、さては失敗たりと知れてくる。聖人は過を見てここに仁を知ると云いて、しくじりあとが恥かしい。己が欲のためにゆきすぎたか、或は律儀一筋でゆきすぎたか、たとい過りても、道の心のふりむきにて、口と体との失敗は恥かしうはない程に。人が見ぬとも知らぬとも、することなすこと己が心の振りむきを見て行かねばならぬ。その一つ一つは筆にかかれず、あらかじめ教えてもおかれざる也。
四。 道には経権と云うがありて、時によりては虚言に擬するようなことも云わねばならず、また隠さねばならぬこともある。人に善事を行わせ、人の命を助くるような時は、據所なく、なきことをも云う事あり。たとい実のことを云うても、他人の悪きことを人に知らせて、我が身よきものにならんと思わば、実の事を云うていながら心は道にふりむいては居らぬ也。
五。 心と云うものは、安きようで難いもの、難いかと云えば易いものなり。元来形のなきもの故に、丁度圓きものを回すようなものにて、毫厘の間に大違いが出来るから、三十里迷うていても改めるのはただ一念にある。向きかねる其の時はちから励ましてふりむけよ。
六。 掟を守るは、つらきようなれども、聖道の難行にくらぶれば、ものの数でもなし。朝寝しているに比べると、晨朝つとめるもつらいけれど、善導の六時礼讃に比ぶれば、二時の勤行はものの数でもなし。少しばかりの学問も振りむけが大切で、にわかに銭にでもなる仕事する人に比べると、果なきことじゃと思えども、戒師を千里の外に求めたり、樹下石上にありて名利を避くる人に比ぶれば、少しは人の見ぬ処でも精は出さる。同じ仕事をするならば、よき方に向いてしたきこと也。在家の渡世も同じことにて、とても渡世は捨てられぬ、また捨よとも仰せなし。同じ働きをするとても、臨終までの手ずさみや、往生のための道ゆき也。家を大切に相続するも、御開山の御門徒を繁盛させたいと振り向いて働けば、みな御報謝のつとめとなる。随分精出して身代も仕出すべし。
七。 同じ仕事をなしながらも、心の振り向けやう一つにて往くと還るとの相違あり。振りむけやうが間違えば比べ所も間違い、比べ所が違う故に、その仕事がつろうなる。後生の一大事に心がふり向くと、浮世の心に叶わぬことも、直に地獄の苦に思いくらべ、御報謝つとむる時も直に如来の御恩に向い、辛抱してたしなむとも、直に聖道の修行にくらべて、天は高けれども跼まり、地は厚けれとも荒々しく踏まず、ひと足ひと足に獄卒を後にし、招喚の勅命を前になして、悪しき心を退け、近づく浄土をたのしむ時は、一世勤苦の苦のままが楽となりて、豈快きにあらずや。一足横えふりむけば忽ち方角を失う程に、一歩千里の相違となりて何国まで迷うて行こうも知れず。狐や狸の気違仲間が藪の中から呼びかける程に、善知識の御言葉を闇の夜の灯として、傍ばかり見ぬように、出離の道にふりむき給えかし。
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