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《秀存語録》より《一一二 機之問題》
つらつら思ふ樣は、とかく、我心中は、我たのみ心があとからあとからながめられ、
機世話(きせわ)の離れかねたる心中也。
たのむといふ事は、阿弥陀如来のたすけ給ふ事を信ずる事だと思ふて見れば、
誠にやすらかなれども、さう思ひながらも、尻目つかひの離れ兼ねたるは我心中也。
思ふに、これが計らひといふもの、機あつかひといふものにやあらむ。
若し機あつかひなれば、これは雜修也。
されば、この機あつかひをさつぱり離れて、さらりとした心中になりたく思ふ也。
然し、また退いて思へば、やはり、自力のはからひにあらずや。
思へば、思ふ程、機世話のやかれて、一夜心中大に苦惱(くのう)せり。
ふと思ふに、※元祖は聖道の行をつとめる人に對して行からすすめ給ふ、
これ皆な應病与藥(おうびやうよやく)の御示にて、つづまる所は、
本願の不思議を信ぜしむるに在り。
されば、私如き機のながめらるる病のある身には、その病に應ずる御藥を頂くの外なき也。
私の病に適中の御藥とは、『末灯鈔』教名坊(けうめうぼう)へ下されたる親鸞聖人の
御消息に云く、「ただ不思議と信じつる上は、とかく御計らいあるべからず候。往生の業には、
私の計らひはあるべからず候也。穴賢穴賢。唯如来にまかせ参らせおはしますべく候」。
また、同鈔(=末灯鈔)に云く、「ただ不思議と信ぜさせ給ひ候ひぬる上は、
煩はしき計らひあるべからず候」。
また同鈔(=末灯鈔)に云く、「仏智不思議と信ぜさせ給ひ候ひなば、別に煩はしく、
とかくの御計らひあるべからず候」。
また『和讃』に、「不思議の仏智を信ずるを、報土の因としたまへり」ともいへり。
これらの御化導は、真に私の機あづかひの病には、相應の妙藥也。然らば、
凡夫往生の鏡(かがみ)たる『御文』に「たのめ」とある御言は、我藥にならざるかといふに、
既に「弥陀を」とのたまへば、仏智をたのむも、弥陀をたのむも、畢竟同じ事なるべし。
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